
視力低下のせいで今年は10冊くらいしか読めなかったが、年の瀬に、岡 潔 ・小林秀雄の「人間の建設」と岡 潔の「春宵十話」の2冊にめぐり合い、十分満足しました。今から60年も昔に出版した雑談本とエッセイなのに、ぜんぜん古臭さを感じない スグレモノです。小林秀雄の本はやはり大昔に「モオツアルト/無常ということ」と「考えるヒント」を読んだことがあります。
一流の学者と文士が「雑談」するとこんな会話になるのか・・。会話のクオリティの高さに驚く・・のは自分がアホだからかもしれないが、だから、読む価値がある。なにげにポアンカレやベルグソンやアインシュタインの名がでて、しかし、押しつけがましいところや上からの目線を感じることがない。さりとて素人向けに専門用語に注釈など加えず、淡々と話を運ぶ。えらい先生方の対談本はいろいろ読んだけど、これほどハイレベルで、なのに、ほとんど一気読みしてしまった本は他になかった。最高の雑談本と言う所以です。(二回読みました)
63ページ
小林・・数学者は今の物理学をそういう態度で考えてるのですか。
岡・・・大きな問題が決して見えないというのが人類の現状です。物理でいえば、物理学的公理が哲学的公理に変わったことにも気づかない。
小林・・しかし、アインシュタインの伝記などを読むと、あの人もずいぶん辛いひとだったように思いますね。
岡・・・人類の大先輩として見ましたら、アインシュタインだってやはり井の中の蛙じゃないかと思います。
小林・・こういう言葉がありますよ。私が世の中で一番わからないことは、世の中がわかることである。
岡・・・それほど何も知らないのに、世の中の一人として暮らしていけるということは不思議といえば不思議ですね。
小林・・その意味はね、ぼくはこうだとおもうのです。あの人は世界を科学的に見て、欠陥のない一つの幾何学的像を書いたわけですね。これはわかるということです。どうしてこう分るのだろうということが彼には一番分らぬことだという意味です。
160ページ
岡・・・私は日本人の長所の一つは、時勢に合わない話ですが「神風」のごとく死ねることだと思います。あれができる民族でなければ世界の滅亡を防ぎ止めることはできないとまで思うのです。あれは小我を去ればできる。小我を自分だと思ってる限り決してできない。欧米人は小我=自分だとしか思えない。いつも無明がはたらいてるから、真の無差別知、つまり純粋直感が働かない。ほんとうに目が見えるということがない。(略)
小林・・あなた、そんなに日本主義ですか。
岡・・・純粋日本人です。いま日本人がすべきことは身体を動かさず、じっと座り込んで、目を開いて何もしないことです。(略)国家壊滅、人類破滅の危機に我が命を捨ててそれを守ることができる民族は日本人だけです。
小我=凡夫の我 自分一人にとらわれた狭い我。利己的な立場の主体性。対語=大我
無明=根源的な無知。人間などのもつ欲望や執着心などの諸煩悩ぼんのうの根本にあるもの。
本書は図書館の書庫から借り出したもので、発行は昭和40年(1965年)10月20日だが、三か月後の41年1月30日に11刷となっている。増刷を各5000として3か月で6万冊くらい売れたのか。今、これと同じクオリティの本を出版して3か月で6万冊売れるだろうか。(実際に何冊売れたのか不明)
本書の企画がもし新潮社の編集部だとしたら、編集長やスタッフの功績は表彰モノです。岡、小林両名の人格、実績から人間関係まで緻密に調べあげて対話(雑談)のレベルを想定し、インテリからペーペーの民まで巾広い読者層を意図した内容にした。そして、先にも書いたが、読者向けの注釈などを加えなかったことが書物のクオリティ維持に寄与している。あるべき目次も省き、小見出し以外は会話文しか印刷しない超シンプル編集がかっこいい。 しかし、編集、校正にはものすごく神経を使ったであろうことも想像します。そして、岡、小林の両氏も編集者も鬼籍に入った現在、日本人の知的レベルは順調に低下している・・と筆者は思うけれど、いや、大丈夫という人もいるでしょう。
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岡 潔著『春宵十話』
「人間の建設」より一か月ほど前に読んだエッセイ集。数学の世界はとことん論理的思考で研究するものと思い込んでいたので、この本はずいぶん刺激になりました。岡センセは、高等数学は「情緒の世界」とキッパリ宣うのであります。物理学で実験を伴うものは論理思考に頼るが、ひたすらアタマの中で発想、解決を求める数学は「情緒」なくして学問にならないと・・。かくして岡センセは「多変数解析函数論」で世界中の学者をアッと言わせる成果を生み、文化勲章授与の栄誉を得たのであります。
・・・で、本書の感想文も書きたいけれど、身体的にしんどいのでここは松岡正剛センセの「千夜千冊 第947夜」の一部をコピーで紹介します。ずいぶんチカラの入った文です。小林秀雄も登場しますのでぜひお目通しください。(約半分の文章をコピーします。(青色文字)
松岡正剛の千夜千冊 第947夜
https://1000ya.isis.ne.jp/0947.html
「春宵十話」岡 潔 毎日新聞社 1963
この『春宵十話』が毎日新聞に連載されていた10日間、高校から大学に入る途中の時期にあたっていたぼくは、九段高校がある飯田橋から中央線・京浜東北線を乗り継いで桜木町に着くと、しばらく横浜をほっつきまわるということをしていた。このことについては第894夜にもちょっとふれたことである。野毛、黄金町、ボートハウス、本牧はこのとき体におぼえた。
あるとき、古めかしい開港記念会館の講堂で小林秀雄の講演が開かれていて、そこに入りこんだ(ひょっとしたら文芸春秋の講演会か何かで、そうだとしたら申し込み制で、事前にハガキでも出していたのかもしれない)。
小林秀雄は驚くべき人物だった。舞台袖から演壇にゆっくり歩いてきてそこに立つや、いま茶碗で冷や酒をぐっと一杯ひっかけてきたんだが、こういうときに冷や酒で喉を潤しながらぼくが喉ごしに考えていることなど、みなさんにはどういうものかおわかりにならないでしょう。いや、茶碗ひとつに人生の主観が動くということがあるということもなかなかわからないでしょう、そんなことを言って、話を始めるのである。
ぼくは呆気にとられて、この男についてはいつか十全に立ち向かわなければ敵わないと覚悟したものだったのだが、その講演の半ば、みなさんは岡潔という数学者を知っているか、あの人は日本のことがよくわかっている人だ。それは、日本人が何を学習するのがいいかということをよく知っているからだと言った。これはぼくを狂喜させた。毎日新聞の岡潔の連載に言い知れない満足を感じていたからだった。
岡潔の専門は多変数解析函数論である。京都帝大を出てパリ大学のポアンカレ研究所に通っていたころに、この研究に生涯にわたってかかわろうと決めた。
いろいろ研究するうちに、どうも数学は愛嬌がない、急につまらなくなるところがある。理屈を動かしているときに何かが欠けていくという感じがしてきた。それなのに数学にかかわっていること自体はおもしろい。これはどこか自分の考え方のほうを変えなければならないと思い始めた。奈良女子大教授時代のことである。
こうして「情緒」という問題が浮上した。岡はしだいに自分の数学は「情緒を数学にする」ということだと考えるようになる。いったい情緒とは何か。情緒の中心からどんな数学が出てくるのか。そんなことばかり考えるようになった。
この噂を聞きつけた当時毎日新聞奈良支局にいた松村洋が、何度かにわたって岡にエッセイのようなものを書かないかとくどいたのである。
ところが岡は、自分は世間とは没交渉しているので、またそれで研究時間がおかしくなるのも困るからと、何度も固辞した。そこを粘っているうちに、そこまでおっしゃるなら口述ならかまいませんということになって、陽の目をみたのが「春宵十話」の新聞連載だった。
題名は岡がつけたようだが、文章は松村がまとめた。そのせいか、たいそう生き生きしている(寺田寅彦などを例外として、日本の科学者は文章に風味がない)。
本書はそれからしばらくたって、岡が他のところにも口述したり書いてみたりしたものを松村が一冊にまとめたもので、まさに春の宵の語り口になっている。
その後、岡の随筆はいろいろ出回ることになり、そのつど『紫の火花』(朝日新聞社)、『風蘭』『春の雲』『月影』(講談社)といった風情のある心ニクイ標題がついてはぼくを歓ばせてきたのだが、その印象は最初の『春宵十話』とすんぶん変わらない。最近はこれらを再構成して『情緒と創造』(講談社)という一冊も出ていて、これなら入手しやすいだろうが、やはり『春宵十話』が最初の春の宵の匂いなのである。
そういう事情はともかくとして、以下にこの数学者がどんなことを考えていたのかを案内してみる。多少は岡潔っぽく、そして少々は小林秀雄ふうに。
私はなるべく世間から遠ざかるように暮らしているのだが、その私がこの春の宵に急に何かを話そうと思ったのは、近頃のこの国の有様がひどく心配になって、とうてい話かけずにはいられなくなったからである。
太平洋戦争が始まったとき、私は日本は滅びると思った。ところが戦争がすんでみると、負けたけれども国は滅びなかった。そのかわり死なばもろともと思っていた日本人が我先にと競争をするようになった。私にはこれがどうしても見ていられない。そこで自分の研究室に閉じこもったのだが、これではいけないと思いなおした。国の歴史の緒が切れると、そこに貫かれていた輝く玉たちもばらばらになる。それがなんとしても惜しいのだ。
たとえばいま、国も人もあまりに成熟を急ぎすぎている。何事も成熟は早すぎるより遅すぎるのがいいのに決まっているのに、これではとんでもない頓珍漢である。
また、どうも直観を大事にしなくなっている。直観というものは直観にはおわらないもので、直観からそのまま実践が出てくることがある。直観から実践へというと、すぐに陽明学のようなものを想定するかもしれないが、ああいうものは中国からきて日本化したのではなく、もともと昔から日本にあったものなのである。
善悪の区別もつかなくなってきた。日本で善といえば、見返りも報酬もないもので、少しも打算を伴わないことである。そこに春泥があることを温かみとして納得するごとく、何事もなかったかのように何かをすること、それがおこなえればそれが善なのだ。
それから、これは西洋でも相当におかしくなっているのだが、人を大事にしていない。人を大事にしないと、人とのつながりに疑心暗鬼になっていく。人と人のつながりなど、最初につながりがあると思ったら、そのままどこまでも進むべきなのだ。どこかで疑ったらおしまいなのである。
なぜ人とつながれないかというと、「ある」ということを考えちがいをしているからなのではないか。それが心にも及んでいる。
われわれはふだん、自然のほかに心があると思っている。その心はどこにあるかというと、肉体のどこかにあるらしい。脳の中かもしれない。しかし、その脳も肉体である。その肉体は自然の一部だから、それなら心は自然の中にあるということにもなる。私も50歳くらいにはやっとそのように考えられるようになっていた。
ところがあるとき、その逆を考えた。心は自然の中にあるのではなくて、自然が心の中にあると思ってもいいのではないか。その後、私はこの考えをいろいろ確かめ、そう考えるほうが正しいのではないかと思い始めた。
そもそも自然科学は自然の存在を主張することができない。数学は自然数の「1」が何であるかは知らない。数学はそこは不問に付すものなのである。数学の出番はその次あたりからで、自然数のような性質をもったものがあると仮定しても矛盾はおこらないだろうかと問うところから、数学になる。だから、何かが「ある」と思うには数学や科学の力ではなくて、心の力がいる。薔薇やダリアがそこにあるのは、そう思うからである。春の泥を春の泥だと感じるのは、データによるのではなく、そのように春を受け入れた私があるからなのだ。私には肉体があると感じるのも、そう思ったからである。
ただし、この二つの「ある」はその性質がちょっと異なっている。たとえば春が「ある」と思うのと、数が「ある」と思うのとでは、何かがちがっている。ここに、ささやかに冴えた「ある」と、何かをあえて打ち消して「ある」を気がつくという、二つの「ある」が分かれる。
数学一筋だった私は、最初のうちはあえて打ち消してみてから出てくる「ある」をずいぶん論理的にも勉強してみたが、そのうちにむしろ、なんだかありそうな気がするという「ある」のほうが立派だと思えてきた。なんだかありそうななどというのははなはだ曖昧であるようだが、この曖昧を“心のあいだ”に入れられるかどうかが肝腎のことだったのである。人というのもそういうもので、人とのつながりはあると思う以外につながりは生まれないはずなのだ。春の野のスミレは、ただスミレのように咲けばよいのである。こうして私はそのように感じられる中心には「情緒」こそがあると思うようになった。
情緒を問題にするにあたって、厄介なのは「自分」ということであろう。日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。自分がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。そして、自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。
仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを「無明」(むみょう)というけれど、この無明を連発するようになるようなら、その人もその人が所属する社会も、混乱するか、自分主義の社会になる。たんに「わからない」と言わないで、「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。
私は孫をもつようになって、いったいどのように「自分」が発生するのかを観察してみた。生まれて3つくらいになるまでは、自分というものはない。4つになると運動する主体としての自分を少し意識するようになるものの、自他の区別はしていない。それが5つになっていよいよ感情や意欲の主体としての自分を意識し、自他の区別を少しもつようになる。この自他の区別の直前までの状態をとりあえず「童心」ということにしておくと、日本の教育の問題は、このごく初期の「自分の発生」をのちのちまで引っ張ったり、まわりが助長しすぎて、それを「個性」などと勘違いして褒めたたえることになるようなのである。しかし、そういう自分が発生したのちも童心はどこかにきっとあるはずで、童心というのは、伏せているものがはじけるように出てしまうものなのである。満月を見ているとおのずからこみあげてくる微笑のようなもの、幾つになっても蕾みが膨らむようにはじけて出てくるもの、それが童心である。これがなくては発明も発見もない。(引用ここまで)続きを読みたい人は https://1000ya.isis.ne.jp/0947.html
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(注) 本書の発行は1963年(昭和38年)。今から62年昔の著作ですが、発想の古めかしさや時代錯誤を指摘したくなる場面が皆無なのに感心します。




































































































































