Left After the Credit: 思惟のフィルムノート

アート系・インディペンデント系の海外映画を中心に、新旧問わず感想や考察を綴っています。

【ネタバレあり】没落貴族が最後にすがった芸術と虚栄—映画『音楽サロン』感想

画像引用元: 映画.com『音楽サロン』フォトギャラリー(画像5) より引用

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(原題:Jalsaghar / 1958年製作 / 100分 / サタジット・レイ監督 / インド)

※本記事は映画『音楽サロン』のネタバレを含みます。また、記載されている考察・解釈は筆者個人の見解です。

 

サタジット・レイ レトロスペクティブで鑑賞。細野晴臣が本作についてコメントを寄せていることもあり、特に注目度の高い一本のようだ。パンフレットには、2017年に細野晴臣が「映画を聴きましょう」に寄せた本作の紹介文が抜粋されているほか、今回の特集上映の全作品の解説が掲載されており、内容的にも充実。レイ作品に初めて触れる人も、既にファンの人も、購入して損はないパンフレットだと思った。おすすめ。

 

没落貴族の「最後の栄光」としての音楽サロン

財産も家族も失い、過去の栄光を忘れられずに生きる地主、ピッションボル・ラエ。彼はかつての威光を取り戻すかのように音楽サロンを開き、自らの力を誇示する手段として芸術にしがみつく。サタジット・レイは、そんな過去への執着と孤独に囚われた没落貴族の末路を、冷ややかな視線で捉えながらも、かすかな哀しみを滲ませて描く。

 

10分に及ぶ圧巻のクライマックス

踊り子に寄っていくカメラ、徐々に加速するリズム…。クライマックスの演奏会は、シタールの旋律が屋敷全体を震わせるほど響きわたり、まるで失われた威光を呼び戻そうとする必死の祈りのようだ。ローシャン・クマーリーによる舞踊は、優雅さと同時に、どこか狂気すらも交錯する。足先から指先までが演奏と一体化し、観客をも陶酔に引き込む。
だがその高揚感は、主人公の執着と孤独を覆い隠す薄いヴェールに過ぎず、やがて全てが崩壊に向かうことを予感させる。

 

崩壊を映すモチーフと時代背景

揺れるシャンデリア、グラスで溺れる虫、肖像画を這う蜘蛛、消えていく蝋燭の灯。これらのモチーフが、世襲地主としての旧来の貴族像が崩壊していく様を暗示する。
物語の舞台は1920年代のベンガル地方。イギリス統治下でのザミンダーリー制度の衰退、新興富裕層の台頭という社会的事実とも呼応し、主人公の孤独で滑稽な執着心を一層際立たせている。

 

古典的寓話のような結末

最後の演奏会を開き、夜が明けてその空虚さに気付いた末に、馬に乗り海辺まで駆け去り、船に激突して落馬し、血を流して果てるラスト。
それはどこか古典的な寓話のようで、因果応報の物語のようだ。
主人公が血を流す姿は『国宝』になぞらえれば、「血が彼を守ってくれなかった」と言えるだろう。
明快で象徴性の強い結末には、レイが児童文学も手がけていたことにも納得してしまった。(本作には原作があるが。)

 

おわりに

スタイリッシュなショットの数々、プロが奏でる音楽と舞踊、屋敷の調度品など、映画そのものがひとつの「サロン」と化し、総合芸術としての完成度を誇る。上映後には、自然と拍手が起こっていた。一方で、正直なところ『チャルラータ』同様、物語が輪郭を帯び始めるまでにやや時間がかかる。しかし一度流れに乗れば、ラストの20分は間違いなく圧巻。噂に違わず、サタジット・レイ作品の中でも必見の一作だと感じた。 

 

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