山崎の合戦で敗れた明智光秀が退避した城とされる、京都府長岡京市の勝竜寺城について以前に触れた。この城から南西の先の天王山との間が、天下分け目の戦い、豊臣秀吉と明智光秀がぶつかった山崎の合戦の舞台となった。大山崎町の町域である。

大山崎町に入ると、まず、明智光秀が陣を張ったと推定される境野1号古墳がある。その先、京都縦貫自動車道の高架下に合戦場の記念碑のある公園があり、その側の小泉川という小川を挟んで両軍が睨み合ったという。公園に立って、すぐそこの小川の対岸に敵方がいると想像してみると、当時、戦場にいた者の戦慄が感じられる気がする。


すぐ目前に小泉川、奥の山は天王山

そして秀吉方の背後の山が天王山。天下分け目の合戦の地に聳えることに因み、物事の雌雄を決するような一大事に対して、「◯◯の天王山」という言い方がされる。また、かつては山城と摂津の国境、今は京都と大阪の府境にもなっている。標高270mながら、登ってみると意外に急で、結構きつい登山になった。山腹からは、山崎の合戦の舞台が一望できるのはもちろん、西側に視界を移せば、京都盆地から流れ出る川が合流する三川合流の地、対岸に男山、そして淀川が流れ行く大阪平野を見渡せる。




眼下一帯は山崎合戦の古戦場

天王山の山裾に沿って続くのが西国街道の山崎宿。京都府と大阪府にまたがって宿場町が続いていた。山崎からは川の対岸の橋本へ渡る渡し船が出ていた。山崎の地は今も交通の要衝で、天王山と三川合流点の間の狭い所を東海道新幹線、東海道本線、阪急京都線、国道171号が通過している。JR山崎駅は、駅舎が京都府で、プラットホームの途中を府境が横切っている。

この間を3線の鉄道と3本の川が通る。





府境を越えると大阪府島本町。少し行った所に水無瀬神宮がある。かつて鎌倉時代、後鳥羽上皇の離宮があったとされる。京都府側の山崎にも平安時代の嵯峨天皇の離宮があったといわれる。今その地には、その名も離宮八幡宮が建つ。この一帯は風光明媚だったのだろう。


水無瀬神宮に「離宮の水」と名付けられた清水が湧いている。山崎周辺は水に恵まれた所。サントリーのウィスキー工場があり、そこで蒸溜される「山崎」銘柄は有名だ。東に戻るが、大山崎町の合戦の舞台にはサントリーのビール工場もある。いずれも、この地の豊富な清水により立地したものだ。




さらに進むとJR島本駅に至る。駅前の公園が古代山陽道の宿駅・桜井駅の跡地。楠木正成の「桜井の別れ」の地でもある。京の都に攻め登って来る足利尊氏を討つべく戦地に向かう朝廷方の武将・楠木正成が、随行する息子を諭して郷里に帰らせ、それが今生の別れとなった逸話が伝わる。その像が建っている。



ここから阪急水無瀬駅を越えて淀川河川敷の方に向かうと、高浜砲台跡がある。幕末に江戸幕府が、淀川を遡って来る異国艦に備えて設置したもの。対岸の樟葉砲台と対になって両岸から睨みを効かせていたわけだ。


天王山・山崎の一帯は、川の対岸の男山・橋本一帯と対になって京都・大阪間の関門のようになっている。京阪の境界であり、両者をつなぐ交通の通路でもある。

間が三川合流点。その奥は京都盆地

後方は天王山

後方に対岸の男山が見える。

後方は天王山