(写真:フォトAC)
記事
【子どもの学力6カ国調査】強みだった算数・数学分野で異変?「計算力は高いが、自信がない」日本
(2026.01.05まいどなニュース)
公益財団法人スプリックス教育財団(東京都渋谷区)は、基礎学力に対する意識の現状を把握することを目的に、「基礎学力と学習の意識に関する保護者・子ども国際調査2025」を実施しました。それによると、「計算への自信」および「計算が好きか」の国際比較において、日本の子どもは「好き・自信がある」の平均値が低い一方で、計算テストの結果では、日本の子どもが高い正答率を示したことがわかりました。
調査は、アメリカ、イギリス、フランス、南アフリカ、中国の小学4年生および中学2年生相当の子ども(各学年150人)、日本の小4(300人程度)と中2(100人程度)を対象として、2025年4月~7月の期間に世界5カ国ではインターネットパネル調査で、日本では調査参加校の教室にて実施されました。
(以下略)
評
【学問に王道なし】
《日本の子どもたちは、学業成績は世界トップクラスだが勉強に自信もなければ楽しんでもいない、だから問題だ》
という「まいどなニュース」が扱う、学力の国際比較であるPISAやTIMSSでは「毎度」なニュースである。
そりゃあ学業成績もよければ楽しんでもやる、自信もある、という子どもであればなおさらいい、大人の立場からすれば、ムリに学習させているかもしれないという罪悪感からも自由でいられる、しかしそんなことがあり得るのだろうか?
楽しみながら成績があげられるものなら、同じやり方で世界中の子どもたちがあっという間にトップクラスの成績を取ることになるだろう。それなのに伸び切らない子どもたちがいるというのは、やはり学業というものが、ある程度の苦しみの先にしか成果を生みださないからかもしれない。
「学問に王道なし」とはそういうことだ。
【なぜ日本の子どもたちは「計算力は高いが、自信がない」のか】
日本の中学生が正答率75%という圧倒的な成績を収めながら、好きかどうか、自信があるかどうかという話になると急に数値を落とすのは、求める成績が高すぎるからではないかと私は思う。
本来は100点を取らなくてはならないのに75点しか取れなければ「自信」はなくなるだろうし、どんなに頑張っても75点どまりだとすると楽しくもないだろう、そういうことではないか。
日本の学校では算数や数学の苦手な子には「せめて計算問題だけはできるようにしよう」とか「計算問題だけは確実に得点しておこう」といった言い方をするが、それは算数・数学の中でも計算問題だけは楽で、誰でもできるようになるといった前提があるからだ。その「誰でもできる」はずの計算問題でも成績が低いとなると、自信も持てないし楽しくもないということになる。
では諸外国はどうだろう。
【欧米人は暗算をしない】
アメリカ映画「ペーパー・ムーン」(1973)では主人公の女の子が、買いものを通して詐欺を働く印象的な場面があった。雑貨屋に入った少女は買いたい品物を選ぶと、商店主の前のカウンターに商品と小額紙幣を少し離して置く。それを見た商店主は商品の横に釣銭を、1セント、2セントと数えながら置いていく。やがて(商品+小銭)が少女の出した小額紙幣と同じ額になったところで手を止め、両者((商品+小銭)と紙幣)が同額であることを確認してから、少女が商品と釣銭を、商店主が少額紙幣を受け取って取引が成立するのである。
映画ではそのあと少女が「釣銭が少なすぎる、私の出した紙幣はもっと高額だった、紙幣に名前が書いてあるから確認しろ」と言い出して、実際に金庫の中身を調べると少女の名前の書いてある高額紙幣が出てくる。ただしそれは事前に詐欺師の父親が別の買い物をする際に使用した紙幣だったという話になるのだが、ここでは扱わない。とにかく1930年前後のお釣りの出し方が“等価”という考え方を基礎としていたことを確認したいだけである。
この「紙幣・商品・おつりを一度カウンターに並べて“見える形で確認する”」というやり方は、相手が子どもだったからというわけではない。まだレジが簡易的で店員が手作業で計算していた1930年~1960年ごろ、顧客とのトラブルを避けたいという理由からアメリカ国内で広く行われていた手順である。
けれど日本ではそうはならない。760円の買い物をするのに客が1000円支払ったら、客も商店主も、同時に240円を頭に思い浮かべている、それがこの国の現実である。
もう一つ例を出そう。
実川真由 /実川元子 著『受けてみたフィンランドの教育』(文藝春秋 2007)は2000年代初頭に当時、教育大国と言われたフィンランドで高校教育を受けた女性の興味深い記録であるが、そこにはこんな記述がある。
(留学先のホスト・ファミリーと買い物を終えたところ)合計が24ユーロ22セントだったので、私は54ユーロ72セントを払ったら、スーパーの人は、嫌な顔をした。そこにホストブラザーが慌てて来て、4ユーロ72セントを取ってしまった。50ユーロで支払ったので、おつりが大量にきて、私の財布が重くなった。(中略)それほどフィンランド人は暗算をしようとしない。レジではじめて自分の買った品物の合計金額を知るらしい。
著者の高校生は別のところで、数学のテストにかっこの計算までできるコンピュータ並みの電卓が持ち込まれる話を紹介しているが、フィンランドではそもそも計算を暗算で行うという文化がないらしい。
北欧と言えば現在はキャッシュレス大国として知られるが、確かにそうなる理由は分かる。
【暗算大国の子どもたち】
日本は数百年にわたって庶民が、「そろばん」という簡易計算機を、実際に使ったり頭の中で弾いたりして取引を行ってきた国である。そろばんは位取りを視覚的に理解するのに優れた道具であり、23桁分もの玉の列があるので実際には数値の一時保管に使われることも多い。これがワーキングメモリの訓練にもなっている。
現代の日本人はほとんどがそろばんを使わないが、そろばんによって培われてきた高度暗算社会は、子どもたちにも計算力を強いる。それが日本の子どもたちの異常な計算力と、暗算を前提とする社会への不適応、自信のなさ、楽しめなさに繋がっているのである。
気にすることはない。計算問題を半分も解けない国の子どもたちが計算力に自信を持ち、計算を楽しんでいる状況を思えば、「楽しくなくてもできる子ども」を持っていることに、私たちもまた誇りを持つべきであろう。





