遊心逍遥記

遊び心で本の森を逍遥し、その時の思いを残しておこうと始めました。

『見仏記』 いとうせいこう・みうらじゅん  中央公論社

 単行本で読んだ。1997年6月に角川文庫版が出版されている。
 『見仏記ガイドブック』(以下、ガイドブックと略す)を最初に読み、おもしろみを感じて最初の『見仏記』から読んでみようという気になった。

 

 本書の末尾を見ると、この『見仏記』は当初、『中央公論』1992年9月号~1993年9月号に連載され、1993年9月に初版が発行されたとある。だから、『ガイドブック』(2012年10月刊)を読んだとき、いとうせいこうみうらじゅんの二人が20年来の「仏友」という言い方で記されていたのだ。延々と「仏友」の関係が続いてきたことになる。
 現時点で、角川文庫版として見仏記シリーズが6巻出版されている。本書がその第1冊目。ひょっとしたら、歴女に続く仏女ブームを生み出す中興的原動力になっているのだろうか。時系列で古寺巡礼分野の出版物を調べたことはないのだが・・・・・。

 冒頭に、みうらじゅんが小学生時代に作っていたという「仏像スクラップブック」が写真で6ページ分紹介されている。『ガイドブック』を読んでいたので、「ああ、これが出発点だったのか」とのっけからおもしろさを感じてしまった。仏像の写真や拝観券の半券が貼り付けられ、しっかりした文字で細かく感想などが書き込まれている。こいつ、ただものではないぞ、と思わせる出来具合だ。未来の片鱗がはやくもこのスクラップブックに見えている感じである。
 この「仏像スクラップブック」を介して、二人が話し合う場ができたことから、みうらじゅんがこの『見仏記』の企画を思いついたという。
 ある意味で弥次喜多道中全国行脚見仏記というのがぴったりというところである。

 

 見仏が目的であるということから、この20年前に出版された本書は、私には時代感覚のずれを感じさせない。ほぼ同時代を生きてきているせいかもしれないが・・・・。仏像の歴史、時間軸からすれば20年など、時間差を問うことすらこっけいかもしれない。
 『ガイドブック』で予備知識を得ているせいか、「見仏」が信仰対象として仏像を見るのでもなく、美術鑑賞・時代考証の学問的視点から仏像を論じるのでもなく、その中間で第3の道を行くというスタイルに読み進めるうえでの抵抗感はなかった。

 この「見仏記」は、仏を見に出かける全プロセスを楽しむというスタイルなのだ。
 二人の掛け合い万才風のおしゃべりやそれぞれの行動スタイル、失敗談や周辺の状況へのコメントなど、様々なものがごっちゃになりながら、見仏対象の仏像にアプローチしていくというものである。 だから弥次さん、喜多さん的旅行記談が記されている。

 「いとうさんも寝てないんでしょ?」
 うなずくと、彼は疲れた顔で続けた。
 「もう地獄の旅って決まったようなもんだよね。徹夜明けでフラフラで」
 私は黙って後について歩き出した。だが、すぐにみうらさんは振り返った。
 内緒話をするように、耳元に口を寄せてくる。
 「だけどさ、いとうさん。仏像が待っているんだよ、仏像が」
 そう言って、うれしそうにみうらさんは笑った。なんだかアイドルのコンサートに
 行こうとしている少年みたいだ。  p10-11

 こんなふうに二人の会話、道中の行動を記したシーンが本文にポンポンと出てくる。弥次喜多に負けることのないおもしろさがあって、かたぐるしくなく読みやすさは抜群。仏像の生真面目な鑑賞ガイド記を期待する人にはアテがはずれるだろう。「仏像」に辿り着くまでのプロセスの道中記を楽しみながら、二人が心中で別々に想像していたことが、いざ対象「仏」に対面したとき、どうなるか・・・・を楽しんでみようと思う人には、持ってこいである。

 

 二人が見仏する全プロセスをいとうせいこうが己の全身を通して、つまり知(智)・情・意を総合して、文章で描写していく。一方、みうらじゅんが見仏シーンの総合的マンガを各章で数枚描き、いとうの本文の間に挿入されていくという構成である。
 みうらのマンガには、見仏対象の仏像について、みうらの受け止めた「仏(像)」の特徴が描き込まれ、その仏(像)に吹き出しで語らせたり、現代感覚に翻訳した寸評コメントを入れたり、仏像環境の建物や、その他、お寺のお土産グッズを書き込みなどがある。盛りだくさんな「絵・文」のマンガである。これがいとうの文と相補関係をなす。本文では書ききれない感覚の側面がフォローされている。それは弥次さん喜多さんの助け合いである。

 本書の15ページ、最初の絵を見て頂ければ、百聞は一見に如かず!
 場面は興福寺。雲に乗った仏像たち。興福寺の御堂の上に現れる。御堂の絵が書かれ、その下に矢印を書き、薬師如来像と四天王像の絵。その下に、興福寺東大寺のお土産グッズの絵。
 空白部分には、みうらの感覚で翻案された見仏印象その他もろもろがコメント書きを入れてある。このコメントが実に面白いし、言い得て妙。なるほどとうなずけるもの多し。最初の絵からコメント書きの一旦をいくつかサンプリングしてみよう。
 *ボクの考える仏像たちはミュージシャンである。彼らは極楽浄土からやって来て・・・・みなスーパースターで老若男女の心をつかんで離さない。カッコイイ!
 *メイン・ボーカル薬師如来像  
 *警備にあたる四天王たち 四天王像からの吹き出しが「押すなよ!!」なのだ。
 *「般若心経」経本の絵を描き、「仏教界のビルボードで大ヒットソングブック」と付記してある
 *朱印帳の絵を描き、「ま、サイン帳だよね」の付記がつく

 これって、ふざけている訳では全くない。視点を変えると、そうとも言えるなあ・・・、というところ。頭にガツン!というおもしろさ。
 如来部の仏像が当然中心にくるから、これがメインであり、天部の仏像である四天王は護法神、仏教守護神的性格を担う役割だから警備にあたる形である。巡拝したお寺の朱印を集めて行けば、それは訪れたお寺のサイン、拝仏の証だから、機能はサイン帳と何ら変わらない。仏に対する信仰とミュージシャン、アーティストへの熱愛という対象の違いだけ。
 見仏し、お仕着せでなく、自分として仏と対面し、対話するという二人の姿勢の発露とみれば、そのユニークな「見仏記」は、抹香臭い仏像観を一掃させる現代的刺激になる。
 こんな調子で、二人の全国行脚が始まった訳だ。


 この単行本には次のお寺の仏像見仏がまとめられている。二人の仏友の観点から、見仏の当たり外れも含めて、読んで面白く、たのしい語り口、マンガが満載だ。

 奈良: 興福寺東大寺法隆寺中宮寺法輪寺法起寺、松尾寺
     新薬師寺、五劫院、東大寺戒壇院、浄瑠璃寺室生寺当麻寺聖林寺
     薬師寺唐招提寺西大寺
 京都: 六波羅蜜寺三十三間堂、東寺、神護寺、清涼寺、広隆寺
     大報恩寺、泉湧寺・平等院鳳凰堂
 東北: 慈恩寺立石寺、立花毘沙門堂、万蔵寺、成島毘沙門堂
     毛越寺中尊寺、黒石寺
 九州: 東長寺太宰府観世音寺天満宮大興善寺、龍岩寺、真木大堂
     富貴寺、神宮寺

 京都・奈良を主体にしてみると、有名どころのお寺がかなり網羅されている。東北・九州には、京都人としては初めて知るお寺がけっこうあるというところ。一度訪れてみたいな・・・という思い。

 

 本書は「阿弥陀如来の基礎知識」をマンガで導入し、「仏教基礎用語」として、基本中の基本である、「如来・菩薩・明王・天」を簡潔な文で説明している。一方、脚注として、基礎的用語や人名などを、時にはマンガ入りで説明してあるのも、わかりやすくて良い。

*日本人は本来の色が落ちたものをのみ好んで、しかもそこに仏の本質を感じている。日本独自と人々がいう仏教の感覚は、時が洗った跡に根ざしているのかもしれない。だとすれば、それは時教だ。  p230
*表情や様子は大切なもので、その形は人間の感情を支配する。気持ちがなごむから微笑むのではなく、微笑むから気持ちがなごむこともある。まるで奇妙な鏡のように、その如意輪は私に微笑みの形を教えているのだ、と思った。確かに、顔を見ると途端にこちらの頬がゆるむ。なるほどなあ、とひとりごとが出た。これが仏像の力だったんだ。 p265
 

 ご一読ありがとうございます。    【覚書 2014.12.8(月) 記】

 

 

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【 読書録整理函 】

gooブログで2011年8月から「遊心逍遥記」を開設。10年余続けた時点でログインでミスをして、ブロックがかかってしまい、復旧はできませんでした。それで、「遊心逍遥記その2」を新たに開設して継続。こちらはデータ移設が完了。
旧ブログ記事はその後、問い合わせもしてみましたが、データの移設不可という結論に。
読書感想・印象記は原稿を書いた後にブログ記事を掲載していましたので、当時の原稿はファイルとして残っています。

そこで、愛読作家の諸作品と手軽に参照したいものについて、カテゴリー別に抽出してまとめて、再掲載してみたくなりました。
「読書録整理函」として、私自身の記憶の引き出しづくりをしていきたいと思います。

当時、補遺としてネットで調べた事項を併載していました。それらは割愛し、掲載当時の読後感想・印象の本文だけを掲載いたします。どんな気持ちで読んでいたかの軌跡を残すためにも。再掲にあたり、凡ミス等に気づいた箇所は訂正を加えています。

こちらもお読みいただければうれしいです。

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