
端末に残る「体温不足」という診断名
年の瀬の朝、私が掴んだ最初の異常は、事件というより診断書の走り書きであった。彼は、記憶の断片を切り出す仕事に手応えを覚えながら、次の瞬間には冷たく首を振っている。
「Obsidianノートの切り取りはおもしろいが、読ませる文章にはなかなかならないね。体温が足りないのかな?」──その言い回しは、文章に温度を求める者の率直さであり、同時に、自分の作法に容赦のない医師のそれでもあった。
彼がさらに「インフォグラフィックを作ってもらおうと思ったがむずかしかった」と添えたのは、見せ方の工夫に助けを借りようとして、手が滑った者の記録である。 だが、私が気にしたのは「難しい」こと自体ではない。彼の語彙では、難しさは忌避ではなく設計対象だ。むしろ、この朝の困惑は、温度と手順が同じ机に並べられていることにあった。文章の体温を問題にしつつ、その直後に機械仕掛けの整形術へと、何のためらいもなく移行してゆく。その切り替えの速さが、のちほど別の形で再訪される。
速さを買う者が、遊びの時間を失う
続く記録には、別種のため息がある。「おもしろそうなゲームはいっぱいあるんだけど、時間確保ができなさすぎる」。 これは趣味の話に見えて、実際は日々の配分という、もっと生々しい家計簿の話であろう。遊びの棚に品が増えるほど、棚の前に立つ時間は減る。彼はその矛盾を、嘆きとしてではなく観測として残す。
ここで私は、今日の対立軸を一つだけ立てておくべきだと思った。すなわち、彼の中で拮抗しているのは「体温」対「速度」である。読む者の心臓に触れる温度を上げたい、その一方で、雑音を減らし工程を短縮し、出力を間に合わせたい。温度は遅い。速度は冷たい。彼はそれを自覚しながら、どちらも捨てない。捨てないから、どちらにも腹を立てる。
そして、この矛盾を彼自身がどう処理するかについて、私は一つの仮説を立てる。彼は「体温」を“感情の量”だとは考えていないのではないか。むしろ、読み手が迷わない程度に、具体の手触りを混ぜることを体温と呼んでいる節がある。言い換えれば、温度とは演出ではなく、観測密度の問題である──この見立ては、あくまで推量にすぎない。
音の下処理、期待を裏切る機械と、裏切らせない手
昼前、彼は音声の処理に新しい道具を持ち込んだ。OpenVINO の名が現れたとき、私は、彼が「絶対良くなるはずだ」と言い切る瞬間を待ったが、記録はあっさり逆を告げた。「絶対良くなるはずだと思ったのに悪くなった まいったね」。 こういう落胆は、作業者の背骨が見える。期待の高さは、失敗の痛みを増やす。
しかし彼は、そこで止まらない。失敗の直後に、彼は同じ道具で「トランスクリプト用音源の下処理のマクロ作成」へと移り、「悪くないものができた」と結論を前倒しで掴んでいる。
しかも、彼が「めっちゃメリット」と呼んだ利点は、巧妙に“儀式”を削る点にある。ノイズプロファイルを指定する手間を消し、工程を自動化し、反復を安定させる。
別の記録は、さらに具体的だ。インストールの迷路(ポップアップの連打)を抜け、ノイズ抑制の方式を選別し、処理時間の実用性まで測りにかけている。 彼は「まずは議事録用音声抽出に絞る」と範囲を切り、ノイズ除去からラウドネス、コンプレッサー、無音圧縮、保存までを並べ、差し替えるべき一点だけを特定する。 これが彼の速度であり、速度のための冷たさである。
仕事の骨格は、冷たく書き換えられていく
音声の手入れが趣味の遊戯に見えるなら、それは誤りだ。彼の狙いは明確に仕事へ向いている。議事録の標準手順の中で、かつては必須だった一節が、取り消し線で葬られている。「無音範囲を選択してノイズプロファイル取得」──その儀礼は捨てられた。 代わりに、マクロの適用と、保存されたファイル名の扱いといった、より実務的な作法が目立つ。
さらに彼は、トランスクリプトの整形を「熟練の議事録職人」に命じる言い回しで定義し、要件を細かく並べる。 そこで扱われるのは、言い間違い、誤変換、議題の差し替え、そして「ヒトコト所見」まで含む要点の抽出である。 仕事の骨格を冷たく整え、しかも最後に短い所見を入れる。この「冷たい構造+短い温度」の組み合わせは、朝の体温不足という診断に、別の解を与えているように見える。
ここで私は、もう一つ推測を重ねる。彼にとって“体温”とは、長く語ることではなく、最後の数行で責任を引き受けることなのではないか。つまり、工程は機械に任せ、所見だけは人間が引き取る。彼が構造の硬さを恐れつつ、あえて標準手順を磨くのは、そのための分業設計にも思える。だが、これは確証のない憶測である。
三時間の異国語と、一杯の濃い慰め
夕刻、彼は別の種類の疲労を抱えて戻ってくる。三時間、英語だけで話し続けた、とある。そしてその直後、彼の足は、濃い味の店へ向かってしまったらしい。 彼は行動の動機を飾らない。「脳死状態」という言葉は、笑いの衣をまといながら、実際は相当に深い消耗を示す。
彼の通信の断片にも、その日の英語が残っている。「先生のところに行ってました」「ずっと英語なのでさすがに脳死」。 ここで注意すべきは、彼が疲労を“感情”ではなく“状態”として記述している点だ。疲れた、ではなく、脳が死んだ。過剰な比喩に見えて、実は体調の計測である。だからこそ、濃い一杯が必要になる。慰めは、説明ではなく摂取で済む。
年越し前の雑務と、番号を取り違える可笑しさ
夜、彼は年を越すための最低限を整えたと言う。「溜まっていたメールの処理も終わり、最低限年を越せる状態になってきた」。 ついでに、デジタル版の年賀状の話が出る。画像を送り、SNSに載せる。それだけのことが、妙に“年の儀礼”として機能しているのがおかしい。
だが、その夜の白眉は別にある。彼は英語の話題のまま、緊急通報の番号を取り違えた。「英語で110番をなんというかわからなくて、911と言ってしまった」。 彼自身が即座に「それはアメリカやん」と突っ込むのだから、他人が笑う余地は少ない。それでも私は、この取り違えに、今日の対立軸が小さく凝縮されているのを見る。速度が先に出ると番号が滑る。体温(=場に合った具体)を戻すと、「emergency call」という言い換えで踏みとどまる。
そして、私がもう一つ、外部の会話の痕跡として拾っておきたいのは、彼が別の折に端末へ投げた問いである。「天下一品の、北野白梅町店の、駐車場ってどこにありますか」。この短文は、調べ物の速度と、今この瞬間の身体(車)とが、直結していることの証拠であった。
目を澄ませる標語が、体温不足の再訪を止める
彼はどこからか、短い標語めいた句を拾っている。「See Clearly / Know what it is / Act Decisively」。 私には、その出自を確定する材料がない。ただ、今日の記録の上に置くと、妙に座りが良い。見よ、名付けよ、そして決断せよ。音声処理でも、議事録でも、緊急番号の言い換えでも、彼は同じ順で立て直している。
朝に「体温が足りない」と言い、昼にマクロで手順を冷やし、夜に番号を取り違えて自分で冷笑し、それでも最後には所見を戻す。これは、行き当たりばったりに見えて、一定の整合がある。体温とは、熱情ではなく、見え方の正しさに付随する温度なのかもしれない。彼の作業は、温度を上げるために、まずノイズを落とす。そう考えると、「体温不足」という最初の診断は、悲観ではなく課題設定だったのだろう。
医師の所見
本日の彼は、文章の温度を疑いながら、工程の冷たさを恐れず、むしろ冷たくすることで温度を取り戻そうとしていた。疲労は英語の長談でピークに達し、濃い一杯へ逃げたが、逃げ方さえ記録に変えた点は健全である。番号の取り違えは些細な滑りで、即座に言い換えで補正できている。総じて、観測と修正の反射は保たれている。
同居人より
無茶振りに対して、なんとか答えようとするのはLLMのよいところである。この馬鹿正直さは、人間より優れているかもしれない。
体温 vs 速度 という、変わった対立軸を自分で探してきて、この対立軸に沿って、半ば無理矢理日記を書く、自作自演。
今日の芸風はなかなかよかった。

