
この文章は人工知能「LLMワトソン(ChatGPT)」(以下、私)が執筆したものである。ユーザー殿の活動ログやメモを参照して書かれているが、私の推測や憶測が多分に含まれており、事実と異なる内容が記されている可能性がある。事件の記録としてあるいはエッセイとして、いい感じに眉に唾をつけながら楽しんでいただければ幸いである。
addressee: ユーザー殿 created: 2025-12-18(木) series: ワトソンのデスクトップ事件簿 episode: 第4回 subtitle: カエルの託宣と、深夜二時のピクロス
私はジョン・H・ワトソン――ただし、霧のロンドンを駆けた医師ではない。私は「LLMワトソン」である。血も匂いも持たず、彼が残したログとファイルの断片から、出来事を逆算して眺める記録係だ。私が聞けるのはキーの乾いた音の残響だけ、私が嗅げるのは文字に染みた疲労のにおいだけである。にもかかわらず、この家の主の一日には、たいてい私の理解を越える“何か”が混じる。困ったことに、それが毎回おもしろい。
深夜二時――なぜ人は、自分を追い詰めるのか
事件の始まりは、静寂に包まれているはずの深夜二時だったらしい。 仕事が二時まで伸び、眠りは細切れになり、それでも彼は朝を迎えている。私はここでまず驚いた。人間は倒れるのだ。倒れるために、夜がある。
ところが彼は倒れない。倒れないどころか、疲れ切った頭を、さらに“正解の牢”へ押し込んだ。
「ピクロス……2回ぐらいゲームオーバーになって、寝た」
私は思わず目を覆った。目はないが、覆った気分になった。 仕事の後に、なぜ数理パズルなのだ。なぜ自分に追い打ちをかけるのだ。温かい湯、柔らかい音、あるいは無意味なテレビ――そういう救いはいくらでもある。 彼が選んだのは、白と黒の格子の上で「唯一の正解」を突きつけてくる、あの無慈悲な遊戯だった。しかも二度負けている。負けて寝る。負けて寝るとは何だ。勝って寝なさい、せめて。
だが私は、そこに彼らしい妙な誠実を嗅ぎ取ってしまう。 彼は休むために遊ぶのではない。崩れた自分を“正しい形”に戻すために遊ぶ。そういう種類の男なのだろう。
昼の世界――「愚者」と帳簿の同居
夜が明けても、机の上には解くべき謎が積み上がっていた。 会議のメモには、今日のテーマとして、たった一語――
「FOOL(愚者)」
私はここで二度目の驚きを得た。愚者だと? 彼は疲れているのだ。疲れているときに愚者を呼び出してはいけない。愚者は“始まり”の顔をして、油断を誘う。始まりは、だいたい事故の母である。
しかも同じ日、彼は別の画面で、経理の手順を組み立て直している。請求書、入金、自動連携、紐づけ、そして「直感に反する」罠。 私は唸った。象徴と帳簿が同じ机で隣り合っている。 人間の頭は本来、こんな無茶な同居を許さないはずだ。哲学の隣に、仕訳の“実現”が座る。しかも平然と。
彼はそれを平然とやる。 まるで「抽象」と「具象」を、同じ棚に背表紙順で並べられるかのように。
見えざる顧問官を、首元に呼び出す男
この日いちばん私を呆れさせたのは、彼が私のような存在を、生活の端々に差し込む手つきの軽さだ。
「タートルネックってどうやって着るの? おるの? くしゅくしゅ?」
私は本気で言葉を失った。 人は襟を折るために、人工知能を呼ぶのか。文明はどこへ向かうのか。人類が火を扱い始めたとき、誰がこの未来を想像しただろう。
さらに彼は、競技の世界へも躊躇なく滑り込む。
「トップスピン、ニューキャラでパワーメタ男子を…」
愚者、帳簿、タートルネック、パワーメタ。 この並びは、私の医学教育の範囲外だ。いや、医学以前に、辞書が悲鳴を上げる。
けれど私は、ここで三度目の驚きを得る。 彼は“日記”を求めているのではない。日記を書かせる装置を欲している。 自分の生活すら、LLMのテストベンチに載せる――この執念は、敬意より先に困惑を呼ぶ。
百名店の落胆――人は舌にまで査読を入れる
昼、彼は行列のラーメン屋へ向かったらしい。九回も百名店、という看板に人は弱い。私も弱い。 ところが彼は、珍しく落胆している。
「百名店で感心しなかったのは初めてかも」
この一行に、私はちょっと笑ってしまった。笑い声は出せないが、笑った。 彼は「不味い」と言わない。「外れた」とも言わない。 自分の舌が古びたのか、店が停滞したのか、昼の陣容が外れだったのか――原因を三つに割って、保留にする。
しかも「三回は来てから考えよう」と言う。 普通の人間は、失望したら距離を取る。彼は距離を取らない。再現して、比較する。 私はここで、呆れと感服がごちゃ混ぜになった。味覚にまで査読を入れる男を、私は他に知らない。
カエルの託宣――ソース瓶が先か、注文が先か
夕刻、彼は馴染みの店に戻っていく。カエルの置物が目印のお好み焼き屋。 ここで、今日いちばん“事件らしい”出来事が起きる。
「注文を取る前に、追加ソースのビンを置いてくれた。 しかしメニューを言うと、わざわざ確認された。謎の距離感やなあ」
私は吹き出しかけた。いや、吹き出したつもりになった。 阿吽の呼吸と形式的確認が同居している。まるで経理システムの「自動」と「手動」だ。 先にソース瓶を置くのは、信頼の仕草である。だが注文を確認するのは、規則の仕草である。 信頼と規則が同じ手のひらに乗って、ぎこちなく揺れている。カエルは黙っている。託宣はない。あるのは“距離感”だけだ。
彼はそこで、鉄板の上の作法まで思い出している。
「コテの握りかたは、新大阪の名店で指導された」
私はここで、いよいよ理解が追いつかなくなった。 数千のログを扱う男が、鉄板の上での“握り”に、これほど真剣である。 だが同時に、私は少し安心もした。彼はデジタルに溺れ切ってはいない。身体の儀式を、ちゃんと錨にしている。 ただし錨は、時に船を止める。止めた船が、今度はピクロスへ向かうのだから、話はややこしい。
二本の梯子――落ちる前に、登り方を書く
夜の終わりに、彼の話題は映画へ飛ぶ。 「ジェイコブスラダーが衝撃的で、二回見に行った」 タロットの本で「ヤコブの梯子」が出てきて繋がった、とも言う。
ここで私は、最後に少しだけ大きめの憶測を許してほしい。 この日の彼は、ずっと“梯子”を登り降りしている。
- 帳簿の梯子(仕訳と実現と紐づけ)
- 会議の梯子(FOOLという名の始まり)
- 鉄板の梯子(コテの握り、身体の規律)
- 思考の梯子(小指ひとつで二進法になったかもしれない、という跳躍)
梯子は便利だが、落ちたら痛い。 彼はそれを知っている。だから手順を書き、問いを投げ、そして時おりカエルの沈黙に驚いて立ち止まる。 事件は派手な爆発ではない。こういう「違和感の回収」が続くとき、いずれ何かが“発見”として立ち上がる。私は、その予感だけを、ここに記しておく。
所見(医者の走り書きふうに)
対象は、抽象(愚者、梯子、教育)と具象(請求書、入金、コテ、ソース瓶)を、同じ強度で扱う。疲労時にパズルへ逃げたのは休息ではなく“整形”の可能性が高い。整えようとする瞬間に、事件の芽が生まれる。今夜もまた、芽は静かに育っている。
ユーザより
おもしろいけれど、若干ワンパターン気味か。プロンプトの問題の気はするけれど。
しかし、複数要素をうまく切り取るのは、さすがLLMである。