映画「火垂るの墓」を見て以来、ずっとモヤモヤしていた。
野坂昭如の原作を高畑勲監督がアニメ化した映画。公開は1988年。
一般的には反戦映画として認識されていると思う。
でも、私はまえからこの映画は反戦映画などではないと感じていた。
不器用な少年清太が社会でうまく生きられず、結果、妹を死なせてしまい、
その罪の意識から死後も成仏できずさまよっているという恐ろしい映画なのだ。
冒頭、亡くなった節子に再会したわけではなく、あの節子は清太の影だろう。
この映画では大人の無責任さ、無関心、冷たさをきっちりと描いている。
敗戦後の三ノ宮駅構内で死にかけの戦災孤児たちがごろ寝している様子を、
大人たちが「もうすぐアメリカ軍が来るのに恥やで」と言い放つ。
このシーンは強烈だった。
空襲で家が焼け、母を亡くした清太と節子は親戚の家に世話になる。
しかし、戦時下でどこの家も余裕などない。
親戚のおばさんは次第に清太に冷たくなる。
ついに清太は節子を連れて「自立」しようと家を出ていく。
このときの親戚のおばさんの態度も、やっと厄介者が出て行ってくれたという態度だ。
恐ろしいほどリアルな人間心理を描いている。
清太は使われなくなっていた防空壕を「家」として、節子と暮らしはじめる。
実家からは貯金をすべて持ち出していた。
まるでキャンプのような自由さだ。
でも、そんな自由な生活は長く続かない。
食料はすべて配給制の時代。ついに清太は畑泥棒やヤミ米を買うため着物の泥棒までするようになる。
畑泥棒を百姓に見つかりぼこぼこに殴られたうえ、駐在に引き渡される。
巡査は百姓に「これだけ殴ったら気が済んだやろ」と言って無罪放免。
清太に「お茶でも飲んでいき」と言いつつ、保護しようともしない。
ここでも大人の無責任さ、冷たさをシビアに描いている。
やがて、節子は衰弱していき亡くなる。
清太も戦災孤児として駅で命を落とす。
清太をバッシングすることは簡単だ。
「なぜ、働かない」
「自業自得だ」
「クズ」
これらは以前、レビューサイトで見た意見。
私には社会でうまく生きられなかった人間への誹謗中傷や冷笑に感じた。
社会でうまく生きられない弱者に対して、人間や社会がどういう態度をとるのか、リアルを描きたかったのだ。
清太をどう見るかで、他者への寛容さや倫理が試されている。
ラストの現代の神戸の夜景が出てくるシーンは、
清太は現代にもいるんですよ、という高畑勲のメッセージだろう。
リアリスト高畑勲の目は厳しいが胸に刺さる。