就活 × 面接 × 研究室 ―― 学生と過ごす日々

学生とのひとときを綴っていきます✏️

ゼミの余白に起きた小さな事件―初めてのクリスマス会ときもかわいい反省会

 ゼミでクリスマス会をやる。


 正直に言うと、これまでの私なら「うーん、それはゼミじゃないよね」と、やんわり却下していたと思います。

ところが今年は少し事情が違いました。

 

 2年生のゼミ生たち。就職活動も一段落し、しかも卒業論文を全員が予定より1週間も早く提出してくれたのです。そのため、年内最後のゼミに、ぽっかりと余裕が生まれました。

 

「先生、クリスマス会、やってもいいですか?」

 研究室でそう切り出した学生の顔は、いつもの“相談モード”ではなく、完全に“企画モード”でした。

 

「……まあ、いいですよ。何をやるかは、みんなに任せます」

 

 そう言った瞬間、女子学生4人の目が一斉に輝きました。どうやら、私が思っている以上に、彼女たちはこの“余白”を楽しみにしていたようです。

 会場は、私の研究室。机を少し寄せて、椅子を丸く並べ、手作り感満載のクリスマス会が始まりました。

 最初の企画は、ビンゴ大会。参加者は学生4人と、なぜか教員の私を含めた5人です。

 

 ルールはシンプル。1人1000円以内でプレゼントを用意し、ビンゴで一番早く当たった人から選ぶ方式。
 

 ……ここでまず、私はつまずいていました。

 

 女子学生が喜ぶ1000円のプレゼント。
 正直、まったく自信がありません。

 

「どう思う?これ、若い子、喜ぶかなあ」

 軽井沢のショッピングモールまで足を延ばし、妻にも相談しました。

「うーん……攻めすぎない方がいいんじゃない?」

 

 その助言を受けつつも、私はどこかで“無難すぎる自分”に抗いたくなっていました。

そして最終的に選んだのが、ややキモかわいいぬいぐるみのストラップでした。

 

 「今の若い女性には、キモかわいさが流行っている」

 そんな話をどこかで聞いた記憶が、私の背中を押したのです。

 

 迎えた当日。

 ビンゴカードを配り、番号を読み上げ、場が温まってきた頃――。

 

「ビンゴ!」

 ……言ったのは、私でした。

 

「先生、早くないですか?」

「持ってますね」

 

 なんと、私が一番最初にプレゼントを選ぶ権利を得てしまったのです。

 迷った末に選んだのは、ある学生が用意してくれていたバスボム。ラッピングもとてもきれいで、「あ、これは飾りたいな」と思えるほどでした。

 

「先生、それ、お風呂に入れるやつですよ」

「知ってます。でも、これは卒業まで研究室に飾りたいと思います」

 学生たちは笑っていましたが、私は本気でした。

 今もそのバスボムは、研究室の棚にちょこんと置かれています。

 

 そして問題は、ここからです。

 私が用意したプレゼントを引き当てた学生が、包装を開けた瞬間――。

「……」

 一瞬、時が止まりました。

「あ、えっと……」

「キ、キモかわ……?」

 私はその沈黙の意味を、痛いほど理解しました。

(やってしまったな)

 キモかわいいはずのぬいぐるみは、どうやら“キモ”の比率が少し高すぎたようです。学生は気を遣ってくれましたが、研究室の空気はほんの一瞬、微妙なものになってしまいました。

 

「先生、こういうの、好きそうですよね」

 その一言に、私は全面的に敗北を認めました。

 

 他にも、ディズニーショップのお菓子、マグカップとハンカチのセットなど、学生たちのプレゼントはどれもおしゃれで実用的でした。それと比べると、私のセンスは、やや一人だけ別方向に走っていたようです。

 

 片付けをしながら、私は思いました。

 来年、もしまたこんな機会があるなら――。

(攻めない。絶対に攻めない)

 

 無難は、悪ではない。

 むしろ、優しさなのかもしれません。

 

 それでも、このクリスマス会で、私は大切なことを学びました。授業を少し離れるだけで、学生たちはこんなにも生き生きとし、私自身もまた、学ぶ側に回るのだということです。

 

 いくつになっても、人生には「初めて」があります。そして、年を重ねるごとに、それらは自分より若い誰かから、さりげなく教えられることになるのかもしれません。

 

 研究室の棚にあるバスボムを見るたび、私は思い出します。

 初めてのゼミクリスマス会と、キモかわいい反省会と、自分自身の"のびしろ"を。

やればできる子、やらない子―本気、どこに置いてきたの?

公務員試験の準備で研究室はいつもよりにぎやかです。

焦る学生、落ち込む学生、面接カードを抱えて唸る学生……。

そんな中で、ひときわ落ち着いている女子学生がいました。

 

彼女は、いわゆる「やればできる子」です。

いや、正確に言うなら「やればできるのに、やらない子」でした。

コミュニケーション能力は抜群。

誰とでもすぐに打ち解け、グループワークでは中心的存在。

友人たちからも相談を受けることが多く、いわば“ゼミの姉御”。

メモを取る姿も完璧で、私の話を聞きながら、うんうんと頷きつつ、まるで法廷速記士のようなスピードでノートを書き込んでいます。

 

正直、あの集中力と記録力があれば、官僚でも通用するんじゃないか――
そんな冗談を言いたくなるほどの逸材です。

 

ただ、問題がありました。

面接練習の日になると、なぜか姿が見えません。

「今日は急に用事ができちゃって…」

「明日でもいいですか?」

明日になると「やっぱり体調が…」

 

一週間が二週間になり、

気づけば“また次回”が永遠に続いているような状態です。

 

そんな彼女のことを、私は心の中でこう呼んでいました。

「眠れるライオン」。

本気を出せば絶対に強い。

でも、なぜか寝ている。

しかも、ものすごく気持ちよさそうに寝ている。

 

他の学生が必死に模擬面接を繰り返している横で、彼女だけは自宅でオンラインゲームをしながらリラックスしている。

 

私の経験上、彼女のようなタイプに無理やり練習をさせても、おそらく力は身につきません。無理に引っ張っても逆効果だと感じていました。

 

だから、彼女に対してだけは、方法を変えることにしました。

彼女に「対策」を教えるのではなく、「やる気になる空気」をつくること。

研究室を、彼女にとって居心地のいい場所にすることにしたのです。

「先生、最近ハマってるドラマあります?」

「え、今それ聞く?」

「だって、就活ばっかりだと疲れちゃうじゃないですか」

そんな雑談を交えながら、彼女の中でほんの少しずつスイッチが入っていくのを待ちました。

あるとき、ふいに彼女が言いました。

「先生、やっぱり対策とかした方がいいと思います?」

ついにこの時が来たか。

私の心の中では、祝砲が鳴りました。
(できればもう少し早く鳴ってほしかったけれど)

 

彼女がその後どんな結果を得たかは、ここでは伏せておきます。

(ちょっと嫌味なくらい見事な結果だったため…)

ただ、彼女が研究室に来るたびに少しずつ“前向きな顔”になっていったのは確かです。

指導というのは、時に技術でも知識でもなく、“信じて待つこと”なのだと、彼女から学びました。

他の学生のように必死に机にかじりつくタイプではなくても、彼女なりのタイミング、彼女なりのペースで火がつく瞬間がある。

そして、その“火種”を信じてあげられるかどうか。
それが、私たち教員の腕の見せどころなのかもしれません。

 

その日、彼女が帰り際に言いました。

「先生、私、もうちょっと頑張ってみます」

その「もうちょっと」に、どれくらいの“ちょっと”が含まれているかは分かりません。

でも、私は笑って答えました。

「うん、“ちょっと”ずつやっていこう」

 

本気は、押しつけるものではなく、その人の中から自然に湧いてくるものなのだと思います。

塾長、現る―”教えない先生”と”動く学生たち”

私のゼミナールには、公務員受験を目指す学生たちが集まってきます。

ただ、私は基本的に、学生に「勉強しなさい」とは言いません。

もちろん、彼らが筆記試験を突破しなければならないことは分かっています。

しかし、もし私がゼミのたびに「勉強してきた?」などと言ってしまえば、ゼミナールの時間そのものが彼らにとって苦痛の時間になってしまうと思うのです。

 

「次のゼミは筆記の確認があるから、前の日に少しやっておかないと…」

そんな気持ちでイヤイヤ勉強して、終わった瞬間に「やっと解放された!」と息をつく。

そうなると、週に一度の“ゼミの日だけ勉強する人”ができあがります。

 

それでは公務員試験は乗り越えられません。私としては、逆に週に6日の勉強をしてほしいわけです。


ですから、ゼミの時間を“勉強する場”にはしたくありませんでした。

 

とはいえ、放っておけば誰もやらない可能性もある……その現実もよく知っています。

そこで私は毎年、ゼミの中から一人、「塾長」を任命しています。


塾長は、他のメンバーの勉強進捗をチェックする役割です。

「お互いの努力を見える化する」――そんな立ち位置です。

 

今年の塾長は、とても活発な女子学生でした。

リーダー気質というより、“姉御肌”タイプ。

物事を明るくまとめるのが上手な学生です。

彼女は週に一度、日曜日の夜にゼミメンバー全員へメッセージを送っていました。

「今週の勉強時間、報告お願いしまーす!」

グループLINEには、私も参加しています。


学生たちはそれぞれ、「20時間です」「今週は10時間しかできませんでした…」と報告します。

それに対して、塾長がコメントを返していきます。

「えらい!その調子で!」

「10時間でもいいペースだよ、焦らず継続しよう!」

私は画面ごしにそれを眺めながら、“いい流れだな…”と微笑んでいました。

正直、私が言うよりもずっと効果的です。

 

ある日、塾長が研究室にやってきました。

「先生、お願いがあります」

 

何かと思えば、「来週のゼミで、軽い小テストをやりたいんです」とのことでした。

「私たちの中で、どの分野が弱いか確認しておきたくて」

いやはや、恐れ入りました。

“やらされる勉強”ではなく、“自分たちで作る勉強”。

この発想が出てくるあたり、すでに教育者の域です。

 

私は喜んで協力しました。

翌週、塾長のリクエストに応じて簡単な確認テストを実施。

そして、全員で答え合わせをしながら、「ここ苦手だったね」「次はこの問題もう一回やろうね」と笑顔で話していました。

 

その後も、塾長を中心に勉強文化がゼミ全体に定着していきました。

そして迎えた公務員試験本番。

結果は――驚くべきものでした。

 

なんと、筆記試験の段階では、全員が突破。

国家公務員も地方公務員も、誰一人として落ちていませんでした。

思わず私は「奇跡だな」とつぶやきましたが、実際には奇跡ではありません。

地道な努力の積み重ね、ただそれだけです。

 

試験が終わった後、塾長が私の研究室に来てこう言いました。

「先生、みんな頑張りました!」

本当に誇らしげな笑顔でした。

「塾長、よくまとめたね」

「いえ、私なんて声かけただけですよ」

その“声かけ”がどれだけ大きな意味を持っていたか、彼女自身まだ気づいていないようでした。

 

教えるより、任せる。

言わないことで、学生の力を引き出す。

 

今年のゼミを見て、改めてその大切さを感じました。

そして何よりも――

学生たちが自主的に勉強してくれるゼミほど、教員にとって幸せなことはありません。

来年もまた、新しい「塾長」が現れることでしょう。

そのとき私は、また静かに見守るつもりです。

グループLINEの片隅で、こっそり「既読1」をつけながら。

大人しい学生の静かな革命―先生、ヘリコプターに乗ることになりました

私のゼミには4人の女子学生がいます。

そのうち3人は、いつも元気いっぱい。

発言のテンポも早く、笑い声も絶えません。

一方で、もう1人。

彼女はいつも静かにその輪の中にいます。

決して暗いわけではありません。

むしろ、笑顔は誰よりも優しく、相手の話をじっくり聴く、聴き上手な学生です。

ただ、発言の数はどうしても少ない。


議論の際にも、いつのまにか“聴く側”にまわってしまうのです。

それは悪いことではありません。

実際、彼女の穏やかで肯定的な姿勢は、ゼミの空気を柔らかくしてくれていました。

 

でも、採用選考の場面では、“話さない=消極的”と見られてしまうリスクもあります。

私はずっと、そのことが気がかりでした。

 

ある日、彼女が研究室を訪れました。

「先生、また落ちちゃいました」

彼女の目に涙が浮かんでいました。

普段、感情をあまり表に出さない学生だけに、その一言に重みを感じました。

 

彼女は本当に頑張っていました。

私のアドバイスにも熱心に耳を傾け(他の学生はときどき聞き流します…)、努力を重ねてきた学生です。

それだけに、私は胸が締め付けられました。

 

学園祭が近づいたある日、構内の一角で、自衛隊の広報ブースが出展していました。

体格のいい制服姿の職員が資料を並べて、準備をしています。

私はふと、彼女を見て思いつきました。

「行ってみようか」

「えっ? 私がですか?」

「うん、行ってこよう。社会人と話す練習だ。一応、公務員仲間だし」

 

一瞬、彼女の顔は固まりましたが、私が軽く背中を押すと、おそるおそる独りでブースの方へ歩いていきました。

 

それから約1時間。

戻ってきた彼女の表情は、まるで別人でした。

「先生! すごく話が盛り上がりました!」

聞けば、自衛隊の事務職の仕事内容を詳しく聞き、採用の仕組みまで教えてもらったとのこと。


しかも、「今度、基地に見学においで」と誘われたそうです。

「ヘリコプターにも乗せてもらえるんです!」

……思わず私は笑ってしまいました。


おとなしい学生が1人で行って、大人に囲まれて1時間も会話をして、挙げ句の果てにヘリコプター体験の約束まで取りつけてくる。

まるで別人のような行動力です。

「よくそんなに話が続いたね」

「はい、最初は緊張したんですけど、“公務員ってどんな仕事なんだろう”って思ってたら、気づいたら聞きたいことが次々出てきちゃって」

なるほど。

“話す力”は目立たなくとも、“知りたい”という気持ちは強かった。

それが、彼女のスイッチを入れたのかもしれません。

 

それ以来、彼女は少しずつ変わっていきました。

面接練習のときも、

「先生、今日は大きめの声で練習してみます」と宣言。

一歩ずつ、自分を変えようとしていました。

 

もちろん、すぐに完璧になるわけではありません。

まだ声は小さく、言葉も慎重すぎるほど丁寧です。

でも、その裏にある“前に進みたい”という意志は、確かに彼女の中に芽生えていました。

 

静かな学生というのは、見えにくいだけで、実は内側に大きな力を秘めています。

それが表に出る瞬間は、唐突で、そして感動的です。

面接で言葉に詰まったこと、

涙を流した夜、

そしてヘリコプターの約束。

その全部が、彼女の中で“自信”という形に変わっていくのだと思います。

 

帰り際、彼女は少し照れたように言いました。

「先生、私……もしかしたら、自衛隊の人たちより話してたかもしれません」

「それはすごい。じゃあもう面接も怖くないね」

「はい……でも、ヘリコプターはちょっと怖いです」

研究室に笑い声が響きました。

 

彼女の“静かな革命”は、まだ始まったばかりです。

なるほど、の落とし穴―ノートには完璧、心には油断

短大2年の秋。

公務員試験の面接を控えた女子学生がいました。

お調子者でマイペース。
でも、行動力のある学生でした。

「先生、○○市の面接、緊張します」

と研究室にやって来た彼女の表情には、言葉とは裏腹に、あまり緊張感が感じられませんでした。

少し不安に思った私は、たまたまその日の午後の予定が空いていたこともあり、

「よし、せっかくだから自治体研究に行こう」と誘って、車で出掛けました。

 

実際に町を歩いてみると、地域の特徴が見えてきます。

「このエリアは商店街の空き店舗対策が課題なんだよ」

「ここは観光地だけど、案内サインに工夫があると更によくなるかも」

彼女は「へぇ〜」「なるほど〜」と感心しながら、手帳にメモを書き込んでいました。

しかし、後日――。
面接を終えた彼女が研究室に入ってきたとき、その顔には笑顔がありませんでした。

「先生……全然しゃべれませんでした」

詳しく話を聞くと、自治体の特徴や課題、施策のアイデアは、頭の中にはしっかり入っていたそうです。

ただ、それを“言葉”にして伝える練習をしていなかった。

「ノートに書いて安心しちゃってました……」

彼女の声は小さく、自分でもその“油断”を悔やんでいる様子でした。

 

数週間後。

今度は別の自治体のグループディスカッション試験があるということで、ゼミのメンバーと共に模擬ディスカッションを行いました。

テーマは「地域の活性化」。

定番のテーマです。

 

練習を終えた彼女は、「先生、もうこのテーマはバッチリです!」と明るく笑っていました。

 

しかし、結果は――。

「先生、ダメでした……」

落ち込みながら話す彼女の言葉に、私は苦笑いを浮かべました。

聞けば、本番のテーマも“地域の活性化”。

まさかの“的中”です。

にもかかわらず、うまく話せなかった理由を尋ねると、

「家で練習してなかったんです……」とポツリ。

ゼミで一度練習したことで、また安心してしまったようでした。

 

「本番では、他の人がすごく上手で、なんか自分が話す番を待ってるうちに、どんどん話題が進んじゃって……」

 

あるあるです。

“準備したつもり”が一番危ない。

それは学生に限らず、社会人にもよくあることです。

私だって会議の前日に資料を読み返しただけで、「もう大丈夫だな」と思って痛い目を見たことが何度もあります。

 

「でも先生、次はちゃんと“声に出して”練習します!」

こんな素直な一面を見せられるから、いつも助けたいと思うのです。

どこか憎めない、ほんの少し抜けたところが、彼女の魅力。

 

失敗は悔しいけれど、彼女はその度に一歩ずつ確実に前に進んでいます。

そして、こうした油断は、学生時代に沢山しておくべきだと思います。

社会に出たときに、失敗することがないように。

 

その日の帰り際、彼女は笑いながら言いました。
「先生、私、メモ魔やめます」

「いや、メモはやめなくていい」

「えっ?」
「メモしたあと、声に出すんだよ」

「なるほど〜……」

彼女はまた“なるほど”と言って、笑いながら研究室を出ていきました。

今度は、その“なるほど”が行動につながることを祈るばかりです。

麺でつながる自治体研究―公務員受験生のちょっとユニークな学び

公務員を目指す学生たちにとって、「地域課題を知る」というのは避けて通れないテーマです。

特に複数の自治体を受験する学生にとっては、第一志望以外の自治体についてもきちんと調べておく必要があります。

 

面接では必ず聞かれます。
「なぜうちの自治体を志望したのですか?」

この質問にうまく答えられないと、熱意を疑われてしまうのです。


一度も行ったことがない、地域の魅力を語れない、そんな受験生では印象が良いはずがありません。

ですから、私は学生たちに「地域を歩いて見てきなさい」と話をしました。

しかし、学生たちは口をそろえて言います。

 

「先生、なにをすればいいですか?」

なるほど、確かにそうかもしれません。

地域の課題を肌で感じるとはいっても、いざ歩けと言われてもピンと来ない。

そこで、私はあえて「自分たちで考えてごらん」と丸投げをしました。

 

数日後、学生たちが楽しそうな顔で研究室にやってきました。

「先生、決まりました!」

何が決まったのかと思えば――。

「“麺部”を作りました!」

めんぶ?

「ラーメンとかパスタとかうどんとか、いろんな“麺”を食べ歩く部活です!」

……どうやら、真面目な地域研究の話をしていたはずが、いつの間にか「麺の研究」に変わってしまったようです。

しかし、よくよく話を聞くと意外と理にかなっています。

自分たちが受ける自治体の飲食店、特に地元の個人店を巡ることで、地域の雰囲気や人柄、まちの特色を体感できるというのです。

確かにそれは「地域研究」と言えなくもありません。

しかも、楽しそうにやろうとしている。

それならいいかと、私は正式に“麺部”の発足を認めました。

 

活動内容はシンプルです。

メンバーそれぞれが週に一度、

自分の担当エリアで見つけた麺のお店を訪れ、写真と感想をSNSに投稿する。

「今週は伊勢崎の味噌ラーメン!」

「高崎の生パスタが絶品!」

「前橋の老舗うどん屋さん、だしが沁みる~」

投稿には地元の方からのコメントもつき、

いつの間にかフォロワーが1000人を超えていました。

 

SNSの更新スケジュールは部長が担当していて、誰がどの週に投稿するかをきっちり管理しています。

「先生も入れてあげますね」

おかげで、私もラーメンを食べるときは、箸で麺を持ち上げて写真を撮るのが習慣になりました。

 

ある日、部長が少し真剣な顔をして研究室を訪れました。

「先生、ひとつ相談があるんです」

「どうしたの?」と聞くと、彼女は言いました。

「面接で“面部”の話をするのはいいんですけど、その目的を聞かれたときに“自治体研究のためです”って言ったら打算的に聞こえませんか?」

なるほど。確かにその通りです。


私も思わずうなりました。

この“麺部”が単なる就活対策として作られたとは言ってほしくありません。

そこで、全員を集めて話し合いをしました。

「この活動を通して、自分たちは何をしたいのか」

 

議論の末、学生たちが出した答えは、思いがけず立派なものでした。

「コロナ禍を乗り越えて頑張る個人商店の魅力を発信したい」

「地域のつながりづくりの拠点として、お店の在り方を考えたい」

――なるほど。

最初は「麺が好きだから」という単純な動機だったかもしれません。

しかし、彼女たちは活動を続けるうちに、地域を支える店の温かさや、まちの息づかいを感じ取っていたのです。

 

その日、私は思いました。

地域を知る方法は、必ずしも堅苦しいものではない。

むしろ、楽しみながら地域とつながることこそ、本当の“地域理解”につながるのではないかと。

 

“麺部”の活動は、就活のためのネタづくりから始まりましたが、気づけば、地域と学生を結ぶ温かい架け橋になっていました。

これからも、きっと新しい麺の香りとともに、彼女たちの学びは続いていくことでしょう。

謝ったのに、伝わらない―学生たちの人間関係に見る、ちょっと苦い学び

「先生、ちょっといいですか……」

昼下がりの研究室のドアが、控えめにノックされました。

顔を出したのは、短大1年生の女子学生。どこか落ち着かない様子で、いつもの明るさが少し影を潜めています。

「どうしたの?」と声をかけると、彼女は小さく息を吐いて、「チームのことで相談があって」と言いました。


彼女たちは3人で、有機農業の活性化をテーマにしたプロジェクトを進めています。

地域の農家さんを取材したり、販促イベントを考えたりと、なかなか意欲的なチームです。

ところが、最近そのチームの雰囲気がぎこちないのだといいます。

 

「先週、一人が体調を崩してお休みだったんです。その間に、私たち二人で企画を進めていたら、教職員の方から新しい提案をいただいて、方向性を少し変えたんです。でも、それをその子に伝えるのを、うっかり忘れちゃって……」


彼女は申し訳なさそうに眉を下げました。

「で、昨日のミーティングでその子が来たら、初めてその変更を知って、“なんで教えてくれなかったの”って不機嫌になっちゃって。そこから、ちょっと話しかけづらくなってしまって……」

「なるほどねぇ」と私はうなずきました。

話を聞く限り、誰かが悪いというより、タイミングと気持ちのすれ違いが重なったようです。


「で、謝ったの?」と聞くと、「はい。すぐに謝ったし、夜にLINEでも伝えたんですけど、“もういい”って言われて、それ以上何も言えなくて……」と、彼女は机の上のペンをいじりながら目を伏せました。

 

少し沈黙が流れました。

私は静かに口を開きました。

「すぐに謝ることができたのは立派だと思うよ。まず自分の責任を果たすことが大事だからね」

「でも、やっぱり気まずいです。どうしたらいいですかね……?」

彼女の声には、モヤモヤした気持ちがにじんでいました。

「そうだねぇ。たぶん、今できることはもうやり切ってると思うよ。これ以上は、“相手の問題”なんだ」

「相手の問題……ですか?」

「そう。あなたが謝るところまではあなたの問題。謝る自由も謝らない自由もあなたが握っている。でも、許すかどうかは、相手の問題。だから、焦らず、待つしかないでしょ。相手の心が動くスピードまでコントロールすることはできないんだから」

 

彼女は少し考え込んだ様子で、「待つのって、けっこう難しいですね」とつぶ呟きました。

「そうだね。私もそう思うよ」

そんなやりとりに、ほんの少しだけ空気が和らいだような気がしました。

 

正直なところ、教員側もすぐに“解決”を求めてしまいがちです。
3人を呼んで話をさせれば、きっと握手をして「これで仲直り」となりそうな気がします。

しかし、それは大人の側の安心であって、学生にとってはまだ心が追いついていないこともあります。

むしろ、すれ違いの中で考え込んだり、相手の気持ちに戸惑ったりする時間こそ、彼女たちが人間関係の難しさを学ぶ大事な過程なのかもしれません。

 

「チームプレイって、体調管理も含めて一人ひとりの責任なんだよね」と私は話しました。

「だから、欠席した側にも、“ごめんね、どんな結果になった?”って聞いて確認する責任がある。でも、企画を変更した側にも、“こうなったよ”と伝える責任がある。どちらか一方じゃなくて、どちらにも責任があるんだ」

彼女はうなずきながら、「たしかに、どっちかだけが悪いとかじゃないですよね」とつぶやきました。


そう、誰かを悪者にすることが目的ではないのです。

大切なのは、関係が揺れたその瞬間に、どう自分と向き合うか。

それを少しずつ感じ取ってくれれば、それで十分だと思いました。

 

もしこのまま関係が修復せず、誰かがプロジェクトを離れることになっても、それは失敗ではありません。

人との関係に“正解”がないことを、身をもって体験したということだからです。

苦い経験ほど、後から思い出されて、自分の中で意味を持ちはじめる。

「そういえばあのとき、あんなことがあったな」と、何年か先に教訓となってくれたら、それでいい。

 

学生が帰ったあと、私は研究室で静かにコーヒーを飲みながら、そんなことを考えていました。


関係が壊れかけたときに見える人の本音やモヤモヤした気持ち、そして信じて待つことの難しさ。


教師として、私自身もまだ学びの途中です。