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「スナップエンドウ」か「スナックエンドウ」か?


「スナップエンドウ」か「スナックエンドウ」か、両方の名前を並べられると、どちらが正しいのか迷ってしまう。
このエンドウ豆Snap pea)アメリカから入ってきた野菜だそうだが、今では、莢ごと食べられる野菜として珍重され。我が菜園でも早春の珍味として欠かせない存在になっている。

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日本では「スナック」「スナップ」等の呼び名で流通しているようだが、「1983年(昭和58年)6月に農林水産省が新野菜38品種の名称を統一した際に、「スナッエンドウ」が日本における正式な名称と定められた。」という経過があるようだ。

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我が家では、いつも「スナップエンドウ」の種を買って栽培してきた。
今年もそのつもりで育てていたのだが、花のつき具合がいつもより早く、しかも花の数が多いのに気が付いた。
気候のせいか?、肥料を例年より有機配合肥料を増やしたせいか?の何れかと思っていた。
でも、隣りの菜園のスナップエンドウと比べても、明らかな差が見られる。
何故だろう??? 疑問が募る、

もしやと思い、残していた種の袋を見た。
なんと「スナックエンドウ」と書いてあった。
スナッとスナッの1文字の違いだけど、明らかに別の品種と見なければならない。

スナックエンドウもスナップエンドウも、単なる商品名の違いだと思っていたが、どうやらそうでもないような気がしてきた。
果たしてどうなんだろう・・・今後の収穫や味の違いが出ると、面白い結論が見出せるかも知れない。

菜園は、全てを忘れて熱中できる場だと思っていたが、野菜からも熱中させる材料を与えてくれることを知った一幕である。
いつも興味をそらせない家庭菜園。 やはり楽しい。(^^♪

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# by matutaka31 | 2026-01-20 17:48 | 家庭菜園 | Trackback | Comments(0)

目指せ100才

太極拳クラブの皆さんからハッピーバースデーの歌声と共に、心のこもった素敵な花束を頂いた。
こんな立派な花束で誕生日を祝っていただけるとは、私にとって最高の幸せであり、まさに生き甲斐を感じる瞬間でもあった。

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91才の誕生日の祝いに添えて「目指せ百歳」とパンチの効いた一言に、私の胸が年甲斐もなく騒いだ。
私にとっては遥かに遠い未知の世界、それを目指せ!だから。
ひるむ私の背中を押すように、「あと9年しかないですよ」と追い打ちをかけられた。(´ー`*)ウン

最近、1年があっという間に過ぎてしまう。
「年をとるほど1年が早くなる」ことは、みんなが実感すること。
乗り物の速さにに例えると、各駅停車の列車から新幹線になり、今では飛行機の速さだが、これからはロケットの速さになってしまうような気がする。
ロケットの速さだと100才も手が届くかも?
そんな空想に浸ってていると、100才まで簡単に行けそうな錯覚をしてしまいそうだからおかしなものだ。
でも、すぐさま明日をも知れぬ身である現実に引き戻され、はかない夢と消え去る。

教室では、新年に当り、今年の目標をみんなで出し合った。
私の目標は、昨年に続き「転ばないこと」。
昨年は第4コーナーまできて、ゴールが見えた途端、転んでしまった。同じ過ちをしないと今年も誓った。
もう一つ、皆さんが毎週月曜日に、自然と太極拳教室に足が向くような教室を目指したい。と。

みなさんからも夫々目標をだしてもらった。
転ばないように!、元気で楽しい1年に!楽しく太極拳を続けたい!等々、元気で楽しく太極拳を続けたいとの思いが共有されている。
100才を目指せの中には、どうやら「みんなが期待しているよ」というメッセージが込められているようだ。
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# by matutaka31 | 2026-01-13 16:33 | 太極拳 | Trackback | Comments(2)

その1枚1まいは私の宝物 No61

被爆体験を語った(証言)後に寄せられた数百枚の感想文には、様々な感想と意見が綴られていて、命の尊さ、平和の大切さなど若者の考え・意見が浮き彫りになっています。
このような感想文に私は、被爆の実相を伝えることの大切さを改めて心に刻むと同時に、伝える工夫と意欲をかきたてるヒントが詰まっていることに気付きます。
そんな大切な宝物の一部をシリーズで紹介することにしました。

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大学性 その11

この授業を通して、戦争がいかに多くの人々の生活を奪い、心まで傷つけたのかを改めて強く感じました。講師が10歳の時に体験した戦時中の暮らしは、今の私たちには想像もできないほど過酷なものでした。食料不足でさつま芋や南瓜が主食となり、衣服や靴も十分に手に入らない中、人々は「欲しがりません勝つまでは」という言葉に従い、我慢を強いられていました。そのような状況の中でも、「食べ物のありがたさ」や「生きることの大切さ」を学んだと語っておられ、困難の中でも前向きに生きようとする強さに心を打たれました。また、「兵隊にならない方法はないかと真剣に考えた」という言葉には、当時の子どもが抱えた恐怖と苦悩がにじみ出ており、戦争が子どもたちの心をどれほど追い詰めたのかを痛感しました。原爆投下によって多くの命が奪われたことは決して忘れてはならない事実であり、今の平和な暮らしは、多くの犠牲の上に成り立っていることを改めて理解しました。これからの時代を生きる私たちは、戦争の悲惨さを語り継ぎ、二度と同じ過ちを繰り返さないようにする責任があると強く感じました。


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プライバシー保護のため、個人の特定につながる文章の一部を割愛させていただいていることもご承知ください。

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# by matutaka31 | 2026-01-10 11:13 | Trackback | Comments(0)

生きること

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五道神社境内の「エノキ」 力強いエネルギーの継承

故あって、あるご住職と親しく話し合う機会に恵まれ、「生きる事の大切さ」について説いていただいた。
住職曰く、生きることは「エネルギーの継承」だと。

人に限らず、生あるものは全て、生きるためにはエネルギーが必要である。
そのエネルギーが何らかの理由で継承出来なくなることは、即ち「死」に繋がる。

エネルギーと言えば物が動く物理的なものと思ってしまうが、人間にとっては、喜怒哀楽といった感情や思考を含め、
生きるために必要な条件だと考えると、生きることの尊厳・大切さが良く分かる。

そのエネルギーが継承されている間は、どんな理由にせよ、その継承をじゃましたり断ち切ることは出来ないのだ。
否、邪魔したり断ち切ったりしてはいけないのだ。
にもかかわらず、それを無残にも断ち切るものが現れる。
その最たるものが,戦争や争であり、最新の医療技術でも直せない病魔である。

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生きる力が漂う

人が生き続けることは、この継承を妨げるものとの闘いでもある。
世界中の多くの人たちは、戦い続けてきたし、これからも戦い続けるに違いない。
でも残念ながら、その戦いは終わりが見えてこない。
なぜだろう。人間の礒だろうか。
神様が人類に与えられた宿題なのか。

このエネルギーを長くつなぎ続けことは、生き甲斐そのものに通じる。
己のためだけでなく、一人でも多くの人たちの、この継承の手助けを続けたい。
己のエネルギーを自ら補給できなくなるまで。
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# by matutaka31 | 2026-01-07 20:35 | 思いのまま | Trackback | Comments(0)

元日に思う

  「諦める」に抗う!

   まだ やりたいこと やり残していることがありますので・・・

        2,026年元旦       
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# by matutaka31 | 2026-01-01 00:00 | 思いのまま | Trackback | Comments(2)