宗派 天台宗
本尊 六臂如意輪観世音菩薩
ご詠歌 はるばると のぼれば書寫の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん
671-2201 姫路市書写2968
公式サイト http://www.shosha.or.jp/
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さて、午後1時半を過ぎて、
書写山ロープウェイ駐車場に到着しました。
西国第二十七番の圓教寺は、
このロープウェイに乗らねば行けません。
毎時00・15・30・45分の発で、
乗車時間3分50秒、
全長781m、高低差211m。
大人往復1200円。
山麓駅から、
ロープウェイに乗った途端、
いきなりの大雨。
横殴りの雨が窓に当たります。
下りのロープウェイとすれ違い、
トラス型の高さ25メートルの、
支柱を越えます。
山上駅に到着しました。
ロープウェイ山上駅を出ると、
雨はすっかり止んでいました。
今回も観音力を感じずにはいられません。
さて、圓教寺の拝観志納金は、
大人500円ですが、
特別志納金を+500円を納めると、
本堂である摩尼殿までの、
約1km徒歩で15~20分の道のりを、
往復マイクロバスに乗車出来ます。
でも、これ運行管理者として見れば、
法的にかなりグレーゾーン。
でも乗ってしまいましょう。
物凄い急で狭い坂道を進むバス。
あっという間に摩尼殿下に到着しました。
漆喰塀が囲うのは、
圓教寺本坊事務所。
寺務所ではないんだね。
散策絵図を見ると、
さすがは西の比叡山とも呼ばれています。
かなり広い境内であることが分かります。
コチラは康保三年(966)に性空により、
創建されたと伝えられています。
元々、素盞嗚命が山頂に降り立ち、
一宿したという故事により、
素盞ノ杣と呼ばれ、
性空入山以前に祠が祀られていたそうです。
山号の「書寫」は、
「素盞」からともいわれていますが、
釈迦如来によって、
一握の土で作られたという霊鷲山を、
書き写したように似ているから。
という説もあります。
こちらにも西国三十三の観音様を模した、
三十三所堂がありました。
さて、重要文化財の、
摩尼殿(旧・如意輪堂)に続く、
石段を上ります。
摩尼殿の号は、
承安四年(1174)に参詣した、
後白河法皇による命名だそうです。
入母屋造、本瓦葺。懸造。
大正十年(1921)に焼失し、
昭和八年(1933)と近代の再建ですが、
平成十一年(1999)、
国の登録有形文化財、
平成二十七年(2015)、
姫路市指定文化財、
平成二十九年(2017)、
兵庫県指定有形文化財を経て、
令和六年(2024)、
重要文化財に指定されました。
納経所は摩尼殿内。
摩尼殿の回廊から下を眺めると、
かなり足がすくみます。
この扁額は令和の改元にあたり、
改めてあげられたもので、
揮毫は百四十世の、
長吏によるものなんだとか。
内陣の大厨子は五間に分かれ、
中央に石本暁海作の、
六臂如意輪観音像を安置。
分割された厨子の奥の部屋に、
秘仏の桜の一木造の、
如意輪観音坐像を祀ります。
その桜は性空上人感得の、
桜樹と同木の霊木とか。
ロープウェイ山上駅は東谷、
摩尼殿は中谷にありますが、
摩尼殿の裏手から西谷へ向かいます。
大仏は青銅造毘盧遮那仏。
大杉は、幹周約8. 4m、
樹高約35m、樹齢約700年。
西谷にたどり着くと、
築地塀で囲まれた、
本多家廟所があります。
姫路城主三人を含む本多家の墓所で、
大講堂東側にあり、
五棟の宝形造(方形造) 、
本瓦葺、方二間の堂が建ち、
それぞれ本多忠勝、忠政、政朝、
政長、忠国の墓碑である、
五輪塔を安置しています、
忠勝の廟堂の西隣にある、
二基の五輪塔は、
千姫の婿・本多忠刻と、
その子の幸千代の墓です。
忠刻の塔の後ろには、
忠刻に殉死した宮本武蔵の養子、
宮本三木之助や岩原牛之助、
三木之助に殉死した、
宮田角兵衛の墓があります。
政朝の廟堂内には、政朝に殉死した、
大谷三兵衛政明の墓もあります。
この廟所は日曜・祝日のみ、
開門するようです、
本多家以前、この場所には、
元徳三年・元弘元年(1331)の焼失まで、
五重塔が建っていたそうです。
西谷の中央には、
三之堂と呼ばれる、
三棟があります。
右(北)に大講堂、
正面(西)に食堂、
左(南)に常行堂と、
三棟がコの字形に並びます。
いずれも重要文化財に指定されています。
大講堂は入母屋造本瓦葺。
下層は永享十二年(1440)、
上層は寛正三年(1462)の建造。
内陣にはいずれも重要文化財の、
釈迦如来と文殊・普賢菩薩の両脇侍、
四天王像を安置しています。
常行堂は常行三昧堂ともいい、
大講堂に向き合う位置に建っています。
切妻造の吹き放しの建物が接続する、
特異な形式の建物。
元弘年間(1331-1334)の建立で、
永享八年(1436)焼失し、
享徳二年(1453)の再建。
本尊・木造阿弥陀如来坐像も、
重要文化財で檜の寄木造。
性空の弟子・安鎮により、
寛弘二年(1005)頃の造立。
常行堂が再建された時に本尊となります。
食堂も重要文化財で長堂ともいい、
古くは三宝院と称されていました。
二階の屋根は隣の常行堂の屋根に、
接しています。
承安四年(1174)、
後白河法皇の勅願により建立され、
当初は教興坊と称しました。
暦応元年(1338)に再建、
貞和四年(1348)落慶だそうですが、
現在の建物は室町時代中期頃のものと、
推定されています。
食堂二階は宝物館となっており、
食堂の本尊となる僧形文殊菩薩像の他、
寺内の諸堂にあった仏像や絵画等、
寺宝が多数展示されています。
食堂二階から望む、
常行堂、大講堂も美しいです。
鐘楼も重要文化財で入母屋造本瓦葺。
元徳三年・元弘元年(1331)に焼失。
元徳四年・元弘二年(1332)に再建 。
鐘楼り近くの石垣の上には、
榊原家廟所があります。
榊原氏は前後二回にわたり、
姫路藩主となりますが、
榊原政房と政祐の墓塔がここにあります。
この廟所は榊原政岑により、
建立されましたが、
政岑は越後国高田藩へ転封の為、
墓はありません。
奥之院、開山堂方面は、
残念ながら時間がなく、
その方向に一礼にするのみで離れました。
開山堂も重要文化財で、
性空が没した寛弘四年(1007)、
性空の高弟・延照の創建。
現在の堂は寛文十一年(1671)の再建。
本尊・木造性空坐像も重要文化財。
弘安九年(1286)に焼失しますが、
正応元年(1288)に慶快が再製作。
旧像像内にあった瑠璃壺に納められた、
性空の遺骨が焼け残ったので、
新像にあらためて納入されたそうです。
帰り道は摩尼殿下の参道で、
バス停まで戻りました。
バスの時刻まで時間があったもので、
放生池で30円の鯉の餌を買い与えました。
無事、復路のバスに乗り、
山上駅に到着しました。
山上駅展望台の景色が絶景。
ロープウェイで下界に戻ります。
ロープウェイから見える、
姫路の街並みがとても美しい。
でも姫路城に陰になって見えません。
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