瀬棚線を目指す ― せたな町生涯学習センター ―

目次

 

1.せたな町生涯学習センター

瀬棚線の駅跡を訪問完了。

しかしせっかく来たので、もう少し町内を回ってみよう。

郷土館を兼ねている生涯学習センターに行ってみる。

 

かつては学校の校舎だったそうで、現在は学童保育所や図書館にもなっている。

中も外も綺麗な建物で、スリッパに履き替えて館内を見学する仕組み。

お昼休みの時間帯があるので気を付けよう。

 

2.荻野吟子

瀬棚駅跡にも像が建てられていた荻野吟子氏。

ここにも一つの独立したコーナーとして資料が展示されている。

荻野吟子生誕の地は北海道ではないはずだが、何かの事情があったのか、石碑がここせたな町に保管されているらしい。

 

女医となったのは最初の夫に移された性病の治療経験から。

離婚して医学を勉強しようと志し、実際に優秀な成績を取って女人禁制だった医学校への入学を認めさせてしまうあたり、元々ある程度の学問を備えた人物だったのだろう。

 

実際に医院を開業、先駆者となった彼女に続いて多くの女性が女医を志望するようになったという。

イタリアで活躍した中田ヒデのような先駆者だね。

 

キリスト教に入信、そして北海道へ渡るなど波乱万丈な生涯を送った。

 

先人カードも配布中。

 

診療の恥ずかしさによる精神的苦痛だけでなく、病状の悪化までも招いてしまっているという悪循環を断ちきるという出発から、その後も常に利他の行動を歩んだ生涯だった。

 

3.瀬棚線関連

お次は瀬棚線関連。

さよなら列車のヘッドマークと妙に艶っぽい駅員のマネキン。

 

お座敷列車なんてのも走っていたそうだ。

 

瀬棚線の一日。起点よりも終点の瀬棚側の方が運行本数が多かった。

 

国鉄2万キロ走破キャンペーンのパネル。

 

全国どこを探しても見つからないと大見えを切るほど希少なパネルのようだが、こっそり保管している自治体はありませんか?

 

運賃表。神戸や広島まではいらないんじゃないかと思うが。

広島まで2万円弱で行けるんだね。

 

瀬棚線を走った車両たち。

SLだけでなくディーゼル機関車も活躍していた。

 

瀬棚駅のジオラマ。これと現役時代の駅舎の写真を見るためだけでも、この施設に来る価値はあるんじゃないかと思う。

 

正面から見てみる。今はなかなか見ることのできない風景である。

 

4.せたなの歴史

歴史関係コーナー。

縄文時代の遺跡から出土した土器。町内には約50か所も縄文時代の遺跡がある。

 

稲作に適さなかった北海道では弥生時代ではなく、続縄文時代と呼ばれる時期が続いた。この頃から金属器を使用するようになる。

 

擦文~アイヌ文化期

擦文は縄文同様に土器の特徴からつけられた名称。

擦って形を整えたという意味だ。

残念ながらチャシ跡はグーグルマップにも表示されず、簡単に行ける場所ではないようである。

 

コシャマインシャクシャインの乱が有名だが、せたな町域でもアイヌと和人の争いが勃発していた。

 

アイヌ民族の衣服と和人との和睦の経緯。

 

漁場の風景。

 

これは裕福な網元の家などで着られていたであろう打掛。

 

松浦武四郎もせたなを訪れていた。

 

最盛期のニシン漁の様子。

 

近代的な港ができるまでは袋澗が重要な港だった。

 

北海道と本州の輸送を担っていた弁財線の模型