Beyond Imagination

米国エモリー大学のウイルス研究者

渡米7年目。東大で博士号取得後、外資系コンサル、イェール大学を経て現在。内定者時代から、コンサルタント時代、渡米決意とその後の変遷をつづる.

論文の再投稿と、嬉しい引用と

先週、改訂した論文を再投稿した。

 

元々は、正式にはリジェクトされた論文である。しかし改訂稿と、査読者に対する応答を合わせて、編集部に送ると、「編集部での議論の結果、再考することになりました。」と返事が。敗者復活である。これが最終的な勝利につながるのか、つまり我々を痛烈に批判した査読者が考えを変えるかは、年明けに分かるだろう。

 

しかし、長かった。1年かかった。論文と戦い続けた1年間だった。

充実感と、疲労感と、現代科学の仕組みにたいする諦めが混ざったような感覚である。もっと早く進むことはできないのかと思うが、今のところ、これがベストなのだろう。そのうち、査読AIみたいなものが出てきたら変わるのかもしれないが。

早く終わらせて、今の仕事と、これからのことに集中したいというのが、本音である。

ところで先週、嬉しいことがあった。2023年に出した論文の中で公表していた、画像解析プログラムの引用である。

Google Scholarを使って、自分の論文が引用された際には、メールアラートが来るようにしている。

先週、アラートが来たので、引用してくれた論文を読むと、データの中に、何やら見覚えのある解析結果が。ん?と思い、「材料と方法」のところを読むと、画像解析には我々の論文のプログラムを応用したと。

今まで、200以上の引用を受けてきたが、今回の引用は、これまでで最も嬉しい引用かもしれない。自分が精魂込めて作った道具が、顔も知らぬどこかの誰か(今回はカナダのダルハウジー大の人たち)の役に立ったのである。

科学と、人類に貢献したという感覚がある。

 

 

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日本にいると楽、アメリカにいると気楽

日本にいると楽なのは間違いない。

 

医者には自由にかかれるし、3割負担が保証されている。

コンビニやスーパーはそこら中にあり、いつでも夜中でも歩いて買い物ができる。

少しお金を出せば、美味しい食べ物は簡単に手に入る。

百均に行けば、生活を楽にするグッズで溢れている。

 

しかし、アメリカの方が、気楽ではある。

まず、同世代との比較に悩むことがない。年齢を気にしなくなる。誰もが、年齢に関係なく、新しい仕事を始めている。キャリアのブランクを普通だと思っている節がある。

そもそも、何の仕事をしているのかよくわからない人も多い。

 

また、日本では、常に周りに気を遣わなければならない(ような気にさせられる)。「周りのお客様のご迷惑になりますので」という言葉が潜在意識にこびりついていた状態で、街を移動している。「迷惑」という概念には、アメリカでは出会ったことがない。あえて言うなら、Be nice・ Be kindが近い概念か。「周りに優しくね」ということだが、「周りのご迷惑にならないよう」とはちょっと違う。

 

単に人口密度が高く、人と人との物理的距離が近いことと無関係ではあるまい。身体やベビーカーが他人と接触する確率が桁違いに高い。

アメリカでは、車同士の接触にだけ気をつければよい。相手の顔を見ることもない。運転のマナーはすこぶる悪いが。

 

謝罪の言葉が感謝の言葉よりも文字数が少ないというのも、気遣いに一役買っているように思う。

「すいません」の方が「ありがとうございます」よりも口の負担が少ない。しかし英語や中国語なら、Thanks / Thank youや謝謝は、Sorryや对不起(どぅいぶち、と読む)と同じくらいのエネルギーで言える。

 

だからか、日本で街に出ると謝ってばかりいる気がする。人がベビーカーに道を譲ってくれたとき、アメリカにいればThank youだが、日本にいるとつい「すいません」が出てきてしまう。いや、なにも悪いことしてないよ?

 

まあ、どこに家があるのかという問題でもあろう。日本に再び居を構えたら、もう少し気楽になるのかもしれない。そのときがもし来るのであれば、それに応じて順応するのである。かつて、アメリカに順応したように。

 

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人の評価がどうなるかなんて分からない

学生時代の指導教員からのメール。

なんと、僕が博士2年時に出した論文が、いわゆるトップ10%論文に入っていると(注)。正確にはTop 7%らしい。


確かに、自分のGoogleスカラーのアラートメールには、論文を出してから10年が経った今も、定期的に「引用されました」お知らせが来るが、まさかトップ7とは。

 

全く、人の評価、世間の評判なんて、読めないものである。

 

学生のとき、論文が雑誌に蹴られ続け、何のためにこんなことをしているのか、自分の仕事には世に出す価値がないのではないかと、思ったものだった。

論文を出しても、達成感、開放感はなかった。ああ、ようやく終わったんだな、程度だった。

 

論文を出してからもうすぐで11年。

ここまで来て、ああ、自分の論文は評価されたんだと知る。

学生時代の自分に教えてあげたいものである。

 

何の巡り合わせか、まだアカデミアに残っているが、10年は、打たれ弱い若者の人生をアカデミアに留まらせるには長すぎる。自分の仕事が評価される未来に出会うこともなく、アカデミアを去っているはずだったろう。

事実、一度去ったわけだ。

 

注)元指導教官の現在の所属である東北大では、トップ10論文を大幅に増やすことを至上命題としている。その一環で現在のトップ10論文のリストが送られてきて、我々の論文が入っていることを知ったらしい。

 

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一年前の今頃は何もなかった

日本に再び、一時帰国した。

 

1年前、やはり一時帰国したときは、何もなかった。


論文は投稿していなかった。投稿先すら決まってなかった。

次に行く先は決まっていなかった。PI職の見通しは厳しく、かと言ってリサーチサイエンティストの宛もなかった。アトランタに行くなど、夢にも思っていなかった。

 

あれから、ずいぶんと進歩した。

 

論文を投稿した。レビューされ、リジェクトになったものの、凄まじい実験と議論とアナリシスの末、完璧ではないものの、論文は別物に生まれ変わった。機械学習を実践できるとは思ってなかったし、サーキュラーダイクロイズムなど、できるようになるとは全く思っていなかった。この期に及んで新しい技術を身につけるなどと、想像したはずもない。

 

PI職は諦め、リサーチサイエンティストを手探りで探した。ウイルスに焦点を絞ることに決めた。
バイデン期の末期に応募して、余裕で進むと思っていたアインシュタイン大学の職は、政権が変わり頓挫した。

業績あるポスドクの次の進路すら見通せなくなるほどのアカデミアのカオスの中、アメリカに残る道はほぼなくなったように思えた。

 

日本へ一時的に住むことを考え、日本のウィークリーマンションを眺めた。

 

しかし、道は残った。

ミシガンからの取り下げのショックがありつつも、アトランタという、考えたこともない土地に来ることになった。

 

子供と離れての3ヶ月は、想像以上に過酷だった。しかしおかげで、彼らと過ごす今の時間が、自分の人生にとっていかに大事かを知った。真夜中の闇の中、極寒のニューヨークに1人で降り、バスに乗ったあの夜。誰もいない家に帰り、妻が作り起きしてくれたご飯を見たあの夜。研究に時間を使うことができないことに、以前ほどは焦燥感を覚えなくなった。

 

イェール大学の元ボスと離れ、ニューヘブンと離れ、ホームがなくなり、新しいホームができつつある、まだ中途半端な状況にある。アトランタと、今のラボがホームになるまでは、あと半年はかかるだろう。

 

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大きな実験を前にして

問題や論点などを明確に設定しなくとも、とにかく興味本位で手を動かしているうちに、大きな問題にぶつかるというのは、人知を超えた自然界を相手にする自然科学にいては、よくあることである。

 

いや、コンサルもそうだったか。とりあえず、マネージング・ディレクターが出した緩い仮説で動き出して、クライアントと何度か会っているうちに、次第に論点が「進化」していくなどと言う話は、常にしていた。

 

今だって同じである。闇雲に、一つの遺伝子を追うこと、五里霧中の状況でひとまず霧に隠れない程度に近い木を目指すことは、悪いとは思わない。型にはまった、Unbiasedなアプローチ、網羅的CRISPR-KO解析や免疫沈降‐質量分析が、ハイインパクトな結果への唯一の道程ではない。論文上でどう語るかは知らんが。

 

なるべく仮説が外れるように、予想外の方向へ行きますようにと願って研究をしている。歩き始めの醍醐味である。健全である。

 

ダチョウ俱楽部は、二人になっても頑張っている。文字通り、頑を張っている。人の死がタブーにならないのは、美しいことだと思う。

 

今度の実験が上手くいくのかは分からない。大事なのは、全力で準備してきたかということである。とにかく、いろいろな人に聞きまくった。自分でなんとかするな、とにかくエキスパートに聞きまくれというのは、コンサルの教えである。

これ以上、情報は集まらない。であれば、問題はない。

 

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永遠の片想い

まだニューヘブンにいた頃、バス停で一歳の長男とバスを待っていると、隣にいたお爺さんに話しかけられた。

「何歳?」
「一歳半です」

たいていはそれだけで終わるのだが、お爺さんは、無邪気に歩き回る僕の息子を見て、こう言った。

「たくさん、写真と動画を撮りなさい。彼は大きくなったら、今のことをすべて忘れてしまうのだから」

そうなのだ。今、これだけ2人で濃密な時間を過ごし、笑い合い、慕い合っていても、彼はいずれ、その全てを忘れてしまう。
そして、その反対側で、記憶の片われだけが、親の脳の中に残される。

親にとって、今の時点の子供とその日々の記憶への愛は、永遠の片想いのようである。しかしそのことが、この時間の尊さを強くする。



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エモリーに来て2か月が経った

アトランタに来て3ヶ月、エモリーに来て2ヶ月半が経った。プライベート、仕事、ともに、まあまあ順調に立ち上がってきたのではないかと思う。

1500キロを家族で運転し、アトランタに来たのは8月の頭だった。ノースカロライナの山岳地帯を抜け、景色が木々から街へと変わった途端に、急に増えた車の山。そのほとんどが日本車であったことに安心したことは忘れない。アトランタは多様性と合理性を重視するのだと思った。

ビデオ内見だけで決めた賃貸の平屋の一軒家は、最初は「まるで小屋だな」と気が滅入ったが、家具が到着して整ってくると、少しずつマイホームの感が増した。小屋でも住めば都の邸宅である。

アトランタに着いたものの、最初の2週間は、H1Bのビザが降りるまでは自宅で無職のまま待機した。2週間とはいえ、そしていずれ進むと分かっていても、無職というのはきついものである。
この間、電気、ガス、水道、インターネットのセットアップ。そして、長男の新しい保育園への慣れ。
その後も、大学の駐車場の確保、通勤運転経路の最適化、車の免許の州替え、ナンバープレートの州替え、自宅前の庭のアリ駆除、軒下のハチの巣駆除と、経験したことないことが続く。

また、どこで食料を調達し、どこで子供を遊ばせ、どこでガソリンを入れて、という基本的な生活の動線を、少しずつ最適化していく。

無事にH1Bビザが降り、エモリー大学キャンパスに行ってIDをもらい、ようやく、モリーの一員に。

普通の会社と同じように、福利厚生などのセットアップ。医療保険や年金のプランの吟味と選択。イェールよりも選択肢が多く、アメリカ社会の複雑さを、来米7年目でようやく思い知る。イェールは金があったからか、選択の必要なく、最高のプランをもらえた。今度はそうはいかない。

ボスに、インタビュー以来3ヶ月ぶりに会い、今後のプランを話し合う。ラボの実験に必要なオンライントレーニングを終え、月末からようやく実験を始める。

実験、とはいえ、最初は初歩の初歩から。ラボが変われば慣習やルールが変わるのは常だが、今回は人に感染し得るウイルスを扱うラボに来たこともあり、安全に関わるルールは厳しくなった。最初は慣れず、細胞の継代という、ABCのAに相当する作業にすら神経を使う。今はもう慣れたが。

その後、少しづつ、ラボの実験手技を身につけていく。前のラボでもやっていた、一般的な分子生物学の手法もそうだが、なんといっても大変なのは、ウイルスの扱いである。ウイルスを細胞に感染させ、それを測る操作は、根底には分子生物学があるとは言え、表面にはウイルス学という別の分野の考えがある。
しかし遺伝子操作作業は、もう少し慣れと順化を要する。

結果に対して、焦っていないだろうか。これは常に自問自答しなければならない。来て高々2、3ヶ月で、論文になり得る成果の種を求められるとしたら、それはどう考えても健全ではない。

確かに、真実であれば論文になり得るデータが、既に出ている。どれくらいのインパクトのある論文になるのかは分からないが、論文にはなるだろう。まだ2ヶ月である。これを幸運と実力と熟成の結果と捉えるか、あるいは何らかの罠、闇への入り口と捉えるか。研究には、思いもよらない形とタイミングでの、沼やバンカーが数多く存在する。女神の微笑みの下は、実は底なし沼ではないか。

仮に真実だとしても、せっかく新しい分野に来たのに、いきなり目の前の成果に視野を狭めて、分野全体の論点や世界観を学ぶ機会を失うのは、長期的に見て、損失ではないのか。


イェール時代の論文は、ようやく終わりが見えつつある。元ボスとのメールだけのコミュニケーションは、想像以上に困難である。彼女とのメールコミュニケーションは、いつも困難だった。物理的に離れて、なおさら上手くいくはずがない。
イェールから物理的に離れ、脳の大半がウイルスに浸る今である。過去に情熱を投じて愛した仕事だとしても、昔と同じようなコミットができなくなっていることに、驚きと落胆と発見を感じる。
ただ、やれることはやらねばならない。

新しい分野と土地に慣れるのに精一杯で、自分が何をしにアメリカにいるのか、見失うというよりは、見る暇すらなくなっている。子供たちはますます活発になり、そんなことをゆっくりと考える時間はほとんどない。今は、そういう時間でもないのかもしれない。いずれ、また、目線を上げて、少し遠くを見る日が来るだろう。

 

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