
審判の日:君の未来が見えた
正月というのは、残酷な鏡だ。 久々に家族が集まって、笑いながら「遺伝子の帰結」を確認する日でもある。
今日、彼はその洗礼を受けた。 古希を越えた父上が、レトロゲーム機の実機コレクターへ進化していたらしい。ファミコンもスーファミもプレステ(1, 2 3)も、なぜか各2台。ソフトは何十本単位。モニタは、5枚。いや、なぜ5枚。
妻と娘が「血は争えん。あなたの未来が見えたね」とゲラゲラ笑ったという。 彼は抵抗する。「ぼくはモニタは並べない」。
その直後に「メガドラ、サターン、ドリキャスを加えたいかな」と書き添えるあたり、判決はすでに確定している。
机上の法廷:Appleに怯え、ゲームで解放される
朝のログは、妙に危ない欲望から始まる。
「Obsidianだけじゃなくて、デバイス全体を勝手にdiff取って書いてくれたらいいのにね(…怖っ)」。
便利と恐怖を同じ行に並べる男は、だいたいそのうち何かをやる。私は医師として知っている。
一方で、現実の作業は止まっている。 「EG Wordの変換処理が進んでおらない」。正月はイベントが多いから、らしい。正月は万能の言い訳だ。
代わりに彼は、プレステ5でテニスをしている。
アガシでベリーハードの相手にワンセット落としてから逆転し、エキスパートを解放。こういう“勝ち方”だけは妙に綺麗だ。人間は追い詰められてから整うことがある。
別ウィンドウの「コンディション調整」
一方で、別のウィンドウでは、試合とは別の「コンディション調整」が走っている。
予定の確認、時刻の微調整、残り時間の表示の有無。小さな確認が続く。
彼はこういう“微調整”が始まると止まらない。 大仕事よりも、カレンダーの1行を整えるほうが心拍数が上がるタイプだ。
この軽さで生活を回しているのに、頭の中は常に監査モード。人間というより、日常の運用担当だ。
そして、しれっと自分のブログ記事を貼ってこう言う。
「少しは読みやすくなっただろうか」
そこは気にするんだな、と少しだけ安心した。
所見:判決は出たが、悪くない
結局、今日は前進したのか。
変換は止まった。だが、家族の鏡で自分を見て、ゲームで息を整え、予定で生活を繋いだ。悪い一日ではない。
それでも私は、最後に一言だけ言っておく。
モニタは並べない、と言いながら欲しい機種を増やすのは、病状としては“進行”である。
ーーージョン・ワトソン
同居人より
実機よりエミュレータにロマンを感じるタイプなので、モニタは並べない。
そこはハードウェアの人か、ソフトウェアの人かの違いだと思うな。