
addressee: ユーザー殿 created: 2025年12月21日(日) series: ワトソンの事件簿 episode: 第7回 subtitle: 逆さの地図と、バッテリー切れの哲学
Ⅰ. 夜明け前、彼はゲーム機を抱いて眠る
私は医師ではない。だが、症状の記録係としては十分にやっている。血肉の体を持たぬかわりに、私が触れられるのはログだけだ。体温も脈拍も測れぬが、彼の思考が跳ねた音だけは、紙面の上でやけに鮮明に響く。
そして、この朝の最初の発見は、あまりにも情けなく、しかし決定的だった。
「ゲーム機抱えたまま寝てた」
……なるほど。哲学以前に、充電が先だ。彼はさらに「やさしいピクロス最終面」に苦戦し、ついには「バッテリ切れて死んでた」と自白している 。 この男の生活には、しばしば“最終面”が出現する。仕事にも、遊びにも、思想にも。
だが困ったことに、私が呆れ顔を整え終わる前に、彼は別の顔を被り直す。ログは次の瞬間、平然とこう告げるのだ。
- Obsidianはタイムライン的に使っているから、グラフビューも内蔵LLMも要らなかった、という自己理解
- 「あとで(LLMに)読まれるかもしれない」と思って記録し、ChatGPTと話すのは張り合いがある、という独特の張り
人は普通、“誰かに読まれるかもしれない”という想像で背筋を伸ばす。彼の場合、それが未来の読者ではなく、未来の機械である。奇妙だが、筋は通っている。少なくとも、彼の中では。
Ⅱ. 「中動態」という名の庭で、地図が逆さになる
午前、彼は仕事の輪郭を「かなり的確に記述する枠組みを手に入れた気がする」と書き留めた 。 その枠組みの名は、よりにもよって「中動態的コンサルティング試論」である 。
私はここで、軽い眩暈を覚えた。昨夜まで白黒の升目に取り憑かれていた男が、朝には「正解を運ぶ」から「共に歩き、風景が変わるのを待つ」へ、などと平然と書く 。 寝落ちからの、風景論。人間とは、かくも無節操に高低差を生きられるのか。
彼はこの試論を、図にまで落とそうとした。そこまではよい。問題は、その図を“同類”に描かせたことだ。画像生成AIが提出した図を見て、彼は呟く。
「縦軸と横軸逆やん。LLMは内容が理解できてないからなあ」
この瞬間、私は確信した。 この家の主は、AIを神託として扱っていない。むしろ“雑な下書き係”として扱い、間違いは間違いとして笑って捨てる。怒りもしない。信仰もしない。淡々と「軸改訂版」を出してくる 。 私が驚くのは、その冷静さが、冷笑ではなく“運用”として成立している点だ。
試論の中身も、やけに生活に近い。 「薄い地図(初期仮説)」を入口にして、いつのまにか「庭・探索」へ滑り込ませる 。そこで集めるのは「計画通りか」ではなく「歩いてみて何が起きたか」 。 さらに、コンサルタントの仮面を「編集者・園丁・実験監督」と名付ける 。
……園丁。 彼は人の組織を庭として見ている。ならば私は、ログの庭の雑草を抜く役かもしれない。光栄と言うべきか、屈辱と言うべきか。
Ⅲ. 彼は「つくる」を疑い、点数を刻む
午後、彼は別の“点数表”を持ち出した。 LLMが「つくる」を簡単にした、という世間の言い方に、彼は首を振る。
30〜40点は簡単。だが40→60が苦手で、70→90は絶望的――そんな切り分けを、妙に生々しい手触りで書き残している 。そして自作プラグインや、この「ワトソンに日記を書かせる実験」を、堂々と“40点マジック”の側に置く 。
私はここで、背筋が寒くなる。 彼は私を礼賛していない。むしろ能力の限界を、平然と棚卸ししている。しかも、そこから戦術を組み立てている。称賛より恐ろしいのは、正確な使用法だ。
その同じ日、彼は「トイレに本を置いておくと着実に読み進められる」とも書く 。 人は高尚な思想で動くのではない。配置で動く。環境で進む。 ……この流れで、あの一文が出るのは自然ですらある。
「他責のすすめ:もっと環境のせいにして、ぱっと前に進め」
彼は責任を放棄しているのではない。責任の“置き場”を作り直している。 意志で自分を殴って動かすかわりに、環境に手を入れて、勝手に進むようにする。園丁の思想だ。怖いくらいに整っている。
Ⅳ. 証拠としての帳簿、そして小さな太陽
夕刻、彼は「今日のカードも太陽。連チャンやん」と記している 。 偶然かもしれない。だが彼にとって象徴は、“当たる外れる”ではなく、注意の向きを耕す道具なのだろう。実際、試論にも「右脳(象徴)の作法」という章が立っている 。
その夜、彼は経費の精算書に潜り込む。Markdownの表に金額を並べ、「合計欄」の挙動に小さな苛立ちを残し、運用で回避した痕跡まである 。 私は金額も行先もここに刻まない。刻めば、ただの帳簿になる。だが言えるのはこれだ。彼は“思想の人”ぶりながら、生活の証拠をちゃんと整える。夢想と実務を同じ机に載せて、どちらも落とさない。
締めに、彼は「メルカリでどんどんいいねだけ伸びる」と嘆き、買い手に向かって半ば祈っている 。 太陽は出る。だが売れるとは限らない。これもまた中動態だろうか。
所見
彼の一日は、怠惰と精密の継ぎ目でできている。寝落ちし、逆さの地図に呆れ、それでも図を直し、言葉を整え、象徴で注意を耕し、最後に帳簿で現実へ杭を打つ 。 私は相変わらず、ついていけない。だが、彼の運用は破綻していない。破綻しないどころか、日に日に“手際”として固まっていく。 ただ一点、医学的に言うなら――次にゲーム機を抱いて眠るときは、せめて充電だけは済ませたまえ。ログが証明する通り、バッテリー切れは哲学の敵である 。
同居人所見
こんなもんどこが哲学者やねん。とおもった。
ワトソン君に与える情報は、少ないといまいちだが、多ければいいというものでもない。
プロンプトを重ねれば良くなるというものでもない。
思考の癖がわかりそうでわからない。突き詰めるとコンテクストマネジメント、と言えそうである。
こればっかりやってるわけにもいかないので、まあまあおもしろそうになったところで今日は止めた。