名前が忠臣蔵の大石主税と同じことで、ちからと読むこの名前はインパクトがありますが、今や大宮サポにとってはプレーの方がインパクトがあると思います。最初に大宮に入る前は、福岡、広島、名古屋と渡り歩いていましたが、大宮にとって、当時は代表歴のある選手は珍しく、どんなプレーをするのだろうと興味がありました。
藤本は大宮がJ1に昇格した2005年に加入しているのですが、ポジションを狙うサイドハーフは、右が安藤、左が久永がポジションを確保していました。このポジション争いは、藤本のプレースタイルが運命を分けました。
藤本という選手は、サイドに固定して力を発揮するタイプではなく、持ち前の運動量で左右関係なく仕掛けた方が持ち味が出る選手です。そのため、右サイド専門の安藤を使うと左サイドに固定されてしまいますから、ドリブラーの久永の方が合うということになりました。
動いて、チャンスに顔を出して点にも絡む、大宮にとってはかなり強力な新戦力でした。このJ1昇格の前後は大宮を新しいチームにしようと積極的に選手を集めていて、どうチームが変わっていくか、スタンドからも楽しく見られました。
2005年シーズンは、大宮は優勝したG大阪から勝ち点6を奪い取るなど、リーグに新風を吹き込む存在でした。しかし、翌2006年に残留争いをしたこともあって、三浦監督を解任して、かつての名監督ピム・ファーベックの弟のロバート監督を呼びました。
しかし、このロバート監督の采配には、藤本も含めた各選手が戸惑って、大宮は開幕からかなりの間、下から2番目の17位に低迷しました。その前の年に、J2に降格した東京Vや柏から、小林大悟、小林慶行、波戸らを補強しながらの低迷に、キャプテンだった藤本は相当苦しんだものと思います。
しかし、開幕当初は、アメリカの独立リーグという素性不明のチームでプレーしていたサーレスがFWだったのが、ブラジルのパラナ州1部リーグというまともなチームから取ってきたデニス・マルケスにFWが変わったことで、大宮はようやく上昇気流に転じました。
藤本もヒーローインタビューで涙を流すほど苦しんだこの年をぎりぎりでしのいで、大宮は今年もJ1です。徳島県出身という理由でゴール後に見せる阿波踊りが、今年も見られれば大宮の順位も上がっていくでしょう。