遊心逍遥記

遊び心で本の森を逍遥し、その時の思いを残しておこうと始めました。

『マル暴甘糟』 今野 敏  実業之日本社

 甘糟達夫(あまかすたつお)、35歳、北綾瀬署刑事、組織犯罪課組織犯罪対策係所属、巡査部長が主人公。身長は人並み、体格もそれほどよくなく、童顔のためいつも30歳前にみられるマル暴刑事。「俺は、定年まで何事もなく勤め上げて、貯蓄と年金で余生を暮らすんだ。それが人生設計なんだ」(p53)とマルBに対して語る。なぜ組対係になったかが不思議でならないと思っている人物。
 甘糟は郡原虎蔵(ぐんばらとらぞう)という先輩刑事と組む。思いっきりごつくて、身長180cm、目が鋭く、髪は坊主刈り、学生時代から柔道で鍛えた体格。いつも黒いスーツにノーネクタイ。誰が見てもマル暴刑事というよりもその筋の人、ホンモノに見えるという巡査部長。甘糟はこの郡原をヤクザ以上に恐れている。全く対照的なマル暴刑事のコンビが事件に取り組んでいく。

 この小説の楽しいのは、甘糟が自分はマル暴刑事としては役に立たない落第だという心理を抱きつつ、郡原の指示に必死で対応していく。そのときの思い・考えが描き込まれていくことにある。マルBに対応していくときの心の動きがユーモラスな会話---公務員としての規則遵守、つまりヤクザからの接待を受ければクビが飛ぶという考え---を交えながら描かれる。また、甘糟自身がヤクザと接触するときに、ヤクザが恐いという一般人並みの感覚で対応していくという情景描写もある。郡原の言動とのコントラストがまず楽しくて、読ませる部分である。


 さて、ストーリーの発端は、甘糟が当番の夜に起こった事件。被害者が暴力団員風だという傷害事件が綾瀬六丁目、レンタルビデオ屋の向かいの駐車場で発生。強行犯係の当番、芦谷公助に言われ、被害者が暴力団員風ということから、マル暴の甘糟も事件現場に向かう。勿論、甘糟は郡原に連絡をとり、現場で落ち会うことになる。
 機動捜査隊の鹿沼が言った被害者の特徴は、暴走族上がりの特徴だった。被害者には鈍器で殴られた複数の殴打跡があり、病院への搬送途中で死亡。病院で死体を見た郡原は、すぐさま被害者が多嘉原連合の構成員、東山源一、通称ゲンと識別した。多嘉原連合は、北綾瀬署管内に本部事務所を持つ暴力団で、関東の大組織・坂東連合の二次団体である。
 組員が撲殺された。これは暴力団同士の抗争事件なのか、そうではないのか?
 東山源一は組の中では将来有望と言われているマル走上がりの男。もとは半ゲソで、組員になったばかり。組員が撲殺されたことに対し、多嘉原連合はどう動くか? 郡原は「マルBをなめちゃいけない。やつらの裏情報は、時には警察を凌ぐこともある」(p17)と認識している。郡原は多嘉原連合の本家の様子を見にいく。甘糟はゲンの兄貴分唐津晃(からつあきら)、通称アキラの居場所をつきとめ、張り付くように指示される。マル暴刑事としての初動捜査行動を取る。
 甘糟はキャバクラに立ち寄り、アキラが「ジュリア」という別のキャバクラに居ると聞き込みをする。「ジュリア」でアキラを確認するのだが、アキラに多嘉原連合の事務所に連れ込まれる羽目になる。そして組長の多嘉原由起夫にも会わされることに。冒頭のこの経緯で、甘糟という刑事のキャラクターがユーモラスに描き込まれていく。このスタンスが、ストーリー中で幾度か出てくるが、それがなかなかおもしろい刑事像を浮き上がらせる。

 北綾瀬署に『構成員殺人事件捜査本部』が立つ。警視庁捜査一課が乗り込んできて強行犯係の事件として捜査が開始される。構成員が被害者ということで、事件の端緒に触れた甘糟・郡原が捜査本部の応援部隊に組み込まれる。
 初動捜査で、防犯カメラに映っていた車は、いかにもギャングか半グレが乗っていそうなタイブの車、黒のミニバンだと判明する。ゲンはマル走上がりであり、もとの仲間のトラブルに巻き込まれた可能性が想定される。アキラはゲンがもとの仲間とは既に切れていてプロであり、半グレのアマチュアとは違うと甘糟は言われたという。暴走族にはかならず対立グループが存在するので、ゲンは対立グループから狙われた線も考えられる。暴力団の抗争の一環なのかもしれない。だが、暴力団なら、駐車場での傷害致死などという形で殺すというやり方は解せないとマル暴刑事はみる。

 捜査本部は警視庁捜査一課と強行犯係が主体となる。捜査は犯行の手口と防犯カメラに映っていた車という事実から、半グレの仕業という線で進められていく。郡原と甘糟が応援部隊として組み込まれたのは、被害者が元半ゲソだったからということによる。
 傷害致死事件ならば強行犯係の担当、マル暴絡みならば組織犯罪対策係の担当と分かれる。強行犯係の刑事には、被害者が元暴走族で暴力団員だから、一般人が殺害されたときのように捜査本部を作るまでもなく、マル暴の仕事として組対の方に任せればよいという者もいる。そんな中で事件が捜査本部案件として取り扱われていく。

 甘糟は警視庁捜査一課の梶警部補、五十近いベテランに見える刑事と組むことになり、郡原は普段の梶刑事の相棒である遠藤刑事と組まされる。だが、郡原は捜査本部に加わったときに、「マル暴には独自の情報入手ルートがあります」と言い、管理官からは「たしかに、そのとおりだ・・・・。君たちには、独自に情報を追ってもらう」という言質を取った。ただし、情報は共有するのが捜査本部の原則だとして、捜査一課の捜査員と組み動くことを命じられる。


 このストーリーのおもしろさは、捜査本部体制での強行犯係の捜査のやり方とマル暴・組対係の捜査のやり方の大きな違いを浮き彫りにしていくプロセスにある。
 強行犯係の捜査本部は、重要事案を早期に解決するため、集中的に人員を投入し、本部の方針に従い、全員が一丸となり、分担された課題を捜査する。個々の刑事は捜査本部の指示に従う兵隊となる。それは郡原流に言えば、「徹夜で地べたを這いずり回るような捜査」である。一方、マル暴刑事は独自の情報ルートを手がかりに情報収集し捜査を進める。
 この違いが、当初は郡原と梶の捜査方法と捜査指示に対する意見の対立として顕在化する。郡原は、現場経験の少なさそうな捜査一課の梶警部補に、彼の力量を試すような発言を投げかけることから始めて行く。甘糟ははらはらしながら警察組織における身分や行動につい考えてしまう。梶刑事は最初は捜査本部のやり方を貫こうとする。このプロセスの展開がおもしろい。
 梶刑事はマル暴刑事・郡原のやり方を理解し始め、また総合的な視点から捜査本部の方針の盲点にも気付き始める。捜査のやり方を徐々に柔軟に変えて行く。郡原も梶刑事の力量と強味に気づいていく。甘糟は梶と郡原の間に立ち、戸惑いながらも、両者の長所を学んでいく。
 これが捜査本部体制の中での捜査の進め方という観点で読ませどころとなる。郡原は方針という指示に従う捜査より自分の頭で考えるという捜査を力説する。
 
 暴力団の抗争という立場でみると、ゲンの殺され方は暴力団のやりかたらしくない。だが、暴力団の抗争の可能性を無視できない。本部方針とは異なるが、郡原は梶警部の意見に抗いながら、甘糟に多嘉原連合が抗争する対象という観点で、甘糟に足立社中の様子を見てこいと指示する。捜査本部組織では、梶と組まされた甘糟に、郡原が直接指示をだすことそのものがルール違反なのだ。指示の出し方からまず対立が始まり・・・・。この辺りけっこうリアル感がある。甘糟の気の使い方が楽しめるところ。

 捜査一課の梶にとっては、暴力団の事務所を訪ねて様子を探るという未経験の領域に触れる機会になる。それは、甘糟のマル暴としての力量を客観的に観察していく目にもなるという点が興味深い。

 捜査本部は、半グレの車について捜査を推し進め、持ち主が元暴走族で無職、32歳の滝定夫だと判明する。だが、自動車検査登録事務所で車の所有者が判明したにしては、日数がかかり過ぎている点に、郡原は疑問を投げかける。そこには何か裏がありそうだと考えるのだ。
 一方、郡原と甘糟のそれぞれの組は、アキラと足立社中の張り込みを続ける。足立社中の近くでの張り込み中に、「ジュリア」の従業員だという駒田讓が甘糟に声を掛けてくる。アキラさんの面子もあるので、店に遊びにきてくれという。規定料金で内容的にはサービスをするというのだ。梶は敵対事務所の近くにいる二人に声を掛けてきたことに、何か意味があるのではと推測し、店に遊びに行くのもよいのではないかと言い出す。
 そんな折、多嘉原連合の近くでアキラを張り込む郡原から連絡が入る。アキラが車で動き出す後の尾行を引き継いだ甘糟は、「サミーズバー」に至る。そこは半グレの車の持ち主が現れないかと監視の刑事が既に張り込んでいるところだった。甘糟と梶は、アキラと話をするために、店に入っていく。
 その後、郡原に状況説明をした甘糟は、郡原にも「ジュリア」に行けと指示される。そこから、一歩ずつ事実の解明が進展していく。

 キャバクラ「ジュリア」を軸としながら、半グレの集団による傷害致死の線と暴力団抗争の一環となる殺害の線が交差していく。そこには意外な真相があった。マル暴には不適だと自己評価する甘糟が、結局は東山源一殺人事件の謎を解明する。


 この作品を読み終えて連想したのがは「漁夫の利」という中国の故事である。ああ、これって「漁夫の利」の逆バージョンだな・・・・。この印象論の意味合いは、この小説を楽しんでいただき、そういう連想が適切かどうか、ご判断いただきたい。


 マル暴刑事の甘糟はスーパーヒーローでもなんでもない。自己評価を低く見がちな等身大の刑事だ。その刑事がヤクザ以上に恐ろしいと心理的に感じる先輩刑事・郡原の薫陶を得ながら活動するというところに親しみを感じる。ユーモラスな会話も楽しみを加えるところである。それが、逆に郡原刑事のもつおもしろみを際立たせることになっている。  一方で、捜査一課の現場経験が少ない梶警部補の捜査に対する心理の変化も一つの読みどころである。警察組織内の管理部門での経験が一つの押さえ所として充分に活かされていくという展開も興味深い。
 やはり捜査は様々なキャラクターの刑事の組み合わせが読ませどころになる。

 末尾のアキラと甘糟の会話が余韻を残す。
アキラが言った。「覚えているか? もし、俺がグレてなくて、あんたが警察官じゃなかったら、いっしょに飲みに行ったりできたかなって、俺が訊いたこと。」「そのこたえを訊きたいと思っているんだが・・・・」
「そうだね。」甘糟はこたえた。「立場が違えば、いっしょに飲めたと思うよ」


 ご一読ありがとうございます。   【覚書 2015.10.3(土) 記】

    【付記】 単行本 2014年11月 刊行  文庫本 1017年10月 刊行

 

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【 読書録整理函 】

gooブログで2011年8月から「遊心逍遥記」を開設。10年余続けた時点でログインでミスをして、ブロックがかかってしまい、復旧はできませんでした。それで、「遊心逍遥記その2」を新たに開設して継続。こちらはデータ移設が完了。
旧ブログ記事はその後、問い合わせもしてみましたが、データの移設不可という結論に。
読書感想・印象記は原稿を書いた後にブログ記事を掲載していましたので、当時の原稿はファイルとして残っています。

そこで、愛読作家の諸作品と手軽に参照したいものについて、カテゴリー別に抽出してまとめて、再掲載してみたくなりました。
「読書録整理函」として、私自身の記憶の引き出しづくりをしていきたいと思います。

当時、補遺としてネットで調べた事項を併載していました。それらは割愛し、掲載当時の読後感想・印象の本文だけを掲載いたします。どんな気持ちで読んでいたかの軌跡を残すためにも。再掲にあたり、凡ミス等に気づいた箇所は訂正を加えています。

こちらもお読みいただければうれしいです。

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