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【徹底解説】「ティファニーで朝食を」あらすじと原作・映画の7つの違い

映画史に輝く不朽の名作「ティファニーで朝食を」。オードリー・ヘプバーンの可憐な魅力と、ヘンリー・マンシーニ作曲の甘美な名曲「ムーン・リバー」で世界中の人々を魅了し続けるこの作品。しかし、その華やかなイメージの裏で、原作小説とは大きく異なる物語が描かれていることをご存知でしょうか。

この記事では、映画版とトルーマン・カポーティによる原作小説、両方のあらすじを詳細に解説し、両者の間に横たわる重要な違いを明らかにします。さらに、作品に込められた「自由と愛」「アイデンティティの探求」といった深いテーマや、今なお色褪せないその魅力について、徹底的に掘り下げていきます。これから作品に触れる方はもちろん、すでに鑑賞済みの方も、きっと新たな発見があるはずです。

「ティファニーで朝食を」基本情報と作品背景

このセクションでは、物語の基本となる設定や、象徴的なタイトルの意味について解説します。作品を深く理解するための基礎知識をここで押さえておきましょう。

「ティファニーで朝食を」は、1958年にアメリカの作家トルーマン・カポーティが雑誌『エスクァイア』で発表した中編小説が原作です。そして1961年、オードリー・ヘプバーンを主役に迎え、パラマウント映画によって映画化されると、世界的な大ヒットを記録し、ファッションやカルチャーにも大きな影響を与える作品となりました。

基本設定

  • 時代:1943年の秋(第二次世界大戦のさなか)
  • 舞台:ニューヨーク・マンハッタンの高級住宅街、アッパー・イースト・サイド
  • 主要登場人物:自由奔放でミステリアスな女性ホリー・ゴライトリーと、彼女のアパートの隣人となる作家志望の青年「僕」(映画ではポール・バージャック)

物語は、ニューヨークで何にも縛られずに生きる天真爛漫な主人公ホリー・ゴライトリー(当時18〜19歳)と、彼女の隣人となった作家志望の青年との交流を中心に描かれます。ホリーは定職に就かず、裕福な男性たちとの交際を通じて華やかな生活を維持しており、彼らとの玉の輿を夢見ています。彼女の名刺に刷られた「Traveling(旅行中)」という言葉は、特定の場所に根を下ろさず、常にどこかへ移動し続ける彼女の生き方そのものを象徴しています。

タイトルの本当の意味

「ティファニーで朝食を」という印象的なタイトルは、主人公ホリーのセリフに由来します。彼女にとって、ニューヨーク5番街にあるティファニー本店は、心がひどく落ち込んだときに訪れる特別な場所。「ティファニーで朝食を食べられるような素敵な生活」とは、彼女が抱く気品と豊かさに満ちた安定した世界への強い憧れを表現しています。

興味深いことに、映画公開当時、ティファニー本店は宝石店であり、食事を提供する場所ではありませんでした。しかし、映画の絶大な影響を受け、2017年にはブランド初となるカフェ「The Blue Box Cafe」がオープン(現在はリニューアルを経て営業中)。映画で描かれた夢のシーンが、現実のものとなったのです。

映画版「ティファニーで朝食を」あらすじ詳細解説

世界中の人々を魅了した、オードリー・ヘプバーン主演の映画版。ここでは、そのロマンティックな物語の始まりから感動の結末までを、名シーンと共に詳しくご紹介します。

冒頭の名シーン:ティファニー前での朝食

映画は、映画史上で最も美しいと言われるオープニングシーンから幕を開けます。まだ夜が明けきらない早朝のニューヨーク5番街。一台のイエローキャブがティファニー本店の前に停まります。そこから現れるのは、ジバンシィの優雅なブラックドレスに身を包んだホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘプバーン)。彼女は紙袋からクロワッサンとコーヒーを取り出し、ショーウィンドウに飾られた眩い宝石を眺めながら、静かに朝食をとります。ヘンリー・マンシーニ作曲の「ムーン・リバー」の切ないメロディが重なり、華やかな世界への憧れと、彼女が抱える孤独や現実とのギャップを美しく、そして象徴的に描き出しています。

ホリーとポールの出会い

ホリーは、マンハッタンのアパートで「名前のない猫」と一緒に暮らしています。彼女は鍵をすぐになくす癖があり、そのたびに階上に住む日本人写真家ユニオシ(ミッキー・ルーニー)の部屋のブザーを鳴らすため、彼はいつも不機嫌です。

ある日、そのアパートに作家志望の青年ポール・バージャック(ジョージ・ペパード)が越してきます。ポールは、裕福な年上の女性パトロン(2E)の支援で生活しており、執筆活動は行き詰まり気味。彼もまた、誰かに依存しなければ都会で生きていけないという点で、ホリーと似た境遇にありました。予測不可能で、子猫のように奔放ながらも、時折見せる脆さに満ちたホリーの魅力に、ポールは次第に強く惹かれていきます。一方のホリーも、ポールに亡き弟フレッドの面影を重ね、次第に心を開いていきます。

明かされるホリーの過去と謎

物語が進むにつれ、ホリーのミステリアスな過去が少しずつ明らかになります。ある日、テキサスからドック・ゴライトリーと名乗る初老の男性が訪ねてきます。彼はホリーの夫であり、彼女の本名がルラメイ・バーンズであること、そして14歳で彼と結婚した過去を告げます。しかしホリーは、もはや自分は田舎の少女ルラメイではないと、過去との決別を宣言します。

また、彼女は毎週木曜日にシンシン刑務所を訪れ、服役中のマフィアのボス、サリー・トマトから謎めいた「天気予報」を聞き出し、それを外部の弁護士に伝えるという奇妙な「仕事」をしていました。彼女の生活は、華やかさの裏で常に危うさと隣り合わせだったのです。

クライマックス:雨の中の決断

物語のクライマックス、ホリーは南米の富豪ホセとの結婚を決め、ブラジルへと発つ準備を進めます。しかし出発直前、サリー・トマトとの関係が原因で麻薬取引の容疑をかけられ、警察に逮捕されてしまいます。このスキャンダルを知ったホセは、彼女のもとを去っていきました。

すべてを失い絶望したホリーは、土砂降りの雨の中、ポールと激しく口論になります。「愛なんて鳥かごだ」と言い放ち、自分自身の象徴でもあった「名前のない猫」をタクシーから突き放してしまいます。しかし、ポールは「君は自分のカゴの中にいるんだ」「君自身が君のものじゃないからさ」と彼女に真実を突きつけ、愛を告白します。ポールの言葉に心を動かされたホリーは、自分にとって本当に大切なものが何か、そして自分の居場所がどこにあるのかに気づきます。彼女はタクシーを飛び出し、ずぶ濡れになりながら猫を探し出し、雨の中でポールと熱いキスを交わすのでした。こうして映画は、愛の勝利を描く感動的なハッピーエンドで幕を閉じます。

原作小説のあらすじと映画との7つの決定的な違い

映画のロマンティックなイメージとは異なり、カポーティの原作小説はよりビターで切ない物語を描き出します。ここでは原作のあらすじを追いながら、映画版との間に存在する7つの重要な違いを解説します。

1. 物語の構造と語り手

原作小説は、映画とは全く異なる回想形式で物語が進みます。バーのマスターであるジョー・ベルが、アフリカで撮影された一枚の写真を見せるところから始まります。その写真には、ホリーによく似た姿が彫られた木彫りの像が写っていました。これをきっかけに、語り手である「僕」が、十数年前に隣人だったホリー・ゴライトリーとの思い出を静かに語り始めるのです。原作の語り手「僕」は作家志望の青年で、ゲイであることが示唆されています。そのため、彼がホリーに向ける感情は友情や庇護欲であり、恋愛感情ではありません。これが、二人の関係性を純粋なラブストーリーとして描いた映画との最も根本的な違いです。

2. ホリーのキャラクター設定

原作と映画では、ホリーの人物像も大きく異なります。

  • 原作のホリー:より現実的でシビアな人物として描かれています。裕福な男性をパトロンとし、時には金銭を受け取って夜を共にすることも厭わない、いわゆる「高級娼婦」に近い存在として描かれています。カポーティ自身は、この奔放でグラマラスなホリー役には、マリリン・モンローが最適だと考えていました。
  • 映画のホリー:オードリー・ヘプバーンが演じるにあたり、脚本から娼婦的なニュアンスは排除されました。その結果、世間知らずでエキセントリックながらも、どこか憎めないキュートで清純なキャラクターとして描かれています。

3. ポール(僕)の人物設定

映画のポールは、年上の女性パトロンに生活の面倒を見てもらう売れない作家ですが、最終的にはホリーを真の愛に導くヒーロー的な役割を果たします。一方、原作の「僕」は、ホリーの観察者であり、良き友人という立場に徹しています。彼はホリーの生き方を批評せず、ただ静かに見守り、彼女の孤独に寄り添います。

4. 有名なシーンの不在

映画を象徴する数々のロマンティックなシーンは、実は原作には存在しません。冒頭のティファニー前での朝食シーンや、万引きした仮面をつけて店を飛び出すデート、ティファニーの店員に頼んでおまけの指輪に名前を彫ってもらう心温まるエピソードなどは、すべて映画オリジナルの脚色です。

5. ユニオシの役割

映画ではコミカルなトラブルメーカーとして描かれるユニオシですが、原作では物語の冒頭と結びに関わる重要な役割を担います。彼が撮った写真が、「僕」にホリーの思い出を語らせるきっかけとなるのです。ただし、彼の描写については後述するような現代的な批判も存在します。

6. 猫の存在意義

映画では、猫はホリーとポールを結びつける重要な小道具として機能します。ホリーが猫を捨て、そして探しに戻る行為は、彼女が自分自身の心と向き合い、愛を受け入れる過程の象徴です。一方、原作でも猫は登場しますが、結末でホリーがアパートを去る際に置いていかれ、その後の行方は描かれていません。より孤独と喪失感を際立たせる存在となっています。

7. 結末の大きな違い

原作と映画の最も決定的で、作品の印象を180度変えてしまうのが結末です。

  • 映画の結末:前述の通り、ポールとホリーが愛で結ばれるという、典型的なハリウッドスタイルのハッピーエンドです。観客に幸福感と満足感を与えてくれます。
  • 原作の結末:ホリーは南米の富豪を追ってニューヨークを去り、その後アフリカへ渡ったという噂を最後に、消息不明となります。語り手の「僕」は、彼女がどこかで自分らしく生きていることを願いながら、物語を締めくくります。明確な結末はなく、読者の想像に委ねられる、切なくも余韻の残るビタースイートな終わり方です。

この結末の改変について、原作者のカポーティは「ハリウッドの定石通りだ」と述べ、自身の文学的世界が感傷的なラブストーリーにされてしまったことに激しい不満と怒りを覚えていたと伝えられています。

作品に込められたテーマと不朽の魅力

「ティファニーで朝食を」がなぜ時代を超えて愛され続けるのか。その理由は、華やかな物語の奥に、誰もが共感しうる普遍的なテーマが描かれているからです。

自由と愛、そして「居場所」をめぐる探求

この物語の根底に流れるのは、「本当の居場所はどこにあるのか」という切実な問いです。ホリーは過去を捨て、誰にも何にも縛られない「自由」を求めて生きています。しかし、その自由は常に孤独と不安定さと隣り合わせです。彼女が飼っている「名前のない猫」は、まさに彼女自身の象徴。「誰のものでもない」存在である猫は、特定の居場所を持たないホリーの生き方を体現しています。クライマックスで彼女が猫を捨てる行為は、自分自身の一部を切り捨てる自己否定であり、それを取り戻しに行く過程は、ありのままの自分を受け入れ、愛という名の「居場所」を見つけるまでを描いています。

名曲「ムーン・リバー」に込められた想い

映画の魂とも言える名曲「ムーン・リバー」。ヘンリー・マンシーニとジョニー・マーサーが生み出したこの曲の歌詞には、作品のテーマが見事に凝縮されています。

"Two drifters, off to see the world. There's such a lot of world to see."
(ふたりの流れ者、世界を見に行くの。見るべき世界はたくさんあるわ)

"We're after the same rainbow's end, waitin' 'round the bend. My huckleberry friend, Moon River, and me."
(私たちは同じ虹のたもとを追いかけている。あの川の曲がり角で待っていてね。私のハックルベリー・フレンド、ムーン・リバー、そして私)

ここで歌われる「流れ者(drifter)」とは、ホリーとポールのこと。そして「huckleberry friend」という言葉は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を彷彿とさせ、古き良き少年時代の冒険やノスタルジアを喚起します。これは、南部の田舎町で育った作詞者マーサー自身の原風景とも重なります。果てしない夢(虹の終わり)を追い求める二人の孤独な魂が、寄り添いながら未来へ向かおうとする姿を、優しくも切ないメロディが包み込みます。

キャストとスタッフが作り上げた奇跡

この作品が不朽の名作となった背景には、素晴らしい才能を持つキャストとスタッフの存在がありました。

オードリー・ヘプバーン(ホリー役)

それまで「ローマの休日」などで清純派のイメージが強かったヘプバーン。彼女が複雑な過去を持つホリー役を演じたことは、当時の観客に大きな衝撃を与え、アメリカ映画における女性像を大きく変えたと評されています。ヘプバーン自身にとっても、この役は女優としての新境地を開き、キャリアの重要な転換点となりました。

ジョージ・ペパード(ポール役)

ホリーに振り回されながらも、彼女を深く理解し、愛するポール役を好演したジョージ・ペパード。この作品で彼は一躍スターダムにのし上がりました。彼の知的で誠実なキャラクターが、ヘプバーン演じるホリーの奔放な魅力を一層引き立てています。

ヘンリー・マンシーニ(音楽)

「ムーン・リバー」や「ティファニーで朝食をのテーマ」など、本作の音楽を手掛けたヘンリー・マンシーニは、映画音楽に革命をもたらしました。それまでのオーケストラ中心の劇伴とは一線を画し、ジャズの要素を大胆に取り入れた彼の洗練されたスコアは、楽曲単体でも楽しめるクオリティを持ち、映画の世界観を完璧に表現しています。

ブレイク・エドワーズ(監督)

監督のブレイク・エドワーズは、原作の持つビターな雰囲気を残しつつも、洗練されたロマンティック・コメディとして作品を昇華させました。特に、ホリーのアパートで開かれるパーティーのシーンでは、1週間以上をかけて撮影し、豪華でコミカルなドタバタ劇を創り上げるなど、その巧みな演出力が光ります。

現代の視点から見る「ティファニーで朝食を」

公開から60年以上が経過した今、この作品は私たちに何を語りかけるのでしょうか。その現代的意義と、今なお続く影響について考察します。

ファッションとカルチャーへの影響

この映画がファッション界に与えた影響は計り知れません。冒頭シーンでオードリー・ヘプバーンが着用したジバンシィの「リトル・ブラック・ドレス」は、女性のエレガンスの象徴となり、今なお多くのデザイナーにインスピレーションを与えています。大きなサングラス、パールのネックレスといった彼女のスタイルは「ティファニー・ルック」として永遠のファッション・アイコンとなりました。

ユニオシの描写に関する批判

一方で、現代の価値観から見ると、看過できない問題点も存在します。それは、白人俳優であるミッキー・ルーニーが演じた日本人キャラクター、ユニオシの描写です。出っ歯に眼鏡といったステレオタイプな外見や、奇妙な訛りの英語を話すその姿は、アジア人に対する人種差別的なカリカチュアであるとして、公開当時から現在に至るまで厳しい批判の対象となっています。作品を評価する上で、こうした負の側面も認識しておくことは非常に重要です。

変わらない普遍的なテーマ

こうした問題点を抱えつつも、作品が描き出すテーマは現代においても普遍的な輝きを放っています。経済的な安定と精神的な自由のどちらを選ぶのか。本当の愛や自分の居場所とは何か。ホリーの生き方は、現代を生きる私たちが直面する悩みや葛藤と深く共鳴します。自分らしく生きることの難しさと、それでも自分自身で人生を選び取ることの大切さを、この作品は教えてくれるのです。

視聴・読書方法とおすすめポイント

「ティファニーで朝食を」の世界を最大限に楽しむためには、ぜひ映画と原作小説の両方に触れてみることを強くおすすめします。

映画の楽しみ方

  • オードリー・ヘプバーンの息をのむような美しさとファッションを堪能する。
  • 「ムーン・リバー」が歌われる、窓辺のギター弾き語りシーンに耳を澄ませる。
  • 1960年代初頭のニューヨークの洒脱な雰囲気に浸る。
  • U-NEXTやAmazonプライム・ビデオなどの動画配信サービスで手軽に鑑賞できます。

原作小説の楽しみ方

  • トルーマン・カポーティのクールで繊細な文章表現を味わう。
  • 映画よりも遥かに複雑で、脆く、したたかなホリーの人物像に迫る。
  • 映画とは全く異なる、余韻の残るビタースイートな結末を体験する。
  • 村上春樹による新訳版(新潮文庫)もあり、読み比べてみるのも一興です。

両方を体験した後は、なぜ映画であのような改変が行われたのかを考察したり、どちらのホリーが好きかを考えてみたりするのも、この作品の深い楽しみ方の一つです。

まとめ

「ティファニーで朝食を」は、表面的にはニューヨークを舞台にした華やかなロマンティック・コメディでありながら、その深層には、自由と孤独、愛とアイデンティティ、そして「真の居場所」探しという、時代を超えた普遍的なテーマが横たわっています。

映画版の幸福なラブストーリーと、原作小説の切ない現実。二つは全く異なる結末を迎えますが、どちらもホリー・ゴライトリーという一人の女性が必死に自分らしく生きようとする姿を鮮やかに描き出しています。オードリー・ヘプバーンの輝き、心に響く音楽、そしてカポーティの文学的才能が結晶したこの名作は、これからもきっと多くの人々を魅了し続けることでしょう。

あなたもぜひ、この永遠のクラシックに触れ、ホリーの自由で、少しだけ哀しい心の旅路を体験してみてください。きっと忘れられない感動と、新たな発見があなたを待っているはずです。