昭和の東西ヨーロッパ行 262 陽気な師走 南仏 プロバンス フランス

(福島県 猪苗代湖 一瞬海と見間違う大きさに圧倒された、三陸沿岸移住者です)
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今から39年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
西ヨーロッパ(フランス)から右回りでくるっと1周。
地図・写真・小文字はグーグルマップより
イタリアから地中海沿岸を移動、南仏の港町マルセイユまでまでやってきました。

1986(昭和61)年12月12日(金)
朝、ベネチア(イタリア)のユースホステルで話をした日本人女性とユースホステルの入り口でバッタリ!
ベネチアでリビングルームのテーブルに地図やらなにやら資料を広げる、一目で日本人?のそのお方に話かけてみたところ・・・。
ソ連(*旧ソビエト連邦)のウラジオストクからシベリア鉄道でモスクワを経由し、”西側”(西ヨーロッパ)に入った”単独のつわものさん”でした。
行先が同じフランス・スペイン方面ということで”ニースあたりで会えたらいいね~”と言っていたのですが、よく数あるユースホステルの中からご縁がありました。
しばらく一緒に回ることに、、、。
”普通列車が走らない(急行列車しかない)幹線”もあるフランス。
その幹線を避け、11時45分の普通列車で東方アルル(地図・上左)へ向かいました。
内陸部のなだらかな地形を50数キロ・50分進んだ先、ゴッホの絵画”アルルの女”の街まではあっという間・・。


南仏プロバンス地方の中心都市アルルには何があるのか。
どうも南仏一帯は争いの歴史遺産/古代(中世)遺跡が多いらしく、この街にもコロッセオ(円形闘技場)やフォロロマーノ(商業地区)などがローマ同様残っていました。

紀元前1世紀建設/古代ローマ時代の 2 階建て円形闘技場
現在も闘牛場や地域のイベント会場として利用される
邦人の口コミ:

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いったんおしまい
★ お知らせ ★
いよいよ本格的に遠方/2カ所在住の高齢親の面倒をみる時がやって来たようです
半分以上の時間を介護に
進む認知症
対応する側の心も体も徐々にキツくなり
その為ブログは休止とさせていただきます
片親は施設入居か在宅介護続行か
見送り後再開する予定です
その間極力訪問は続けさせていただきます
今までのご訪問誠にありがとうございます
昭和の東西ヨーロッパ行 261 歴史は戦い マルセイユ フランス

先日、県央に住む認知症気味の親が"これなんだろうねぇ〜?"と差し出したカード
ぱっと見は病室で使う"テレビカード"ですが・・・
よく見たらブラウン管テレビ!!
同年代の友人(地元〇〇人)から"やっから!(あげる)"と言われもらったとか、、、、、トホホ〜
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今から39年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
西ヨーロッパ(フランス)から右回りでくるっと1周。
地図・写真・小文字はグーグルマップより
イタリアから地中海沿岸を横移動、南仏の港町マルセイユまでまでやってきました。

1986(昭和61)年12月11日(木)
ニースと同じく高台にあるユースホステルからマルセイユの街中まで、坂を下ること1時間。
快晴のもと、重量物(リュック)がない身なれば足取りは軽やか~。
紀元前 6 世紀頃にギリシア人が築いて以来、移民が集まる交易が盛んな町らしいのですが、洗練されたおしゃれな街というよりは漁港のイメージ・・。

実際、旧港の岸壁では魚が売られているらしいのですが、見逃してしまい・・・。
その分、街中にあふれる”歴史的建造物”は意図せずとも目にすることができました。
”陸続き”は戦いの歴史(*島国に生まれたことを感謝)。
時に民族や言葉や宗教が変わり、国が変わる。
”奪い奪われの果て”が今に続いているのでしょうか。
そして今日も世界のどこかで・・・。

動物の彫刻を配置して見事に演出された滝や、装飾が施された水路が見どころ
思えばこの約9か月間で多くの”歴史的建造物”を見てきました。
外も中も・・・。
そのせいか、いつの間にか”鈍感”に?・・。
各地それぞれの複雑な歴史は知る由もなかったけれど、一言で言えば”大変そう”・・(*感想です)。
一年かけてヨーロッパの鉄道を乗ることはできても、各国にかける時間はわずか。
目的(鉄道に乗る)以外は”薄っぺらな旅”と思われても仕方ありませんでした。

地味な外観とは裏腹に内部は豪華で多くの石棺がある
評判は上々 入場は無料
12月中旬の南欧は暖かく、いつしか自然と足を向けたのは海でした。
ヨットのマストが所狭しと林立する港の中心部を抜け、しばらく進むと見えてきたきた・・。
晴れ渡る空の下、気持ちいいほど広がる視界に”やっぱり海が好き”なことを実感しました。
岩場の上には刑務所?のような建物があり、調べてみるとどうやら・・。

そして、対岸を挟めば向こうにも”要塞”が・・・。

入場料1910円も場所により追加料金が・・・
17世紀。
要塞は街の入り口を守るだけではなく、時の王ルイ14世が反抗的な街を制圧後”市民を監視する”目的もあったようです。

昼間、商店が閉まっても(*昼休み)十分に食料を確保していたのでOK!
一方、なぜかスーパーは営業中で、カフェやマクドナルド、クイック(ファーストフード店)も・・。
本屋さんで見た”日本に持ち込めない大人の本”は50フラン・1300円。
国税庁の統計では1986年(昭和61年)日本人の平均年収は386万円
一日過ごして困ったことは、トイレが極端に少ないことでした。
国ごとに違う”トイレ事情”で覚悟しての入国も、”やっぱりない・相変わらずない”・・。
あっても数少ない公衆電話ボックス(*今では懐かしい)のような丸形トイレ(有料)を見つけるのは至難の業。
さりとて、その都度カフェに入るわけにもいかず・・・。
フランス語圏であるベルギー南部でも困ったことを思い出しました。
”跳ね橋”がある小さな町のカフェのトイレは有料で、入り口に座る年配のお姉さんに料金を払う仕組みだったっけ・・・。
それでは地元の皆さんはどうしているのか?はすぐに判明!!
それは、建物の影や草むらからする”匂い”でした。
皆考えることは同じ・・・(*女性はたいへんです)。

夕方、ユースホステルに戻ると”子供の団体さん”も連泊でいましたいました。
わいわいがやがや、わいわいがやがや・・・。
その”にぎやかさ”、昨日十分元気をいただきました。
むしろ、一日歩き回ったあとはゆっくり静かにすごしたい・・。
そんな希望は見事に打ち砕かれたましたが、ユースホステルはそんなもの。
となれば、さっさと夕食作りを始め、食べ、片付け。
一足先にシャワーを済ませ、明日の移動に向け準備万端でおやすみなさい~。
つづく
昭和の東西ヨーロッパ行 260 同じ南仏でも マルセイユ フランス

高齢親が通う県央の街中眼科
予約はなんと4カ月前から、、、
他に有力な眼科なく、当日診察終了まで時に2時間、離れた場所で車待機のへき地県境移住者です
予約結果は"8月予約⇒1月診察"、、、
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今から39年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
西ヨーロッパ(フランス)から右回りでくるっと1周。
地図・写真・小文字はグーグルマップより
長靴(イタリア)の足元(南)から上(北)へ。
ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノ経由で地中海沿岸を横移動、南仏ニースまでまでやってきました。

1986年12月10日(水)
夏ならさしづめ「007(映画)」の舞台になりそうな有名リゾート地も、冬の訪れを前にボンドガールは出てきそうもありません。
バックパッカーの若者が10何キロかのリュックを背負い、山の上のユースホステルから駅までくねくね坂を下ること55分。
10時38分発、西方の港町マルセイユ行き急行は季節外れが功を奏し?やけに空いていました。
イタリアから続く地中海沿岸の似たような景色の中、途中国際映画祭で有名なカンヌを通過・・・。


2時間近く経過したころ、内陸部の眺めに退屈したわけではないけれど、マルセイユ手間のトゥーロンという大きめの街で途中下車し普通列車に乗り換えてみました。
1時間半後に乗り換えた普通列車は電気機関車が予想外の速度/時速120キロで客車をけん引、その間客車のドアは開きっぱなし・・・(手動です)。

今では考えられないその”鉄道風景”も、バックパッカーが高校の冬の通学時一駅だけ乗った青森行長距離鈍行列車(*客車は手動ドア/最後尾車両の後ろから線路が丸見え)を思い出させるには十分でした。
午後3時前に着いたマルセイユ駅で見つけたのは、パリから地中海まで直行するTGV(フランス国鉄の高速車両)でここが終点。
(49枚目のメモより)「素直に”かっこいい!”」
ひときわ目立つ長い車列にあこがれを抱きつつも、翌年パリから帰国する日までに車上の人となることはかないませんでした。

マルセイユは同じ南仏の港町でも長い砂浜の海岸に多くの観光客を集めるニースと違い、それほど大きくはない?港にたくさんの船が・・(*当時のイメージです)。
本日のお宿(ユースホステル)はこれまた海岸から遠く、再びバス(6F・フラン・156円)で。
”ユースホステルは決して便利ではない場所にあることが少なくない”のは日本も同じ。
格安の宿に”駅チカ”は望むべくもありませんでした。
国税庁の統計では1986年(昭和61年)日本人の平均年収は386万円

当時1000円台の料金(素泊り)は現在4500円台/2名5800円台から
”大きな洋館(*ユースホステル)”は、小さな敷地に建つ小さな家に慣れ親しんだ身には維持するのが大変そう~と思いつつ、泊まる分にはなんとも気分のがいいもの。
当日は12月中旬の平日にもかかわらず”子供の団体さん(フランス人)”がいましたが、にぎやかなキッチンで仲良く自炊(*と言っても耳に入る言葉はほとんどわからない)、腹いっぱい食べて満足満足・・・。
食後、鍵のかかる個室が並ぶシャワー室は男女共有で、順番待ちの子供たちの声でこれまたにぎやか〜・・・。
フランス語が公用語のベルギー南部もそうでしたが、”男女同部屋の寝室(*2段ベットがいくつもある大部屋)”が珍しくないのがフランス語圏の特徴?なのかもしれません。
最初は戸惑った”男女一緒の習慣”もこのころには慣れ、その”ゆるさ”に心地よささえ感じていました。
子供たちを除けば部屋(大部屋)には空きがあり、そのことに”季節外れ”を実感すれば、居心地の良さ+栄養補給ができるキッチン付も重なり”連泊”をしたくなるもの。
10何キロかある重量物(リュック)から解放されることもあり、連泊を決めました。

入場料はモバイルチケットで1042円から
邦人の口コミ
つづく
昭和の東西ヨーロッパ行 259 南仏 コートダジュールで安らぐ ニース

高齢親の退院後、全国展開のレンタル会社から送られて来た(ぼぼ強制利用品)請求書
おむつは限りなく指定/一つあれば退院まで足りる品々にも日々料金が発生、余れば回収、、、
再入院時、日数がかさんだ同室の方は、、、"え〜!こんなに〜!!”(*地方年金生活者の実感です)
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今から39年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
西ヨーロッパ(フランス)から右回りでくるっと1周。
地図・写真・小文字はグーグルマップより
イタリアから地中海沿岸を横移動、南仏ニースまでまでやってきました。
コート・ダジュール(Côte d'Azur)は、フランス南東部(イタリア国境からトゥーロンまで)の地中海沿岸に位置する、世界的に有名なリゾート地
日本語では「紺碧海岸」とも呼ばれます

(ニースユースホステルの連泊スタンプ FUAJ・フランスユースホステル協会)
1986年12月9日(火)
昨日フランスに入った途端に降り出した雨はこの日も続きました。
ニースの海岸を見下ろす高台から街まで下るバス(6.5フラン・170円)は、昨日の乗り間違い(*余計に1往復した)もあり降車地は慎重に・・・。
国税庁の統計では1986年(昭和61年)日本人の平均年収は386万円

邦人の口コミ(当時の"窓口で現金で切符を購入"と違い大変そう、、)
無事街中でバスを降り、イタリアからこの地まで抱え込んでいた実家へ送る郵便小包を郵便局で出したのですが・・・。
その様子はまるで医者の”問診”を受けるかのごとく、一項目ごとにやり取りがありました。
たっぷりかかった時間に、
(49枚目のメモより)「自分で書かせてくれ~」(*日仏/仏日ミニ辞典持参)
4.5㎏・船便・138フラン・3590円は、わかっていても大きな出費でした。
窓口ついでに街の地図を開き、”図書館はどこですか?"(丸暗記のフランス語)
地図で場所を指さしてもらい足を運びました。

昼は図書館で"年賀状"を書き過ごしながら、どんな感じの本が置いてあるのか見て回りましたが、もちろんフランス語だらけで読むことはできません。
滞在中は地元民にアジア人が交じっていても、じろじろ見られることもなく、警戒されることもなく、あまりの心地よさにどっぷり午後まで滞在してしまいました。
次に本屋さんに入ってみれば、予想外に日本関係のもの(柔道・空手以外に写真集など)が置いてあり、日本に対する関心の深さがうかがい知れました。

海岸に沿った平坦な街中を歩きながら、不思議とこの国に安らぎを感じたのはなぜなのか・・。
日本から入国した4月、イギリスから再入国した6月に続き3度目の訪問で多少なりとも”慣れや親しみ(それとも”耐性”?)”ができたからなのか・・・。
厳格ではなく時に不便。
そんな緩い(ゆる〜い)生活もまんざらではない、と感じたのか、、。
”久しぶりの自炊”ではある程度好きなものをスーパーで調達、好きな味で調理、日本食風にトライすることもできました。
加えてここまでごく簡単な日常会話以外フランス語ができなくても、大きな問題がないこともあるのか・・・。
思えばフランスの方々からずいぶん親切を受けました。
滞在中、
「パルドン!(すみません!)」
「メルシー・ムッシュー(マダム・マドモアゼル)!オヴァー!(ありがとう! さようなら!)」という言葉をよく聞き・言われ、いい言葉だなぁ・・。

やっと海岸通りにたどり着くと、この時期ニースの海岸もご多分に漏れず。
林立するホテル・マンション群は季節外れで人影少なく、砂浜もしかり。
まるで購入したばかりの絵葉書の夏模様がよそのようでした。

(絵はがき コートダジュール)

(絵はがき コートダジュール)
つづく
昭和の東西ヨーロッパ行 258 南伊 南仏 地中海

(X/旧ツイッターから ほんとかな、、)
携帯にかかってきた、「+8830519820」を【海外から?】かと調べたら、なんと!バングラデシュから・・
その評判から一度は訪れてみたい国も、(電話に)出ずによかったと思うへき地県境移住者です
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今から39年前の1986(昭和61)年、転職直後の離職で幸運にも実現した長旅。
「旅と鉄道好きが一生に一度多くの国を訪れる」条件に合致したのは、当時東西に分かれていたヨーロッパでした。
西ヨーロッパ(フランス)から右回りでくるっと1周。
地図・写真・小文字はグーグルマップより

長靴(イタリア)の足元(南)から上(北)へ。
ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノ経由で地中海沿岸の港湾都市ジェノバまでやってきました。
1986年12月8日(月)
この日は”バンクホリデイ/Bank Holiday”。
銀行のみならずほとんどの店が休みなのは、銀行が休むと金融取引ができないためで、事実上の全国的な祝日となったようです。
断崖の上に建つユースホステルからバスに乗り、早めに駅に行ったのですが、売店ではなんと本以外売っていない!
そこで買った小型時刻表・2200リラ・300円。
通貨単位はイタリア・リラで1リラ・0.135円(1000リラ・135円)
国税庁の統計では1986年(昭和61年)日本人の平均年収は386万円
店が休みなのは周辺もしかり・・・。
何も買えず、”祝日の威力”をまざまざと見せつけられました。

幸いにも開いていた駅のメンザ(食堂)で摂った昼食、
・ミートソーススパゲティ
・豆入りソーセージ煮込み
・小型パン4個
・瓶ビール330ml
計6900リラ・950円は、残りのリラを使ったイタリアで最後の食事となりました。

12時5分。
急行とは名ばかりの”快速”は、見事なまでに地中海の海岸線に沿ってゆっくりと進んでいきました。
沿線に立ち並ぶ家々や高級そうなマンションは閉まっているところも多く、夏のバカンス中心の利用か?


途中、音楽祭で有名なサンレモは車窓から。

2時間半で着いた国境駅で1時間後に乗り換えたフランスの列車は、それまでの客車がけん引する客車から一転、久々の”近郊系電車”でした。
カーレースの行われる平地少ない街、モナコは公国とは言ってもフランスの一駅で駅もごく普通の大きさでした(車窓から)。

16時半。
目的地ニース(モナコの左側)に到着。
日本なら観光案内所でもらえそうな街の地図は、4月と6月にフランスで使った残りのフランを使い、駅2階の”i"インフォメーション(案内所)で入手できました(2フラン・52円)。
このころ、変動相場制の為替レートは、1フラン25.5円と落ち着いていました。
これを日本で両替したドルで替えると、その後の"プラザ合意"効果で1フラン29円と損をするので、フランが不足した際はドル以外の通貨で両替する必要がありました。
何をどう間違えたのか。
駅から徒歩25分のバスターミナルから乗ったバス(6.5フラン・170円)は14番を5番に乗り、降りるはずのバス停がないなないな・・で終点まで行ってしまいました。
1時間半後、再びトライすれば降りた場所は一つ先、今度は山頂まで行ってしまった・・。
それでも見下ろす夜景のきれいさは、重いリュックとイタリアで荷造りしフランスで出した方がいいと言われた小包4,5㎏を抱いた”30分の下り”を忘れさせるほどでした。
ところがそのいい気分も、こちらのユースホステルは”YHシーツ”が必要で、それは小包の中・・。
10フラン・260円の出費となりました。
ユースホステルは素泊り43フラン・1120円で、うれしいことに台所(キッチンスペース)に朝食付。
ユースホステルは国(*イギリスはイングランド協会とスコットランド協会だったりする)やその場所による”内容/条件の違い”が大きく、違いに合わせて旅することには困難がつきまといました。
遅いチェックイン後に簡単(質素?)な食事を済ませると、疲れがどっと出て談話室での交流どころではなく・・・おやすみなさい・・・。

つづく
