
ドン
カッ






ドン
ヒャーーーーー
この記事はブログクリーンアップアドベントカレンダー25日目の記事⋯⋯ではありません。
真の25日目のご担当、ぞひ丸さんの記事はこちらです。
ぞひ丸さん、病み上がりの中悪ふざけに付き合っていただきありがとうございます。
(何をやっているかわからない方は「ウルトラマン オープニング」などで調べてみてください)
メリークリスマス!







この記事はブログクリーンアップアドベントカレンダー25日目の記事⋯⋯ではありません。
真の25日目のご担当、ぞひ丸さんの記事はこちらです。
ぞひ丸さん、病み上がりの中悪ふざけに付き合っていただきありがとうございます。
(何をやっているかわからない方は「ウルトラマン オープニング」などで調べてみてください)
メリークリスマス!
これは「ブログクリーンアップアドベントカレンダー2025」の8日目の記事です。前回、主催にして一発目ながら早速反則技を使ってリスケをした筆者、参加者の皆様の投稿を楽しく読みつつ感想を書くという最高の日々を過ごしていたが、よく考えたら繰り延べた二回目の締切が刻一刻と迫っているのだった……。
ありがたいことにすべての日にちが埋まった今、ここも空けていればもっと素晴らしい文章が彩ってくれたのでは……? と思わぬでもないが、一年八カ月の重荷、ここで下ろさせていただこう。
それでは、レッツブロクリ!(この一週間、やっぱり流行ってなかった)
時計の針は令和6年3月30日23時過ぎ。まもなく、海上で日が替わろうとしていた。年度末になる。このおかげで年度末の締めが実質2日縮まる上にふう……今年度も頑張ったネ……という余韻もなく月曜からは新年度というバタつきだったことを思い出してフラストレーションが蘇るがまあ、過ぎたことはいいよ。(DIVAの精神)
興奮も夜の海風によってだいぶ冷却され、入れ替わりに眠気がやってきたので客室に戻ると以前妻子たちはぐっすりであったので、社畜の鎖、社用携帯を充電機に繋いだ後、二つのベッドの間に腰かけてゆっくりとした船の揺れに眠気のリズムを合わせた。
静寂は娘の泣き声にて破られた。時計を見ると時刻は4時過ぎ。イクサを控えている妻にはまだまだ眠っていてもらいたい時間だ。娘お世話セット(おむつなどが入っている。当時、どころか今年の半ばごろまで長女がオムツユーザーだったという事実に改めて驚かされる)を持って再び客室を出る。トイレにてリフレッシュした娘はすっかりお目目ぱっちりという感じで客室に戻れば安眠の破壊者となることは自明であった。

昨夜買ってもらったさんふらわあぬいを満足げにさんふらわあの壁という壁に走らせながら、娘はずんずん進んでいく。このままでは娘の暴走が止まらない!くそっ、24時間使用可能なキッズスペースがさんふらわあにあれば……!

ありました。ありがとうさんふらわあ。ショートアニメ集が流れ、すべり台も完備された楽園で娘は二時間近く散々遊び倒し、我々は共に日の出を眺めたのであった。


少しして妻も起きたようだったので朝食バイキングの券を購入する列にそのまま並び、優雅な朝食タイムとなった。さんふらわあロゴのさつまあげがキュートである。またカレーがね、うまいんです。


降り際、「キャプテン・ムスメシ」になってご満悦の娘であった。

食事から下船までの間、ベッドに横になって体力をチャージする。なにしろこれから娘と筆者のメインイベントが幕を開けるのである。
読者諸賢であれば今回の妻の戦の地でありさんふらわあの寄港地、南港周りが大阪の中心地から離れているということはご記憶であろう。そうなのだ――幼い娘と不案内の筆者がうろつくには大阪は広く、場合によっては筆者自身は自業自得ではあるけれども娘まで思わぬトラブルに巻き込んでしまう可能性がある。
とはいえ……フェリー到着地からあまり動かず親子で楽しめてある程度時間の調節ができて万が一悪天候の場合も楽しめるなんて都合のいい場所があるわけが……。


海遊館だーーーっ
実は大阪行きを決めたときからフォロワーにして友人にしてその辺の親戚よりも親戚なでごへなご夫妻に相談をしていたのだった。でごさんはノータイムで「それなら海遊館でしょうな」とおっしゃった。しかも海遊館ビギナーの我々に付き合ってくださるという。オンラインチケットの存在も教えてくれ、我々は年度末最後の日曜日、長蛇の当日券列をすり抜けてスムーズに入場ができた。続けて「すたんぷノート」もゲット。ぺったん大好き娘は大張り切りだ。

早速スタンプコーナーを見つけて娘のノートを手際よく広げてあげるでごさん。他のご家族への誘導も完璧だ。職員の方?
慣れた様子でスイスイ向かわれるでごさんに導かれるとちょうどよくペンギンの餌やりが始まるところであった。順番に展示を見ていてはとても間に合うまい。娘もほぼかぶりつきでペンギンを見られて嬉しそうだ。


そこでテンションが上がりきったのか、緩やかに下っている海遊館を爆走する娘。大きな魚たちはそれに焦る筆者を落ち着かせるように悠然と泳いでいた。




マンボウの顔って正面から見ると意外と怖い。

ようやく娘が立ち止まったところは命の螺旋が感じられるダイナミックな水槽で、圧倒されているようだった。筆者も息を呑む。

かと思えば箱庭のような小さく可憐にまとまった水槽もあり、緩急のつき方が楽しい。

カメラロールを見返していたらやたらビシッとカニの写真が撮れていたのだが何を思って撮ったのか全く記憶にない。

マダコの水槽の前では「かくれんぼしてる♥」とご機嫌だった。

隅っこに固まっていたやつら。でかいサメの悪口とか言ってるのかもしれない。

魚たちの保護もあり照明が控えめな海遊館。ちょっと死角にはすぐさまざまなカップルがいちゃついていたりしてビックリしたりするのだが、突如娘がそのあたりに座り込んでこてんと寝てしまったのはよりビックリした。確かに朝が早いからいつもの活動時間に当てはめるとお昼寝の時間ではあるが、こんなに電池が切れたように寝るのは久しぶりだ。
娘が駆け下りていって飛ばした展示を抱っこしながら見たりする。お土産コーナーにさしかかるとパチっと目が覚めるのはさすがというかなんというか。
ぬいぐるみとか欲しがるかな、と思ったら磁石で積み上げていくおもちゃを延々と遊んでいた。確かに家でも積み木遊びが好きではあるがこんなにハマるなんて⋯⋯と思っていたら紙包みを持ってくるでごさん。なんとお買い上げいただいていた!聖人?

海遊館の写真は娘をメインにして撮った物が多く、ブログには使いづらかったのだが今回これに合わせてでごさんが当時の写真をたくさん共有してくださって大変助かった。娘とのツーショットもたくさん撮ってくださった。

娘も完全にでごさんに懐いており、時折親子の時間に筆者がカメラマンとして付き添っているのでは? と思うことさえあった。それだけに別れ時はぐずってしまって一騒動だったが⋯⋯今でも「お兄ちゃんと水族館に行った!」と折にふれ嬉しそうに語るのだった。


一方で海遊館というバカでか傑作コンテンツの前では人は基本それを下敷きに話をしてしまい、それでフツーに間が持つので折角でごさんにお時間作って頂いたのに海遊館の話ばっかりしたりさせたりしてしまって申し訳なかったなと思った。我々はもっと月島蛍がバレーにはまった瞬間とか、そういう話をしないといけなかったかもしれない。ぜひ今度は逆ルートで鹿児島においでください。というか明日もブロクリ参加ありがとうございます。
そんなでごさんに導かれさらに迷いそうな大阪駅をすすっと突破し、戦を終えた妻と合流できたのだった。でごさんからは別れ際、さらなる有用情報「伊丹空港にりくろーおじさんのお店がある」を教えていただいたのだが、遅い便だったため売り切れていたのは残念だった。チーズケーキ好きとしては次回こそぜひ食べたい。

船旅とは真反対、飛行機に乗り込むと音の速さで日常が近づいてきているのを感じた。「今日はさすがに疲れたから、明日ブログを書こう」と思っている筆者はまさかそこから1年半以上間が空くは想像だにしていないのだった。
今年もログさんのやさしさに甘えて書かせていただきます。いつもありがとうございます。早速満員御礼ということで、重ねてお祝い申し上げます。
何回か書いたことがあるけれど、もはやよくわからない色んな絵の具を混ぜた後の暗色みたいなSNSになってきている自称Xに登録したきっかけはアイマス、というかニコマスだった。元々戦国武将だったり昭和の自民党の派閥のような群像劇が好きで、また特に初期アイマスの曲はどんな曲でもどこかにサウダーデが感じられて、急速に親しむようになり、バイトの給料でXBOX360を買い、アイドルマスターSPも予約した。
コンテンツの勢いすさまじく、様々な創作もあり、それを少しでも早く知りたい、その過程や裏側も知りたい、という思いでやはり急速に成長していたTwitterに登録し、関連する人々を続々フォローしていった。そこにもまた、1つの群像劇があり、アイマスの動きがあったときにそれに合わせた様々な創作や語りがTLを彩る光景が楽しかった。時々「担当」への思いの強さでぶつかることもあるけれど、みんなまとめてアイドルマスター。そういう感じでずっといくのだと思っていた。
そこに、アイドルマスター2が発表され、様々な言説が飛び交い、多くの人や作品が失われてしまった。筆者も就活に差し掛かったこともあり、コンテンツへのエネルギーは失速してしまった。アニメも同様であった。TLでは「デレマス」の比重が高まっているようだった。
社会人になって発売された「アイドルマスターオールフォーワン」はやさしい世界のゲームだった。13人のアイドル達による、永遠の箱庭。
ある種の到達点をそこに見て、筆者はプロデューサーとしての自分をその楽園に置いていくことにした。
2015年のことである。
2025年、9月とは思えぬ熱帯夜に相変わらず冷房をつけていた夜のこと、あるツイートが回ってきた。
||◤ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄◥||
— 学園アイドルマスター【公式】 (@gkmas_official) 2025年9月21日
#雨夜燕実装決定
||◣_________◢||
本日9/21(日) 22時より
初報PVをプレミア公開いたします。
🗓️9/21(日) 22:00~(予定)https://t.co/VT7DDmltlh#学マス pic.twitter.com/YMFZkkE6pu
牙狼みたいな字体で実装が決定された雨夜燕さんこそは周囲に「実装されたら観念して学マスを始めますよ~」と筆者が軽口を叩いていたアイドルであった。
ゲームをプレイすることはなくなってもこの10年アイマスは筆者にとって敬愛するコンテンツであり続けたし、TLには自然に情報が流れてきてなんとなーく人物を把握している感じだったのである。
「学園アイドルマスター」も発表時には今更レッドオーシャンのスクールアイドルを⁉と思っていたが蓋を開けてみたら好評のようだ……ということは聞いていたし、私淑している結騎了さんの記事で凄いメンツを集めてきたなア、と感嘆したり、多様な二次元アイドルカルチャー造詣が深くこのアイカレではキンプリのオタクとしてその筆が冴え渡るであろうツ…伝書鳩Pの記事を読むにつけ、いつかは触れなくてはならないコンテンツだと感じてはいた。
とうとうきたな、この時が。腹をくくって始めることにした。10年ぶりに筆者は「アイドルマスター」を冠するゲームをプレイするに至ったのである。(本当はポプマスも遊ぶ気満々だったのだが。今からでも復活しないかな……)
いまそんなポケモンみたいな感じでやっていくのか? pic.twitter.com/6buqH71PMT
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年9月22日
強気の大容量ダウンロード&インストールを乗り切るとかわいい声での「学園アイドルマスター♡」これが外でなくてよかった……。確かに音楽を扱うゲームでもあるし、とヘッドホンを装着してゲームを続ける。今のアイマスは最初に3人のうち誰かを選ぶポケモンスタイルなのか……。
筆者はなんかTLでぬいぐるみをよく見る月村手毬さんにした。3人の中で一番声が落ち着いていそうだというところもある。正直なところ雨夜さんプロデュースまでの「腰かけ」みたいな感じで悪いがプロデュースさせてもらうか……。
学マスのゲーム的側面はしばしばスレイザスパイアに例えられる。簡単に言えば選んだアイドルと共に規定のターンイベントで手札を手に入れたり強化したりしながら、節目ではそのカードを使ってポイントを稼いでトップを狙う。
これにアイマス伝統のViDaVo(ビジュアル・ダンス・ボーカル)のステータスの要素や体力が加わり、サポートカードやアイテムによって、不確実さを減らし、有利を積み上げていく。よく出来ている、と思う。
ただしこれまた伝統、アイドルの個々の実力だけでなく、それと独立してプロデューサーのレベルがあり、それが高いほど効果の高いカード、アイテムが獲得できるのでいくら「ゲームがうまい」と言ってもすぐに担当をトップアイドルにできるわけではない。また、このプロデューサーレベルはゲーム内の実績達成によって上昇するため、「生涯一担当」としてひたすら一人をプロデュースし続けるよりは、まんべんなくプロデュースしたほうが担当を躍進させる近道になりやすい。
負けたことがあるということが
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年9月22日
いつか大きな財産になる pic.twitter.com/PmRtfXeS9w
というわけで堕ちたエリートと初めて挑んだオーディションは負け負けの負け。これはシステムのせいで我々は全力を尽くしました……そうですよね月村さん?
チュートリアルが終わり、いよいよ本格的なプロデュースとなるとSSRアイドルが1人入手できる。残念ながら雨夜さんはまだ実装されていない。
選んだアイドルのパフォーマンス動画とオリジナル曲が選択している間流れるようだ。
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年9月22日
どれくらい「Luna say maybe」のサビをループしただろう。すっかり撃ち抜かれた筆者は彼女の手に取り、再び月村手毬さんのプロデュースが始まった。あの歌という財産を、自らのプロデュースで彼女にプレゼントしたいと思った。
さて、学マスはスレイザスパイアのようであるが、スレイザスパイアではない。それは哲学的な話ではなく、学マスは「アイドルマスター」だからなのである。もう一つの重要な指標、「親愛度」が上昇することによってアイドル達はプレイヤーことプロデューサーにより深くその悩み、目標、弱みを開示してくれて、一層プロデュースに熱が入るのだ。それだけではなく、ライバルたちとの対決時にはバフをかけてくれるので上げない手はない。
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年9月22日
話がそれた。月村さん一回目の本プロデュースはぎりぎり合格という苦い結果だった。この場合、「Luna say maybe」はパフォーマンスしてもらうことができないらしい。まばらな人の中「初」を歌う月村さんは体力の配分を間違えたのか苦しそうで早々に退場してしまった。
それまでに至るプロデュース過程で筆者は月村さんを見なおしていた。暗い過去を持つ高慢なディーバ――ではなく歌が上手い以外はうちの4才児を見ているようだったからである。すいません、間違えました。うちの4才児が3才児だったころを見ているようでした。歌うのが好き。褒めてもらうのが好き。おいしいものが好き。我慢は嫌いだけど頑張るけどやっぱり無理なこともある。素直じゃない、自分の考えをちゃんと言葉にすることが出来ない天邪鬼で、論理と行動が常人には計り知れず、こいつホンマ……。と脳内で幾度となく思うことがありながらも、結局のところいきものとしてべらぼうにかわいい。
それを自らのタップで紐解いていく過程は携帯機ながらアイマスの醍醐味であると思ったし、たとえ同じ物語だとしても実況で見るものとはきっと感じ方が違うだろう。今、ゲームをしている。いや、プロデュースを行っているのだ。この感じは、何かに似ているような気がする。
2週目以降は既存のイベントはスキップも出来るので周回が早くなる。代替30分もあればできるだろうか? その日は続けてやったが残念ながら結果は振るわず。久々にゲームのテキストをしっかり読んだからかドッと疲れが来て、最後にあさり先生の恩恵、無料ガシャを回して寝ることにした。
なにか「意思」を感じますね pic.twitter.com/68adWDNGXs
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年9月22日
なにやら月村さんからの「圧」を感じた気がしないでもない結果だった。
何回目かの試行でトップアイドルになった月村さんがスクリーンに移り、そうならなかった他周回の月村B~Fさんがぬいぐるみに変えられる夢を見た。翌日はそのせいか月村さんをプロデュースする気分になれず、他のアイドルをプロデュースしてみることにした。
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年9月23日
ら、あっさり1位通過してしまった……。いやあ、真Pとしては有村さんも非常に心動かされるアイドルなんですよね……。
もしかして……月村さんて扱いにくいのか……?
いや…我が軍にはもう1人月村さんがいる……!
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年9月26日
この「アイヴイ」月村さんがイベントにハマり、1位を獲得した。アイドルにはそれぞれ属性のようなものがあり、それが開催しているイベントにハマるとボーナスがあったりするのである。今までの月村さんは「センス」、今回の月村さんは「ロジック」だった。つ、月村さんがロジック……! というのはおいておいて、やはり担当が1位の栄光を手にするのは嬉しいものである。
最終試験で1位を取るとAランクEDを迎えることができ、内容も大団円、いい最終回だった……。まだ先がある。アイドルごとに個別に設定された目標を達成した上で、辿り着けるTrueED、そして同条件+αが必要な親愛度10イベントである。
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年10月6日
満月に導かれるようにして、「アイヴイ」月村さんのTrueEDを達成した。その景色で分かった。以前プロデュース周回を重ねていた時も感じていたこの感覚の正体が。
これは「現場」なのだ。
相手が二次元だとか三次元だとかそういうことではなく――(学マスは3Dモデルですけど? ということでももちろんなく)自分の持てるすべてで懸命に人々に応えようとしてくれるアイドルのいる空間、奇跡も、魔法もある場所。
そして何より、真実(true)のある場所。
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年10月18日
その心理に気づけたことがよかったのか、ほどなくして親愛度10の条件であるA+も成し遂げることが出来た。あえて無理やり分けるとすれば、TrueEDはアイドル・月村手毬としての一区切りであり、親愛度10は人間・月村手毬としての一区切りであると感じた。
そして改めて思った。
あの景色を、「Luna Say Maybe」で観たい。
LSM現場最前、行きたすぎる。
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年10月20日
その景色に辿り着くことが出来たのは、プロデュースを始めて約1カ月のことだった。牛乳でも補いきれないくらい五角形のうちVoがとんがりまくっている月村手毬という人間に初回でこんなビタッとハメてくる曲、それをあっさり歌いこなす歌唱、恐ろしすぎる。
上記に公式動画を貼っておくが、やはり自分のスマホで見た「現場」とは違うと感じる。画質? 音質? データ自体は同じ? そうじゃない、そういうことじゃないんだ。
今までもこれからも何度でも繰り返しプレイする学マス、月村手毬シナリオ。何度も聴くだろう「Luna Say Maybe」。
それでもあの時、序盤でダンスのSPレッスンで失敗してしかも体力減らして伸び悩んだけどウーロン茶がぶ飲みして追い込みレッスンをやりきって最終的にははつほちゃんの加護も受けて一気にライバルを引き離した、そして筆者のスマホの中で全力のその先まで出し切った、3秒前バックステージ、震える背中を預けてくれた月村手毬はただ一人で、あの「現場」は唯一無二のものだったのだ。
ところで月村さん、最後に一つ謝っておきたいことがあるんですが、
「ド失態気づきもしないまま」じゃなくて、「ずっと走った息継ぎもしないまま」
だったんですね……。
こいつホンマ…of the year pic.twitter.com/uM1TbDwbT5
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年10月20日
ありがとうございます!
学マスに興味を持たれた方は、実際にはこれがどういう文脈で発されたセリフかどうか確認するだけでもいいのでどうぞプレイしてみてください。
井の中の蛙、初星学園の中のチワワであったことを「わからせ」られてしまった⋯⋯ pic.twitter.com/ryTosKLwzz
— 木本 仮名太 (@kimotokanata) 2025年11月30日
筆者は現在、いわば第二部のようなところで洗礼を受けているところである。再び大箱で躍動する月村さんを見るために、そしてコツコツと貯めた石で無事お迎えできた雨夜さんの活躍を見るために、これからもちまちまやっていきたい。その間にまた、思わぬアイドルの思わぬ魅力を発見するだろうことが、一番楽しみかもしれない。

それでは機会があれば初星学園でお会いしましょう。
明日の記事は鬼・武の里さんです! シャインポストというと気になってたけどSwitch2専用だから涙を呑んだあのゲーム……? 聞いたことはあるけど詳しく知らないので、明日知見を深められそうで楽しみです!
今週のお題「ストックしているもの」
ということで下書きをストックしている皆様、こんばんは。12月になりました。この記事は下書きとして眠っている記事を片付けてスッキリしてクリスマス、そして新年を迎えようという「ブログクリーンアップアドベントカレンダー2025」の1日目の記事です。今からご紹介する記事は昨年の3/30からの旅行の話で、新学期に飲み込まれるうちにいつの間にか一年半以上過ぎてしまいました。そう、去年のブロクリをすり抜けた記事だったのです。
ちなみに娘が初めて水族館に行ったときの記事はこちら。これは短いながらも当日に上梓できていたのに、どうして……。
寝かせていた間の一番の変化としては2人目の娘が誕生し、「娘」というだけでは不親切になった、ということですね。ということで、以下の「娘」とは全て長女のことを指します。
では、レッツ! ブロクリ!(流行らない掛け声)
明日は遠出である。わくわく。他人様の運転に委ねる形になるわけだが、ほぼ毎日自家用車を運転している人間となってから、「他人の運転」の時の有難さ、リラックスぶりが半端ではない。道中ちょっとウトっときても=死ではない、というだけで大分心持ちが違う。もちろん運転手氏にはBIGKANSYAをせねばならない。(R6.7/17追記:結局遠出をすませてから投稿することになった)(R7.12/1追記更に一年以上寝かせてしまった)
そんな遠出を実は少し前にもしていて、書きたいな~と思いつつも娘の入園による生活サイクルの変化からの怒涛3カ月あまりがあり、そのままになってしまった。筆者の脆弱な記憶領域にある「遠出」フォルダが上書き保存される前に、いい加減外部に出力せねばなるまいと思い、そのようにする。3月末のこと、我々親子は一路大阪を目指したのであった。船で。
年が明けて月半ばになろうとするころ、さすがに正月ボケでもいられないとき、妻は3月末にある大阪の「イクサ」に出かけたいと筆者に相談を持ち掛けた。「イクサ」は大阪インテックスにて開催される催しであり、有識者が多数集う読者諸賢においてはあえてこれ以上の説明は必要なかろう。娘出生以降も定期的に各地の「イクサ」に出陣していた妻であるが、4月以降は妻と筆者の他、娘の幼稚園関連行事というタイムラインも立ち現われる。幼稚園の行事は土日に催されることも多く、今まで以上にスケジュールの確保と出陣は困難になるだろう。つまりその心配がない3月末に場合によっては一旦の締めという気持ちも含め、おおいにはっちゃけてきたらよい。いつものように二もなく送り出そうとした筆者であったが、妻は続けた。今回は土日開催であるから、娘や筆者も一緒に大阪に行ってみてはどうか? と。
無論、イクサは海千山千の古強者が集う場であり、筆者などその開催地の案内標識を見るだけで肝をつぶし敗走することであろう。妻としては自分が大阪で参戦している間、娘と夫を大都会鹿児島に放置するのは忍びなく、せっかくだから大阪で日頃なかなか取れない父子のコミュニケーションをとってはどうか…という気持ちがあったのだろう。その有難さ、また関西圏のTwitter(自称X)でお世話になっている方々が浮かび、あわよくばご挨拶できるかもしれないという気持ちでそうすることにした。
あっという間にてきぱきと旅程が組まれていった。これが百戦錬磨の力強さである。鹿児島・大阪間の移動手段としては現実的なものとして飛行機、新幹線、フェリーがある。確か3歳未満は大抵の公共交通機関が無料だったはず……と思ったらLCCは2歳からばっちり料金が発生し、またコロナも5類分類となり、年度末、土曜日、となるとこのタイミングであってもホテルは立派な値段で、4月から保育料諸々で月5万弱の新たな固定費が生まれる我々としては涙を呑んで1泊を諦めることにした。土曜の夜会食をし、「初めてお会いしたとは思えない感じでリラックスしてお話しできました!(アイコンで顔を伏せた集合写真)」みたいなのをツイートする夢はここに脆くも崩れ去った。すまん、筆者の稼ぎが悪いばかりに……。
新幹線・飛行機の懸念点はそれだけではない。空港、駅から大阪インテックスはそれなりの距離がある。土曜大阪に到着し、周辺で過ごし、宿泊する。翌朝のイクサに向けて一分一秒も惜しいのに移動時間を奪われるのは妻も本意ではないだろう。
移動コストが節約できて宿泊コストも省略できる……そんな交通手段があれば……。
あったのである。それがフェリー・さんふらわあ号だ。志布志港から夕方出発するさんふらわあ号は大阪へ夜間航行、我々はスヤスヤのうちに大阪港に到着、そして最寄りには大阪インテックスがあるのである。まさに我々のためにある移動手段とも言えた。片道3人36,000円は決して安い金額ではないが、鹿児島中央・新大阪間の大人2人分新幹線片道料金とほぼ変わらない。これで優雅な船旅とフカフカベッドまでついてくるのである。さんふらわあ号大勝利! 希望の未来へレディ・ゴー!
が、わが愛する鹿児島県は広大なる敷地面積を誇り我々を暖かく包み込んでいることを忘れてはならない。往復の場合、志布志港に戻ってくるのは4/1の朝。そして同じ鹿児島と言っても志布志港から筆者の勤務先までは80kmあり、いかなる手段をもってしても勤務開始には間に合わない。他の日であれば午前半休を取得しても良かったのだが、4/1は年度初めで諸々立て込んでおり、不在は難しい。往復さんふらわあは無理筋であるように思えた。
優先すべきはそもそもの主目的である妻のイクサが無事かつ出来るだけよりよく遂行できることであり、次に娘への負担があまりかからないことである。そう考えた時、復路は飛行機にしよう、と思った。早割の割引幅が新幹線より大きく、乗っている時間が短いので密室内で娘がむずかる可能性もそれだけ下がるからだ。
しかしそうなると、第二の問題が生じる。どうやって志布志駅に行き、どうやって鹿児島空港まで帰るかである。
以下は当時妻に共有したLINEを一部改変したもの。
①10時半位に余裕をもって自宅発→(40分くらい)車で空港へ、車を停める→志布志直行バス(110分)→15時ごろから乗船まで志布志で過ごす
メリット:移動距離が少なくて済む、自家用車とバスのみでOK、帰りも安心
デメリット:バスは2時間近く乗り続けるが休憩なし、予約できないので出たとこ勝負
②空港までは①と同様、空港から鹿児島中央駅行きのバスへ(40分くらい)→中央駅周辺で過ごした後さんふらわあライナーに乗車(2時間くらい)
メリット:志布志への乗車時間は同じくらいだが確実にトイレ休憩がある、時間をつぶすことが出来る、確実に席がある
デメリット:娘を2回公共機関に乗せることになる、志布志への到着時間は遅くなる、移動距離が長い
③親子3人最寄駅から中央駅へ、その後ライナーに乗る。
メリット:移動回数が減る、ゆっくり目に行動できる。
デメリット:帰りがタクシーになる(駐車場代を考えればそこまで高くないかも?)
④最寄駅から志布志駅に行く
メリット:1回の移動で済む
デメリット:5時間かかる アホか
結論としては③になった。移動回数が少なく、時間にゆとりがある……子連れにとってこれほどありがたいことはない。また、大阪での体験が濃密であるほど日常への回帰の瞬間にドッと疲れが湧き出す可能性があるが、運転時にそれが生まれることは死に直結する。そういう意味で今回は最後までプロに移動をお任せすることにした。また、これなら日曜日の道中で不意に飲酒が発生しても安心、ということもある。それから約2ヶ月、日々様々なことがあっても「まあ、3月末に大阪行くしな」で乗り切ることが出来た。
当日。子連れの雨の日の外出は難易度が跳ね上がるが、快晴であった。天に感謝しつつ最寄駅から鹿児島中央駅へ。昼食はサブウェイにした。この2日間で列車・バス・フェリー・飛行機、そして地下鉄を制覇するという訳だ。やかましいわ。鹿児島中央駅と志布志港を繋ぐ高速バスはなんと無料で事前予約制なので運悪く満席……ということもないのだが、座席指定ではないので少し早めに並ぶ。娘は鹿児島市を出るかどうか、というタイミングで心地よい振動に誘われたのか眠りについた。つまり…今宵はチャージ完了で大フィーバーという伏線が立ったわけである。我々夫婦はというと鹿児島県民ならだれもが歌える志布志大黒活き作りでおなじみ志布志大黒ホテルの横を通って興奮したり明日への「仕込み」などするうちに港に到着した。妻が手際よく乗船手続きを進め、筆者は優雅な午睡中にバスから降ろされゴキゲン斜めな娘に苦闘した。存外、到着から乗船可能までの時間が長く、また周囲にこれといったものもなく、娘と共に志布志の観光パンフレットを読んだりして時間をつぶした。しぶししし丸くんがかわいい。(LINEスタンプもある。あのナガノ先生が生みの親である)娘がお土産屋さんのお菓子を見とがめ烈火のごとく欲しがるが、夕食前なので買ってやるわけにもいかず難儀する。
スマホで動画でも見せて気を引こうにも充電も不安だ……。というところで待合所に懐かしき緑の公衆電話を発見、実家にかけてみると母が出たので出発までのしばしの間、二百円で娘はばあばとたっぷり話し、だいぶ気持ちが落ち着いたのだった。

いよいよ乗船の時が来た。視界いっぱいに広がるフェリーの大きさに驚かされる。志布志市志布志町志布志も誇らしげである。娘も「ふね♪」と機嫌を取り戻した。


人の流れに乗り、送り込まれていく我々はさながら鋼鉄の巨人の血液のようだ。到着した部屋は秘密基地のようで、ふかふかの布団に寝転がればそのまま到着までぐっすり眠れることだろう。絶対にみんなが参考にしたいだろう客室の写真は夫婦ともにカメラロールに残っておらず、その後の行動にどれだけ「真剣(マジ)」だったかがうかがい知れる。
その後の行動――。
母なる海に我々が浮かぶときに何に留意すべきか。食である。客室のベッドのフカフカぶりを堪能したり甲板でジャックとローズごっこをしたり大浴場で沈みゆく夕日をバックに今日一日の汗を流したりお土産屋さんで寄港先の友人への贈り物を逡巡したり……している時に! 何かあったら! 我々は腹ペコで救助を待たねばならないのである。そういった一切の欲望を封印して食欲だけを研ぎ澄まし、我々三人は三十分、食堂が開くまで並び続けた。食堂はビュッフェ形式である。(別途料金がかかる)

フルーツ大好き娘が歓喜の声を上げたゾーン。

そのおいしさたるや、三十分並んだ程度で食べられるなら毎週食べるから陸に引っ越してきてほしいレベルであった。妻は刺身をサクサクと食べ、娘は今日ばかりは無礼講と沢山盛ったフルーツにうっとりとする。筆者は自ら作り上げた皿の茶色さに惚れ惚れとしていた。そして久しぶりのアルコールを一杯。ああ、運転の責務から今、筆者は解き放たれたのだ。

折角なのであきらめの悪い男に離れ行く陸地を見せたりした。湘南とは違うだろう。

満腹の向こう側を見た我々は腹ごなしの運動として甲板へ向かった。もはや陸地ははるか遠くに見え陽も落ちようとしていた。大きな波しぶきが力強い。反対側を見るとすごく「ロード画面」っぽい風景が広がっていた。通じるだろうか、この感覚。
夜に星座ガイドがあるということで、一度戻って大浴場に向かう。こういう時、子と同性でないと妻に負担が生まれてしまうので申し訳ないところだし、風呂好きの筆者としては親子で温泉など巡れないのがさみしいところである(家族湯に行ったりするが)。おひとりさまの身分でだらだら入っていても申し訳ないとさかさかと出る。浴場はガラス面も多くあり、日中であれば大パノラマの絶景なのだろうが、既に電源を落とした液晶テレビのような闇が見つめ返すのみであった。
着替えて星座ガイド。甲板のライトを消したときに広がる文字通りの満天の星空の美しさときたら! この日に備えてスマホを機種変したのだが、それでもなおあの感動を伝えることは難しい。何かしらの大三角を捉えたような気がするのだが完全に忘れてしまった、この光景をもう一度見るためだけにまた船に乗りたいと思えるくらい、筆者の中で大きな感動だった。大都会鹿児島は首都圏に比べれば星が見える方だと思うが、明らかにレベルが違った。
程よく火照りも冷め、あとは客室でふかふかすやすや起きたら大阪……ってワケ。妻と娘の後に歯磨きその他を洗面所で済ませ、さてスヤリ……。
二つのベッドは愛する妻子により決定的なまでに占領されており、その天使の寝顔たちを蹂躙する気にはなれず筆者はロビーに出た。見れば、何人かベンチでうたたねしている人々が……。いずれも筆者のようなおっさんたちであり、もしかしたら経緯も同じであるかもしれない。

感動したのはうろつく中で見つけた自販機の値段である。いくらでも暴利をむさぼれそうなところを陸と同じ価格であることに敬服する次第であった。

再び甲板に出るとムーン・リバーが出向かえてくれた。折角だから……とYoutubeMusicをを立ち上げようとして、圏外であることを思い出す。
思い出しついでに位置ゲーも立ち上げてみる。

そりゃそうだろという話なのだが海上を闊歩しており、甲板で一人むせてしまった。その反動で手すりを踏み越えてしまっていたら世にも奇妙な事件の登場人物になってしまうところだった。わが妻マリーが……。
と、ここまでここまで頑張ったところで記事の時間内では日が替わろうとしており、現実世界は令和七年十二月一日午後十時過ぎ。展開としては水族館どころか接岸もしていないのに五千字を超えてしまい、てっぺんも超えてしまいそうである。果たしてどうしたものか。
かつて哲学者デカルトは言った。「困難は分割せよ」と。デカルトが魔術列車殺人事件の愛読者だった可能性もあるが、それは一旦忘れてこの言葉を考えたとき、こう解釈することもできよう。
「長くなりそうな記事を無理に仕上げるよりは切りのいいところで分割して記事にすれば良い」
と。
このアドベントカレンダーの主眼は参加者の皆さんの心の重荷を下ろすことであり、アドカレに合わせて無理やり作品を上梓することでさらなる心の重荷を背負い込ませることではない、ということを主催のみから初日で提示させていただきたい。未完成ではない。筆写はようやく登り始めたばかりだからな この果てしなく遠いブロクリ坂をよ……。
では、来週の「既定」こと「『娘氏、水族館へ行く・ふたたび』ふたたび」にてお会いしましょう。
明日はアドカレの救世主、ツナ缶食べたい兄がこのような初回から邪道のアドカレにありながら王道を行く更新にてブロガーとしての「格」の違いを見せつけてくれることでしょう。筆者のことは呆れても、ブロクリのことは諦めないでください。
ハードルを下げきったところで、引き続きご参加お待ちしております。

今年も今年のブログ、今年のうちに。
去年も一昨年ももっと前からでも、ブログの下書きフォルダに、メモ帳に、頭の中に眠っているブログ記事を完成させませんか。
昨年は沢山のご参加ありがとうございました。
私はあなたの記事に興味があります。読みたいです。いつであっても。
「今更、誰も読まない、興味もない」
なんてさびしいことは言わずに、どうぞその構想を世に放ってください、
いつも途中で挫けてしまう?
期間中Twitter(自称X)上では主催は #ブロクリ2025 のハッシュタグにて参加者の皆さんを応援します。あなたはひとりじゃない。書きましょう。
そして私に読ませてください。
ささやかなながら、感想もお書きします。
【基本的な流れ】
下記から「ADVENTAR」にログインしてください。(無料)
ブログ記事を上梓する予定日に登録してください。
内容を仄めかして読者を興奮させるのもいいですし、
登録して読者に推測させるのも一つのテクニックです。
記事のどこかに「ブログクリーンアップ〇日目の記事です」というニュアンスを、
明示または暗示してください。サブリミナルはやめてください。
無事記事が書きあがったら(すごすぎ)URLを登録してください。
#ブロクリ2025 をつけてTwitterに投稿してもらうと読みやすくて助かります。
年が明けても登録が無かったらお声がけすることがあるかもしれません。
それでは、今年も沢山のブログを読めることを楽しみにしております。
聞き慣れた案内音声が流れる。
すぐに誰かが降車ボタンを押す。
あらかじめ握っていた80円は少し温かくなっている。
市電が停留所に停まり、多くの人が降りるのについていく。
信号を渡るとまず右手に目にする本屋さん、もう一つの通りとクロスする場所には同じくらいの距離でまた2つの本屋さん。それらの誘惑を振り切って、習い事の教室がある雑居ビルに向かう。
今はその3軒の本屋さんも、習い事の教室もない。
それでも筆者にとって天文館は、小学校1年生から3年生まで習い事で通った思い出深い場所で、それ以降もそれ以前も鹿児島の中心地として、親、兄弟、友人、妻子と幾度となく訪れるところでもある。
その天文館が映画化されるという。しかも、主演は今をときめくタイムレスの寺西拓人さんだ。
タイプロという現象が巻き起こってはや1年以上が過ぎた。筆者は本当に芸能界に疎く、その筆者でも知っているグループがそんなに苦悩しているとは思わなかったし、公開オーディションという形に踏み切るとは尚更思わなかった。「俳優部」という概念も知らなかった。ただ、「帝劇」というものの重さというのはそれでも伝わってきたし、一度アイドルという夢を諦め、俳優として成功を収めながらも再び茨の道だとわかっていても挑む彼に心惹かれた。
オーディションの応募年齢上限は30歳(このため筆者は残念ながら応募ができなかった/冗談ですよ)。そして彼はそのスレスレだった(放送中に30歳を迎える)。
たまさか前回のアイドルプリキュア記事とも呼応する形となるが、日本では女性のアイドルはなんとなくの形で「定年」の壁を感じるところがやはりあるのに比べ、男性アイドルはいくつになってもアイドルである、という非対称をしばしば感じることがある。例えば奇遇にも同時期に公開の「TOKYOタクシー」で主演を務めている木村拓哉さんはマルチな才能を有しながらも、やはり自他ともにアイドルだと考えているだろう。とはいえ、若いうちにデビューして30歳を迎えることと、30歳でデビューするのはまた話が違うだろう。昔取った杵柄といっても臼のほうがどうなっているかわからないのに。
全く杞憂だった。寺西拓人さんのタイプロ内でのパフォーマンスさは画面越しに見ても凄まじく、年齢を重ねたからこそ出せる色気、年齢を重ねても失われぬ茶目っ気、キャリアがあるからこそのフォロー、キャリアがあるゆえの謙遜など、タイムレスの三人がなぜ彼をその選考まで進めたのかがありありと分かった。
それ故に最終回が近づくにつれ、筆者は日々不安になっていた。
原嘉孝さん。
寺西拓人さんと同じくかつてアイドルを目指し今俳優部に籍を置き、そこで成功している彼の様々がまた、筆者の心を大きく揺さぶった。しかし、そのポジションの似通い方はすなわち新生タイムレスに加入できるのはどちらか一人なのではないかと予感させた。
筆者にとって「タイプロ」のトロは、最終回直前、アカペラの「RUN」である。
「感じているんだろう? 感じてなきゃダメ 痛みに気づかないふりをするな」
それを歌う寺西さん、原さんの表情を切り取ったカメラマンさんはさすがプロである。
二人がそれぞれ自分の気持ちに整理をつけてしまい込んだアイドルという夢、それを思い出すたび感じていた痛みに向き合っている二人の表情は百万の言葉より切実に筆者に刺さった。一層、新メンバー発表の日なんて来なくていいと思っていた。
そして当日、目黒蓮くんのサプライズ登場などもあり原さんなのだろうか……。と思う中、二人とも名前が呼ばれ、筆写はサバ番の悪魔に脳が支配されていた自分を恥じ、自分たちを信じたタイムレスの三人に敬意を表した。その後の彼らの破竹の勢いは筆写が語るべくもないだろう。残念ながら、その躍動と次女の誕生が完全に重なってしまったため、またそのあまりの人気爆発ぶりにすべてを追えていないのが悔しいところなのだが……。
そのタイムレスの寺西拓人さんが映画に初主演されるという。しかも、筆写にとって思い入れ深い天文館を舞台にして。
……無限ループみたいになってしまった。というわけで、筆者にとっては盆と正月が一度に来たような映画であり、しかも鹿児島では全国に先駆けて上映してくれるということで、早速公開週に見に行ったのである。
ということでここから先は「天文館探偵物語」のネタバレがあります。内容を知りたくない人、手放しの絶賛だけを受け取りたい人はここまでにしてください。
続きを読む「映画キミとアイドルプリキュア♪ お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!」を長女と鑑賞して、早ひと月以上が過ぎた。(その後二回目も長女と観ている)
鑑賞直後、間違いなく傑作だと感じたし、とっと感想をしたためてあわよくばたくさんの人に読んで欲しい……(当日中に書けば公開後最初の連休で見た人、見ようと思っている人たちにリーチするのではないかという下心があった)という気持ちがあった。
それなのに結局、今更打鍵している。
いや、それは違う。
今更ではない。「映画キミとアイドルプリキュア♪ お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!」は今もまだ、上映している。そしておそらく、最終コーナーに入ってきている。
この間、本編でも大きな動きがあったし、嬉しいスペースも拝聴した。
今こそが自分が感想を書く時なのだ、と信じて、打鍵していく。
以降、当然のことですが「映画キミとアイドルプリキュア♪ お待たせ!キミに届けるキラッキライブ!」及びTV版キミプリのネタバレが容赦なくあります
ひと月もたてばおよそ感想というものは出尽くしているだろうし、既に提示された玄人諸賢と被る新鮮味の無いものになるかもしれないが、未来の自分へのメモとして記しておく。
予告編の情報と本編開幕10分程度で「ほーん『アマス』と『テラス』で天照大御神ね。ということはこのおっさんが黒幕で逆・天之手力男神(神話で天の岩戸を引き開けた力持ちの神様)みたいな感じでアマス様を閉じ込めてるんだろうな……最終的にマックランダーになったときは「ゴイゴイスー!」って言いながら攻撃してくるんだろうな……読めたわこの映画」とした予想は全く当たらなかった。
インフラ系業務の限界社会人みたいな状態になっていたアマス様はある日アイアイ島にやってきたアイドルを「推し」とすることで日々が充実していたが「推し」の失踪により再び元の……いや、一度眩しすぎる光を浴びたばかりに相対的に一層漆黒の孤独を味わうことになり、その負の気持ちが呼び寄せたのか過去でも未来でもアイアイ島を脅かしている「ヤミクラゲ」に取り込まれて(その瞬間分身としてのテラを生み出しながら)文字通りの闇落ちしてしまう。
反転アンチ(アイドルという「概念」に対して)であり亡霊からの怨霊化といういわゆる「厄介オタク」のフルコースをキメるアマス様に対してプリキュアたちが伝えるのは「出会ったこと」の尊さ。世にいうところの「こんな気持ちになるなら出会わなければよかった」ではなく「君を知らずに生きるよりずっといい」である。
すべてのプリキュア有識者が感嘆したであろう、「複雑ではあるけど、対象年齢とかを考えると、こういう落とし所になってしまうだろうな」という「映画わんぷり」のこむぎの思いさえも一年越しの伏線として回収した手腕は見事であった。先輩プリキュアで言えば、キュアスカイの「ヒーローの出番です!」のタイミングも全くお見事で、完全に高いところに立って「そこまでだ!」というマスクド・ライダー(KAMENRIDERの呼称一生慣れないよ〜)そのものであった。
プリキュアの、そしてアイドル(現場)の力で改心したアマスはその力のすべてを使ってヤミクラゲとそれによって影響を受けた島や島民たちを浄化した。テラはその力を引き継ぐが、回復には千年の孤独を必要とする。ショックを受けるキュアアイドルに、テラは言う。推しのライブがあるとわかっていたら千年なんて一瞬だと……。
これを言うのは筆者で百万人目だろうが、タイトルの「お待たせ!」が恐ろしいほどの重さとなり響き、思わず唸った。そこからのライブはまさに圧巻。
特に先輩を交えての主題歌では、意図したものかどうか、
「伸ばす手と手/触れるフレーズ」で相手との対話・コミュニケーションを大切にしてきたキュアフレンディが、
「憧れ光になる」で子どもの頃の憧れを叶え後輩のピンチを颯爽と救ったキュアスカイが抜かれ、まるで最初からアテ書きであったかのような錯覚を覚えるほどだった。
「撤収です」で締める斬新さに最後まで驚かされながら、大満足で劇場を後にした。
が、一方で少し引っかかる部分もあった。次項に続く。
巷では「昭和のアイドルちゃん」という呼称も見られるが、パンフレットに則して「伝説のアイドル」とここでは呼ぶことにする。
昭和、珊瑚繋がり……ということで「青い珊瑚礁」でおなじみの松田聖子さんを連想した諸賢も多いことだろう。そこに「(実際はアイアイ島に伝わる伝説ということなのだが)伝説のアイドル」という呼び名が加わると、彼女はいかにも「昭和を代表するレジェンド」であるように思える。
そうなのだろうか?
千年前のアイアイ島に突如現れたということは、昭和の世界において彼女は突如消えたということである。
いわゆるレジェンド、大人気アイドルであれば当然大騒ぎになるのだろうが、特にそういう話はない。アイドルに造詣が深そうなキュアキュンキュンなどは思い当たりそうなものだが、そんな描写もない。
つまり、「伝説のアイドル」は元の昭和の世界ではそこまで知名度がなかった可能性が高い。アイアイ島での自己紹介を見るに、キュアアイドルたちと同じ中学生くらいで、デビュー直後(もしかしたら直前)くらいにアイアイ島に流れ着いたのではないか。
ゲ謎と脚本が同じ人とか聞くともしかしてデビューしたけど鳴かず飛ばずで入水……?とかも一瞬よぎってしまったりするが
「伝説のアイドル」の元世界でのアイドル経験の浅さが、アイアイ島の悲劇の一端ではなかったか、と筆者は考える。
本映画のテーマは「推し活の功罪」と言うことができようし、「推しに理想を押し付けてはいけませんよ」という教訓があり、「厄介オタクが成仏できずに暴走すると地獄」という展開なのだが、とは言ってもさ……。という気持ちにもなってしまうのだ。
「ある日突然姿を消す」というのは、あり方としては美しいかもしれない。しかしそれは散る花の美しさだ。相手を尊重しているようで、一番傷つけてしまっている。(日誌にはアマスへの謝罪が書いてあるのかもしれない……。)かつて昭和のアイドルは、「普通の女の子に戻ります」があった。ファンに与える「区切り」があった。この機微を学ばずに異文化で唯一人、「アイドル」をやらなくてはいけなかったことが、歪んだ推し活を生んでしまったのではないか。
今ひとつ歪んだ推し活として、「アイアイ島民とアマス」も挙げられるだろう。
アイアイ島民の推し活、即ち信仰によってアマスは「ヤミクラゲを遠ざける」という加護≒ファンサを与えていたわけだが、いつしかそれは当たり前のようになり、アマスは疲弊していた。彼女もまた、ファンに弱音を吐くことが出来なかったし、ファンはそれを察する事ができなかった。「伝説のアイドル」にケアを代替させていたことにも気づけなかった。
尺的にも対象年齢的にも難しかったのかもしれないが、この辺りの部分でアマスへのフォローがもっと欲しかったかもしれない。
「キミプリ」本編では映画公開後間もないエピソードで1話で登場した力士・くりきゅうたが再登場し、推しがまた誰かの推しであって、キラッキランランの連鎖と言うべき好循環が発生している様が見て取れる。タイミングからすると、スタッフ的にも映画とは違う「正しい推し活のあり方」として提示しているように思われる。
穿った見方をすると「ファンがアイドルを搾取するという推し活の負の側面をゲストキャラに押し付けてきれいな部分を主人公たちがいただく」とならなくもないが、導線としては誠実だと言えるだろう。映画のみ触れている人はプライムビデオでも現在配信されているので(33話)ぜひ見てほしい。
そんなことないよ!!!(クソデカ大声)
すみません、クソデカ大声が出てしまいました。
今作の一番の不満点と言うかそんな〜という点がここで、もちろん定命の者と上位存在の共にいられる時間のことを踏まえての文脈だとわかるんだけど、そんな……そんなことないよ……!(二回目)
キミとアイドルプリキュア♪におけるアイドルの定義とは何だろう?
「歌って踊ってファンサして、自分がキラッキランランすることで、見ている人もキラッキランランにさせる人」?
おばあちゃんになったキュアアイドルたちを観て我々は心キュンキュンしないのだろうか?キラッキランランできないのだろうか?
するだろ……
残念ながら平成グループアイドル文化において、年長のメンバーは「ジジイ」「ババア」と呼ばれ、早く卒業しろと言われたり、所属グループ、事務所によってはまるで「定年」が定まっているかのように一定の年齢で卒業してしまう、ということがよく見られた。
筆者は先年歴代最長在籍・最年長で卒業してそういう面白くもない「いじり」を吹き飛ばしながら平成グループアイドルの酸いも甘いも噛分けながらその鎖を1つずつ自分で引きちぎって卒業していった柏木由紀さんがとても好きである。
↑卒業シングルにして最初で最後の単独センターシングル曲。最後の最後の振りがキャッチフレーズのポーズから来ているのが泣かせてくれる……。
しかし、今は令和であり、この映画を観ている子どもたちはその先のアイドルになる可能性があるみなさんである。
そんな子たちに「アイドルというのは期限が限られているんだ」という風な先入観を筆者としては持って欲しくない。
幸い、令和には「にゅーかわいい」という概念が生まれている。先述したよそで「定年」を迎えたような人たちが再びアイドルになって、しっかりアイドル、倍々のアイドルになっている姿を見ると、不思議と元気が出てくる。
TVシリーズでは是非この「にゅーかわいい」のエッセンスを取り入れて欲しい。それが今、普通にやってて子どもたちの「アイドル」であるプリキュアが「アイドルプリキュア」をやる意義だと、筆者は思うのである。
最終回でアイドルプリキュア解散、泣くし盛り上がるだろうけど、おばあちゃんになっても元気に「Trio Dreams」を仲良くやっていてほしいのである。
約4年半前に上梓されたこの記事については読者諸賢においては当然ご存じのことと思うが、念のため載せておく。
「推し」という言葉は便利だ。矛にも盾にもなる。推しを矛や盾にするな。その通りなのだが、今日もTLでは推しを棍棒にしたりミサイルランチャーにしたり聖なるバリアーミラーフォースにしようとする人々が後を絶たないのだ。
上記記事の中でログさんは生湯葉シホ先生の「フィットしない」という言葉に共感を覚えている。前回記事で取り上げた著作の作者さんがスッと出てくるのが、ブログを続けることの面白さである。ともあれ、筆者もまた共感する。
先生の応援しているアーティストの言葉でいうところの「だって知っている言葉はほんのちょっとで/感じれることはそれよりも多くて/無理やり窮屈な服着せてるみたい」である。
例えばTVシリーズだと元敵幹部がキュアウィンクに向ける矢印は「推し」という言葉で誤魔化されてはいないか? それは健全な気持ちなのか?(そしてその対象がキュアアイドルでないということは、やはりその構造の矛盾があえて主人公に行かないようにしてはいないか?)と思ってしまったりもする。不実なこと、常道に外れたことを「推し」を錦の御旗にして押し通そうとはしていないか? というのはオタクの端くれとして常に自問しておきたいところだ。
推しの鼓動は愛。本来、推しに願うことはウィンクして♡でもハートして♡でもなく健康に生きて自然死して♡であるべきなのだろう。今のところ筆者の人生の中で最大の「推し」といえる妻子を見て思うところである。生まれてきてくれてありがとう。
だからこそ、TVシリーズでキュアアイドルがカイトとの関係性を聞かれた時「推し」ではなくて「特別な人」だと言ってくれたことが、筆者はとても嬉しかった。これもまた、その違いについて掘り下げてくれたら嬉しいな、と思う。
つれづれ書くうちに、5,000字を超えてしまった。まずは残り少ない劇場での上映期間中に、1人でも多くの人に観ていただきたいと願い、いったんこの辺りにする。