「リア充爆発しろ」の構造を解剖する
「公共の場でイチャイチャするカップル」に向けられる苛立ちは、なぜ頻出するのか?
それは本当に「嫉妬」だけが原因なのだろうか?
むしろ、「空間の秩序」が崩されることへの違和感こそが、多くの人の反応を引き起こしているのではないか。
1,空気を“占有”するという問題
社会には空気がある。特に日本では、その空気を察し、維持することが重視されている。
電車、図書館、公園、街中──それぞれの公共の場には、その場にふさわしい“空気”が存在する。
(ここで言う空気とは、その場における文脈・秩序・期待される振る舞いの総体を指す)
カップルにはカップルの空気がある。
それ自体は悪いことではない。だが、公共の場で私的な空気を強く打ち出すと、そこにいる他者に違和感やストレスを与えることになる可能性があるのだ。
もちろん、誰かと過ごす時間を大切にしたいという気持ちは自然なものだ。重要な点は、それが文脈と空間に即しているかということ。
彼らにとっては「自分たちの関係性」が第一であり、「公共性」は二の次になりがちだ。
2,二重の秩序に巻き込まれる第三者
問題は、周囲にいる第三者が二重の秩序を強いられる点にある。
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公共の場の空気を壊さないように行動する
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カップルの空気を壊さないように気を遣う
この不公平感が、多くの人にとっての違和感やストレスの本質だ。
言うならば、自分は赤信号を守っているのに、平気で横断していく人を見かけたときのような感覚に近い。
「自分は空気を守っているのに、あの人たちは守っていない」という構造が、感情的反発を生む。
3,相互行為が不成立になるとき
さらに、万が一そのようなカップルと関わる状況が生じたとき、その関係性の中でも彼らは「自分たちの空気」を優先しがちだ。
つまり、第三者が礼儀や配慮をもって関わっても、それが返ってくるとは限らない。
むしろ、無視、拒絶、あるいは敵意として返されることすらありえると第三者は考えるのだ。
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空間を占拠しているのに、責任を負わない
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配慮が返ってこないため、相互行為が成立しない可能性
このような構造が、結果的に「関わりたくない存在」や「見たくない存在」になる理由であり、
「リア充爆発しろ」的な言説の背景にもなっているのではないだろうか。
まとめ
この違和感を「嫉妬」と切り捨てるのは簡単だ。
だが、それではなぜ“公共の場”という文脈でのみ、こうした感情が生じやすいのか説明がつかない。
本稿では、「空間秩序の侵犯」と「構造的不公平性」が感情の背景にあるという仮説を述べた。
もっとも、それすら「嫉妬」と言われれば、私にできる反論はあまり多くないのだが。
(今回はあくまで公共の場でイチャイチャするカップルを想定したものであり、すべてのカップルに対してというわけではないことを明示しておく)