12月。早いもので今年も残り1か月ないんですね。
年の瀬で慌ただしい月ですが無事乗り越えて、元気に新年を迎えたいですね。
先日、「身の回りにあるものを大切にすること」に気づかされる出来事がありました。
その気づきについて書いてみたのですが、その気づきよりも、もっと大きな感動が上回ってしまって、そちらを書きたくなりました。
そのことを書こうと思います。
個人的な感動なので、「ああ、感動したんですね。よかったね」と引かれてしまうかもしれません。感動の押し付けのようで恐縮です・・・
ですが、久々の大きな感動だったのでどうしても書きたくなってしまいました。
先日何故か無性に、ベートーベンのピアノソナタ「熱情」が聴きたくなったのでした。
昔買ったCDは押入れの奥の奥にしまってある大量の段ボールの中のどれかにあり、とても取り出せる状況にないため、あきらめて新しいCDを注文することにしました。
CDが来るまで待てず、図書館やレンタル店でいろんな演奏者によるCDを借りて聴きました。
でも、自分が思い描くというか、魂を激しく揺さぶられる演奏には出会えませんでした(リヒテル、ホロヴィッツ、仲道郁代、ゼルキンなど。どれも本当に素晴らしいのですが、自分はもっと激しく揺さぶってもらいたいので中途半端に感じました)。
不完全燃焼のまま借りてきたCDを聴いていた時、ふと気になって向けた積読(聴)の本とCDの山の中に、「熱情」と書かれたラベルを見つけました。
「えっ?なんだっけ?」と不思議に思いながら山を崩してみると、ありました。
いつ手に入れたのかもわからない(おそらく20年近く前?)梯剛之さんが演奏する「熱情」のCDが!!
CDの存在も忘れていましたし、どんな演奏だったかも全く覚えていませんでした。
(梯さま、大変申し訳ありません・・・)
早速聴いてみると・・・最初の一音で梯さんの世界に引き込まれました。音が繊細でありながら分厚く力強い。音の重なりと荘厳さがすばらしい。さらに緩急絶妙のテンポ。魂が激しく反応して揺さぶられました。
これだ!私が求めていた演奏は!!と思いました。
梯剛之さんの魂が完全にピアノの音に乗っているように感じたのです。聴いている私の魂が共鳴して激しく揺さぶられました。
特に第3楽章のフィナーレに向かう圧倒的な疾走感は感動的でした。
疾走する中で、ほんの一瞬の意外な「ため」が感動をさらに加速してくれるのです。
この絶妙な一瞬の「ため」。
たとえがうまくできなのですが・・・
小さい頃ブランコを漕いでいるときに、最高点まで上がりきったとき、下がるまでにほんの一瞬だけ動きが止まる「ため」ができます。この一瞬の無重力感の「ため」がブランコを漕ぐ醍醐味でした。
それと同じ快感をこの第3楽章のフィナーレで感じました。
凄すぎて鳥肌が立ちました!!
ライブ録音なのですが、ホールの響きがなんともリアルで、見えない観客の感動が一緒に伝わってくる感じがしました。
久しぶりにクラシックで魂を激しくノックされました。
大袈裟かもしれませんが、平凡な毎日の連続にあって、すべてを忘れて「生きている実感」を心から味わうことができました。
この感動を上回ることができるのか?と、注文していたCD2枚を聴きました(クラウディオ・アラウとファジル・サイ)。
どちらもとても素晴らしいのですが、私の魂を激しく揺さぶった梯剛之さんの演奏には遠く及びませんでした。
こんなにも素晴らしい演奏なのに、なぜ買ったことすら忘れていたのだろう?
どうして積読(聴)の山に紛れてしまっていたのだろう?
手に入れた時、私にその価値が理解できなかったのでしょう。
でも、本当に必要とした時や、心から欲した時、自分の中で受け入れられる準備が整った時に、ふと現れてくれるものなのかもしれません。
逆にいえば、私がふと「熱情」を聴きたくなったのではなく、梯さんのCDが「今こそ私の『熱情』を聴け」と、私に訴えてくれていたのかもしれません。
今回の出来事から思うことがいろいろあって書きたのですが、梯剛之さんの演奏にあまりに感動しすぎたので、感動を先に書いてしまいました。
蛇足というか・・・
いや、蛇足ということではなく、こちらこそ人に読んでもらえる価値のある内容だと思うので・・・
盲目のピアニストというと、辻井伸行さんが有名ですが、梯剛之さんも有名です。
今回の梯剛之さんのCDにあった、梅津時比古ライナーノーツ「響きのなかで」から抜粋した下記の文章を追記させていただきたいと思います。
実は今回の私の拙い表現より、こちらの文こそが魂を揺さぶる演奏の意味が伝わる内容だと思います。
以下、ライナーノーツからの抜粋です。
「梯は観客からの息、人々の体温、そういったものすべてと話し合いながら弾いているのだろう。『熱情』の中の熱情の部分と、一種の受苦の側面が交錯し、世界を受け入れていかねばならない痛みのようなものを感じさせる。
梯が話してくれたことで強く印象に残っているのは、彼が13歳で2度目のがんになったとき、病院で考えていたという言葉だ。
『生きているということは当然のことではない』と気づいた彼は、ベッドの上でひたすらピアノを弾きたい、聴きたいと願っていた。『ピアノの響きは、遠くの空気を動かし、循環させる。生きていることは、循環していること。命と音の響きは僕にとって、切っても切り離せないもの』と思ったという。」
残念なことに、このCDは今手に入りにくいようです。
機会がありましたら、是非聴いてみていただきたいと思います。