無理やりのインド。歩き続けた12日間 19 - クトゥブ・シャヒー・トゥームス⑧ タラマティとプレママティの墓、大モスク、博物館(2025年10月18日/2日め)
2025年10月18日 ムハンマド・クリ・クトゥブ・シャー廟で。(インド・ハイデラバード)
クトゥブ・シャヒー・トゥームスの日記は、最終話になります。
長い連載におつきあいくださり、ありがとうございました。
さすがに疲れましたので(笑)、インド日記は少しお休みいたします。
10月18日(土)
インド最大の墓廟群複合体である、
クトゥブ・シャヒー・トゥームス
(Qutb Shahi Tombs)
を歩いています。
ここまでに、
アブドゥッラー・クトゥブ・シャー廟(第7代王)
アブル・ハサン・クトゥブ・シャー廟(第8代王・未完成)
ファティマ・スルタナ廟(第7代王の妹)
司令官の墓(第7代王に仕えた)
ハキムの墓(第6代王に仕えた)
ハヤット・バクシュ・ベグム廟
(第5代王の娘、第6代王の妻、第7代王の母)
スルタン・ムハンマド・クトゥブ・シャー廟(第6代王)
バディ・バオリ(階段井戸)
ハマム(霊安室)
ムハンマド・クリ・クトゥブ・シャー廟(第5代王)
イブラヒム・クリ・クトゥブ・シャー廟(第4代王)
キブラ壁
クルスム・ベグム廟(第5代王の孫、第6代王の娘)
スルタン・クリ・クトゥブ・シャー廟(初代王)
スブハン・スルタン・クリ・クトゥブ・シャー廟(第3代王)
ジャムシード・クリ・クトゥブ・シャー廟(第2代王)
を見てきました。
最後は、美しいムハンマド・クリ・クトゥブ・シャー廟の基壇上で、廟の周囲をぐるぐる周りながら、たくさんの廟の写真を撮りました。右は、そのときにハルジャさんが撮ってくださったもの。
ほんとうにたくさんの写真を
ハルジャさんが撮ってくださいました。
私たちのスマホだけでなく、
ご自分のスマホからも、
たくさん撮ってくださって…。
このブログに載せきれなかったものも
まだまだあります。^^
そんなハルジャさんですが、
基壇上で廟を見ていた私たちに
ふと、こんなことを言いました。
「私は、実はいつもは、
こんなにもたくさんの写真を
撮ることはありません。
でも、あなたたちといると、
撮ってあげたくなるんです。
あなた方は、ほかの人たちと違います。
とても丁寧に廟を見て、
喜んでくれているのがわかるのです。」
ハルジャさんによると、
クトゥブ・シャヒー・トゥームスに来て、
「お墓ばかりで気持ち悪い。怖い。」
なんて言う人もいるのだそうです。
(だったら、来なければいいのにね…。😅)
こんな素晴らしい光景を見て、
そんなふうに思う人もいるのかと、
驚きました。
「私たちは別に、怖いとかは思わないです。
ここへ来て思うことは、
『splendid』という、それだけです。」
と答えると、
うれしそうに、笑顔を見せてくれました。
ほんとうに、
クトゥブ・シャヒー・トゥームスは、
すばらしい建造物群でした。^^
なにも予習してこなかったMIYOは、
ここに来るまで、
こんなところがあるということすらも
知らなかったので、
墓廟群を歩きながら、
びっくりの連続でした。(アホ)
基壇の北側に見える景色です。真正面にあるのがハマム(霊安室)。そのうしろにも、廟が並んでいます。
位置を地図で確認すると、左から、タラマティ・プレママティの墓、スルタン・ムハンマド・クトゥブ・シャー廟、ハヤット・バクシュ・ベグム廟だと思われます。
この中で、
タラマティ・プレママティの墓だけは、
樹木に隠れて全体が撮れなかったのが、
ちょっと残念でした。😓
その「タラマティ・プレママティの墓」は、敷地内のパネルによると、修復直後はこんな感じだったようなのですが。(2019年)
2023年ごろは、こうだったようです。(ハイデラバード必見の史跡から)
ですがおもしろいことに、かなり古い写真ではこうなっています。胸壁のミナレットがなく、下層部はアーチが開放状態になっていました。ぱっと見、同じ墓には見えません。😓
【タラマティとプレママティの墓】
(Mausoleums of Taramati & Premamati)
ムハンマド・クトゥブ・シャー廟の北西にあります。ふたりの女性であるタラマティとプレママティは、伝説によると、第7代王・アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの時代の宮廷ダンサー兼歌手でした。王族でもないふたりの女性の墓が王立墓地の中にあるという事実は、当時の社会における彼女たちの高い地位を物語っています。
プレママティの墓石には、「永遠に、ペマティはパラダイスの花でした」と書かれています。この言葉はアブドゥッラー・クトゥブ・シャー自身によって刻まれたと言われています。一方、タラマティは、ゴールコンダ・フォート内に自分の名を冠したモスクの建設を依頼したと言われています。
ふたつの墓は、前世紀の粗末な修復作業によってかなり損傷していましたが、米国から7000万ドルの資金援助を受け、修復工事が行われました。現在の姿は、オリジナルにより近いものであると言えます。
ゴールコンダ・フォートにあるタラマティ・モスクの日記はこちらです。
無理やりのインド。歩き続けた12日間 8 - ゴールコンダ・フォート④ タラマティ・モスクからバグマティ宮殿へ(2025年10月18日/2日め)
それでは、ムハンマド・クリ・クトゥブ・シャー廟を後にし、出入口の方向へと歩きます。
来たときと同じルートを歩き、タイルで修復された、美しいドームのスルタン・ムハンマド・クトゥブ・シャー廟まで戻ってきました。
無理やりのインド。歩き続けた12日間 16 - クトゥブ・シャヒー・トゥームス④ スルタン・ムハンマド・クトゥブ・シャー廟とバディ・バオリ(2025年10月18日/2日め)
さらに歩いて、ハヤット・バクシュ・ベグム廟の前に。
その後ろに見えているのが、大モスクです。
【大モスク】
1666年、第7代王・アブドゥッラー・クトゥブ・シャーの時代に建てられました。クトゥブ・シャヒ王朝は、ゴルコンダとハイデラバード全域に多数のマスジド(イスラム教徒の礼拝所)を建設しましたが、なかでも最大かつ最も壮大なマスジドが、ハヤット・バクシュ・ベグム廟のそばに造られている、大モスクです。
礼拝堂の両側には2つのミナレット(尖塔)があり、15 個のキューポラが屋根を飾っています。
(写真はクトゥブ・シャヒの墓より)
未完成の、アブル・ハサン・クトゥブ・シャー廟まで戻りました。ここまで来たら、出入口まであと少しです。
大都市ハイデラバードにある、クトゥブ・シャヒー・トゥームス。この写真には、敷地内の半分しか写っていないのですが、それでも壮観な眺めです。(Qutb Shahi Heritage Parkより)
この中を、ひとつひとつ、
自分の足で歩いたんだなあ…。😊
なんて書くと、
「ね、インドに来てよかったでしょ。^^」
と、多動夫に言われそうですが。
こんな風に歩いてきました。😊
このときは、まだ12時を過ぎたばかり。このあとも市内観光は延々と続き、結局、この日の総歩数は17151歩でした。多動夫が企画すると、大体こうなります。😔
最後は、敷地内にある博物館へ。
館内のパネルでは、「クトゥブ・シャヒー遺産公園」と呼ばれていました。この写真だと、ほぼすべての廟が写っています。
美しい装飾や…、
修復作業、
そしてクトゥブ・シャヒー王朝の歴史を、駆け足でお勉強しました。^^
出口手前の売店では…、
こんなの売ってました。^^
これで、
クトゥブ・シャヒー・トゥームス
の見学が終わりました。
いやー、長かった。笑
「そんなに詳しく書かなくていいのに。」
と、夫からは何度も言われたのですが、
やっぱり書きたかったんですよね…。
ひとつひとつの墓はなんだったのか。
どんな人の廟だったのか。
そして、いちばん確かめたかったのは、
「あの、広大な遺産公園の中で、
自分はどこをどう歩いてきたのか」
ということでした。
それらをひとつひとつ調べながら
日記を書いているうちに、
記憶の中で混乱し、
わけが分からなくなっていたものたちが
次第に鮮明になっていったように思います。
行ったときも楽しかったけど、
こうしてブログを書いている間は、
なんだかもう一度、
旅をしているような感じで、
やっぱり楽しかったです。^^
旅の2日め(しかもまだお昼ごはん前)
なのに、連載19回。
この日は午後も
すごいところに行ってしまったので、
あと何回で
2日めを全部書くことができるのか、
見当もつきません…。😓
無理やりのインドは、
見どころがありすぎました。😔
(つづく)