蓼科高原日記

音楽・本・映画・釣り竿・オーディオ/デジタル機器、そしてもちろん自然に囲まれた、ささやかな山暮らしの日常

ヴィエンチャンから夜行寝台列車で一旦バンコクへ

ヴィエンチャンから、次の目的地であるカンボジアシェムリアップへどのように行くかについては、考えがいくつか紆余曲折した末、夜行寝台列車で一旦バンコクへ戻り、そこから空路でシェムリアップへ入ることにした。

 

陸路を辿るにしろ空路を採るにせよ、時間と費用を考えるとバンコクを経由するのが得策であることがわかり、はじめは、ヴィエンチャンバンコクバンコクシェムリアップのいずれものんびりと陸路で向かうつもりだったのだけれど、タイとカンボジアの間に紛争が勃発して陸路国境が閉ざされてしまったため、自動的に後者は空路に変更となった。

 

ヴィエンチャンからバンコクまではさまざまな手段があってかなり迷ったものの、現在日本ではほとんど乗る機会のないこともあって、夜行寝台列車を選択したのである。

 


その列車、RAPID 134は、タイ国鉄ウェブサイトを通じて日本で確保しておいた。

 

下段寝台、874バーツ。

 

ラオスの国境を越えてタイに入ってすぐのノンカーイからは、SPECIAL EXPRESS CNR 26が出ているが、これだと到着が朝早すぎるし、どうせなら路線の末端から乗車して国境越えをしてみたいとの思いもあってヴィエンチャン発の快速を選んだのだ。

 

 

 

 


一方のバンコク(ドンムアン)からシェムリアップへのフライトについても、もちろん事前に航空券を購入しておいたのだが、ここで大きな失策を仕出かしてしまった。

 

搭乗者名のアルファベット表記において、一文字を抜かしていたのである。

 

日本を出発する数日前にこのことに気付き、すぐ購入先の旅行サイトへ連絡を入れたところ、翌日にすぐ電話が来て、この迅速な対応を有難く思ったのだけれど……

 

その電話で伝えられたのは、「変更はできず航空券の取り直しになる、しかし残席があるかどうかわからず、ある場合は料金はその時点でのものが適用される、さらに現航空券のキャンセルと新規手配には当サービスと航空会社の手数料が加算される、云々」という何とも具体性が欠如した上、まったくもって有難くない内容だった。

 

そこで一体いくらぐらいかかるのか?と単刀直入に尋ねたら、「はっきりしたことは言えないが、現航空券購入代金の倍程度かかるかもしれない」という、またしてもあやふやな上に無法ともいえるご宣託を賜った。

 

これを聞いて、ではそのように何卒どうぞよろしく――とお願い申し上げるわけにはいかず、実際そんなことならすっぱりと手持ちの航空券を棄てて自分で再購入すればいい。

 

また、チェックインの際に修正に応じてくれることもあるらしいので、この可能性に賭けてみる手もある。

 

しかしその前に、駄目で元々、当該フライトの航空会社であるAirAsiaに直接当たってみることにし、そのサイトからチャットで事情を説明したところ、すんなりと修正手続きを行って正しい名前の記載された航空券を発行してくれた。

 

「修正はこの一度のみ」と釘を刺されたが、これは当然だろう。

 

ともあれ明らかな懸案を抱えての出発にならずに済みほッと胸を撫で下ろした。

 


ヴィエンチャンの宿を昼前にチェックアウトし、近くの食堂であんかけ平麺40kキープの昼食。

 

ラオスではGrabは使えないが、同じような配車サービスとしてLOCAがあり、日本でスマートフォンに入れておいたそのアプリから車を呼んでバスターミナルへ行き、スタッフ票らしきものを首から下げたおじさんにどこか荷物を預かってくれる所はないかと尋ねたら、横で店を開いているおばさんに声を掛けてくれ、20kで話がまとまった。

 

そこに荷物を預け、内戦で没した兵士を慰霊するために建てられた「勝利の門」パトゥーサイへ歩いて向かった。

 

20251222-(1)パトゥーサイ

 

外国人は登塔に30kを要するが、キープを余らせても仕方ないのでこれを支払って登り、ヴィエンチャンの町並みを心と画像に刻んだ後、今度はLOCAで読んだ車でバスターミナルに隣接するショッピングモール、タラート・サオへ戻ってここも少し散策した。

 

20251222-(2)ヴィエンチャンの町並み

 


バスの出発まではまだ一時間以上あった。

 

それを待っている間に姉妹らしい物乞いの小さな女の子が来たので、財布に残っていた1000キープを姉の方にあげた一方、続いて眼の前に立った妹には小銭がなくあいにくあげられなかった。

 

しかしその後飲み物やアイスクリームを買って細かい金ができたので、今一度近くに来たら施そうと思っていたのだけれど、結局これを果たすことはできなかった。

 


バスは空席の目立つまま、ラオス・タイ鉄道のカムサワート駅へ向けて走り出した。

 

車掌はラオス国鉄道の駅から市内へのバスと同じ姉さんだった。

 


列車に乗るまでにまた三時間の待ちである。

 

ただ、この頃にはアジアの時間感覚が身に付いたのか、それほど長いと感じることもなく時は経過し、ラオスの出国手続きを済ませ、構内を住処としているらしい猫と遊んだりしているうちに列車が到着、そして乗車となった。

 

20251222-(3)バンコクへの夜行寝台

 

予約の際、12/1なる車両番号を目にして、こんな番号があるのだろうかと訝しく思いながらも好奇心からその寝台を取ったが、入線した列車には確かに当該車両が連結されていた。

 

20251222-(4)乗車した車両

 


さて、何しろ夜行寝台列車である。

 

二段ベッドが向かい合わせになって一つの区画を成すそこに同席する相手は、もしかしたら……と、程度の差こそあれ誰もが期待を抱くところであろう。

 

そして現実はというと、当方の上段を占めたのは若いフランス女性――とここまではよかったのだが、惜しむらくはこれがカップルの片割れで、対面の二段ベッドの方に現れたのは夫婦連れという、面白くもおかしくもない状況に決着してしまった。

 

フランス女性の口から発せられた「一人旅ですか」との言葉は、「もしそうならその寝台を譲ってよ」という意味であることがその表情から察しられたものの、それを宜うほどの度量はあいにく持ち合わせなかった。

 

そもそも、そんなに離れたくないなら早めに予約してお望みの寝台を確保すればいいではないか!

 

と、些か不貞腐れた気分で車窓に目を向けても、既に宵闇に閉ざされ景色は見えなかった。

 


ノーンカーイ駅で皆と同じく下車してタイへの入国を済ませ、列車への再乗車を待つ間に駅前の食堂で夕食、タイカレー50バーツ。

 

列車に戻ると寝台が整っており、発車と同時にカーテンを引いて横になって、うつらうつらではあるもののそれなりに眠って朝を迎えた。

 


この日はドンムアン空港からシェムリアップへ飛ぶので、空港に隣接した同名の駅で下車。

 

予約の際には終着クルンテープ・アピワット駅まで行かねばならぬとなぜか思いこんでおり、フライトもそれを踏まえて時間に余裕をみて取ったのだけれど、ここで接続すれば一便早いものでも十分に間に合ったのである。

 


空港で朝食を摂ると高くつく上に味も今一つのケースが多々あるため、駅を出て屋台でガパオとサンドイッチを買って空港へ向かった。

 

隣接しているとはいえ、これが結構歩かされた。

 

一般ロビーで朝食を済ませ、すぐに出国手続きをして搭乗フロアへ。

 

ここでもまた六時間の待ちが生じてしまったので、楽天プレミアムカードの付帯特典であるプライオリティパスを利用してラウンジへ入ってみたところ、飲み物はもちろん、十分な食べ物も用意されていた。

 

20251222-(5)ドンムアン空港のラウンジ

 

先の買い物は必要なかったと少し後悔しながらも、早めの昼食をここで認めることはできた。

 

こんな高級な所で食事をしたのは、東南アジアに入って初めてだ……

 

 

 

 

ルアンパバーンからヴィエンチャンへはラオス中国鉄道?それともバス?

この旅の計画を練った時、ルアンパバーンからラオスの首都であるヴィエンチャンまで鉄道で辿ろうと考えた。

 

その列車の予約方法としては、ラオス国鉄道の公式アプリ「LCR Ticket」を通じて行うのが最もリーズナブル(手数料10kキープ≒70円)で、当初はこれを利用するつもりだったが、その後大きな問題のあることに気付いた。

 

ラオスにおける電話番号が必要という以前の前提条件はなくなったのでこれはいいとして、新たに浮上したのは、決済に関する障害である。

 

 

LCR Ticketにおける支払い方法はいくつかあるものの、日本人が現実的に使えるのはクレジットカードのみ、ところがこれを利用する場合、現在広く行われている3Dセキュア認証を通すためにSMSで認証コードを受信せねばならず、海外でSIMカードを入れ替えることで日本での電話番号が変わってしまう今般の旅では決済できない可能性が高いのである。

 

手持ちのカードでコードの受信方法をメールに変更できるものはなく、認証を行わない設定に変えられるものが一枚あったのでこれを行ったが、認証なしカードの利用は拒否される場合もあるようなので懸念は残り、加えてこのアプリでの予約は乗車3日前のラオス時間6:30を待って漸く可能となることから、果たして座席が取れるかどうかも定かでない。

 

かといってLaostrain.com, 12Go, Bookawayなどを通すとかなり支払い額がかなり高くなってしまうし、現地の窓口で切符を購入するという手も、かなり並ぶことを覚悟せよとの情報があって決定打にはならない。

 


結局、あれこれと考えても決心がつかず、取り敢えずシンプルに最初の案を摂ることにし、万一切符を入手できなかったらバスでヴィエンチャンに向かうことにした。

 

これだと10時間近くを要するが、道程ではかなりの景色を期待できるらしい。

 

そして実際はどうなったかというと、メコン川下りの中継地パークベンで予約可能時刻を迎えて直ちにこれを試みたところ、すんなりと希望の列車を予約(ただし座席選択は不能)することができ、決済も3Dセキュア認証なしのカードで行うことができた。

案ずるより産むがやすしである。

 


ここでもう一つ考えておかねばならないことが生じた。

 

ルアンパバーン市内から10㎞以上離れているラオス国鉄道の駅までのアクセス手段である。

 

バスなどの公共交通はないし、トゥクトゥクではぼられること間違いないので、宿のフロントの兄ちゃんに何か良い方法はないかと尋ねたら、乗り合いのミニバンを勧められた。

 

料金は確か60kキープで、一台のトゥクトゥクを四人でシェアするのとほとんど同じながら、冷房はあるだろうことなどを鑑みて手配してもらった。

 

 

 

 


ルアンパバーンを去る日、そのミニバンは予定時刻通りに宿の前に現れた。

 

ゆったり座れるものと勝手ながら思っていたのに実際はほとんど満席で、補助席もどきに押し込まれて駅まで行く羽目となり、快適とは言い難い道中となった。

 


いかにもあの国の手になったらしい、壮大と言えなくもないが無駄に大きく変にあてつけがましさを覚える駅舎内で待つこと暫し、列車の到着がアナウンスされると、例によって全席指定にも関わらず皆色めき立って改札口へ殺到、一応列らしきものはできたものの、割り込み押し入りもあちこちに見られた。

 

ともあれ列車へ乗車、しかし我が指定席、右の窓側には案の定先客が鎮座ましましており、あの席へ移って欲しいと指さすそこは左の通路側である。

 

些か不満はあったが、この路線の車窓はさほど面白いものではないとの情報を目にしていたし、車内の雰囲気もそれを愉しむといった感じではなかったので、まあよかろうと了解した。

 


ところが、列車が走りだして何気なく右の車窓に目を遣ると、個人的には結構好もしい風景が流れている。

 

これを見て悔やむ気持ちが再燃したが、一時間ほど走った次のヴァンビエンで多くの下車客があり、本来と同じ窓際席へ移ることができたので留飲は下がった。

 

20251218-(0)ラオス中国鉄道の車窓

 

ただ、乗り心地が快適であっという間にヴィエンチャンに着いてしまい、何となく物足りなさを感じたのも否定できない。

 

この鉄道とバスの中間的な交通手段が欲しいなどというのは贅沢な希望だろうか。

 


ヴィエンチャン駅を出ると、目の前に予め調べておいた28番バスが停まっており、その横に待機していた姉さんに市内行きであることを確認して乗車した。

 

当方が乗り込んだ時には先客は数人しかいなかったが、次第に増えてこれも満員で発車、というよりそれを待って出るのかもしれない。

 

荷物を膝の上に抱えての道中となったことに加え、頭上からエアコンの滴に降られるというおまけもついて少々悲しかった。

 

運賃は上の姉さんが車内で徴収、25kキープ。

 

終点まで行くと宿から離れると思われたためその手前で下車し、Googleマップを参照しながら迷うことなく辿り着いた。

 


ここヴィエンチャンは、世界一何もない首都――と言われることがあるらしい。

 

こう聞いて建物も疎らな鄙びた町を連想していたのだけれど、実際はビルなども見られるし、大きな通りは交通量も少なくなく、個人的には上の表現を宜うことは出来かねたものの、世界の代表的都市や名立たる観光地に比べればさまざまな点で規模も密度も小さいことは間違いない。

 

しかし却ってこのような町に惹かれる身にとっては、いつものように町をぶらついたり、三つの寺院に囲まれる位置に建つ宿のベランダで周囲を眺めながら過ごしたりして、二泊の滞在は決して退屈ではなかった。

 

20251218-(1)ヴィエンチャン1

20251218-(2)ヴィエンチャン2

 


ヴィエンチャンで印象に残ったことは二つある。

 

一つはあちこちの道路やほとんどの寺院が工事中だったこと。

 

これは上のような称号を返上しようとの努力かもしれないが、変に小奇麗に見てくれを整えることで、歴史を通じて醸成されたせっかくの個性を喪失してしまうのは非常にもったいない気がする。

 

もう一つは、黒人の姿がやたら目に付いたことで、耳に聞こえてきた言葉からするとアメリカ人ではなくアフリカから来たらしい。

 

上に記したようにほとんど常に工事の光景が目に入る状況だったので、はじめはそこで働くのが目的かとも思ったが、その後少し注意したところではそのような姿は見えなかった。

 

次いで彼らの人相風体から裏の仕事に従事しているのだろうかという気もしたものの、それにしては朝っぱらからバーやカフェでぼけっと蜷局を巻いているその様子がそぐわず、何とも妙だった。

 

これらもアジアらしいと言えば言えるのかもしれない。

 


二晩とも、夕食には宿の近くのナイト・フードマーケットを利用した。

 

名称の通り出ているのはすべて食い物の店で、売り物の周りには夥しい数の蠅が飛び回ったり集ったりしていた。

 

はじめはこれを目にして買い求める気が失せたのだけれど、注文してから料理してくれる店があり、その様子を眺めたところ蠅の攻撃はないようだったことから、ここでテイクアウトして宿で摂った。

 

20251218-(4)ナイト・フードマーケット

 

最初の夜がガパオライス(35kキープ)、翌晩は豚肉と野菜の炒め物にライス(40kキープ)。

 

どちらもタイの食べ物で、結局ラオスの料理で口にしたものは、ファイサーイでの筍炒めとカオニャオだけに終わってしまった。