【#61思考法について】事実と感情を切り分けて考えること(セパレートシンキング)
心の中で・・・「起立、礼、着席」
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
それでは今日も短時間で解説をはじめますよ~
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さて、今回は「セパレートシンキング」についてお話ししようと思います。
ちなみに、この「セパレートシンキング」という言葉は、私が今造りました(笑)
故に、広辞苑にも心理学辞典にも載っていない、完全にオリジナルの考えですので、そのあたりはご理解ください(筆者の考え方の一つくらいに思って頂ければと思います)。
早速ですが、皆さんは物事をどうやって受け取っているでしょうか?
少し例を挙げてみましょう。
↓↓↓
例)新入社員のAさん
・AさんはB商事という会社に4月から入社しました。営業部に配属され、様々な先輩や上司がいます。控え目ですが真面目で、コツコツと積み上げていくタイプのAさんは頑張ろうと決意を固めていました。
・その中にZという上司がいました。Zは体育会系のノリが強く、良くも悪くも豪快で、伝え方に時折トゲがあります。
・4月中旬。研修も終わり、はじめての営業にいってきたAさんですが、あまりうまくいかず、相手から良い返事が返ってきませんでした。そこからZが色々と「アドバイス」をしてくるようになります。
・「おいA、お前のやり方だと回りくどくて、相手に伝わらないとこがあるんだよ。もっとはっきり具体的に話すようにしろよ。俺のやり方最初ついてきたとき教えたろ?それだよそれ。」と最初はこんな感じでしたが、次第に・・・
・「またかA!こないだも同じこと言ったよな?何回繰り返せば気がすむんだ。俺ならお前くらいの年でもさばいてたし、若いころでももっとこっぴどく怒鳴られてたぞ。ったく、自分で何がいけなかったか考えろ。まあ俺はもうお前のダメなところわかってるけどな。答え合わせできるか楽しみだわ~」と言われるようになってしまいました。
・・・はい。事例は以上です。さて皆さん。Aさんになった気持ちで考えてみてください。
いや~こんな偉そうなZはブラジルまでぶっ飛ばしたいですよね。埋めまくって地球の反対側まで送り届けるでも良いですけど(笑)

STOP!!!
ここで、今私が言ったように「ぶっ飛ばしたいな~。ムカつく上司だな」と思ったそこのあなた。あなたは感情脳タイプです。
・・・いきなりなんのこっちゃと思いますよね。説明いたします。
感情脳とは、正確に言えば感情を司る大脳辺縁系のことを指しますが、ここでは日本人が独自に発展させた文化の中において発達したものと捉えてください。
皆さんは「虫の声」という言葉を一度は聞いたことがるでしょう。
これって実は日本人独自の感性なんです。欧米の方は「虫の音」になってしまい、そこに季節感や情緒感を持つことなく認識しているのです。
虫は別に声を出しているわけではないのですが、そこに人間らしさを投影して、感情があるかのように捉える。これが正に日本人が文化の中で深めていった脳の感性なのです。
これを私は感情脳と呼んでいますが。とかく、日本人は共感力が他の人種より高いという研究データがあるとのことで、良くも悪くも、人は色々な物事に感情をセットにして考えることが出来るんです。
ですが、この感情脳は時にストレスを引きこんできます。
それが正に先ほどの事例、新入社員Aさんの話です。Zの振る舞いを読んで、皆さんも腹が立ったと思います。
日本人は感性が豊かな人が多いので、感情移入したり投影をして気持ちから動く場合が多いです。これはごく自然なことです。
しかし、このZの発言を「①事実」と「②感情」で分けて考えてみましょう。
①事実
・Aさんの営業の仕方についての指導
・Zが若かったころを引き合いに出し、比較している
・ちゃっかりマウントを入れている
②感情
・上から目線の言い方で突き放している
・自分はできるということを棚に上げてAさんのことを保護してない
・典型的なムカつくじじい
まあこんなところでしょうか。あくまで一例です(笑)
こんな感じで、Zの説教という出来事はこのように事実と感情に分けることが出来ました。
そして、我々日本人はつい、②感情から入ってしまうので、「うわ~Aさん、大変な上司を持って可哀そう。自分なら反抗してぶっ飛ばしてやるのに」などと思ってしまいがちです。

で・す・が!
①事実から受け取ってみてください。そして、②感情は一旦置いておいてください。
そうすると、ただの中年のおっさんがマウントを取って、新人いびりをすることでストレスを発散しているような構造が見えてくるはずです。
Aさんはここに巻き込まれようとしていますが、②感情をセットに考えてしまうと、まんまと巻き込まれてしまいます。
①事実だけ考えればいいんです。
「Zの説教=情けない中年のおっさんの音声」でしかないんです。②感情を含めれば、Aさんを攻撃するようなことを言ってますが、そこを受け取らなければ単なる音声情報でしかないのですから。
気にする必要はありません。
とまあ、例を含めてだいぶ前置きが長くなってしまいましたが、セパレートシンキングとはこういうことです。
「出来事・状況」=「事実」+「感情」
おおよそこれで成り立っています。出来事が起きた時に、日本人は感情から入っていきやすいのですが、そうではなく、事実と感情に分解して、そこから考えましょう。
という考え方がセパレートシンキングです。

合理的な考えが出来る人、欧米の文化圏の人は、出来事が起きたとしてもまず事実から考えて、そこから何が必要なのかを考える場合が多いです。これもある意味セパレートシンキングですね。
日本人は感性が豊かであるがゆえに、事実だけでなく感情も察知して一緒に考えることが出来てしまうんですよね。
それはとっても素晴らしい事なんですが、ずっとそのモードだと疲れてしまいます。相手に共感しっぱなしになることと同義ですからね。
だからこそ、「疲れやすいな~。イライラしやすいな~」とお感じになっている方にこそ、セパレートシンキングはおすすめです。
出来事や嫌な人の術中にはまってませんか?感情に巻き込まれてませんか?
今まで何度も人の認知について記事で取り上げてきましたが、今回の感情脳は本当に日本人になじみ深すぎるので、はじめはセパレートシンキングが難しいかもしれません。
そんな簡単に分けられないし、ある意味冷たく映るかも知れません。だって感情を一旦考慮に入れないのですから。
ですが、セパレートシンキングが上手くなると、対人ストレスは劇的に減ります。
なぜなら、①事実だけ受け取って、それだけ分析して、それだけ対応すればよいのですから。
②感情も含めたら、もうそれだけで2倍の労力です。というか、感情は抽象的で不定量てきなものなので、厳密に2倍どころか3倍も10倍も労力が膨らむかもしれません。
なので、まず皆さん。①事実を切り取る。セパレートする意識をしてみましょう。
これは言い換えるならば、「本質を見抜く力」になってきます。
合理的な人って、本質を常について話してきたリ物事を進めていきますよね。
それってセパレートシンキングできてるからなんです。事実と感情をしっかりと分けられれば、感情に左右されず、事実のみを拾うことが出来ます。
これが本質にたどり着くことなんです。

私も、駆け出しのころは「熱血」と評価されてました。それってポジティブに言えば前向きで気持ちの熱い人という意味なんですが、悪く言えば感情脳むき出しな人という意味でした(笑)
別に今でも熱血を否定しているわけではありませんが、少し冷静になって出来事を事実と感情にセパレートして考えられるようになると、周りからはクールに映ります。
そして、心のエネルギーの摩耗も低減することが出来るのです。
ここまで話しておいて逆のことを言いますが、感情が豊かなことは今後ますます強みになります。
だってAIが社会にどんどん進出してくるのですから。AIはまだ感情を理解してません。
というかAIに複雑な人間の感情を理解することは多分1000年くらいできないと思います(笑)
だから、感情と理解することが出来る力はとっても大切なのですが、、
それが全てだと生きにくい現代社会であるということも同時に理解しておくといいでしょう。
社会を生き抜くには、上手く冷静になって駆け引きすることが大切です。そのスキルのうちの一つが今回のセパレートシンキングだと思って頂ければ幸いです。
もちろん、まだまだ色々なスキルはあるので今後も皆さんに紹介していければと思います!
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それでは今回はここまで!
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【#60社会について】マジョリティとマイノリティとは何か
心の中で・・・「起立、礼、着席」
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
それでは今日も短時間で解説をはじめますよ~
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さて、今回は「マジョリティ・マイノリティ」についてお話していきたいと思います。
皆さんもどこかで一度は聞いたことがあるでしょう。
そもそも「マジョリティ」・「マイノリティ」とは何でしょうか?
①:マジョリティ(majority)
日本語に訳すといわゆる「多数派」になります。英単語を見てもらえば一目瞭然ですが、、
「大多数」という意味を持つ「major」が語源です。日本語でも、「この服のブランドはメジャーだよ」とかいう風に使われますよね。
②:マイノリティ(minority)
こちらは日本語に訳すと「少数派」になります。「minor」が語源です。
日本語でも、「その曲はマイナーだね」などと言ったりしますね。

以上のようにマジョリティとマイノリティは一応定義づけられています。
簡単に言うと、その人が属すグループが多数派なのか少数派なのかということです。
では最近、何故この言葉が取り上げられるようになってのでしょうか?
それは(私個人の考えですが)、スマホ・PCの普及によって、様々な人がメディアを駆使することができるようになり、発信活動が一気に増えたからだと思っています。
情報革命前の20世紀まで、つまりほんの最近まで、なかなか自分のことをオープンに発信することが出来ませんでした。それが当たり前でした。
だって、そのような機械も機会もないのですから(笑)
出来る人が限られていたのです。
しかし、SNSなどのメディア媒体が発達・普及し、一般の人が手にすると状況が変わりました。みんながみんな、気持ちを呟くようになったり、旅行先の写真をアップするようになったり、対面せずともコミュニケーションを取れるようになりました。
それこそ、機械があれば誰でも機会を享受できるようになったのです。
この話、マジョリティとマイノリティが隠されています。
そうです。20世紀くらいまでは、情報発信が難しいことがマジョリティでした。ですが、情報革命により21世紀。誰でもメディアに触れることが出来るようになったので、一気に情報発信可能者がマジョリティになったのです。
このように、文明の発達や社会の構造が変化することによって、コインの裏表のようにマイノリティとマジョリティは変化するのです。

話を戻しますが、今までマイノリティだった人達が、情報革命を受けて、メディアを駆使するようになりました。そうなると、一気に色々なことが情報としてアップされるようになりました。
これをそのままひとくくりにすれば、先ほど言った情報革命による、情報発信のマジョリティ化と言えますが・・・
人間そんなに単純ではありません。人間を細部に見ていけば、様々なマイノリティがあります。
私は不安障害です。WHOにおける統計だと、日本では不安障害を抱えている人は約1000万人いるそうです。
ということは、だいたい全人口の9%くらいですね。
これをマジョリティとみなすのか、マイノリティとみなすのか。この認知の差が問題になっている気がします。
つまり、多いと捉えるのか・少ないと捉えるのかです。
私はこの数を見て、「え!不安障害の人ってこんなにいるんだ!」と思いました。マジョリティと思ったのです。
ですが、不安障害に縁のない人は、「人口の9%でしょ?全然少ないじゃん(マイナーじゃん)」と思うかもしれません。
当事者か第三者かという立場の違いだけでも、感じ方が違うのです。
この気持ちや状況をSNSなどにアップしたとします。共感してくれる人が多ければマジョリティで、共感を得られないとマイノリティになってしまっているように感じます。
本当にそうでしょうか?

ここまで話しておいてなんですが、マジョリティとマイノリティに絶対的な定義は存在しません。
「10%を切ったらマイノリティになります。」など、一概に言えないのです。
ここが難しい所です。
その人にとってのマジョリティは、違う人に取ったらマイノリティになることはよくあることです。
例えば、Aさんにとって韓流アイドルグループはメジャーなので、Bさんにその良さを知ってもらおうと話しても、Bさんは別に興味がないので、マイナーに捉えられてしまっているなどです。
この定義の曖昧さが論争を生み出してきましたし、差別を助長してしまうこともありました。いいえ、未だに根深くあります。
もしあなたが、非常に症例の少ない難病にかかった時(マイノリティに属した時)、どう思いますか?周りからはどう思われるでしょう?
この時代、それはもう発信者の思いと内容で変わってしまうように感じます。
自分がマイノリティであることを受け入れ、オープンにして過ごされる方もいれば、なかなかそれが出来ず、コンプレックスに抱えて黙っている人もいます。
マイノリティはマジョリティに弾かれてしまうと思うからです。
冒頭でも述べましたが、情報革命前までは確かにそうだったかもしれません。
ですが、今はこうしたマイノリティの方が、勇気を出して自分の現状を正直に公表することが増えました。
マイノリティのマジョリティシフトではないのですが、マイノリティのことを理解して貰おうという活動が増えてきています。
それはとても良いことのように私は思います。
なぜなら、マジョリティとマイノリティは根本的に言えば、全くもって意味のない分類ですから。
だって、絶対的な定義がないものですもん。人間のイメージが生んだ単なるグループ分けです。そこに善も悪もありません。
日本では野球が国民的スポーツですが、野球が嫌いではいけないのですか?非国民ですか?そんなことありませんよね。
多様な文化・人種・社会・芸能・病気・生活・経済を受け入れることが出来ていれば、マジョリティとマイノリティなどという尺度に振り回されなくなると思います。

厳密に言えば、人の思考として、どうしてもマジョリティとマイノリティという意識が生まれてしまうのは当然です。
前回話したスキーマはまさにこれです。
効率的に脳の思考活動を行うためにシステムが組まれているので、そう認知してしまいがちです。
ですが、マジョリティだから正義・マイノリティは悪ということは絶対にありません。
マジョリティがマイノリティを理解し、互いに尊重しあえば、それは「個性」という言葉ですむのですから。
わざわざグルーピングする意味がありません。
だってそもそも人間は一人一人違うのですから(笑)
久しぶりに長々とコラムっぽいことを書いてしまいましたが・・・
私が思うマジョリティとマイノリティはこんな感じです。
皆さんはこの問題についてどう思いますか?道徳の時間っぽいですが、当然答えがないことなのでどうお感じになっても大丈夫です。
重要なことは、①マイノリティのことを理解すること。②マジョリティにならなくてはならないと思わなくていいこと。③マイノリティはその人の大切な個性であること。
これだと思います。
もっと深い話をだせば、語りつくせないほどの議論があるマジョリティとマイノリティですが、今回は概論ということで、ここまでにしておきましょう・・・。
これから、さらなるメディアの進化によって、マジョリティとマイノリティも変わっていく事でしょう。
固定観念にとらわれることなく、その行く末を見れる人になりたいですね。
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【#59自動思考について】”スキーマ”とはなんだろう?
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
それでは今日も短時間で解説をはじめますよ~
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さて、今回は「スキーマ」についてお話してみたいと思います。
なんかすき間みたいな名前していますよね(笑)
私も学生時代この名前に笑ってしまいましたが、実はとても大切なワードだったんです!
そもそもスキーマとは英語読みで、ドイツ語・フランス語では「シェマ」と言います。
つづりは「schema」です。
また、スキーマは何も心理学だけの用語ではありません。哲学などでも使われる幅広い概念です。もともと図 や計画のことを指す言葉でした。
他領域のことを語ると長くなってしまうので、心理学におけるスキーマだけ今回は解説していきますが・・・
「心理的な描写(心象、概念)」のことを指します。
具体的に言うと、人が経験の積み重ねによって獲得していく、外(環境)からくる情報を理解するための枠組みのことをいいます。
・・・少しわかりにくいので、例を挙げていくと、
「日本が発祥で、生のお魚を握った酢飯の上に乗せて出される料理」と言われれば、皆さん正解は「お寿司」だと分かるはずです。
スキーマという枠組みが働いたからこそ、得られた情報を整理して連想していき、推測することができるのです。

このようにスキーマは、我々が日常生活のさまざまな物事・事象を捉える枠組みとして役立っているのです。
しかし、スキーマには良い点と良くない点が混在しています。
~良い点~ 過去の経験や知識から初めてのことを推測できる
新規場面などでは何もかもが初めてなので、どこに関連があるかなど一切のことがまっさらになりがちですが、
ある程度情報に一定の意味を持たせ、ひとまとまりのスキーマとして理解することで、新規場面でも過去の経験から推測してある程度理解することができます。
例)新学期のクラス替え発表後、どの教室に行って、始業式までどのようにして過ごしていればいいのか、学年が上がるごとに慣れてくる。
~良くない点~ ①固定観念や思い込みにつながる(偏見を助長する)
スキーマは効率的に思考をサポートしてくれるので、ある程度合理的な判断を可能にしますが、固定観念(ステレオタイプ)や思い込み(偏見)、さらにいきすぎると差別や偏見につながる恐れもあります。
例)日本人は全員穏やかで礼儀正しく、外国人はみんな大雑把でマナーが悪い
②過去の経験によってはネガティブに偏ってしまう
①で述べたように、スキーマは本来、効率的な思考・理解形成をサポートするものです。しかし、過去の経験によっては、大人になってから生きづらさにつながってしまう場合があります。
例えば、いじめや虐待を受けてきた児童が「人間は信用できない・大人は誰も助けてくれない」とスキーマを持つことは、自身の身を守るために必要なので、ある意味適応的といえます。
しかし、大人になって安心な状況になってからも、この考えが続いていれば、周囲の人と親密な関係を築きにくくなり、生きにくさを抱えたまま生きることになります。

以上のように、スキーマというシステムによって、人の思考は効率化され、素早い判断や理解が出来、行動に反映させることができるのです。
が、優秀なシステムがあるがゆえに、その分のデメリットもあるということを覚えておいてください。
ここで、前回までの「信念」に組み合わせて考えていきたいと思います。
実は、信念はある意味で「スキーマ」とも言えます。
ここまで読んでいただいたら、ピンときている方もいるかもしれませんが、、
スキーマは過去の経験を蓄積して、次の判断材料のために生かされます。
それがポジティブなイベントだろうが、ネガティブなイベントだろうが、
①経験を記憶から引っ張り出してきて、
②現状に照らし合わせ、
③どう理解して、
④これから自分が起こすアクションに繋げていくかを人は繰り返していくのです。
スキーマに信念が組み合わさると、①~④の一連に変化が生じます。信念というゆるぎない価値観によって、柔軟に②と③が行えないことがあるのです。
こうなると、周囲との適合が難しくなってしまう場合があります。
という意味も含めて、信念は大切にしなくてはならないのですが、最重要にはしなくていいということを補足します。
だいぶ小難しい話をしてしまいましたが、まとめると、スキーマは人が物事を効率的に理解するための枠組み(脳内システム)と覚えて頂ければOKです。
このシステム、実は自律して働くこともあり、それを「自動思考」と呼んでいます。
自動思考とは、ある状況において瞬間的に浮かぶ考えや自分の癖のことをいいます。この自動思考はスキーマの影響を大きく受けるのです。
例えば、職場の先輩からめちゃくちゃ叱られて、さらにミスが重なり、余計にびくびくしてまた怒られるというループにはまってしまった人は、
「自分がミスしたから怒られてるんだ」から、「自分が無能だからミスするんだ。怒られて当然なんだ」となり、「またどうせ怒られるんだろうな。自分ってなんて愚かなんだろう」という思考になってしまうのです。
激しい叱責という経験から、スキーマが学習してしまい、同じような状況の時に枠組みが作動して、ネガティブなことしか浮かばなくなるようになってしまうのです。
自動思考はわざわざ考えなくても、自然に浮かんでくるものなので、いちいちカロリーを消費せずに考えてくれる、これまた優秀な脳内システムなのですが、、
全自動だからこそ、ネガティブなことにスイッチしてしまうと、ネガティブなことも延々とループして考えすぎてしまうのです。

いやぁ~人間の脳は高性能だからこそ面倒くさいですね(笑)
ですが、この構造と高性能ゆえのデメリットを知った皆さんはそれだけでも、ガチガチのスキーマに捉われることなく過ごせます。
スキーマは柔軟に適度に持つことが一番です(スキーマを常に疑うこと)。
新しい事のオンパレードである新年度・新学期は、特にスキーマや自動思考が暴走しやすい時期です。
でもそれは仕方ないことです。だって、高性能な脳が勝手にやってるんですから(笑)
大事なのは、それを客観的に見ることです。
「あ、私今こういう状況だな。」と一度振り返れば、「あ、こうやって思ってたけど、実はこれってこういうことなのかな?」と思いなおせるはずです。
良い経験が良いスキーマを生む可能性は高いですが、100%ではありません。
悪い経験をしたからこそ、次の成功・良いスキーマに繋がることだって沢山あります。
トライ&エラーで新年度を乗り切っていきましょう!
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【#58信念について】人生は「信念を探究しつづけること」である
心の中で・・・「起立、礼、着席」
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
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いよいよ、新年度が始まりましたね!
進級・新入学・新社会人・仕事始め・・・
皆さん本当におめでとうございます!
こうして、新しい門出に立ち、まだ経験した事の無い未来に挑戦していく。
4月という季節は、そんな厳しくも温かな月だなと感じるこの頃です。

新しいことを始めることは、とても大変なことです。
ストレス階層表にもありますが、新年度の生活が始まることは、期待が膨らみ一見ポジティブに見えますが、不安も入り混じり、人の心には相応のストレスもかかるのです。
なので、新年度に入って心の不調をきたす人も多くいます。
それは当たり前ですし、全然OKです。
むしろ、新しい自分を発見するために必要なイベント(ストレス)なのですから。
さてさて、前置きが長くなりましたが、前回に引き続き信念についてお話をしていきたいと思いますが・・・
前置きの中にもすでに信念についてうっすら話をしてしまいましたね(笑)
そうです。新年度は人生にとっての節目。
よって、自分の信念が良くも悪くも変化していく時期でもあるのです。
新しい環境に飛び込むということは、今まで体験した事の無い物事に触れることです。
当然、自分の信念にはないことが沢山あるでしょう。そこに驚き、不安に思う方もいるかもしれません。
それは自然な反応です。自分とは違った価値観の人達が集まって、集団になるのですから。
新年度に入り、新たな集団に属する・環境が変化するということはそういうことです。
年度初めは調子よかったのに、段々と疲れてくる。こんなはずじゃなかったと思う方。沢山いるのではないでしょうか。
私もそのうちの一人です(笑)
理由は単純明快。日本人は人に合わせる文化なので、信念は持ちつつも表には出さず、自分の中で抱えて、適合していこうと奮闘するからです。

しかし、我慢というものはいつか限界がやってきます。抑圧も同じです。
どこかで発散したり、新しく考え方を上書きしないといけません。そうしないと心に疲労がたまっていく一方です。
でも、なかなか自分の考え方を上書きするのって難しいですよね~。
だから心理療法があるわけなのですが・・・。
それこそ、信念を書き換えることにほど近いからです。
前回の復習ですが、人にとって信念とは、価値観や判断基準の材料であり、その人が人生の中で信じる依り代のようなものです。
それを書き換えることはとてもむずかしいことです。
ですが、集団・社会の中でうまく生きていくということは、多少の変化は避けられません。
ということで、表題の「人生は信念を探究しつづけることである」に繋がります。

皆さん。信念は別に捨てなくてもいいし、絶対に上書きしなくてはならないものではありません。大切にするものです。
ですが、時と場合によって自分の信念を曲げなくてはならないことが、生きていれば必ず出てきます。
その時は疲れるし、嫌な気持ちになるかもしれません。ですが、それを乗り越えた自分をほめてあげてください。
乗り越えたら、必ず人は自分の信念に戻ってきます。
自分の信念に立ち戻った時に、どうだったのか自分を客観的に見ること。これがとても重要だと考えます。
信念を貫き通すことが最善なのであれば、初志貫徹。まっすぐに自分を進めていってください。
新たな価値観に出会い、信念をアップデートすることが最善な場合。それは「学習」と呼んでもいいでしょう。いいえ、「進化」かもしれません。
信念は一つとは限らないこともまた、人間の複雑な所ですが、それが良さでもあります。
信念を探究しもがき続けること。それこそが人生なのではないかと、ふと思うこの頃なのです。
価値観を転換すること。始めは大きな心的エネルギーを要するかもしれません。
しかし一度動き出したら、蒸気機関車のように動き始め、慣性の法則にしたがい、あなたの出したスピードがある程度の推進力になって、あなたを助けてくれます。
なので、諦めずに挑戦し続けましょう。何事も最初が肝心というのはそういうことなのかなと最近思います。
逃げることも大切です。あなたがどうしても譲れない信念を持っているからこそだと思います。
重要なのはそのあとです。自分はどんな人生を歩みたいのか、客観的に考えてみることです。
疲れている時は浮かばなかったことも、穏やかに落ち着いた時にふと見方が変わることはよくあります。
その中で、自分の信念と見比べて思い悩むこともあるでしょう。
その悩むという行為こそ、信念を探究している姿に他なりません。
人間にしかできない尊い思考活動ですから、自分を責めず、褒めたたえてあげてくださいね。
気がついたら乗り越えて、あっという間に3年過ぎていたなんてこともよくある話ですから。
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それでは今回はここまで!
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【#57信念について】”信じる”ってなんだろう?
心の中で・・・「起立、礼、着席」
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
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さて、今回は「信じる」とは何かをお話してみたいと思います。
皆さんは”信じること”って何だと思いますか?
考えてみると、なんだかよくわかりませんよね。
私達はこの信じることを「信念」と呼んだりしています。英語で「ビリーフ」と呼んだりしています。
ちなみに心理学における信念とは・・・
自分で信じると決めた物事ではなく、価値判断の基準としてこれまでの人生の中で生まれたもの(指針)のことを表します。
よって、人々は生きていく中で、①色々な価値観に出会い、②色々な刺激を受け、③それに自分を組み合わせ、④現状とすりあわせて形成していく。
このようなプロセスが出来ていきます。
このプロセスをたどった先に、「信念」が生まれるのです。

・・・小難しい話をしてしまいましたが、信じることというのは、、、
あなたが生きていく中で獲得した、あなたの考え方の中心となり得る骨組みというわけです。
情報にあふれる現代。どんな情報にも大抵アクセスして、取り込むことができます。それを取捨選択するのは、個人であり、受け取り方も千差万別です。
この千差万別を生み出すものこそ「信念」が各々違うからです。
逆に言えば、「信念」が同じもの同士は、受け取り方や考えること、行動の指針が同じになりやすいです。
これを上手く利用して人々を救おうとしたのが、「宗教」の始まりではないかと私は考えています。
信念をより大きく明確に具現化したものが宗教における「信仰対象」になるのではないでしょうか。
これ、というかこの構造、あらゆることに応用が利きます。(推し活をしているあなたなら共感してもらえるかもしれませんが)
例えば、あるアイドルグループがいるとします。ファンのみなさんは、そのグループやメンバーの活動に惹かれて、応援し信頼(信仰)します。
自分が大好きなグループやメンバーの行動・言動は肯定的に映り、周囲から見たら「推している」ように映るでしょう。
だからこそ、不祥事などがあると「信じていたのに裏切られた」と感じる人も出てくるのです。
しかし中には、熱狂的に信仰していて、どんなことがあっても揺るがない忠誠心・信用を傾け続ける人もいます。
「あの人はちょっと不倫してしまったけど、何も問題ないわ。」「ちょっと過激な配信だけど、私やみんなが満足しているからそれでいいの。少しの犠牲はつきものなのだから」みたいに、自分が信じているものを否定したくないがために、正義感が暴走することもあります。
これを妄信といったりします。
それが決して全てが悪ではありませんが、心理学的言えば、「認知に柔軟性がなく、一つのものに傾倒している。異常なほど執着している。」とみられるかもしれません。
また「誤った信念(イラショナルビリーフ)」と呼んだりもします。
上記の例えはアイドルの一例でしたが、宗教などより規模が大きいもの、壮大なものになると、より深くなるため、誤った信念を正すことが難しくなります。
なぜなら、信仰者はそれが自分の信念に沿っているので、ごく当たり前のもの。常識であると思っているからです。
仮に、世間からしたら”悪”でも、信念が肯定的なものであれば、その人にとっては完全に”善”として受け取っているので、良いものと信じて疑わないのです。
これを軌道修正、誤っていると自覚させるのは至難の業です。
認知行動療法は、まさにこれを治療していくプロセスなのですが・・・(笑)

あなたにも沢山の「信念」があります。私もそうです。
生きているうちに人は沢山の経験をして、その中で価値観や決定基準を心の中で設けます。それが信念です。
「あなたが大切にしているもの」と言い換えてもいいかもしれませんね。
ですがこれは全人類共通なものでは当然ありません。一人一人違って当たり前です。
みんなそれぞれ違う環境・違う時代・違う文化で育つのですから。
何がその人にとっての大切な信念なのかは、全く異なるのです。
その信念をあなたは受け入れることができますか?拒絶していますか?
それらも、ものや程度によって異なるでしょう。
それでいいんです。絶対に譲れない部分。分かり合えない価値観の人は必ずいますから。
信念が似ている人とは「波長が合って仲良くなりやすい」
信念が大きく異なる人とは「話の反りが合わない。苦手」
こんな感じでしょう。これでOKです。
ですが、決して相手の信念を馬鹿にしたり、貶めることはやってはいけません。
傷つけること以外の何物でもありません。
これを国家同士でやれば「戦争」に繋がるのです。
決して相手が受け入れられない信念を持っていたとしても、それは個性の一部だと認識して接しましょう。
「信念」と否定すること。これはすなわち、相手の心の全てを攻撃することに等しいので、宣戦布告に近い行為です。
あなたも大好きな趣味を馬鹿にされたら、ものすごく腹が立つでしょう。それと同じです。
ですから、「信念」は否定するものではなく、尊重するものです。例え相容れなくても。
もし、相手の信念を少しずつ変えたいのであれば、いきなりは絶対に出来ません。時間をかけて少しずつ、徐々にやっていく必要があります。
人は抵抗感を持ちながらも行動を変えるのには、時間を要するからです。
中には、病的(異常)に信念を振りまいて、周りを巻き込む人もいます。そういう場合は何かの診断名がつく場合があるので、精神科や心療内科への受診を薦めたいのですが、これがまた難しい。
先程の繰り返しになりますが、信念はその人の常識と等しいので、周りに迷惑が掛かっている状態でもそれが異常と自分で認識できないのです。
その人はただ、自分の信念に沿って行動しているだけなのですから。悪いことをしているという自覚は全くありません。
それこそ、その人の信念を否定しないようにしながら、自覚を促し、少しずつ認知修正を加えていくしかありません。
この繰り返しで少しずつ誤った信念(イラショナルビリーフ)を変えていく。これが心理士の役割です。
ちょっと雑多なまとめ方になってしまいましたが、心理学における信念について今回は話してみました。
とても複雑で繊細なものだとご理解いただければ十分です。
現代の世界情勢などはまさに信念のぶつかり合いで、緊迫した状態が続いています。
ウクライナとロシアの戦争。イスラム国のテロ行為。イスラエルの紛争。もう数えたらキリがありません。
過去の戦争も含めたらそれこそ、人は信念のぶつかり合いで、星の数ほど戦争を繰り返してきました。

ですが、戦争はどんなきれいごとを並べたとしても暴力行為です。
心理療法のような「否定をしない解決」にはなりません。実力行使の短期決戦にしかなっていません。
それじゃあいつまでたっても遺恨が残るだけです。
人も国家も同じです。
一刻も早く平和な世界と信念が理解される情勢になることを祈るばかりです(スケールがデカくてすいません笑)
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それでは今回はここまで!
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【#56行動主義について】経験が人をつくる。全ての学習は経験に通ず(認知行動療法)。
心の中で・・・「起立、礼、着席」
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
それでは今日も短時間で解説をはじめますよ~
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さて、今回は「経験」についてを、行動・学習心理学的視点を交えて、お話していきたいと思います。
今までの記事にも沢山書いてきましたが、人は「学習」を経験として認知する生き物です。
ちなみに学習は他の動物も行います。
有名な行動主義心理学者の”パブロフ”が実験した「パブロフの犬」なんかがまさにそうですね。

パブロフの犬についてかなり簡単に解説すると・・・
A:おなかのすいたワンちゃん
B:近づくと音がなる装置
C:音が鳴ると大好きなドッグフードが出てくる
このような3項がそろったとします。ワンちゃんははじめ、近づくと音が鳴ることに驚きますが、その後にご飯が出てくることに気がつきます。
この発見がもう一度起きると、ワンちゃんの中で「あれ?音が鳴るとご飯が出るようになっているのか?」という推測が生まれます。
この状況を繰り返していくと「あ、やっぱりそうだ。音が鳴るからご飯が出てくるんだ!」という確証を得ます。
このA→B→Cの一連の流れを「学習」と呼んでいるのです。
ちなみにこれは厳密に言うと「古典的条件付け」と呼ばれるものです。
ワンちゃんは音が鳴るとご飯が出ることを学習したため、Bの音が鳴るだけで「ご飯だワン!」と思うようになり、よだれが出るようになるのです。
この時の「音(B)」を「強化子」と呼び、音を出そうとして装置に近づいてくることが増えれば、「条件付けによって行動が強化された」と言えます。
少し小難しい話をしてしまいましたが、学習は以上のような一連の流れのことを言います。
生き物はみな、様々な条件付けが脳内にインプットされており、それが経験となって複雑に関連しあっています。人間は特に複雑で高度です。
前置きが長くなりましたが、これが学習と呼ばれるものの考え方のベースです。

では、表題の「経験が人をつくる」とは何なのか?
読んで字のごとくの(物理的な)意味でもあれば、そうでない精神論的な意味も含まれてます(笑)
とかく、人間は他の生き物より脳が発達しているので、学習と経験の意味がすごく大きいのです。
これは良い意味でも悪い意味でも。
達成感のある良い経験をしたら、ポジティブな学習。いじめられたり、虐待された経験があればネガティブな学習。そう捉えがちです。
しかし、人間だからこそ、その上の「認知」というステージに立ち、ネガティブを乗り越えてポジティブに到達することができるのです。
この考えが加わって、体系化していったのが「認知行動療法」ですね。
前回も話した失敗はどの生物もします。自発的な失敗は学習して繰り返さないように回避することができますが、受動的に起こる失敗体験は苦しいですよね。ストレスがかかり、自己肯定感が下がります。
なぜなら、受動的なことつまり相手がいることは、コントロールができないからです。
ここで悩まれる方が沢山います。もちろん私だってそうです。
しかし、人間には「認知」という素晴らしい変換ソフトがデフォルトで脳内にインストールされています。
「認知」つまり、ものの捉え方が変われば、ネガティブな経験から、ポジティブな側面を発見することができるようになります。
何が言いたいかというと、今までの学習していた当たり前を覆すことがあるということです。
学習には「消去」という「強化」の対義語があります。簡単に言うと条件付けされた行動が減るということです。
人間はこの消去を経験によって得ることができるのです。なんだか矛盾しているような感じがしますね(笑)
私が言いたいことをまとめると、「人は経験によって、失敗したとしてもそれを塗り替えて、一つ一つ積み重ねていける。」これが言いたかったのです。
広く言えば「失敗」だって一つの経験です。動物でいう所の「罰」も一つの経験です。
上手くいかなかったことも大切な経験です。これが積み重なっていくと重厚なあなたの人生になるのです。
その時々で、嫌なことや失敗があれば、苦しいし恥ずかしいし、いたたまれない気持ちになるでしょう。
ですが、長期的に見ればそれを経験・学習したからこそ、次に生かせるのです。
どうにも自分に出来ないものは回避すればいい。自分からできることはもっと積極的になればいい。
こういう考え方が人間にはできるのです。

でも、心が疲れている時はそう考えられないかもしれません。
それはそれでいいんです。心にだってコンデイションはあるのですから。
「パブロフの犬」のような、常に実験的で物理的なことは、我々の心に当てはまりません。私たちは機械ではないのですから。
ですが、機械ではないからこその豊かさ・可能性があります。
絶望的と思われる状況から、その逆境を乗り越えて復活していった人は世の中に沢山います。
調べてみればいっぱいヒットすると思います。
それだけ、人間の数だけ、成功も失敗も経験があり、学習して、今を生きているのです。
今、経験を恐れる方が増えていると聞きます。
その気持ちは私もよくわかります。
ですが、どんな経験もいつか必ず、生きてくる瞬間が出てきます。
この構造自体ポジティブなものだと私は思っています。
「全ての道はローマに通ず」は、表題の「全ての学習は経験に通ず」に言い換えられそうだと思っているのです。
大丈夫。どんなことも、いずれの未来のあなたに通じているのです。
過去・現在、苦しいことがあふれて押しつぶされそうでも、未来まで苦しいと確定したわけではありません。
経験・学習によって、あなたは選択肢を得て、自発的に行動を選べるようになるのですから。
一日1ページでもいいんです。何かを経験していることに価値があります。
経験をしているということは何かを学んでいるということ。それ正に学習。
学習は次の経験に繋がる。
そして、あなたはより豊かな生き方が出来るようになる・・・。
私はそう確信しています。
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それでは今回はここまで!
質問などがありましたら、気軽にコメントください!
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【#55失敗について】失敗を許さない社会(風潮)が精神疾患を増やしている
心の中で・・・「起立、礼、着席」
みなさん、お疲れ様です!心理カウンセラーのルンタです。
それでは今日も短時間で解説をはじめますよ~
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さて、今回はコラム回っぽくなってしまいますが、「失敗」について話をしてみたいと思います。
皆さんは失敗についてどう思っていますか?
「失敗は怖い」「ネガティブなもの」「取り返しがつかなくなるんじゃないか」・・・
まあ、挙げだしたらキリがないくらい例があると思います。
ですが、更に問いますが、失敗せずに人生を全うできる生物がこの世にいるのでしょうか?
これは間違いなく言えますが、そんなものは存在しません。
全知全能なんて言葉は、神話以外には出てきません。
我々がすんでいるこの世界は、神話でも何でもなく、「現実」です。
現実では、人を含めた生物は失敗という「学習」を重ねて、より良い選択を次回に生かそうとする本能が備わっているのです。
ということで、生物学的にも、人間は失敗して当然だし、失敗は怖いものではなく、成長していくためのごく自然なプロセスですよね。
・・・という結論を先に書いておきます。

ですが、ITが発展し、情報が誰でも自由に入手・発信できるようになった、21世紀。
「成功」ばかりが先行し、いつしかそれがごく当たり前な世の中になってしまいました。
SNSを開けば、成功の瞬間、幸せの一瞬を誰もが見られるようになったからです。
こうなると息苦しいですよね。
なぜなら、成功への強いあこがれだけが独り歩きして、「失敗の積み重ね」が、ないがしろにされてしまうからです。
成功することが当たり前になると、失敗することが異常なことになってしまいます。
そして、人は異常なことを見つけて正そうとすることが大好きですから、失敗した人を攻撃して、自分の自尊心を保とうとするのです。
たった1回の失敗でもです。
でもこれは、他人からに限った話ではありません。自らで自分のことを攻撃し、失敗した自分を責めてしまう人が急増しているのです。
なぜなら、成功することが当たり前になってしまっているから。
失敗することは異常であり、異常な自分は醜い存在だと思ってしまうんです。
・・・。では最初に戻りますが、あなたは神ですか?全知全能ですか?
ちがいますよね。私たちは人間です。
今も昔もこれからも。
だから、完璧であろうとしなくていいんです。そんなの人間じゃないんですから。
最近「蛙化現象」なんて言葉も聞きますが、、、人によっては、これも失敗を恐れる不安要素になっていると思います。
いいじゃないですか。蛙上等ですよ。
そうやって煽ってるやつらこそ、「井の中の蛙」ですから、気にする必要ありません。
とにかく、こうやって「失敗することが惨めである」という風潮が社会にはびこるから、どんどん世の中が生きにくくなっているんじゃないかなと、最近強く感じているんです。
生きにくい世の中で、リラックスもできずに頑張り続けると、人はどうなりますか?
今までさんざん言ってきましたね。そうです。心が疲れて病気になってしまいます。
ここで表題と重なりました。
ということで、失敗をどうしても恐れてしまう皆さん(もちろん私だってそうです)。
失敗はして当たり前です。この意識をもってこれから生きてみませんか?
少し楽になるはずですよ。
そして、失敗を許さない風潮や社会に染まらないこと。気にしないこと。
そういう人たちは必ず一定数存在します。皆さんを知らず知らずに脅かしていることを気にも留めずに、のうのうと生きています。
そいつら(人生成功していると勘違いしてマウントを取ってくる奴ら)こそ、失敗にぶち当たった時にあたふたして詰みます。
だって、人間ですから。死ぬまでずっと良いことだらけでいれるわけありません。
だから、気にしないでいきましょう。人は早かれ遅かれ失敗するのですから。
それ(人の失敗)を揚げ足取るのだけは絶対にやめましょう。
いつか必ず自分に返ってきますし、自分に失敗してはいけないという最悪な自己暗示をかけることになります。
みなさんは、しくじり先生という番組を知っていますか?人生の失敗談を赤裸々に語る番組ですが、結構人気があります。
そして、しくじり先生以外にも、「自分の失敗体験」をむしろ武器にした動画が沢山あります。江頭2:50のエガチャンネルとかもそうかもしれません(笑)
そういう動画に私は人間の本来の温かさを感じるのです。
自分の失敗も他人の失敗も受け入れられる、器の大きな温かい人になりましょう。
もし失敗したらどうなるか・・・。
意外と平気なのは上記の番組を見ていればよくわかります(笑)
しくじったって、死ぬわけじゃありません。また次のチャンスは絶対に来ますし、その時に失敗した経験を学習しているからこそ、より良い選択を今度は選べるわけですから。

とにかく、私は失敗を許さない世間の風潮を断固拒否します。
もちろん、犯罪などの人道的にもやってはいけない失敗を許容することはありません。
それは失敗ではなく、罪ですから。人に大きな迷惑をわざとかけるような失敗はやめましょう。
でもそれ以外の失敗なんて大したことありません。
人一人の失敗なんて、70億人の地球人に対したら、本当に些細なことです。
失敗をみんなで許し合って、どんどん失敗をして、それが挑戦となって、大きな学びになって、次の挑戦に繋がる。
そんな素敵なサイクルが出来る世の中に私はしていきたいですね。
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それでは今回はここまで!
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