四国の阿波国(あわのくに・現徳島県)との関係で淡路島について以前に書いたが、阿波国とつながりのある地域がもう一つある。現在の千葉県、房総半島の南端部にあった安房国(あわのくに)である。大和(現奈良県)の都の時代のこと。四国の阿波の一族が入植した所が安房だといわれる。上総国(かずさのくに)から入植地が分離立国されたものだ。

500km以上も離れた場所への移民の過程はどのようなものだったろう。海路によったことは間違いないだろうが、それも海岸に沿って岬から岬へとつないで行くような沿岸航海だったろう。しかも一気に房総半島までたどり着いたのではなく、志摩半島(三重県)、渥美半島(愛知県)、伊豆半島(静岡県)、三浦半島(神奈川県)など途中の東海道各地で入植を試みながら、最終的に適地を見つけたのが、房総半島の先端だったのではないか。
東海道といえば陸の街道のイメージがあるが、このルートには山越えや渡河など意外と障害が多い。陸路が発達したのは後の時代で、大和時代の「五畿七道」の東海道は、その名のとおり、海の道が主体だったのではと推測する。(上総と下総の位置関係も、陸路で考えると逆でないと不自然だが、海路なら理解できる。)先に名を挙げた半島をはじめ東海道の海岸には、海を通じてつながった、今も残る共通の風土を私は感じる。
房総半島の先端部で最初の入植地は半島の西側だった。現在の館山市にあたる一帯である。安房国府のあった場所は不明だそうだが、国分寺は館山市内にあった。安房一宮の安房神社も同市内にある。


館山の街は、ずっと後の時代、中世になって築かれた館山城の城下町として発展したものだ。館山城趾は街を見下ろす小山の上にある。天守閣の上からは街が一望できるのはもちろん、条件がよければ、東京湾を挟んだ対岸の三浦半島、さらに富士山もみえるらしい。


足を延ばして、房総半島の先端の岬・野島埼まで行ってみた。そこには野島埼灯台が建っている。歩み始めた近代日本が英米仏蘭との条約上の義務により、フランス人技師の支援で建設したという歴史ある灯台だ。1870年、三浦半島観音埼の灯台に続いて近代灯台で2番目に点灯したとのこと。残念ながら初代の灯台は関東大震災で倒壊して現存しないが、三浦半島の灯台とともに東京湾口の両側にあって、日本の最重要航路の安全のため信号を発光し続いている。


