これからどうします?

修羅の国・福岡で生きる30代独身女。家計簿、投資、一人暮らし、遠距離恋愛。

残業代が出なくて士業事務所を退職した話

お久しぶりです。生きています。春山です。

私は現在、ある士業の事務所に勤めている。そしてこのたび、ここを辞めることになった。

繁忙期以外は残業代が出ない」「体力気力の限界」、この二つが主な理由だ。

ほかに「就業規則がない」「有給休暇を管理していない」「健康診断が自腹」「人手不足が解消されない」などもあるが、やっぱり前者2点が大きい。

以下、今回の退職に至るまでの話である(特定を避けるため、ところどころフェイク入れてます)。私みたいなアホはそうそういないだろうが、はじめに声を大にして言いたい。

残業代
繁忙期にしか
出しません
それは立派な
労基法違反
(字余り)

無知の死

「繁忙期以外は基本的に残業はしない方針です」

入所後、雇用契約書への署名を求めながら所長はそう言った。へー、そういうもんかと私は思った。そういうこともあるんだ、就業規則とかに書いてあるのかな、と。そして雇用契約書に署名・捺印し、所長に渡した。

今だから思う。あのときの自分を思いっきり殴りに行きたい。殴って引きずって家に連れて帰りたい。私はあまりに無知でアホだった。なお入所して数日後、弊事務所には就業規則が備わっていないことを他の職員から聞いた。あれ、ハロワの求人票には「就業規則:あり」って書いてあったような……?

「繁忙期以外は基本的に残業しない方針」。その言葉が「繁忙期以外は残業代を出さない」という意味だと知ったのは、初めて繁忙期に突入し、パートさんから残業代の申請用紙を配られたときだった。

弊事務所の繁忙期は12月~3月。この期間だけは残業代の申請ができた。定時を過ぎて勤務した時間を30分単位で紙に手書きし、締め日に所長に提出する。これ以外の期間は、どれだけ残業しても金にならない。そもそも申請を所長に出すことができない。すべてサビ残になる。ちなみに休日出勤は、繁忙期だろうとなかろうと、いつやっても残業代はつかなかった。

恥ずかしながら、弊事務所に入るまで私は、「繁忙期以外は残業代を出さない」ことが違法であると知らなかった。これはもう自身の無知を恥じて呪うしかない(こういうことせめて高校の教育課程くらいで教えたがよかろうや、とも思う)。

そして弊事務所の実態に疑問を抱かなかったのは、実際、入って2年ほどは繁忙期以外に残業が発生しなかったからである。たまにイレギュラーなことが起こって30分~1時間くらい終業時間を超過したりもしたが、特に気にすることはなかった。申請するほどの残業ではなかった。前職が残業・サビ残・休日出勤の嵐だったので、感覚がマヒしていたのかもしれない。

もしかして:違法

あれ、これ、おかしいな?と思いはじめたのは、今年の初夏ごろからだ。正社員のA先輩が一人退職したことがきっかけだった。

退職後も人員の補充はなく、A先輩が持っていた顧問先は、残った正社員とパートで分担して引き継ぐことになった。ちなみに弊事務所は正社員とパートの数を合わせても10人以下しかいない。そして過半数はパートである。

私もA先輩の顧問先をいくつか引き継いだ。自分がもともと持っていた顧問先と合わせて業務をこなしていく。引き継いだ顧問先との関係づくり、大変クセの強いA先輩の引継書、過去の処理を見直して見つけたA先輩のとんでもねえ放置ミス、事務所内のITまわりの事務。それらと悪戦苦闘する日々。少しずつ業務が滞りはじめた。

堂々と言うことではないが、私は仕事が早い方ではない。キャパもまっっったく大きくない。基礎体力もそれほどない。シゴデキとは正反対の社会人だ。それでも仕事は待ってくれない。月次の報告やさまざまな申告・申請の期限が、次々とやってくる。

あーだめだ、これは残業しないと終わらないな。

業務スケジュールを見ながらそう考えて、ふと気づいた。

あれ、今月は繁忙期じゃないけど残業代つくのかな。……ひょっとしてつかない??えっまだ繁忙期までしばらくあるよ?それまでどんだけ残業しても残業代の申請はできないってこと?え、まじで?シンプルに業務量ふえてるのに?

そもそもこれってアリなん?

恥ずかしながら私は、ここにきて初めて、現状に疑問を持った。

違法だった

めちゃくちゃ検索しまくった。「残業代 繁忙期のみ」「残業 就業規則」と検索窓に打ち込み、厚労省のサイトを見、法令にもあたった。アリもナシもクソもない。「違法」だった。グレーですらなく、どシンプルに真っ黒だった。

知り合いにも訊きまくった。友人、パートナー、転職エージェントさん、カウンセラーさん、美容師さん、果ては脱毛サロンのお姉さんにまで訊いた。全員に「めちゃくちゃ違法じゃん笑」と言われた。爆笑しながら言ってもらえたのがせめてもの慰めだった。

爆笑した後、真面目な顔で「残業の証拠は残しておきなよ。何かあったら労基に出せるように」とアドバイスするところまで、みんな同じだった。彼ら彼女らからしたら、私は相当あぶなっかしいアホにみえたことだろう。はあ~?と呆れられても文句は言えない。それでもアドバイスまでしてくれた彼ら彼女らには感謝しかない。とりあえず退勤前にPCの時刻の写真を撮るようにした。

やばいところに就職してしまった

それにしても、職場の人たちはこれを違法だと知っているのだろうか。給与の管理をしているパートさんに話してみた。

「うん、違法だよ」

言いにくそうな様子も見せず、パートさんはあっさりそう言った。そこから延々、所長のことを愚痴っていたが、なんかもうどうでもよかった。

正社員のB先輩にも訊いてみた。B先輩は実質、弊事務所のナンバー2にあたるベテランだ。A先輩が退職する前から大量の顧問先を抱え、そこにさらにA先輩の顧問先も加わり、残業&休日出勤三昧だった。

B先輩は答えなかった。違法だとも、知らなかったとも言わなかった。ただ無言で顔を背けていた。

やばいところに就職してしまった。

これまでうすうす思っていた。有給休暇の管理を全くしていないとか、健康診断が全部自費かつ誰も受診しようとしないとか、就業規則がないとか。それでも「まあそこまで目くじら立てるようなことでは……」と思って目を逸らしていた。「もっとブラックな職場はたくさんあるし」とも思っていた。

けれど、ここが限界だった。おうこら向き合えと首根っこつかまれて、ギチギチと力ずくで顔を「現実」に向けられたような気分だった。

DVみたいな構図だと思った。クソDV野郎に暴力をふるわれながら「でもこの人にもいいところはたくさんあるし。もっとひどい奴はいるし」と、クソDV野郎を擁護してしまうパターンだ、これ。

逃げようと思った。もう無理。ほんとにもう無理だった。某退職代行業者の名前はうまいことつけたなあと思う。

転職活動

そういうわけで、夏ごろから転職活動を始めた。それまでにもいろいろ心折れることはあったが割愛する。本当にポキポキポキポキ折れまくって、そのたびに「わ~まだ折れるところあったんだ~!」と感心するほどだった。

最初はこっそり撮影していた退勤時のPCの時刻表示も、堂々と撮影するようになった。何も言われなかったし、私も本気で労基にGOするつもりはなかった。それでも何らかの武器を身につけておきたくて、もくもくと時刻表示を撮影し続けた。

数か月の転職活動のあと、ありがたいことに、内定をいただいた。

内定をもらってすぐのころは「人手不足の中で辞めていいのかな、やっぱり無責任じゃないか」と悩んだりもした。退職したいと伝えるのがこうも難しいとは。周囲に相談すると、誰もかれも「人手不足で職場が回るのはあなたのせいじゃない、職場のマネジメントの問題だ」と諭してくれた。私自身、同じような相談を受けたときは、そう回答してきた。けれどいざ自分自身が辞める立場になると、悩む。ものすごく悩む。辞めてやる!と決めたくせに悩む。こういうときに退職代行を頼む人もいるんだろうな……と考えたりした。

それでも少しずつ退職の準備を始めていた。そしてこの冬から、新天地での勤務が始まる。はずだった。

気力体力の限界

繁忙期に突入してすぐ、私はぶっ倒れた。家でぶっ倒れて職場にも連絡できず、無断欠勤&音信不通の状態に陥った。職場から親に連絡が行き、そして、あれよあれよという間にしばらく仕事を休ませてもらうことになった。「一人暮らしの家の中で昏倒すると警察を呼ばれる」という、あまり得なくてもいい知見を得た。

内定先が遠方だったこともあり、さすがに心配した身内から転職に待ったがかかった。「ちょっと休んでもいいのではないか」と言われた。親のきょうだいには部屋で倒れてそのまま亡くなった状態で発見された人がいるため、余計に不安にさせたようだ。とても申し訳ないことをしたと思う。

希死念慮があったわけではない。でも正直いうと、ぶっ倒れたとき、このまま死んででもまあ別にいいやと思った。そういう思考になる程度には、心身ともに限界だったのかもしれない。今はこうやって文章が書けるくらい元気です。

その後

結局、こうして倒れたことが決め手となり、改めて職場に退職を願い出ることになった。引き止められることもなく、退職手続に移ることができた。そして現在に至る。今は職場に行かず、ゆっくりと寝て起きて体調を整えている。たぶん有休消化中となっているはずだが、有休の残日数を誰も知らないので、どういう扱いなのかは不明である。

これから弊事務所は本格的な繁忙期に入っていく。A先輩の分も、私の分も、人員の補充はできていない。

求人は出しているが応募はない。少なくとも私が倒れるまでは、一通も応募がなかった。せめて新しく人が入るまでは在籍していようかと悩んだりもした。

でも、今はもうどうでもいい。職場の人に憎しみはない。悪い人たちではなかった。何度か体調を崩した私を、いつも心配してくれていた。仕事もしょっちゅう手伝っていただいた。所長だって悪人ではない。明確なパワハラを受けたわけでもない。とても頭の良い人だった。立派だと思う場面もたくさんあった。

でも、無理だった。そして今はもう、すべてがどうでもいい。労基にGOも多分しない。そして、あの事務所が立ち行かなくなっても、つぶれても、もうどうでもいいやと思う。もうあれは「弊事務所」じゃなく、ただの「あの事務所」だ。早く関係を終わらせたい。つながりを切らせてほしい。今はもうそれしか残っていない。

 

もうすぐ2025年が終わり、2026年がやってくる。21世紀の四分の一が終わろうとしている今日でさえ、こんな感じの個人の士業事務所は存在している。割といる。けっこうな数ある。そういう事実がある。

 

というわけで、年が明けたら無職爆誕である。正真正銘の無職。ド無職だ。

まさかこんな年越しになるとは想像もしていなかった。人生、何が起こるかわかんないな。

1泊3日バンコク突発1人旅

こんばんは、春山です。

この文章を打っている私は、今、タイのスワンナプーム空港の電源チャージコーナーにいる。乗るのは福岡行き現地時間0:30発の飛行機。チェックインと荷物の預け入れを済ませ、スマホの充電が50%を超すまで待っている。

初めてのタイ旅行は、1泊3日の弾丸旅行になった。動ける限り動いたが、全然時間が足りない。行きたい場所、食べたいもの、買いたいものが多すぎて、そしてめちゃくちゃ楽しすぎて、後ろ髪を引かれまくっている。帰りたくない。

帰りたくない気持ちがピークに達したせいか、さっき、パスポートと航空券を4階のフロアの隙間から階下に落とすというハプニングを起こした

航空券は、3階にいた男性が拾って、空港スタッフさんに届けてくれていた。パスポートは1階まで一気に落ちていたが、空港スタッフさんたちと一緒に回収できた。ありがとうございました……!!!!!!

優しい人が気づいてくれたおかげで事なきを得たが、最後の最後で生きた心地がしなかった。ひとの優しさに生かされている……。

さてそろそろ保安検査場に行かなければ。タイ旅行の話もそのうち書きたいです。

2024年もあと4月

こんにちは。お久しぶりです。春山です。

前回の記事を書いたのが1月。そして今は9月。冬が終わり春が過ぎ夏も去って9月。あっという間すぎてびっくりする。

この間なにをしていたのかというと、こんな具合だった。

  • 簿記論と消費税法を勉強して受験する。多分落ちる
  • でも今月から財務諸表論勉強する。
  • 試験終わった瞬間、読書欲が大爆発する。
  • ゴールドウイン『蠅の王』坂口拓史トリカブト殺人事件』pha『パーティーが終わって、中年が始まる』窪美澄『夏日狂想』オ・セヨン『成功したオタク日記』五所純子『薬を食う女たち』を読了。躁のような読書。 
  • 仕事はそこそこ平穏にこなす。
  • メニエール病の治療がいったん終わる。しかし未だに発作を起こしている。
  • パートナーとは仲良くやれている。
  • パートナーと姉と熊本で酒を飲む。「私が結婚しないことについて両親は本当に何も言っていないのか?」と姉に尋ねたところ「あんたが結婚するかしないかなぞ話題にもならんが、あんたのその性格に十数年付き合えるパートナーくんの精神がすごいという話はよくする」と返される。すごいディスるじゃん、と思ったがおおむねその通りなので黙る。
  • パートナーと夏休みを過ごす。深夜1時からカラオケ行ったり天神の夏祭りに行ったりタコパしたり、5日間を共にした。これまでの遠距離生活で一番長く一緒にいた。
  • コロナに感染して七転八倒する。インフルよりはるかにしんどく、副鼻腔炎よりずっと長く症状を引きずる羽目になった。コロナもうかかりたくない。
  • なのでいまだにマスク着用。
  • 『光る君へ』にハマる。清少納言と定子様は永遠。
  • 『虎に翼』にハマる。今月で終わるという事実がすでにつらい。
  • 福岡のインディーズバンドに初めて触れ、ライブハウスに足を運びだす。
  • インディーズバンドの距離の近さにカルチャーショックと恐怖を覚える。全員顔見知り的空気に全然慣れない。
  • でもバンドみたいのでライブハウスには行く。
  • Cobalt boyと清川四畳半を聞いてくれ人類。
  • 今月はパートナーとフェスに行く。
  • 今月は1人で初めてタイに行く(1泊3日)。


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天神の夏祭りを楽しむの図。炭鉱のあった街で育ったので、盆踊りで「炭坑節」がかかると血が騒ぐ。

いろいろあったような、そうでもなかったような、そんな36歳の冬春夏だった。あと2日経てば37歳の秋がくる。

 

もともと家計簿と資産の話を軸にしていたこのブログだけど、思うところあって、それ系の記事の大部分を下書きに戻した。

phaさんの『パーティーが~』を読んで、個人の体験を読むことの意味について考えた結果だ。

純日記とまではいかなくても、日記ブログ的な位置に近づけていこうと思う(資産運用は今も続けていて、ありがたいことに少しずつ益を重ねていけているので、時々はその話も書きます)。

それに合わせて、文章を敬体から常体に変えてみることにした。日記を書く分には常体の方がやりやすいからだ。

そういうことで、まだしばらくはブログというメディアにしがみついていきます。どうぞよしなに。

ノートPCのキーボードの左5分の1くらいが去年から反応しなくなってしまったので、スクリーンキーボードを併用して書いている。すごく打ちづらい。「a」が使えないのが一番きつい。母音の重要さを痛感している。外付けキーボードでしのぐか、新しいPCもしくはタブレットを買うか、いい加減決めないと。

2024年になりまして

あけましておめでとうございます。

……と始めるには気が引けるような2024年の正月となってしまいました。これ以上震災の被害が大きくなりませんよう。避難している方々が早く日常に戻れますよう。支援がすみずみまで行き届きますよう。

そう願っていたら、今度は北九州の銀天街で火災とか、本当にどうなっているんだ2024年。昨年の夏にあのあたりの中華料理店で昼ご飯を食べたので、余計に胸がつぶれる思いです。旦過市場だってまだまだ火災からの復興の途中なのに。

国内も国外も辛くなるようなニュースばかりですが、寄付など自分にできることをしながら、今年も生きていけそうなだけ生きていこうと思います。

すっかり休耕地然としてしまった拙ブログですが、2024年はもう少し更新していきたい所存です。というか無駄にダラダラとスマホを見て過ごす時間を意識的に減らしたい……。昨年は「その『スマホ眺めタイム』でできること他にあったやろ!?」と自分にビンタ喰らわせながらガチ説教したいときが何度あったことか……。

ブログ、というか文章を書いて残したいし、勉強もしたいし、資産運用の仕方も見直したいし、旅行もしたいし、家族友人パートナーとも仲良くしたい。良い2024年にするべく、まずは恒例の「2024年にやりたいこと100」を手帳に書きだそうと思います。2023年はスプレッドシートに100個打ち込んだ後、ブログどころか手帳に書き写すことすらしなかったから……。

そんなこんなで亀の歩みのごとき拙ブログですが、今年もどうぞよろしくお願いします。見てくださっているあなたの2024年も、幸せなものとなりますように。

写真は2024年外食初め、名代ラーメン@博多駅のちゃんぽんです。値上がりしても700円という良心的なお値段。今年も美味しいものをたくさん食べたい。

最後までお読みいただきありがとうございました!

試験が終わって夏も終わった2023

お久しぶりです、春山です。

某資格試験の勉強のため、しばらくブログの更新をお休みしておりました。最後の更新が200日前か…遠い昔のようだ……。

そして先月、ようやく試験が終わりました。日程的な意味でも、できばえ的な意味でも終わりました。たぶん来年もチャレンジすることになりそうです。おつかれ私!!!!!!

ブログを休んでいた間、いろいろとありました。

  • 職場で熱中症をおこして倒れ、生まれて初めて救急車で搬送される
  • 脱毛に取り組み始める
  • 肌のピーリングを受ける
  • 39度近くの熱を出す(※コロナではありませんでした)
  • 中高の仲良しグループと4年ぶりに集まる
  • パートナーと岡山旅行に行く
  • パートナーとフェスに行く
  • パートナーを実家につれていく(帰省の際にパートナーの運転で実家まで送ってもらったところ、父に「あがっていきなさい」と言われ、集まっていた両親・姉家族・弟家族全員と面通しすることに。パートナーはもちろん、私もびっくりするほど緊張しました。本当に足が震えた)
  • 『鎌倉殿の13人』を引きずり続けすぎてる自分にビビる
  • 『地獄先生ぬ~べ~』に突然のときめきを覚える

とりとめがなさすぎる。たった半年でも、こんなにいろんなことが起きるものですね。この令和の時代に某鵺野先生にときめいてしまったことが何よりびっくりでした。

 

上の匂わせ写真は、岡山で食べた白桃のパフェです。上に乗っている桃まるごと1個のインパクトが罪深すぎる。

伝わるでしょうか、この桃のスライスの美麗さが。果肉をそっと口に運ぶと、これがもう、驚くくらい瑞々しくて甘い。生の白桃でこれほど深い甘みを感じたことがあったでしょうか、いや無い。これまで生きてきた中で一番美味しい桃だったといっても過言ではありません。私はひたすら「美味しい……美味しい……」と呟きながら桃を食べる妖怪と化しました。岡山の桃、偉い。素晴らしい。

パートナーは「中に入ってるクランブルやアイスクリームがそこまで甘くないから、桃の甘みがよく引き立つね」と食レポした直後、「『分かっている風なこと』を言ってしまった自分が気持ち悪い……」といきなり羞恥心に襲われていました。

 

そんなこんなの半年でした。また勉強を再開したので、今後の更新もぼちぼちやっていこうと思います。家計と資産の報告もやりたいですね。面倒でもやっぱりブログで文章書くの楽しいなあ。これからもどうぞよろしくお願いします。

ちなみに来月、釜山いってきます。4年ぶり、1泊2日の弾丸海外一人旅じゃおらぁぁぁぁ(荒ぶる心)!

最後までお読みいただきありがとうございました!

【30代の遠距離恋愛】都城市に行ってきました

こんばんは、春山です。

スクールの課題とテストに追われていたら、いつの間にか10月も終わっていました。完全に気持ちがダレています。いかん。

話は変わって、先日、久しぶりにパートナーの地元でデートしました。以下、ちょっと足を伸ばして都城市まで行ってみた話です。

 

金曜日。仕事が終わった後、ダッシュ博多駅へ。チケット発券機でも並び、コンビニのレジでも並び……としているうちに刻々と時間が過ぎていきます。出発2分前に新幹線に飛び乗りました。

往路でのひとコマ。35歳にして、初めて九州新幹線グリーン車に乗りました。大人なので1人飲みをやります。グリーン車がこんなに静かで穏やかで快適とは。これは癖になりそうだ……。

その後、新八代駅で新幹線からバスに乗り換え、無事に目的地に到着。パートナーと合流し、互いの労働をねぎらい、ホテルで泥のように寝ました。

翌日。昼ご飯を食べに、ラーメン屋「わらじ」へ。

黒Tシャツ着た店員さんが腕組みしている「一杯入魂」系のやつより、肩ひじ張らずに食べられるラーメンが好きです。

ラーメンにもやしを増量して食べました。パートナーに「宮崎とか鹿児島のラーメンって、たくあんついてくるのが良いよね」と話したら、「あまり意識したことが無かった」と返ってきました。そんなもんなのか?

腹ごなしもおわり、いざ都城へ出発。道の駅に寄ったりしつつ、今回の宿であるベッセルホテル都城に到着しました。

ゴロゴロしたり、ちょっとだけ勉強を進めたりして過ごす。

夕飯は生まれて初めて焼肉きんぐに行き(食のエンターテイメントという感じがして新鮮)、調子こいて浴びるように酒を飲み、ベロベロになってホテルへ。気がついたら化粧も落とさずに爆睡していました。こういうことするから肌荒れするし太るんだ、私よ。

 

翌日。朝ご飯のビュッフェは品数が多くて大変良かったです。写真も撮ったんですが、両日とも盛り付けしようとしてお盆に食べ物をこぼすという失態をおかしたため、掲載は控えます。30代半ばにもなってこのざまだよ!

食後のコーヒーを飲んで部屋でゴロゴロした後、ドライブに出発。本当は都井岬で野生の馬を見に行きたかったんですが、あいにくの雨だったので断念。串間の道の駅にいってみることにしました。

山越え中、一車線しかない&脱輪待ったなし&延々カーブな道が延々と続いていて、とってもエキサイティングでした。ちょっと死ぬかもと思った

「道の駅くしま」で食べたスイートポテトフライ。脳天に届いて効くような、サックリほくほくの甘さ。「美味しいものは糖分と脂肪分でできている」という言葉が、頭ではなく精神で理解できます。糖分と脂肪分の組み合わせis大正義……。

パートナーが買ったマロンソフトクリームと一緒にシェアしながら食べました。モンブランのマロンクリームの部分をそのままソフトクリームにしたようで、これも美味しかった!

その後、鹿児島県の志布志市を抜けて都城まで帰りました。

カーナビに現れた「志布志市志布志志布志」の字面に大興奮。ゲシュタルト崩壊を起こしそうな字面が良い。

夜は都城市のまぜめんやで夕飯。

その後ドンキで酒とつまみを買い込み、ホテルで飲みながら『鎌倉殿の13人』トーク特番を鑑賞。小栗旬はすごい俳優だ!とはしゃいでるうちに、また寝落ちしました。食っちゃ寝もいいところだ。

 

旅行最終日。チェックアウトして、都城歴史資料館へ。

こぢんまりとしながらも資料が豊富にあり、古代~現代の都城市の歴史を面白く学ぶことができます。パートナーといろいろ喋りながら見ていたら、2時間近く滞在していました。MDプレイヤーが「昔の暮らし」コーナーに展示してあったことに、昭和62年生まれは大変衝撃を受けました……。俺の青春は「昔の暮らし」なのか……。

あわただしく宮崎市内に帰り、あっという間に福岡へ戻る時間に。

駅前で高速バスに乗り込むこの瞬間は、いつも涙が出そうになります。さっきまで、めちゃくちゃくだらないことでも顔を見ながら気軽に話せたのに、LINEの文字でしか話せなくなる。とても寂しい。

感傷に浸りつつ、バスのラゲッジスペースに荷物を運ぶ。無事に荷物を詰め終えた後、「ガッッ」と音がする勢いで、天井に頭をぶつけました。おまけにそれを他のお客さんにしっかりばっちり見られました。綺麗に別れるはずだったのに。恥ずか死ねる。

 

今年も残すところ、あと2カ月。年内に何回会えるか分かりませんが、次のデートを楽しみに、仕事を頑張ります。頑張……いや……どんな餌があっても仕事は頑張りたくない……。ダラダラしていたい……。

最後までお読みいただきありがとうございました!

【お題】きっと来年の手帳もMDノートダイアリー薄型

今週のお題はてな手帳出し

こんばんは。春山です。

気がつけば、本屋や雑貨屋に2023年の手帳が並ぶシーズンになりました。血沸き肉躍るシーズンです。血沸き肉躍るって、漢字で書くと、なかなかに物騒な字面だな……。

というわけで、お題に乗って手帳の話をします。

私は現在、ミドリのMDノートダイアリー薄型を愛用中です。

この手帳とダイソーのA5サイズ方眼ノートを、無印の「ノートカバーにもなるスリムポケットホルダー」にセットして使っています。2021年から使い始めて、今年で2年目です。

見開きはこんな感じ。身バレしそうなところはぼかしています。

やっぱりこの、マンスリーの周りの広いスペースが好きです。TO DO、電車の時間、メモなどを書いておけば、後から一気に確認できる点が便利。たまにイラストを描いたりもしています。もっとこう、スタイリッシュなイラストを描けるようになりたい。

 

マンスリーの後には方眼のノートページがついています。こちらは主にメンタルクリニックでの診察メモを書くのに使用。

上の画像は、雑談が壊滅的にド下手くそであることをカウンセラーさんに相談したときのメモです。雑談ってめちゃくちゃ難しくないですか。他人と話していると、比喩でなく、リアルに汗ダラダラになります。

話を戻しましょう。別でセットしたダイソーのノートは、もっと細かいメモ(楽天で買うものリスト、薬の残量など)やイラストを描くのに使っています。このブログでたまー-----にアップするイラストも、このノートに描いているものです。

 

このページ・構成・薄さがちょうど良いので、来年も同じくMDノートダイアリー+ノート+カバーのスタイルでやっていく予定です。

……と心に決めていても、ついつい覗いてしまうのが手帳売り場。まっさらな手帳がずらっと並んでいるのを見ると、ついついテンションが上がります。「こんなコンセプトの手帳があるのか!」「バーチカルもいいかもしれんなあ!」「今年こそ1日1ページの手帳を上手く使える気がする!」などと舞い上がることこの上なし。気がつくと「3年連用日記」を真剣に比較検討していたりします。恐ろしい。紙モノというのは、なぜこうも心を惑わせるのか。

ちなみに、1日1ページ手帳はこれまで2回手を出し2回とも惨敗しました。高橋書店の「torinco」に敗北したときの記事がこちらです。サムネイルの時点で白い。

私には、1日1ページタイプは荷が重すぎる……。分かっているのに、使いこなしている人の実例をインスタや雑誌で見ると、「1日1ページタイプ、今年こそいけるのでは!?」と根拠なき自信が湧き出てくるんですよね……。手帳の魔力というのは恐ろしい。

 

そういえば以前、これまでの手帳遍歴について熱く語る記事を書いていました。

手帳を書いていた頃の私も、記事を書いていた2019年の私も、何もかもが若くて懐かしい……。まさか30代半ばの自分が転職しているとは思わなかっただろう。2023年の手帳やこの記事を読み返すときの私は、何歳になって何をしているんでしょうか。元気に生きていたらいいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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