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2009年12月6日日曜日

理系のためのサバイバル英語入門

ふと本棚を眺めていると、「理系のためのサバイバル英語入門―勝ち抜くための科学英語上達法 (ブルーバックス)」という本を発見。東京大学の1~2年生向けに教養学部で開かれていたゼミ「理系のためのサバイバル英語入門」の内容を本にしたものです。もう10年以上前に書かれたものですが、まったく色褪せていないことに驚くばかり。

一番驚いたのが、昔読んだときと今読んだときとで印象がまったく異なっていること。この本の内容を十分に咀嚼するには、読む側にもレベルアップが必要なようです。

1.まず冒頭の科学用語の英語表現をどれだけ知っているかのテストで、高校や大学で学ぶ、文学・哲学・社会学中心の英語が、理系の学問では役に立たないことに気付きます。(大学1年生の頃、初めてこの本を読んだ僕はこのレベルでした。英語そのものを教える人ってどうしてもいわゆる理系分野を知らない人になることが多いので…)

2.自然な英語を書くとはどういうことか(英語で論文を書くようになった今は、ここで説明されていることがよくわかる)

3.英語でコミュニケーションをとること。(学会などのプレゼンテーションで英語のトークをするようになったので、うなずけることがたくさん)

辞書の使い方、簡潔な英語の書き方なども参考になりますが、巻末の永久保存版「論文を書くための論文」もお勧め。ここには、科学の分野で認めてもらうためには、メディアで名声を得るのではなく、「良い論文」を書かねばならないと断言されています。科学の世界ってそういうものなので、テレビで紹介されている部分だけでは決してわからない。

本書のいたるところに、研究の面白みや、独創的な研究をしていくためのエッセンスがちりばめられています。タイトルを「英語入門」とするには惜しい内容で、「科学への入門」「研究者入門」と呼ぶ方がふさわしいです。そこに気付かずに、理系英語の入門書としてだけとらえると相当にもったいない。けれども、読む側としても「科学」や「研究者」の世界に一歩足を踏み入れてないと、大学入学当初の僕のように、この本に書かれた大切なメッセージを受け取り損ねてしまいます。

これは「科学」の世界へ入っていくための「英語」入門書です。

2009年1月13日火曜日

TOEIC990点より大事なこと

ごめんなさい。タイトルは釣りです。TOEICは受けたことすらないので、990点がいったいどんなレベルなのか想像もつきません。ただ、「英語を使う」のが目的なら、そんな点数を上げるための努力はしなくていいだろうなとは思ったので、英語を使う、特に「話す」ための要点をまとめてみます。

この記事を書くきっかけとなったのは、「英語の発音」というエントリが注目を集めているのを見て。英語の発音を気にしている人が多いことに驚きました。

僕自身、国際学会などで海外に行く機会は年に何回かありますが、そこでのトークを聞くと、中国系の人、インド系の人、東南アジア系の人、ヨーロッパ系の人とで、それぞれ発音の仕方が全然違うことがわかります。中でもインド系の人の発音はあまりブレス音を使わないせいか、慣れないうちは本当に英語を話しているのか?と耳を疑うほどです。日本語の方言をイメージすると、この状況がわかりやすいと思います。東北弁などは、聞き慣れない人にとってはまるで外国語のように聞こえますよね。

発音は違えど、皆、英語という共通語を通して、コミュニケーションをとっている。ただ、方言と違うのは、使っている言葉は書いてみるとほとんど同じだというところ。論文など研究の世界の「普遍語」としての書き言葉を見るだけでは想像もつかないほど、実際の英語の発音の仕方は多様です。その様子を肌で感じると、「発音」などはさほど気にするべきことではなく、むしろ淀みなく話す「流暢さ」に重きを置く学習の方が、実践で役に立つことがわかると思います。

「発音」に関しては、日本の学校教育の中で触れられることがないのが不思議ですが、フォニックスという小学校低学年前後くらいの子供のための、英語の発音の学習法があります(親が英語教師だったので、子供の頃に教材で遊んでいました)。綴りと発音の関係、舌、息などをどのように使うか、ということを学び、以下の「英語、好きですか?アメリカの子供たちは、こうしてABCを覚えます」というフォニックスの本では、子供が読めるように発音についてやさしく丁寧に説明されています。簡単な内容ですが、それでも発音に関しては、この本で十分なことを学べると思います。



一昔前と違って、英語の音声はPodCastや、Talking Issuesなどでも、簡単に手に入るようになりました。もう、10年前とは時代がすっかり変わっていることに世の中も気付くべきでしょう。英語で授業ができなかったり、生の英語を聞き慣れていないためにカタカナ発音になってしまう英語の先生よりも、今やインターネットの方が相当いい先生になり得ます。生徒の方が先生よりも流暢な英語を話す、なんてことも十分あるので、先生のコンプレックスが、そんな生徒にぶつけられないことを祈るばかり。電子辞書もあるし、インターネットも辞書代わりになるので意味・用例を調べるのも簡単とは、なんていい時代!

そんな生の教材を使って、音声の後に続けて実際に声を出してみるシャドーイングを続けていくだけで、「話す」だけでなく「聞く」力もついてきます。これは、こどもの言葉の学習法と同じ。わからなくても、聞き取れなくても、とりあえず聞いたことを繰り返す。ただ、状況に応じた言葉を聞く機会が無い、というのが、日本で英語を学ぶ難しさではありますが。

そして「流暢さ」に必要なのは、お願いや質問の仕方、意見の言うときの決まり文句など、中学校の教科書に出てくるくらい簡単なフレーズが、口をついて出てくるかがポイントです。英語の学習用教材など、市販の本もいくつか漁ってみたのですが、難しい文章の読解向けで会話には役立たなかったり、単語、熟語の羅列で継続して学習するには飽きやすい本とか、会話用のテキストでもストーリーを重視しすぎてフレーズの絶対量が少ない、などそれぞれいろいろ難があります。そんな中で一番役に立ったのは「英会話 Make It!」という小さな本。



こんなことが言いたいのだけれど、英語で出てこない。そんなかゆいところに手が届く表現が状況ごとにまとめられているので本当に助かっています。慣用句など洒落た表現ではなく、2、3回繰り返して発音して練習するだけで、明日話すためにすぐ使える(くらい本当に基礎的な)フレーズを効率よく学べるのが良いです。

英語でディスカッションを始めて、言葉に詰まってしまう日本人を見ると、この本にあるくらい簡単な表現すら自分で話した経験がないのだろうな、といつも感じています。Whatで始まる質問ができない、とか。本当にそんな程度のことです。でも、それを自信を持って話せるのとそうでないのとで、会話が成立するかどうか、さらには、有益な情報を相手から引き出し、メッセージをきちんと相手に伝えられるかどうかが決まります。

まとめ
  • 世界中でバラバラなんだから発音なんて気にしない。練習したければ、小学生から使えるフォニックス教材で発音の仕方を学んで、インターネット上の先生(ニュース、PodCastなど。自分の好きな話が良い)に倣ってシャドーイングを続けること
  • 本当に簡単なフレーズを練習して、自分の意見を話したり、質問するときの英語に自信を持つこと。
これだけで、そこいらの東大生より確実に英語が上手に話せるようになります。。。(悲しいことに、これは本当の話です。でも、これが英語での会話を教えない(教えられない)日本の英語教育の現実)

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2008年11月22日土曜日

知性が失われて初めて言語が「亡びる」

これは「逃げ」でしかない。特に研究の世界においては。
むしろこれから起こるのはネイティブイングリッシュの破壊であるとか
ネイティブの英語論文より非ネイティブの英語論文の方が読みやすい場合がないか?
論文が読みやすいとしたら、それは良く練られているからだ。そもそも、わかりやすい表現が良いというのは、日本語、英語の区別がない。文章を吟味することから「逃げ」て済むなら良いが、それでは投稿してもろくに読まれないから身を滅ぼす。安易にこのような考えに同調する人がいるのがとても心配だ。

日本人が書いた日本語論文であっても読みにくい例の枚挙には暇がない。口語の方がわかりやすい?口語中心のブログでも読みにくい文章はうんざりするほどある。(例えば、「日本語が亡びるとき」の書評を批難したり、あるいは水村美苗本人を攻撃するときに、読みやすく、かつ、知性をうかがわせる文章で応えた人はほとんど見受けられない)

もし世界の標準が「日本語」で、皆が日本語で論文を書くようになったとしたらどうだろう。段落ごとに「てにをは」や「漢字」の間違いが出てくるような論文は、すぐに読む気がなくなってしまうのではないだろうか。

崩れた日本語を見たとき、まず、その言葉を操る人の知性が疑われることを肝に銘じてほしい。それが英語であろうと、ブログのような媒体であろうと同じだ。投稿される論文の中には、方言や崩れた言葉が多く混じったものもあるだろうが、競争の世界の中で消え去って日の目を見ることはない。もし表に出てくるのであれば、その論文誌・学会で査読が機能しておらず、「知性」が失われつつある兆候だ。

先の意見は「日本語が亡びるとき」を「英語が亡びるとき」に置き換えてみたのだろうが、間違った用法がはびこるから「亡びる」というのは、大きな読み違いと言わざるを得ない。

言語が「亡びる」のは、その言語を使う人の知性が失われた時だ。


(追記)
日本人特有の英語の書き方に興味があるなら、「日本人の英語 (岩波新書)」を手に取って読んでみることをお勧めする。文法ミスとまではいかなくても、意味の通じない日本人英語の例がいくつか紹介されている。The Elements of Style (Elements of Style)を読むと、英語のネィティブであろうと、「必要なことだけを書く」ために文章を練りなおさなければいけないことを教えられる。日本人の英語、論文が受け入れられないのは、日本人特有の不自然な英語が出てくることで、まず「知性」が疑われ、次に、文章で伝えるべきことをsuccinct(簡潔)に書けていないために、査読者に苦痛を与えているという事情が大きいと思われる。英語が不得手なほど、簡潔に書くための努力が必要となる。今後、多くの日本人が、「良い論文を書くために」内容ともども、文章も十分練り直して欲しいという思いを込めて。

2008年11月21日金曜日

こどもから教えてもらった「日本語が亡びるとき」

一緒に塗り絵をしていたときのこと。出来上がった絵をみて、5歳のこどもが

「ぱわふるだねぇ~」

といいました。・・・可憐なディズニープリンセス(シンデレラや白雪姫、ジャスミンなど)の絵なのに、「ぱわふる」?

どうやら、いろんな色で塗っていることを指して「ぱわふる」と言っている。なるほど、「からふる (colorful) 」のことか。

正しい使い方を教えてあげて「あ、そうか~」とちょっと恥ずかしげに、納得した様子。

それからしばらくは「からふる」と言っていたのですが、先日、

「色とりどりだねぇ」

と素敵な日本語を使うようになりました。保育園の先生に教えてもらったのかな?


こどもの言語の覚え方は、まさに体当たり。恥をかいては、覚える、使ってみる。また恥をかく、の繰り返し。こどもならではの記憶力の良さも影響しているでしょうが、大人であっても、このように体当たりで英語を学習すればすぐに上達することと思います。

ただし、大事な大前提が1つ。それは、正しい使い方を教えられる人がいること。

日本の高校までの英語教育において、体当たりの英語を聞いて、正しい使い方を教えられる人がいったいどれくらいいるというのでしょう? この程度の英語力で「英語が得意」と評されるあたり、「日本語が亡びるとき」という本の伝える危機感が、うまく広まらない理由が感じ取れます。なんとか通じる英語ができればいい、という程度の話ではないのです。

「colorful」を「色とりどり」と言う。この「雅(みやび)」とでも言うべき感覚を、いったい誰が英語の世界に教えるのでしょう? 日本語は、外の言葉を外来語として吸収して豊かになっていくかもしれない。実際に、過去から現在に至るまで、英語の世界に追い付かんと「翻訳」できる学識を持った人が、英語にある概念を取り込むことで、日本語は様々に変化してきました。

しかし、現代ではその取り込み方すら安易になってきています。「コンプライアンス」という言葉がそのまま使われるように、なんのひねりも工夫もないまま言葉が輸入される時代。フランスという言葉でも、敢えて「ふらんす」「仏蘭西」と書くことで、文の持つ趣、読み手に与える印象を豊かにできるというのに。人は、その感覚をまだ失ってはいないと思うかもしれないけれど、歴史を紐解いてみれば、「かふして」を「かくして」ではなく、「こうして」と画一的に現代かなづかいに改めてしまったことで、すでに失われた使い方、言葉の感覚も日本語には多くあるのです。(これらの例は「日本語が亡びるとき」より)

たとえ音が同じでも、意味が同じでも、「書き言葉」としての日本語には、読み手に「色とりどり」の快楽を与える力があります。そんな日本語を操るべき人が、英語の世界に取り込まれていく。学ぶことに意欲ある人ほど、体当たりで教えられる教師がいない日本で英語を学ぶことの困難に直面し、日本語を書くことに注ぐ時間、情熱がどんどん失われていく

英語に日本語の言葉をアルファベットで取り込んだとしても、決して伝えきれないこの日本語のもつ豊かさ。日本語を操る人しか知りえないこの感覚は、世界の中で閉じていくばかり。そうして言葉の担い手たる人が英語の世界に吸い込まれ、日本語が次々と英語の世界の言葉を取りこんでゆくうちに、いつしか日本人すら、日本語が持つ「色とりどり」な美しさを忘れていく。

2008年11月11日火曜日

英語コンプレックスなんて些細なこと

「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中でが話題になっていますね。まだ手に入ってなくて悲しいのですが、内容についてはわからなくても、多くの人が英語に壁、いわば英語へのコンプレックス(漠然とした不安・恐怖)を感じていることが伺えました。

たとえば、弾さんの404 Blog Not Foundより:
梅田さんが、なぜ、それも日本ではなくシリコンバレーにおいて、「弾さんは英語が出来てうらやましい」と、ふと軽く、しかし底知れぬ諦念をもって嘆息したのかが。
と、シリコンバレーで長く暮らしている梅田さんでも、この壁は残っているようだし、その英語が堪能な弾さんですら、
まず、本書は英訳されねばならない。皮肉かもしれないが、それが著者の願いを成就させる最短距離である。そのために、私も出来ることをしたい。残念ながら私の英語力は本書を訳出するにはあまりに不十分であり、それ以前に日本語、そして文学の教養が足りなさ過ぎる。
と、文学的作品を書くレベルの英語力に至らないことを認めています。御二方とも、実用上の英語には困らないほどの力を持っていることは十分伺えますが。弾さんの場合は、日本語コンプレックスと言うべきものもあるようで。あれだけの日本語の読解力があり魅力的な文章を書ける人なのに、不思議。人の悩み・コンプレックスを推し量るのは難しいということですね。

他にも、アメリカにいて仕事をしているだけでは足りないという趣旨の話も見つけることができました:
日々の生活や仕事に必要なコミュニケーションはできるようになっても、そのことと英語でのソーシャライズ、つまり親密な交友ができるということの間には無限の開きがある
いやはや。英語経験が豊富な方々の間でも、英語コンプレックスは遍在しているようです。

英語へのもどかしさは常につきまとう  僕自身も、英語で論文を長く書いていますが、満足のいく表現に行きつかないもどかしさと向き合わざるを得ないのが実情です。表現のストックが溜まるにつれ、書く速度は目に見えて向上していきますが、そうして書いた文章がネィティブの人にとって、意味は通じたとしても、いったいどのような印象を与えるのかについては、皆目見当がつかないのです。

例えば、「日本語が亡びるとき」というタイトルにしてもそう。日本語ネイティブなら、このタイトルを同様の意味で「日本語の危機」や「日本語が亡びる」などと言い換えたとき、それぞれの持つニュアンスの違いを敏感に感じ取れるでしょう。

この違いは辞書的なものではなく、文化的な要因が大きいと感じます。たとえば、過去にその漢字・言葉がどのように使われていたのか。「亡国」「金融危機」など、言葉が使われた状況が現在の意味に反映されていきます。また、「亡びる」「亡びるとき」という違いでも、「亡びるとき」とした方がじわじわと迫りつつある未来を指している印象を与えます。でも、この日本語を感じ取る能力をどうやって学んだのかは、僕自身にもわかりません。

英語で似たような例を挙げるなら、Impossible is nothingがいいと思います。お願いだから文法がどうこうとか叫ばないで。見慣れないフレーズが出てきたときに、どう感じるのか。その感覚が持てないことに、英語コンプレックスを抱くのです。

英語において、このどうやって学んだらいいのかもわからない言葉の機微を感じ取る能力が要求されるというのは、英語で普段不自由なく仕事をしていたとしても、甚だ恐ろしいものです。それなのに日本ではまだ多くの人が、英語で論文を書いたり、英語で仕事をする、ブログを書くという経験に乏しく、この危機感を共有すらできない。これもまた、日本語が生き残る上で、恐ろしいことだとは思います。

英語コンプレックスなんて些細なこと  今後日本語がどういう立場になるかなど、さらに深い洞察は「日本語が亡びるとき」に期待するとして、多くの人が英語コンプレックスを抱いているようです。それなら英語にコンプレックスがあっても、そこで悩む必要はないでしょう。むしろこの状況を逆手にとって、日本語を扱える人として英語を使う楽しみを見出していけばいいのでは、と思います。例えば、
  • 映画を見るときに、T女史の意味不明な字幕と十分戦えるようになります。
  • 邦訳を待たずして、原著で読めます。(翻訳の質や、日本の出版社が原題を捻じ曲げてでも売るためにつけるキャッチーなタイトルに騙されることなく、本を楽しめます)
  • 試合中も一球ごとにデータが更新されるMLB(メジャーリーグ)の良さを楽しめます。いまの日本のプロ野球の既得権益にしがみついた体質では、同等のサービスは期待できません。
  • 学問なら、アメリカの大学院で、しかも優秀な人は、英語以外が母国語の留学生で占められていることをご存じでした? 
  • やっぱり英語がうまく使えなくても、日本語で生きていける
ここまでリスクを取らずに英語を楽しめるって、実はすごいことだと思います。

英語を使うのを当たり前にする  ただ、僕も、坐しているだけでは何の向上も見込めないので、読む、書く、聞く、話すの能力のうち、「書く」について、また、ニュアンスを多分に含んだ日常の話題に慣れるため、英語でブログを書くことにしました。普段論文を書く方が多いので、ブログは三日坊主になるとは思うけれど。。。

ちなみに「読む」に関しては、僕自身研究者として英語の論文を読む機会が多いのですが、小難しくて気楽に読めないものばかりです。楽しんで読むために、情報系としては一般向けで内容がやや軽めのCommunications of ACMや、Economist(世界情勢と経済の知識が足りない僕には読むのが大変ですが)などの雑誌を電車の中で読んでいたりします。読むスピードのギアを上げないと特集記事などは読み切れないので、だんだん速読のコツが身に付いてくると思います。ただし、記事の内容に興味がないとただの苦行になるので気をつけて。

「聞く」はひたすら聞く。聞きながら重ねて口ずさむと(シャドーイングと言うらしい)「話す」力にも良い効果があります。Economistを英サイトで購読すると全記事の音読ファイルがiPodで聞けるので重宝しています。PodCastのCNET Buzz Out Loudなどは遠慮のないスピードで話してくれるので、英語の生の日常会話の資料として貴重なのですが、会話が事あるごとにMac, PS3, Nintendo~と、単調になってくるので、飽きてしまいました。これも興味のあるものを選ぶのがいいですね。

「話す」を鍛えるために、歩くときには英語で独り言をつぶやいています。ぶつぶつつぶやいていて危ない人ですが、なりふり構ってはいられません。もはや勉強法なんてものではなく、ただひたすら言葉のストックを貯める、表現してみる、の繰り返しです。でも、それだけで大してお金も使わずにかなり英語を使えるようにはなりました。

このあたりの能力って表裏一体になっています。「書く」を鍛えると、頭の中で文を組み立てながら「話す」にも活きてきます。「読む」は表現を真似て「書く」につながる。「聞く」は「読む」ためのリズムを教えてくれるし、状況に応じた会話を「聞く」ことで「話す」ときの言葉の引き出しを増やすのが簡単になります。実際に声に出して「話して」いると、「聞く」ための脳ができてくる実感もあります。


本の到着が待ち遠しい。けれど「日本語が亡びるとき」を読んだ後でも、きっとここで挙げた部分は変わらないと思えるので、先にブログにしました。

2007年2月14日水曜日

A Diary Written in English

Today, one of my friends decleared that he will start to write his diary in English. His decision stimulated me, so I also tried to write down this blog in English.

The most difficult thing I usually experience when writing down English sentences is the choice of words; For example, there are many expressions meaning, 'write' in English.

According to a thesaurus, synonyms of 'write' are:
write down, jot down, put down, note, take down, record, register, log, list, sign, scribble, scrawl, pencil, compose, draft, think up, formulate, compile, pen, dash off, produce, etc...

I am a non-native English speaker, so it is quite difficult to understand such slight differences between these words, e.g. How different 'write' and 'write down' are?

To learn these differences of words/phrases is important, because I know, in English, the use of repetition of the same word is not a good writing style. But, even in this short entry, I have already used many repeats of 'write down'. Nevertheless, appropriate replacements of such phrases never come up to me. I guess it is just because the amount of words and phrases I learned from people who speak English is not sufficient.

Recently, there are many audio sources of English speaking people available from PodCast, Google Video, You Tube, etc. I am happy to collect these materials to improve my English skills, because there were no easy method to get raw English voices a few years ago.

However, I get discouraged considering how fast my four-years-old son learns Japanese. Everyday, he speaks Japanese even if what he said contains some grammatical errors or misuse of words. Thus, I understood that 'do not get embarassed' is a key to efficiently learn to speak a new language.

Another key that I have already lost and cannot be achieved is good memories of a child; it is not only about my son, but in general, children remember well phrases once they have heared.

Here is an interesting story. It has been a daily routine for me and my wife to read some storybooks for my son before he sleeps. When he was two-years-old, he couldn't read any Japanese letters. As we continued to read through the same books for many times every night, one day, he said "I read this today." And, to our surprise, he started to read the contents of the book without seeing any characters, but what he read was almost correct. Maybe, he remembered what we read to him by making a strong connection to the paintings in the book.

Now, he has completely mastered hira-gana and kata-kana letters, so we never see his astonishing reading from memories. It is a little bit pity for me.

Conclusion; Since I have no such good memories, what I can is to keep learning English.

2005年12月14日水曜日

On Demand News - CNN.com

CNN.com はOn-demandでニュース映像を配信するサービスを始めました。以前は有料だったのだけれど、無料になったようですね。

ケーブルテレビとか衛生放送にわざわざ加入してまで海外のニュースを見る必要がなくなります。これは嬉しい。毎回同じCMを見せるのは勘弁してほしいけれど。

The Relative Unimportance of Global Warming

by Bjørn Lomborg

読んでなるほど、と思った。京都議定書はCO2、CH4などの「早期削減」を目指したもの。けれど、とある気候モデルを使うと、仮にこの議定書の試みがうまくいき、2050年に先進国が、50%のCO2の削減に成功したとしても、2100年から温暖化を6年先延ばしにするだけ、という計算になるようだ。

経済モデルでは、CO2早期削減のための投資に年1500億ドルを使う試算になるが、その半額で、世界中の人々の飲用水、下水設備、健康管理、教育が確保できるという。他にも、温暖化問題より、HIV/AIDS, 飢餓、自由貿易(取引)、マラリアのほうが、早期対策が功を奏すので、優先度が高いというのだ。 Bjørn Lomborgは、温暖化よりも優先度の高い問題が山積みなのに、機を逸してしまうとさらに被害が拡大し、対策費用が増大してしまうという視点を提供している。

Montrealの会議でも、京都議定書と同様、早期削減に向けて議論が進められているが、CO2の早期削減のための費用は高く付き、アメリカが「条件付き」でしか参加する意思を示していないように、順守できない国が増えるに従い、次期京都議定書のプランが頓挫する可能性が高い。もちろん削減努力も必要だが、本当に長い視点を持つなら、CO2を排出しないエネルギー開発のためのR&D(Research and Development)に投資をするよう(例えば、各国がGDPの0.1%ずつ出資すると)定めるほうが、将来のためになるというのである。

ちなみに、2004年度の日本のGDPは4兆6234億ドルなので、その0.1%は、4.6億ドル(円換算はこちら)。特別会計の規模(200兆?)から考えると、なんてことのない金額ですね。

2005年12月12日月曜日

Red Cross debates new sign

BBC Learning English | Red Cross debates new sign

このマークが採用されたら、赤十字(International Red Cross)は、赤十字じゃなくなるよなぁと思っていたら、もともと、赤三日月(Red Clescent。日本では、赤新月と訳すらしい)とか、イスラエルでは、国旗のマークと同じ六芒星(Magen David)の赤いものが使われているらしい。イスラエルのものは正式ではないようですが。

ちなみに、
Magen Davidはダビデの盾
Geneva Conventionsはジュネーブ協定です。

英語読みと、日本語読みのどっちが正しい発音に近いのかわからないです。 デービッドというより、ダビデと読むほうが素敵ですが。

2005年11月2日水曜日

BBC Learning English

BBC Learning English を見ると毎回知らない英語に出会います。なさけなし(T-T)
普段、英語は論文やマニュアルを読むばかりで、発音していないし、しゃべるのも聞くのも不得手。こればかりは、練習しないとどうにもなりません。これは、修士の間、そういう時間を過ごしていたので、実証済み。英語は本当にたくさん読みました。

ノ ルウェーでは、どこに行ってもみなさま英語を流暢に話せるのです。教育の違いは大きいし、そういう環境に身を置けなかったことが悲しい。といっても、そも そも日本では英語を流暢に話せる教師が少ないと 思うので、悔やんでも仕方がない。 問題はそういう状況の日本のどこで経験を積むか。 英会話学校に通うのは避けたいところ。数十万単位のお金がかかるから(;_;)。 とりあえず、音読して右脳を刺激。 BBCで音声を聞いてシャドウリーディングすることにします。 VOAとか音声教材が充実してきたのは救い。

読むだけでは語学力はなかなか鍛えられないのです。しかも、悲しいことに、読めることより、流暢に話せる方がかっこよく見えるのです。がんばれ、自分。

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