「鮨さいとう」で学んだ美しい所作から生まれる至高の一貫

本田:すでに経験があったけど、「さいとう」でいきなり握らせてはもらえなかった。

沼尾:1年間は魚を触らなかったですね。おしぼりや茶巾を畳んだり、掃除したりしていました。

本田:握れるのにあえて言わなかった。

沼尾:いつか自分の行動で示してやろうと、余計なことは言わないようにしていました。親方はできると思ってなかったんです。最初に握ったのが京都出張のときです。そのとき手が足りなくて、俊さん(橋場俊治氏、「鮨しゅんじ」店主)に「誰か握れないのか」と言われたので、「握れます」と言いました。実際握ってみると、親方から「お前、握れるんだ。いいじゃん」みたいに言われて、そこから握るようになりました。「チャンスはいつ来るかわからない。そこをつかみ取るか、つかみ取らないかで人生は変わる」と親方に言われました。日頃からできる構えをしていたので、チャンスを生かせた。親方の言うとおりだなと思いました。

本田:トップ料理人になっている人は、皆、同じことを言うよね。いざ、やれと言われたときにちゃんと結果を出す。

沼尾:きっかけは些細なことでしたが、そこから一気に上に行くことになりました。

本田:その時点で「さいとう」にいる他の人たちとはレベルが違ったわけだよね。どれくらいで仕込みを任せてもらえるようになるの?

沼尾:その頃は俊さんが基本的に仕込み全部を見ていて、お前でいいんじゃないのみたいな感じで、少しずつ任されるようになりました。「さいとう」のやり方は今まで学んできた店と違っていたので、修正しながらやらせてもらった感じです。ありがたいことに、俊さんにはすごく可愛がってもらいました。俊さんが独立することが急に決まって、その後、誰がやるのかとなったときに、お前やれという感じで、メインで仕込みをやるようになりました。流れよく、トントンと来たなと思っています。

本田:チャンスをつかむタイミングってあるよね。プロ野球選手と一緒。一軍をちょっとやってみようって言われて、一軍に行っても、そこで打てなかったら、また二軍に戻る。下手したら戦力外通告される。ところで握りを教えてもらったことはあるの?

沼尾:「久兵衛」のときも含めて一回もないです。見て覚えろと言われて、それが当たり前で育ってきました。

本田:「久兵衛」でも独自の握り方があった?

沼尾:「久兵衛」では、皆、それぞれ握り方が違うんです。だから、いいなと思う人がいたら、その握り方を盗んで自分の型を作るようにしました。

本田:そこから、今度は「さいとう」の握りになった。

沼尾:「さいとう」の握りは難しかったですね。所作を良くしないといけないので。

本田:ほぼ右手で決めなきゃいけない。しかも手数が少ない。

沼尾:俊さんや僕らと比べると、親方はずば抜けて手数が少ないです。あそこまで少なくするのは、ちょっと難しいですね。手数が多ければ、寿司の形が奇麗に見えるんです。手数をどれだけ少なくして、おいしく握るか、奇麗に見えるかというのが「さいとう」のスタイルだと思います。

本田:相当、親方を見てないとできないよね。でも、営業中、ずっと見ているわけにいかないでしょ。

沼尾:僕は、結構、親方が握るのをじっと見ていましたね。最初、カウンターに入ったときは、ぜんぜん余裕がなくて見られませんでした。でも、叱られても何を叱られたかがだんだんわかってくる。そうすると、次第に余裕が出てきて、お客様にドリンクやガリを出しながら、親方の所作を見ていました。

小肌。九州・佐賀県産のものを使用。ほどよく身が締まり、しっとりとした食感

本田:と言ってもさ、型がついちゃっていると、なかなか変えるのは難しくない? 例えば、シャリの量とかも違うでしょ。

沼尾:結構、シャリ玉を作るのは大変でした。玉を作るとき、空気を入れるのが「さいとう」のスタイル。これが難しい。とにかく場数をこなそうと、余ったシャリをもらって練習しました。カウンターにデビューして握るとき、親方に「うちのシャリは結構ほどけるから、最初はしっかり握って玉を作れ」と言われました。僕のレベルでふわっとしたシャリを作ろうとすると、ほどけて握りにならない。そのうちだんだんわかってくるからと言われたんです。実際、握っていると、これぐらいがいいというのがわかってくるんですね。自分も今は、空気を入れて、握っています。でも、最初は加減がわからない。そんな余裕はないですから。

本田:次第に奇麗に握ることがわかってくる。最初から先輩たちと同じレベルでなくてもいいということだね。あと「さいとう」は所作が奇麗だよね。

沼尾:親方の所作を、俊さんも僕も皆、真似しています。

中トロ。大間・奥戸(おこっぺ)産、一本釣りされたマグロ。赤身、中トロ、大トロの順で供される

本田:所作もさ、やっぱ人によって違うじゃん、たまにすごく奇麗な人がいるけど、雑な人もいる。性格なのか、意識してないのかわかんないけど。所作は意識している?

沼尾:僕はめちゃくちゃ意識しています。指を広げて握る職人もいますが、「さいとう」ではあれはよくないと言われました。僕にもそんな癖があって、輪ゴムで指をくっつけて広がらないようにして癖を直しました。親方の所作は指が広がらなくて、お客様から奇麗に見えるんです。

本田:どうやって所作を研究したの? 録画したりして?

沼尾:後輩に録画してもらい、それを家で見ました。それを見ながら、ああ、まだちょっと指が開いているなとか確認するんです。あと、僕の小手返しも良くない。そういうのも直しました。親方の小手返しは派手なんです。飛んでいますから。飛んで、右手でキャッチしている。それで決まるんです。皆さん、当たり前のように見ているかもしれませんが、あの技術は本当にすごい。ただ、親方とまったく同じにはできないんです。僕の方が手が大きいので。それで、動画を見ながら奇麗に見えるように自分の形を工夫しました。

本田:昔は所作や握り方が奇麗とか求められてなかったよね。今はそれが変わってきた。

沼尾:その変化の始まりは親方世代だと思いますね。

本田:何で変わってきたんだろう。

沼尾:完全おまかせになってからじゃないですか。注文が完全おまかせになって、食べはじめる時間も一緒で、一斉にコースが始まる。そうなると職人の握り方って注目されると思うんです。そこから所作を奇麗にすることが大事となってくる。昔は、お客様の食べる時間もバラバラで、目の前にネタケースがあって、好きなものを頼むスタイルだった。そのときは、皆、握る所作を気にしなかった。

本田:ネタケースがあるから、手元もあんまり見えない。

沼尾:完全おまかせになって、ネタケースがない時代が来ると、職人の所作が丸見えなんです。

本田:りゅうすけは、修業を始めたときから所作を奇麗にしようと思ってたの?

沼尾:最初は、所作を奇麗にしようとは考えなかったですね。「さいとう」に入ってからです。「すし大」も「久兵衛」もお客様が食べる時間はバラバラで、ネタケースがあるスタイルです。所作を奇麗にするより、どれだけ早く奇麗にどれだけ早くお客様に提供するかという方が大事。回転も重視されました。「さいとう」のような店では、そんな考えはないじゃないですか。一晩、2回転しかしない。だから「さいとう」に入って、意識が変わりました。