Sakamoto X diary

坂本啓の脳内ダンプ

【納付バグ】住民税を払ったつもりが「所得税」だった話

先日、身の毛もよだつような体験をしました。 「自分はきっちり管理できている」という過信が、いかに恐ろしいバグを生むか。 自戒を込めて、中野区の税務課から電話がかかってきてからゴミ箱を漁るまでの顛末を記録します。


1. 突然のシステムアラート(税務課からの着信)

仕事中、スマホに見知らぬ番号から着信がありました。 出てみると、中野区の税務課から。

「第3期の住民税が未納になっていますが、お忘れではないですか?」

私の脳内DBでは、このタスクのステータスは「完了(Done)」になっていました。 「いや、確かにコンビニで払ったはずです。レシートもどこかにあるはずですが…」 と、かなり自信満々に答えてしまいました。

2. デバッグ開始:コンビニの決済履歴とゴミ箱の捜索

あまりに自信があったので、わざわざ支払いをした記憶のあるコンビニへ行き、店員さんに当時の決済履歴を調べてもらうという、今思えば非常に恥ずかしい行動に出ました。

しかし、履歴を見てもどうも確証が持てない。 悶々としたまま帰宅し、最後の手段として「捨てたはずの領収証書」を求めてゴミ箱を漁りました。

そこで発掘された「紙」が、すべてのバグの正体でした。

3. 判明した仕様誤認:住民税ではなく「所得税」だった

ゴミ箱から出てきたのは、住民税の納付書ではなく、「申告所得税及復興特別所得税の領収証書でした。

私が「住民税の3期目を払った」と思い込んでいたのは、実は国税である所得税の「予定納税」だったのです。

4. なぜ「検知」できなかったのか?(偶然重なったバグ要因)

なぜここまで自信満々に勘違いしてしまったのか。 分析したところ、恐ろしいほどの「偶然」が重なっていました。

理由①:実行タイミングの重複

住民税の第3期(10月末期限)と、所得税の予定納税第2期(11月末期限)は、納付のタイミングが非常に近く、脳内でタスクがマージされていました。

理由②:【致命的】金額の「ジャストミート」

これが最大の要因です。 今回、未納だった住民税の金額と、実際に支払った所得税の金額を比較したところ、驚くべき事実が判明しました。

「本来の住民税額」 = 「所得税額 + 延滞金」

この二つの金額が、1円単位まで(あるいはほぼ誤差なく)ピッタリ一致していたのです。 金額という「ハッシュ値」が衝突してしまった結果、私は何の疑いもなく「あ、この金額なら住民税を払ったんだな」と誤認してしまいました。

5. PMとして、エンジニアとして、一人の人間としての教訓

区役所の方に「払ったはずだ!」とクレーマー紛いの主張をする前に気づけたのが、せめてもの救いです。 (それでもコンビニまで巻き込んだのは本当に申し訳ない…)

今回の学び

  • 国税所得税)と地方税(住民税)は全く別物。 窓口も納付書の色も違う。
  • 金額だけで判断してはいけない。 「金額が一致している=正しいタスクを完了した」というロジックは崩壊することがある。
  • ステータス管理は厳密に。 納付書に「済」と書く、物理的に分けるなどのフェールセーフが必要。

延滞金という名の「高いデバッグ費用」を即座に支払い、中野区への納税を完了させました。

『秒速5センチメートル』の聖地・岩舟山の「ハゲ」には理由があった!

(Gemini3 単発の調査のみなので出典は不明)

1. 導入

  • フック:

    • 岩舟駅に降り立った瞬間、目に飛び込んでくるあの異様な絶壁。見たことありますか?」
  • 感想:

    • 思ってた以上に大きくて迫力に圧倒される一方で、「その周辺にいくらでもある山々と結局同じでは?仮に周りに何もなくてエアーズロックみたくあの岩だけ忽然と聳え立ってるならすごい気がするけど、、、。全然そうではないし、たまたまあそこだけ禿げてるだけじゃね?」と穿った見方をしてしまった。感動を保持するため、「他の山々とは一線を画していてほしいなあ」と願ったり、「なんであそこだけ岩が剥き出しなの?」という疑問が湧いた。自分の中の感動を守りたかった。
  • この記事でわかること

    • あの山が「ハゲている」衝撃の理由と、実は周辺の山とは「生まれ」が違うというお話。

2. あの絶壁は「自然」ではなく「人の手」で作られた

  • 衝撃の事実:

    • 実はあの山、江戸時代から続く「巨大な削り取り現場」だった。
  • キーワード: 岩舟石(いわふねいし)

    • 良い石を求めて垂直に切り崩していった結果、あのダイナミックな断崖絶壁が誕生した。つまり、あのハゲ方は「人間が山を使い倒した証」である。

3. 周囲の山とは「血筋」が違う?(地質のミステリー)

  • 比較:

    • 隣の三毳山(みかもやま)などは、数億年前の海底から生まれた「チャート」という岩。
  • 舟山の正体:

    • そこに突如現れた火山活動による「安山岩質火砕岩」。
  • 「たまたまそこにあった山がハゲた」のではなく、「そこだけ良い石(火山性の岩)があったから、ハゲるまで削られた」という因果関係。

4. 昔の人の「目利き」が凄すぎる問題

  • 疑問:

    • 科学技術未発達の時代に、どうやってこの山が「お宝」だと見抜いたのか?
  • 答え:

    • 崖に露出していた岩を叩いて性質を確かめる「職人の勘」。
    • 渡良瀬川が近く、江戸まで船で運べるという「物流の神立地」。
  • エピソード:

    • 日光東照宮や江戸の町づくりにも使われたという、超エリートな石だった。

5. 現在のあの岩の使い方

採石が終わったあとのあの広大な岩場は、現在では戦隊ヒーローもの(特撮)の爆破シーンの聖地として有名らしい

2025年紅白を観て思いついた。「若者向けコンテンツ」が世の中の主流であり続ける、残酷なほど合理的な理由

1. 2025年、紅白を観ながら考えたこと

晦日紅白歌合戦を7時から観はじめた。画面に映るのは、SNSでバズった若手アーティストや、世界を席巻するアニメ主題歌、そしてキラキラしたアイドルたちだ。(もちろん7時台だからなんだけど)

ふと疑問が浮かぶ。 「そういえば、日本は少子高齢化で、若者はお金を持っていないはず。なのに、なぜ経済もエンタメも、これほどまでに若者に媚びるのか?若者が中心の経済圏が未だある程度大きいのはなぜ?」

下記がGeminiに聞いてみた中で納得感があったもの👇

2. 「財布」ではなく「拡声器」としての若者(経済的観点)

若者の単価は低く、数も少ない。しかし、彼らには大人にはない「圧倒的な可処分時間」と「SNSという拡声器」がある。

  • 無料の広告塔: 企業が広告費を払う代わりに、若者が「推し」のために勝手にバズらせてくれる。
  • レバレッジ(てこ)としての存在: つまり、若者は少ない元手で巨大な影響力を生むレバレッジとして機能している。彼らを熱狂させることで、本来多額にかかるはずのCAC(顧客獲得単価)を劇的に抑えることができるのだ。
  • 情報のトリクルアップ: 現代の流行は「若者が熱狂しているもの」を、大人が後から追いかける構造になっている。若者に受けていないものは、大人からも「古臭い」と切り捨てられる。要するに、若者を起点にすることで、結果的にLTV(顧客生涯価値)の長い優良な大人客を芋づる式に獲得しているわけだ。もちろんミクロの視点で考えると、LTVがいくら大きいからといってそんなに赤字回収までに企業は待てないのだが、マクロで賭博をしている考えると納得。

3. 世界を繋ぐ「共通言語」としての感性

ここで見逃せないのが、「若者の価値観は、大人に比べて世界共通になりやすい」という点だ。

  • ローカルな大人、グローバルな若者: 年配層の価値観や教養は、その国の歴史や文化に深く根ざし、国境を越えにくい。対して、若者の「これがかっこいい」「これが可愛い」という感性は驚くほど世界中で同期している。
  • スケーラビリティの差: 若者に受けるコンテンツを作れば、それはそのまま世界中の若者にリーチできる「グローバルな共通通貨」になる。日本国内の若者が少なくても、世界市場を狙うなら若者向けを作るのが最も効率的なのだ。

4. 「生物学的資源」としての若さ(本能的観点)

ここがこの問題の核心だ。経済的な理屈の裏には、もっと生々しい人間の本能が眠っている。

  • 欲望の一方通行: 若者は老いたいとは思わないが、老人は若返りたいと願う。この「羨望」と「憧れ」が、若者向けコンテンツに巨大な付加価値を与える。
  • 課金という名の変換装置: アイドルやVTuberへの「推し活」は、生物学的な交尾欲求や所有欲を、現代社会のルールの中で「課金」という形に変換したシステムである。

5. 2025年の紅白が示す「生存戦略

紅白の選考基準が年々「若者寄り」になるのは、NHKが若者に迎合しているからではない。「若者の熱狂」というガソリンを注入しないと、番組(ブランド)そのものが老化して死んでしまうからだ。 たとえ視聴者の大半が高齢者であっても、画面の中に「若さと生命力」が溢れていなければ、大人はその番組に「価値(憧れ)」を感じない。

6. 結論:経済は「若者の熱狂」を「大人の金」で換金している

  1. 若者は「エネルギー」を提供し、
  2. 大人は「お金」を提供する。
  3. 企業はその温度差で発電している。

「若者は金がないから相手にしなくていい」という理屈は、マーケティングにおいては成立しない。なぜなら、若さとは、それ自体が世界で最も希少で、高値で取引される「資源」だからだ。

令和の今ドラゴンボールを観て感じた、構造的な「いい加減さ」と、それでも面白いという矛盾

ドラゴンボールを観ていて感じた、構造的な「いい加減さ」と、それでも面白いという矛盾

最近、ドラゴンボールにキャッチアップしている。 「ドラゴンボール無印」から「改(=Z)」を通して、現在は「GT」の中盤あたりまで視聴している。

GTの途中まで観て思ったこと

正直、GTに入ってからは少し視聴がしんどくなってきている。理由は明確で、敵キャラが雑テンポが悪い、そして緊張感がない

特に序盤は、悟空が子供になってしまったことに象徴されるように、世界全体が“リセット”されたような雰囲気がある。しかし、改(Z)の悟空の圧巻の活躍を観た後なので、「どうせ勝つだろう」という読後感が強く、シンプルに見応えが薄い。

そもそも、Zの続編でより強敵が出てくることを期待したが、蓋を開けるとどこかの星で野良ボスと小競り合いが延々続いて退屈になってしまっている。


構造的に感じた“キャラの脱落”と“入れ替え”の文化

ドラゴンボールという作品を長期で追っていて強く感じるのは、キャラがとにかく脱落していく構造 だ。

初期の仲間だったヤムチャ天津飯、餃子、ランチ…彼らの多くはZ中盤には戦力外、GTではもはや存在すらカットされている。 だが、これは“雑な作劇”と断じるには惜しいものがある。 むしろ、「必要なキャラだけをサバッと残し、余剰なキャラを切り捨てる」ことで、物語のスピード感を保っているようにも見える。

NARUTOONE PIECEのように、キャラの物語を長く引き伸ばし、因縁や歴史を積み重ねていく構造とは対照的に、ドラゴンボールは**「今必要なキャラが最高に活躍する場面を作る」ことにのみ集中している**。

逆に人造人間18号など、明らかな人気キャラはクリリンと結婚させることで生かしたりするのは、現実的には「そんなわけねえだろ」と思う展開で、ご都合主義に振り切ってる感がある。

つまり プロットの緻密さは皆無なのに、「まあ面白いのでいっか」という気持ちにさせられる。


死生観の崩壊とご都合主義の極地

悟空が死ぬ、ピッコロが死ぬ、ヤムチャが死ぬ… ドラゴンボールではキャラの死がほとんど「イベント」でしかない。 死んでも魂が普通に会話してくるし、界王様のところで修行してたり、電話みたいに連絡が取れる。 「死=無」ではないどころか、もはや**「死=一時的な異動」**くらいの感覚で扱われている。

また、精神と時の部屋」などは、敵に追いつけないときに修行ブーストをかけるための完全なチート装置だ。 普通の物語なら絶対に許されないような強化方法が、なぜかドラゴンボールでは許されてしまう。 これはご都合主義の極みだが、それでも**「なんか燃える」**のだから本当に不思議だ。


悟空という主人公の“空虚さ”と受動性

悟空は主人公ではあるが、自ら物語を動かすことはほとんどない。 敵が来たから戦う、誰かが死んだから怒る――常にリアクティブ(受動的)な存在として描かれている。

ルフィ(ONE PIECE)やナルトのように「夢」や「明確な意志」を持って物語を引っ張るタイプとは真逆で、悟空は“戦いたい”という感情しか持っていない。 ある意味で“中身の空っぽな主人公”だが、そのシンプルさが逆にドラマや葛藤を排除し、読者のストレスを減らしているのかもしれない。


キャラクターや声優のリソース再利用も味になっている

孫悟空、悟飯、悟天…彼らの声がすべて野沢雅子さんという時点で、もはや遺伝子レベルで統一されている。 界王様とナレーションが同じ声だったり、バビディの声の人が他の敵でも何度か登場するなど、明らかな“再利用”も多い。 背景も、無機質な星や草原がほとんどで、都市描写や文明の香りは極めて希薄。

これだけ見ると手抜きに見えるが、その分キャラの表情やアクション、セリフの密度で圧倒的な瞬発力を出してくる。 つまり、“足りないところを力技で押し通す”という作り方が、意図的に確立されているようにも思える。


実際には仏教的モチーフを使いながら、仏教的ではない死の軽さ

ドラゴンボールは「界王」「閻魔」「地獄」など、明らかに仏教〜中国道教的な世界観を取り入れている。 だが、仏教の死生観は決して“軽く”ない。 輪廻転生、因果応報、地獄の責苦など、むしろ“死”は最大級のイベントであり、浄化や解脱のために死後の過程を経るのが基本。

それに対し、ドラゴンボールでは**「死=次のステージ」になってしまっている**。 あの世で修行して帰ってくるとか、界王神界がほぼ遊園地化してるとか、死んだはずの人間がナチュラルに通信してくるとか、もはや「死」とはなんなのか?と一瞬考えさせられる。でも馬鹿らしくなってやめるけど。 でもそれがまた、“少年心”にはちょうどいいスケールで心地よいのだから、皮肉なものだ。


時代性を感じる暴力描写と下ネタ

改めて無印やZを観ていて思うのは、少年キャラに対する暴力や、ギリギリを超えた下ネタが平然と描かれている点に強い“時代”を感じるということだ。

少年悟空が大人に殴られたり、銃を向けられたり、パンツを脱がされたりする描写が日常的に出てくる。 また、亀仙人によるセクハラ描写――ブルマの下着を覗く、胸を揉もうとする、鼻血を噴く――といった場面も、今では完全に放送NGだろう。

特にアメリカなどの海外では、こうした描写が倫理的に問題視され、実際に放送時にはカットや音声差し替え、服の描き足しといった修正が多数施されていた

それでも当時の日本では、「ギャグとして成立していた」「悪ノリの延長として受け入れられていた」空気が確かに存在していた。 現代ではアウトな描写が、当時は当たり前に楽しめた時代背景ごと、ドラゴンボールはパッケージしていたのだと思う。


最後に:破綻してる。でも面白い。だから許される

ドラゴンボールは、構造的には破綻している漫画だと思う。 プロットはご都合主義、死は軽い、修行はチート、キャラは消える、背景は手抜き、主人公は空っぽ。 倫理的にも今では厳しい描写が多々ある。

だけど、それでも毎話が「今が最高」になるように作られている。 論理の整合性ではなく、読者が“ワクワク”するように感情と展開がぶつけられている

この「論理無視でもOK」という力技は、今のジャンプ作品ではなかなか見られない。 だからこそ、**「クソなのに憎めない。愛くるしい。」**という、稀有な魅力を持った作品として、今も語られ続けているのだと思う。


まだGTの途中までしか観ていないけれど、 すでに「なぜこれが伝説となったか」は、十分すぎるほど伝わってきている。 「ロジックなんて知らねぇ。面白ければ正義」 そんな漫画が一つくらい、あってもいいじゃないか。

M4 Mac mini を持ち出せるようになるための条件

  • 155W 対応モバイルバッテリー
    • Anker prime power bank が100と100で合計200W だけどこれでもいけるのかわからん。M4 Macbook pro 急速充電できるらしいからMac miniも一定まではいける気がする
  • 4K ARグラスかつピボット対応
    • Visor4k か Meta 社の最近のやつ名前忘れた(めちゃ高い)
    • これもBluetooth接続だと嬉しい。
  • カメラ、スピーカー、マイク問題を何とかしたい。
    • iPadをメインディスプレイとして使いたい。リモート会議、もっと言うとそこでもたついちゃいけないようなお客様との商談が無ければ問題ない。

2024/09/27 自信の付け方のパターン

1. 弱点克服

最も苦手意識のあることを一定レベルまでできるようになると、他のことならなんでも人並みにはできるという自信になる。

2. 一点集中突破

「人並みレベルにはできるが全て平均人間になってしまうことの恐怖」を打破するには何かで頭ひとつ抜けるしかない。

3. お金と人を集められるようになる

一番汎用的な自信につながる。なぜなら論理的な勝ち筋だから。前半二つはただの自信でしかない。

一生スポーツ観戦者のような人生で終わってしまう恐怖

Web系ソフトウェアエンジニアとして働きはじめ、現在社会人3年半。

生まれてこの方、浅く広く好きなように気の向くままに生きてきた結果、このままだとそれらがつながって加速度を上げられるような感覚がない。

一生スポーツ観戦者、ただとファンみたいな人生になってしまうのではないか。 一定以上の深みに到達できる気が今の所しない、もしくはするのにめちゃくちゃ時間がかかりそう。

このような恐怖と閉塞感がある。

自分はどう生きたいのか。遊ぶように行きたいが、つまみ食いだけして深みのない遊びで終わってしまうのは嫌だ。

価値観をただただ広げに行くことを目的にした行動はもうやめる。自分を貫いて結果として広がるなら良い。

遊びなら遊びで深みがでるように設計してやりたい。 つまり人とお金を集められるようにならないといけない。

その過程では悔しさや怒りや失望の感情を伴うけど、それは許容しよう。 観戦者の人生の方がもっと怖い。