アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー” (10)上田馬之助
2021年 11月 27日
【実人生の因縁もプロレスに取り込んでしまえばいい】
──猪木さんが〝日本プロレス乗っ取り〟という汚名を着せられて追放処分を受けたのは上田馬之助選手の裏切りが原因だったと言われています。その上田選手を、なぜ、猪木さんは新日本プロレスのリングに上げたのでしょうか?
猪木 理由はないね、別に。プロレス界の中で必要な役割というのがあれば、それを全うしてもらえばいいだけ。プロレス界はもちろんのこと、新日本プロレスだって俺の私物じゃないんだから。
──個人的な恨みや感情のしこりもなかったと?
猪木 個人的な感情、私憤という言葉がありますが、プロレスの枠にはめ込んでしまうと、そういう個人的なものは消えてしまうんですよ。彼自身はね、非常に善人なんです。自分でもそう思って行動したんだと思います。しかし、それによって猪木がどんなに苦しんだとか、そういうところまでは考えなかったんでしょう。結局、その後、彼はアメリカへ行ってもパッとしなかった。俺自身、プロモーターではあってもレスラーですから、選手の貧しさや苦しさもよくわかる。とくにアメリカマットにおける選手の使い捨てには反発も感じていましたし……。食えない選手でもなんとかやっていける環境作りというものを、ずっと前から真剣に考えていたんです。だけど、プロレスは同情でリングに上げてやれるほど甘い世界じゃない。プロとしての努力の跡を見せてくれないとね。それでもいくら努力をしてもポイントがズレている選手もいるわけですよ。俺としてはそのあたりの気づきというか、それぞれの変革のきっかけについては示唆してきたつもりなんですが。
──なるほど。そして上田選手も〝まだら狼〟という、自分自身の役割を見い出すことができたんですね。
猪木 上田馬之助のひとつの変身プログラムとして、彼の善人としての顔の裏側にある無意識の悪の顔をシンと組ませることで引き出してみようと……。当時、タイガー・ジェット・シンは、世の中でこんな悪い奴は他にいないんじゃないかっていうくらいみんなに憎まれてたでしょう。その極悪人に加担する日本人といったら、これはもう憎まれないはずがありませんから。
【上田馬之助の覚悟と史上初〝五寸釘板デスマッチ〟】
──猪木さんは日本プロレス時代の上田選手にはどんな印象を持っていたんですか?
猪木 そうですね、面白くもおかしくもない存在。実力はありましたよ。俗に言うセメントとかスパーリングでは若手の中で群を抜いて強かった。俺に次ぐくらいの力は持ってました。だけど個性がなくてなかなか花を咲かせられない……そんな感じでしたね。
──ということは、上田馬之助がレスラーとして個性を確立したのは、まさに新日本プロレス登場のときだったんですね。
猪木 そうだと思いますよ。シンとタッグを組んでヒールになりきって、プランに乗りきった彼もよくやったと思います。
──猪木さんと上田選手との抗争のクライマックスは、なんといっても史上初の「五寸釘板デスマッチ」ですが、ああいう試合をやろうという発想はどこから生まれたのでしょう?
猪木 上田馬之助も何とかメインで俺と闘いたくて必死だったんですよ。ただね、まだその頃は彼との試合では切符が売れなかった。上田馬之助が単に猪木に挑戦してもインパクトが弱かったんです。上田も悩んで『ワールドプロレスリング』の栗山満男プロデューサー(当時)に直談判したみたいで。「猪木とメインをやれるなら俺は何でもやりますから!」と栗山さんの前でガラス瓶を割って、それをガリガリ齧ってみせたらしいんです。そのときは「君の覚悟はわかった。でもプロならそういうことはリングの上でやれ」と諭されたそうなんですが。その話を聞いてね、俺もそこまで上田が必死なら「何でも言って来い! 極限の闘いをやろうじゃねぇか!」という気持ちになった……それが釘板という形になったわけです。
──上田選手も体を張っただけでなく、プロとしてチャンスを掴むためにとことん考え抜いたんですね。
猪木 そういうきっかけというかヒントに乗れるかどうか。プロとして成功できるかどうかはそこに懸かってくる。いろんな業界の成功者たちと話す機会がありますけど、みんな異口同音に「後から来た者が先行する者を追い越すには、先を行く者以上のエネルギーや奇抜なアイディアが必要だ」と言います。いま、あらためてプロレス界を見渡してみて、はたしてそういうエネルギーはどこにあるのかなと、正直、思ってますね。
〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉

