私家版 今年の映画ベスト 60

2025映画 BEST of そりゃそうだろ編 ベスト18(観た順)

『敵』

『ANORA』

『名もなき者』

『ウイキッド ふたりの魔女』

新幹線大爆破

『リー・ミラー』

『国宝』

ルノワール

『フロントライン』

『劇場版TOKYO MER~走る緊急救命室~南海ミッション』

『ふつうのこども』

遠い山なみの光

沈黙の艦隊 北極海大海戦』

『ワン・バトル・アフター・アナザー』

『旅と日々』

『エデイントンヘようこそ』

『サムシング・エクストラ!』

『シャドウズ・エッジ』




2025年映画 BEST of もっと話題になるべき編 ベスト17 (オススメ順)

『パルテノぺ ナポリの宝石』

『フォーチューン・クッキー』

『かくかくしかじか』

スノードロップ

『ハード・トゥルース』

スターレット

『平場の月』

『秋が来るとき』

『KNEECAP/ニーキャップ』

『ミマン』

『罪人たち』

『サターン・ボウリング』

『この夏の星を見る』

プラハの春

ryuichi sakamoto : diaries』

エミリア・ペレス』

『けものがいる!』




2025映画 BEST of これ観てない人とは上っつらの会話しかできない編 ベスト4 (順不同)

『ノー・アザー・ランド』

『壁の内側と外側 パレスチナイスラエル取材記』

『キス・ザ・フューチャー』

『手に魂を込め、歩いてみれば』




2025映画 BEST of はまる人にははまる編 ベスト21(順不同)

『大きな家』

『リアル・ペイン~心の旅~』

『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた

『死に損なった男』

『恋脳experiment』

『片思い世界』

『未完成の映画』

『どうすればよかったか?』

『でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男』

『アッテンバーグ』

『テイクアウト』

オスロ、3つの愛の風景『DREAMS』『LOVE』『SEX』

ピアノフォルテ

『ブラックバッグ』

ホーリーカウ』

『レッドルームズ』

『次元を越える』

『金髪』

『タローマン 万博大爆発』

『サムシング・エクストラ! やさしい泥棒のゆかいな逃避行』ネタバレ

 2024年、フランスで最高の興行収入を記録した映画。しかも、日本でもヒットした『最強のふたり』の記録を塗り替えたそうだ。
 どんな文化にも光と影があると思うけど、こういう映画が大ヒットすることにもフランスのよき伝統があらわれて見える。
 今回のこれだけでなく、2019年には『スペシャルズ! ~政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話~』、2022年には『アダマン号に乗って』が、こちらはドキュメンタリーながら、この年のベルリン国際映画祭金熊賞を受賞してさえいる(しかも、ちょっと誇らしいことに日仏共同製作だったりする)。

 『スペシャルズ!』の時もそうだったと思うが、実際に障害のある人たちを俳優に起用している。フランスで人気のあるコメディアンだそうなアルチュスてふ人が監督、脚本、主演しているが、障害者支援施設に入所している11人についてはすべてオーディションで選んで、脚本は彼らにあてがきしたそうだ。

 宝石店に強盗に入った親子ふたり。逃走に用意していた車を障害者専用の駐車サイトに止めてしまったためにレッカー移動されてしまう。おバカすぎる展開で絶体絶命なところに、たまたま行き当たった障害者施設の恒例サマーキャンプに障害者と介護者として紛れ込む。
 「いや、ばれるだろ」と思ったことを30分後には後悔する。見た目だけじゃ分らんし、介護者は逆に見た目だけで判断しないように訓練されているかもしれない。
 とか思ってると、逆に障害者の人たちにはバレバレだったことがわかる。「見た目でわかる」と逆に言われる。そのころまでにはけっこう心を許している主人公は「他の奴には言うなよ」と頼むのだけれど、ほぼ全員がとっくに分かってるってのがおかしかった。アルチュスが全然過剰に障害者を演じないのもよかった。むしろ逆に、障害者の人たちから「それじゃ全然見えないよ」と演技指導を受けたりする。
 介護者として紛れ込んだ親父の方もけっこうなじんでくる。ファミリービジネスとして強盗をやってるこの親子関係に障害者施設の人間関係が影を落としていくプロセスがよく描けていると思った。これは、先日の『みんな、おしゃべり』と比べてしまう。どうなんだろう。やっぱりフランスという距離感がある程度作用しているのかもしれないが、でも、フランス本国でも最高の興収をあげているわけなので、設定が身近な観客にもアピールしているのだろう。
 『みんな、おしゃべり』が面白くないとまで言わないが、やっぱり電球1ケ割っただけでは。こっちは宝石強盗の逃走車両をレッカーされてるから。そこのワンアイデアはおろそかにしちゃダメなんだろうな。
 この映画はアルチュスのシナリオがコメディアンだけあってよく書けてる。バカリズムの脚本を思い出させる。日本で受けるかどうかわからないけど日本でも当たってほしいな。『スペシャルズ!』も面白かったけど、あれはヴァンサン・カッセルが主演のけっこうシリアスな映画で、重くはないけど、実話ベースだったので。
 それにくらべると『サムシング・エクストラ!』は全くのフィクションでコメディーとして笑える。今年のM-1で真空ジェシカが車椅子テニスの小田凱人をいじったときに、審査員席にいた大吉さんが笑っていいかどうか一瞬迷ったそうで、それは観客の側の未熟さかもしれないと振り返っていた。
 原題は『Un p’tit truc en plus ちょっとした追加ごと』で、邦題の「サムシング・エクストラ」は英語タイトルでもあるが、セリフの一部にもあった。日本語タイトルとして優れているとも思われないが、英語タイトルとしてはセンスがよいと思う。印象的なセリフなので。

 今年は『大きな家』というドキュメンタリーも観た。あれは、斎藤工の配慮で配信されないだけでなくSNSへの書き込みもしないでほしいということだったと思う。
 
 『チョコレート・ドーナツ』はアメリカが舞台なので最後が悲惨。フィクションにしてもフランスの方がハッピー。

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『サターン・ボウリング』ネタバレ

 パトリシア・マズィ監督。『ガール』のお父さん役だったアリエ・ワルトアルテ主演。その弟にアシル・レジアニ。『過激派」動物保護団体を主催するアジア系の女性にY・ラン・ルーカス。
 父と子、相続、兄弟、という聖書の創世記のカインとアベルから延々と繰り返されてきたキリスト教社会のテーマ。ジョン・スタインベックの昔なら『エデンの東』でジェームズ・ディーンがみずみずしく演じていたかもしれない役柄を、今では、アシル・レジアニが陰惨に演じる。兄弟殺しというテーマをまるでキリスト教社会にかけられた永遠の呪いのように描くその描き方のせいでまるでノアールのような味わいになっている。
 しかし、ノアールというにはあまりにも血生臭い。わざわざ「黒」を「ノワール」とフランス語に言い換える必要もないくらいどす黒くどぶ臭い。特に性描写が女性監督らしくどぎつくもなく煽情的ですらないように配慮されている一方では、性描写から暴力描写へ移り変わっていく過程がスムーズすぎて、行為のはじまりでは明らかにお互いに欲情してむつみあっている男女の行為が突然、というか、ほぼそのまま、まるで体位の入れ替えのように暴力行為に移行する。
 映画の画面でセックスが始まると、「いや、このシーンいらねぇだろ」と思ってしまうのが通例になっていた。のは、アダルトビデオが発展しすぎて、いわゆるオカズとして、性的な興奮剤としての視覚情報を公の場所で大きなスクリーンで見せられることには違和感しかないし、すべての観客がそれは見なくてもわかる。ことが始まっちゃえば、男女ともに獣でしかないでしょ?、人間のドラマにそれ入れ込む尺が無駄でしょ?、って思ってしまっていた。
 ところが、この映画のセックスシーンは映画のテーマそのものと言ってよくて、その意味で、セックスシーンも他のシーンと同様にはっきりと監督の演出意図があり、それを役者が演じている。兄のギョーム(アリエ・ワルトアテル)といい感じになる動物保護団体の女性スアン(Y・ラン・ルーカス)が「動物にしか興味ないのかと思った」といわれて「人間も動物でしょ」と返す。こういうセリフが粒立ったり浮いたりしないシナリオがうまい。
 スアンの動物保護団体も毛皮を着ている女性を縛り付けて晒したりする過激派なのも存在感にリアリティーを与えている。目的が手段を正当化すると思ってる。

 「サターン・ボウリング」ってタイトルから『罪人たち』みたいなホラーなのかとおもってたら全然違った。でも、ホラーだと思って裏切られる感じがいいかも。
 ボウリング場を経営していた親父が死んで、残された兄弟。兄は警察官として堅実に生きてるが、弟は生活に困窮している。弟は異母弟でもないのに婚外子扱いされている。家族で手を焼いていたのがわかる。親父の名前「アルマン」を受け継いだのは弟にもかかわらず親父は彼を嫌っていて遺産を何も残さなかった。
 気の毒に思った兄のギョームが親父の残したボウリング場の店長を弟にやらせる。めでたし、めでたし、な訳がなくて、この弟が客の女に手を出す、だけならコメディなんだが、ここがさっき言った見事なシーンでお色気コメディーの雰囲気から一気に暴力シーンにかわる。やりながら殴り殺してる。息を吹き返したらとどめを刺す。
 ここは女性監督ならではのシーンだと思った。女は男ガチャにはずれたらこうなる可能性は常にあるわけだから。それを言えば男だって女ガチャに外れる場合はあって、そうなると『ストレンジ・ダーリン』になるけど。
 これでこの弟がどういう問題で婚外子扱いされていたのかわかるんだけど、死んだ親父の人となりもなかなかだったようで、サターン・ボウリングは親父の狩猟仲間のたまり場になっていた。
 狩猟って文化も東洋と西洋でその背景がだいぶ違う。『バベル』で役所広司がハンティングをやってたんだけどあれは違和感しかなかった。日本でもアフリカでハンティングするのが趣味って人はいてもいいと思うが文化的背景からは切れている。日本の狩猟はどこまでも狩るものと狩られるものが同価値なのに対し、キリスト教の世界では獲物はどこまでも神が人間に食料として与えたもうたものなので、たとえば、イルカとかクジラの保護団体が「イルカを食うなんて残酷だ」と日本人を非難しながら、「でも牛は殺して当然でしょ」と涼しい顔をしているのと同じで、動物なんてそりゃ殺していいでしょうよ、こっちは神の似姿なんだしって態度なのが西洋の狩猟文化。
 面白いのは聖書の創世記でのカインとアベルでは、カインは農耕民、アベルが狩猟民で、神がアベルの貢ぎ物だけを受け取ってカインの貢ぎ物をとらなかったのを嫉妬して、カインがアベルを殺す。その結果としてカインはエデンを追われることになる。
 解釈はそれぞれだろうけど農耕は人が自然を支配する行為なので、人が自然に左右される狩猟生活から農耕生活へと移行した時点で、人は神を見失う。カインの末裔である現代人が楽しみのためだけに行う狩猟は、カインの楽園追放にイメージが連なるだけでなく、そういった信仰のありかたに無知で無関心という意味でも、二重におぞましく感じられる。
 特殊な性的な嗜好に突き動かされたアルマンの刃はついにはギョームと恋仲のスアンにも向けられる。駆けつけたギョームとアルマンの争いは、カインとアベルの戦いと混同してはいけない。彼らはどちらもカインの末裔なので。
 スアンはアルマンの背中に躊躇なく刃物を振り下ろす。アルマンがそれまで被害者たちを投げ落としていた窓から身を投げたときのギョームの顔が秀逸だった。フッと吐き出すように笑った。
 「弟を持ち運べるサイズに」したわけ。『兄を持ち運べるサイズに』もこのくらいノアールにやってくれれば面白かったろうに。あの原作者も女性だったが、海外の女性監督は男でも、というか、男ならそこまでできないよぉっていう残酷描写をやってのける。


senlisfilms.jp

『みんな、おしゃべり!』

 同じ商店街で暮らす聾唖の家族とクルド人の家族がひと悶着起こす。着想がユニークなので面白くなりそう。だけど、ディテールは興味深いのに全体としては稚拙。
 でも、『稚拙」は貶し言葉ではないから、褒めようとしてるのかも。
 在日クルド人も聾唖の人もどちらも知らない世界なので知りたい思いなんだけど、この映画の登場人物にリアリティーを感じていいものかどうか警戒感が漂う。クルド人も聾者もあまりにカリカチュアされていてつくりものっぽく感じてしまう。
 身近な世界だったらこんなものかなと思えるけど、知らなすぎて笑っていいかどうか迷う。野球を知らない女子が見たら、草野球もワールドシリーズも分からないのとおんなじかも。
 娘さんの長澤樹は超かわいいので、それだけで見てられる。主人公の電気店のご主人は『さや侍』の人に似てる。弟の小学生はライスの関町に似てる。
 戯画化するのはよいとして、それが面白くないのはよろしくないかと。ちょっと目を離したすきに商品の電球が一個割れてました、として、その場に立っていたお客さんにいきなり「謝れ」ってやる?。それは聾唖健聴に関係なく、いないと思う。そんな人いないよなぁ。
 一方で、小学生の息子の先生の手話がへたすぎて「あれじゃ何言ってるかわからない」とかのシーンは「そうなんだ」と思った。
 だから、なんつうのか、ひとつひとつのエピソードの向こう側に思いを馳せちゃう。ここは実体験なんだろうなとか、ここは展開の都合だなとか。そういうシナリオを指して稚拙といっても非難もされなかろうが、ただ、映画はシナリオだけでできてるわけではないので、たぐっていけばもとに何かがあるんだろうなっていうエピソードのつながりだけでも結構楽しい。長澤樹がかわいいし。
 役人と学校の先生があまりにもありがちな悪役に設定されていたのも無理やりな感じがした。
 全体としてはハチャメチャと言ってもよいが、クルド人と聾者がモチーフだから、ちょっと身構えてるところに、ドタバタ喜劇なので、そのふり幅で見てられる。
 素朴な味わいのコメディーを聾者とクルド人でやったってところがミソかな。客入りもけっこうよく、笑い声もけっこうあがっていた。『となりの宇宙人』と似た味わい。名作狙いで全然名作にならなかったような映画よりこっちの方が全然いいよ。

minna-oshaberi.com

片岡コレクションの浮世絵 芦屋市立美術館博物館

 芦屋市立美術館博物館で、片岡コレクションの浮世絵が約100点ほど展示されている。2026.2.8まで。
 大正時代にヨーロッパで買い集めたコレクションで、それ以来あまり鑑賞されなかったと見えて褪色が少ない。
 歌川国貞、歌川国芳、渓斎英泉、菊川英山など。なかでも国貞のコレクションは見応えがあった。もちろん静嘉堂文庫美術館のコレクションってわけにはいかない。
 国貞は長生きした上に多作だったせいもあり、玉石混淆のきらいはある。これは永井荷風も『江戸藝術論』に書いている。
「国貞は天明六年に生れ元治元年七十九歳を以て歿したればその長寿とその制作の夥しきは正に葛飾北斎と頡頏し得べし。然れどもその制作中の最も佳良なるものは悉く豊国の名を継がざりし以前にして、殊に文化時代の初期の作には時として先師豊国に匹敵すべきものなきにあらず。」
 この永井荷風の言うことはこの展覧会を見てるだけでも分かる。国貞の絵をまとめた展覧会を見ずに、浮世絵の展覧会でたまたま国貞の絵を見かける程度だった時は「?」と思っていた。
 豊国の名を継いだ経緯はスキャンダラスながら、当時、当代きっての人気絵師だったはずなのに「?」って感じ。
「五渡亭国貞は『歌川を疑はしくも名乗り得て二世の豊国贋の豊国』の落首に諷刺せられしといへどもとにかく歌川派の画系をつぎ柳島と亀井戸とに邸宅を有せしほどなれば、当時の地位は国芳の上にありしや明かなり。(『安政見聞録』中亀井戸辺震災の状を描ける図に歌川豊国が倉付の立派なる邸宅を見せたるものあり。)然れども画家としての手腕は余の見る処国芳はしばしば国貞に優れり。」
永井荷風も書いている。
 ともかく「国貞」のサインのある絵の方が比較的によい。「二世豊国」のサインのものにも良いものがないとまでいえない、くらいの。これだけはっきりしてるのも珍しいかも。はっきり言ってやる気がなくなったんでしょう。
 こういうこと書いて観る気を失くされると困るが、国貞時代のものは確かによい。加えて、春画を排さずに集めると人気のほどがわかると思う。女が好きだったんだろうと思う。
 だけどデッサンの確かさって意味では、やっぱり喜多川歌麿には敵わないと思う。モデルが1人の場合はまだしも2人以上になると途端に腕の差が出る。歌麿の絵には生き生きした日常の一場面が捉えられているが、国貞の場合は歌舞伎舞台のように横並びになっているだけってものが多い。
 これはそうしか書けなかったのかもしれないが、それよりも国貞のセンス自体がそう見せたい、そう見せることを望んでいるように見える。

五節句 文月
五節句 文月

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 こういう風が華やかだという気持ちはわかる。しかし日常を描いているとはいえない。国貞自身のセンスなのか、それともこうあることを望まれていたのか、確かに永井荷風の言うように、こういう面でも「画家としての手腕は余の見る処国芳はしばしば国貞に優れり。」と思う。

今世時計十二時の内 巳の刻
今世時計十二時の内 巳の刻

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吉原時計 子の刻 ひけ九つ
吉原時計 子の刻 ひけ九つ


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 今のところ私が感じる国貞の魅力は江戸時代のアイドルグラビアみたいな感じ。これが江戸時代の浮世絵の王道だったのは実のところ当然で、当時のふつうの人たちが見える気がする。

 今年の大河ドラマだった歌麿が去ったあと、歌麿ロスを埋めたのは菊川英山だったそうだ。菊川英山の絵を集めた展覧会も見たことがあるが、そんなに上手いとは思わなかった。でも、今回展示されてるものはその時より良いと思えた。

夏風俗美人姿
夏風俗美人姿

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 でも、左腕が少しおかしい。こういうことは歌麿はない。結局、歌麿はすごい。

 菊川英山は弟子の渓斎英泉に人気で抜かれていってしまう。

辰巳八契 富岡の晩鐘
辰巳八契 富岡の晩鐘


 それがこういう女性像。
 しゃくれたあごにつり目。これはさすがにデフォルメだろう。こんな人が実際にはいないだろうが、歌麿のあと人気を博したのがこういう絵っていうのが実に興味深い。
 辰巳っていうのは江戸からみて辰巳の方角、深川のあたり。このあたりの芸者を深川芸者、辰巳芸者といって、芸は売っても体は売らないっていう気風のいいおねえさんのイメージはこの辰巳芸者たちを源流とするそうだ。
 そのイメージがこの渓斎英泉のイメージと重なってるのが不思議じゃないですか?。こんな顔の人がいないように、そんなに気風のいいおねえさんはいなかったのか?。そんなことはないと思う。でも、こんなイメージを自負として彼らが胸に抱いていたって思うとイメージの重要さを考えてしまう。
 
 一方で、歌川国芳の女となるとこうなる。

歌川国芳《名酒揃 志ら玉》

いかにも江戸っ子ごのみの、いわゆる「かたぶとり」。この感じの女性、江戸っ子の好みに合わせたのかもしれないが、これを見ていると歌川国芳はこの感じが好きだったんだろうなと思わされる。おいしそうな白玉とおなじくらいこの女性もおいしそうに見える。

『殺し屋のプロット』ネタバレ

 マイケル・キートン監督・主演。これがマイケル・キートンの初監督作品だそうだ。ポスターのマイケル・キートンが濃い目のサングラスをしているのは興行的に損なんじゃないかと思う。もっとマイケル・キートンでっせ!という打ち出しで行くという手も。
 軍の特殊部隊上がりの腕のいい殺し屋(マイケル・キートン)がクロイツフェルト・ヤコブ病を患う。
 医者にこう言われる「アルツハイマーと診断しましたが間違ってました。クロイツフェルト・ヤコブ病です。」
 クロイツフェルト・ヤコブ病は憶えてる人は憶えてると思うが、狂牛病騒ぎの時に狂牛病の牛肉を食べた人が発症する病気として大いに怖れられた。脳がスポンジ状になってしまう。しかも進行が速い。「余命3週間です」と医者に言われる。
 アルツハイマーと診断された時点で引退は決めていたが、病状の進み方が予想外に早く、最後の仕事でへまをしてしまう。くわえて長く疎遠になっていた息子が誤って殺人を犯してしまい、彼を頼ってくる。
 知性が急速に失われていく病と闘いながら、へまの後始末と息子の殺人の隠蔽工作を成し遂げられるのかっていう映画。

 最初このあらすじを聞いたときに真っ先に思い出したのが韓国映画殺人者の記憶法』。については映画は観ていないが、原作小説を読んでいた。アルツハイマーの連続殺人鬼が娘をつけ狙う殺人犯と対決する話。この韓国映画のリメイクなんだろうと思って無視していた。けど、どうも違うし、評判もいいってことで観に行った。
 
 でも、これ、面白いのは面白いけど、実際に認知症の父と暮らしている立場からすると、ちょっと非現実的かなと思う。
 この映画では「知性がなくなっていく」という事態を、何かが消えていく、まるで砂山が風で平地にならされていくように、あるものが失われていくように描いているけど、実際に知性がなくなるとしっちゃかめっちゃかになる。統合失調とはよくした言葉で、断片的な知性は残っているけど、その統合がとれなくなって論理的に一貫した行動がとれなくなる。
 そして感情が抑えられなくなり暴れ出す。なので、こんなに高度に知的な抑制が必要な「殺人のプロット」はとてもじゃないけど完遂できないだろう。あくまで映画のなかだけの設定として楽しむならそれでいいが、絵空事の感は強い。
 ただ、私が知っているのは私の父の認知症なのであって、クロイツフェルト・ヤコブ病ではないので、その判断は保留しておくべきだろう。ただ、この映画の医者が最初には誤診したように、クロイツフェルト・ヤコブ病の症状はアルツハイマーと酷似しているそうだ。
 
 『殺人者の記憶法』のオチの方が皮肉が効いていて、より認知症の実態に近かったかも。譫妄の中で感情に突き動かされて行動していた。それこそディテールはもう記憶が薄れているが。
 同じくアルツハイマーの殺人者を描いた映画としては『手紙は憶えている』もある。カナダ・ドイツ映画で、こちらはアルツハイマーの老人が執念でナチの残党を殺していくのだが・・・という映画。

 3作品とも、殺人者の記憶が薄れていくのがみそ。これはサスペンス映画に流用しやすい状況なんだろう。最初に部分的な情報しかなくて物語が進むにつれて全体が明らかになるというような。
 ところが実際の認知症は、部分的な知性は残っていても、全体的な統合性が失われている。全体的な構図の一部が失われているのではなくて、構図そのものがない。で、ただ暴れているので、それが凄腕の殺し屋なら悪夢だろうと思われる。もし映画にしたとしても、スプラッターホラーにしかならないだろう。

 そういうわけで、認知症についての根本的な誤解に目をつぶって、好意的に解釈して、この患者の場合、奇跡的に、ひどく病状が進行する前に仕事を完了できて、完了した後は都合よくすべてを忘れたとすれば、ぎりぎりありえるかも。くらいのところで楽しむしかない。奇跡っていうのは非常に低い確率でも起っちゃう場合もありうるので。それまで否定はできないが、だとしたら、主人公が幸運だったというだけのことなので、緻密な「殺人のプロット」というのとは違ってしまう。

 でも、わたしの場合は父の認知症が進みつつあるバイアスがかかってしまうってだけだから、どんな病気も人によって症状が違うし、こういう奇跡的なケースもありうるだろう。

 ちなみに認知症を扱った映画に『アリスのままで』って映画もあるけど、あの主人公は認知症が進んだ時のために自殺のプログラムをしかけておくのだが、実際に病状が進んだ主人公はそのプログラムを実行すらできない。その方が実際に近いと感じるが、しかし、面白いのは『殺人のプロット』の方だろう。
 やくざ映画を実際のやくざが見て鼻で笑うって風なことを今私はしているのかもしれない。マイケル・キートンアル・パチーノの渋い演技を楽しむのが正しい鑑賞のしかただろう。

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『プラハの春 不屈のラジオ報道』ネタバレ

 1968年、社会主義民主化、民主社会主義を求めたチェコスロバキアワルシャワ条約機構下の軍隊が侵攻して制圧した。
 その時の大義名分が「ナチからの解放」。今、ロシアがウクライナに侵攻している大義名分の「ウクライナの非ナチ化」とまったく同じ。57年前と同じやり方をごり押ししていて、とりあえずそれが国際社会で通る恐ろしさには背筋が凍る。1968年のプラハではなく、2025年のウクライナでも、プーチンにどう丸め込まれたのかトランプがロシアに有利な条件で戦争を終わらせそうだ。
 イスラエルとロシアは「ナチ」を引き合いに出せば何やっても許されると思ってる。最近、高市の「台湾有事」発言に対して中国共産党が盛んに国際社会にアピールしようとしているのだけれど、これもロシア、イスラエルの動きに連動して見えるのが興味深い。
 戦後80年の歩みを忘れているならともかく、中国共産党のいうように、日本が「再軍国主義化」してると、誰が思う?。
 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻を目の当たりにしている今、いわゆる「台湾有事」、中国の台湾侵攻は絵空事ではない。
 なので、中国がプロパガンダに走れば走るほど、むしろ、思惑とは逆に、国際社会の中国への警戒感を高めることになっているように見える。
 そのあたり、高市首相周辺も察知しているらしく、20日には中央アジア五カ国との首脳会談、23日には自民党幹事長代行が台湾を訪問した。
 とはいえ、中国の経済力は大きいので、国際社会がこぞって日本の側についてくれるってわけではない。不用意な発言だったには違いなかった。
 
 話を映画に戻すと、この映画はチェコで大ヒットしたらしい。当時のことを体験として憶えている人がまだギリギリ現役くらい。当時、教会に集まって、いつ途切れるか知れないラジオの放送にハラハラしながら耳を傾けていた老人たちの年齢に近づいているその人たちは、胸をかきむしられる思いだろう。

 映画としてもすごくよくできていて、ソ連と自国の諜報機関の両方から妨害される状況で、戦車がラジオ局に迫るギリギリまでどうやって放送が続けられてのかすごくよくわかった。
 これって日本映画で言うと『日本の一番長い日』で暴走する青年将校から玉音放送を守り抜くあの切迫した緊張感とまったく同じだと思う。
 『日本の一番長い日』も奇しくも1960年代。半藤一利があの時点で一次情報をまとめて書籍化してくれてなかったら、戦争がどう終わらせられたのかを私たちは知り得なかった。
 プラハのラジオ局がギリギリまで放送を続けなかったら、この映画には出会えなかった。先日の『手に魂を込め、歩いてみれば』もそうだけれど、一握りの人の勇気が、無駄に見えても、後世に真実を伝えてくれる。

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