本田直之グルメ密談―新時代のシェフたちが語る美食の未来図

食べロググルメ著名人として活躍し、グルメ情報に精通している本田直之さんが注目している「若手シェフ」にインタビューする新連載。本田さん自身が店へ赴き、若手シェフの思いや展望を掘り下げていく。連載12回目は中目黒にある「鮨さいとう はなれ NANZUKA」店主、沼尾りゅうすけさん。沼尾さんは高校卒業後すぐに「銀座久兵衛」に入り、6年間修業。その後「鮨さいとう」に入り、齋藤孝司氏に師事し、4年後には2番手として個室カウンターにデビューした実力の持ち主。「さいとう」ならではの美しい所作を身につけ、次世代を担うと期待される寿司職人の未来の展望とは?

もっとうまくなりたい! 無我夢中で走り抜けた20代の寿司修業

左:沼尾りゅうすけさん、右:本田直之さん

本田:よろしくお願いします。いくつになったの。

沼尾:もう30歳になりました。

本田:宇都宮の調理師学校を出たんだっけ。

沼尾:調理科のある高校に進学しました。3年間通うと、卒業と同時に調理師免許がもらえるという学校です。

本田:もともと料理人になりたかった。

沼尾:親の影響もあって、とりあえず手に職をつける仕事だったら、年を取ってもできるかなと思って進学しました。当時は、特に好きではなかったですけど、他にやりたいこともなくて、始めたって感じですね。

本田:実家は割烹?

沼尾:宇都宮で割烹をやっています。

本田:将来はその店を継ぐの?

沼尾:帰るつもりはないです。

本田:高校で料理を勉強した。高校からのスタートは早い方だよね。

沼尾:高校を卒業して18歳のとき、東京に来て「銀座久兵衛(以下、久兵衛)」に入って、寮に住み込んで働きました。寮には4年ほどいて、その後、一人暮らしをして結局「久兵衛」には丸6年いました。

本田:「久兵衛」で仕事する良さは、大量にやらせてもらえることというのをよく聞く。イベントとかあると、大量に握らせてくれるじゃない。それがすごく良かったと。りゅうすけもそうだった。

沼尾:宴会とかにめちゃくちゃ行かされましたね。切り付けとかとんでもない量をやらされました。でも、そういう場数を踏ませてもらえる環境は、本当にありがたかったです。手際や段取りが良くなりますから。「鮨さいとう(以下、さいとう)」のような個人店が最初でもいいと思うんです。でも、仕事はできても場数がこなせない。臨機応変という感覚が身につかないと思います。

本田:いいトレーニングになっていたんじゃないの。

沼尾:お金のもらえる専門学校みたいな感じです。今は「さいとう」でも麻布台ヒルズの店などで若手が交替で握っている店があります。そういう面では「さいとう」も変わりつつあると思います。

本田:修業した店が、例えば個人店で8席しかなかったら、せいぜい16人分とか範囲が限られる。「久兵衛」のイベントだと、とんでもない数でしょ。100人前とか?

沼尾:だいたい120人前握ります。昔は200人前を職人1人でやったそうです。すごい量のシャリを切るからシャリ切りの勉強になったし、だし巻きも1日15本とか作っていました。「さいとう」に移ってきたときは、特に対面での接客で苦労しました。日本酒やワインの知識とかなかったので大変でした。

本田:接客やお酒の知識は仕事しながらでも覚えられるじゃん。でも、技術は、家で練習したとしても急にはうまくならないでしょ。どうやってうまくなった?

沼尾:早くうまくなりたくて、本当は駄目なんですけど、休みの日も他店でアルバイトしていました。僕が一番お世話になったのが勝鬨橋のところにある「すし大」。あそこの仕込みも「久兵衛」の比じゃないぐらいやりました。赤貝200個、鯵50本とか。カウンターにも立たせてもらって、休み全部をそこのアルバイトに使っていましたね。働き過ぎて、営業中にお客様の前で倒れたこともあるほどです。今はもう絶対無理ですね。でも、そのときはまだ20代でしたから。

本田:「さいとう」に行こうと思ったのは何で?

沼尾:「久兵衛」を辞めて、どうしようかなと思っていたとき、実家と縁がある陶器会社の社長さんが、「さいとう」が人を欲しがっているよと教えてくれたんです。それで、面接を受けることになりました。親方(「さいとう」店主、齋藤孝司氏、以下、親方)と面接したら「来週から来られる?」と尋ねられて「行きます」と答えて、そこから始まりました。