長州力 UインターVS新日「対戦要望書」に「みんな首吊って死ね。墓に糞ぶっかけてやる」

                           

 

 現役時代にはその暴れっぷりもさることながら、数多くの迷言・珍言を残してきたのが、プロレス界のレジェンド、長州力だ。

 中でもプロレス界の歴史に名を刻んだ大問題発言、それが1994年2月に放った「墓に糞ぶっかけ」だろう。

 コトの起こりは1992年10月。新日本プロレスで当時、NWA世界ヘビー級王者となった蝶野正洋がとある雑誌で「両団体が交流できるなら、同年代の髙田さんと試合がしてみたい」と発言。

 その言葉尻を捉えた、髙田延彦をエースとするUWFインターナショナル宮戸優光安生洋二らが「対戦要望書」を手に、マスコミを引き連れて新日の事務所を電撃訪問したのである。

 Uインターは1991年5月に旗揚げした新団体だったが、1993年にはベイダーやハシミコフなど、新日のトップ外国人選手を引き抜いたことで、両者は犬猿の仲に。

 選手の引き抜きにアポなし訪問と、ルール無視の挑発行為を繰り返すUインター。そこに勃発した新たな事件が、冒頭で触れた1994年2月の「墓に糞」だった。

 Uインターが「優勝賞金1億円」というトーナメント開催をブチ上げ、参戦招待状なるものを、新日本を含む主要5団体のエース(橋本真也三沢光晴天龍源一郎前田日明船木誠勝)に、一方的に送りつけたのである。

 当時、新日の現場監督の立場にあった長州は、記者団の囲み取材に答え、込み上げる怒りを露わにし、こうブチまけた。

「プロレス界の恥さらしだ。みんな首吊って死ね! あいつらがくたばったら、墓に糞ぶっかけてやる!」

 それにしても「墓に糞」とは、なんとも品のない過激発言だが、これがスポーツ紙の見出しになったことで、関係者を含めファンの間でも、両団体による直接対決は絶対にありえないだろう、と思われた。

 ところが、だ。両団体の財政的な問題で、しかも団体対抗戦という形で実現することになったのだから、ファンが狂喜乱舞したことは言うまでもない。

 1995年8月中旬、長州と高田による極秘会談が行われ、両団体の対抗戦実現が合意。8月24日、ついに「10・9東京ドーム全面対抗戦」が電撃発表されたのである。

 メインとして行われる「武藤敬司VS高田延彦」の前哨戦として開催された、新日の9・23横浜アリーナ大会。因縁のカードは、長州&永田裕志VS安生洋二&中野龍雄(45分1本勝負)だった。

 場内は安生&中野組への罵声とブーイング一色。そんな中でガチンコの攻防戦を繰り広げ、永田が右目、安生が左目を負傷。

 最後は中野の腕ひしぎ十字固めの前に敗れるも、前哨戦とは思えぬエキサイティングな試合展開に、東京ドーム決戦への期待が否が応でも高まることになったのである。

 

仲代達矢 「影武者」代役会見での「光栄です!」発言で始まった勝新太郎との「絶交騒動」と「号泣再会」

                                

 8歳で父親が死去すると、極貧の中で「食うために」ボクサーを志すも、アルバイト先の大井競馬場を仕切る地回りに「顔がいいから役者になれ」と言われ、心機一転、俳優座に入団。

 それから七十数年にわたり、俳優として第一線で活躍してきた仲代達矢さんが11月8日、肺炎のため都内の病院で亡くなった。92歳だった。

 映画「用心棒」をはじめ、「天国と地獄」「乱」などに出演。

 黒澤明監督率いる黒澤組の名優のひとりとして国際的な評価を受けた役者である。そんな仲代さんが「影武者」をめぐる騒動で、芸能マスコミから「勝新と絶交!」と書き立てられたのは、1979年8月である。

 コトの起こりは同年7月の「影武者」リハーサル2日目。

 リハーサル中の自らの演技を収めるべく、スタジオにカメラを持ち込もうとした勝新太郎に対し、黒澤監督は「(あなたの演技は)僕が見ているからいいじゃない」と制した。
 すると勝はプイッとスタジオを出たままワゴンカーに閉じこもり、着ていた鎧とカツラを外してしまう。その結果、この日の撮影は中断とになった。

 とはいえ、翌日には黒澤監督に謝罪するつもりだったのだが、この騒動をスポーツ紙が大々的に報道。

 黒澤監督が記者会見を開き、勝の降板を一方的に宣言したのである。

 ほどなくして黒澤監督から代役のオファーを受けたのが、仲代さんだった。

 2018年4月21日、「大映男優祭」で登壇した仲代さんは騒動を振り返り、こう語っている。

「『影武者』で勝さんと黒澤さんがうまくいかないってことで、黒澤さんから連絡があって『代役で悪いんだけど、やってくれないか』と。勝さんは親友ですから『勝さんの了承を得てお返事します』と言って、さんざん追いかけたんですが、つかまらなくて。結局、代役としてやることになりました」

 2人は仲代さんが俳優学校時代、銀座のバーでアルバイトしてる頃からの知り合いで、仲代さんは勝の主演映画「座頭市あばれ火祭り」(1970年公開)に浪人役で出演している。

 黒澤監督と並んで臨んだ記者会見で「代役」への思いを聞かれた仲代さんは、
「世界の俳優は、みんな黒澤さんの作品に出たいと思っている。配役もファーストイメージから5人くらいある。私はセカンドイメージのつもり。非常に光栄です」

 この「光栄です」という言葉が切り取られ、勝との絶交説が流れることになる。

 そんな2人が16年ぶりに再会したのは、1996年6月。ガンで逝った仲代さんの妻・恭子さんの葬儀の席だった。

 仲代さんは前述のイベント「大映男優祭」でこう語っている。

「勝さんが葬式に来られて。それまでお会いしてなかったんですが、『モヤ』(仲代さんの愛称)と言われ、抱き合って泣きました。いろいろあったけれど、本当の友達だった」

 実は勝もこの年の11月に「ガン告白記者会見」を行っているが、葬儀の時にはすでに勝自身もガン宣告を受けていたのか…。

 向こうの世界で酒を酌み交わしているであろう、勝と仲代さん。冥福を祈りたい。

 

卓球・水谷隼 五輪金メダル記者会見2日後に公開した中国人からの「くたばれ、消えろ」罵詈雑言

                              

 昔から「出る杭は打たれる」とはよく言われるもの。

 だが昨今はSNSで自分の思いを簡単に、しかもダイレクトに届けることができる。

 怒りや誹謗中傷といったネガティブな感情が直接的に相手に伝わることで、「出る杭」が打たれ続けてしまうという、厄介な現象が起きるようになった。

 2021年7月26日。東京五輪の卓球で、先陣をきって行なわれた混合ダブルス。

 順調に勝ち進んだ水谷隼伊藤美誠ペアは、決勝で中国のペアと対戦。

 2ゲームを先取されたものの、3ゲームを取り返す。

 再び第6ゲームを落とし、もはやこれまで…と誰もが思った最終ゲームで奪い返し、悲願の金メダルを手にすることになった。

 水谷・伊藤ペアにとって、中国は過去4度対戦し、全て敗北した世界王者だ。

 加えて「卓球で金メダル」といえば中国、とされてきただけに、水谷・伊藤ペアによる快挙に日本中が熱狂した。

 試合後の記者会見で水谷は、

「今日、日本の国旗がいちばん上に揚がり、君が代を聞いている時は、アスリートとして誇りに思った最高の瞬間でした。中国を超えるのはここまで苦しい、というのも感じさせてくれました」

 ところが、感動の勝利から2日後、水谷がツイッターを更新。

 自身のSNSに驚くべき数誹謗中傷のメッセージが届いているとして、こう心情を綴ったのである。

〈ある国から、「○ね、くたばれ、消えろ」とかめっちゃDMくるんだけど免疫ありすぎる俺の心には1ミリもダメージない。それだけ世界を熱くさせたのかと思うと嬉しいよ。日本人の方は全て応援メッセージです。ありがとう〉

 水谷のツイッターにはこれまでも〈○ね!偽物め!〉〈返信しろカス〉等々、アンチから罵詈雑言を浴びせられることが多かっただが、この時、名指しはしないまでも、「ある国」が中国であろうことは、誰の目にも明らかだった。

 スポーツ紙記者の話。

「実は中国ではトップ選手が現在もなお、ラケットの反発力を強くする補助剤を公然と使用しており、水谷はかねてから『不正ラバー問題』として問題提起していたんです。むろん、水谷はノーマルラケットで世界の強豪と戦い、頂点に立ったわけです。ただ、そんな水谷が強くなればなるだけ、中国からの風当たりは強くなった。それが五輪勝利での誹謗中傷に繋がった可能性は否定できませんね」

 水谷は2022年2月、目の疾患を理由に卓球選手を引退。

 現在はタレントとしても活動しているが、近年は〈こんなのいっぱい届いたら誰でも心病むよ…〉というコメントを添え、DMで届いた誹謗中傷の数々を公開。SNSによる誹謗中傷対策を訴えている。

 見えない敵に対し、どう対処していかなければらないのか。

 卓球のみならず、スポーツ界全体に突きつけられた課題は、あまりにも大きいのである。

浜木綿子 息子・香川照之の記者会見で感じた「心のうねり」と家を出て帰ってこなかった夫との雪解け

                            

 香川照之市川中車)の母で女優の浜木綿子が10月13日の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に登場し、6月に出版した著書「楽しく波瀾万丈」のタイトル通り、その波乱に満ちた「女の一代記」を告白した。

 10月末で90歳となる浜が宝塚歌劇団を退団後、舞台共演で知り合い結婚したのが、故・市川猿翁(当時は市川猿之助)だった。

 ところが、息子・照之が誕生した1年後、突如として夫は家を出て、日本舞踊名取で女優の藤間紫と同棲生活を送ることになり、歌舞伎界が大揺れに揺れることに。

 というのも、藤間は猿之助がまだ「市川團子」を名乗る12歳の頃、16歳上の初恋相手。しかも藤間の夫は猿之助の踊りの師匠・六世藤間勘十郎である。まさに許されざる「禁断の恋」。当然、2人は引き離されようとした。

 しかし恋人を忘れることができなかった猿之助は1歳の息子を残して35年、その生活を続けることになる。

 その後、浜は女手ひとつで香川を育て、東大に進学させるも、やはり「蛙の子は蛙」。

 大学卒業後、俳優の道に進んだ香川が意を決して父の公演先を訪ねたのは、25歳の冬だった。
 しかし、父の口から返ってきたのは、

「大事な公演の前にいきなり訪ねてくるとは、役者としての配慮が足りません。あなたは息子ではありません。したがって、僕はあなたの父でもない。あなたとは今後、二度と会うことはありません」

 この言葉が香川の気持ちに大きな影を落としたことは間違いないだろう。

 しかし、2003年に猿之助脳梗塞を発症。2009年に藤間が肝不全でこの世を去ると、冷え込んでいた親子関係に、徐々に変化が訪れる。

 そして2011年9月27日に行われた「四代目・市川猿之助襲名発表」会見。

 2003年に脳梗塞を患って以降は公の場に姿を見せていなかった猿之助が、なんと香川とその長男・政明(現・市川團子)と3ショットで登場したのである。

 親子揃っての歌舞伎界入りを発表することになるのだが、浜には事後承諾。まさに青天の霹靂だったとして、こう振り返った。

「心のうねりを感じました。ただ、『この船に乗らないわけにはいかない』と記者会見で言っておりましたので。その船にそよ風ぐらいですけど、風を当てて応援していきたいなと」

 その後、浜は四十数年ぶりに猿翁と再会。

「照之をこんなに立派に育ててくれてありがとう。大変だったね」

 そう言われて「大変でした」と返したという。

 そんな猿翁が83歳でこの世を去ったのは、2023年9月である。浜が発表した談話には、こんな文章が綴られていた。

〈偉大なる歌舞伎役者、安らかに、お休みくださいませ。私は今度こそが、本当のお別れでございます〉

 壮絶な愛憎劇を経て「今度こそが本当の別れ」という一行に、浜の実に複雑な胸の内が込められているようだった。

ボビー・オロゴン 暴行事件後の復帰会見に安田大サーカス・団長安田が「潜入質問」大暴走

                               

 頭の回転の速さでおよそ外国人とは思えぬボケをかまし、バラエティー番組に出ずっぱりだったのが、ボビー・オロゴンだ。

 ところが2020年5月、自宅で妻の頬を叩いたとして埼玉県警に暴行の現行犯で逮捕され、妻が「長年、DV被害を受けてきた」と告白したことで大騒ぎに。

 その後、テレビ画面から姿を消すことになった。

 そんなボビーが10月16日、「あの金どこ行った?かつて大金を手にした有名人の今を直撃取材!」(フジテレビ系)にゲスト出演。

 ボビーによれば、タレント時代の最高月収は6000万円で、貯金は2億円以上あったというのだが、テレビで貯金額を明かしたことで国税が入り、およそ9600万円を支払うハメになったと述懐。

 さらに今年5月、夫人との離婚が成立したことで、財産分与によって約7200万円を支払うことに。「(2億円以上の貯金額は)楽しく飛んでったよ」と告白したのである。

 タレントとしてだけでなく実業家、格闘家の顔も持つボビーだが、思い出すのが暴行容疑での逮捕騒動から1年後の2021年10月29日、14年ぶりの格闘技復帰戦に出場するとして臨んだ「RIZIN.32」の記者会見だ。

 居並ぶカメラマンのフラッシュにいくぶん緊張気味のボビー。

 だが、スポーツ紙記者に交じって会見場に潜り込んでいた、お笑いトリオ「安田大サーカス」団長安田からの質問が始まると、なんとも噛み合わない舌戦がスタートしたのである。

団長「奥さんには今回の試合はお伝えしたんでしょうか」

ボビー「今、FAXでやりとりしてるから。これからFAX送りたいと思ってます」

団長「直接しゃべらないんですか」

ボビー「うるせーよ! お前、なんでいるんだよ」

団長「奥さんをボコボコにしたって報道で見たんですけど」

ボビー「浦和警察で片づけたから。誰か助けてよ。ここで言う話じゃねえじゃん」
団長「で、なんかすごいビットコインを持ってるって聞いたんですけど。今回のファイマネーはどれくらいなんですか。すごいお金、稼いでるって聞いて」

ボビー「本当にこれ、コントじゃないから。やめろよ。いい加減にしろ!」

 最初は適当にかわしていたボビーも、団長安田のあまりのしつこさと場違いな質問に、不快感をあらわに。

 榊原信行CEOが「もうたいがい、やめましょう。会見なので」とやり取りを制止した。

 団長安田の潜入は千葉テレビの仕掛けだったのだが、会見場の騒然とした空気がそのままRIZIN配信のYouTube動画にアップされたため、団長安田への大バッシングが巻き起こることに。

 ボビーはとんだ災難だったが、まさにサジ加減を間違えると、とんでもないしっぺ返しを食らうことも…。

布川敏和&つちやかおり 「離婚したのにまさかのマンション隣人」で電撃復縁の可能性?

                                                                                               

 

 学生時代から付き合い始めて、20代半ばで結婚。

 子育てがひと段落したところで、ふと我に戻り、「このままこの人と一緒にいていいのかしら」…そんな思いを抱く女性はいることだろう。

 そんな場合、決まって「もう一度、輝きを!」という気持ちを後押しするのが、新しいパートナーの存在だ。

 2014年5月1日に記者会見を開き、夫・布川敏和と離婚に向けた話し合いをすることになった、と明言した妻つちやかおりも、そんなひとりだったのではなかろうか。

 当時、つちやは49歳で、布川は48歳。高校時代から交際を続けてきた2人は1991年に結婚。3人の子供に恵まれた。

 しかしその後、布川の浮気が発覚。

 2014年5月には「週刊新潮」が夫婦の別居と、つちやの不倫疑惑を報道する。都内で会見に臨んだ彼女は、報道を大筋で認めたうえで、こう語った。

「別居は事実です。一昨年の冬に布川が海外に行っている時に、末娘と家を出ました。大きな覚悟を持って出たつもりです。ただ、別居理由については夫婦の問題なので(詳細については)話すつもりはありません」

 同誌には彼女と飲食店主との「手つなぎデート」写真が掲載されていたこともあり、質問はそこに集中。するとつちやは、

「一般の方で独身ですが、別居して相談しているうちに、心のよりどころというか、大切な方になった。今回は彼(布川)の方に非はありません。全部、私の責任。ただ、(布川との)関係を修復するつもりはありません」

 妻の会見から約1時間後、今度は布川が都内のスタジオで会見に臨む。

「初耳なので、びっくりしています…。(つちやの交際相手とされる男性は)シブがき隊の頃に通ったカラオケ店の店員さんで、名前を知っている程度。友達と聞いていたので、びっくりです」

 その上で離婚については、

「下は中学生だし、上の2人は成人だけど、まだ20代前半で子供。親のわがままと勝手な気持ちで迷惑をかけて申し訳ない」

 そう言うと、男泣きするシーンも。

 だが、話し合いは平行線をたどり、2014年6月に再び会見を開いた布川は、23年の結婚生活に終止符を打ったことを発表。

 その際、こう言って唇をかみしめたのである。

「彼女の意思が変わらず、もうやっていくのは無理だと判断しました。(妻の不貞行為が直接の原因でなく)小さなことが積み重なったこと。彼女に対する思いやりが薄れていき、夫としての器量がなくなってしまったことが原因です」

 だが、人の縁とは本当にわからないものだ。

 10月8日の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した布川は、60歳を機に自宅を売却し「孫が暮らす近くのマンション」を探した。

 するなんと、不動産業者に紹介されたマンションの隣人が、別れた元妻つちやだったというのだ。

 元妻の承諾を得て、晴れて隣人となった元夫は、料理をお裾分けされたり、犬の世話のため部屋の鍵を共有したりと、不思議な関係を続けているという。

 とはいえ、残念ながら今のところ、「まさかの電撃復縁」の可能性はないようである。

ラサール石井 「24歳女子大生と再婚」で放った「胸はそこそこ」「夜の営み回数は加藤茶以上」

                               

 テレビのコメンテーターであればいざ知らず「言葉が命」の政治家ともなれば、言葉の選び方を間違えれば、単なる不適切発言では済まされなくなるはずだ。

 今年7月の参議院選挙で社民党から出馬し、初当選したラサール石井氏が先日、同党の副党首に就任した。

 党としてはSNSでの発信力を持つ石井氏を副党首に起用することで、新たな支持層獲得につなげたい、との思惑があるのだろう。

 とはいえ、その過激な発言がたびたび物議を醸した人物。

 14年前の2011年5月には、フィギュアスケート浅田真央に対し、X上(旧Twitter)にこんな問題投稿をしている。

浅田真央ちゃんは早く彼氏を作るべき。エッチしなきゃミキティやキムヨナには勝てないよ〉

 これで謝罪に追い込まれるのは当然のことだった。

 一方、私生活では2011年1月に、夏川りみ似の美女とのデート現場を「女性自身」に報じられた。

 同誌の直撃取材に対し、結婚32年、別居15年の妻との間で協議離婚が成立したことを告白。

 そして1月31日、東京・新橋演舞場での公開稽古前に開いた記者会見では、

「ダラダラしていてもよくないと思ったので、けじめと思って。全然、隠してはいなかった。報じられなかっただけで、ずっとひとりで暮らしていました。(自分は)夫として父親として、赤点だった」

 新たに報じられた女性と関係については、
「(女性関係が)ゼロになる予定じゃなかったけど、ゼロになった。新しい恋があったら、連絡します」

 恋は成就しなかったと語ったのである。

 ところが、この会見から1年後の2012年1月、56歳にして、なんと32歳下の一般女性との電撃再婚を発表したからビックリ。

 しかも相手は薬学部に通う現役女子大生であり、加藤茶以来となる年の差婚として、芸能マスコミは大いに賑わった。

 2月1日に都内で記者会見に臨むと、知り合って1カ月後にプロポーズし、1月11日の大安に入籍したとして、終始ニヤケっぱなしでこう語った。

「離婚しまして、去年のお正月は寂しくて…。そこからできるだけいろんな人とご飯を食べに行ったりして、婚活してきました。でも、合わなくて。(彼女へのプロポーズの言葉は)『ずっと一緒にいたいんだけど、確実に先に死にますけど、いいですか』と。168センチでスリムな方。小池栄子さんをタレ目にした感じ。胸はそこそこですね」

 報道陣からの「夜の営みは?」との質問には、「年の差婚」の先輩・加藤茶が口にした「週2回」を引き合いに出して、

「若干、それを上回るぐらいですかね」

 と絶倫っぷりを告白。軽いリップサービスのつもりだったのだろう。

「炎上騒動の常習犯」と言われた男は今や、政治家に転身。

リップサービスのつもりで放ったひと言が、公人として大問題にならぬよう…。