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「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」ピアノ演奏で綴るフジコさんの人生、人生で一番大切なことは愛!

 

2024年4月に92歳でこの世を去った世界的ピアニスト、フジコ・ヘミングの日々を見つめた“ドキュメンタリー”

2018年に公開されロングランヒットを記録したドキュメンタリー映画フジコ・ヘミングの時間」の小松莊一良監督が、2020年からの4年間にわたるフジコの旅路を撮影したもの

2018年版を観ていますが、弟・ウルフさんが生存されて、まだまだ精力的に活動されているときのものでしたが、本作は死を覚悟して、自分の人生を総括するような作品になっています。

両親の離婚、混血、戦争、片耳の視力を失う等人生の苦難を乗り越え、60歳で突然のレヴューという転機を踏まえて、人生を語るそこには筋の通った生き方が見え、とても面白い。

人生は辛いことの多い。多い方がいい一番大切なのは愛、自分のことでなく他人や動物への愛。ピアノは楽譜どおり正確に弾くのではなく間違えてもいい、同じところを何回弾いてものいい、“要は魂を送り込むこと”等、フジコさんらしい名言を沢山残してくれています。

私はピアノのことは分かりませんが、フジコさんの生き方が好きで彼女のピアノを聞きます。沢山の曲が収録されていますが、一番はやはり「ラ・カンパネラ」です。

監督・編集:小松莊一良撮影監督:藤本誠司、録音・整音:井筒康仁、音楽:フジコ・ヘミング演出補:小松上花、フジコ・ヘミング

物語は

戦時中を過ごした岡山に残されているピアノとの再会、父や弟との思い出、コロナ禍での暮らしと祈りを捧げる演奏、思い出の地・横浜でのドラマティックなステージ、そして秘めた恋の話など、いつの時代も、どこで暮らしても、自分らしく生きてきた彼女の姿を、4Kカメラで撮影したダイナミックな演奏シーンを盛り込みながら映し出す。23年3月のパリ・コンセルバトワール劇場でのコンサートでは、「ラ・カンパネラ」「別れの曲」「月の光」など数々の名曲を披露した。(映画COMより)


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あらすじ&感想

ドキュメンタリーは“人生なんて、うまくいかない、悪いのがあたりまえ!”で始まります。

 

2020年から2023年3月のパリ演奏会まで、コロナ禍で制限を受けましたが、演奏会を軸にフジコさんの思い出や生活信条を綴ったものです

印象に残ったものを拾い出してみます

〇冒頭で、2023年3月19日パリ、コンセヴァトワール劇場におけるフジコさん最期の演奏会が紹介されます。

この演奏会の細部は最期でまた出てきます。このコンサート後、自宅の階段で転倒し骨折、カーネギーホールでの復帰を夢見てリハビリに励むも5カ月間の療養の末、2024年4月21日未明、病院でひとり静かに天に旅立たれたとのことです。合掌!

3年越しに実現したパリの歴史的劇場でのコンサート。ここは18世紀末から大音楽家たちが演奏してきた音楽ホール。ここで演奏された曲名・アンプロンウチュOP.90.3/F.シューベルトを聞きながら、この作品の意義が語られます。

名前はフジコ・イングリッド・ゲオルギー・ヘミング、父の血が少し入っています。今世界で演奏していてどこも私のコンサートはソールド・アウトです。とても素敵なことで、そのことがとても嬉しいです。多くの苦難を乗り越え60代後半に世に認められたフジコです。“魂のピアニスト”衰えぬ人気の秘密とその魅力を伝えます。

〇2020年、春のサンタモニカの生活。

フジコさんはいくつかの自宅をお持ちですがここはアメリカの自宅。長いツアーを終え、この街で休暇を過ごしています。

自宅の紹介、古いものへのこだわり!

1920年に立てられた、このあたりに残っている古いスペイン風の小さな建物。大きな木が気に入って買ったということです。死後もマンションなどが建たないよう弁護士に遺言しているそうです。古いものにこだわるのは家だけでなく家具や衣服、宝物にまで及ぶ古いものには魂が宿っているという。パリの家では泥棒に入られたが何も取られなかった。自分が作った人形、猫が潰した鈴、天国に行った猫ピョンの毛など取るものが無かった。(笑)しかし、宝物のなるとフジコさんの考えが正しいのではないでしょうか。

衣服は40年にストックホルムで買ったものを着ている。小さくなったら切って着る。(笑)一番楽しいのは音楽を聴きながら縫物をする時だそうです。

経歴について

10才で天才少女と呼ばれ、ヨーロッパでキャリアを積む。レ・バースタインから支援を受けるが風邪をこじらせ右耳の聴力を失いチャンスを逃す。以後はピアノ教師のかたわら演奏を続けた。“60歳で有名になったから大変だった”という(NHKのドキュメント番組「ETV特集」で紹介され、フジコブームが起こった)。私もこのドキュメントでフジコさんを知りました。

TVで紹介されCDレヴューで有名になった。“シューマンなんか野垂れ死にしたがこんなものがあったら悲惨な運命にはならなかった”と悔やみます。(笑)

本当の自分はバカのような少女で頭の中を覗くと、18から66歳だという。(笑)こんな年を取って悲しい!しかし、最近は90歳を過ぎた指揮者もいるから頑張るという!

指には大きなリングをつける。なぜなら細く見えるから。(笑)昔、小さな自転車に乗れば可愛く見えると乗ってみたらひどいものだった。(笑)人生はそういう経験で賢くなっていく。(笑)

教会のお祈りを欠かさない

カトリックでも何でもないが教会でお祈りをする。父は神を信じないバカものだった。母は仏教、祖母が生長の家に凝っていた。それぞれ違うが、どんな宗教でもよい。教会にくるのは色々な人に会うために来ている。音楽会もそう、いろんな人に会うのが楽しみ。教会では布施に応じ、チャリテイ活動に熱心です。物乞いに出会えば必ず応じます。

愛犬・猫家である

ここには愛犬アンジンがいる。フジコさんと旅を続けてきた相棒です。猫が二匹います。

1年前から歩行器に頼らねば歩けなくなった

朝はこれでアンジンを連れて散歩、買い物にも出かける。歩かないと歩けなくなる。

人間関係には気を使っている

友達関係、人間関係はすごく難しい。相手を怒らせるのは嫌だし、あっちを見てもこっちを見ても癪だからと“このやろう”と思ってもやらない方がいい。やったら終わりです。私は大丈夫だと言い、子供の頃この曲を聞きながら眠るのが好きだったとピアノを弾いてくれます。この曲で安らかな気分になることです!

夜想曲第2番/F.ショパン

毎日数時間の練習を欠かさない

練習の間、犬のアンジー、猫のチャンスキー、アドルフが聞きながら寝ています。

絵を描く

ピアニストとしての理想と現実の間で苦しんでいた頃から本格的に絵を描き始めたそうです。“自分は特別だということを周囲に知って欲しかった”からだという。絵のほうがずっと楽だそうです。ピアノは毎日やらないとダメになるから。

父親はスエーデン人でイラストやポスターを描く画家で恰好よかったがお金が全くない男だったそうです。(笑)父親の血を引いたのでしょうか。

母親は日本人でピアニスト。留学中のベルリンでフジコさんを産んだ。日本に帰ったが外国人ということで苦労した。その後、父親は祖国に戻り、母親がピアノを「教え子供たちを育てた。浮気性の男だった。(笑)父の思い出はほとんどない。が、レコードで父と踊った記憶があるという。後にこれを絵にして見せてくれます。

うまく行っているときはだいたいよくない!(笑)

うまく行っているときはふわふわして演奏も力が入らない。失恋すると自分に打ち込めるからもっとうまくなる。人生は苦しいことがあるほうが上手く行くのではないかと思っている

〇2020年、春、コロナ禍で街から人が消えた

フジコさんは東京の家(下北沢)にいた。世界中のコンサートがキャンセルになった。

フジコさんがSNSでフアンにメッセージを送った。

“戦争中に大変な目に合っているからそれに比べれば大したことではない。頑張ってください”と送った。戦争と比べるところがおもしろい!みなさん、元気づけられたでしょうね!(笑)

〇2020年8月4日、教会で観客ゼロのコンサートを開いた

会場は東京阿佐ヶ谷教会、牧師でシングソングライターの陣内太蔵さんと一緒に、映像を全国に配ることにした。

フジコさんが選んだ曲は“英雄ポロネーズ/F.リスト”と“ラ・カンパネラ/F.リスト”

心を清らかにしてもらいたい”と選んだという。

自分は決して清らかな人間ではないがだんだん清らかにする、一生かかってこれが生きる目的、いい人間になって、人生にがっかりしている人が多いが、そんな人のための曲、死ぬときにかけて欲しい曲、これを聞いていると痛みが取れる曲だと言い、神様だけでは祈りだけでは利かない、そこに音楽が必要だと。

こんな気持ちになりましたか?“ラ・カンパネラ/F.リスト”を聞いてみてください

この日、22:30、フジコさんの3歳下の弟・ウルフさんが亡くなった。

ウルフさんは父親を知らない。母親の最期を看取ったという。“お母さんと会っていると思う。心をあらためると天国に行けるので、皆行けると思う”と祈っている。

〇2021年1月、動物愛護とシングルマザー支援コンサート(東美教会・吉祥寺)。

フジコさんは貧しい時代から地道に慈善活動に参加してきた。今回はフジコ・ヘミング主催で行われた。曲は夜想曲第2番/F.ショパン

名曲を沢山弾いたが、名曲を避けて、あまり聞かないものがかえって勝負あったからこれに決めた。名曲はそうない、日本なら荒城の月とか涙が出るようなもの。名曲はよっぽどうまく歌わないと笑われるから。この後、お琴の演奏で“荒城の月”、フルートによる“ふるさと“を聞いた。古い日本の歌を大切にする。

先の大戦時、疎開先の岡山で練習したピアノと再会、生徒たちへのコンサート

13歳のフジコさんは1945年、東京の空襲激化のため1年間、岡山県総社市疎開。小学校のピアノで練習したという。グランドには兵隊さんたちの設営隊がいて、兵隊さんのために弾いたこともあるという。そして初恋もここで体験した

新幹線で岡山に着き、伯備線に乗り換え、総社市美袋駅で下車。今は廃校となった旧小学校をみて、昭和小学校での演奏会が紹介されます。

伯備線に乗り換えての風景に“あのころ風景!美しい、ここに1年いたのが不思議だ”と仰る。世界を歩いているフジコさんに褒められると嬉しいですね!高梁川沿いの渓谷美は楽しめます。美袋駅で降り、駅舎を見て“昔のままだ”と。駅舎横の赤い郵便ポストに“このままにしておいて欲しい”と。今では登録有形文化財として保存されています。「山あり、谷ありでいいところだったが食べるものがなかった“と。恐らくお婆ちゃんの家は農家ではなかった。この時代でも岡山の農家に米がないなどありませんから。(笑)

学校のグランドを見て、“ここに兵隊さんいて元気が出た“と言い、”黒板に恋文を書かれた”と。外人の血が入っていることは絶対に言わなかったそうです。

ピアノは現在、昭和小学校で現存している

フジコさんが脚光を浴びたことで破棄を逃れ、調律されて演奏に耐えるようになっていた。13歳の時練習したピアノに77年振りに再会。東京に去る時、コンサートして欲しいと頼まれ、ショパンのバラードとか一杯弾いたピアノだった。

生徒の皆さんに披露した曲は“エオリアンハープ/F.ショパン”

〇岡山からの帰り、京都祇園の自宅で、恋について語ります

京都祇園の自宅は取り壊される寸前の町屋を買い取り保存したという。さて恋の話・・・・。

初恋は総社の小学校に疎開したとき。兵隊さんだった。高い処(踏み台)にたって演説する人だった。(笑)おそらく若い隊長でしょうか?東京から来た人で“ピアノ弾かないの”と言われたひとことに惹かれた。一言も話さなかったが、終戦で帰る姿を美袋駅で見たことが忘れられないと話す。

フジコさんの母さんが“男運がない一族だから食べて行けるように”とピアノを教えたという。(笑)

東京藝術大学に進学したとき、変な男にストーカーされ、この変態男に悩んだと。

今、恋をしている

もう4年経っている。指揮者のマリオ・コシック。すごく感じがいい。好きだけど嫌なところもある。でも完全に私に合うやつなんていない。私が“言いたいことがある”というと“まだ時間がある“とドイツ語でいうの。”時間があるという意味がわからない“。それで4年も経った。(笑)

ヴァスコ・ヴァツシレフ、来日中のヴァイオリニストとリハーサル。心やさしい彼はフジコの良き理解者だ。

〇 “フジコ・ヘミング ソロコンサート”「CoLors ~色を付けるように弾く」(2023年1月16日、神奈川県民大ホール)

フジコさんにとって横浜は特別の場所。ヨーロッパと日本を繋ぐところだった。特に父親を感じる場所(父の描いたポスターが日本郵船歴史博物館に展示されている)ここで新たな挑戦をしたかった。ヨーロッパ留学中にシャンソン歌手のジュリエット・グレコのコンサートに通った。光の演出で美しいグレコのステージに憧れ、いつか自分もと夢見ていた

白いガウンで弾き始めた。“エオリアンハープ/F.ショパン

色彩のような作品が好きドビュッシーの“月の光”とか。みんな色彩のようなものがある。俳優が何かを演じているような弾き方があるし色々ある。私はその度に違った弾き方をする。特にカンパネラでは色彩を変えるように弾く。始めから終わりまで青でなく紫になったり青が濃くなったりする。

衣装にこだわりがある。演奏に影響を与えない生地で舞台映えするようにしている。第2部では大正の緋銘仙をまとった。バラの花に光る糸を織り込んだお気に入りの衣装だった。

コンサートを終えて思うこと。私はやっぱり人間嫌い!

色々失敗した。お互いに理解できない。外国でいじめに合い、日本でも。それを乗り切ってきた。ひとりでは何もできんない。人間はひとりでは何もできないことを知った

春、パリのマレ地区のアパルトマンにもどって来た

パリ在住の現代アート作家トモコ・カザマ・オペールと芸術家同志のふたりは女学生のようにつき合っている。新しいプログラムのために練習相手の男性と練習に励む曲。“亡き王女のバヴァーヌ/M.ラヴェル

私の若い頃はロマンチックはなくなって貝のようなものが流行った。今はそれはダメだと言われている。私はリストやショパンの時代のように弾きたい!誰が悪口言ってもそうする。その人のためという弾き方はしない

コンセルヴァトワール劇場公演。フジコさん最期のコンサートになった

国立音楽院を起源として200年以上の歴史を誇りフランスの文化遺産に指定されている。ラヴェルドビュッシーベルリオーズなど偉大な音楽家たちを輩出した劇場。

コンサートの主催はフランス人のダミアン・グルダン・タカハシ、フジコさんの友人。フロントアクトはバリトン歌手のグルダン・エイジロウ。ふたりの結婚証明人はフジコさん。

「人生最後のコンサートはどんなもの?」と問われれば、“これ“と言えるコンサートだった。(実際にこうなっちゃった!)

“幻想即興曲/F.ショパン“でスタート

3回弾いたとかそんなことはどうでもいい私なりに弾く。みんなを感激させる力があればいい。魂が入っているかどうか、それが大切だ

出だしを間違えて「私はドビュッシーを弾くんだったわ」と弾き始めた“月の光/C.ドビュッシー

この曲は子供のころから練習した曲で大好きな曲のひとつだった。“別れの曲”も好きだが“黒鍵のエチュードが一番という人もいるという。

このコンサートのあと、サンタモニカからの電話で愛犬のアンジンがコンサート前に亡くなり、愛猫のキャンスキーもその2週間後亡くなった。フジコさんの愛すべきものがすべて思い出となってしまった。

〇愛犬・猫の死を受けて、自分の死について語る

どうやって死ぬかは年中思うけど、寝たままがいい。老死でいたい。葬式はいらない。貧しい人に寄付するか動物に寄付して!。ろくでもない顔で死ぬから顔は見せたくない。母が死んだとき葬式に行かなかった。葬式に意味はない。聖書にあります、死は新しい出発と。

人生で一番大切なものは愛です。窓から見る色んな歩いている人に幸せを祈ります。自分のことだけではダメ。自分を乗り越えた愛でなければダメです

「長い時間をかけてフジコは自分らしい生き方を探してきた。そして歩んできた人生を演奏に投影してきた。苦難とときめきがちりばめられたそのフジコの音色は傷だらけだけどロマンティックだった」。

まとめ

すばらしい要約がありますので、フジコさんの人生で感動したことを書きます。

人生で一番大切なことは“愛”。ひとりでは生きていけないと貧しい人に、動物たちに一杯の愛を注ぎましたね

そして演奏では「3回弾いたとかそんなことはどうでもいい。私なりに弾く。みんなを感激させる力があればいい。魂が入っているかどうか、それが大切だ」という演奏姿勢に感動。

特に私は岡山県総社市の隣町に住んでいますので、フジコさんが戦争時疎開されて練習されたピアノの復元お披露目演奏会シーンが印象に残りました。 “岡山の風景が昔と変わらない、忘れられない風景”と当時の練習曲を弾かれる飾らない姿が印象に遺っています。

もう聞けないかと思うと残念です!ご冥福をお祈りします

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