草津駅から徒歩5分足らず。
滋賀では珍しいテナントビルの地下へと降りていきます。エレベーターか、やや急な階段を降りたその先に、静かに灯りをともす和食の名店があります。
私にとって、グルメの原点──「滋味康月」です。
ここで初めて体験した「食の感動」が、私の価値観を大きく変えました。
それ以来、両親やお世話になった方をお招きする、いわば“勝負どころ”の店として、節目ごとにこの暖簾をくぐってきました。
そして今回。
異動という一つのターニングポイントを迎え、6年ぶりに康月を訪れることにしました。
6年ぶりの扉を開ける
これまでは夜のみの利用でしたが、「お昼が特に人気」という話を何度も耳にしていました。半ばあきらめにも近い気持ちで、ダメ元のつもりで電話をかけてみると──
「ご希望の日、空いておりますよ」
そう言われた瞬間、胸の奥で小さなスイッチが入るのを感じました。
“6年ぶりの再会”を果たすのにふさわしい舞台が、自然と整っていくような感覚です。
かつては「お昼は半年待ち」というイメージが強く、予約困難な印象がありましたが、コロナ以降は状況も落ち着き、以前ほどの混雑ではないとのことでした。
なお、お昼の時間はクレジットカード決済が利用できず、支払いは現金のみです。
特別な時間を台無しにしないためにも、財布の中身だけは事前にしっかり整えておきたいところです。
今回は、デザート・茶菓子・珈琲まで含めて全12品構成の「お昼の風コース」(税込7,150円) をいただきました。
全てが美味しいその中から、心を深く揺さぶられた3品を、あえて絞ってご紹介します。
1.八寸 ─ 季節と「帰ってきた自分」を告げる一皿

最初に供された八寸は、まさに“季節の縮図”のような一皿でした。
一つひとつの品が小さな物語を持ち、味わうごとに食感、香り、余韻が変わっていきます。
薄いグラスでいただくエビスビールを合わせた瞬間、ふっと肩の力が抜けました。
「ここまで戻ってくることができた」
仕事の環境が変わり、日々のリズムも揺れ動く中で、変わらずこの場所があり、変わらずこの八寸が“再会の挨拶”をしてくれる。
その事実が、ひとつのご褒美のように感じられました。
安心感と、これから供される料理への期待感。
その両方を一皿で同時に膨らませてくれるのが、康月の八寸です。
2.鰆の西京焼き ─ 火入れが物語る職人の矜持

続く主役級の一皿が、鰆の西京焼きです。
脂ののった皮目はパリっと香ばしく、
箸を入れると、身は驚くほどふわりとほどけていきます。
「焼き」というシンプルな調理法だからこそ、
火入れのわずかな差で印象が変わります。そのギリギリのラインを、迷いなく越えて仕上げてくるあたりに、職人としての矜持を感じます。
そして、ここからが康月らしいところです。
添えられた蜜柑、干柿の天ぷらと合わせることで、口の中の世界が一変します。
柑橘の爽やかさ、干柿の濃厚な甘みが折り重なり、ひとつの皿の中で何度も「味の転調」を楽しめます。
和食の枠を逸脱することなく、しかし想像を軽々と超えてくる。
この瞬間、「ああ、自分はやはりこの店の料理が好きだ」と、改めて心の中でうなずいていました。
3.白ご飯とご飯のアテ6種 ─ シンプルの極みが、一番贅沢

今回のコースでも、やはりもっとも胸を打たれたのは、土釜(おくどさん)と土鍋で炊いた白ご飯と、ご飯のアテ6種でした。
土鍋の蓋が開いた瞬間に立ち上る湯気。
粒が立った白いご飯の輝き。
視覚だけで、すでに勝負がついているような説得力があります。
ひと口、口に運んだ瞬間、
「ご飯そのものがご馳走である」という、当たり前でいて忘れがちな真理を、強烈に思い出させてくれます。
噛むほどに甘みが増し、気づけば無心でかき込んでいました。
おかわりも可能で、おこげを楽しんだり、卵かけご飯にしてみたりと、ひとつの土鍋から何通りもの“幸せな締め”を作ることができます。
華やかな料理の数々を締めくくるのが、“ただの白ご飯”。
しかし、その“ただの”を極め切ったとき、ここまで心を動かせるのか──。
康月の凄みを、改めて思い知らされる一皿でした。
初めての康月で、価値観が変わった夜
私が初めて康月を訪れたのは、まだ今よりもずっと経験値の少なかった20代の頃です。
カウンターの向こうには、やや強面の初代店主。
緊張で背筋を伸ばしながら、その包丁さばきをただ黙って追いかけていました。
やがて、目の前に料理が並び始めます。
最初の一口を含んだ瞬間、全身がゾクッと震えました。
「家庭では、絶対に再現できない」
そう確信させるレベルの仕込みと、繊細な味の設計。
“食事”という日常的な行為が、一気に“体験”へと昇華していく。その境目を、康月は鮮やかに超えてきました。
この夜が、私にとっての「食のターニングポイント」でした。
それ以来、人生の節目や、感謝をきちんと伝えたいタイミングで、私はこのカウンターに戻ってきます。
カウンターの特等席で聞いた、康月の哲学

今回は、店主が調理される真正面のカウンター席。
包丁の音、鍋の音、火の加減。全ての「仕事」が、ライブでこちらに届きます。
合間に伺った話が、どれも印象的でした。
「同じ銘柄のお酒でも、どこから仕入れるかで味が変わるんですよ」
ラベルだけでは見えない、扱い方や保管環境の違い。
その“見えない差”まで把握したうえで、その日の料理とゲストに合う一本を選ぶ。そこに、プロとしての視点と責任感を感じました。
食材は、滋賀の契約農家から仕入れたものを中心に構成されています。
さらに、「洋食にならないように」という哲学のもと、乳製品やオリーブオイルは使わず、あくまで“和食であること”にこだわっているそうです。
表面的な華やかさではなく、
「どんな料理でありたいか」という軸が、明確に通っている。
その姿勢が、皿の上にそのまま表現されているように感じました。
炭火焙煎の珈琲で締めくくられる、大人の余韻


オプションでお願いした珈琲も、康月らしい一杯でした。
焙煎度合いを指定し店主自ら炭火で焙煎し、豆の風味そのまま試食した後にその場で挽き、ペーパードリップしてくださいます。
雑味のないクリアな味わいと、立ち上る香りの高さは、和食のコースの余韻を壊すどころか、むしろ静かに引き延ばしてくれるような存在でした。
最後の一滴まで飲み干したとき、ふと「またここに戻ってこよう」と自然に思える。
それは、満腹感ではなく「満足感」がしっかりと残っている証拠だと感じます。
感謝を“言葉以上の形”で伝えたいときに選ぶ店
両親をねぎらいたいとき。
お世話になった上司に、きちんと感謝を伝えたいとき。
あるいは、自分自身の節目にケジメをつけたいとき。
そんなタイミングで、真っ先に頭に浮かぶのが康月です。
ここは、ただの「お気に入りの和食店」ではありません。
私の中で、「食を通じて、誰かと真剣に向き合うための場所」として存在しています。
派手さはないかもしれません。
しかし、積み重ねてきた技術と美意識、そして静かなこだわりで組み立てられた一皿一皿が、人生の“大事な場面”を、いつもそっと後押ししてくれます。
滋賀で、感謝をまっすぐ届けたいとき。
私はこれからも、康月のカウンターを思い浮かべるのだと思います。




