記憶の再生について考えるブログ

児童がどのようにして学習内容を理解するかを実践経験をもとに紹介しています.

見えない学びを見つめて:内言と教育評価の再考

 つも丁寧にお読み頂きありがとうございます.

 回は,博論の「5.ヴィゴツキーに見る概念形成」の続きになりますが,ヴィゴツキーの内言論を受けて,学校教育における認知分野の問題点を考えてみました.

 めは外言の問題です.外言は言うまでもなく,音声言語を利用した他者とのコミュニケーション時に,口から発せられる空気振動です.これから書く内容は,授業中での外言と内言に関する実体験です.

 のことに関する博論の記述は,ヴィゴツキーの外言と内言に関する考え方の後に次のように記述しています.

 「これまでの学校教育では,児童・生徒の思考については,彼らが表出したものを概観することにより,例えば、児童の表情が生き生きとしており,発言の内容が素晴らしかったので良い授業であった等,観念的に評価を行う場合が多々見受けられた.

 れはかなり批判的な記述になりましたが,次のような実体験が基になっています.

 いぶんと前になりますが,私が小学校に勤務していた時に国語科の校内研究会がありました.このような研究会は誰か一人の先生が代表となり提案授業を行い,他の教員は授業を参観して,その後,事後研究会と称される話し合いを行います.

 ではどこの学校であったかや,授業を行ったのは誰だったかなどは全て忘れてしまいましたが,今でもその時の光景を思い出すように衝撃を受けた事がありました.それは,一人の女子児童のある行動でした.

 のときの授業では,担任の先生が何かの学習行動を指示し,児童全員が一人で作業をしていたと記憶しています.たぶん先生が配布されたプリントに,児童一人一人が書き込みを行うというものであったと記憶しています.そのあと,先生が発問するたびに,多くの児童が挙手をして自分の考えを発表していました.

 して放課後は,授業研究会です.

放課後に研究授業について話し合う教師たち (生成AIで作成)

 業研究会では,多くの児童たちが挙手をして自分の考えを発表していたことに話題が集中して,とても良い授業だったという感想が,参加した多くの教師から出てきました.

挙手をする児童 (生成AIで作成)

 して,発表した児童たちの発言を回想しながら,学習指導案で意図された指導の内容と,実際の授業での様子を比べながら実際の授業で良かった点などを吟味したと記憶しています.ですから,とりわけて修正する指導箇所は出てきませんでした.

 まり,「挙手をする児童が多い授業=良い授業」という結論めいた司会の教師のまとめで,参加した全員が納得したのです.

 ころが私は研究会が行われているほぼ全ての時間を,ある児童の姿について考えていたので,発言もしなかったと記憶しています.そして最後には,「挙手をする児童・生徒が多い授業は,本当にそれで良い授業と言えるのだろうか」という事を考えずにはいられなくなりました.

 れは,ある女子児童の次のような行動に引き付けられたからでした.

熟考する児童(生成AIで作成)

 の児童は,教師が配付したプリントを眺めながら,鉛筆の先を何度もプリントに押し当てていました.彼女がそうしている間は誰とも話さずに,ほぼ無表情.しかし,特に困った表情をする訳でもなく,鉛筆の先を紙にタイミングよく何度も押し当て,時折,唇がかすかに動いていました.その姿はロダンの「考える人」と何か相通じるものを感じ,彼女が深く思考している事に気づきました.そして,事後研究会の話し合いの柱のひとつには,この児童の学習行動を充てるべきではなかったかという気持ちを持ったのでした.

出典 : https://juanfratic.blogspot.com/2011/05/de-lo-inmediatico-lo-reflexivo-pensar.html

 の授業は多くの挙手と発表が見られ確かによい授業ではあったのですが,この女子児童のように熟考する児童がいたこともよい授業であったことの根拠であると考えました.

 たち教師は,これまでの授業の評価において,児童・生徒がほとんど熟考すること無しに即断で課題を解決する姿が最も価値あるものだと考えていたようです.つまり,小学校や中学校の授業でもスキーマにそれまでの学習のエピソード記憶意味記憶があって,課題や問題の解決のために速やかにそれらを検索することが重要とされてきました.確かにそのような道具的・技術的思考は,児童・生徒が身につけなければならない能力であることに変わりありません.

 方で,様々な情報が飛び交う今の世の中を児童・生徒が生き抜いていくためには熟考する能力が絶対に必要です.私が研究授業のほとんどの時間で気になったこの女子児童は,内言による言語的思考を行っていました.これは正(まさ)に熟考です.この経験は,後々のこの児童の思考に非常に良い影響を与えたのではないでしょうか.

 しも,自己中心的言語や内言を利用した言語的思考を経験しなかったか,もしくはその経験が極端に少ない児童は熟考することができず,実際的知能である道具的・技術的思考でしか物事を考えることができないようになってしまったかも知れません.

ヴィゴツキー著,「思考と言語」よりFurukawaが作成した関係図 (無断転用を禁止します)

 れまで述べたように授業においては,外言による思考結果の表現をあたかも思考そのものであるかのように考え学習評価の対象としていました.

 かし,ヴィゴツキーが, 「思考と言語」の p135L16~p136L4 で「思考とことば(言語)が結びつくのは,言語的思考の領域のみである」と述べているように,それは真の意味での思考を映し出したものではないと考えます.

 は,児童・生徒の発表は思考と関係がないのでしょうか.ヴィゴツキーは,このことに対しては次のような事を述べています.つまり,それら(児童・生徒の発表等)は言語的思考の遠くからの非直接的影響は受けるが,それ(言語的思考)と何らかの直接的因果関係にあるものではないということです.ですから,発表を評価しても構わないが,思考そのものの評価としては違うということです.

 
 回はこれで失礼します.
次回は,書き言葉について考えてみたいと思います.

 ころで,博論とは直接関係ないのですが,最近の政治の話題で熟考する資料です.

 第70回国会 衆議院 本会議 第2号 昭和47年10月28日 大平正芳 外務大臣 答弁

子どもの思考を育てる“内言”の力:ヴィゴツキー理論から学ぶ授業づくり②

 回は,博士論文の次のような記述について説明します.

「さらに重要なことは,心象(イメージ)である.ヴィゴツキーは,内言の意味は心象であると述べているが,これは思考に心象が深く関わっている証拠である.」

 回,授業において自己中心的言語や内言を利用した授業展開が重要であることを書きましたが,読まれた方はそれらの言語を用いた思考は,いったいどのようにしてなされているのかということに関心が向くはずです.

 出の博士論文の記述からは,ヴィゴツキーが「思考と言語」の中で「内言の意味が心象である」という直接的な表現で記述をしているように思えますが,そうではありません.このことに関しては,中村和夫氏著の「ヴィゴツキー心理学」に学ぶことが多いです.

 

 村氏は,この本の「第2部 内言の概念をめぐって」のなかで,ヴィゴツキーの内言論について解説していますが,ここでは簡単にまとめだけを紹介します.詳しく知りたい方は,じっくりとお読みください.

 ず,ヴィゴツキーの内言論では2つの局面があるということです.一つは「言語的思考,特に概念的思考の発達論」という局面であり,もう一つは,「内言の意味論」という局面です.そして,どちらの局面からとらえても,内言論に共通することは,「内言論は人格論である」ということです.

 念的思考の発達論という局面についてヴィゴツキーがどのように考えたかについて中村氏は,「言語的思考の発達の最終段階即ちそれは概念的思考の段階において人間的に最も高次な意識・人格の発達を見ていた」と述べています.これを学齢期に当てはめれば,小学校の高学年から中等教育の時期であると言うことです.そして,概念的思考とは,まさに言語的思考であり,学校においての科学的概念の学びによって,自己意識の成立と深化がもたらされると述べています.

 ってこのことを根拠とするならば,小学校の高学年に近づけば近づくほど次第に内言による学習行動を仕組む工夫が,指導案の作成には絶対条件となる訳です.そうしないと,内言による思考の訓練が極端に減ることになります

 た,内言の意味論という局面については,「意味」と「意義」の区別について,中村氏は次のように論じています.

 味とは文脈が変わると,その言語が指し示す内容が変るものであるということです.例えば「赤」という言語は,植物の実の色であれば「トマトの色」であったり,人々の思想の範疇では「共産主義の色」であったり,国語科の読み取り手法の一つである心情色彩法では,「喜び,楽しさ,嬉しさなどの心情を表す色」であったりします.

「赤」の様々な意味

 方で意義は,人や状況によってまちまちであるということはなく,一定した不変な内容と言うことです.

 って「赤」の意義は,「可視光のスペクトル色の長波長端の色」と言うことになります.

言語「赤」の意義

 言の意味論についてヴィゴツキーが「思考と言語」で述べた内容について中村氏は,「内言は主観的な世界であり,語の意味は,語によって表現されるものに関係するきっかけが,意識の中にどれ程存在しているかによって決定される」と説明しています.これは以前から私が述べている「内言と記憶された知識との間に連関があるかないか」という問題になると考えられます.

脳内で発生した内言と記憶のつながり 

 の図は,中村氏の説明を私が図にしたものです.ヴィゴツキーは「きっかけ」という言語を,モメント(=モーメント moment)という言語で書いています.

 の図において事柄A~Eは,これから発生する内言と関係を持つ事柄です.これらは内言が発生する前,つまり普段は潜在化して意識上には上がって来ません.そうでないと人間は,その事が気になって生活ができません.

 のような時に内言が発生すると,この内言との関係事項である「事柄A~E」(意味記憶エピソード記憶)のうち,フック(きっかけ)が付いた事柄A,C,Dは顕在化して内言とつながりましたが,事柄B,Eはフックが無いために潜在化したままであることを表しています.

 は,このフックは何でしょうか.このことまでは,中村氏は言及していませんが,私の見方では,これは情動的な経験以外にはないと考えています.心が動かされた出来事は,その出来事を表す言語と深くつながります.つまりそれらは,モメント(上の図ではフック)を持つ記憶痕跡と言うことになります.

 のことに関連した内容は,すでに以下の記事でも紹介していますので,お読みいただければ幸いです.

授業における知識の形成過程 - 記憶の再生について考えるブログ

 て,ヴィゴツキー思考の内容や意識の内容を指す言語として,「思想」という言語を使用していますが,思想はそのまま内言の「意味」に外ならないことになります.従って,上の図の四角で囲まれた内言や内言によって顕在化した記憶,それに潜在化している記憶は思想であり,内言とそれによって顕在化した記憶は,イメージの姿で意識の中にあると言うのです.このことをヴィゴツキーは直接的な表現では「思考と言語」の中では記述していません.

 かし「思考と言語」の以下の箇所などは,内言の意味が心象(イメージ)であることを読者に推測させる表現です.

 p397L9「内言を外言の記憶の形象における再生とみる著者(注:ヴィゴツキー)だけが,内言を外言の鏡のような反映と見ているのである.」

 p415L1「単語の意味というのは,ポーランが言うように,その単語によってわれわれの意識のなかに発生する心理学的事実のみである.」

 の他にも確認できますが,ここでは省略します.つまり,ヴィゴツキーは内言の意味をイメージ(心象)と主張しているのです.

 かし,このことは誰でも簡単に認識することで,納得できるはずです.

 えば,今日はゴルフの予定だとします.でも,朝からどんよりした天気です.このようなとき,皆さんならどのような行動を取りますか.ある人は,手元にあるスマホウェザーニュースを確認したり,またある人は,テレビの天気予報を見たりしますよね.その時,あなたの脳では様々な思考活動が起こりました.どうですか,「今日の天気はどうだろうか」「ちょっとスマホで調べてみよう」などと内言が発せられましたか.

 そらくそうではなく,例えばゴルフ場がある場所の地図や実際のゴルフ場の情景が想起されたり,あるいはスマホの画面上にあるウェザーニュースのアイコンが想起されたり,実際にアプリを使って天気を調べたりしたことの映像が出てきたのではないですか.または,自然と手がスマホに伸びて,アプリを操作したのではないでしょうか.

 して,思考したことによる行動は人格の表現です.ですから内言論は人格論であるということで納得するはずです.

 の行動としての出力は,内言に由来しますから,教育においてどのような方策で内言の力を磨くかが重要ではないのでしょうか.

 かし,私の経験上では,外言ばかりがもてはやされ,「発表や発言が多い授業=良い授業」という考え方が教育委員会等の指導の定番でした.しかも,学力は一向に上がらないので,挙句の果ては家庭学習にその原因を転嫁することがなされてきました.

 育の現場で,これまで以上に内言の力を高めることができたなら,正しい判断ができるようになり,例えば詐欺の被害者になることも少なくなったり,政治的な問題も正しい判断ができるようになるのかも知れません.

 みに,ここからは少し宣伝めいたことになりますが,私が考案した記憶再生マップを利用した学習は,内言の力を高めるものと自負しています.(^^;)

質問に答えます.「言語的思考と道具的・技術的思考とは何ですか」

 回は,「5. ヴィゴツキーに見る概念形成」の2回目です.

 回述べたことは,授業では自己中心的言語(呟き)や内言による思考を取り入れた学習行動を授業の展開に盛り込むことが重要であることを述べました.

 ころが,これは私の勤務した佐賀県内の学校でのことですが,そのような学習行動が指導案の展開に盛り込まれた授業をほとんど見たことはありません.とにかく,最初から最後まで児童や生徒が発話する授業ばかりで,それが良い授業と考えられていました.また,一昔前の教育学部の授業では,ピアジェは学んだがヴィゴツキーはやらなかったとおっしゃる先生も多く見受けられました.

 育界のような権威主義的社会では,〇〇長,〇〇委員会,〇〇主事などの発する言葉が神の声として現場に届いてしまいます,間違っていなければいいのですが,言葉を発する本人も上司の言葉をそのまま伝えてしまいます.本来ならば,これらの人々がもっと学ばなければならないと思いますが,「自ら学ばぬ指導者」とでも言いますか,なかなか現実は上手くいきません.

 回は,このブログをお読みいただいている先生から質問を頂きましたので,その説明を行いたいと思います.ご質問は次の通りです.

ピアジェの提唱した自己中心的言語に対するヴィゴツキーの反論は興味深いです。ところで、ヴィゴツキーによる言語発達に対する考えを説明した図の中の内言についてですが、内言に媒介された「言語的思考」は分かりますが、それとは異なる「道具的技術的思考」とは、どういうものか、良く分からないので、ご教授下さい。

 質問に関係する博士論文の記述は,以下の通りです.

 「つまり,外言―自己中心的言語―内言という発話機能(内言においては,それが発せられることはないが)において思考と直接結びつくのは,自己中心的言語と内言であるとし,内言に媒介された思考を言語的思考と呼び,知能に媒介された道具的・技術的思考と区別している.」

 この記述における言語的思考は何となく理解できるが,道具的・技術的思考について説明せよと言うことです.

 ず,ヴィゴツキーが主張した言語発達の順序性に関してですが,例えば,幼い子が自動車を見て発話する「あっ,ブーブー」等が外言です.これは「言語と物の一対一対応」になります.この場合の外言は,まぎれもなく身近に居る親などに向けられていますからコミュニケーションの道具として機能します.このような言語と物の対応は会話成立のための一丁目一番地です.例えば私たち大人であっても,知らない言語を話す人と対面したとき,最も初期に行う行為は,「これは何と呼びますか」ということですね.幼児がブーブーと発話することも,これと同様の行為と考えられます.ところが幼児がブーブーと発声している時,これが思考かと言われれば疑問が残ります.なぜならば,この場合の幼児の「ブーブー」は,外界に自動車の印象を認知した後に,既に持っているブーブーと言う「音(おん)」を脳から引き出して発話したということにほかならず,その時間は瞬間的であり,当然ながら言語を利用した発話などではなく,ましてや思考などは行っていません.

 ころがヴィゴツキーは,このような外言とは意味や機能が異なる別の種類の外言が出現することを幼児が自由に遊んでいる最中に,その幼児が困ったり考えを攪乱したりする仕掛けを提示して確認しました.それが自己中心的言語と呼ばれるものです.これは一般的には,呟きなどと呼ばれています.この部分の記述は,「思考と言語」のp58L6~L19に書かれていますので,本をお持ちの方はご確認下さい.

 ィゴツキーは幼児期に自己中心的言語が出現するようになってから,思考が始まると述べています.ヴィゴツキーは,そのことを「われわれは,明らかに自己中心的ことばは,純粋に表現的な機能,放電の機能のほかに,子どもの活動にたんに同伴するということのほかに,きわめて容易に真の意味の思考となるということ,すなわち計画的操作の機能,行動のなかで発生した新しい問題を解決する機能をはたすということを言わなければならない.」と述べています.この記述は,「思考と言語」のp133L1~L4に書かれています.

 の後の記述でヴィゴツキーは,この自己中心的言語が心理学的に内的なもの,つまり,自分自身に向けられるものへと変化し,その後に生理学的に内的なものになると述べました.つまり,内言の出現です.この記述については,「思考と言語」のp133L5~L10に述べられています.つまり,真の意味の思考は自己中心的言語や内言によってもたらされるということになりますここの部分の理解は教師にとって非常に重要です.

 って授業では,学習者に思考させるためには,自己中心的言語(主に呟き)や内言を児童・生徒が発するような仕組みを用意することが必要になってくるのです.そして,この自己中心的言語や内言を用いた思考は,言語を介していることから言語的思考と呼ばれるのです.

 ここまでの記述を整理すると,外言の出現は比較的早い段階で起こり,その後に脳への刺激により自己中心的言語が出現することが明らかになりました.そして注意せねばならないことは,ここで述べている外言は,小学校や中学校の授業中に児童・生徒が話す外言とは異質なものであるということです.授業中の児童・生徒の外言は,ピアジェの述べている身の周りの様々な人々に充てた社会的言語としての外言で,これは思考の過程を経て発話されたものなのです.ここで,この時の思考について考えると,言語的思考と道具的・技術的思考が存在するのです.一方で,自己中心的言語である呟きが発せられたときの思考は,どちらかと言えば道具的・技術的思考であろうと思われます.

 は,ヴィゴツキーは,言語的思考と道具的技術的思考をどのように説明しているのでしょうか.それは,「思考と言語」のp135L16~p136L4に書かれています.この部分の記述は長いですのでリンクを張っています.じっくりとお読みいただければ幸いです.この段落に出てくる「ビューラーが指摘しているような道具的・技術的思考」ですが,自身が持つ言語や獲得した概念を問題解決のために道具のように利用する思考です.例えば,学習で獲得した知識が言語で表現できるなら,その言語を記憶想起させながら課題を解決するときの思考と考えられます.ですから,問題解決に対して,知識を道具のように使ったり,技術として利用したりすることで解決しようとする思考だと言えます.学校教育では,学習のまとめを言語で行うことが多いですね.

 こで,ここの段落を読んで思考と言語を図にすると,以下のような図になると考えています.ヴィゴツキーは「思考と言語」の中では関係図を描いていません.色々と調べましたが,ここのページの図を描いたものを見つけることができませんでした.この図は,改変の余地があると思います.よろしければご意見を頂けると幸いです.

 

ヴィゴツキー著,「思考と言語」よりFurukawaが作成した関係図 (無断転用を禁止します)

 の図を見て思うことは,非知能的言語は例えば「ヤバッ」と呟いたり,幼児が「ブーブー」と言ったりすることであろうと思われます.このような言語は,知能的とは言えません.

 た非言語的思考とは,イメージによって思考したり判断したりする部分であろうと考えました.例えば,サッカー選手がボールとゴールを見て,シュートするなどです.この場合は,言語を利用した思考などをする余裕もありません.児童が,算数の面積を求める問題を呼んだ後,瞬間的に図形を変形させるなどもこれに当たると考えられます.

 らに道具的・技術的思考は,学習によって獲得した公式などを用いて効率よく解を導くときなどの思考と言えます.学校の授業で話題になるのがこの思考です.

 して,最も重要なのは,言語的思考の部分で,自己中心的言語(呟き)や内言による思考です.冒頭でも述べましたが,このような学習行動は,あまり実践されていません.

 の言語的思考の部分は,自己の脳内では,非言語的思考や実際的知能の部分とは物理的につながっているので,常に情報が行き来するような訓練を行うことが重要と言えます.なぜならば,内省できるからです.

 在,様々な情報がスマホを媒体として脳内に入り込んでいます.つまり,他者とつながっているのは,実際的知能の部分と非言語的思考の部分であり,そこだけの思考で意思決定を行っています.詐欺や社会情勢の正しい判断ができない原因の一つがここにありそうだと考えています.

 回は,質問にお答えしました.ヴィゴツキーの著書「思考と言語」は,学校教育に関係する人たちに多くの示唆を与えてくれます.色々なご意見をお伺いさせて頂ければ幸いです.

 

子どもの思考を育てる“内言”の力:ヴィゴツキー理論から学ぶ授業づくり①

 回から数回は「5. ヴィゴツキーに見る概念形成」について解説していきます.レフ・ヴィゴツキーは,ロシアの心理学者として非常に有名で,これは彼の代表的な著書です.

 の中で論じられている概念に,外言と内言があります. 外言は音声言語でもあり,他者に向けられコミュニケーションに利用される言語で,ジェスチャーや手話も外言と考えられます.一方で内言は,頭の中で発せられる言語です.

 言や内言について,多くの人が説明をしています.次のブログもその一つです.参考になさって下さい.

psycho-psycho.com

 

 は博士論文(青色文字)の記述の一部です.なお,赤色文字は解説です.

 5. ヴィゴツキーに見る概念形成

 人間の思考については多くの先達の示唆を読み解く必要があるが,その中でも心理学者ヴィゴツキーは著書「思考と言語」において多くの示唆を残した.

 この中で注目すべきは,「内言」である.内言とは,言語音として外に出ない自己に向けられた言語であり,思考のための手段である.

 これまで多くの心理学者は内言と思考を同一視していたが,ヴィゴツキーはそのように捉えてはいない.

 彼は,外言(言語音)から内言への移行の中間にピアジェの言う自己中心的言語を置く.

 そして,それはきわめて容易に『真の意味の思考となる』 と述べている.

 ⇒アジェは,この自己中心的言語を「本質的には何も変化を与えるものではない」と述べています.このことは「思考と言語」p56 L2~3に書かれています.

 ⇒ィゴツキーは,これに対する反論をp59 L13~16で行っています.

 つまり,外言―自己中心的言語―内言という発話機能(内言においては,それが発せられることはないが)において思考と直接結びつくのは,自己中心的言語と内言であるとし,内言に媒介された思考を言語的思考と呼び,知能に媒介された道具的技術的思考と区別している.

 のことを説明する適切な図が無かったので,Googleが開発したマルチモーダルAIモデルのGeminiを使い,ヴィゴツキーの言語発達に関する考えを次のような図にしました.

ヴィゴツキーによる言語発達(Geminiとの共同制作)

 つまり,体系化された科学的概念を教授する学校における学習での,本当の思考のためには言語音として外に出ない自己に向けられた言語である「内言」を手段としたり,「自己中心的言語」を手段としたりする活動を仕組む必要があると言うのである.

 ⇒の文章をお読みになっている皆さんは,脳内で言語によって思考されているはずです.言語的思考ですね.

 ⇒の場合は,このブログの記事を読むという行為が原因となって思考活動が誘発されました.

 ⇒ィゴツキーは,幼児や児童に少し難しい課題を与えることで,自己中心的言語が誘発されることを確認しています.「何これ?」「どうして?」「どうしようかな」など色々です.

 ⇒のことは大人であっても,難しい本を読んだり,解決が困難な課題について考えることで,自身の内部から自然と言語が発生することを確認することができます.普通は,そのことを「呟き」と呼びます.例えば「あぁ」「えっ」「そうだっけ?」などの音声言語がポロリと出られた方もいらっしゃると思います.

 ⇒業の究極的な姿として一般的に考えられているのは,課題解決をするために授業の終盤で他者とのコミュニケーション活動を仕組み,得られた解決方法を発表し合うという授業展開があります.私も現役時代は授業の終盤では,このパターンは多く採用していました.そして最後には,学習のまとめが子供たちの発表を経て行っていました.

 ⇒アジェの考え方に従えば,これでよい訳です.しかし,ここにヴィゴツキーの考えを盛り込むと一層効果が上がると考えられます.ヴィゴツキーは,小学校の低学年頃から,内言による思考ができるようになると考えていました.

 ⇒のような学習行動を考えればよいかと言えば,一つは学習の最初ではない時間帯に,児童にとって少し難解な課題を入れ込むことです.それは,課題解決への材料が揃ってからの方が良いと思います.もちろん課題解決の時間に,内言が使えたらそれに越したことはありません.

 ⇒の経験で言えば内言を利用する思考,即ち言語的思考の前に,自己中心的言語(呟き)が出てくる児童・生徒がいるはずです.学齢期の児童では,むしろその方が良いと思います.

 

 さらに重要なことは,心象(イメージ)である.ヴィゴツキーは,内言の意味は心象であると述べているが,これは思考に心象が深く関わっている証拠である

 ⇒このことについては次回に詳しく解説します.

 

 今回も丁寧にお読みいただき,ありがとうございました.

理解することと能力を身につけること

 国学力テストの結果が出ました.全国的には,児童・生徒の成績が低下したことが話題に上がっていました.これには,様々な要因が考えられます.

 導内容やそれに係る評価の問題については,文科省が十分に反省すべきでしょうね.

 習用タブレットの問題は,スマホ利用の問題とも関連して,医学や脳科学との関連性で再考されるべきでしょう.児童・生徒は,学校でタブレットを8時間程度利用し,家庭ではスマホを数時間利用します.つまり,寝ている時以外は常にスマホタブレットを注視し操作していることになります.家庭でのスマホの利用を抑制できなければ,学習用タブレットの利用を制限することも必要かもしれません.せめて学校で生活する時間だけでも,情報端末機器から距離を置いて,脳をもっと使う経験を優先することは意味のある事のように感じます.

 て今回は,このことに関係のある話です.「4.理解することと能力を身につけること」について述べたいと思います.今回も,博士論文の原文に沿って若干の補足や文末表現の修正を行い,ほぼそのまま転記します.なお写真は,説明のために今回用意したものです.

 

【博論ここから】

 科教育において学習内容は,文章や図表,数式など形式知として板書や教師の発話によって児童に提示されます.授業の目的は,児童・生徒がそれら思考や発言の素材として自由に使うことができるようになることです.ところが,(現在の学校教育では)全ての児童・生徒が自由に使うようになるかと言えばそうではなく,部分的に利用できたり,全く利用できなかったりする人も見受けられます. 

算数科板書例

解説】ここで述べているのは,このような板書の授業があったとして,下図のAのみ,つまりこの場合は,言語で表現された公式のみ獲得して授業を終わる児童がいることが問題であると述べているのです.しかし,この板書にはBやC,DのようにAを導くために利用したコンテンツが多数あるのです.

 児童が学習で利用したこれらの知恵は,一般的にはまとめの段階で話題に上りますが,児童が記憶すべき内容としては公式のみが取り上げられ,特に重要視されない場合が多いように感じます.しかし,物事を因果関係で述べるならば,原因である図形の考え方は全て重要であることには違いありません.

 

 

【博論続き】

 のことに関連して教師どうしの会話では,「理解」という言語がよく使われます.あの児童は学習内容をよく理解するとか,あまり理解できないなどは,授業の成果を議論する場合によく聞かれる会話です.例えば授業中の児童・生徒の発言が,学習の課題に対して,教師の意図する内容を伴った的確な表現であれば,その児童・生徒が学習内容を理解できる,又は理解できたと判断します.しかし,一旦理解したとしても,その状態が永久に続くとは限りません.むしろ,学校教育においては,児童が理解したことを忘れてしまうことはよくあることです.

by Bing Image Creator

 方,「能力」という言語については,例えば算数科において,計算が素早くできる児童に対して,あの子は,計算の能力があるとか,計算力があるなどの表現が使われます.また国語科では,物語の登場人物の心情を豊かに読み取ったり,説明文での筆者の主張が述べられている箇所を的確に指摘したりできる児童に対しては,読み取りの能力があるなど,「能力」という言語を用いて会話がなされることも多いようです.

 かし児童が,このような計算力や文章の内容を読み解く力を忘れることは,経験上ほとんどありません.このような能力について教師が議論するときは,それらの能力を児童が過去のある時点に身に付けた特性として考えている場合です. 

 

 のようなことから,学習内容を理解することと,能力を身につけることは同じではないことが分かります.

 学習内容を理解するとは,児童や生徒が学習内容やその過程を正しく記憶に残すことです.即ち,学習が終了した時点で,児童・生徒の長期記憶には正しい学習の痕跡が残っていなくてはなりません.このような記憶はエピソード記憶です

 して,その記憶を振り返るときが来たとき,その振り返る記憶のなかで教師が何を話し,自分や友達がどのような発言や行動をしたかを想起しながら,学習の結論と原因の因果関係に納得を繰り返して体制化(スキーマの形成)することで能力に変わるのです.(これらの過程で当然ながら,成功体験も経験します)

 の能力の本質こそが意味記憶です. 

 Tulving(1972)は,意味記憶の定義を,「言語の使用に必要な記憶であり,単語やその他の言語的シンボルやその意味やその指示対象について,そしてそれらの関係について,あるいはそれらの操作に関する規則や公式やアルゴリズムについて,人が保管する知識を体制化した心的辞書である」としています.

心理学者 Endel Tulving(1927-2023)

 業においては,能力が身についた児童・生徒とそうでない児童・生徒の違いは,口頭での説明ができるか否かで明確に区別できます能力が身についたと判断できる児童・生徒は,教師の新たな問いかけに対して,瞬時に返答することができ,それは説明を伴っています.即ち,原因と結果の因果関係を論理的に示すことができるのです.しかし,そうでない児童・生徒は,返答できず答えに窮します.この違いを考えるとき,例えば算数科の学習で,三角形の面積の公式「底辺×高さ÷2」を「理解した」とは,その公式が導かれる過程に納得し,公式やその過程を記憶痕跡に留めた状態を指します.そして,何度か練習を繰り返して,意識することなしに暗黙のうちに,自然に計算を行うなど公式を適用して問題を解けるようになった状態を「能力が身についた」と言います. 

解説】このことはスポーツについて考えてみると良く分かります.私は趣味でゴルフをするのですが,プロの選手などがYoutubeで打ち方を紹介しているチャンネルをよく視聴します.プロの選手は当たり前ですが,ゴルフボールを打つ能力に長けています.クラブの握り方や構え方,クラブの振り方などを,初心者にも分かるように説明すると同時に,実際にボールを打って模範を示してくれます.つまり,ゴルフボールを上手に打つ能力を身につけているからこそ,言語で説明ができるのです.

 

【博論続き】

 方で,記憶痕跡については,実体として捉えることができず,児童・生徒が学習内容をどのように関連付けて記憶に留めているかについては,これまでは調べることができませんでした.単元の学習終了後に行われている評価テストでは,記憶痕跡に残る言語を問う問題もありますが,それらの言語がどのように関連しあっているかまでは調べることはできません.

解説】児童が学習の結果として獲得した知識が,どのように関連して記憶されているかを知る目的で開発したのが「記憶再生マップ」というマッピングです.

 

感嘆詞から読み解く理解のメカニズム──教育現場における概念の芽生え

 新が遅くなりました.

 て前回ですが,教師の発話だけでは,児童が言語を理解できない場合の対応ということでした.最初に理解できない原因としては,児童の耳に入った言語音で構成される言語概念がスキーマに無いことに起因することを述べ,その対応としては,概念メタファーの利用を提案しました.その他には,ジェスチャーも有効である場合があります.

 して最後に出した「a=a+1」ですが,当然ながら先生方のスキーマに何か関連する記憶がない場合は,「このような等式が成り立つはずはない」と思われたのではないでしょうか.

 れはコンピュータのプログラムでした.つまり,コンピュータに命令を与えるコマンドと呼ばれるものです.その意味は,「aの値に1を加えて再びaにその値を入力する」という命令文です.例えば,aが0の時,a+1の演算をすると全体で1という値になりますね.この1という値を,aに代入するという意味です.つまり「=」は,左辺の変数aに右辺の値を「入力する」という意味になります.そして,この操作を繰り返すと,左辺のaは,1,2,3,4,・・・と1ずつ数が増えていくことになります.デジタル時計などの数字が,1ずつ増えるのはこの仕組みを利用されている場合が多いと思います.

 後,情報教育が小学校に導入される場合は,このような話も出るかもしれません.

 

 て今回は,「3.授業における児童の概念形成を実感する場面の例」について説明します.今回は,博士論文の書きぶりが簡潔ですので,ほぼそのまま博論の表現を転記します.

 業でよく耳にする児童の概念形成を確認する言語があります.例えば,「ああ」です.それまで,浮かない顔をしていた児童が突然,嬉しそうな表情に変わり,うなずきながら「ああね」などと呟くことが多いです.その瞬間は児童一人ひとり違っているのですが,電子黒板などに映像を提示したときなどは,比較的同時に多くの児童が,「分かった」などの言語を発することが多いものです.映像を提示するときばかりではなく,発話やジェスチャーでもこのような感嘆の言語を聞くことがあります.

 た,授業の心象が言語の概念化に寄与する場合があります.例えば,3年生の理科の時間に,チョウの育ち方の学習で次の図のような板書を行いました.

 の板書は,授業をまとめながら描いたように記憶しています.児童は,頑張って自分のノートに記録することになります.一部の市販されている理科ノートでは,絵や写真がすでに印刷されてあり,児童は文字だけを記すようになっていますが,このような理科の学習にあってはナンセンスと考えます.やはり,書きぶりの良しあしに関わらず,自分で描くことが大切です.

 

 の翌日の理科の授業で,何も書いていない黒板を使い,前日に絵を描いた位置付近を指さして,「昨日の勉強で,ここに何か描いたよね」と児童に問いかけると,「チョウのたまご」や「幼虫」などの声が聞かれました.

 らに続けて,「卵の色は何色だったかな」と問いかけると,「黄色!」と言う声が一斉に返ってきました.

 まり,このような児童の反応は,昨日の授業によって映像とともに,チョウの卵や幼虫の概念が心象とともに形成されていたことになります.

 のことから,児童は学習内容を記録した黒板の心象を記憶していることが示され何も書かれていない黒板を使った教師のこのような行動が,再び学習内容を概念化するエピソードの心象として記録されることになりました.

 童が経験した中から,記憶に留められた物や事柄は,そのエピソードとともに主に心象として記憶されます.例えば,見たものは色や形や大きさなどの属性が,そのイメージとともに記憶されます.

 こまでが博論に書かれている内容でした.

 こに示したように,児童の概念形成を実感する場面は,授業を行っている教師ならば幾度となく経験することになりますが,その時,先生が今回述べたことに気づけば,教師という仕事の大きな武器となり得ます.

 お,以下の記事は,今回の内容と関係のある記事です.

kiokusaisei.com

 

理解はどこから始まるか:記憶痕跡とメタファーによる概念形成

 回は,「第1章 知識の獲得における言語の問題と概念化の実際」

2.教師の発話だけでは,児童が言語を理解できない場合の対応 についてです.

 れは,次のようにまとめています.

 「教師の発話だけでは,児童が言語を理解できない場合の概念形成については,少なくとも児童の記憶に,その言語に関する何らかの心象が残っていることが,概念形成のための条件となる」

 えば既出の「垂木」の理解には,軒天や庇(ひさし)を見上げた経験の心象が必要です.

 すから,「あなたの家の軒(のき)の部分は,どうなっていますか」などの追加発問で,できるだけ経験の心象を出させる工夫が必要となります.

引用 : https://www.densho-at.jp/blog/20201217-hisashi-nokiten.html

 然ながら,都会の児童は田舎の児童に比べて,この絵のような家屋の心象を保管している可能性が低いと考えられますので,教師側の更なる提示が必要となります.

 えば,次のような絵を板書するかジェスチャーで描いて,経験の記憶を想起させる工夫も必要となります.このような手続きを経て,なんとか児童が記憶想起できるようになればと願っています.

 かし,どのような手段を講じても,自身の記憶痕跡から何も見いだせない場合は,理解が出来ないと考えられます.教科書は,このようなことまで考慮して作成されていませんので,新しい言語に関しては注意が必要です.

 の時に役立つのは,概念メタファーです.メタファーとは,隠喩と訳されますが,児童が知っている物と形状や機能などが似通っているものを取り上げて考えさせる手法です.

 えば,軒(のき)を知らない児童に対しては,野球帽のつばをイメージさせ,「軒は家のつばです」などと追加の説明やジェスチャーを加えることによって,上の絵の軒について考えさせることが出来ます.

 

 れで野球帽のつばは,ある程度の硬さを有し折れ曲がらないで日差しを遮り,雨が目に入らないような機能を持っていることに関連して,軒(軒天)も日差しを遮り,雨風が外壁や窓に直接当たらないようにするなどの機能を話題にすれば,強度をどのようにして維持しているかという話題が提供できます.

 のタイミングで登場するのが垂木という仕組みです.児童は,軒(軒天)を支えるために何本もの垂木が屋根から伸びていることを理解すると思います.さらに,この時に,以前の投稿で利用した次の絵を示すと,より理解が深まると思います.

 

 の指導事例は,児童が軒天の心象すら持っていない場合対応として,ほぼ全員が持っているであろうと考えた野球帽の心象を使い,垂木の概念を学ばせることを目指しました.

 かし,先生方の中にはタブレットで垂木の画像を見せて,「これが垂木です」という指導に終始される方もいらっしゃると思います.それも指導の時間が取れないという現状においては仕方ないことかも知れません.

 回は,児童が知らない新たな言語の指導においては,その言語と関連した何らかの記憶の心象が必要であるというお話をさせて頂き,その対策として児童の誰でもが持っていると考えられるある概念をメタファーとして利用する方法について解説しました.

 後に,言語ではないのですが,あることを知っておられない先生方には理解できないことを示して終わりにしたいと思います.

「a=a+1」って何?

音は同じ、意味は違う—教育現場での言語のすれ違い       

 年も早いもので6月になりました.九州北部も梅雨に突入です.

 今回は, 第1章 知識の獲得における言語の問題と概念化の実際1-2 児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせているが理解できない場合について紹介します.

 さんは,先生が発話される言語の概念を児童・生徒が持っているのに,先生の話される意味が分からないとはどういう事だろうと思われるかも知れません.でもこれは実際にあったことですし,学校現場では意外と多い気もします.

 初の例は,このブログでも何回か紹介した授業中に起きた出来事で,「とける」という言語の話です.結果的に,この事の気づきが修士と博士の学位取得につながりました.学習は小学5年生理科「もののとけ方」という単元でした.

 さんは,「とける」と聞いて真っ先にどんなイメージが脳内に浮かんできましたか.言語音で「とける」は,日本語ならおよそ「融ける」「説ける」「解ける」「溶ける」「熔ける」がキーボード入力により漢字へと変換されます.この中で「説ける」は,一般的な用い方ではないようですので外すとして,残りの言語のイメージはおよそ次のようなものです.

 「熔ける・融ける」・・・鉄がとける,氷がとける ⇒ 融解

 

 「解ける」・・・問題がとける

 

 「溶ける」・・・塩や砂糖が水にとける ⇒ 溶解

食塩を水に入れる

 々大人の世界では言語音による日常会話は,あまり問題なく相手の発する言語音の意味を解して進行します.しかし,大人と子供の会話は,そんなに上手く行きません.それは,スキーマに保管してある記憶が異なる可能性がより大きいからです.

 の授業では,教師の発話する「とける」という言語の意味と,児童が受け取った「とける」という言語の意味が異なっていました

 師は,食塩などが水に「とける」という意味で話を進めていたのですが,児童のほとんどは,氷やアイスクリーム,チョコレート,チーズなどが「とける」をイメージして聞いていたようです.ですから,「物がとけるときには,どのようになるか」という質問を児童にすると,「ドロドロになる」「ぐちゃぐちゃになる」「形が変わる」などの返答が多く見受けられました.つまり,こんなイメージでした(左).

 


 も,うかつだったのですが,我々の年代(60代)の小学生時代(昭和40年代前半)では,ジュースを飲みたい時には,水道水にオレンジ味だったりパイン味だったりの粉を入れて,スプーンでよくかき混ぜで飲むことが普通でした.ですから,粉状のものを「とかす」という経験は日常茶飯事のことであり,むしろアイスクリームやチョコレートなどは,ほとんど食べたことが無かったので,「とける」の概念としては「溶解」が主流だったのです.

出典 : Yahooオークション

 もちろん,教師はアイスがとけるやローソクがとけるなど融解の概念も持ち合わせていたのですが,この時の学習が溶解現象を学ぶので,その頭で話を進めていました.ですから児童たちが,氷やアイスクリームがとけるといった現象を脳内に思い浮かべていたなどは考えもしなかったのです.

 

 このような,ある言語の意味の取り違えに対して,教科書は全く対策がなされていませんので,教師側で注意が必要となります.というか,対策をするのは無理という事です.例えばこのような経験があります.

 学校3年生の国語科の授業での話です.ちょうど10年前の教科書ですので,すでにその教材は掲載されていないかも知れませんが,物語文でした.文章中に「野球」という言語がありました.すると女の子が,「野球って何?」とつぶやいたのです.


 人は,環境によって言語を学習します.この女の子の家庭では,「野球」という言語を使った会話が皆無であった可能性があります.

 今回の「とける」の例のように,同一の音声言語に対して,異なる意味を持つ者同士の会話は成立しにくいと考えられます.

 更に,同一の音声言語に対する,間違った幾つかの意味を持つ事例を紹介します.

 これも「もののとけ方」の授業を指導しながら気づいたのですが,「とうめい(透明)」という言語の意味の曖昧さです.児童に水溶液が透明であることの指導において,透明の意味を尋ねたところ,「見えないこと」や「色が無いこと」などの誤概念が確認されました.

 透明の言語概念は児童の身の周りに,ガラスや水,池,ジュースなど透明な物が比較的多く存在することから,日常生活において極めて早い段階で素朴概念が形成されると考えられます.従って,理科の授業などで透明の概念を扱う場合は,素朴概念が言語となって発話されます

 これらの児童が,どの様にして誤概念を持つようになったかは定かではありませんが,初めて「とうめい」という言語を教えられた時に,その人物(一般的には親)が,どのような説明をしたかによって心象は異なってきます.

 えば,きれいに澄んだ水を見て,他者が「透き通っているね,こんなのを透明と言うんだよ」と言う場合と,「色が無いでしょ.こんな事を透明と言うのですよ」とでは理解の内容が異なります.

 明のように,映像化が困難な事物の性質や状態などを表す言語は,正しい概念を形成することが難しいと言えます.

 紹介したように,同じ言語で教師と児童で異なる概念を持っている場合は,教師の発話による知識の獲得に児童が戸惑い,誤概念が形成される可能性があると考えられます

 

見えない言葉と概念の壁

 回から本題に入っていきます.

 1章は知識の獲得における言語の問題と概念化の実際というタイトルです

 この第1章は次の5つの章で構成されています.

 1.児童が言語を理解できない具体的な場面

 2.教師の発話だけでは,児童が言語を理解できない場合の対応について

 3.授業における児童の概念形成を実感する場面の例

 4.理解することと能力を身に付けること

 5.ヴィゴツキーに見る概念形成

の5つの章立てとなっています.

 回は,言語によって情報をやり取りする授業を考える上で押さえておきたい「児童の言語理解」について,日頃の授業で観察される「児童が言語を理解できない」具体的な場面について紹介します

 学校関係者以外の皆さんは,「児童が言語(日本にあっては日本語)を理解できないなんてどういう事?」と思われるかも知れませんが,授業を行う教師はこれが意外に多いことに気づいています.

 れは大きく分けると次の2つの場合に分けられます.

児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせていないために理解できない場合

児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせているが理解できない場合

 こでは,学校現場のどのような場面のことを言っているのかが分かれば良いと思われますので,一つずつ例を挙げて紹介します.

 

 今回は, 1-1 児童が,教師の発話する言語の概念を持ち合わせていないために理解できない場合について紹介します.

 こで紹介するのは,現在の国語の教科書には無い教材かも知れませんが,以前,小学校5年国語に掲載されていた説明文「森林のおくりもの」例です.

 

 この教材はyoutubeに「音読」があります.

  『「森林のおくりもの」音読』  youtube動画

 

 聴き始めから4分45秒で「・・・・屋根を支えていた垂木(たるき)が・・・・・」と音読をされています.もちろん学習に入る前には,難しいと思われる言語については,辞書で調べています.しかし,この垂木が児童には難解でした.

 辞書には,

 「垂木(たるき) 棟(むね)から軒に渡して屋根面を構成する材料.下から見えるものを化粧垂木,見えないものを野垂木という.社寺では2重に用いることが多く,上のを飛檐(ひえん)垂木,下のを地垂木という.」 (EX-word)

 のような説明が書かれています.

 学生の頭で,このような説明が理解できると思われますか? 特に赤文字の部分が,児童が調べ学習などでノートに転記する部分になりますが,この部分ですら難解です.もちろん,小学生用の辞書にはもう少し優しく分かり易い言語で説明してあるものもありますが,それでも難解な児童は沢山います.

 まり,この部分を読んでもイメージできないのです.まず「棟」が分かりませんし,「軒」も不明です.さらに「渡して」が何のことか分からずに,「屋根」は分かるにしても「面」が付くと分からない児童が続出します.物事の説明には,言語で説明をしても十分に分かるものと,このようにいくら言語で説明しても,学齢期の児童・生徒には分かりづらいものが存在します.

 知識の獲得における言語の問題の一つは,ある意味でこの点に集約されます.

 国語は主に言語を学ぶ学問ですが,言語の意味を言語で説明するという凝り固まった考え方が災いする良い例だと思います.脳に入力される言語や言語音の意味を理解するためには,自身のスキーマに,その言語に関連するイメージが無いと理解できません

 のことに気づいていない教育関係者が沢山いらっしゃいます.現場の先生や大学の研究者,教育行政の関係者等々です.それと保護者の方も意外と気づいていない場合が多いと思います.

 

 程の「垂木」に話を戻して,どのようにすれば小学生が理解するかを考えてみましょう.屋根を支えていた垂木ですので,児童の目線は見上げることになります.屋根は垂木に比べて分かりそうですので,教師が黒板に絵を描いて説明すると良いですね.または,どこからか写真を持ってきて教室のテレビに映し出して説明するとさらに分かり易いと思います.

 このような図で垂木とは,どの部分の木なのか少しずつ分かり始めてきます.

引用 左(https://www.yaneyasan14.net/blog/38681.html)  右(https://maxreform-kobe.jp/western-roof-tile)

 局のところ言語の学習は,このような手続きを経て概念化されることが分かります.

 し,児童のスキーマに何らかの手がかりとなる記憶があれば,それを利用することは可能かも知れません.例えば,児童の記憶に「次のような映像がある」と教師が推測すれば,教師の言語だけで概念化は可能かも知れませんね.

引用 https://kenjou.co.jp/archives/product/tosou-3

 かし,多くの児童が暮らす環境で,このような垂木を目にすることはあまりありません.それは,現代のモダンな家屋を見れば垂木を見えないように軒下の部材で隠してある住宅がとても多いからです.ましてや,マンションなどに暮らしている都会の児童は,ほとんど目にする機会も無いようです.

 

 回は教師が発話する言語というか,教科書に書かれている一つの言語を例として教師の発話する言語の概念を持っていないことによる児童の概念化の難しさについて説明しました

 校教育で飛び交う言語,つまり情報として児童・生徒の脳に入力される言語が,どのように理解され概念化するかを,もう少し丁寧に議論することも必要なのではないでしょうか.

 回は,児童が教師の発話する言語の概念を持つ合わせているが理解できない場合について説明したいと思います.

 

 今回も丁寧にお読み頂いたことに感謝申し上げます.なお,本ブログのURLが変更になったことに関しまして,ご迷惑をおかけしました.先生方や一般の方々で,このブログが教育現場の活動に役立つと思われたら,是非とも様々な方々にお声かけをお願いします.

記憶の再生について考えるブログ

 

よく読まれているページをまとめました

 5月の中旬になりました.4月下旬からのドメインの変更に関して,www.kiokusaisei.comへのアクセスが出来なくなり,ご迷惑をおかけしています.

 当ブログのURLは,サブドメインの www.kiokusaisei.com から,ネイキッドドメイン kiokusaisei.com への変更を行いました.

 

記憶の再生について考えるブログ⇒当ブログの最新記事です.

 研究の骨格:博論における本論構成と主要概念】(2025.4.30)

 

 

②『博士論文を読んでみよう

  ⇒当ブログの最新話題は, 博士論文の解説を学校の先生や一般の方々に向けて行っています.この博士論文がどのようなものかを簡単に言えば,「人はどうすれば正しい事柄を記憶することができるかを,実際に小学校の授業で確かめた」ものです.

  ⇒博士論文なんて難しいと思われる方は,一度読んでみて下さい.学校教育に興味のある方もどうぞ.

  ⇒すでに序章についての説明は終了しています.

 

③『授業における知識の形成過程

  知識の形成過程の記事①~⑮】(2025.5.1更新) 

  ⇒授業中の児童や生徒の頭の中で何が行われているかの説明をしています.

解説図の例

 

 

➃『スキーマ(Schema)の解説

  スキーマの解説記事①~⑤b】(2025.5.1更新)

    ⇒スキーマについて解説しています.

    ⇒教員の方でスキーマを知らない先生は,ご指導のために是非お読みください.

説明に使った図の例

 

 

⑤『記憶再生マップの効果

記憶再生マップの効果①~⑩,生成AIの要約付】(2025.5.1更新

 ⇒記憶再生マップを使った授業を通して分かった効果について説明しています.

 

 

 児童はどのように理解するか

 ⇒2016年にこのブログのことをざっくりと紹介したページです.