ラオスへの入国手続きを済ませてイミグレーションの外へ出ると、ファイサーイまでのトゥクトゥク(だったかソンテウだったか)を差配する親爺が机を据えていた。
料金を尋ねると250k(=250000)キープまたは400バーツ、日本円で2000円近くという答えである。
町までは10kmほど、軽くない荷を背負って炎天下をこれだけ歩くのは現実的ではなく、ある程度料金の嵩むのは致し方ないにしても、現地の諸々の物価からするといくら何でも高すぎるのでその旨を伝えたところ、一人の貸し切りとなるので当然だとふんぞり返って宣う。
それなら誰かと相乗りを――といっても、周りには誰もいない。
チェンラーイのバスターミナルで見た時刻表によれば次のバスが30分後に着くはずなのでそれを待とうかとも考えたが、自分の乗って来たバスを思い返すとここラオスへ来る客は多くはなさそうだし、仮にいたとしても上手く相乗りできる保証はない。
仕方ないのでトゥクトゥクを頼むことにし、幾分安くなるキープで払おうとイミグレの両替所へ行ったのだけれど、システムがダウンしていて両替はできないと言われた。
ラオスを訪れることはこの旅の大きな愉しみとしていたのに、これらのことで一気に印象が悪化、以後もその気持ちが度々ぶり返すこととなった。
ファイサーイ自体は目ぼしいもののない単なる田舎町で、ほとんどの旅行者はメコン川下りの基点・着点として訪れるため、大抵は素通り、もしくは一泊だけで去ってしまう。
当方の目的もその川下りであるが、ボートの旅は二日間、しかも決して設備の整っていない舟での行程は結構大変だろうとの懸念から、二泊して鋭気を養うことにした。
宿にはすぐにチェックインすることができ、部屋は無論高級感はなく古びているものの、必要な設備は整っているし清潔も保たれている。
ベランダからはメコン川を眺めることができ、気分よく過ごせそうだ。

ただ、その向こうがすぐタイのチェンコーンで、以前は外国人も渡し船で簡単に行き来できたことを思って先の不快事の記憶がまた頭を擡げて来た。
一息ついてから、散策がてらボート乗り場を下見して来ようと外へ出、途中目に入った銀行のATMでのクレジットカード・キャッシングのレートが、宿と比べてどうなのかをとりあえず確認してみようとしたのだが、画面上でキャンセルしたらなぜか現金が出てきてしまった。
そう言えば、ATMでのキャッシングのキャンセルは、機器備え付けの赤ボタン、即ちハードウェアで行う必要があるとの情報を目にしたことがある。
ともあれ引き出してしまった額では今後のラオス旅行に不足すること間違いなく、さらなる両替などを要するという悩ましい事態に陥ってしまった。
もう一つ、SIMカードに関して、タイからメコン川を越えただけなのでそれまでのもので通信できるかもしれないとの希望的観測を持っていたのだけれど、これが外れ。
もっとも宿ではWifiが使えるし、ファイサーイの町歩きおよび川下りでデータ通信が必要となることはないだろうと踏んで購入は見合わせた。
ボート乗り場までは2kmほどの距離があり、炎天下を歩いたこともあってかなり疲労して到着。
窓口で明後日のチケットを購入した。

宿へ戻ってシャワーを浴び、夕方日の沈むのを待ってナイトバザールへ行ってみたが、その名に値するような光景は見られず。
惣菜屋で筍の炒め物ともち米(カオニャオ)ご飯、計25000キープを買い、これを夕食に当てた。
夜になるとベランダの天井にこの地の名物のヤモリが何匹も姿を現した。

翌朝、宿泊に付いている朝食を摂ろうと宿の食堂へ行くと、当方と同年代の日本人旅行者に出会って食事をしながら話をした。
十八日間かけてラオスとタイを周っている途中で、やはり前夜一泊してこれからボートに乗るとのこと。
定刻通りなら九時十分頃にここから見えるはず――と考えながら、その舟が川を下って来るのを見送ろうとベランダの椅子に座って眺めていたが、一向にやって来ず、漸く現れたのは十時近くだった。
明日は自分も――との思いを強くし、近くの寺院ワット・チョムカオ・マニーラットへ参詣。
規模は大きくないものの、これがなかなか趣のある寺で、東屋に座って陽射しを避けていると、寺に勝るとも劣らない年季と風情を具えた散歩の老婆がやって来て少し言葉を交わした。
もっとも、翻訳アプリも役に立たずほとんど互いの言わんとすることはわからなかった。

宿に戻って小憩し、ここの食堂でチャーハンを頼み昼食。
午後三時に買い物へ出かけ、ボートの上で口にするに良さそうな米菓子を購入して戻った。
次いで四時過ぎにはカルノー砦へ。
ここからのメコンを中心とする眺めは絶景、夕暮れまでいればまた別の表情も見られたに違いないが、それまでには間があり過ぎることから踝を返した。

夕食も宿で、えびカレー50000キープ也。