初出勤日と体調の違和感

五時半起床だった。

今日は就労継続支援事業所の初出勤日だ。

しかし、体調に違和感がある。

 

この違和感の正体をわかることができない。

マインドフルネス

首ストレッチ

冷水シャワー

今年初めてのゴミ出し

朝、タスクをこなし過ぎているのかも知れない。

何より行いたいことは、文学がしたいということだ。

 

でも、どちらもそれで体調が悪くなったら、おかしい。

しかし、加えて寒さとかストレスとか原因そうなものを、挙げればきりがなくなる。

 

正直、今の仕事はリハビリだと思っている。

それにしたって、不満を挙げればきりがない。しかし黙すが花。

仕事に行かない、という選択をすることになる。

じゃあ、どーすればいいのか。

 

一つには、癒やされることだ。

本を読む。音楽を聞く。小説を書く。音楽を演奏し発表する。

それらを通じ、私の中が、僕の中が、ガラリと変わって、変えてしまえばいい。

今の所、そういう発想しか持っていない。

しかしどれもが遅効性の産物だ。加えて集中する必要がある。

だから書斎を持っている。

私の家には書斎がある。

自慢ではない。

環境という事を考える。

環境と、そこ居るということのこころを考える。

 

 

元日

起床八時だった。

ちょっとしたおせちにお雑煮を頂き(妻、ありがとう)

薬も妻が用意してくれたので、しっかりと行うことができた。

 

コンビニに寄って、ハイライト買いつつ、近くの神社へ。

ガラガラであった。その分静かに祈りを捧げることができた。

 

昼食、カップラーメンの博多豚骨。汁が美味しい。

美味しかったです。頂きました。

 

年明け初日からして、妻の不安定さが目立つ。

寂しいと言ったり、お金について、食事について要求したり。

正直、歳を改めても、ふりかえりもしていなかったし、抱負も語ったり

書いたりしていなかった。

今も早く散歩に出たいらしく、何か焦っている。

ここは頓服を服用して、一度冷静になるべきじゃないのか?と思う。

 

個人的には、エリック・サティ等を聞きながら、ゆったり読書したい。

久しぶりにこうしてブログを書いているが、妻の散歩に出たい焦りを

感じながら書いているから、思考がディープになることもない。

ともかく僕は、この2026年の抱負とタスクは、印字してあるので

それで目星をつけて淡々、こなしていくし、明日からも焦ることなく

過ごしたい。忙しなさは、敵だ。

 

結局、抱負を抱こうが、タスクを書き出そうが

夢が叶う人は叶うし、叶わない人は叶わない。

ブルースとしてそうした絶望を歌っていくことも、弾き語りをしている身

には大切だし、それでも、いつでも前向きに生きてゆく。

ある種の諦観も抱きつつ、日々生きてゆく。

抱負やタスク書き出しは、成功の確率を上げるけれど

やっぱり巧くいかないときは、いかない、と痛感した去年だった。

 

風呂に入り、心身清浄した。

 

ともかく散歩に出なければならない。が、この「せねばならない」

思考がやっかいだ。

せねばならない、から自由でいたいとも思う。

でもそれをひとからは、きっと責任の放棄と思われてしまうので難しい。

妻は偉く、おいらは駄目だ。

 喉がいがらっぽい。風邪か?と思ったので一応、事業所お休みさせていただくことにした。

 その代わりといってはなんだが、文春文庫の小説を午前中、読むことにした。

 禁煙は大丈夫。やっぱり時間が薬だなぁ、とつくづく思う。

 

 それにしても、熱が頭の方にこもるせいか、罰の悪いことをしたせいか(してない)

気力が湧かないのだよ。僕は文学に取り組みたいのだよ。まあ、風邪のせいか・・・。

 

妻はまた偉いなぁ。今、「もう洗濯していいかなぁ」なんて聞いてきたよ。家には太陽光発電がついているのだが、その発電を気にかけているわけだ。偉いなぁ、妻よ。

朝食にミニトマトの酢のものがついてきたよ。ほんと、偉いよなぁ。

 

それに比べて、おいらなんて朝、ゴミ出しにも行けなかったし。ただ戦前ブルースを聞きながらボーっと、卵かけご飯を食べていただけで。妻が行ったよ。偉いよ。この寒い中を。

 

だからおいらはこれじゃあ駄目だと思ったんで、ブログに文章をしたためているわけです。偉い人がいると周りが駄目になっちゃう。その典型が、この二人家族です。

偉いのは妻です。駄目なのはおいらです。

 

でも、なんだろうねぇ、風邪気味なのは本当だけれど、低き川の流れの如くありたい、と言うか、わからないけれど、自分を低く見せておきたい気はするね。

それは自分の純粋な部分を守る為だったりする。

上昇志向なんかない世界で、むしろ、横に移動してゆく生き方っていうかさ。

上昇しても、星しかないんだから。

横に行ったら、日本の場合、海があって、今度は反対方向に帰ってくればいいんだからさ。

 

妻はさ、上昇志向の塊みたいになってた時期があったんだけど、なんか最近、そういうとげとげしさもなくなってさ、人、としていい感じに余裕が出てきてるんだよね。

なんでなんだろうね?

 

駄目だ、考えていたら、タバコ喫いたくなってきちゃった。さて、体調最悪ですが

今日も一日、ていねいに暮らしますか。

 

 

 

 

ていねいに

禁煙後の鬱症だった。

今日で禁煙、34日目である。

普通、禁煙のキツさは3日で消える。

それが消えないのも、ちょこちょこ喫ってしまっていたからだった。

 

純粋に、禁煙2日目。堪らなくてニコチンパウチを口に放りこんだ。

今は、いい方へ行っている、大丈夫だ、安気できる、といった心持ちだ。

 

昨日は、詩の投稿掲示板でいろいろなひとの詩を読んでいた。

じぶんにはもう詩が書けないのではないか、と、思い知らされた。

それでも今年の文芸コンクールでは一等を獲っていた。

今朝、祖父から電話があり

「新聞に名前が載ってるよーおめでとう」

と、いうことであった。

文芸コンクール、小説部門では妻が賞をとっていた。

祖父はそのことも褒めてくれた。妻に伝えた。妻が笑顔になった。

 

嬉しいこともある。妻が料理にちょっとした食べやすい野菜

というか、漬物を出してくれたのだ。

僕は、漬物の味が分からない内は日本人といえないが信条だ。

なんでそんなふうな信条を掲げたのかわからない。

山頭火の、散文の影響かもしれない。

小さなことかもしれないけれど、小さなことこそていねいに。

そう考えるようになった。ていねいにすれば、間違わない。

今、通っている、就労継続支援事業所での、仕事の影響かもしれない。

 

ヨガは何より色々気づかせてくれるけれど、昨晩は僕の怠慢から

スマフォの音楽を鳴らしながら寝てしまって

いっしょの部屋に寝ている妻に迷惑をかけてしまった。

ていねいに、が、できていない。ていねいに、は難しいのだった。

 

ていねいに生きていますか?と問いたい。

そして時に雑に生きるときはいつですか?

疲れているときじゃないですか?

世は風の時代だと言われている。

僕は 風葬 を想像する。

風葬のように、いつの間にかひとがいたり、去ったりしている昨今。

その理由も知らされずに。

風のように生きるのもいい。でも最低限、ていねいに生きようと自戒する。

 

 

寝ぼけ眼で

2025年12月3日。水曜日です。

私は事業所に向かう予定なのですが、なにぶん原付で向かう為に今日の天気を気にしている。

大丈夫です。ここらの天気は一日晴れの筈です。天気予報によると。

 

1日、妻の容体が悪くなって、事業所、通所できなかったんだよね。

でもその後、妻が回復してなによりさ。

今、一日、二時間にしているんだけどねぇ。今日は仕事できるかな。

 

急な話すると、小説、が書きたくてねぇ。詩も(自由律)俳句も

日々行っているからさ。あたらしいジャンルにも挑戦したくってねぇ。

でも小説には小説の型があるでしょう。

フォームなくしてスピリットなし。ロゴスなくしてパトスなし。道なくして心なし。

その、型ってもんがイマイチわからないのだよ。

筋、というものもある。

「筋がなくても小説は書ける」と主張したのは芥川で間違いない?

純、文学の世界だよ。

おいらは現場主義と言おうか、経験主義なんだけれどねぇ。

今までの生き方を総括したいという意味では、もう老いている精神年齢なんだよな。

 

瞑想をしていると、自分の生きていない世界の映像、が目の裏に流れたりする。

縄文的な世界観だったり、未来的な世界だったりする。

詩ィ、の世界には深く触れてきたけれど、そういう自分の生きていない世界の

受けとり先ではないと思ったんだな。

(別にできなくはないよ、詩で縄文も、未来も)

そこで小説というものを念頭に置く。

なんだかわくわくするじゃん。わくわくしている自分がいる。

 

本当の老いに向かって、自分の書くものがどういう風に「乱れていく」のか。

そこに非常に興味関心がある。

 

 

仕事の果てに仕事をしに

私の略歴を示すならば、仕事の連続体である。

しかも小休止があるでなし、どこも、二年かそこらで駄目になっては

又、一年、二年と勤めているのであった。

私は小休止が欲しい、と思っていた。

今、落ち着いた就労継続支援事業所も、きれぎれの日数の出勤だった。

38歳。体力的なものも感じはじめている。

 

今日は休日の筈だった。しかし、父の所有する賃貸物件の清掃、管理の仕事

これを頼まれてしまった。

今日は午前三時に起床した。そして、禁煙の禁をやぶってしまった。

今はもう喫っていない。

私は自己の、毒気を感じる。比して、ほんとうに清浄な自己を置く。

清浄な自己になる為には、何もしなくていいのだ。

ニコチン、カフェインを摂らなければいい。

言うに簡単だが、するに難しい。

禁煙は、ニコチンパウチの力を借りている。

これでも、禁煙、26日、持ったのだった。

カフェインは、コーヒーはやめられぬ。

それでも摂り過ぎると動悸がする。

38歳、チキン・レースをしている気分にもなる。

 

仕事とはいえど、N市まで母が車を出して下さる。ありがたいことだ。

そして、この仕事は妻との共同作業なのであった。ありがたいことだ。

 

煙草を喫ってしまった身の、コーヒーをガブ飲みした身の

愚かしいこと、でも、妻が、頼もしくある。

妻の場合、「頼もしい乙女」といった感がある。

なんだろうねぇ、妻の方が、五歳、年上なんだけれどねぇ。

 

そうそう、文学的な話をすれば、最近、夢枕獏さんの「仰天・俳句噺」を

読んだのだけれど、自分の無学さを思い知ったねぇ。

私には学がないからねぇ。妻はエジプト、スフィンクス源氏物語って塩梅だ。

恐れ入るねぇ。

学がないといって、何からはじめりゃいいのかわからないから

最近は文庫化された芥川賞とった本を読んでいるよ。

どれも難しいが、難しいのが学、だろう?

知的好奇心を満たすものはあるわけよ。固いこと言わずそれでいいじゃん?

って色々書いていたら、仕事まであと三十分になった。

いけない、いけない。

久しぶりにこんなブログをでっちあげたよ。

大丈夫、頼れる乙女がいる。

そんなこんなで今日も頑張るよ。なんだか周辺が騒がしいよ。トホホ。

行け!頑張れ!日の丸ニッポン!チャチャチャ!

自由律俳句をまとめています。

 

現在、このブログでは自由律俳句を発表していませんが

2013年からバラバラに保存、保持していた自由律俳句の原稿を

年ごとに整理、まとめる一大事業を行っています。

 

タイトルは未定ですがその自由律俳句集成を

発表することが目下のところ、目標です。

 

大変な作業です。地味ですし(笑)。

でもああ、あのとき僕はこうだったと思えて

まとめていて愉しいです。

頑張ります。

 

今日は天気を気にしつつ仕事。

行ってきます。