今年もよろしくお願いいたします 今年の目標は?

新年あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

「一年の計は元旦にあり」といわれます。

皆様、新年を迎えて今年の目標は立てられたでしょうか?

 

私の今年の目標は、「手放す」です。

これは目標とはいえないかもしれません。

目を吊り上げてこれをやろうとか、これをやらなければならないというような具体的な形をもたない一年にしようと思うのです。

 

例えるならば、方位磁石の針のような感覚です。

方位磁石の針にはこの方向を指そうという力があるのではなく、フラットであるがゆえに自然の力に引かれて方向を示します。

 

力は抜けていて、フラットでいる感覚。

 

海や川で、ばしゃばしゃとしゃかりきになって前に進もうとするのではなく、ちょっとここらで力を抜いてぷかぷか浮いてみようという感じとでもいうのでしょうか。

 

フラットな感覚でいて、直感を研ぎ澄ましていれば、おのずと道が拓けてくる(甘いでしょうか・・・)。

 

俺が俺がではなく、流されるわけでもなく、世の中で必要とされ役に立てる方向と自身を活かす力が一致する方向に進む。

 

そんな一年になればと思っています。

 

その中での気づきなどをこれから綴っていければと思います。

今年も一年、どうぞよろしくお願いいたします!

逆風を受けて前に進むこと

 

突然の大雪になった昨夜(12月26日)、今年の反省会をしようと友人A君と会いました。

話していて二人で面白い気づきだと盛り上がったことがありました。

 

A君は、仕事が量的にも質的にも大変なんです。

でも苦みながらもいつも前に向かって進んでいるんです。

仕事の大変さだけでなく、(私から見れば)上司からのパワハラと受け取られるような出来事や仕打ちにも、大変だといいながらも潰されることなく毎日やりすごしているといいます。

 

私ならとっくに音を上げて辞めていると思うのに、どうしてそんなにタフでいられるのか?彼に聞いてみたのです。

 

すると彼は、

自分にとってとても大切な趣味がある。自分の場所は仕事だけでないと思えているからだと答えました。

 

私はその答えに納得がいきませんでした。

大切な趣味の世界が支えているのはわかったよ。

けど、毎日そんなに大変な仕事に立ち向かうためには、他にも何か大きな力があるように思えるんだけど?と聞いてみました。

 

彼は、確かに・・・と考えこみました。

しばらく間があってから、

 

問題や辛さを正面から受け止めるのではなく、自分の中でうまくいなして流しているからやっていけてるのかも。

と、手でクネクネといなすようなしぐさをしながら言いました。

 

いなす?

 

そう、かわすというか「いなす」んだよね。

と言ってまた考え込みました。

 

突然、ひらめいた!と彼が満面の笑顔でいいました。

 

ヨットの推進力かも。

ヨットは向かい風を受けながら前に進むよね。

逆風を受けながらも前に進むために、帆の角度を調節しているという感じだ!

 

なるほど、逆風を前に進むための推進力に変換しているんだね。

確かにまともに受けてしまったら、後ろに流されてしまうよね。

けど、帆の角度を変えれば前に進む力に変わる。

なるほど!!すごい!!

 

私も納得というか、とてもいい言葉をもらったと思いました。

 

A君も、

そうそう、確かに。風をまともに受けたら後ろに流されてしまう。

それを前に進むためにその力を利用して前に進むんだ!!

力強く彼は語りました。

 

A君が、自分の力に気づいた瞬間でした。

 

私も、それに立ち会えた喜びを味わいました。

 

二人で、ヨットの推進力!と何度も何度も言い合って笑いました。

 

 

(蛇足ながら・・・うちに帰ってから、どうすれば帆の角度を推進力に変えるようにできるんだろう?と、そちらが気になりだしました。来年、またA君とそのことについて話そうと思いました)

心と直感に従う勇気(その2)

雨のクリスマスだと油断した翌日、寒波到来。

今朝は昨日から積もった雪かきをしました。身体が寒さについていきません。

皆様のところの寒さはいかがでしょうか?

 

さて、「心と直感に従う勇気について(1)」の続きです。

前回は個人的なことを長々とかきました。

今回は、本の内容にふれたいと思います。

 

前回、「そのうちなんとかなるだろう」内田樹 著を読んで、私がいかに直感に従う勇気がないかという点をズバッと指摘されたかを書きました。

 

それで、今回はその本の内容を書くために、もう一度さらっと読み直してみました。

すると、著者のいわんとすることと自分の受け止め方にズレがあったことに気づきました。

 

「直感に従う勇気」って、自分が正面からぶつかって切り開いていくための勇気ではないことに気づいたのです(前回は何を読んでいたんだという感じです)。

 

その勇気とは、要所要所の分岐点で、一つひとつ直感に基づいて計算や打算なく自分の気持ちに正直に決断していく勇気という感じでした。

そこは「勇気」と表現するより、「決断するためのぶれない心構え」という感じがしました。

 

決断には力みがなく、無意識に流れるように進んでいくという感じがしました。

自分の中にある「本質」が、世の中の流れ一つひとつと出会い、直感に従って進むことによって、だんだん形になっていくといったらいいのでしょうか。

結果的にそう見えるのかもしれませんが。

 

なので、今回この本を読みなおして、自分に言い聞かせようと思ったのは、「自分の進みたい気持ちを大切にしながら、目の前に現れる流れに対して自分の直感に正直に身を委ねてみよう」ということです。

 

関連して、一発で自分が望む道を決めようと焦るのではなく、一つひとつの選択(直感に従って打算なく正直に)の繰り返しによって、自然と道が拓けてくるのだということを意識しようと思いました。

 

前置きが長くなってしまいました。

それでは以下、「そのうちなんとかなるだろう」内田樹 著からの抜粋です。

 

「『自分らしさ』というものはあると思います。ただ、それはまなじりをと決して『自分らしく生きるぞ』と力んで作り出したり、『自分探しの旅』に出かけて発見するようなものじゃない。ふつうに『なんとなくやりたいこと』をやり、『なんとなくやりたくないこと』を避けて過ごして来たら、晩年に至って、『結局、どの道を行っても、いまの自分と瓜二つの人間になっていたんだろうなあ』という感情を抱く・・・・・・というかたちで身に染みるものではないかと思います。

 

(途中略)さて、ここでぜひ強調したいのは、『自分らしさ』が際立つのは、『なんとなく』選択した場合においてです。特に計画もなく、計算もなく、意図もなくしたことにおいて『自分らしさ』は鮮やかな輪郭を刻む、そういうことではないでしょうか。

 

(途中略)『あなたがほんとうになりたいもの』、それが『自分らしい自分』『本来の自分』です。心と直感はそれがなんであるかを『なぜか(somehow)』知っている。だから、それに従う。ただし、心と直感に従うには勇気が要る。

 

僕はわが半生を振り返って言えることは、僕はほかのことはともかく『心と直感に従う勇気』については不足を感じたことがなかったということです。これだけはわりと胸を張って申し上げられます。恐怖心を感じて『やりたいこと』を断念したことも、功利的な計算に基づいて『やりたくないこと』を我慢してやったこともありません。僕がやったことは全部『なんだかんだ言いながら、やりたかったこと』であり、僕がやらなかったことは『やっぱり、やりたくなかったこと』です。」

 

ここまで抜粋。

 

これ以外にも今回インスパイアされたことがあったので、機会があればまた続きを書こうと思います。

 

長々と失礼しました。

 

 

心と直感に従う勇気(その1)

冬ですね。

荒れ模様の日が続きます。先日は雪が積もりました。

 

仕事帰り、車に乗ろうと凍える寒さの中、車に積もった雪を払い、凍り付いたフロントガラスやリアガラスの霜を取っていました。

 

フロントガラスを力任せに霜取スノーブラシ付属のアイススクレーバーで擦っていたら、勢い余って滑ってしまい、スクレーバーの縁についた金属でボンネットを傷つけてしまいました。

結構めだつ傷になってしまってひどくひどく落ち込みました・・・

冬は大嫌いだ!!

 

皆さんの地方の冬はいかがでしょうか?

 

閑話休題

先日ある本を読んで、痛いところをつかれました。

「そう、確かにそうなんだよな~ だからいつまでも変われないんだよな~」と思わされました。

 

自分の中で、「このままではいけない」とわかっていても、あえて逃げたり、知らないふりをしてしまっていることってありませんか?

 

今回、私はこの本から、自分が怖くて逃げていたことを指摘され、「あなたは逃げていたから、中途半端な今があるんですよ」と突き付けられた感じがしました。

 

その本とは、

「そのうちなんとかなるだろう」内田樹 著(マガジンハウス新書)

です。

 

私がこの本から突き付けられたのが、今日のブログのタイトル「心と直感に従う勇気」です。

 

「そう!結局自分が変われないのは勇気がなかったからなんだよな~」と思い知らされたというか・・・

 

この本のことを書く前に、私事で少々長くなりますが、その前段からお伝えしなければならず・・・すみません。少しだけお付き合いください。

 

私には、深くのめりこむ趣味や仕事があるわけでもなく、得意なことがあるわけでもなく、優れているというものもなく、人一倍体が弱い私が、いったいどうすれば「生きがい」を得ることができるのだろうか?と、20年以上前に悩み始めました(本当のところは病気をした30年以上前からかもしれません)。

 

特に仕事は、役職としての自分の将来の立ち位置も見えてしまい、仕事のやりがいも感じられなくなっていました。

 

これからどう生きていったらいいんだろう?

本を読んだり、カウンセリングに行ったりしました。しまいには、占い師のところに行ったこともありました(テレビに出る有名な占い師にみてもらったことがありました)。

 

そうやって彷徨っているうちに、いろんな人との出会いや繋がりができて、少しずつ自分らしい生き方の方向性が見えてきたのでした。

 

その方向性ですが、

 

自分のように無駄に苦しまないように、仕事や生きがいに悩んでいる人のお手伝いをすることが、進むべき方向だと思うようになりました。

カウンセリングやキャリア理論を学び、国家資格もとり、これが自分の生きがいや仕事に繋がると思うようになりました。

 

普通なら、そのまま突き進んでいくのでしょう。

が、石橋を叩いても渡らない性格の私ゆえ、「はたしてそれが自分にとって本当に正しい道なのか」と、今度は答え合わせを求める方へ行ってしまったのでした。

 

それは自分の性格だから仕方がないと諦めつつ、数年の後、答え合わせができました。自分の進むべき道だと悟るというか、「悟らされる」出来事などがありました(そのことについては、別の機会に書きたいと思います)。

 

道はわかった。もうまっすぐ進むのみ。

 

少しは行動を起こしました。

伝手を頼って、何か所かの団体にボランティアで活動をさせてほしいとお願いしました。でも、なかなか受け入れてもらえませんでした。

何人かの友人と一緒にやってみようとチャレンジしました。が、それもうまくいきませんでした。

 

これは、人から求められていないということでは?と思うようになりました。

でも、いろんな人が本で、うまくいかないときは、本気なのか神様から試されているんだよと書いています。

 

試されている。

しかし、前に進む気持ちが萎えてきてしまっていました。

 

そんな時でも、一緒にやろうと声をかけてくれる人が何人か現れてくれるものです。

中でも、困っている人の役に立ちたいという使命感に燃えて本気でやろうとしているグループの方から声をかけてもらいました。

それなのに怖気づいて及び腰になっている自分がいました。

自分には人の役に立てるほどの技術や智慧や自信もないし・・・

 

前に進む勇気が持てませんでした。

 

もうこれからは大人しくパートのおじさんとして平凡に暮らせばいいではないか。

そう思うようになっていました。

 

・・・すみません。前置きが超長くなってしまいました。

 

そんな時に、この本に出合ったのでした。

 

この本を読んでいて、私は時間はかかったけれど、心と直感に従って進むようになった。

雷に打たれたように悟った感覚や出来事や出会いがあった。

せっかくそのことがわかったのに、進む勇気がないといっていていいのか?

 

この本が、もう一度、そのことに向き合わせてくれたのでした。

 

あまりに長くなってしまったので、本の内容については次に続けようと思います。

 

 

 

梯剛之さんのベートーベンの「熱情」に魂を揺さぶられました

12月。早いもので今年も残り1か月ないんですね。

年の瀬で慌ただしい月ですが無事乗り越えて、元気に新年を迎えたいですね。

 

先日、「身の回りにあるものを大切にすること」に気づかされる出来事がありました。

その気づきについて書いてみたのですが、その気づきよりも、もっと大きな感動が上回ってしまって、そちらを書きたくなりました。

 

そのことを書こうと思います。

 

個人的な感動なので、「ああ、感動したんですね。よかったね」と引かれてしまうかもしれません。感動の押し付けのようで恐縮です・・・

 

ですが、久々の大きな感動だったのでどうしても書きたくなってしまいました。

 

先日何故か無性に、ベートーベンのピアノソナタ「熱情」が聴きたくなったのでした。

昔買ったCDは押入れの奥の奥にしまってある大量の段ボールの中のどれかにあり、とても取り出せる状況にないため、あきらめて新しいCDを注文することにしました。

 

CDが来るまで待てず、図書館やレンタル店でいろんな演奏者によるCDを借りて聴きました。

でも、自分が思い描くというか、魂を激しく揺さぶられる演奏には出会えませんでした(リヒテルホロヴィッツ仲道郁代ゼルキンなど。どれも本当に素晴らしいのですが、自分はもっと激しく揺さぶってもらいたいので中途半端に感じました)。

 

不完全燃焼のまま借りてきたCDを聴いていた時、ふと気になって向けた積読(聴)の本とCDの山の中に、「熱情」と書かれたラベルを見つけました。

 

「えっ?なんだっけ?」と不思議に思いながら山を崩してみると、ありました。

いつ手に入れたのかもわからない(おそらく20年近く前?)梯剛之さんが演奏する「熱情」のCDが!!

 

CDの存在も忘れていましたし、どんな演奏だったかも全く覚えていませんでした。

(梯さま、大変申し訳ありません・・・)

 

早速聴いてみると・・・最初の一音で梯さんの世界に引き込まれました。音が繊細でありながら分厚く力強い。音の重なりと荘厳さがすばらしい。さらに緩急絶妙のテンポ。魂が激しく反応して揺さぶられました。

これだ!私が求めていた演奏は!!と思いました。

 

梯剛之さんの魂が完全にピアノの音に乗っているように感じたのです。聴いている私の魂が共鳴して激しく揺さぶられました。

特に第3楽章のフィナーレに向かう圧倒的な疾走感は感動的でした。

疾走する中で、ほんの一瞬の意外な「ため」が感動をさらに加速してくれるのです。

この絶妙な一瞬の「ため」。

 

たとえがうまくできなのですが・・・

小さい頃ブランコを漕いでいるときに、最高点まで上がりきったとき、下がるまでにほんの一瞬だけ動きが止まる「ため」ができます。この一瞬の無重力感の「ため」がブランコを漕ぐ醍醐味でした。

それと同じ快感をこの第3楽章のフィナーレで感じました。

凄すぎて鳥肌が立ちました!! 

 

ライブ録音なのですが、ホールの響きがなんともリアルで、見えない観客の感動が一緒に伝わってくる感じがしました。

久しぶりにクラシックで魂を激しくノックされました。

 

大袈裟かもしれませんが、平凡な毎日の連続にあって、すべてを忘れて「生きている実感」を心から味わうことができました。

 

この感動を上回ることができるのか?と、注文していたCD2枚を聴きました(クラウディオ・アラウファジル・サイ)。

どちらもとても素晴らしいのですが、私の魂を激しく揺さぶった梯剛之さんの演奏には遠く及びませんでした。

 

こんなにも素晴らしい演奏なのに、なぜ買ったことすら忘れていたのだろう?

どうして積読(聴)の山に紛れてしまっていたのだろう?

 

手に入れた時、私にその価値が理解できなかったのでしょう。

でも、本当に必要とした時や、心から欲した時、自分の中で受け入れられる準備が整った時に、ふと現れてくれるものなのかもしれません。

 

逆にいえば、私がふと「熱情」を聴きたくなったのではなく、梯さんのCDが「今こそ私の『熱情』を聴け」と、私に訴えてくれていたのかもしれません。

 

今回の出来事から思うことがいろいろあって書きたのですが、梯剛之さんの演奏にあまりに感動しすぎたので、感動を先に書いてしまいました。

 

蛇足というか・・・

いや、蛇足ということではなく、こちらこそ人に読んでもらえる価値のある内容だと思うので・・・

 

盲目のピアニストというと、辻井伸行さんが有名ですが、梯剛之さんも有名です。

今回の梯剛之さんのCDにあった、梅津時比古ライナーノーツ「響きのなかで」から抜粋した下記の文章を追記させていただきたいと思います。

実は今回の私の拙い表現より、こちらの文こそが魂を揺さぶる演奏の意味が伝わる内容だと思います。

 

以下、ライナーノーツからの抜粋です。

「梯は観客からの息、人々の体温、そういったものすべてと話し合いながら弾いているのだろう。『熱情』の中の熱情の部分と、一種の受苦の側面が交錯し、世界を受け入れていかねばならない痛みのようなものを感じさせる。

梯が話してくれたことで強く印象に残っているのは、彼が13歳で2度目のがんになったとき、病院で考えていたという言葉だ。

『生きているということは当然のことではない』と気づいた彼は、ベッドの上でひたすらピアノを弾きたい、聴きたいと願っていた。『ピアノの響きは、遠くの空気を動かし、循環させる。生きていることは、循環していること。命と音の響きは僕にとって、切っても切り離せないもの』と思ったという。」

 

残念なことに、このCDは今手に入りにくいようです。

機会がありましたら、是非聴いてみていただきたいと思います。

ヘッドホンから教えてもらったこと

毎日寒い日が続いています。

先週は初雪が降り、来週からの予報は雪マークが続いています。

いよいよ本格的な冬ですね。

インフルエンザも猛烈に広がっています。

みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

先日、あまり使っていなかったヘッドホンを下取りに出して、別のヘッドホン(中古)を購入しました。

カタログ上の性能はほぼ同じなのですが、新しく買ったヘッドホンの発売日の方が3年ほど新しいので、聴いた感じはきっとよくなっているだろうと期待していました。

ただ、ネットで購入したので視聴できない不安がありました。

 

新しいヘッドホンが自宅に届くと、ワクワクした気持ちと不安とですぐに聴いてみました。

聴き始めてすぐ、高音があまり綺麗に伸びず、しかも頭打ちになっていることが気になりました。聴いているうちに、失敗したかな~と不安になりました。

結局、曲を聴いている間、納得がいかない高音にばかり意識が向いてしまい、純粋に音楽を楽しむことができませんでした。

 

残念な気持ちでいると、ふと「ゲシュタルトの環」の話が思い出されました。

 

ゲシュタルトの環・・・

環(輪)が完全な円ではなく、一部が欠けている状態であるときに、人はとかく欠けている部分に意識がいってしまいがちであるという心理学の解釈です。

円のごく一部が欠けているだけなのに、円という形全体を見ないで欠けているところに意識が向かってしまう。

 

ゲシュタルトの環からの例えとして、人を見る時、どうしてもその人の欠点に意識がいってしまい、その人の良さやその人となりを見なくなってしまいがちなので注意が必要だという話を聞きたことがありました。

 

そんな話をふと思い出し、確かに欠点にばかり意識が向かっていたことに気づきました。気持ちを切り替えて改めてヘッドホンを全体から見つめ直してみました。

 

すると・・・中低音はこれまで以上に締まってスッキリしてメリハリが効いていて楽しいこと。さらに、音が広がっていて味わい深いこと。また、かけ心地が良く耳にしっくりなじんでいること。

そうです、良い面がいくつもあることに気づいたのです。

 

欠点にばかり意識が向いてしまうと、そのもの自体が持つ良さや本質を見失ってしまうのですね。

 

このことから、人や物に対しても、また出来事に対しても、欠点に意識が向いてしまったら、必ず全体にもきちんと意識を向けることを忘れずにいようと思いました。

本質を見落としてしまわないように。

 

ヘッドホンから大切なことに気づかされたのでした。

辻仁成さんの本からの気づき

今日は朝晴れていたと思ったら、午後からは時雨模様で猛烈な風と雨です。明日は雪になる予報。いよいよ冬の到来です。

皆様お住まいのところはいかがでしょうか?

 

私は気候の変化にいまだ体調が追い付きません。気持ちと身体がかみ合わず、思うようにならない自分の身体に苛立ってしまっています。

 

そんな日々をすごしていますが、ある本から気づきと元気をもらいました。

その本は、辻仁成 著 「自分流(光る個性の道を行く)」光文社です。

 

今日は、その本の中から「今の自分」に響いた2つの言葉を綴りたいと思います。

 

1つは、

(タイトル)「生き方がわからない、とぼくの若い友人が言う」からの抜粋

P19(途中省略 ここから引用)「生きる目的というのはずっと同じなわけではない。人生にはいろいろなことがあって、いろいろな出来事が降りかかって振りまわされて、軌道修正とか、気づきとか、後退とか前進とかを繰り返すので、目的そのものが変化していくものだったりする。」(引用ここまで)

 

人生の目的についての内容なのですが、私の心にピカっときたのは「後退とか前進を繰り返す」という言葉で、特に「後退」という言葉に強く反応しました。

 

反応した原因を探ってみると・・・これまで、自分にとって「後退」は、マイナスであり、あってはならないことだという思いに囚われていたことに気づかされました。

 

「後退はだめなことだ!」と潜在的に思い込んでいたのです。

なので、今回、後退してしまっている体調不良の自分の身体に、「何やってんだ!」と怒りをぶつけてしまっていたことに気づいたのでした。

 

身体はいい時もあれば悪い時もある。さらに年とともに体は衰えていくという現実もある。

体調の変化をありのままに受け止めて、悪い時はいたわったらいいし、どうすれば心地よくいられるかを考えればいいのだと思えるようになりました。

 

2つめは、

(タイトル)「どうしたら人生をより楽しく、おもしろくさせられるのか」からの抜粋

P85(途中省略 ここから引用)「死にたくなることもあったし、四面楚歌に追い込まれたもこと、絶望したこともあったけれど『ぼくは人生を投げ出すのが得意じゃない』と自分に言い聞かせ、思い込むことで結局、そういう苦しい時期を乗り越え続けてきた気がする。思い込みも大事だ。本当にそういう思い込み、大事なのである。人生に対して強い人間なんてそうはいない。ぼくもじつに弱い人間である。」(ここまで引用)

 

辻さんって、個性が強く、マルチな才能があって、絶対にめげたりしないタイプの人だと思っていました。そんなイメージありませんか?

あの強さが自分にもあったらな~と羨ましく思っていました。

 

でも、この本を読んで、辻さんが自らの弱さを語っていたことにとても驚きました。

辻さんほどの人でも、自分を弱いと思うことがあるんだ・・・

そして、その弱さを認めつつ、しかし自分らしく生きるという自分のポリシーを貫くために、常に自分を鼓舞し、様々な思いを巡らせ、行動していることが、辻さんらしさを作っているのだということを知りました。

 

人の生き方を羨ましいと思うのは勝手だけれど、そうあるためにどれほどの努力をしているのか、羨ましがる前に自分もやるべきことがあるでしょう!と教えられました。

元気の素をもらった感じです。

 

辻仁成さんの本から気づきと元気をもらえました。