4回めの台湾。台北から新竹へ 7 - 二二八和平公園と台湾総統府①(2024年12月9日/2日め)
2024年12月9日 二二八和平公園で。
12月9日(月)- 2日め
メトロの台大医院駅で下車すると、
目の前は公園でした。
大陸中国と違って、台湾の漢字は画数が多いです。「台湾の人は、字を書くのがたいへんだよね。」などと話しながら、歩きました。
目の前に広がるのは、二二八和平公園。
【二二八和平公園】
台北市中正区にある公園で、日本統治時代に作られた台北新公園を前身としています。もともとは、1888年に落成した台北天后宮(媽祖廟)があるだけで、周囲には何も無い荒蕪地でした。日本統治時代に入り、この地に大規模な都市公園建設が計画されます。1899年に起工し、1908年に開園。台湾に建設された、最初のヨーロッパ風近代的都市公園であり、「台北新公園」と名付けられました。
1913年、日本の統治当局は「市区改正」という都市計画に基づき、敷地南側に残っていた台北天后宮を取り壊し、北側に「児玉総督後藤民政長官記念館」(現在の国立台湾博物館)を建設しました。同時に、公園の北側を官庁街や日本人居留地として開発整備しました。
1945年、第二次世界大戦で日本が敗北し、台湾が中華民国に接収されましたが、二年後の1947年2月28日に二・二八事件が勃発します。この地は、その中心地の一つとなりました。このとき、中華民国による台湾統治に反抗して蜂起した台湾住民が、園内の台湾ラジオ放送局(旧台湾放送協会本部)を占拠し、台湾全土に向けて台北での蜂起を告げました。しかしその後、当時の台湾統治責任者であった陳儀(台湾行政長官)が、蜂起した台湾住民に対して投降を呼びかけました。
1996年2月28日、当時の陳水扁台北市長(後に中華民国総統)は、二・二八事件で犠牲となった台湾住民を追悼する二二八和平紀念碑を建立し、公園の名称を二二八和平紀念公園に改めました。また、事件の舞台となった、かつて放送局だった建物を、台北二二八和平紀念館としました。
この、二・二八事件のときの混乱は、「悲情城市」(1989年)という映画に描かれています。侯孝賢監督の代表作です。主演のトニー・レオンは、当時、日本では無名に近い俳優でしたが、2008年の「レッド・クリフ」で、堂々たる演技を見せてくれました。
日本で初めて公開された時、
有楽町のシネシャンテまで、
この映画を見に行きました。
作品中の蜂起当時、主人公のトニー・レオンは、
汽車の中で突然、刃物をつきつけられ、
「ニッポンジンデスカ?」
と日本語で尋ねられます。
質問に答えられたら台湾人=仲間
(当時の台湾人は日本語ができたため)。
答えられなかったら、大陸中国人なので殺す。
…という、衝撃的なシーンでした。
彼は台湾人でしたが、ろう者であったため、
その質問が聞こえず、答えることができません。
日本語ができるかどうかで生死が決まったという、
その驚きは、今も心に残っています。
その、台湾人蜂起の中心地となった場所が、
この二二八和平公園でした。
それにしても、
映画を見てから35年近くたって、
自分がこの公園に来るとは、
想像もしていませんでした。
現在は、こんなモニュメント(慰霊塔)もある、広い公園となっています。
日本統治時代、このあたりに官庁街が築かれたため、歴史を感じる古い建物が、現在もたくさん残っています。下の写真で、ドームのある古そうな建物の後ろにあるのは、1993年に建てられた新光人寿保険摩天楼(高さ245m)。頂上にピラミッドをいただくバラ色の塔の中には、新光三越百貨店もあります。
そういえば、2017年に、新光三越百貨店を少しだけ歩いたのを思い出しました。笑
台湾・3泊4日でおいしいものめぐり(32) – 四日め(台北三越、そして日本へ)(2017年7月3日/4日め)
公園の全体図です。右端から入り、公園を横断して左端の出口から出ました。
公園を出たところで見つけた食堂。地元の方々がたくさん、列を作っていました。
手早く切られていった生地は…、
油で揚げられて、油条に。うわ~、おいしそう。^^
ひとつ食べたいけど、
市場で食べてきたばかりで、ムリ。
残念。^^
さらに歩いて、立派な建物ばかりが立ち並ぶエリアに突入。
かつて、日本統治時代に築かれた、
台湾の官庁街。
その荘厳な建物は、現在も数多く残っています。
残っているだけでなく、使用され続けていて、
「台湾の霞が関」となっています。
日本を恨み、
「日本統治時代に作ったものはすべて破壊する」
と、今も躍起になっている国も、
どこかにあるというのに。
このエリアを歩いていると、
大切に使い続けてくれて、ありがとう。
…という気持ちになりました。
さて。
本日の目的地が見えてきました。
台湾総統府です。
【台湾総統府】
日本統治時代に建てられた、台湾総督府の建物を使用しています。完成したのは1919年。当時は、台湾で最も高い建物でした。総督の執務室は東に面しており、四獣山までを含む台北市を一望できました。日本統治時代は、第7代台湾総督から合計13人の総督が、ここで執務を行いました。第二次世界大戦後は、東南軍政長官公署、中華民国行政院、中華民国総統府が共同で用いた時代を経て、現在は総統府として機能しています。
歩くごとに、総統府が近づいてきます。この建物が経てきたその歴史を思うと、感動せずにいられませんでした。
美しいフォルムです。
正面玄関。車寄せが見えます。
次回は、この総統府の中を歩きます。
(つづく)