淀川乱歩の「水都OSAKA《十五里漫歩》ガイド」

            ~大阪メトロを利用する60kmの散歩道をご案内~

<読書感想文> 最高の雑談本「人間の建設」を読む

       

       

 

 視力低下のせいで今年は10冊くらいしか読めなかったが、年の瀬に、岡 潔 ・小林秀雄の「人間の建設」と岡 潔の「春宵十話」の2冊にめぐり合い、十分満足しました。今から60年も昔に出版した雑談本とエッセイなのに、ぜんぜん古臭さを感じない スグレモノです。小林秀雄の本はやはり大昔に「モオツアルト/無常ということ」と「考えるヒント」を読んだことがあります。

 一流の学者と文士が「雑談」するとこんな会話になるのか・・。会話のクオリティの高さに驚く・・のは自分がアホだからかもしれないが、だから、読む価値がある。なにげにポアンカレベルグソンアインシュタインの名がでて、しかし、押しつけがましいところや上からの目線を感じることがない。さりとて素人向けに専門用語に注釈など加えず、淡々と話を運ぶ。えらい先生方の対談本はいろいろ読んだけど、これほどハイレベルで、なのに、ほとんど一気読みしてしまった本は他になかった。最高の雑談本と言う所以です。(二回読みました)

 

63ページ
小林・・数学者は今の物理学をそういう態度で考えてるのですか。
・・・大きな問題が決して見えないというのが人類の現状です。物理でいえば、物理学的公理が哲学的公理に変わったことにも気づかない。
小林・・しかし、アインシュタインの伝記などを読むと、あの人もずいぶん辛いひとだったように思いますね。
・・・人類の大先輩として見ましたら、アインシュタインだってやはり井の中の蛙じゃないかと思います。
小林・・こういう言葉がありますよ。私が世の中で一番わからないことは、世の中がわかることである。
・・・それほど何も知らないのに、世の中の一人として暮らしていけるということは不思議といえば不思議ですね。
小林・・その意味はね、ぼくはこうだとおもうのです。あの人は世界を科学的に見て、欠陥のない一つの幾何学的像を書いたわけですね。これはわかるということです。どうしてこう分るのだろうということが彼には一番分らぬことだという意味です。

 

160ページ 

 プラトンギリシャ思想の話題から少し話がそれて・・ 

・・・私は日本人の長所の一つは、時勢に合わない話ですが「神風」のごとく死ねることだと思います。あれができる民族でなければ世界の滅亡を防ぎ止めることはできないとまで思うのです。あれは小我を去ればできる。小我を自分だと思ってる限り決してできない。欧米人は小我=自分だとしか思えない。いつも無明がはたらいてるから、真の無差別知、つまり純粋直感が働かない。ほんとうに目が見えるということがない。(略)
小林・・あなた、そんなに日本主義ですか。
・・・純粋日本人です。いま日本人がすべきことは身体を動かさず、じっと座り込んで、目を開いて何もしないことです。(略)国家壊滅、人類破滅の危機に我が命を捨ててそれを守ることができる民族は日本人だけです。

小我=凡夫の我 自分一人にとらわれた狭い我。利己的な立場の主体性。対語=大我
無明=根源的な無知。人間などのもつ欲望や執着心などの諸煩悩ぼんのうの根本にあるもの。


本書は図書館の書庫から借り出したもので、発行は昭和40年(1965年)10月20日だが、三か月後の41年1月30日に11刷となっている。増刷を各5000として3か月で6万冊くらい売れたのか。今、これと同じクオリティの本を出版して3か月で6万冊売れるだろうか。(実際に何冊売れたのか不明)


  本書の企画がもし新潮社の編集部だとしたら、編集長やスタッフの功績は表彰モノです。岡、小林両名の人格、実績から人間関係まで緻密に調べあげて対話(雑談)のレベルを想定し、インテリからペーペーの民まで巾広い読者層を意図した内容にした。そして、先にも書いたが、読者向けの注釈などを加えなかったことが書物のクオリティ維持に寄与している。あるべき目次も省き、小見出し以外は会話文しか印刷しない超シンプル編集がかっこいい。 しかし、編集、校正にはものすごく神経を使ったであろうことも想像します。そして、岡、小林の両氏も編集者も鬼籍に入った現在、日本人の知的レベルは順調に低下している・・と筆者は思うけれど、いや、大丈夫という人もいるでしょう。        

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岡 潔著『春宵十話』 
 「人間の建設」より一か月ほど前に読んだエッセイ集。数学の世界はとことん論理的思考で研究するものと思い込んでいたので、この本はずいぶん刺激になりました。岡センセは、高等数学は「情緒の世界」とキッパリ宣うのであります。物理学で実験を伴うものは論理思考に頼るが、ひたすらアタマの中で発想、解決を求める数学は「情緒」なくして学問にならないと・・。かくして岡センセは「多変数解析函数論」で世界中の学者をアッと言わせる成果を生み、文化勲章授与の栄誉を得たのであります。

 ・・・で、本書の感想文も書きたいけれど、身体的にしんどいのでここは松岡正剛センセの「千夜千冊  第947夜」の一部をコピーで紹介します。ずいぶんチカラの入った文です。小林秀雄も登場しますのでぜひお目通しください。(約半分の文章をコピーします。(青色文字)

松岡正剛の千夜千冊  第947夜
https://1000ya.isis.ne.jp/0947.html
「春宵十話」岡 潔  毎日新聞社 1963


 この『春宵十話』が毎日新聞に連載されていた10日間、高校から大学に入る途中の時期にあたっていたぼくは、九段高校がある飯田橋から中央線・京浜東北線を乗り継いで桜木町に着くと、しばらく横浜をほっつきまわるということをしていた。このことについては第894夜にもちょっとふれたことである。野毛、黄金町、ボートハウス、本牧はこのとき体におぼえた。
 あるとき、古めかしい開港記念会館の講堂で小林秀雄の講演が開かれていて、そこに入りこんだ(ひょっとしたら文芸春秋の講演会か何かで、そうだとしたら申し込み制で、事前にハガキでも出していたのかもしれない)。

 小林秀雄は驚くべき人物だった。舞台袖から演壇にゆっくり歩いてきてそこに立つや、いま茶碗で冷や酒をぐっと一杯ひっかけてきたんだが、こういうときに冷や酒で喉を潤しながらぼくが喉ごしに考えていることなど、みなさんにはどういうものかおわかりにならないでしょう。いや、茶碗ひとつに人生の主観が動くということがあるということもなかなかわからないでしょう、そんなことを言って、話を始めるのである。
 ぼくは呆気にとられて、この男についてはいつか十全に立ち向かわなければ敵わないと覚悟したものだったのだが、その講演の半ば、みなさんは岡潔という数学者を知っているか、あの人は日本のことがよくわかっている人だ。それは、日本人が何を学習するのがいいかということをよく知っているからだと言った。これはぼくを狂喜させた。毎日新聞岡潔の連載に言い知れない満足を感じていたからだった。

 

 岡潔の専門は多変数解析函数論である。京都帝大を出てパリ大学ポアンカレ研究所に通っていたころに、この研究に生涯にわたってかかわろうと決めた。
 いろいろ研究するうちに、どうも数学は愛嬌がない、急につまらなくなるところがある。理屈を動かしているときに何かが欠けていくという感じがしてきた。それなのに数学にかかわっていること自体はおもしろい。これはどこか自分の考え方のほうを変えなければならないと思い始めた。奈良女子大教授時代のことである。
 こうして「情緒」という問題が浮上した。岡はしだいに自分の数学は「情緒を数学にする」ということだと考えるようになる。いったい情緒とは何か。情緒の中心からどんな数学が出てくるのか。そんなことばかり考えるようになった。


この噂を聞きつけた当時毎日新聞奈良支局にいた松村洋が、何度かにわたって岡にエッセイのようなものを書かないかとくどいたのである。
 ところが岡は、自分は世間とは没交渉しているので、またそれで研究時間がおかしくなるのも困るからと、何度も固辞した。そこを粘っているうちに、そこまでおっしゃるなら口述ならかまいませんということになって、陽の目をみたのが「春宵十話」の新聞連載だった。

 題名は岡がつけたようだが、文章は松村がまとめた。そのせいか、たいそう生き生きしている寺田寅彦などを例外として、日本の科学者は文章に風味がない)。
 本書はそれからしばらくたって、岡が他のところにも口述したり書いてみたりしたものを松村が一冊にまとめたもので、まさに春の宵の語り口になっている。
 その後、岡の随筆はいろいろ出回ることになり、そのつど『紫の火花』(朝日新聞社)、『風蘭』『春の雲』『月影』(講談社)といった風情のある心ニクイ標題がついてはぼくを歓ばせてきたのだが、その印象は最初の『春宵十話』とすんぶん変わらない。最近はこれらを再構成して『情緒と創造』(講談社)という一冊も出ていて、これなら入手しやすいだろうが、やはり『春宵十話』が最初の春の宵の匂いなのである。


そういう事情はともかくとして、以下にこの数学者がどんなことを考えていたのかを案内してみる。多少は岡潔っぽく、そして少々は小林秀雄ふうに。

 私はなるべく世間から遠ざかるように暮らしているのだが、その私がこの春の宵に急に何かを話そうと思ったのは、近頃のこの国の有様がひどく心配になって、とうてい話かけずにはいられなくなったからである。
 太平洋戦争が始まったとき、私は日本は滅びると思った。ところが戦争がすんでみると、負けたけれども国は滅びなかった。そのかわり死なばもろともと思っていた日本人が我先にと競争をするようになった。私にはこれがどうしても見ていられない。そこで自分の研究室に閉じこもったのだが、これではいけないと思いなおした。国の歴史の緒が切れると、そこに貫かれていた輝く玉たちもばらばらになる。それがなんとしても惜しいのだ。

 

 たとえばいま、国も人もあまりに成熟を急ぎすぎている。何事も成熟は早すぎるより遅すぎるのがいいのに決まっているのに、これではとんでもない頓珍漢である。
また、どうも直観を大事にしなくなっている。直観というものは直観にはおわらないもので、直観からそのまま実践が出てくることがある。直観から実践へというと、すぐに陽明学のようなものを想定するかもしれないが、ああいうものは中国からきて日本化したのではなく、もともと昔から日本にあったものなのである。

 善悪の区別もつかなくなってきた。日本で善といえば、見返りも報酬もないもので、少しも打算を伴わないことである。そこに春泥があることを温かみとして納得するごとく、何事もなかったかのように何かをすること、それがおこなえればそれが善なのだ。
それから、これは西洋でも相当におかしくなっているのだが、人を大事にしていない。人を大事にしないと、人とのつながりに疑心暗鬼になっていく。人と人のつながりなど、最初につながりがあると思ったら、そのままどこまでも進むべきなのだ。どこかで疑ったらおしまいなのである。
 なぜ人とつながれないかというと、「ある」ということを考えちがいをしているからなのではないか。それが心にも及んでいる。

 われわれはふだん、自然のほかに心があると思っている。その心はどこにあるかというと、肉体のどこかにあるらしい。脳の中かもしれない。しかし、その脳も肉体である。その肉体は自然の一部だから、それなら心は自然の中にあるということにもなる。私も50歳くらいにはやっとそのように考えられるようになっていた。


ところがあるとき、その逆を考えた。心は自然の中にあるのではなくて、自然が心の中にあると思ってもいいのではないか。その後、私はこの考えをいろいろ確かめ、そう考えるほうが正しいのではないかと思い始めた。

 そもそも自然科学は自然の存在を主張することができない。数学は自然数の「1」が何であるかは知らない。数学はそこは不問に付すものなのである。数学の出番はその次あたりからで、自然数のような性質をもったものがあると仮定しても矛盾はおこらないだろうかと問うところから、数学になる。だから、何かが「ある」と思うには数学や科学の力ではなくて、心の力がいる。薔薇やダリアがそこにあるのは、そう思うからである。春の泥を春の泥だと感じるのは、データによるのではなく、そのように春を受け入れた私があるからなのだ。私には肉体があると感じるのも、そう思ったからである。


ただし、この二つの「ある」はその性質がちょっと異なっている。たとえば春が「ある」と思うのと、数が「ある」と思うのとでは、何かがちがっている。ここに、ささやかに冴えた「ある」と、何かをあえて打ち消して「ある」を気がつくという、二つの「ある」が分かれる。

 数学一筋だった私は、最初のうちはあえて打ち消してみてから出てくる「ある」をずいぶん論理的にも勉強してみたが、そのうちにむしろ、なんだかありそうな気がするという「ある」のほうが立派だと思えてきた。なんだかありそうななどというのははなはだ曖昧であるようだが、この曖昧を“心のあいだ”に入れられるかどうかが肝腎のことだったのである。人というのもそういうもので、人とのつながりはあると思う以外につながりは生まれないはずなのだ。春の野のスミレは、ただスミレのように咲けばよいのである。こうして私はそのように感じられる中心には「情緒」こそがあると思うようになった。

 

 情緒を問題にするにあたって、厄介なのは「自分」ということであろう。日本はいま、子供や青年たちに「自分」ということを早く教えようとしすぎている。こんなものはなるべくあとで気がつけばよいことで、幼少期は自我の抑止こそが一番に大切なのである。自分がでしゃばってくると、本当にわかるということと、わからないということがごちゃごちゃになってくる。そして、自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。


仏教では、この「わからない」という知覚の一レベルのことを「無明」(むみょう)というけれど、この無明を連発するようになるようなら、その人もその人が所属する社会も、混乱するか、自分主義の社会になる。たんに「わからない」と言わないで、「無明」に謙虚にむきあって「無明の明」を知るべきだ。

 

 私は孫をもつようになって、いったいどのように「自分」が発生するのかを観察してみた。生まれて3つくらいになるまでは、自分というものはない。4つになると運動する主体としての自分を少し意識するようになるものの、自他の区別はしていない。それが5つになっていよいよ感情や意欲の主体としての自分を意識し、自他の区別を少しもつようになる。この自他の区別の直前までの状態をとりあえず「童心」ということにしておくと、日本の教育の問題は、このごく初期の「自分の発生」をのちのちまで引っ張ったり、まわりが助長しすぎて、それを「個性」などと勘違いして褒めたたえることになるようなのである。しかし、そういう自分が発生したのちも童心はどこかにきっとあるはずで、童心というのは、伏せているものがはじけるように出てしまうものなのである。満月を見ているとおのずからこみあげてくる微笑のようなもの、幾つになっても蕾みが膨らむようにはじけて出てくるもの、それが童心である。これがなくては発明も発見もない。(引用ここまで)続きを読みたい人は https://1000ya.isis.ne.jp/0947.html

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(注) 本書の発行は1963年(昭和38年)。今から62年昔の著作ですが、発想の古めかしさや時代錯誤を指摘したくなる場面が皆無なのに感心します。

       

 

水都大阪《十五里漫歩》(5) 東海道守口宿の今昔風景を訪ねる

● M太子橋今市駅からM太子橋今市駅まで4,5km

  全12コース中、唯一大阪市外、守口市へ越境するコースです。東海道の宿場は57か所、西の終点は守口宿は常識であるべきところ、歌川広重の版画「東海道五十三次」があまりに有名なためか、伏見、淀、枚方、守口宿の四宿場は影が薄い。ほんの一部でも昔の面影を残すのは枚方と守口だけです。

 

京阪東通り商店街には「まちなかピアノ」があって、だれでも演奏できます。

 

 ●三洋電機本社ビル 守口市役所に変身
 守口市役所が老朽化して建て替えを計画したとき、現庁舎の建て替え案と近くの旧三洋電機本社ビルを買収、移転の二案があったが、費用が格安、工事期間も半分以下という移転案が採用されて守口市役所に生まれかわりました。両所はいずれも国道一号に面していて距離も250mくらいしか離れていないので市民に不便はありません。
 市は所有者だったパナソニックから48億円で買い取り、10億円ほどで改修して、2016年10月、大阪市民がみても羨ましくなる立派な市庁舎が誕生しました。正面玄関を入って驚くのはEVの数、人口270万人の大阪市役所が8台なのに、15万人の守口市役所は6台がフル稼働しています・・というあんばいで、お急ぎでなければ寄り道をおすすめします。受付で所望すると市内の歴史・文化遺産を詳しく説明した立派なガイド地図がもらえます。なお、旧市役所跡には2023年12月、イオンタウン守口が開業しました。

 

 

守口市には吉本興業タレントによる応援団がいるみたい。(市役所ロビー)

旧市役所は解体されてイオンタウンに生まれ変わりました。

 

市役所裏手のゆるい坂道が旧東海道「文禄提」の起点になっています。

 

文禄提の本町橋のきわには「呂仁」というバーボンバーがある。(出入口は1F)

 

<BUNROKU>は鹿児島県の紅茶メーカーが経営するカフェ。紅茶は全部輸入品と思っていたけど国産もあるのですね。

文禄提薩摩英国館
https://www.satsuma-eikokukan.jp/bunroku

 

 守口市の企画で旧街道沿いの写真の民家を改築して観光、交流施設に生まれ変わります。当初予定では2025年5月オープンでしたが、秋になっても開業せず・・・何をモメてるのでしょうか。

 

上記民家の隣は昔ながらの「写真館」です。写真館もDPE店も今や「絶滅危惧業種」になってしまいました。

 

古民家の100mほど先に小ぶりの道標があって「なら のざき みち」の文字が。

東海道と奈良・野崎街道の起終点になります。ここから野崎(観音)までどれくらいの距離なのか。ヤマップ・島田さんの情報では8,5kmとのことです。

 https://yamap.com/activities/44708575

 

上の道標からはこんな石段を下ります。

 

石段を下った先に隠れ家ふうの酒場が・・・。

 

難宗寺境内の大銀杏。樹齢約500年とか。秀吉の案で「文禄提」をつくったのが1596年だから、この銀杏は足元で進む堤防工事を見ていたかもしれない。

 

大塩平八郎ゆかりの書院跡

 難宗寺の西100m、マクドナルドの敷地の隅っこに新しい石碑があります。

地元の豪農、白井家の敷地にある書院は大塩平八郎のセミナールームだったらしい。

 

 

マクドナルドに変身する前に、屋敷の一部でも移築保存するなどの要望、提案はなかったのだろうか。文化財保存に所有者も役所も市民も無関心だった・・のでしょうか。

 

下記の説明文は「洗心洞通信」様のHPの文を引用しています。

洗心洞通信  https://senshindow.theletter.jp/

 

大塩平八郎の乱とは・・・

 天保8年(1837)2月19日早朝、大坂東町奉行所の元与力で陽明学者でもあった大塩平八郎中斎(1793~1837)が飢饉の最中幕府の役人と大坂の豪商の癒着・不正を断罪し、摂津・河内・和泉・播磨(摂河泉播)地域の窮民救済を求め、幕政の刷新を期して決起した事件。奉行所の与力・同心やその子弟、近隣の豪農とそのもとに組織された農民ら約300人を率いて「救民」の旗をひるがえし、天満の自宅から大坂城をめざしたが、わずか半日で鎮圧された。乱による火災は「大塩焼け」といわれ、市中の5分の1を焼失した。
 当時配布された「檄文(げきぶん)」は大名から民衆まで密かに写され、また乱の情報は、大塩父子が暫く潜伏し手配されたため、全国に広く伝わり、幕藩体制に大きな衝撃を与えた。明治維新の30年前である。 乱の参加者はほとんど捕らえられ、獄中で死亡した者が多かった。 2017年は、乱から180年、大塩平八郎ほか関係者多くの没後180年にも当たる。(当研究会発行「大塩の乱のあとをたどる-マップでたどる大塩の乱」から一部修正)

 

大塩平八郎終焉の地

大塩平八郎終焉の地」碑は靭公園に引っ越しました。元の位置から50m?ほど東側、子供遊園地にあります。

 

 

 

淀川の近くに住んでいた 江戸川乱歩
 ある日、突然「淀川乱歩」という名前が脳裏に閃きました。そや、これでいこう、とイチビリまる出しのペンネームを決めると、以後、コース調査にも熱が入ってスイスイ進んだ・・ような気がします。しかし、今どき、江戸川乱歩の愛読者なんてもう百人に一人、いや、千人に一人いるかどうか。

 それはともかく、江戸川乱歩の熱心なファンなら、乱歩が若い頃のひととき、守口市門真市の借家を転々としたことをご存知かも知れません。作家としては無名だったので生活は苦しかったようですが、初期の「D坂殺人事件」や「屋根裏の散歩者」などは当地で生まれたそうで、また、江戸川乱歩というペンネームも守口在住のときから使いはじめたらしい。 八島町の国道一号沿いの「桃町緑道公園」入口に江戸川乱歩寓居跡と記した案内碑があり、矢印先の住宅がそれらしいが建物はまだ新しくて昔の面影はありません。市役所にたずねると、顕彰のために金属でプレートをつくって壁に貼り付けたそうですが、ネットで見つけた下の写真がそれみたいです。(未確認)ここから遊歩道を10分ほど歩くと淀川堤防に着きます。

 

蛇足ですが、江戸川乱歩の名は米国の作家、エドガー・アラン・ポー のもじりです。

                

乱歩案内碑の先の道は昔の農業用水をもとにつくった遊歩道で、10分ほど歩いて高速道をくぐると桜並木の公園に着きます。ここから1キロ足らずは河川敷を歩いて「空がでかい」を再度実感してください。 淀川の本流沿いを歩くのはあと一回、<9>コースで3kmほど歩きます。

    

 

 

 

        明治44年(1911年)の守口界隈の地形図

青色部分が開削された新しい淀川。右寄りの赤い線が現在も残る文禄堤。新淀川にも大きな砂州がたくさんあり、これらの土砂で旧淀川を埋め立てたと思われる。

 

                 水都漫歩コース地図(一部分)


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水都OSAKA《十五里漫歩》ガイド   制作 淀川乱歩
B4サイズ白黒コピー 12ページ(表紙共13ページ)

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カテゴリー<閑人帖>  プチプチシートで窓断熱・・・・  窓に「貼る」より「吊るす」方法をご紹介

 シートを吊るす方法なのでサッシ部分もカバーできます。戸の開閉は自由にできます

 

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淀川乱歩の《十五里漫歩》はお休みして話題ノンセクション、カテゴリー<閑人帖>の紹介です。

 当提案のアイデアの肝(きも)は文房具の大型「目玉クリップ」を使ってシートをぶら下げることです。強力クリップでシートを挟み、サッシや木枠にしがみつく(笑)。
 ネットでみなさんの施工体験を読むと、ほぼすべてがシートを「水で貼り付ける」か「テープで貼り付ける」方法の説明です。筆者もそれらを信じて一年前に試みましたが不器用なせいでうまくいきませんでした。今回、一週間くらい考えてシートを「吊るす」アイデアを思いつきました。 住まいはUR賃貸の6畳+板床つき和室のテラス窓、900w×1800h戸が二枚。換気小窓と防虫網戸つきの標準的なサッシ窓です。

 

購入材料 ◆プチプチシート(1m×5m) ◆樹脂製園芸用支木 10ミリ径 ×900ミリ4本 ◆大型目玉クリップ(65ミリ巾)6個  シートはホームセンター、ほかのパーツは100均店(セリア)で購入。材料費合計約1200円

 

       左右の窓とも目玉クリップでシートをぶら下げています

 

    左側窓の上部の吊り下げ方法。ゼムクリップで上下のクリップをつなぐ

 

       右側窓は換気小窓の嵌め殺しガラス側でサッシとバーを挟む

 

●工作説明
 サッシや木枠の仕様は多種なので工夫が必要です。シートの工作と取付方法は下図と写真を御覧ください。

 

 

      シートの上下端は折り曲げてホチキスで止め、バーを通します


「吊り下げ」工法のメリットは・・・

●不器用者向きの方法です
 この方法のメリットは「貼る」方法に比べて技術や器用さが要らないことです。強いて注意点をいえば、シートの寸法を正確にカットするくらい。

 

●断熱効果が高い
 広い空気層で断熱効果を高める。写真でお分かりのように、シートはガラスの全面をカバーできず、上部に10%ほどの「空き」があります。その代わり、シートはサッシ部分もカバーしています。また、シートとガラス面の間の空気層は大きく取れるので断熱に有利です。(空気層は右窓で約1~2cm、左窓で約8cm。但し、サッシの仕様によって数値は異なります)シートは引き戸にぶら下げるので、戸の開閉は自由にできます。

 

●耐久性で有利
 年中、熱射や冷気にさらされるガラス面直貼り方法は寿命が短いのが難点ですが、部屋内のガラス戸とカーテンの間にぶら下げる方法なら何倍も長持ちします。使わないときは巻いて保存できます。

 

●網戸やカーテンとともに相乗効果を生む
 防虫網戸なんか断熱には役立たないと思いがちですが、間違いです。冬の例でみると、最新の目の細かい網戸なら単独で20~30%くらい冷気遮断効果がありそうです。(網戸なしの窓と結露の水量のちがいで判断)レースカーテンの効果も同様で保温に役立っています。写真の左側の窓でいえば、外側から、網戸・ガラス戸・プチプチシート・レースカーテン・ドレープカーテン、と5重の断熱装置を設けていることになります。さらに、夏に使う日よけ(サンシェード・80cm×130㎝くらいの製品が多い)を網戸にぶら下げれば熱射や冷気の軽減に役立ちます。断熱をシート施工だけに頼るのは間違いです。

 

●テープ無しだからガラスを汚さない
 ガラスに強力な両面テープを貼る・・前回は、あとで剥がすのに苦労しました。こんなの毎年繰り返すなんてまっぴら御免です。そこで「目玉クリップ」の登場です。65ミリ巾の強力目玉クリップでサッシや木枠に園芸用支木と共にしがみつきます。取付、取り外しは秒単位でできます。

 

●とにかく安い 900×1800ミリサイズの窓、2枚ぶんで材料費は約1200円。これ以上安価な方法はないと思います。

 

●窓の断熱対策の目標は<室温2度アップ>
12月03日の夜11時30分、就寝時の室温22度でエアコンOFF。
12月04日の早朝の最低気温は4度(ネット情報による)
 同日午前6時30分起床時の室温は19,5度、前夜より2,5度ダウンですが、これは苦になる寒さではありません。窓の断熱対策ナシだったら、室温は17度くらいまで下がったかも知れない。この2~3度の差が断熱工作の成果です。起床後にエアコンで室温を2度上げるか、4度上げるか、でエアコンの電気代に大きな差が出ます。どんな方法であれ、断熱対策をした結果、2度未満の改善なら工作は失敗と思ってます。(ほとんどの人が体感で判断できる最小の温度差は2度)

 

断熱効果があるぶん、サッシ、ガラスに大量の結露が生じます。右側窓はサッシやガラスがシートに接触しないように工夫しています。左窓は 空間が大きいので接触することはありません。

 

<追記> 賃貸住宅ではなく、マイホームであれば、サッシや木枠に部材の取付などの工作ができるので「換気小窓つき」の窓でなくても施工できるかも・・と思います。

 

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●ついでの提案・・カーテンレール利用で室内干し

 三年くらい前に掲載したアイデアです。カーテンレールに大ぶりの「S字フック」をぶら下げ、アルミの伸縮ポールを渡してシーツなどを干します。テラス窓の室内側はエアコンに近いので早く乾きます。重いコットン毛布などを干す場合はカーテンレール取付金具の強度を確かめてから干してください。

 

 

            フックは百均店で購入できます

 

           エアコンの近くなので早く乾きます

 

(4)空がでかい・・淀川河川敷のんびり歩行  

  ●JR桜宮駅からM太子橋今市駅まで 約7km

 大阪の地べたでいちばん空がでっかく見える場所はどこか・・と問われたら「淀川河川敷」と答えます。川幅の広さが空の大きさの感じ方に大きく影響すること、現地で実感できます。中之島の空や大川端の空に比べて、淀川本流の空は格段にでかいこと体験して下さい。河川敷歩きが多いのは快適ですが、途中にはコンビニや食堂は皆無なので、食べ物、飲み物はJR桜ノ宮駅前で仕入れておきましょう。

今回の《topics》は大阪拘置所に関する話題と都島区毛馬出身の与謝蕪村を取り上げます。

 

桜ノ宮から先も桜並木は続きますが、歩行者はうんと減ります。

 

桜ノ宮駅から約20分で毛馬桜ノ宮公園の中心部に着きます。向こうの橋は「飛翔橋」

 

《topics》新鮮!コンクリート塀のない大阪拘置所風景

 JR桜ノ宮駅から都島橋をくぐり、飛翔橋のたもとを過ぎると大型の民間マンション棟の並ぶエリアが現れ、これに負けじと15階建ての大型棟が近づきます。世間で最もカタクルシイ建築物のひとつ「大阪拘置所」です。堺の刑務所と並んで大阪ではビッグ2といえる、懲りない面々専用の宿舎。その洗練されたデザインを見て「これ、ほんまにムショか?」と、驚きと、賞賛と、嫉妬心?がまぜこぜになった複雑な思いで見つめる人、多数でありましょう。

 改築工事前の拘置所はいかにも監獄、牢屋、という感じの誰が見ても醜悪な建物でしたが、それが明るく、開放感十分の集合住宅風のビルに変わり、何よりも出入口まわりのコンクリート塀が撤去されてアルミサッシのフェンスになったので雰囲気がガラリとかわりました。このブログの写真を見た人も「こんなチャチな塀で大丈夫か?」と訝るでしょう。堺の刑務所の塀を知ってる人が見たらショックはさらに大きい。(拘置所と刑務所の違いが塀の設計に影響してるかもしれない)

 

お花見の平和な風景の100m先で拘置所の建設が進む。天国と地獄とは言わないけれど、その境界で飲む酒の味は・・。でも、みなさん地元の方ばかりなのでこれも日常風景のひとつになっている。

 

改築前の拘置所。戦後間なしの設計、建築なので、監獄、牢屋のイメージにぴったりの醜悪な建物だった。「人間用倉庫」の感じだ。

 

今まで、陰険、見苦しいと見下げていた拘置所がアッと驚く大変身で新デビューしました。(この写真は大川の対岸から撮影)なに、隣接する民間分譲マンションよりカッコイイ?。そんなアホな・・。それはともかく、近隣の分譲マンションにとっては「環境改善」という効果があり、中古物件の分譲価格に良い影響があるのではと想像します。

 

隣接する街並みにもすんなり溶け込んでおり、情報のない人が見たら見分けがつかないのではないか。(中央が拘置所の建物)

 

刑務所、拘置所には必須だと思っていたコンクリート塀がなくなって、ご覧のような明るい風景、大変身しました。左奥はベルパークシティのタワマン。

 

アルミの角材を10センチおきくらいに並べただけのシンプルデザイン。今どき、個人住宅でもこんなヤワな塀はつくらないのではと思いますが。

 

芥川賞小説「東京都同情塔」とリアル「大阪府同情棟」
 2024年前期の芥川賞を得た九段理恵氏の小説「東京都同情」を読んだあとでこの建物を見た筆者は「これは大阪府同情やな」と思いました。小説の「塔」は70階建ての超高層刑務所だけどリアル大阪拘置所は15階建てなので「棟」であります。しょーもない拘りですけど。
 拘置所建物の外観が大変身したとして、懲りない面々が暮らす部屋にも変化があるのだろうか。法務省の方針としては、独居房を増やし雑居房は減らしてゆくらしい。要するに待遇改善が計られています。

 下の写真は小倉刑務所のシングルルーム・・いや、独居房です。監獄、牢屋のイメージはこれぽっちもなく、おまけに「三食付きで医療費も家賃も無料」でありますから、入居希望者がわんさといるのではと良からぬ想像をしてしまいます。おまけに、拘置所は刑務所と違って、基本、労役がないので「三食昼寝付き」という理想?の生活もあり得ます。う~ん・・。

 

<追記> 東京拘置所を調べてみたら、こちらも改築後はコンクリート塀がなくなっていました。拘置所は陰気なコンクリート塀廃止・・が設計基準になったのかもしれません。


●知って驚く大阪拘置所の歴史
 拘置所の歴史なんて知らなくて当たり前です。知ってるほうが変人かもしれません。現在の大阪拘置所が開設されたのは戦後の昭和30年代、それまでは北区にありました。なんと、今の「扇町公園」がまるごと「堀川監獄」でした。敷地約7万㎡と現拘置所より少し広い。このことは筆者も数年前まで知りませんでした。
 では、さらにその前は?・・経緯を省いてわかりやすく書けば、なな、なんと中之島に監獄があったのです。ホンマか?と疑われても仕方ない。時代は明治時代初期~中ごろまで、現中之島図書館の向かいに裁判所に併設された監獄がありました。私たちは中之島を文化ゾーンと思い込んでいるけど、それは図書館や中央公会堂ができたあとの風景です。さらに、現東洋陶磁美術館は「大阪ホテル」という格式高いホテルの跡地に建てられたことも知る人は稀です。

 

花見客でにぎわう扇町公園。この広い敷地が「堀川監獄」だった。

 

●競合店がない珍しいコンビニ店
 拘置所の南150mくらいのところに「丸の家」という商店があります。拘置所にいる人の家族など関係者が物品の差し入れをするときに品物の販売と取次をする店です。寝具や衣類、嗜好品などを差し入れするとき、本来は面会者自身が持参する必要がありますが、これを代行する店です。利用者には文字通り「コンビニエンス=便利」な店といえるでしょう。至って地味な商いだけど、おそらく、法律ではなく、90年余に及ぶ役所との信頼関係で維持されているため、新規業者の出店はほぼありえない。超レアな「すきまビジネス」です。

       「丸の家」(まるのや)のホームページはこちら                                                      https://marunoya.com/

 

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《topics》 与謝蕪村 ~なぜ故郷へ帰らなかったのか~
 拘置所前から歩道橋の「はるかぜ橋」をわたり、毛馬橋をくぐると「蕪村公園」に着きます。この公園の計画が発表されたとき、筆者は風流な趣のある公園を期待したのですが、全くのハズレでした。存在感があるのは公衆トイレだけという「無粋公園」でした。さらに進んで毛馬閘門の横で堤防へ上がると蕪村の生誕地碑と句碑があります。

 句碑に刻まれた ~春風や 堤長うして 家遠し~ は蕪村の自由詩「春風馬堤曲」にある俳句のひとつです。時代は変われど、空や川は今でも句のイメージに近い風景が見られます。 原文は漢詩に蕪村の俳句を交えたような文体で読みこなしも難しいので「あらすじ」をコピーします。

 

                   「春風馬堤曲」で描かれた故郷の風景

「春風馬堤曲」は、与謝蕪村が故郷を訪れる際に、長柄川の堤で出会った女性との会話を通じて、春の美しい風景と人間の情感を描写した詩です。詩の中では、春の風に吹かれながら、蒲公英(たんぽぽ)が咲く堤を歩く様子が描かれ、蕪村の心の中にあるノスタルジーや母への思いが表現されています。 

 詩の冒頭では、蕪村が故郷の耆老を訪ねるために川を渡り、馬堤を越える様子が描かれます。途中で出会った女性と共に数里を歩きながら、互いに振り返りながら語り合う情景が描かれています。女性の美しさや、彼女に代わって詩を作るという行為が、蕪村の心の中の感情を豊かに表現しています。 
詩の中では、春の草花や自然の美しさが描写され、蕪村の心に深い感動を与えます。特に、春の訪れと共に感じる人間の情感や、故郷への思いが詩全体を通じて強調されています。この詩は、蕪村の独特なリリシズムと、春の情景を通じて人間の感情を深く掘り下げた作品として、多くの人々に愛されています。(ここまで引用)

 

故郷への愛が込められた文なのに、里帰りは一度もしなかったらしい。何十年もふるさとを離れたゆえにリアルな毛馬の風景を見たくなかったのか。

https://www.bing.com/search?q=%E3%80%80%E6%98%A5%E9%A2%A8%E9%A6%AC%E5%A0%A4%E6%9B%B2+%E3%81%82%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%98

 

毛馬橋の北側にある「蕪村公園」 なんとか見栄えのする写真を撮りたいと思ったけど・・無理でした。

毛馬閘門を利用する船のほとんどは写真のような砂利運搬船大阪市内の需要の多くは淀川水系産で賄ってるかもしれない。通行料は無料です。

 

毛馬堤防上の蕪村生誕地碑。右の句碑には「春風や 堤長うして 家遠し」の句が刻まれている。

 

金まみれでつくった「梅田グランフロント」の広場と違い、淀川河川敷はは年に二~三回、草刈するだけの原っぱが風景の主役。

 

空がでかい・・と思っても、写真で伝えるのはむつかしい。

 

写真右下のビルはキーエンスの本社ビル。当ブログのカテゴリー<閑人帖>で9月に「キーエンスの正体」題で拙文を書いています。・・といっても9割は経済誌の引用ですが、たくさんの方に読んでいただきました。

            ブログ「キーエンスの正体」 

 閑人帳 カテゴリーの記事一覧 - 淀川乱歩の「水都OSAKA《十五里漫歩》ガイド」

 

菅原城北大橋から見た梅田界隈の高層ビル群。

 

イタセンパラがいるかも知れない・・わんどの風景。水都大阪に「わんど」という貴重な水環境があることを忘れていました。

 

大阪市内では一番景観が優れている「城北菖蒲園」期間が短いので平日でも混雑します。

●千人つか

 昭和20年、敗戦の年、大阪はたびたび大規模な空襲に見舞われたが、6月7日の空襲では淀川河川敷で悲劇が起きた。住宅街で火に追われた人々が河川敷に逃れて集まったところへ米軍戦闘機による機銃掃射が行われ、1000人以上が亡くなった。葬儀などできる状態ではなく、遺体はその場で埋められた。
 この惨状を見て地元の篤志家、東浦栄二郎氏(故人)が自宅庭の石に「千人つか」の字を刻み、堤防上に簡素な祠とともに供養塚を拵えた。以後、東浦氏ほか地元の有志の方々によって守られ、6月7日の命日には慰霊祭が行われている。なお、同じような悲劇が長柄橋下の河原でも起き、橋の南詰めに供養碑が設けられている。
 

大阪工大正門のデザイン

大阪工大の玄関のデザインは中之島中央公会堂とそっくりです。そのわけを知る人も多いと思いますが、簡単に書くと、建築家、片岡安は中之島中央公会堂の実施設計において辰野金吾とともに携わったからです。その後、片岡は建築以外の商工業分野でもまとめ役として活動し、その中に大阪工大の前身になる学校の設立にも縁があったことから実績の象徴として公会堂の外観が選ばれたそうです。  

 

浪花百景 第95図「毛馬」

(3)ビジネス街の史跡探訪と大川端散歩(4,5km)

 コースの前半は「適塾」などの史跡と船場の古建築めぐりと釣鐘町の「時の鐘」見学、後半は大川端の散歩と造幣局の見学というプランです。毎年大人気の「通り抜け」お花見とちがって閑静な秋の散歩をおすすめします。

 頒布地図にも記していますが、地下鉄淀屋橋駅は<11>番出口を出る。これを間違えると当地に不慣れな人はうろたえるかもしれません。ここから高麗橋までのあいだに「芝川ビル」「愛珠幼稚園」「適塾」「赤煉瓦館」「青山ビル」など、魅力的なレトロ建築があります。愛珠幼稚園は1880年築の日本で一番古い幼稚園(重文指定)、近年、数億円をかけて整備工事がおこなわれ美しく蘇りました。

 

 

日本生命関係ビルの周辺は歩道の幅が車道の3倍くらいあってとても快適。

 

筆者の好きな「芝川ビル」インカ文明ふう?の装飾がユニーク。

 

大規模改修でかっこよく蘇った「愛珠幼稚園」。 人物は外国人親子がホテルを出てきた場面だけど「自分が使うものは自分で運びなさい」といわれたのか、坊やがマイカーを押し歩いている姿が愛らしい。

 

適塾」の建物も数十年にわたって少しずつ改修や敷地拡張を進め、ずいぶん快適な環境になった。

 

適塾」の2階。この大部屋で30人くらいの塾生が寝泊まりした。一人一畳くらいのスペース。「福翁自伝」にその暮らしぶりが綴られている。

 

赤煉瓦館 (仮称)の背後のビル(ホテル?)が黒くペイントされてるのは視覚上の配慮ゆえ? 右のビルは「浪花教会」 

 

青山ビルにはオムライスの「北極星」が入居している。

 

コニシボンドでおなじみのメーカーの本社社屋も「登録文化財」になりました。

 

堺筋に面した「三井住友銀行」はこの立派なファサードを残して高層ビルに建替え中。

(注)ここまでに紹介した古建築は「イケフェス 2025」参加物件です。

 

《topics》もっと有名になってほしい歴史遺産「時の鐘」
 釣鐘町の「時の鐘」は浄瑠璃曽根崎心中」に登場する鐘の実物なのに大阪市民でさえほとんど知らない「残念な文化財」です。現地で由緒を詳しく記したパンフが入手できますのでぜひご一読ください。

 1634年(寛永11年)徳川家三代将軍家光は上洛の折に大坂にも立ち寄り、三郷の面々に地子銀(今の固定資産税?)を永久に免除する、と伝えました。この想定外の大判振る舞いに町民は大喜び。感謝するだけでなく、なにか記念の印を未来に残そうと考え、つくったのが大坂町中時報鐘(時の鐘)です。鐘は同年9月に完成し、約200年間、何度も火災に見舞われながら時を告げ続けました。

 1703年(元禄16年)近松門左衛門の傑作「曽根崎心中」のモトになった心中事件が起きる。近松は直ちに現地調査して台本をつくりました。その道行きの場面は・・

 

此世の名残 夜も名残り 
死に行く身をたとふれば 

あだしが原の道の霜
あれ数ふれば 暁の七つの時が六つ鳴りて
残るひとつが今生の 
鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽と響くなり・・

 

と語られます。そこで問題。鐘の音は本当にお初と徳兵衛に聞こえたのか。筆者の答えは「聞こえた」です。道行きシーンで上記の鐘の音を聴いた場面が現在の出入橋(第7コースでご案内します)付近と仮定すると、釣鐘とカップルの距離は約2300m、時刻は夜明け前の一番暗騒音レベルの低い時刻なので十分聞こえたと思われます。

 

高麗橋東横堀川をわたって右折、一つ目の辻を左折、約5分余、坂道の途中に「時の鐘」があります。「時の鐘」はコンクリート製の鐘楼に収まっている。

 

この鐘の音が心中行の「お初、徳兵衛」に聞こえたか・・・。残念なのは音色がよくないこと。鋳造を何度も繰り返したために合金の比重がかわるとか、悪条件があったと思われる。自動打鐘の音色は特に悪い。(時の記念日や大晦日の公開日は撞木を取り換えて鳴らすので、うんとソフトな音色になる)

 

大川端散歩コース

天満橋を渡って右折、次に斜張橋の川崎橋を渡ります。この橋を渡るのは数年ぶりという人は対岸にあった日経新聞大坂支社のビルが消えていることに少し戸惑うかもしれない。新聞社は2024年「ダブルツリーbyヒルトン大阪城」というホテルに生まれ変わりました。但し、テレビ大阪は残っています。新聞社は高麗橋の西側に引っ越しています。

 

春のお花見どきの賑わいがウソみたいな、静かな秋の散歩が楽しめます。

 

藤田美術館のとなりにあった「太閤園」は創価学会に売却された。現在、新しい記念会館などを建設中。太閤園の古い木造建築などは文化財として保存されるらしい。

 

春の「通り抜け」コースのラストは造幣博物館の門前なので、秋に訪ねるとこんな桜の紅葉風景が見られます。但し、正門で博物館見学の手続きが必要です。(住所・氏名記入)毎週火曜日は休館。

 

新500円硬貨はツーピースで作られている
造幣局博物館の展示品で見た興味深いサンプル。新500円硬貨の鋳造方法を説明したものです。新硬貨はツーピースで作られています。なんで・・? もちろん偽造防止のため。リングとコア、合金の成分を変えている。外見がそっくりだけでは騙せませんよ、というグッドアイデア。(この展示は終了しました)

 

 

盛業時の造幣局風景。鉄道が普及するまでは水運がいちばんの輸送手段で大いに繁盛した。しかし、まもなく蒸気船が出現すると手漕ぎ舟は衰退。同時に、大気や川の汚染がはじまり、水の都は煙の都になった。

 

造幣局の接待所だった「泉布観」老朽化が進み、最近は公開されなくなった。

 

造幣局の立派な門を利用した公会堂。現在はレストランになっている。

 

源八橋からの眺め。

源八橋を上流側から見る。昔の渡船「源八渡し」とほぼ同じ位置にあり、橋の右手の下に石碑がある。

 

   浪花百景「源八渡し」 約200年昔の風景です。

 

(2)中之島横断のんびり散歩  <後編>

< 前編>は京阪中之島駅から大阪市役所まででした。昼食済ませて散歩を続けます。

 前編と同じく最初に中之島の「豆知識」を書きます。テーマは「橋」。中之島にはたくさんの橋がかかっていて名前を覚えきれないくらいです。自称「散歩の達人」でも橋の名前をすらすら言える人はいないかもしれない。筆者も半分くらいしか言えない。HPでシンプルな一覧表を見つけたので掲載します。

橋の名前で数えると22橋あります。このうち、中之島をまたいで通じているのは天神橋と難波橋の二つだけです。これも知りませんでした。ほかの橋は例えば淀屋橋大江橋とか、川ひとつだけに架かっています。クイズ「22橋のうち、自動車が渡れない橋は何本あるか」と自分で問題を作ったが、答えられない。これの答え知ってる人、千人に一人くらいかも・・。上の資料をみれば答えは「4」ではと思いますが・・。(注)中之島の橋は上図の掲示のほかに島内のバラ公園に「ばらぞの橋」があります。

 

市役所の東玄関からみた中之島図書館。いつ見ても貫禄十分の外観です。

 

「これ、なんですのん?」 「前衛アート作品やて」 「ふう~~ん・・・」

 

■大人にも人気がある「こども本の森 中之島
 安藤忠雄氏が自ら設計施工して大阪市に寄贈した小さな図書館で現在6館目を北海道大学のキャンパスにつくっているそうです。子供用図書館といっても平日は通学で来館できないから大人も利用できるシステムがあり、一日にン百人が利用しているのではと思っています。しかし、滞在は90分という制約があって気ぜわしい。せめて120分にしてほしい。

ホームページはこちら・・・
https://kodomohonnomori.osaka/

利用希望の方はこちらの案内を・・・
https://kodomohonnomori-osaka.resv.jp/

 

 

 

川をながめながら本をひもとく・・90分はあっという間に過ぎてしまいます。

(この図書館は貸出のシステムがないので、家で読む・・はできません)

子供向けの本、といっても結構深刻なテーマの本もあります。村上春樹もある。

 

 

今回案内の主役はこれです。「きむらながとのかみしげなり ひょうちゅうひ」

 

《topics》映画「国宝」のようなドラマを秘めた石碑がある
 さて「こども本の森 中之島」の玄関前に巨大石碑「木村長門守重成表忠碑」があるのをご存じでしょうか。散歩人は99,9%無視して通り過ぎる、いわば「中之島風景のお邪魔虫」的存在です。筆者もふつうに無視していましたが、たまたま図書館で出会った資料を見て、この石碑がなんのために、なぜここにあるのか、を知りました。


詳しく書くと前回みたいに4000字越えの作文になるので端折って書きます。この石碑のある場所、明治時代は「豊国神社」のすぐ近くだったらしい。(注)現中央公会堂は豊国神社の敷地跡に建設された。 石碑に刻まれた木村重成は豊臣側の若い武将で大坂の陣では戦功を挙げたけれど惜しくも戦死した。


 ここからは長谷川幸延の随筆集「自己流 大阪志」の文をほぼまる写しで綴ります。「・・・この石碑を建てた元大阪府知事、西村捨三(すてぞう)(1843-1908)について少し触れておく。明治の劇聖といわれる九代目市川団十郎市川新蔵という弟子がいた。血のつながりはないが、優秀な役者に成長し、十代目を継ぐのではと評されるほど人気があった。しかし、二十七歳のとき、悪性の眼病に冒され、舞台では眼帯をしたまま演技した。それがまた評判になった。その新蔵が自分の舞台の長くないことを自覚し、今生の思い出に「茶臼山血判状」を演じたいと師匠の団十郎に申し出た。新蔵はかねてから木村重成を敬慕していた。常識ではありえないことだが団十郎はその心根を憐れんで申し出を許した。それほど心のこもった「血判取」の舞台だったので新蔵演ずる木村重成は後世の語り草になるほどの出来栄えだった。(しかし、新蔵の眼病は治らず、37歳で亡くなった)

 西村捨三は、たまたま上京中に歌舞伎座でこれを見た。そして心から感激した。感動のあまり豊公と縁故の深い浅野、黒田、鍋島など旧藩主を歌舞伎座に招いて新蔵の舞台を見せ、重成顕彰のことを計った。まず、団十郎が寄付を申し出、各藩主も賛同して石碑建立が決まった。(石碑は明治29年に建立された)

 ・・・というのが表忠碑建立のいきさつです。その後、神社は大阪市役所や中央公会堂建設のために2回引っ越しをして、昭和36年、大阪城公園の南寄りに移転します。石碑は神社の外側にあったので現在の位置に置き去りにされた・・とは筆者の想像です。(間違ってるかもしれない)

 でっかいくせに、中之島を散歩する人に無視されっぱなしの木村重成表忠碑。その建立の裏にあったドラマは映画「国宝」を思い出させます。九代目市川団十郎と弟子の市川新蔵を映画に当てはめると花井半次郎と喜久雄になる。映画は作り話だけど、団十郎、新蔵の話は事実です。しかも新蔵の運命は映画より悲しい。もし、歌舞伎ファンの方がこの石碑の前を通りがかったら、名優、九代目団十郎が重成を演じた弟子の名誉のために資金を寄付した石碑であることを思い出してください。


■この石碑は水都漫歩で訪ねる「大阪城 残念石」の第一号
 下見歩きを繰り返してるなかで、全12コースのうち5コースに残念石があることを知りました。水都大阪ならではの出会いです。石があるのはこの<2>コースと<6><7><8><12>計5コースです

 

ばら公園

中之島の東端風景。荒れていた護岸がきれいに修復された。

次回は淀屋橋駅から天満を経てJR桜ノ宮駅までご案内します。

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地図の頒布 ご案内
水都OSAKA《十五里漫歩》ガイド   制作 淀川乱歩
B4サイズ白黒コピー 12ページ(表紙共13ページ)

■価格570円+郵送料180円 合計750円
代金後払い・・地図郵送時にお支払い案内を同封します。
                (郵便局の定額小為替を利用します)

■申し込み・・メール [email protected]

 

(2)中之島横断のんびり散歩   <前編>

いわずもがな、全12コース中、いちばんよく知られた、観光価値の高いコースです。街の情報はわんさとあって、ここで美術館など有名物件をカタログふうに案内しても誰も読まないことは承知です。なので、このブログではしょうもないイチビリでも「淀川乱歩」のペンネームを使うので乱歩流のネタを乱文で綴ります。なお、今回は文字数が増えそうなので<前編>と<後編>に分けて掲載します。

                               

まずは「中之島の豆知識」から・・。サイズからいうと、東西は約3km、南北は最大で約300m、面積は73㌶。大阪城公園の7割くらいの面積です。
 町名は東から西へ「中之島一丁目」から「六丁目」までありシンプル。中之島には何人くらいの「島民」が住んでいるのか調べました。一丁目・・5人、二丁目・・0人、3丁目・・325人、4丁目・・675人、5丁目・・165人、6丁目・・1499人 合計2669人(2024年)大都会のど真ん中に人口ゼロの町があるんですねえ。人口ゼロの2丁目は淀屋橋(御堂筋)から肥後橋(四橋筋)までで、ここには「住まい」がないことは納得できます。因みに、中之島の昼間人口はおよそ5万人。こんな「夜は空っぽ」の中之島には総合スーパーは一軒もないはず、と思いきゃ、ありました。さて、どこにあるでしょうか。

 

中之島から四天王寺五重塔が見えた!?
 京阪中之島駅はR・ロイヤルホテル前出口から出るとすぐに広大な更地の前を通ります。中之島で最後の、かつ最大の再開発地です。ここに何ができるのか、興味あるけど自分の余命を考えると「三途の川」の対岸から見物することになりそう。再開発地の東端で「玉江橋」を渡ります。江戸時代、この橋のてっぺんから四天王寺五重塔が見えた。その場面が「浪花百景」に描かれています。


浪花百景「玉江橋図」 (第62図)


ホンマに見えたのか・・
 地形図を使って検証してみました。四天王寺境内の標高、塔の高さ、民家の軒高、玉江橋の高さ、などを想定、勘案したところ「見えた」と判断しました。ただし、五重塔が南北軸で建てられているのに対し、玉江橋は西へ30度ほど振った位置にあるため、橋からは斜め向きの姿で見えたはずです。当時の「火の見やぐら」は10mほどの高さがあれば十分市街を見渡すことができました。絵の五重塔の左に火の見櫓が描かれていますが、実在したのか、筆者は怪しんでいます。

案内・・「浪花百景」は全作品が閲覧できます。
    <浪花百景 Wikipedia> で検索してください。
          「玉江橋景」は第62図です。

 

現在の玉江橋。ここから四天王寺五重塔が見えたなんて信じられないが・・。

 

《topics》 適塾>の講義風景が現代によみがえる
 大阪大学中之島センターへ寄り道します。センターは2023年に改装工事を行い、この機会に森村泰昌氏(画家・大阪大学特任教授)の作品として「適塾の集い」を制作、2階への階段の壁に掲示しました。森村氏が有名人になりすまして作品に登場する得意のパターンで今回は緒方洪庵に変身しています。塾生たちには現役の学生がモデルになり、福沢諭吉にはアン・スンヨブ、橋本左内には清水悠平という具合で、年月を経たらご本人にはとても晴れがましく、懐かしい作品になるでしょう。この作品には下敷きになる名作があって、オランダの画家、レンブラントの「ニコラス・テユルブ博士の解剖学講義」を適塾の講義にアレンジしたそうです・・・と、この件は落着するのですが、つい最近、新情報に出会いました。

 

  大阪大学の機関紙に「適塾」という雑誌があります。そのなかに画家、森村氏自ら「適塾の集い」についてエッセイふうに書いた記事があり、これが興味深い。先の記事にはレンブラントの作品「ニコラス・テユルブ博士の解剖学講義」を「適塾の集い」にアレンジした、と書きました。しかし、この雑誌記事ではもう一人、意外な人物が登場します。それは漫画家の手塚治虫です。森村氏は手塚治虫の描いた「陽だまりの樹」という作品中のワンシーンにインスピレーションを得て「適塾の集い」の構図の参考にしたというのです。この雑誌記事の中にはレンブラントの名が一度もでてきません。

 んんんん・・なんや、ようわからん? 森村氏に代わって説明すると、画面構成におけるシチュエーションではレンブラントの作品を参考にし、人物配置や背景など具体的な画面構成では手塚治虫の作品を参考にした。これは淀川乱歩の詮索であります。

 いや、もう少し絡んでみたい。手塚治虫の「陽だまりの樹」の主人公の一人は手塚良庵といい、手塚治虫の祖々父です。かつ「適塾」の塾生でもあり、あの福沢諭吉と同級生だった。以前読んだ「福翁自伝」という本では良庵は「女たらしのあかん男」として描かれていました。・・というあんばいで「読書と散歩」が好きな人にはこの「中之島センター」への寄り道をおすすめします。

 作品は2階への階段の側壁に展示してあり、上がるとカフェ「アゴラ」のフロアです。店の運営はすぐ近くのR・ロイヤルホテルが担当。ならば珈琲もさぞ高いだろうと思いきゃ350円。お隣の中之島美術館のカフェの半額以下です。その代わり、注文はセルフサービス、珈琲は紙カップで提供、という十分プアなシステムで納得。でも、写真で分かるように内装はリッチでゆったり感十分。ランチもあります。

 

 書き洩らしたけど、センターの玄関入ったところに超デカサイズの古地図がパネル加工して展示してあります。江戸時代末期の制作なので地形はかなり正確です。これを見ると、この大阪大学中之島センターは旧久留米藩跡、隣の中之島美術館は広島藩の敷地に建っているとわかります。


           手塚治虫陽だまりの樹wikipedia    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%A8%B9

 

適塾の集い」 森村先生は右端、緒方洪庵役で登場

 

場面づくりの参考にしたレンブラントの作品

 

カフェ「アゴラ」。パーティもできるようにゆったりした客席になっている。

 

なぜか博物館から古い機械を運んで展示している。

 

 

中之島センター玄関の巨大古地図パネル。

 

■スーパーコンピュータ「京」はや博物館入り

美術館はパスして土佐堀川沿いの「大阪市立科学館」を訪ねます。大阪市民は敬老パス提示で無料入場できます。プラネタリウムの見学もOK。ここも全面改装して展示がすっきりした感じです。
 当館でいちばん印象深い展示品はスーパーコンピュータ「京」(けい)です。計算速度世界一と高性能を謳っていた「京」がはや博物館入りしていました。嗚呼、時は過ぎゆく・・であります。現在は後継の「富岳」が第一線で活躍中です。

「京」と「富岳」の性能の違い、ざっくり言えば計算速度では100倍早くなった、といわれても何のこっちゃねん、であります。もっと下世話な比べ方ないんかい?。
 スーパーコンピュータって電気代がえらい高くつくと聞いていたのでググッてみたら「一か月6億円」とどこかのサイトに書いてありました。なるほど、うちの一か月の電気代、6000円の・・・10万倍か。下世話な話に置き換えてもようわからんのであります。開発費用1100億円を投じても10年そこそこで「中古品」になり、博物館で見世物にされる。デジタル世界も」十分薄情であります。

 

「京」のワンユニット。これを864台連ねて稼働します。

 

主たる冷却装置は「水冷」だそう。えらいプリミティブなイメージ。

 

地階のフロアには大昔のプラネタリウムを展示している。

 

中之島でいちばん好きなビル「ダイビル本館」
 中之島の景観に風格を与えているのは日銀大阪支店、中之島図書館、中央公会堂の古典建築ご三家。これに「ダイビル本館」を加えたいというのが筆者の贔屓です。正しく言えば、ダイビル本館は解体されたうえ、位置も東へずれて建て直された新しいビルですけど。「こんな古臭いデザインのどこがええねん」といわれてもなあ。

 このビルをはじめて訪ねたのは1990年ごろでした。玄関入ると薄暗くて奥になにやら鈍く光るものが見える。それは真鍮製の郵便ポストでした。こんなポストがあるのか!!。郵便ポスト見て感激したのは生涯一回きりです。何回目かに訪ねたとき、清掃のおじさんが真鍮を磨いていました。缶入りのペースト状の研磨剤?をウエスにつけてシコシコ磨く。5分以上かかったような気がします。今も磨いてる?・・まさか・・透明の樹脂をコーティングして保護してるのではと想像します。

 隣の中之島美術館がデビューしたとき、真っ黒で単純な立方体というデザインを見て、こう思いました。設計者は隣のダイビルの古典デザインを意識して究極のシンプルデザインにしたのではないか。外観をなまじ「造形」すると必ずデザインの陳腐化がおきる。しかし、十分古臭いお隣のダイビルはもう陳腐化しない。10年、20年、30年たってデザインの劣化、陳腐化が進むのは美術館だけである。だったら、究極のシンプルデザインでいこうと。これは乱歩の勝手な想像です。実際の理由はコスパ優先のせいかもしれない。

クラシックデザインのビルはオフイス街に風格を与える。

 

大正時代に建てたビルは改築に際してタイル一枚ずつという単位で解体、保管され、再建時に元通りに施工された。たいへんな手間と費用がかかっている。

 

金ぴか郵便ポスト。飾り物ではなくて「現役」ポストです。

 

 

 

二代目「蛸の松」育成中
 中之島散歩の常連さんなら100%ご存じの名物?です。昔は久留米藩、今の中之島センターの玄関前にあったのですが、枯れてしまったので対岸の田蓑橋そばで育成中です。順調に育ってるように見えますが、樹形が「蛸」形になるかどうか・・仮に「蛸」になったとしても台風が心配。蛸になるまであと50年くらいかかりそうです。浪花百景では「夜の景」として描いてるけど、月の光に映えていたのならずいぶんロマンチックな「蛸」であります。(図集では第6景)

 

二代目「蛸の松」

 

 

先代 「蛸の松」

 

ビジネス街だった中之島もレジャー客を集めるために「仕掛け」を試みるようになった。

 

■市役所で休憩する。食堂もあります

 大阪に住んで何十年にもなるけど、市役所は行ったことありませんねん、という人、たくさんおられると思います。この漫歩の機会に立ち寄ってみませんか。なんの用事もなくても御堂筋に面した正面玄関から堂々と入りましょう。石造りの立派なホールがあり、右手には休憩用のロビーもあるので漫歩疲れを癒すにはぴったりのサービス空間です。地下2階にはフジオフーズが経営する食堂と英国屋喫茶店(ランチも可)があります。ファミリーマートもあるから食事にこまることはありません。ランチタイムを外せば混雑なしです。中之島では一番安価な昼食処かもしれません。但し、営業は平日だけなのでご注意を。

 

 

 

玄関ホールと休憩ロビー(飲食不可)

 

■映画「国宝」のストーリーふうの逸話を秘めた石碑がある

<前編>の案内は市役所までとします。後半の案内物件の主役は東洋陶磁博物館と

子供本の森図書館のあいだにある・・と書いてもほとんどの人は知らないでっかい石碑です。銘は「木村長門守重成表忠碑」。なんでこんな場所にあるのか。何を「表忠」しているのか。<後編>も生真面目に書くとえらく長話になりそうなので、まとめ方を思案中です。

 

頒布案内・・淀川乱歩の水都OSAKA「十五里漫歩」地図、まもなく完成

 ほんとうは12コースすべてをブログで紹介したあとで頒布案内するべきところ、それでは来年になってしまいそうなので、散歩シーズンの今、PRさせていただきます。有償頒布する地図をつくるのは20年ぶりで苦労しました。見栄えは写真のようにブサイクですが、よろしければお申込み下さい。

 

有償頒布 ご案内
水都OSAKA《十五里漫歩》ガイド   制作 淀川乱歩
B4サイズ白黒コピー 12ページ(表紙共13ページ)

■価格570円+郵送料180円 合計750円
代金後払い・・地図郵送時にお支払い案内を同封します。
                (郵便局の定額小為替を利用します)

■頒布数・・一人一冊

■申し込み・・メール [email protected]

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 第一コースの地図(部分図)  コースラインのほかに公衆トイレ、一休みできる休憩スポット、筆者が利用した<なるべく500円までの珈琲店> などを記入しています。(喫茶店主への取材とかはしていません)

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■「十五里漫歩」をおすすめしたい方は・・・・・・  

 第一に大阪市民で<敬老パス>をお持ちの方におすすめします。地下鉄とシティバスが一回乗車50円で利用できるので交通費が大きく節約できます。また、博物館等の入場料金が無料になるところもあります。「十五里漫歩」地図を購入した場合、一コースあたりの紙上ガイド費用=地図代は約50円(570円÷12)で済みます。

 コースの長さは3km~8kmで、一般の団体歩行行事より短めです。むろん、元気人は二つのコースをつなげて歩くのも自由です。水都散歩だから長い坂道やきつい階段はありません。

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■次回アップ予定・・第2コースの掲載は11月7日~10日ごろの予定です。

 

(1) 九条から商店街と河底トンネルを抜けて中之島へ

大阪の水都風景を散歩で楽しむ企画の第一コースです。九条駅からキララ商店街を抜け、安治川トンネルをくぐると人影のない殺風景な倉庫街へ出ます。「わ、しょうもない散歩コースやなあ」が第一印象。しかし、筆者はこの安治川の殺風景がお気に入りです。特に、曇り日の空も街も川もグレーのモノトーンに染まったシーンに絵画的魅力を感じます。 倉庫街を抜け、中央卸売市場に沿った遊歩道に着くとほっとします。「野田南緑道」と名づけられていますが、大阪市民の9割は知らないでしょう。以下、写真でご案内します。

 

 

メトロまたは阪神九条駅から北側の「キララ商店街」を歩きます。水都散歩の案内なのに、なぜか4か所の商店街歩きもご案内します。第10コースでは西成の「鶴見橋商店街」をフルコース(1000m)歩きます。お楽しみに。

 

安治川河底トンネルのエレベータ塔。左が歩行者用、右が自動車用(運用廃止)

 

トンネルの完成は終戦直前の1944年。筑80年超だから立派な歴史遺産です。

 

車道は下流にR43号ができたのを機に廃止された。右の車はスバル360。富士重工業から昭和33年(1958年)に発売された。お値段は42万円だったとか・・。同年の筆者の給料は額面7000円でした。

 

 

筆者の好きな「安治川殺風景」写真 2枚をアップします。

 

 

この中途半端な緑道は国鉄貨物線の線路跡です。

「ざこば鮨」を右折すると200mで中央卸売市場に着きます。

 

トンネルから15分ほどで中央卸売市場に着きます。役所、銀行、民間企業などがある16階建ての業務棟には地下に食堂、3階に喫茶店があり、だれでも利用できます。 喫茶店の終業が午後3時というのが市場らしい。(開店は午前6時!です)(注)市場内のフロアには入らないでください。

 

同じ安治川の風景なのに、先ほど見た殺風景とは真逆の明るい都市風景。市場沿いに立派な遊歩道があるのに散歩する市民は皆無です。その理由は遊歩道が「行き止まり」道で回遊できないせいもあります。しかし、市民の税金など「ン億円」もの大金をつぎ込んでつくった遊歩道が全く利用されていないなんて、嗚呼もったいない・・「十五里漫歩」発想のコンポンは筆者の生まれつきの「貧乏性」のせいでありました。この安治川トンネル中央市場~中之島のコースを知っていただくことで散歩ファンが増えることを願っています。卸売市場は、日曜、祝日と、水曜日の大半が休業ですが、遊歩道は利用できます。

 

わ!、ぎょうさん人集まってるやんか、ナニコレ?。そう、年に4回だけ遊歩道に近所の人があつまります。市場の有志が催す「ざこばの朝市」の賑わい風景。しかし、駐車場も駐輪場もなく、駅は遠い・・のでご近所の人しか来ない。

 次回は11月23日(日) 8時~14時開催 詳しいことはHPをごらんください

       公式HPはこちら・・・大阪・雑喉場 ざこばの朝市

 

中之島の東西端っこ風景・・西側はこんな風景です。左が堂島川、右が土佐堀川。名作「泥の河」の作家、宮本輝氏が子供じぶんに暮らした家はこのすぐ近くにありました。

 

安治川旋回橋 江戸時代後期、天下の台所、大坂への物資運搬量が増えて大型船の出入りもはげしくなったが、橋を架けると帆柱のせいでくぐれない。そこで考えたのが橋が「水平回転する」旋回橋。木造では設計施工できないので外国から鉄材など輸入してつくりました。橋が回転してできた隙間を帆柱が通過します。しかし、上流1キロ足らずのところには玉江橋と土佐堀橋があり、ここまでしか運べないから、実際、どれほど役立ったのか不明です。明治18年、大阪は未曽有の大洪水に見舞われ、この旋回橋の橋脚に大量の木材など漂流物が溜まってさらに洪水被害を増やす恐れが出たため、橋は軍隊によって爆破されました。この写真は現地近くに設置されたタイル絵を写したものですが、図書館で見つけた川口居留地の絵の遠景に橋の照明塔が描かれているのを見つけました。

 

川口居留地については第11コースで案内します。この絵は木津川橋の西詰から西のほうを描いたもので、遠景に旋回橋の照明塔が描かれています。ということは明治18年までの風景になります。ホンマにこんな風景あったんか?・・。

(雑誌「上方」第99号の表紙絵 昭和14年発行)

 

上船津橋を渡って堂島川左岸の遊歩道を歩きます。向こうの橋は堂島大橋です。国際会議場前に京阪中之島駅があり、今回はここがゴールです。

 

堂島大橋のライトアップ。昼間は武骨そのもののデザインにしか見えなかったけど、夜はこんなにエレガントな感じに・・。照明灯のデザインが「旋回橋」のそれとそっくりなのは偶然?

 

散歩後は珈琲が楽しみ、という人は国際会議場の二階にやや広めのカフェがあります。

 

カフェの下、地下一階には休憩所と自販機があって、こちらのほうがエコノミー。行事が多い日は混雑しますけど。また、一階の吹き抜けの奥にも自販機と休憩スペースがあります。

●旧カテゴリーの整理と継続について

 改題前のタイトル「今日もニコニコ乱読未読」では四つのカテゴリーを設けていましたが、改題を機に「今日もニコニコ節約暮らし」の項目をなくして「閑人帖」にて書き込みます。「読書感想文」は九割くらい削除しようと思ってましたが、選別が難しく、結構手間がかかるので現状で残します。視力低下で本が読みにくくなったけれど、たまには読んで感想文を掲載するつもりです。

イケフェス 2025 ミニ見学記

 10月25日~26日に開催された「イケフェス 2025」は195件の物件が公開され、筆者の勝手な想像では数万人の来場者があったかもしれません。自身もかねてより見学したいと思っていた「川口基督教会」を訪問しました(下の写真)聖堂は1995年の阪神大震災で大きな被害を受けたのですが、3年かけて修復され、元の姿に蘇りました。立派なパイプオルガンもあって荘重な調べを聴くことができました。

       イケフェスご案内・・生きた建築ミュージアム大阪
              https://ikenchiku.jp/

この川口教会は「十五里漫歩」では第11コースで訪れます。今年のイケフェス物件のうち、漫歩コース沿いにあるものを調べてみると約30件ありました。
 今年新たに選定された「安治川の河底トンネル」を訪ねる場合、近くの九条駅から往復するだけではお金と時間がもったいない「芸のない散歩」で終わります。十五里漫歩地図では九条駅~河底トンネル~国鉄貨物線跡~中央卸売市場の河岸遊歩道~堂島川遊歩道~国際会議場~京阪中之島駅・・という3,5kmのコースを提案しています。次回でご案内します。

 

 

  

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びっくり・・下の写真はイケフェス初参加で行列ができた胡麻屋さん「萬次郎蔵」。見学者はほぼ全員商品を買うので、知名度だけでなく売上もアップして「イケフェス効果」満点です。このお店がある通りは第7コースでご案内します。

 もう一つ驚いたのは建築物探訪というのは主に男性の趣味ではと思い込んでいたのですが、行列風景でお分かりのように女性のほうが多い。前掲の川口教会の見学者も女性のほうが多かった。なんでかなあ・・。

 

 

このほか、同じ蔵の町の「北村商店 一番蔵」と今年できたばかりの「淀屋橋スカイテラス」を見学。スカイテラスは休日なのに人影ほとんどなく、カフェもがら空きでした。高層ビルのてっぺん風景なんか皆さん見飽きたのかもしれません。