令和七年心の満たされる感謝の一年「寺社訪問記」

 愈々(いよいよ)、令和七年も残り少なくなりました。今年も家族共々、健康に過ごせたことに感謝です。今年の東京の冬は、日本海側の厳しい天気と違い、晴れが続き穏やかな新年を迎えそうです。

 この1年振り返って、毎年恒例年始に府中市の「大國魂神社」から始まり、寺社を変わらず訪問しました。都内5,60か所以上訪れましたが、その中で今年最も印象に残っていた訪問先「巳年、桜、湧水」に関する寺社を挙げてみました。

 

今年は巳年

 先ず今年の巳年に因む神社です。東京都の多摩地区立川市「矢川弁財天」です。南武線西国立駅からは数分の位置にあります。全景です。池が見え、寺院と隣り合わせの赤い屋根の社殿です。

 

 社殿の前に、とぐろを巻いた「狛犬」ならぬ「狛蛇」です。 蛇型の狛犬とは珍しく奇怪ですが、顔の表情は穏やかで可愛らしくさえ見えます。

 

 社殿の前の橋にも白蛇がいるのです。「白龍橋」と書かれた石橋を渡ろうとしたところ、この橋の欄干には左右一匹ずつ蛇が鎮座しています。驚きました。

 

 もう一つ巳年と関係ある神社がありました。東京都国分寺市「真姿弁財天」です。

国分寺市の地域住民に豊かな水をもたらしてきた「真姿(ますがた)の池湧水群」に立つ祠「真姿弁財天社」で、巳年に御神体のご開帳が行われました。12年ぶりということで「長蛇」の列でした。

 

 やっと祠の方へ行き、赤い鳥居の所に辿り着きました。二礼二拍手一礼の参拝後に、祠の中を拝見しました。ご神体は小さく白いお顔をされている弁財天様が、ひっそりと鎮座していました。

 

 御朱印ですが、普段、社務所も無いので御朱印はありません。しかし、今回は特別に蛇が描かれた御朱印を頂くことが出来ました。

 

桜の寺院

 次は桜の寺院です。東京都文京区本駒込吉祥寺」です。桜に覆われた歴史と文化があります。武蔵野市の吉祥寺に、吉祥寺というお寺は存在しないのです。本家本元の文京区本駒込にある「吉祥寺」です。

 山門から桜がいっぱいです。山門の扁額は、栴檀林(せんだんりん)です。栴檀は香木に使われるセンダンのことです。

 

 山門を潜りますと境内は広く、参道が長く桜並木となり本堂まで続きます。

 

 参道の右側の「経蔵」と「鐘楼」にも桜でいっぱいです。

 

 もう一寺、桜の綺麗な寺院がありました。吉祥寺近く本郷通り沿いの浄土宗のお寺「浄心寺」です。巨大な布袋尊像が桜をバックに迎えてくれます。

 

 浄心寺の本堂へ真っ直ぐ向かう参道ですが、左右の桜の木が満開の4月でした。

 

 本堂は高台になっていますので、本堂からの桜の眺めも絶好でした。

 

湧水が豊かな寺社

 古来寺社は、水が豊富な所に建てられたようです。特に東京近辺は多摩川沿いに寺社が多く、湧水も豊かです。三つめは湧水が豊かな寺社です。

 先ず深大寺です。都心に近い調布市にありますが、日本最大の肖像彫刻、秘仏「元三大師(がんざんだいし)」像の大開帳ということで行って参りました。深大寺と云えば深大寺そばですが、そば店に入り、そこから直ぐ下の「亀島弁財天池」がありました。豊富な湧水、いたる所にこのような光景があります。

 

 また東参道の方へ行くと不動の滝がありました。深大寺には、深沙堂の裏手に水源地があり、不動の滝に湧水が流れており、お堂、参道のいたるところに清らかな水が流れて心地良かったです。

 

 次に東京都昭島市諏訪神社」です。豊富な湧水と石垣の魅力がありました。

 

 社殿の前に境内社厳島神社」があります。この辺りが「東京の名湧水57選」が顕著に見られました。祠の左は水路になっており、湧き水が流れています。奥に小さい滝も見られます。

 向いにある阿弥陀寺も同様に、この辺の地域は湧水が豊富に見られました。

 

柴犬チロリの思い出

 最後に、今年最も悲しくせつない出来事、それは柴犬チロリ15歳の永遠の眠りでした。昨年寝たきりとなるも奇跡の復活を遂げ、性格が穏やかになり子供に帰ったみたいでした。それも長くは続かず、3月22日に眠っているかのように、安らかな顔で天国に逝ったのです。

 

 半年以上経過しても、まだ傍にいる気がします。全てがチロリ中心の生活が一変しましたから。という訳で、ありし日のチロリの写真でもう一度懐かしもうと思います。

何か頂戴とチロリ。

 

犬の顔の絨毯で眠るチロリ

 

舌出して眠るチロリ。

 

片足隠すチロリ。

 

怒るチロリ。

 

ストーブの前の寒がりチロリ。

 

どこでも眠れるチロリ。

 

外が好きなチロリ。

 

おわりに

 扨(さて)、来年も健康で寺社巡りを出来ればと思います。因みに全国の数からいえば、寺院、神社何と其々(それぞれ)8万寺社位です。日本人の篤い神仏信仰の表れと云えますが、まだまだほんの1部しか参拝していません。来年はもっと遠出をしようと思います。それでは、皆さま良い年をお迎えください。

                              以上

生きものたちの冬の物語「多肉植物の銀手毬」元気に咲く

 今年の夏は酷暑そして短い秋が過ぎ、乾燥した寒暖差の激しい冬となっています。この冬を我が家の生きものたちは、どう生きているのでしょうか。3月に亡くなった柴犬チロリがいない寂しい冬です。庭の草木はさすがに元気が無いのですが、多肉植物は家の日当たりの良い所に置き元気に過ごしているようです。

 

多肉植物たち

 通称「銀手毬」という造形の綺麗なマミラリア属のサボテンです。この寒い12月に花が咲きました。

 

 2鉢あるのですが両方共咲いています。まだ2年位ですが強い光を好み、寒さにも強いようです。

 

 10月にピンクの花が咲いた、「マミラリア属サボテン」ですが、赤い舌見たいのを出しています。何でしょうか、不思議です。

 

 いつもの多肉植物です。先ず「ハオルチア」で、冬も変わらず元気です。

 

 これもハオルチアだと思いますが、いつのまにか勢いよく増えています。

 

 エケベリアです。葉が重なってバラの花のようになる多肉植物で、数多くの園芸交配種が存在するようです。夏に外に出していると、本当に生命力が強く枝を数多く伸ばしています。

 

 それを全て切り取り別の鉢に植え替えました。そこからまた何も無かったように伸びています。

 

 こちらもそうです。切り取って置いておくだけでまた根付いています。

 

 別の鉢の「エケベリア」ですが、夏の暑さで色褪せ弱ったものの、しっかり下の芽も育っています。逞しいです。

 

 ベンケイソウ科センペルビウム属の「上海ローズ」です。強い日差しには弱く、夏は元気が無かったのですが、屋内へ入れると小さい芽をたくさん出し伸びています。

 

「ウチワサボテン」みたいですが、いつのまにか大きくなっています。

 

 次から新しく揃えた種類です。「巴里玉(ぱりぎょく)」というリトープス属の多肉植物です。細かい網目模様が特徴のようです。来秋白い花が咲く予定です。

 

「花園(はなぞの)」というコノフィツム属の多肉植物です。原産地は 南アフリカで、葉の中心の割れ目からオレンジ色の花を咲かせる来年が楽しみです

 

「夕波(ユウナミ)」というデロスペルマ属の多肉植物です。茎立ちし春から夏に花を咲かせるようです。

 以上の新しい多肉植物は、来秋に花を咲かせる予定ですが、これから寒い冬から暖かい春へと無事に育ってくれればと思っています。

 

 何年も育っている「金のなる木」です。厳しい暑さにも乾燥や低温などにも強い逞しい多肉植物です。12月に入ってあちこちの枝から蕾を出しています。

 

庭の草木たち

 秋になって花が咲き、今でも咲いている「ツワブキ」です。毎年冬に咲く貴重な花です。

 

 秋から冬に咲いている「山茶花(さざんか))です。花は次から次へと長い期間咲いています。

 因みに「山茶花」と「ツバキ」の違いですが、山茶花は秋から冬、ツバキは春に開花します。 花びらが散りながら落ちるのは山茶花、 花ごとボトッと落ち、散らないのがツバキです。

 

 「万両」と「南天」が今年も紅い実をつけています。しかし、「千両」は暑さに弱くあまり実をつけませんがその実も鳥に食べられます。

万両

 

南天

 

 キンカンもたくさん黄色い実をつけています。

 

 柴犬チロリが亡くなって半年経ちますが、その時墓に植えたのが「ベゴニア」です。長く絶え間なく花を咲き続ける丈夫な花です。

 

冬の野鳥たち

 冬は、野鳥にとって食べるものがあまりなく赤い実は、野鳥にとって冬の貴重な食料です。南天の実を食べる「ヒヨドリです。

 

 メジロシジュウカラもいつも食べ物を探しにやって来ます。素早くてなかなか撮れません。

メジロ

 

 11月末に撮ったヤモリの写真です。今頃は冬眠しているでしょうか。

 

おわりに

 師走に入って早くも年末へと慌ただしい季節となりました。世界情勢、日本の政治、経済状況が不安定です。そんな世の中の厭な気持を吹き飛ばしてくれるのが、健気に生きる身近の生きものたちです。

 多肉植物は、本当に不思議な植物です。冬の間、殆ど水やりはしていませんが、それでも光だけでもこの様に活き活きと成長する姿に驚きます。野鳥など動物たちも餌の無いこの季節をそれなりに逞しく生きています。それでわたしも心が和み、健康も保たれ有難いことです。

                             以上

川崎市高津区の寺社巡り「龍台寺」黄金のイチョウが輝く古寺

 神奈川県川崎市高津区の寺社巡りが続きます。溝口神社から始まって、宗隆寺、久本神社を参拝。今回は、天台宗のお寺「龍台寺」で、武相不動尊霊場の一つでもあります。

 

龍台寺 (りゅうだいじ)

 山号:命府山

 院号:理生院

   寺号:龍台寺

 宗派:天台宗

   創建:明応5年(1496)(改宗)

   開山:乗辨(じょうべん)上人(中興開山)

  本尊:地蔵菩薩坐像

 

 龍台寺の縁起

 龍台寺は創建年代等不詳ながら、久本村を知行した旗本長坂信俊を外護者とし、乗辨上人を中興開山とし慶安2年(1649)に起立しました。

 現在の本堂は、明和6年(1769)の上棟で、正面、側面とも五間、入母屋造り、銅板葺きで、正面一間半に向拝を付し、柱頭に船肘木をおく全体に住宅風の建築です。

 境内の説明書き

 

山門から境内へ

 山門のはるか前に寺号標があります。

 

 少し目立たない山門です。

 

 長い参道で、石段の上に本堂が見えて来ました。

 

 境内の入口です。杉の木とイチョウの大木が映えます。

 

 石段を上がった右手に手水舎があり、先ずお清めします。

 

本堂

 本堂です。内部は信徒を収容する広々とした空間をとり、中央の鏡天井には彩色の飛天図を描いています。近世中期の建築様式を伝える文化財として川崎市有形文化財に指定されています。

 

 正面の扁額は、寺号の「龍臺寺」。「臺」は「台」の旧字体です。

写真下の「十六菊」の中央に3つの星は、天台宗の宗章、「三諦章(さんたいしょう)」です。

 

 天台宗の説明書き。

 

 天水受けに卍の文字が。

 

 本堂の左側にめぐり地蔵尊

 

毘沙門堂

 伝教大師または慈覚大師御作と伝えられる「毘沙門天」と「不動明王」を祀っています。

 

 武相不動尊霊場五番です。武相不動尊霊場は、旧武蔵国の多摩地区・川崎市横浜市にある著名な不動明王28像を巡礼する霊場です。

 

阿弥陀仏坐像

 本堂の左側に墓所の方へ行く道があります。その入口に阿弥陀仏像(萬霊供養塔)があります。

 

 その左右に無縁仏でしょうか、如意輪観音などの石仏、石碑が並んでいます。

 

稲荷堂

 更に行くと稲荷堂があります。

 

 稲荷堂建立記念碑そして何を祀っているか小祠があります。

 

永代供養合祀墓

 

御朱印

 最後に御朱印です。庫裡にて御住職より頂きました。

庫裡玄関内部

御朱印

 

おわりに

 龍台寺は、古くは「命府山龍台院理性寺」と呼ばれ、杉山社など複数の神社の別当を務めていました。現在の住職である樋口智亮さんのお父様が、無住だった龍台寺に入られてから歴史が続いています。

 また、龍台寺には龍神が棲むという言い伝えがあり、水の湧き出る場所に龍は存在するとされており、龍台寺周辺にも湧き水があったことが関係しているようです。

 龍台寺の見どころは、本堂、毘沙門天堂の他に、何と云ってもこの季節、黄金のイチョウの大木です。手水舎の傍、本堂、阿弥陀如来坐像からどこへ行ってもこのイチョウの大木が見られます。

 

 創建時期が不明ですが、地域の人々に長く信仰されてきたお寺で、その歴史の深さから、地域の重要な古寺の一つとして認識されているように思います。ありがとうございました。

 

追記

 久本神社から龍台寺に行く途中に「大蓮寺」という浄土宗の寺院がありました。予期していなかったので詳しく観なかったのですが、写真だけ備忘録として載せておきます。今度ゆっくり観に行きたいと思います。

入口

 

手水舎

 

本堂

 

観音堂

 

石仏、石碑

                               以上

川崎市高津区寺社巡り「久本神社」古き良さを感じる散策

 神奈川県川崎市高津区の寺社巡りが続きます。溝口神社、宗隆寺を参拝し南方向へと行き溝ノ口駅を通り越し、反対側の「久本神社」に向かいます。久本神社は、東急田園都市線の「溝の口駅」あるいはJR南武線武蔵溝ノ口」駅から徒歩約5分という便利な場所にある神社です。

 

久本神社の由緒

 久本神社が鎮座する久本村には、江戸時代に杉山社が2社、神明社、八幡社の合計4社がありました。明治6年(1873)に神仏分離が行われた際、これら4社を神明社に合祀し、社殿を山頂から麓へと移して「久本神社」と改称されました。

御祭神:天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

 

鳥居から境内へ

 久本神社の入口です。手前に社号標があります。

 

 鳥居です。参道の先には神明造りの社殿が見えます。

 

 一揖して鳥居を潜り境内へ入ります。直ぐ右手に手水舎です。手水鉢には左三つ巴の社紋、龍の彫刻も見事です。心身を清めます。

 

 参道を進みます。境内は、広々していて気持ち良いです。

 

社殿

 拝殿です。現在の神明造りの社殿は昭和29年に造営されたものです。

 

 拝殿の前には狛犬です。

 

 拝殿の正面です。扁額には「天照大神宮」の文字。

 

 社殿の左側面と左斜め前から撮ったものです。

 

 社殿の左手前の「地神塔」と刻まれた石碑。地神塔とは、土地の神様を祀るための石塔です。昔から、農作業の安全や豊作を願って、村や集落の守り神として大切にされてきたようです。

 

 社殿の裏山は林となっており、川崎大空襲の際に使用された防空壕が今も残っており、当時の歴史を伝える場所となっています。

 

 社殿の右側面の大きな木と社殿建立の記念碑です。

 

御朱印

 最後に御朱印です。社務所に「久本神社の御朱印は、溝口神社で承っております。」との張り紙が。

 

 先ほど既に参拝した所ですが、せっかくなので二寺院を巡った後に、再度溝口神社に行き頂いてきました。

 

おわりに

 久本神社は、駅の近くとは思えないほど緑豊かな環境で自然に囲まれています。神明造りの社殿は、シンプルながらも力強さを感じさせるデザインです。神明造りの起源は、古代の日本にあります。稲作文化が栄える中で、収穫を感謝し、豊穣を祈るための建物として発展しました。高床式倉庫などの農耕文化と深く結びついています。

 久本神社に行く途中に、土蔵や山門のような古い門がある「久本薬医公園」がありました。

 

 江戸時代から約250年続いた医家「岡家」の住宅跡地を整備・保存し、2007年に公園として生まれ変わりました。この蔵は、関東大震災、太平洋戦争により被害を受けましたが、本来の漆喰塗り、置屋根構造の土蔵の姿を復元しています。

 

 「薬医門」は、岡家が馬に乗って往診に出かける際に、馬に乗ったまま通れるようにと工夫された立派な門です。

 

 久本神社はこの公園の直ぐ近くですが、途中で古い遺構を見せて頂き良い寺社巡りとなりました。ありがとうございました。

                              以上

川崎市高津区寺社巡り「宗隆寺」スワローズファンの聖地と癒しの猫

 神奈川県川崎市高津区の寺社巡りです。溝口神社を参拝後、隣接する「宗隆寺」を訪問しました。宗隆寺は、日蓮宗のお寺で、かつては大山街道溝口宿の中心的なお寺として栄え、溝口神社の別当寺でもありました。

 

宗隆寺(そうりゅうじ)

 山号:興林山

   寺号:宗隆寺

 宗派:日蓮宗

   創建:明応5年(1496)(改宗)

   開山:興林僧都日濃

              大運阿闍梨日調(改宗)

   開基:階方(海保)宗隆

 本尊:三寶尊

 

 宗隆寺の縁起

 「興林山宗隆寺」は溝口に立地する日蓮宗の寺院です。宗隆寺はかつて「天台宗本立寺(ほんりゅうじ)」でしたが、明応5年(1496)に日蓮宗に改宗されました。その経緯ですが、地頭の階方新左衛門宗隆と本立寺住職の興林は異床同夢の奇瑞を体験しました。そこで共に池上本門寺に詣で、興林は改宗帰伏したと云われています。興林は寺号を宗隆寺、山号を興林山と改め本門寺貫首日調上人の弟子となり、名を日濃と賜りました。

 

山門

 山門のはるか前に御題目の寺号標があります。

 

 山門前の門に、寺紋の「日蓮宗橘」紋が見えます。

 

 山門です。扁額は山号の「興林山」。

 

 山門を潜ると真っ直ぐに本堂ですが、左側に石像、手水舎などが並んでいます。

 

 右側にはクスノキの大木が目を引きます。

 

 真っ直ぐ参道を進むと本堂です。

 

 参道の左側の浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)尊をお参りします。心身を清らかに保ち、清浄な行いをする菩薩です。

 

 本堂の左手に、手水舎がありお清めします。

 

本堂

 本堂の手前の宝篋印塔です。

 

 本堂前の御題目塔です。右に寒桜が咲いていますが、時期が相当早い。

 

 本堂です。扁額は「宗隆寺」。

 

 内陣です。御朱印を頂くときに、御住職から扉は鍵がかかっていないのでお参り出来ますとのことでした。

正面です。

 

 左右側から撮った内陣。

 

 法事や講話会に使用するのか堂内は広いです。

 

 堂前の銅像です。日蓮上人の幼名は、「善日麿」と名乗っていたようです。

 

祖師堂

 日蓮上人をお祀りしている祖師堂は、本堂の左側にあります。

 

 祖師堂です。

 

石碑

 境内には「筆供養碑」などの石碑があります。

 

 境内の景観です。漂う秋の風情。

 

御朱印

 最後に御朱印です。本堂の右側の庫裡にて御住職より頂きました。

庫裡玄関内部

 

御朱印

 

おわりに

 宗隆寺は、江戸時代には溝口村全域の社の別当寺として祭祀を司るなど、武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)でも有数の大寺院でした。日蓮宗寺院の本堂そして祖師堂にて参拝することが出来ました。特に本堂では、御住職から親切にも内陣からの参拝を教えて頂き、線香も挙げることが出来ました。

 またこの宗隆寺は、ヤクルトスワローズの選手である村上宗隆の名前と同名であることから、ファンの聖地となっているそうです。御住職から頂いたものです。

 

 大満足の参拝で、お寺の飼い猫でしょうか、ニャンコに見送られて寺院を後にしました。

 

 次の訪問先の久本神社に向かいますが、途中に「庚申塔と大山道標」という看板がありました。

 

 三猿で知られる庚申信仰は、盛んになった江戸期、この庚申塔大山街道をゆく旅人の道標をかねていたそうです。庚申塔は大分風化している感じです。

                               以上

川崎市高津区「溝口神社」神秘的な社殿と巨木の魅力

 世田谷区の玉川神社の地下霊場を拝観して、近くの「身延山関東別院」へ行きましたが、工事中で入れませんでした。そこで東急田園都市線二子玉川駅から、川崎市の「溝の口駅」近くの溝口神社へ向かいました。

 溝口(みぞのくち)神社は、神奈川県川崎市高津区にあり、溝の口一帯の総鎮守として、多くの参拝者が訪れます。

 

溝口神社の由緒

 溝口神社の創建年代は明らかではありませんが、宝永5年(1709)には、武州橘樹郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神として社殿の再建が行われた記録が残っています。明治時代になり神仏分離令によって、伊勢神宮からご分霊を勧請し、御祭神を「天照皇大神」に改め、現在の溝口神社に改称されました。

御祭神:天照皇大神(あまてらすおおみかみ)

 

鳥居から境内へ

 溝口神社の入口です。七五三のお祝いの季節です。

 

 一揖して鳥居を潜り境内へ。正面真っ直ぐ行くと社殿です。直ぐに狛犬が現れます。

 

 狛犬です。どちらも口が開いている感じです。

 

 参道の左手に「水神宮」の祠があります。

 

 更に進むと門があり、その先に社殿です。

 

 門から入ると、右側にしゃもじなどに描かれた絵馬掛けがあります。多数あり参拝者が多いことが伺えます。

 

 後ろに手水舎です。常香炉を支えている餓鬼を見かけますが、ここのは珍しい、手水鉢の四墨を支えている方はどなたでしょうか。兎も角心身を清めます。

 

社殿

 拝殿です。社殿は茶色を基調とした建物で、落ち着いた雰囲気です。おかめ、左三つ巴の社紋が目立ちます。

 

 拝殿の扁額が良く見えませんが、溝口神社のようです。左に「元帥伯爵東郷平八謹書」の文字があります。上部の鳳凰、中央、左右の龍の彫り物も見事です。

 

 そして、中央の下部にある「神鏡」が気になります。よく本殿に祀られている鏡を見ますが、拝殿の神前に置かれている鏡を初めて見ました。しめ縄と紙垂(しで)が写っています。

 

親楠、子楠

 社殿の左側に社務所・授与所があり、社殿との間が「参拝順路」で、矢印で案内されます。

 

 右側に本殿が見えます。

 

 奥に樹齢300年以上の大きなクスノキです。この楠の種子から子楠が誕生したことで「親楠」と呼ばれるようです。説明書きがあります。

 

 境内には、親楠から生まれた「子楠」も立派に育っています。

 

 近くに「願掛けの夫婦銀杏」もあります。

 

境内社

 親楠の後ろの「稲荷社」です。京都伏見稲荷大社の御分室です。金運上昇や商売繁盛のご利益があるそうです。

 

長寿ケヤキ

 稲荷社の右には、大きなケヤキが見えます。溝口神社の御神木の樹齢500年以上と云われる「長寿ケヤキ」です。幹上部は、落雷による損傷しましたが、新しく枝葉が芽吹いています。

 

垂乳根の銀杏」と「歯固め塚」

 長寿ケヤキの反対側に、銀杏の根があります。説明書きによりますと「垂乳根(たらちね)の銀杏(いちょう)」と云われ、天竜川のダム建設時に掘り出された根で、巨石を抱き抱えるように立っていたと云います。

 

 垂乳根の銀杏の足元には「歯固め塚」があります。我が子の健やかな成長を願い、奉納された石が積み上げられています。

 

御朱印

 最後に御朱印です。境内の左手の社務所で頂きました。

社務所

 

 御朱印は、カラフルに親くす、子くすなどが描かれています。

 

おわりに

 溝口神社は、溝の口駅から徒歩5分の場所にありながら、境内には樹齢500年以上のケヤキや樹齢300年以上のクスノキなどの大木が聳え、豊かな自然に囲まれています。特に親楠、子楠と名名付けられたクスノキ、生命力溢れる長寿ケヤキには驚かされました。

 また「垂乳根の銀杏」と「歯固め塚」あるいは「願掛けの夫婦銀杏」などネーミングがユニークです。垂乳根(たらちね)については、稀に銀杏の巨木には、枝から垂れ下がったように伸びた棍棒状の突起が見られ、これを乳根と云い、まさに母が愛情豊かに子を抱くような姿から「垂乳根の銀杏」と命名されたようです。

 そして、落ち着いた色調の社殿ですが、拝殿にあったしめ縄と紙垂が移る「神鏡」が神秘的に感じました。

 

 賑やかな駅に近い神社で、このように広い境内と聳える大木など、見所の多い神社に大満足でした。近くに旧別当寺がありますのでそちらに向かいます。

                               以上

 

 

世田谷区「玉川大師」驚異と感動の地下霊場

 今回は東京都世田谷区二子玉川の地下霊場のある「玉川大師」です。世田谷区は寺社が多く豪徳寺九品仏の浄真寺など散策しています。二子玉川は、多摩川沿いに等々力渓谷九品仏などに近い所にあります。「玉川大師」は東急田園都市線二子玉川駅から徒歩10分位の所です。

 

玉川大師  「正式名称は、寶泉山玉眞院(ほうせんざんぎょくしんいん)」

 山号:寶泉山

 院号:玉真院

 通称:玉川大師

   宗派:真言宗 智山派

 創建:大正14年(1925)

 開山:龍海大和尚

 開基:竜海阿闍梨

   本尊:弘法大師

 札所:玉川八十八箇所 霊場 五番

         関東三十三観音 霊場 十番

 

玉川大師の縁起

 創建は大正時代で、龍海大和尚により大正14年に大師堂が、その後6年の歳月をかけて、昭和9年(1934)に竜海阿闍梨が地下仏殿を建立しました。地下仏殿は地下5mの深さの場所に、長さ100mにも及ぶ総鉄筋コンクリ-ト造りの拝殿で、日本でも有数の地下霊場です。

 地下仏殿は、仏の胎内をかたどっており、胎内には石仏が300体程あると云われています。これらの石仏を拝むと四国八十八ヶ所、西国三十三ヶ所を巡ったのと同じ御利益があるとされています。

 

本堂

 二子玉川商店街通りから東側の通りを行くと、左側にいきなり本堂らしき建物が見えます。

 

 左側に寺号標です。「寶泉山地下霊場 玉真密院」の文字。

 

 早速、本堂前で参拝します。

 

本堂内陣

 薄暗い本堂へ入ります。本堂は、遍照金剛殿と呼ぶようです。この本堂内で御朱印を戴けますが、この本堂に深さ5m、長さ100mの地下霊場があります。地下霊場は後にして、先ずは本堂内を見て回ります。正面の内陣です。

 

 中央に五鈷杵(ごこしょ)を持つ弘法大師像が鎮座しています。

 

 その右側に「なでなでお多福」です。巨大なお多福は初めてですが、撫でると御利益がありそうです。

 

 左側にはズラリ大小の仏像、位牌などが並んでいます。

 

 再びお大師様そして、大自在天(だいじざいてん)です。大自在天は、ヒンドゥー教シヴァ神の異名であり、万物の創造と破壊を司る最高神とされています。

 

 更に左側です。同じように大小の仏像、位牌です。

 

 堂内の右側です。この寺院の歴史を知らせる写真、提灯など賑やかに飾られています。

 

 奥には、金剛菩薩像、ガネーシャ像、ミニお大師様などが並びます。それぞれに参拝します。

 

 そして、愈々地下霊場に行くことにします。本堂の左側に受付みたいのがあります。そこで説明を受けます。11月は、創立百周年行事の「虚空密殿」ということで特別料金2千円でした。普段は1000円のようです。写真撮影は駄目ですよね、と聞くと意外にも撮影OKということです。

パンフレットと暗闇の中で発光するという「惑星ペンダント」を頂きます。

 

 この霊場は、大日如来の胎内を表し、四国遍路と西国遍路さながらにお参り出来ます。入口から地下に入ります。

 

 驚きました。足元も天井も両壁も、何も見えない。正に真っ暗闇の中、摺り足で壁を触りながら、手さぐりで進んで行くしかありません。

 そこで写真撮影OKという事を思い出しました。試しに撮ってみました。撮った瞬間は中が良く見えます。多分暗闇の中なので、写っていないと思いましたが、節目、節目に撮りました。後で見るとしっかり撮れています。実は最近iPhone17proに替えたばかりです。そのせいか分かりませんが、兎に角見事に撮れていました。

 

地下霊場の石仏

 最初に壁画、漢文の文字そして、たくさんの並ぶ地蔵菩薩

 

 五鈷杵、数珠を持っているお大師様。

 

 壁に天女が。そして弘法大師

 

 迫力の龍の像。舌、手足の爪など細部までよく彫刻されています。

 

 沢山の石仏。

 

 圓満地蔵尊

 

 不動明王

 

 鳥樞沙摩明王(うすさまみょうおう)。不浄を焼き尽くす炎の守護神として信仰されている仏様です。怒りの表情(忿怒)と炎をまとった姿で表され、恐ろしさの中にも慈悲深さを感じさせます。

 

 稚児大師。弘法大師空海の幼少期の姿を表した尊像です。

 

 仁王尊。

 

 最後に瓢箪をぶら下げた奇妙な像。何か分かりません。

 

 石仏総数300尊体、深さ約5m、参道約100mを2,30分かかったでしょうか。漆黒の闇の中の参拝、貴重な体験でした。地上に出て本堂内、地下霊場の拝観終了です。本堂を出て周辺を見て回ります。

 

本堂周辺

 本堂左に「インド伝来 長寿の銅鑼(かね)」があります。御燈明料として願いを込めて一つき百円とあります。

 

 本堂の左右両角に、時々寺院で見られる石像。

 

境内の石像たち

 本堂の石段を下りて、境内の右側を見て回ります。境内は、広くありませんが、このような石像が多くありました。この石像はどなたでしょうか。リアルに造られています。

 

 ここに龍の手水鉢がありました。遅ればせながら心身を清めます。

 

 そして常香炉の奥に、5mの見上げる大きさの修行の弘法大師像です。

 

お大師様の足元の「愛染明王」と「不動明王」像。

 

 鳥獣供養塔です。高野山開山の伝説として、弘法大師高野山を開山する際、白と黒の2匹の紀州犬を連れた狩人が山頂まで道案内をしたという伝説があります。

 

 境内には六地蔵水子地蔵尊、有縁無縁地蔵尊ぼけ封じ観世音菩薩像など多数の仏像が並んでいます。

 

 

御朱印

 最後に御朱印です。地下霊場を参拝の後、本堂内で戴きました。

 

おわりに

 この寺院を拝見して、創建が江戸時代以前と思いました。しかし大正時代末期に師堂を建立、昭和になって地下霊場が建立された云います。比較的新しい寺院だと分かり少し不思議な感じがします。

 地下霊場は兎に角インパクトがありました。色々説明を聞いていましたが、行ってみないと分からないと安易に思っていました。階段を下りて突き当りでそこから本当に真っ暗闇。そのような所に300尊像、壁画など、こんな世界があるのだと驚き、感動、良い体験をさせて頂きました。このような体験ができる場所は、なかなか他には無いと思います。

 地下霊場の他にも、本堂も開放されていて多数の仏像、位牌などが並び、そして決して広くない境内には、巨大な弘法大師像、鳥獣供養塔などが所狭しと並んでいます。何れも初めて拝観する仏像もあり興味深く、驚異的な寺院でした。有難う御座いました。

                               以上