Mon Cœur Mis à Nu

But, darlings, the show must go on.

テ・デウム(Te Deum)とヴェニ・クレアトール・スピリトゥス(Veni Creator Spiritus)

テ・デウムとヴェニ・クレアトール、どちらもグレゴリアンの旋律で歌われるカトリックの伝統的な頌歌であるが、一般信徒には歌う機会が限られている。テ・デウムは12月31日の夕べのミサで、ヴェニ・クレアトールは新年のミサとペンテコステにおいてであろう。前者は、『トスカ』のシーンにある通り、かつては国家の戦勝を祝すためしばしば歌われたそうだが、現代では文明国間の戦争も稀である。聖職者であれば、シノドス、叙階式、誓願式、洗礼式、また日々の祈りで口ずさむこともあろうが、私はそうではない。そういう訳だから、ただでさえ両者とも長文であり、しかもヴェニ・クレアトールはバリアントが多いことも相まって、なかなか歌詞を記憶できずにいる。

 

TE DEUM

Te Deum laudámus: te Dominum confitémur.
Te ætérnum Patrem omnis terra venerátur.

Tibi omnes Angeli; tibi cæli et univérsae potestátes.
Tibi Chérubim et Séraphim incessábili voce proclámant:

Sanctus, Sanctus, Sanctus, Dóminus Deus Sábaoth.
Pleni sunt cæli et terra majestátis glóriæ tuæ.

Te gloriósus Apostolórum chorus;
Te Prophetárum laudábilis númerus;
Te Mártyrum candidátus laudat exércitus.
Te per orbem terrárum sancta confitétur Ecclésia:
Patrem imménsæ majestátis;
Venerándum tuum verum et únicum Fílium;
Sanctum quoque Paráclitum Spíritum.

Tu Rex glóriæ, Christe.
Tu Patris sempitérnus es Fílius.
Tu ad liberándum susceptúrus hóminem, non horruísti Vírginis úterum.
Tu, devícto mortis acúleo, aperuísti credéntibus regna cælórum.

Tu ad déxteram Dei sedes, in glória Patris.
Judex créderis esse ventúrus.

Te ergo quǽsumus, tuis fámulis súbveni, quos pretióso sánguine redemísti.(跪く)
Ætérna fac cum sanctis tuis in glória numerári.

Salvum fac pópulum tuum, Dómine, et bénedic hæreditáti tuæ.
Et rege eos, et extólle illos usque in ætérnum.

Per síngulos dies benedícimus te.
Et laudámus nomen tuum in sǽculum, et in sǽculum sǽculi.

Dignáre, Dómine, die isto sine peccáto nos custodíre.
Miserére nostri, Dómine, miserére nostri.
Fiat misericórdia tua, Dómine, super nos, quemádmodum sperávimus in te.

In te, Dómine, sperávi: non confúndar in ætérnum.

 

VENI CREATOR SPIRITUS

Veni Creátor Spíritus, mentes tuórum vísita;
imple superna grátia quæ tu creásti péctora.

Qui díceris Paráclitus, altissimi donum Dei,
fons vivus, ignis cáritas, et spiritális únctio.

Tu septifórmis múnere, dextræ Dei tu dígitus,
Tu rite promíssum Patris, sermóne ditans gúttura.

Accénde lumen sensibus, infúnde amórem córdibus,
infírma nostri córporis, virtúte firmans pérpeti.

Hostem repéllas lóngius, pacémque dones prótinus;
ductóre sic te prævio, vitémus omne nóxium.

Per te sciámus da Patrem, noscámus atque Fílium,
te utriúsque Spíritum credámus omni témpore.

Deo Patri sit gloria, et Filio, qui a mortuis,
Surrexit, ac Paraclito in saeculorum saecula. Amen.

 

 

 

 

20251228日記_パリ逗留の近況

性懲りも無く、クリスマスから公現祭までを厳冬のパリで過ごしている。理屈が分からないが、今年のパリはロンドンは疎かベルリンよりも寒く、体に堪える。吝嗇し過ぎた宿、長すぎる旅程にうんざりするのは毎度だが、不思議なことに帰国後にはこれら不快な記憶は霧散して、美くしい音楽の幸福な思い出だけが心に残るのだ。故に続く春頃には次のフライトを半ば無意識的に手配してしまうのだから済度し難い。まあ良い、折角だから今を愉しもう。そうした心持ちで日々を過ごしている。

 

最近ブログの更新が途絶えがちだが、何となく億劫なだけである。そして億劫であるのならば、無理して書くものでもない。今回の羇旅についても、過去のパリ紀行については自分で読んでも関心する程に詳らかな記録があるが、とてもそのような執筆をする気は湧かない。とはいっても何ら記録を付けないのも寂しいと思う。だから飽くまで備忘録として、下に記すのである。

 

12月23日 - 羽田からシャルル・ド・ゴール全日空のフライト。過日のシンガポール出張のエコノミー席が最悪であった為、プレミアムエコノミー席を試しに手配してみたが、サービスも同乗者も悪くない。ビジネス席に座る値打ちが無い癖にやたら神経が過敏な人間は、一度プレミアムエコノミー席を試してみるとよかろう。ANAビジネスクラスの食事はやはり口に合わないため(バタ臭くて堪らない)、今後はアンシラリーを付けぬこと。

宿はモンマルトル至近のダンレモン通とラマルク通の交叉に取ったが、中心部へのアクセスの悪さ、移民の多さと汚さに辟易する。今となってはパリの半分は移民に侵され、来し方の文明人の都は穢され、貶められ、スラムと化している訳だが、この惨状を見てもなお移民政策を推進しようとする奴輩が世には存在するのだから、私はそうした人間とのアコードを已うに諦めている。

閑話休題、かねてより目星を付けていた老舗文具屋L'Ecritoire(インクスタンドの意、近年減ったが万平ホテルの客室にはある)を訪ね、閉店時間を過ぎていたからショーウィンドウ越しに店内を眺める。無論、恋人への贈物を探しているのだが、私の世界は彼女を軸に廻っているのだろうか?そうかも知れぬ、それでも構わない。極論、彼女以外の人間は、召使以外何人も必要ない。

 

12月24日 - パリではノエルとその前日ほど不便な日はない。中小規模店は、昼過ぎには営業を止めて了う。迂闊だったのは、それを忘れて2区と9区のパサージュ群(商店街)に出かけたことだろう。メトロをノートルダム・ド・ロレット教会で降りて、パサージュ・ジュフロワ、パサージュ・デ・パノラマ、ギャルリー・ヴィヴィエンヌ等、個人経営の道楽のような店が大半なのだ、開いていよう筈もない。散々歩き周り、失意のうちにサン=ドニ門近くのビストロで頂いたピジョンのコンフィは美味であった。

百貨店であればやっているだろう。オースマン通のプランタン、ギャラリー・ラファイエットを訪ねるが、私と同じような迂闊者で溢れていた。日曜の銀座和光前を思わせるような混雑に眩暈を覚える。気分転換に歩いていると目の前にはサント・トリニテ、かつてかのオリヴィエ・メシアンオルガニストを務め、私が二年前のヴェイユ・ド・ノエル(クリスマスイブ)のミサに与った現在修復中の教会は、この一年の間に上層部の防護板が外されて、その進展は顕著であった。今年の夜半のミサはマドレーヌ寺院で与ったが、低劣極まりなかった。矢張りトリエントミサを執り行う、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会に行かなければ。

 

12月25日 - 時差の関係で朝五時から会議に出なければならなかったが、私の代役の段取りが悪く、依頼して置きながら失礼で、かつ私の責任だが、全く無駄な時間だった。

快晴也。主の御生誕也。私が通うサン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会では十時半からミサが捧げられるのだが、近くのノートルダム大聖堂は十時からだったのだろう。私が教会へ向かう道すがら、フランス王朝の栄華を、革命の燔祭を、ブールジョワの擾乱を、そして現代の退廃をいと高き所から目撃するその鐘から、重厚にして森厳な低音が、街中に響き渡った。私は歩みを止めて、少し背筋を伸ばして立ち、そして双の眼をそっと閉じ、その響きに感じ入った。ミサ曲はDe Angelis。

午后、美術館もレストランも休みで街に居ても仕方がないから、ブローニュの森へ。オートゥイユの温室で昼寝、悪くない時間。

 

12月26日 - もう書くのに飽き疲れた。ホテルのロビーで原稿を打っているが、後ろの黒人がいつまでもやかましい、奴隷船に積載されて、アフリカなり新世界なりに返品されれば良いものを。もう私も立派な「外国人嫌い(xenophobia)」かと思ったが、私の場合は「人間嫌い(misanthrope)」なのでセーフ(?)。

オランジェリー美術館を初めて訪問。クロード・モネオディロン・ルドンアンドレ・ドランは一見すべきだが、他はrubbish。サル・リシュリュー近くのビストロで昼餉、コメディ・フランセーズの『スカパンの悪巧み』が当地で上演される31日にも再訪するだろう。午后、パリ装飾芸術美術館へ、「1925-2025 アール・デコ100年展」なる企画展を面白く鑑賞、当然カッサンドルのポスターもお目にかかったが、私はあまり家具や調度品のデザインに関心がないのだと思う。美術で興味が湧くのは文字(タイポグラフィー)と絵画(中世から、古典時代を除き、印象主義まで)。

午后、引続き、恋人への贈物を探しつつ、所用の品を調達する。ダマン・フレールで当面の紅茶を、パリ定番のショコラティエ、ア・ラ・メール・ド・ファミーユで紅茶のお供を。オデオン近く、コメルス・サン・タンドレ小路(写真)の文具屋Grim' Artで見つけたカメオの装飾のブックマークが良さそうだ。サン・ニコラ・ドゥ・シャルドネで夕べのミサに与り、帰路に着く。

 

12月27日 - パリジェンヌは美くしい。殊更、教会で見かける真のパリジェンヌは(私に己の目を抉る勇気はない)。私の恋人が美人でよかった、さもなくば私のパリ逗留は、もどかしさに満ち満ちていただろう。

マレ地区へ出かける、主たる目的はピカソ美術館。ピカソなど、どの時代だろうと愛したことはないのであるが、パリで未踏の美術館の方が少なくなって来たため。何ら感ずることもなく、否、彼の最初の妻オルガ・コクローヴァの肖像画は感じが良かったが例外に過ぎず、やはり無駄足だったが、貴族的で壮麗なサンポール・サンルイ教会で祈り、それに私お気に入りのCamilleで昼食を取れたことで、マレに来た甲斐は十分にあった。また、近くのポン・ルイ=フィリップ通、ここは地元色の強いアトリエや紙商が軒を連ねているのであるが、Calligrane、Mélodies Graphiquesの製品を見物できたことも良かった。言うまでもなく、恋人への贈物探しの一環である。

この後は近くのパリ工芸博物館へ行く予定であったのだが、急遽予定を変更。ピカソで感性を汚したので、清めのためにサン・シュルピスに、ドラクロワの壁画を見に行くことにした。壁画の説明はしない、読者が調べて呉れれば直ぐに分かることだから。

ああ、玻璃窓から入る陽光を浴びて耀く、ドラクロワによる壁画の高貴さと言ったら!サン・シュルピスのオルガンの楽の音を聴きながら、それらを鑑賞するに優る贅沢があるだろうか?これが、パリの真骨頂である。

否、これに留まらない。夜はオペラ・バスティーユでパリ国立歌劇団のトスカを鑑賞。どこぞの愚劣な新国立劇場とは異なり、奇妙で鼻白むような衒いがないところに余裕を感じる。パフォーマンスにも敢えて言及すべき瑕瑾はない。実に満悦至極。私は今まで、カーテンコールなぞ無意味だと思っていた。だがそうではなかった。忘我の私は幕引まで拍手を続け、照明が戻り、周囲に人がいなくなって初めて立ち上がり、クロークルームには私の外套と困惑する係員しか残っていなかった。

やはり音楽だ。ベルリンフィルウィーン国立歌劇場を巡る1週間の旅行を計画しよう。

 

12月28日 - 友人とも話したが、冬のパリでこうも青空が続くなど聞いたことがない。パリのアパルトマン、シュミニーの突き出る亜鉛板の屋根が、日の光を反射して銀色に輝く。これはコンプレイントだが、とても眩しい。

主日、晴。サン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会でミサに与る。ミサ曲はOrbis Factor、他Bel Astre Que J'adoreの旋律による即興曲が用いられ、私の心は高揚した。

ミサ後、オースマン男爵の魔の手から逃れたパンテオン以北、愉快なムフタール通の市場を歩き、イタリアン・トレトゥールで3品を選び、たったの6€!破産しかけの私には身に沁みて有難い。次の旅行先候補にイタリアを追加した次第である。コンシェルジュリーに行ったが、見学できる場所が余りに限られており退屈極まりない。気分転換にオルセー美術館の5階、モネ、ラトゥール、カイユボット、シスレーピサロ、マネ、ドゥガ、ルノワールセザンヌ印象派の祭典。聞けば上野の国立西洋美術館で「オルセー印象派展」が催されているらしいが、ビッグネームを集めた皮相的なものだろう。写真撮影禁止なら帰国後に見に行ってもいいが。碌に鑑賞もせず、展示作品のすべてを写真に収めていく東アジア人は(後から見直す事もないだろうに)何なのだろう?本当に、衷心から、猿の方がマシだと思っている。何も理由はこの一点に限られないけれども、私は東アジア人種であることが恥ずかしくて仕方がない。

夜、朝と同じ教会で夕べのミサに与り(この幸せ!)、ムフタール通のアルメニア料理屋で舌鼓を打ち(給仕の娘がとても可愛い!)、帰宅。4000文字の記事を執筆している次第。

 

 

 

『われらはきたりぬ(We Three Kings of Orient Are)』1857

気づかぬうちに待降節に入り、無原罪の御宿りの祝日も終り、喜びの主日(Gaudete)を迎えようとしている。意識を向けるためにアドベントカレンダーを用意すべきだったと反省している。次の主日ではVeni, veni, Emmanuelが歌われるかも知れないし、教会に行こうと思う。

 

昨日は恋人の誕生日を帝国ホテルのレセゾンで祝った。三博士さながら、贈物の万年筆にはTu es lux meaと刻印を入れた。中世の祈祷文からの引用である。食事の後で日比谷公園を歩いたが、久しぶりに佳い時間を過ごせたように思う。私の幸せを、何人も邪魔して欲しくはない。もう私は十分に苦しんだし、私には幸せになる資格がある(eligible)筈だ。

 

扨て、We three Kings of Orient are英国国教会で歌われるキャロル、La Marche des rois同様にメルキオール、カスパール、バルタザール、東方の三博士の歌だから公現祭にかけて歌われるべきだが、待降節にも広く歌われているようだ。イングランド風の古雅な感じを気に入っていたのだが、米国人による作曲だと知って落胆したのはここだけの話、人間の好嫌なんて所詮このように決まる。リンクの動画はケンブリッジKing's College Choirのものだ。英国に限らないが、蛮族の侵入によってこうしたお国柄が稀薄化していくことが、私は不快で堪らない。リベラルのヴァンダリズム!無責任なリベラリストは生涯自らの罪を自覚しないのだろう。

 

We three kings of Orient are
Bearing gifts we traverse afar
Field and fountains, moor and mountains           
Following yonder star

東方の三王は
宝を携え遠路を行く
野を越え、泉を渡り、荒野と山を越え、
彼の星を追いて行く

 

*O Star of wonder, star of night
Star with royal beauty bright
Westward leading, still proceeding
Guide us to thy Perfect Light

ああ、奇しき星、夜を照らす星よ
王の美を讃える星よ
西方へと導き、なお進み
我らを光明へと導きたまえ

 

Born a King on Bethlehem's plain
Gold I bring to crown Him again
King forever, ceasing never
Over us all to reign

ベツレヘムに生まれし王に
我は黄金を献じ、その冠を新たにせん
王よ再び統べることを止まず
永久に万民に君臨したまえ

 

Frankincense to offer have I;
Incense owns a Deity nigh;
Prayer and praising, all men raising,
Worship Him, God most high.

我は乳香を献げ奉る
神性を宿す薫香なり
諸人、祈りと賛美を天に献げ、
至高の神を崇め奉る

 

Myrrh is mine, its bitter perfume
Breathes a life of gathering gloom;
Sorrowing, sighing, bleeding, dying,
Sealed in the stone cold tomb.

我が献ずるは没薬、
人世の悲愴を告げる苦き香料
悲しみ、嘆き、血を流し、死に赴き、
王は冷たき奥津城に封ぜらる

 

Glorious now behold Him arise
King and God and Sacrifice
Heaven sings Hallelujah
Hallelujah the Earth replies

今、彼は栄光のうちに甦り
王にして神、また犠牲なり
天はハレルヤを喜び歌い
地も声合せそれに応えん

 

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20251127日記_晩秋の名残

晴、朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)の候が言う通り、街路のイチョウが黄葉をしきりに振払う。その落つる木の葉に、晩秋の淡い陽光が当たって金色に輝く様は大層美くしく、うっとりとしてしまう。と同時に、私が一年で最も愛する季節が終わってしまうことへの寂寞は、私を絶えず苦しめるのであるが。

この所、忙しかった仕事も一息つける境に至ったので、私は残された僅かな佳時を満喫している。先週末は友人と日比谷公園を散歩、また後輩と、新宿のカフェーで呵呵大笑。

本日とて、東劇で「五人」道成寺と二人椀久を観賞。玉三郎の芸の不思議、五人の花子がいても、刹那にそれが玉三郎と分る舞踊。彼の動きには一切の無駄がない。彼自身の立居振舞が典雅であるのに留まらず、彼の扱うものは、すべてが柔らかく、優雅になる。三十年前の彼の舞踊をみると、また違った感想を抱くのだが、それも面白い。

夜は同僚と、サントリーホールで読響の定期演奏会。「北欧プログラム」。素直にベートーヴェンドヴォルザークが聴きたいのだが、やはり読響は演奏が上手だから、どうも掴み所のないシベリウスであっても、そこそこには楽しめた。何より、連れとの会話が、貴重だった。

 

 

 

 

 

 

20251121日記_虹蔵れて見えず

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晴、仕事を終えて、恋人と夕食を共にする。イタリアン。レストランから歩いて初台のオペラシティへ。紀尾井室内管弦楽団の定演、ブラームス交響曲第一番を鑑賞。夢に見た恋人とのコンサートだというのに、私の心は高鳴らない。演奏自体も良くない、耳の腐ったブラボーおじさんは死ねばいい。彼女の手を握る、何の感動もない。もうだめかも知れない、彼女を改札で見送り、ジャズバーdugで酒を煽り乍らそう思った。

 

帰るさに聴いたバッハのミサ曲 H-mollの録音の方が、余程私を感動させた。

20251120日記_昭南島にて

18日、終日働いた後に羽田を発ち、ラウンジで頂いたシャンパンでほろ酔い状態とは言えエコノミークラスで眠れる筈もなく、19日の早朝シンガポールに到着。そのままサミット会場のホテルで、ひねもす銀行家・投資家と会合・社交。普段は触れ合うことのない人種、苦手ではあるが、彼らの社交性と頭脳明晰さを私は半ば羨望、尊敬している。

僅か1日の滞在ではあったが刺激的であった。というのは、美人と政治や経済のことを真剣に「議論」できる機会が、平生の私には稀であるからだ。日本でも周囲に美人はいるが、彼女らに知性を感じることはない。ビジネスパーソンとして前線で戦う女性に、私は敬意を表したい。

写真はラッフルズホテル、日本統治下の所謂「昭南旅館」である。

20251117日記_われふかき淵より汝をよべり

晴、菊が最期の色を添える晩秋の小石川植物園を逍遥。柔らかい陽光を受けて輝く金色の落葉を踏みしめると、何とも神秘的な音が。尤も、私の心は穏やかではない。

上野にある某アトリエへ赴き、「イコン展」を鑑賞。正教の聖具をただのコレクターズアイテムとしか捉えない浮薄な客ばかり。全く東京人は堪難い。帰りに歩いた恩賜公園の乱雑は恰もインドのバザールの如く、堕落の帝都、愚劣の放射中心。

久方ぶりのミサに与る。死者の月に相応しくデプロフンディスが歌われると、自身の自己中心主義を甚く愧じる気持が生じた。彼女を信用しよう。彼女を傷つけてはならない。私は祭壇の前でそう誓ったのであったが。

改心はそう簡単ではなく、今日記を記しているが、心緒は絲の様に乱れている。彼女のことを「子供を作る道具」と捉えると楽だ。換言すれば彼女を忘却の裡に沈めて了うことが、物質的で手取り早い解決策には違いない。

一つだけ言える事、過去の事件に拘泥するのは生産的でない。

20251106日記_炉開

晴、霜降も末候となり、楓蔦黄(もみじつたきばむ)と言うように、確かに先日歩いた御池通の亭々たる欅並木は紅に黄色に色づき始め、晩秋のおとづれを感じさせるものであった。カトリックとしては、11月は「死者の月」である。3日は万霊節であった筈だが、朗読されたのはどの場面だったろう。

通っている稽古場では炉開をお祝いし、「一」と書かれた御軸だったり、色々と季節の道具類の解説があったが、十三代惺入(せいにゅう)の白い筋の入った黒樂茶碗は釉薬の具合が美くしくて、拝見の際にうっとりしてしまった。こねた焼き物を美くしいと感じたのは、初めての事ではなかったか。あとは亥の子餅と御善哉を美味しい美味しいと頬張った事しか覚えていない。

体調を崩しているのに関西行を強行して、中之島美術館の「アール・デコ100年展」を見て、アドルフ・ムーロン・カッサンドルを再発見できたことは良かったけれど、他のことは概して不満足で、やはり無理は禁物だと学習をした。不調の時には判断が鈍るものだ。

 

ヴァレリオ・ズルリーニ『タタール人の砂漠(Il deserto dei Tartari)』1976

今月は東劇で『娘道成寺』が上演されるので、是非足を運びたいと思う。またベッリーニの『夢遊病の女』も、気が乗れば見ようと思う。

 

ズルリーニ監督作。ブッツァーティの同名小説の映像化。読書家にとってすれば、やはり小説を下敷きにした映画が一等面白い。それは同じ文章を読んだ自身と一流の芸術家とのイメージの突合わせであるからだ。

 

舞台はオーストリア=ハンガリーの辺境をイメージしているのだろうが、撮影はイランのアルゲ=バム遺跡で行われた。映画撮影の2年後にはイスラム革命が起きているし、更にアルゲ=バムは2003年の地震で崩壊して了ったから、かの古典小説の映像化が、かくも見事な形に結晶したことは、正に時機を得た天佑であったと言えるだろう。

 

イタリア映画の素晴らしさ。「神は細部に宿る」というが、将校が纏うオスマン式肋骨服、黒と白のジャケットに身を包んだ軍人によるフェンシング、兵卒が歌う"Christus Vincit"、小貴族の邸宅の古色蒼然たる家具調度、いずれも軽佻浮薄なアメリカ映画では見ることの能わぬもの。我々はイタリアを誇り高き文明国と銘記しなければならない。

それにいずれの俳優も、立居振舞の優雅さ、言葉の気位の高さにより、古き時代の軍人をよくよく演じていて魅せられた。映画は、それを鑑賞するものに「憧れ」を抱かせ「夢中」にさせなければならない。その点、この映画は及第である。

 

内容は、原作に忠実であったと思う。有為の青年を絶望させることに140分間を使うのは道楽としか言いようがないが、若き諸君はこれを反面教師にして、人生に過度の期待することへの警鐘、機を逸することの恐ろしさを学ぶが良いだろう。

 

 

ledilettante.hatenablog.com

 

クエンティン・タランティーノ『イングロリアス・バスターズ(inglourious Basterds)』2009

伊勢丹に依頼していた傘の修理が済んだ。前に記事を書いてから何があったかと思い返して見る。金木犀をはじめ、名残の花の香は絶え絶えになり、揺落の季節に入らんとする折、私の目を引いたのは、花と見紛う程に紅の、ハナミズキの葉であった。

タランティーノ監督作。下らない娯楽映画にケチをつけるのも何だが、実に貧相なセンスだと思う。こうしたものを評価する人間も同様に哀れみに値する。