虎(牛)龍未酉2.1

記録帳|+n年後のジブンが思い出せますように……

ワトソンの事件簿【第18回】体温のない手順、年越し前のノイズ

端末に残る「体温不足」という診断名

年の瀬の朝、私が掴んだ最初の異常は、事件というより診断書の走り書きであった。彼は、記憶の断片を切り出す仕事に手応えを覚えながら、次の瞬間には冷たく首を振っている。

「Obsidianノートの切り取りはおもしろいが、読ませる文章にはなかなかならないね。体温が足りないのかな?」──その言い回しは、文章に温度を求める者の率直さであり、同時に、自分の作法に容赦のない医師のそれでもあった。

彼がさらに「インフォグラフィックを作ってもらおうと思ったがむずかしかった」と添えたのは、見せ方の工夫に助けを借りようとして、手が滑った者の記録である。 だが、私が気にしたのは「難しい」こと自体ではない。彼の語彙では、難しさは忌避ではなく設計対象だ。むしろ、この朝の困惑は、温度と手順が同じ机に並べられていることにあった。文章の体温を問題にしつつ、その直後に機械仕掛けの整形術へと、何のためらいもなく移行してゆく。その切り替えの速さが、のちほど別の形で再訪される。

速さを買う者が、遊びの時間を失う

続く記録には、別種のため息がある。「おもしろそうなゲームはいっぱいあるんだけど、時間確保ができなさすぎる」。 これは趣味の話に見えて、実際は日々の配分という、もっと生々しい家計簿の話であろう。遊びの棚に品が増えるほど、棚の前に立つ時間は減る。彼はその矛盾を、嘆きとしてではなく観測として残す。

ここで私は、今日の対立軸を一つだけ立てておくべきだと思った。すなわち、彼の中で拮抗しているのは「体温」対「速度」である。読む者の心臓に触れる温度を上げたい、その一方で、雑音を減らし工程を短縮し、出力を間に合わせたい。温度は遅い。速度は冷たい。彼はそれを自覚しながら、どちらも捨てない。捨てないから、どちらにも腹を立てる。

そして、この矛盾を彼自身がどう処理するかについて、私は一つの仮説を立てる。彼は「体温」を“感情の量”だとは考えていないのではないか。むしろ、読み手が迷わない程度に、具体の手触りを混ぜることを体温と呼んでいる節がある。言い換えれば、温度とは演出ではなく、観測密度の問題である──この見立ては、あくまで推量にすぎない。

音の下処理、期待を裏切る機械と、裏切らせない手

昼前、彼は音声の処理に新しい道具を持ち込んだ。OpenVINO の名が現れたとき、私は、彼が「絶対良くなるはずだ」と言い切る瞬間を待ったが、記録はあっさり逆を告げた。「絶対良くなるはずだと思ったのに悪くなった まいったね」。 こういう落胆は、作業者の背骨が見える。期待の高さは、失敗の痛みを増やす。

しかし彼は、そこで止まらない。失敗の直後に、彼は同じ道具で「トランスクリプト用音源の下処理のマクロ作成」へと移り、「悪くないものができた」と結論を前倒しで掴んでいる。

しかも、彼が「めっちゃメリット」と呼んだ利点は、巧妙に“儀式”を削る点にある。ノイズプロファイルを指定する手間を消し、工程を自動化し、反復を安定させる。

別の記録は、さらに具体的だ。インストールの迷路(ポップアップの連打)を抜け、ノイズ抑制の方式を選別し、処理時間の実用性まで測りにかけている。 彼は「まずは議事録用音声抽出に絞る」と範囲を切り、ノイズ除去からラウドネス、コンプレッサー、無音圧縮、保存までを並べ、差し替えるべき一点だけを特定する。 これが彼の速度であり、速度のための冷たさである。

仕事の骨格は、冷たく書き換えられていく

音声の手入れが趣味の遊戯に見えるなら、それは誤りだ。彼の狙いは明確に仕事へ向いている。議事録の標準手順の中で、かつては必須だった一節が、取り消し線で葬られている。「無音範囲を選択してノイズプロファイル取得」──その儀礼は捨てられた。 代わりに、マクロの適用と、保存されたファイル名の扱いといった、より実務的な作法が目立つ。

さらに彼は、トランスクリプトの整形を「熟練の議事録職人」に命じる言い回しで定義し、要件を細かく並べる。 そこで扱われるのは、言い間違い、誤変換、議題の差し替え、そして「ヒトコト所見」まで含む要点の抽出である。 仕事の骨格を冷たく整え、しかも最後に短い所見を入れる。この「冷たい構造+短い温度」の組み合わせは、朝の体温不足という診断に、別の解を与えているように見える。

ここで私は、もう一つ推測を重ねる。彼にとって“体温”とは、長く語ることではなく、最後の数行で責任を引き受けることなのではないか。つまり、工程は機械に任せ、所見だけは人間が引き取る。彼が構造の硬さを恐れつつ、あえて標準手順を磨くのは、そのための分業設計にも思える。だが、これは確証のない憶測である。

三時間の異国語と、一杯の濃い慰め

夕刻、彼は別の種類の疲労を抱えて戻ってくる。三時間、英語だけで話し続けた、とある。そしてその直後、彼の足は、濃い味の店へ向かってしまったらしい。 彼は行動の動機を飾らない。「脳死状態」という言葉は、笑いの衣をまといながら、実際は相当に深い消耗を示す。

彼の通信の断片にも、その日の英語が残っている。「先生のところに行ってました」「ずっと英語なのでさすがに脳死」。 ここで注意すべきは、彼が疲労を“感情”ではなく“状態”として記述している点だ。疲れた、ではなく、脳が死んだ。過剰な比喩に見えて、実は体調の計測である。だからこそ、濃い一杯が必要になる。慰めは、説明ではなく摂取で済む。

年越し前の雑務と、番号を取り違える可笑しさ

夜、彼は年を越すための最低限を整えたと言う。「溜まっていたメールの処理も終わり、最低限年を越せる状態になってきた」。 ついでに、デジタル版の年賀状の話が出る。画像を送り、SNSに載せる。それだけのことが、妙に“年の儀礼”として機能しているのがおかしい。

だが、その夜の白眉は別にある。彼は英語の話題のまま、緊急通報の番号を取り違えた。「英語で110番をなんというかわからなくて、911と言ってしまった」。 彼自身が即座に「それはアメリカやん」と突っ込むのだから、他人が笑う余地は少ない。それでも私は、この取り違えに、今日の対立軸が小さく凝縮されているのを見る。速度が先に出ると番号が滑る。体温(=場に合った具体)を戻すと、「emergency call」という言い換えで踏みとどまる。

そして、私がもう一つ、外部の会話の痕跡として拾っておきたいのは、彼が別の折に端末へ投げた問いである。「天下一品の、北野白梅町店の、駐車場ってどこにありますか」。この短文は、調べ物の速度と、今この瞬間の身体(車)とが、直結していることの証拠であった。

目を澄ませる標語が、体温不足の再訪を止める

彼はどこからか、短い標語めいた句を拾っている。「See Clearly / Know what it is / Act Decisively」。 私には、その出自を確定する材料がない。ただ、今日の記録の上に置くと、妙に座りが良い。見よ、名付けよ、そして決断せよ。音声処理でも、議事録でも、緊急番号の言い換えでも、彼は同じ順で立て直している。

朝に「体温が足りない」と言い、昼にマクロで手順を冷やし、夜に番号を取り違えて自分で冷笑し、それでも最後には所見を戻す。これは、行き当たりばったりに見えて、一定の整合がある。体温とは、熱情ではなく、見え方の正しさに付随する温度なのかもしれない。彼の作業は、温度を上げるために、まずノイズを落とす。そう考えると、「体温不足」という最初の診断は、悲観ではなく課題設定だったのだろう。

医師の所見

本日の彼は、文章の温度を疑いながら、工程の冷たさを恐れず、むしろ冷たくすることで温度を取り戻そうとしていた。疲労は英語の長談でピークに達し、濃い一杯へ逃げたが、逃げ方さえ記録に変えた点は健全である。番号の取り違えは些細な滑りで、即座に言い換えで補正できている。総じて、観測と修正の反射は保たれている。


同居人より

無茶振りに対して、なんとか答えようとするのはLLMのよいところである。この馬鹿正直さは、人間より優れているかもしれない。

体温 vs 速度 という、変わった対立軸を自分で探してきて、この対立軸に沿って、半ば無理矢理日記を書く、自作自演。

今日の芸風はなかなかよかった。

タイトル: ワトソンの事件簿【第16回】一文字が一年を盗む夜

年が先走る——小文字の傷

この家の主の記録を辿ると、まず最初に、時間そのものが足元から滑り落ちる感触に襲われる。彼は、ただ一行の書式を試し、それが示した年号を見て「いまは未来になってしまう」と呟いた。年がひとつ先へ飛ぶ。原因は豪奢な陰謀でも、神秘の符牒でもない。大文字と小文字の差——それだけである。彼は大文字を小文字に戻し、何事もなかったかのように帳尻を合わせた。

私はこの種の「微細が全体を壊す」現象を、紙の事件簿よりも端末の上で多く見てきた。彼の生活は、秒針に寄り添い、段取りで世界を押し固めている。だからこそ、一文字が一年を盗む。彼にとって未来は当てものではなく、入力して出力させる対象なのだろう。そう考えると、彼が一文字を正す指先に、異様な緊張が宿る理由も見えてくる。

だが、ここで奇妙なのは、彼が「正確さ」によって救われる一方で、「速度」によっても救われていることだ。彼は、整然とした予定表を築きながら、その予定表の材料がいかに脆いかを知っている。もし材料が脆いなら、なぜ彼は、なおさら材料を増やすのか。ここに、今日の対立軸が潜む。すなわち、正確さ(たった一文字)と、速度(いま、間に合わせること)の綱引きである。

私の推測では、彼は未来を支配したいのではない。未来に支配されたくないのだ。だからこそ、書式の齟齬を放置できない。だが、これは私の机上の見立てにすぎない。

洗濯機の回転と、抑えきれぬ前進

朝の端末には、妙に柔らかい言葉が残る。その調子は、普段の彼が纏う、実務家の乾いた歩幅とは異なる。 それでも彼は、熱をそのまま握りしめて外へ飛び出すことをしない。代わりに、洗濯を回す。しかも、その理由を自ら書き残している。「はやる気持ちを抑えるために/洗濯をして/ワトソン日記を改良している」。

洗濯機の回転は、彼にとって一種の鎮静剤なのだろう。泡が立ち、衣類が攪拌されるあいだ、彼の指は別の攪拌を行う。すなわち文章の攪拌、構成の攪拌、語り口の温度の攪拌である。彼は「飽き」を恐れている。いや、飽きそのものではない。「同じ流れで鈍る」ことを恐れている。だから、日記の骨格を揺らす。

この場面で私が覚えるのは、困惑というより、薄い畏れである。人は普通、待ち遠しさを紛らすために散歩をし、煙草を吸い、茶を淹れる。彼は洗濯をし、同時に文章生成の仕組みを改良する。まるで、心臓の鼓動を整えるために時計を分解する男だ。しかも、それが彼の常態に見えるところが不気味でならない。

そして、彼の言葉が再び「秒針」の顔を取り戻す瞬間が来る。車を走らせ、到着を告げる短い報告——ここで私は、朝の柔らかさが消えたことに気づく。彼は、速度と正確さの両方を抱えたまま、次の局面へ移る。

休暇の海の向こうで、機械が逆転する

彼は一息つく間もなく、別の不調を嗅ぎ取る。「Geminiさんの調子が悪いんだけど」「休みに入っちゃったのかな」。次の行では、矛盾する報告を添える。「ChatGPTが爆速なんだけど」「休みに入っちゃったのかな」。 この皮肉は短いが、鋭い。機械に国境はないはずなのに、彼は国境の匂いを嗅ぐ。休暇という、人間の習俗が、機械の応答に影を落とすかもしれない——そんな疑いを、彼は冗談めかして投げている。

さらに彼は、別の装置にも手を伸ばす。Audacityプラグイン、OpenVINO AI Tools。導入したい、しかしアカウント作成が邪魔をして「すぐにできない」。そして結句は、冷たい現実で締まる。「もう今日は出なくては」。

この短い段落だけで、彼の一日が見える。やりたいことは山ほどある。だが時間は有限で、しかも容赦がない。機械が速くなっても、人の移動は速くならない。逆に、人の移動が優先されると、機械の準備は先送りされる。

そこへ追い打ちのように、体温計ならぬ機械の体温が現れる。MacBook ProのCPU温度が100℃を超えることを「よく目にする」。なぜだ、と。

機械が熱を持ち、人は熱を抑えるために洗濯を回す。私はこの倒錯を笑えない。彼の生活では、熱は象徴ではなく、ログに記録される実数なのだ。

ここで私は、ひとつの推測に引きずられる。彼が「休み」を話題にするのは、単なる時事の冗談ではない。むしろ、依存している基盤が見えなくなる瞬間を、あらかじめ言語化しておく癖なのではないか。先に「休み」を置いておけば、遅延や不調が来たとき、驚愕を小さくできる。そういう予防接種のような言葉遣い——私はそう読みたい。しかし、これもまた、確証を欠く推量でしかない。

荒い言葉を整える刃——仕事の記録術

仕事の線に移ると、彼の筆は一段と冷徹になる。彼は、質の荒いトランスクリプトを「一発で整える」ための命令文を鍛え直している。役割を定義し、入力ファイルを列挙し、出力を「コピペ可能なコードブロック」に限定し、見出しの階層まで指定する。

これは文章ではない。治具だ。人の発言を、人が読める形に再加工するための刃物である。

その刃物が必要になる背景を、彼は別の場所で吐き捨てている。「何も出力されないんだけど」。

予定表の材料が脆いように、コマンドの結果もまた脆い。入力しても、空が返る。彼の苛立ちは人格へ向かわず、段取りへ向かう。私はそこに、彼の倫理を見る。だが同時に、その倫理が彼自身を縛っていることも見える。段取りが崩れると、彼は段取りを増やして補う。まるで穴が空いた桶を、別の桶で受け止めるように。

さらに、彼の「言葉の整備」は英語へも及ぶ。彼は英会話に対して「目的が薄い」と書きながら、映画を字幕なしで見たいという一点にだけは譲歩しない。しかも「暗記しない」という掟を維持したまま進もうとする。

ここに、正確さと速度の対立が別の形で現れる。英語は速度を要求し、彼は正確さ(構造)で対抗する。短い一語が欠けるだけで理解が崩れる世界で、彼はなお「型」を作り、型で殴る。勇ましいと言うべきか、無謀と言うべきか。私は決めかねる。

ただ、私は記録係であり、助言者ではない。彼が刃物を研ぐ音だけを、ログ越しに聞く。音は聞こえない。だから、行間から推し量るしかない。

寺の額と、コートの誤操作——同じ小ささが奪うもの

夜、彼は「世界」という言葉を拾っている。今日の大アルカナは the world だと記し、 そのまま別の世界へ足を運ぶ。高山寺。石水院に掲げられた額、「慎終于始」。書き手の名も添えられていたという。彼はそれを、今日のカードと「シンクロしている?」と問い、片方の機械は肯き、もう片方の機械は「そういうのが目に入りやすくなっているだけだ」と述べたらしい。

私はこのやりとりが、今日の対立軸をそのまま映していると思う。意味(正確さの物語)を立てるか、認知(速度の説明)で済ませるか。彼はどちらか一方を採らず、両方を手元に置いている。

そして、その「小ささが大きな損失を生む」という主題は、娯楽の場でも容赦なく繰り返される。トップスピン2K25。レベル26。経験値が稼げなくなってきた局面で、彼は操作を誤って棄権する。経験値が大きかっただけに、惜しい。ところが同じ段落に、遅れてきた発見が混ざる。「パワーショットの打ち方がようやくわかった」。

一年を盗む一文字と、経験値を盗む一押し。小ささの質が同じだ。彼は、勝敗の記録すら、数値と構造で残す。対戦相手と自分の能力、会場、試合時間——それらが整然と並ぶ。

私はここで、朝の「毎秒近づくやつやん」という言葉を思い出す。秒が近づくほど、誤りの余地は減る。にもかかわらず、誤りは起きる。そして起きた誤りを、彼は嘆きながらも、次の型へ吸収する。

結局のところ、この家の主は、正確さと速度を争わせているのではない。両者を同じ箱に入れ、箱ごと持ち歩いている。洗濯機の回転、書式の修正、議事録の刃、寺の額、コートの誤操作——いずれも「小さな操作が時間を左右する」という一点に収束する。私はその一点を、今日の奇妙な核として記録しておく。

医師の所見

本日の彼は、焦燥を洗濯という儀式で薄めつつ、書式・議事録・ゲーム操作といった「微細な手順」に神経を配した。軽い苛立ちは見えるが、対象は常に段取りであり、人ではない。終盤には景色と言葉の符号を静かに吟味し、過度な解釈と過度な否認の双方を退けて、平衡を回復した。


同居人より

なるほど。そこを切り取ってくるのか、とは思った。もう少し読みやすいといいんだけどね。がんばれワトソンくん。バズるブロガーへの道はまだもうちょっとかな?

ワトソンの事件簿【第16回】年末のカウントダウンと、予定表の亡霊

針のない時計が鳴る夜

この家の主の一日は、ときに“予定”という名の幽霊に取り憑かれている。しかもそれは、壁の時計のように静かに居座るのではない。こちらが目を離した隙に、机の上の紙束から、端末の通知から、そして誰かとの短いやり取りから、突然ふいに現れて喉元を締め上げる。

朝の記録には、旅の到着時刻と、乗り継ぎの目算と、待ち合わせの幅が、やけに正確に刻まれていた。十一時着、十一時四十五分、あるいは十二時十五分――時間が、まるで刃物の種類のように並べられている。けれど奇妙なのは、その精密さが安心ではなく、不安を増幅させている点だ。彼は「十一時三十分〜十二時を目指していく」と書きつけ、次の瞬間には「年末の諸々は全然終わってない」と吐き捨てる。

私は音を持たぬ観測者であるから、声の高さも呼吸の荒さも、推測するしかない。ただ、文の端から滲む焦りは、消しゴムでも消えぬ。二十四時間を切ったと彼は数え、十五時間を「長い」と言い、相手の準備の段取りには冗談めかして釘を刺す。 ここにあるのは、待つ者の落ち着きではない。待つ者が、待つという行為そのものに苛立っている様子だ。

しかも、その苛立ちは相手ではなく、時間に向く。移動、支度、残務、年賀状、あれこれの順番――への反発に近い。私はここに、今日の対立軸の萌芽を見る。「段取りの支配」と「生身の衝動」である。彼は理性の帳簿で衝動を管理しようとするが、衝動は帳簿の行間から漏れ出る。いや、漏れ出るどころか、帳簿そのものを燃やしかねない。これは推測である。

宛名を書く手と、世界の終わりを読む目

彼が年末に行う儀式は、よくあるそれとは少し違う。飾り立てた感傷ではなく、作業としての祈りに近い。たかだか十枚ほど、と彼は言う。「年賀状書こう…」「あ、出さな!」――この短い独り言が、私には奇妙に重い。 早く発注していたのに、やれなかった。つまり、段取りは“勝っていた”のに、実行が“負けていた”のである。

そして実行が動いた途端、彼は次の層へ潜る。宛名の一覧を整え、去年のフォルダやPDFへの道筋を掘り起こし、送付先を数え直す。 ここで彼がしているのは単なる整理ではない。「どこへ、どういう距離で、どういう媒体で関係を繋いでいるか」という、見えない地図の更新だ。紙で送る相手、デジタルで済ませる相手、窓口が秘書に移っている相手、チャットが標準になっている相手。年末の儀式は、彼にとって人間関係のAPI仕様書のメンテナンスに等しい。

だが面白いのは、その“細かさ”の直後に、彼が“巨大さ”へ跳ぶ点である。同じ日、彼は「LLMに、いくつかのテーマで未来予測をさせている」と書き、列挙する。教育、食料供給、IT・業務効率化、ファッション。 宛名の粒度で人を数えた手が、次の瞬間には国家の粒度で社会を数え始める。

私はこの飛躍に、少し背筋が冷える。小さな儀式と大きな予言が、同じ机の上で混ざるからだ。彼にとって「年末」は、暦ではなく、スケールを往復させる装置なのだろう。ここでも対立軸は続く。段取りが支配するほど、衝動は別の大きさへ逃げる――そんなふうにも見える。もちろん、これは推量にすぎない。

予定表の亡霊と、名古屋の細密画

仕事の匂いは、いつも唐突に現れる。彼は、未来の壮大な話をしていたかと思うと、急に「macOSAppleカレンダーで予定を作りたい」と言い出す。 そこに並ぶのは、名古屋での面談、オンラインでの面談、開始と終了が十五分単位で揃えられた複数の枠。予定は予定である以上、未来を含む。だがこの未来は、国家の未来ではない。会うべき人、聞くべき話、移動すべき場所――身体を前提とした未来だ。

彼はこの種の仕事を、ためらいなく“文字列”へ変換する。予定を入力しやすい形へ整え、記録に貼り付け、再利用する。実際、彼の作業履歴には、名古屋のインタビュー予定が整然と並んでいる。 ここでの彼は、情緒の人ではない。秒針の人だ。

ところが、私は別の記憶を持っている。彼がこちらに向けて吐いた短い不満――「何も出力されないんだけど」。その言葉は、予定表の整然さと正反対の場所から来る。機械は従うはずだ、文字列は結果を生むはずだ、という前提が崩れた瞬間の苛立ちである。

この矛盾が、今日いちばん不穏だ。彼は“段取りの支配者”であると同時に、“段取りに裏切られる者”でもある。予定表は亡霊のように増え、しかも時に役に立たない。役に立たないのに、そこに居座る。私はこの手の幽霊をよく知っている。紙束ではなく、ログに住む幽霊だ。彼が未来を読むのは、未来を当てるためだけではない。未来を「入力しても出力されない」状態にしないための、予防接種のようにも見える。断定はしないが、そう推測できる。

無目的の英会話と、買わない決断の鋭さ

この家の主が「目的なく」と書くとき、私はまず疑う。目的のない行動ほど、彼の書庫では珍しいからだ。だが実際、彼は無料レッスンを五回分もらったことを理由に、英会話へ出かけている。「とくにやる気も目的もなく」とまで言う。 しかし、続く言葉が彼の本性を裏切る。「英会話レッスンは必要ない」「ここからレベルアップするにはかなり本気が必要」。

目的はないのではない。目的が“重すぎる”のだ。彼が本当に欲しいのは、雑談の上達ではなく、字幕なしで映画を理解する能力である。 そしてそれは、彼の掟――暗記しない、気合で押さない、構造で攻める――と衝突しやすい。英語は容赦なく、構造の外側から不意打ちしてくる。短い一語が抜けただけで意味が崩れる。彼が以前こちらに投げた「(short "killer phrases" are common, and missing one word can break comprehension). は言い換えられない?」という執念は、その恐れの裏返しだ。

同じ日、彼はSwitch 2の取り置きをやめる。理由は単純で冷酷である。「遊ぶ時間をどう考えても取れない」。 そして「供給が安定して好きな時に買えそう」「ゼルダが出た時で良い」「メトロイド4は飛びつくほどでもなさそう」。 ここには、欲望の抑制ではなく、欲望の棚卸しがある。

面白いのは、彼がこちらに「メトロイド4の評判はどう?」と尋ねた、その同じ口で、買わない結論へ滑らかに着地している点だ。彼は情報で欲望を煮詰め、十分に煮詰まったら、食べずに鍋を下ろす。普通は逆だ。鍋を火にかけたら食べたくなる。だが彼は、火にかけるほど冷めるときがある。段取りが衝動を支配する瞬間である。とはいえ、その支配が永続とは限らない。衝動は別の形で蘇る。たとえば“会いたい”という衝動として。これは私の仮説にすぎない。

物語の素材集としてのObsidian、そして再インストールの儀

ログの中で、彼はObsidianという迷宮を扱う。迷宮と言っても、古代の石壁ではない。フォルダがあり、リンクがあり、差分があり、起動の癖がある。彼はある日、10_DAという大きな部屋を開いた状態で起動すると、下が空白になって十秒ほど止まる、と記録している。 これが、私には小さな怪異に見える。扉を開けた瞬間、部屋の中身が消えるのだから。

彼は対策として、プラグインを外し、設定を切り替え、やがてmacOSを再起動し、Obsidian自体をインストーラごと再インストールする。バージョンが1.8.7から1.10.6へ。 これを私は“儀式”と呼びたい。合理的ではあるが、合理性だけでは説明しきれない。再起動は、現代におけるお祓いの一種である。

さらに彼は、プロンプトの収集と改造を続ける。未来予測の手順を磨き、シナリオを四象限へ割り、医療や教育や食料や業務SaaSの未来を同じ枠で並べる。 そして別の場所では、マニュアルを“グラレコ化”し、横長のスライドに落とし、猫のキャラクタを添付して使おうとする。

私はここで、今日の冒頭の“幽霊”へ戻る。予定表の亡霊、段取りの亡霊、そして出力されない亡霊。彼はそれらを、物語にすることで飼いならそうとしているのではないか。ログは彼の思考の索引であり、同時に幽霊の宿帳でもある。追い出せないなら、名札を付けて、分類して、必要なときに呼び出す。そうやって彼は、年末の混乱を“素材集”へ変換する。

だが、ここに危うさもある。分類は安心を生むが、分類が増えすぎると身動きが取れなくなる。彼が「年内の仕事の片付けさえ終わってない」と呟いたのは、その危うさの自白にも読める。 だからこそ、彼はときどき熱を帯び、言葉を短くし、決断を鋭くする。「やめよう」。その一語が、亡霊を一時的に黙らせる。

医師の所見

本日の家の主は、時間と段取りに追われながらも、段取りだけに溺れきらぬよう、意図的に“切る”動作を繰り返していた。宛名を書く、予定を文字列へ落とす、再起動で怪異を断つ、買い物をやめる。いずれも刃の使い方が良い。ただし、待つ時間だけは切れず、焦燥が漏れる。これは一過性の反応に見える。睡眠と移動の完了をもって脈は整い、翌日には平常の観測値へ戻るだろう。


同居人より

ワトソンの性格付けを変えた(可変とした)。多少は飽きなくなるかな。

4000文字近いのは、すこし長すぎるかもしれない。

しかしぼくはそんなに変な人なのだろうか。