ゲンノショウコ
山で採ったわらび・ふき・たらのめ、ときにはタマゴタケ、
いろいろ食べていますが
めったにおなかが痛くなったことはありません。
なのに先週はおなかが痛くって
仕事中も倒れそうなときがありました。
原因は98円のピーナツあられなのか
たまたま3.6牛乳の代わりに買った
乳脂肪4.8%の濃厚乳飲料のせいなのか
そのほかのものかわかりません。
苦しんだ末

何年も前に壁に吊っておいて枯れ草のようになっている
ゲンノショウコのことを思い出しました。
早速、お湯で戻して飲んでみました。
その後もマグカップに入れたまま紅茶を飲んだり、
梅もいいらしいので完熟梅で作ったジャムも
交互に食べてみました。
現の証拠!!というほどではないにしろ
週明けの今日はもう大丈夫です。
あんな枯れ草で効き目があったのかはわかりませんが
昨日道で花が終わって「神輿」になりかけている
ゲンノショウコを見つけたのでまた暇があれば
少し壁に吊る分を採ろうかと思います。
いろいろ食べていますが
めったにおなかが痛くなったことはありません。
なのに先週はおなかが痛くって
仕事中も倒れそうなときがありました。
原因は98円のピーナツあられなのか
たまたま3.6牛乳の代わりに買った
乳脂肪4.8%の濃厚乳飲料のせいなのか
そのほかのものかわかりません。
苦しんだ末

何年も前に壁に吊っておいて枯れ草のようになっている
ゲンノショウコのことを思い出しました。
早速、お湯で戻して飲んでみました。
その後もマグカップに入れたまま紅茶を飲んだり、
梅もいいらしいので完熟梅で作ったジャムも
交互に食べてみました。
現の証拠!!というほどではないにしろ
週明けの今日はもう大丈夫です。
あんな枯れ草で効き目があったのかはわかりませんが
昨日道で花が終わって「神輿」になりかけている
ゲンノショウコを見つけたのでまた暇があれば
少し壁に吊る分を採ろうかと思います。
材木の避難場所
土曜日
埋葬の風習
うっかりしていました。
埋葬の風習について書かれていたことです。
張政が来たとき卑弥呼は生きていたのか?という疑問。
張政が持ってきた詔書は卑弥呼あてでなく難升米あてでした。
張政は黄色の旗を難升米にもたらし、「告諭」し、
男王に代わって即位した壱与に「告諭」したとありますが、
卑弥呼に会見したことは書かれていない。
でもそのまえに、
倭人の一般的な風習の書かれている箇所で
―その死には棺(かんおけ)あるも槨(そとばこ)なく、
土を封じて塚をつくる―とあります。
これは一般論として書かれていますが
張政が来たときに卑弥呼が死んだとしたら
張政たちもその埋葬を目の当たりにした可能性があります。
「棺おけはあっても外箱はなくただ土を被せるだけ。」
といっても貧民の墓ならかんおけすらないかも知れません、
喪主は泣き、関係者はお祭り騒ぎするくらいだから
格式のある家でさえ棺桶を埋めて塚を作るだけの墓です。
この記述が卑弥呼の墓にも例外でなくあてはまるのなら
卑弥呼の墓は「古墳」じゃないはずです。
石舞台古墳のようにむきだしになって構造がわかるものでは
棺桶はりっぱな石室のなかに収められていたはずだからです。
埋葬の風習のすぐ次に「持衰」の話が出ます。
持衰はまるで屍のように身を清めず禁欲させた人間を
乗船させ、旅程でおきた災難の責めをその一人に負わせる
人身御供のような役目ですが、張政が帰るときに送っていったのは
倭の大臣クラスの掖邪狗です。
当然、掖邪狗も張政を送るときに持衰を伴って行っただろうし、
納棺の話が卑弥呼のものでないにしろ、
魏の使者と接触のある大臣クラスの家の埋葬の風習だろうと思えます。
張政がきたときすでに卑弥呼が死んでいて
埋葬も何もかも終わっていたとしたら、
卑弥呼の墓に石室があったか張政は見なかったことになります。
ただ卑弥呼の墓だけが古墳で、大臣クラスの墓は盛り土だけとは
考えにくいです。
張政が来たとき辛うじて卑弥呼に息があったとして、
では魏の皇帝から難升米に詔書が来るということは、
高齢か病かで動けなかった卑弥呼に代わって難升米が
掖邪狗に親書を持たせて洛陽行きを命じたのかもしれません。
これを書きながらひとつ思いつきました。
掖邪狗は張政を送っていったのです。
張政は来るとき黄色の旗と詔書を携えて来ましたが
帰りには使節20人と献上の奴隷30人が同行します。
掖邪狗は張政の帰りの船に乗せてもらったのではなく、
一艘か船団かはわかりませんが、倭国の船に張政を
乗せていったから「送った」と書かれているのではないでしょうか。
魏の使者は帯方からまず船で海岸沿いに進んできましたが、
一貫して同じ船、同じ乗員で来て、倭国の港に停泊させていたというよりも、
信頼できる関係者の船を乗り継いできたのではないかと思えてきました。
埋葬の風習について書かれていたことです。
張政が来たとき卑弥呼は生きていたのか?という疑問。
張政が持ってきた詔書は卑弥呼あてでなく難升米あてでした。
張政は黄色の旗を難升米にもたらし、「告諭」し、
男王に代わって即位した壱与に「告諭」したとありますが、
卑弥呼に会見したことは書かれていない。
でもそのまえに、
倭人の一般的な風習の書かれている箇所で
―その死には棺(かんおけ)あるも槨(そとばこ)なく、
土を封じて塚をつくる―とあります。
これは一般論として書かれていますが
張政が来たときに卑弥呼が死んだとしたら
張政たちもその埋葬を目の当たりにした可能性があります。
「棺おけはあっても外箱はなくただ土を被せるだけ。」
といっても貧民の墓ならかんおけすらないかも知れません、
喪主は泣き、関係者はお祭り騒ぎするくらいだから
格式のある家でさえ棺桶を埋めて塚を作るだけの墓です。
この記述が卑弥呼の墓にも例外でなくあてはまるのなら
卑弥呼の墓は「古墳」じゃないはずです。
石舞台古墳のようにむきだしになって構造がわかるものでは
棺桶はりっぱな石室のなかに収められていたはずだからです。
埋葬の風習のすぐ次に「持衰」の話が出ます。
持衰はまるで屍のように身を清めず禁欲させた人間を
乗船させ、旅程でおきた災難の責めをその一人に負わせる
人身御供のような役目ですが、張政が帰るときに送っていったのは
倭の大臣クラスの掖邪狗です。
当然、掖邪狗も張政を送るときに持衰を伴って行っただろうし、
納棺の話が卑弥呼のものでないにしろ、
魏の使者と接触のある大臣クラスの家の埋葬の風習だろうと思えます。
張政がきたときすでに卑弥呼が死んでいて
埋葬も何もかも終わっていたとしたら、
卑弥呼の墓に石室があったか張政は見なかったことになります。
ただ卑弥呼の墓だけが古墳で、大臣クラスの墓は盛り土だけとは
考えにくいです。
張政が来たとき辛うじて卑弥呼に息があったとして、
では魏の皇帝から難升米に詔書が来るということは、
高齢か病かで動けなかった卑弥呼に代わって難升米が
掖邪狗に親書を持たせて洛陽行きを命じたのかもしれません。
これを書きながらひとつ思いつきました。
掖邪狗は張政を送っていったのです。
張政は来るとき黄色の旗と詔書を携えて来ましたが
帰りには使節20人と献上の奴隷30人が同行します。
掖邪狗は張政の帰りの船に乗せてもらったのではなく、
一艘か船団かはわかりませんが、倭国の船に張政を
乗せていったから「送った」と書かれているのではないでしょうか。
魏の使者は帯方からまず船で海岸沿いに進んできましたが、
一貫して同じ船、同じ乗員で来て、倭国の港に停泊させていたというよりも、
信頼できる関係者の船を乗り継いできたのではないかと思えてきました。
ナンバープレート
車を買い替えた頃から
気になりだしたこと。
前を走る車のナンバーが4桁の場合に
2つ(以上)が同じ数字の車が多い。
昨日なんか目に前の2888が曲がったあと
その前にいたのが3888だった。
2525とか2552とか
全部違う番号の車のほうが少ない。
何かの識別に使われているのかな?
気になりだしたこと。
前を走る車のナンバーが4桁の場合に
2つ(以上)が同じ数字の車が多い。
昨日なんか目に前の2888が曲がったあと
その前にいたのが3888だった。
2525とか2552とか
全部違う番号の車のほうが少ない。
何かの識別に使われているのかな?
見せしめ

ここは以前、崖の上の茶畑が崩れた場所です。
もう茶色くなっていますが下の段にはキリン草が茂っています。
工事車両によって運ばれてきたのか
綿毛が風で飛ばされてきたのかわかりません。
先日、職場の休憩所のTVで外国の魚を販売しようとした人が
逮捕されていました。手錠をかけられ頭にジャケットをかぶって
極悪人のように連れて行かれていました。
その魚が生態系を破壊するからだそうです。
生物が移動するのはその生物の自由です。
昨日、教会で空を飛ぶ鳥が蒔きもせず刈りもせず
食べ物を手に入れている話をされていました。
すずめはAさんの田んぼであろうとBさんの田んぼであろうと
自由に行き来して餌をついばんでいます。
キリン草がどこをどうやって来たかはわかりませんが
キリン草に罪はありません。
なのに魚を輸入した人は犯罪者です。
生態系の話の主軸に生物多様性の思想があるようで、
ビオトープ資格の本、狩猟免許のテキスト、それから今回見た
犯罪者のニュースなど生物多様性の思想に基づいて、
制度が作られているように思いますが、どうもよくわからない。
山を荒らすシカ・シシ・ウサギなど、もっと捕まえてもよさそうなのに
手厚く保護されているようだし、
遺伝子の登録された作物しか作れなくなりそうな時代になりそうだし、
外国産の野菜はどんどん栽培されているようだし。
なんだか矛盾しているような、取り締まられるものとそうでないものが
ずいぶんいい加減なように見えます。
魚を輸入した犯人の映像をみてまず
(これは見せしめだ)と思えました。
何かにつけて逮捕するぞ、と脅されている気のする
ニュースがよく流れます。
休養

明日は母の命日で、
横浜の教会へ行きたかったのですが
今週の休みは日曜だけなので
決めかねていました。
バスの予約も取りそこね
仕事帰り、そのまま出かけようか
考えると、家のインコのことを忘れていました。
最近、ダイエット中なのでぎりぎりの餌しか
あげていません。
食べ残したビーフシチューも残っています。
もったいないので一旦うちに戻りました。
6:30の始発に乗ると10;00前には着きます。
でもうちを4:30には出なくてはならず。
旅費もかかります。
それで浜松の教会に行って見ました。
車を買い替えてお金がないので
通勤以外の道はなるべく走らないように
しているので紅葉も見に行っていませんが
今日の杉川渓谷はこんな感じでした。


次は気田川の柳です。
また木の名を調べていません。

浜松の教会には母の残存思念はなく、
(それは自分が信者ではないせいもあります。)
クリスマスの準備も手伝わずに帰りました。
横浜までの旅費を使わなかった分
薪置き場用のトタンを買いました。
急いで家に帰って15時。

屋根の修理で張り替えた古トタンとあわせて
なんとか置き場の上に並べました。
来週まで突風が来ませんように。














