遊心逍遥記

遊び心で本の森を逍遥し、その時の思いを残しておこうと始めました。

『強襲 所轄魂』  笹本稜平  徳間文庫

 所轄魂シリーズの第3弾。2015年7月に単行本が刊行され、2018年6月に文庫化された。

 あることがきっかけとなり警視庁捜査一課の敏腕刑事、葛木邦彦は所轄への異動を希望した。願いは受理され、城東署の刑事・組織対策犯罪課強行犯捜査係長となる。所轄では犯罪と名の付くものなら何でも扱うことに。
 城東署の管区でアパートに住む女性が人質となる立て籠もり事件が発生。女性は元の夫との間で離婚調停が成立したものの、接近禁止の保護命令が3ヵ月前に切れたという状況で、しばしば恐怖を訴えていたという。事件を起こしたのは元の夫。犯人の西村國夫、35歳は元警察官で3年前まで特殊犯罪係(SIT)に所属していたと判明する。覚醒剤の常習が発覚。初犯であり警察を辞職することで執行猶予となった経緯がある。

 この立て籠もり事件に、本庁からSITのチームがすでに現場に臨場していた。だが、立て籠もりの犯人が元SITであることから、手の内は知り尽くされていることになり、うかつに突入もできない。
 西村は、当初巧妙にも本庁との間にホットラインを用意させて、その電話だけで交渉するという態度に出た。そのため、事件を扱う本部は警視庁内に置かれ、事件現場とは遊離する。現場で状況を見ながら判断する指揮官不在の状況に置かれる。現場に臨場するSIT隊長の川北は本庁の本部の指示を仰ぐ形になる。所轄の城東署には対策本部が設置されない。

 西村はSITに着任して2年後、ある暴力団組員の自宅ガサ入れにおいてSITの応援要請があった。短銃を所持していることと覚醒剤の販売をシノギとし本人も常習しているという情報が伝えられていた。ドアを破り、先輩の同僚が最初に踏み込み、西村が続いた。同僚が男に近づいた時、男は後ろ手でテーブルの上をまさぐり黒っぽい金属光沢のものを手に取り、同僚に向き直った。そのとき、西村は掩護としてその男の肩あたりを狙って撃ったのだが射殺してしまうことになった。この事件は、正当防衛として闇に封じられてしまった。

 所轄側としては、現場近くに、刑事・組織犯罪対策課の大原課長と別の事件捜査中に急遽呼び戻された葛木が張り付くことになる。大原と葛木はSITの川北隊長と西村について情報交換を行うことで、事件の背景をできるだけ明らかにしていこうとする。彼等は現状から判断すると、事の発端は誤射隠蔽事件以外には考えにくいと判断した。

 事件の発生を知った葛木の息子、俊史は警察庁から父親に電話を入れてくる。2人は情報交換し、俊史は警察庁に報告されている情報と状況を掴むとともに、上司に働きかけて現場に張り込む所轄とSITをサポートすると約束する。
 そんな矢先に、西村が葛木の携帯電話に連絡をしてきた。葛木に交渉の窓口になって欲しいと要求してきたのだ。葛木には面識がない。本人がアパートの窓のカーテンを少し開き葛木に顔を覗かせ、軽く敬礼をする行動を取った。間違いなく本人であることを証明したのだ。勿論、即座に葛木は大原に交渉役に指名されたことを報告する。
 葛木がこの立て籠もり事件の実質的な交渉人にならざるをえなくなった時点から、事件解決への紆余曲折のプロセスが始まる。

 現場に張り付いている葛木と事件を引き起こし立て籠もる西村との電話による交渉のプロセスがメイン・ストーリーになっていく。
 西村はSIT隊員だった経験を踏まえて、己の目的達成のために周到な計画をたてて行動している。人質を取る。猟銃の準備。自爆の準備を調えている。警視庁の上層部を引き出した上で、葛木を直接の交渉相手に指名。インターネットの活用を準備・・・等。
 葛木は警察組織に暗部が潜む実態を憤りそれを排除していきたいという思いを抱く一方、現状の警察組織内に踏みとどまる己に忸怩たる意識を抱いている。西村についての情報を部下の池田らに調べさせる。葛木は刑事として西村が事件を起こしたこと自体に対し、法的に当然の制裁を受けるべきという立場を堅持する。一方で、情報が累積していくにつれ、西村の意図と行為の一端に共感し始めて行く。
 交渉のプロセスで、例えば次の様な会話が生まれる。
西村「いいんですか、そんなことをして。職務に対する背任になりますよ」
葛木「いいんだ。肝心なのはその職務が人の道として正しいかどうかだよ。私は組織の論理に魂を売るより、警察官としての誇りに殉じたい」(p134)
 葛木が交渉人としてどのような心理的葛藤を抱き、どのように判断し、どういう行動を取るか。葛木との交渉・対話の中で、西村に変化が生まれるのか。
 交渉人葛木のスタンスと行動描写が読ませどころとなる。


 メイン・ストーリーに絡まる形で、因果関係や事件対応策に関わる様々なサブ・ストーリーが織り込まれて行く。どういうサブストーリーが絡んでいるか、少しご紹介しておこう。
*西村がホットラインを指定したことにより、警視庁内に本部が置かれた。本庁の上層部がこの事件に引き出される。その本部の立場と方針がいかなる状況で動いていくか。
 事態の推移とともに、城東署に現地本部も設置されることとなる。途端に署長の行動が変化していくという描写もおもしろい。こちらは少し皮肉な視点で捕らえられている。
*葛木は、誤射隠蔽事件が事件の根底にあるとみた。当時の真相はどうだったのか。それがこの事件とどう関わるか。池田らに調べさせる。息子の俊史も事実解明に側面から協力する。
*本庁の対策本部内は、事件の解決方法に対し必ずしも一枚岩ではない。しかし、現場にSITが臨場しているにもかかわらず、警備部長の指揮下にあるSATが現場に送り込まれる。刑事部長は公安キャリアの定席である。刑事部長直下に捜査一課があり、SITは捜査一課に所属する。つまり、刑事警察の元締めである刑事部長、捜査一課長の意見は外されたといえる。SATは鼻から西村を射殺する意図を示している。SAT利用に反対する所轄魂が燃え上がる。現場で事件解決への対応に確執が生じる。
 SITとSATの役割・機能の違いがわかり、この点興味深い。
*立て籠もり事件に対して、警察庁と警視庁がどういう関係にあり、どう対応していくのか。それが現場にどのような影響を与えるか。警察庁に所属する葛木俊史は上司を巻き込み、どういう行動をとって行くのか。ここでも組織内の勢力関係の確執が関わって行く。それは警察庁と警視庁の組織の繋がり方にも関係している。
 警察組織の政治力学を知る上でもおもしろい。


 立て籠もり事件を引き起こし、自ら犯した誤射事件が嵌められたものと認識し、隠蔽された背景の真相を暴き出そうとする捨て身の西村。警察組織が自らの手で犯罪の黒幕を含め関与した人間を摘発せよと迫る。葛木は彼の意図に注意を払い対応して行かねばならない。それ自体が事実なのか、西村の妄想による絵空事なのか。葛木もまた捨て身の行動をとることになる。

 交渉がどのように進展して行くのか。交渉の膠着状態をどのように打開していけるのか。先の読みづらい交渉のプロセスが、読者を惹きつける。ストーリー展開の紆余曲折をお楽しみいただけると思う。


 ご一読ありがとうございます。     【覚書 2021.10.25(月) 記】

 

 

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【 読書録整理函 】

gooブログで2011年8月から「遊心逍遥記」を開設。10年余続けた時点でログインでミスをして、ブロックがかかってしまい、復旧はできませんでした。それで、「遊心逍遥記その2」を新たに開設して継続。こちらはデータ移設が完了。
旧ブログ記事はその後、問い合わせもしてみましたが、データの移設不可という結論に。
読書感想・印象記は原稿を書いた後にブログ記事を掲載していましたので、当時の原稿はファイルとして残っています。

そこで、愛読作家の諸作品と手軽に参照したいものについて、カテゴリー別に抽出してまとめて、再掲載してみたくなりました。
「読書録整理函」として、私自身の記憶の引き出しづくりをしていきたいと思います。

再掲にあたり、凡ミス等に気づいた箇所は訂正を加えています。

こちらもお読みいただければうれしいです。

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『失踪都市 所轄魂』  笹本稜平   徳間文庫

 『所轄魂』の第2弾! 2014年7月に単行本が刊行され、2017年5月に文庫本となった。
 中心となる人物は、城東署刑事・組織犯罪対策課強行犯捜査係の係長、葛木邦彦。ノンキャリアの警察官で、警視庁捜査一課殺人捜査係に所属していたが、それを擲ち希望して所轄署に転出した。葛木が早朝ジョギングをしていて自宅に向かう途中で携帯が鳴り出すという場面からストーリーが始まる。
 亀戸5丁目の民家で完全に白骨化した遺体が二体発見されたと宿直当番だった若宮から告げられる。機捜が間もなく現場付近での初動捜査に入ると言う。第一機捜の上尾小隊長らが現場を担当していた。上尾は葛木のかつての同僚。無線のやり取りを聞き、葛木は上尾の声の調子から、事件性はなさそうな感触を受けた。事件性のない孤独死だったのか。
 隣人は昨年引っ越ししてきた人で、隣家が空き家と聞いていたという。早朝に、その隣家に明かりが見えたので不安を抱き110番通報。近くの交番の警官が駆けつけて遺体の第一発見者となった。事件性は状況から判断するしかないと葛木は思う。そこに、検視官・室井警視が臨場してきた。現場を臨検した室井は他殺だと断定する。白骨化した遺体を鑑定した室井は舌骨に骨折の形跡が見られ、扼殺だと言う。
 初動捜査で、遺体は矢上幹男と妻の文代と推定された。3年前に矢上幹男が町内会長に引っ越しを理由に町内会退会を申し出ていて、その数日後の夜中に車が来て1時間ほどで走り去ったという。隣人は息子夫婦が二人を引き取っていったと判断したらしい。それ以来空き家と思われていたのだ。

 庶務担当管理官はこの春に着任した倉田。倉田は5年前の足立区での女子大生殺害事件の時にこの事件を担当し、室井との間に凶器の見立てで意見が対立した。捜査本部の現場の混乱で、事件が迷宮入りするという因縁があった。つまり倉田には室井に遺恨があるようなのだ。捜査本部の設置判断は倉田の所管である。
 東京都監察医務院での検案の結果、担当監察医の結論は二体とも自然死だという。それに対し、室井は大学の法医学教室に再鑑定を依頼したいと主張し、なぜか、葛木の息子である葛木俊史管理官を巻き込んでいた。葛木俊史管理官は特命捜査対策室の事案として担当することを考えているという。

 そんな矢先、大原課長が遺体の引き取り手を探すために区役所と連絡を取ったことから、住んでいた二人は3年前の5月に豊橋市に転出していて戸籍上は存命として残っているという。二つの遺体は矢上夫妻ではない可能性が出て来た。池田と若宮が豊橋に出かけて矢上夫妻が存命かどうかを調べることになる。そこから事件は厄介な方向に動き出す。
 矢上夫妻の戸籍簿と住民票から様々な確認すべき事象が生まれてくる。矢上夫妻の息子昭正は四年前に勤務先の工場での事故で死亡。昭正の妻は除籍して旧姓で新戸籍を作り、一人息子はそこに転籍し、その息子はアメリカに居住していた。
 さらに矢上夫妻の住民票の住所地を現地で確認したことから意外な事実が明らかになってくる。加えて、豊橋に調査に行った池田は、予想外の話をもたらした。今は存在しないアパートの所番地に、実態のない住民登録がなされていた結果、沼沢隆夫という高齢者夫妻が去年に職権消除されている事例である。その人物の前の住所が、戸籍所在地と同一で、江東区住吉一丁目だという。さらに、居住実態のない住民票の問題が江東区大島町五丁目にもあった。高齢者の相場夫妻であり、戸籍上は生きている形になっている。そこに共通するのは、江東区豊橋、そしてどのケースも高齢者の男女二人世帯という点だった。
 大原課長は事件にならず終わればと願っていたが、思わぬ事態が出て来たことから、本気で取り組もうと微妙に積極的になってきた。葛木がトップで、池田・若宮・山井の4人でこの事件の専従チームを組めと決断する。

 白骨の女性死体から砒素が検出されたことから、殺人事件として立件された。とりあえず特命捜査対策室扱いの事案として具体的な捜査活動が始まる。葛木俊史管理官のもとに特命捜査対策室第三係の5名と城東署の葛木以下の専従チームが捜査に取り組むことになる。それでも事件に対し捜査一課の司令センターの担当係と倉田庶務担当管理官は静観する立場をとる。俄然、大原課長以下捜査員の所轄魂に火がつくことに・・・・。

 捜査活動で事実と証拠が累積され明らかになってくると、思いも寄らなかった側面が浮上してくる。あるカルト教団が背景に絡んでいるということが浮かび上がってくる。また、警察組織内部にも問題が繋がっていた。そして衝撃的なクライマックスへ展開していく。
 二体の白骨化した遺体の発見が、捜査プロセスを通じ最終段階でスケールの大きな事件に拡大して行くところが読ませどころである。


 捜査活動は砒素の検出事実から本格的に始まることになる。
 このストーリーの興味深いところ、おもしろみはいくつかある。列挙してみよう。
1. 殺人事件として立件する判断が微妙なケースが存在しうるという一例が、フィクションという形ではあるが提示されていること。
 事件としての立件つまり、入口を通り抜ける前段に、ある意味で重要な判断のステージがある。そこが描かれていて興味深い。

2. 3年という時間が経過し、現場が風化している状況の中から、捜査活動の糸口をどこに見出していくか。その取り組み方と視点が描き込まれている。殺人事件発生直後からの捜査でないというところに、捜査プロセスの違う進展というおもしろみが加わっていく。

3. 捜査活動は事件に関する事実と証拠の究明、事件解決に向けての論理的な推論プロセスの描写という側面が重要である。一方で、捜査に取り組むメンバー間の人間関係の有り様が、捜査の進展でのアクセルにもブレーキにもなるという側面がつきまとう。
 このシリーズでは、所轄魂というキーワードが使われる位に、人間関係での情動や情熱の側面が捜査員の人物評価も含めて具体的に描き込まれていく。このところが興味深い。
 それぞれの捜査員をどう活かすかという局面も大いに関係していく。特に城東署の捜査員若宮がこの事件の捜査プロセスで自ら意識変革していく局面も描き込まれていて、一つの読ませどころとなっている。
 葛木が息子を思う気持ちがところどころに織り込まれていくところも、このシリーズの特徴と言える。

4.戸籍と住民票との関係並びにその行政上の手続きがこのストーリーの一つの要になっている。行政上「職権消除」という制度があるという。この小説でそんな制度があることを初めて知った。
 この職権消除という制度を悪用した殺人事件というモチーフがここで取り上げられている。職権消除されると、その住民票に記載された人物は住所不定となる。職権消除は戸籍上は生きているが、所在は不明という事態に措置する手続きだそうだ。
 「失踪都市」というタイトルは、まさにここから来ている。
 こんな一文が記述されている。「悪用する手段は簡単だ。日本全国どこでもいいから、適当な住所に架空の住民登録をするだけでいい。あとは一定の期間が過ぎれば、自治体が居住の事実なしと判断し、頼まなくても消除してくれる。」(p150)

 恐ろしい一文と言える。

5.捜査プロセスの途中から、この合同捜査チームに倉田管理官が強行犯捜査一係の橋川をお目付役として、送り込んでくるという要素が加わる。橋川は前の部署は警務部で、監察だったという。そして、自分は連絡役として来たが、何のために来たのか良く分からないと言う。「現場のことで見聞きしたことを報告するようにという話なんです。つまりスパイをやれということでしょうかね」とあっけらかんと言う。葛木たちがこの橋川をどう扱うか。また橋川が己の立場としてどういう行動を取っていくか、この点が読ませどころのひとつにもなっていくおもしろさが加わる。

6.今回もノンキャリアの所轄署係長・葛木と息子でキャリアの俊史管理官との間で交わされる会話がこの小説の底流にある。
 警察組織内の問題事象について、要所要所で批判的視点での会話が交わされ織り込まれていく。勿論それは警察組織に限らず、巨大組織に内包される問題事象にも通じることなのだが、建設的批判という立場での親子の会話が描写されていく。
 著者の批判的精神が問題提起として提示されていると受け止めた。
 読者にとっては、警察組織とその機構を考える材料になる。


 お読みいただきありがとうございます。   【覚書 2020.1.12(日) 記】

 

この小説のテーマに関連して、関心事項をいくつか検索してみた。一覧にしておきたい。 (掲載時点の一覧のうち、2026.1.1 時点でアクセスを確認できた項目)
統計で見る孤独死(2018):過去15年で2倍以上に増加 :「横浜ベスト遺品整理社」
身元不明死者情報ページのリンク集 :「警察庁
職権による住民票の消除の取扱いに関する要綱 :「国分寺市

失踪者  :ウィキペディア
年間8万人も! 行方不明者どこに消えるのか  :「日刊ゲンダイ

 

 

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読書感想・印象記は原稿を書いた後にブログ記事を掲載していましたので、当時の原稿はファイルとして残っています。

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掲載当時の読後感想・印象の本文を掲載いたします。どんな気持ちで読んでいたかの軌跡を残すためにも。再掲にあたり、凡ミス等に気づいた箇所は訂正を加えています。
当時、補遺としてネットで調べた事項を併載していました。ここには、アクセスが再確認できたものを併載します。

こちらもお読みいただければうれしいです。

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『所轄魂』 笹本稜平  徳間文庫

 このストーリーで軸となるのは葛木邦彦。警視庁捜査一課の殺人犯捜査係主任となるまで、花形部署の第一線をつっぱしってきた。だが、2年前に妻がくも膜下出血でこの世を去った。それを契機に、所轄の刑事課へ異動を願い出て、江東区東部を管轄する城東警察署の刑事・組織犯罪対策課の係長となった。
 葛木には俊史という既婚の一人息子がいる。俊史はキャリアであり、今年の四月に人事異動で警視庁捜査一課の管理官に着任していた。一方、葛木はノンキャリアのたたき上げである。
 俊史は父親に言う。「親父は子供のころからおれの心のヒーローだったんだから。警視庁捜査一課の刑事なんてみんなテレビドラマでしか知らないけど、おれの場合は自分の親父がそうだったんだから」と。そして屈託なく笑う。

 六月の最初の日曜日午後二時過ぎ、自宅に居る葛木に強行犯捜査係山井巡査から着信。横十間川親水公園内に放置された死体が発見された。二十代とみられる女性で、絞殺の可能性が高いと言う。葛木は事件現場に行き、現場に姿を見せた大原課長と第一機捜の小隊長上尾らと初動捜査の打ち合わせをする。到着した検視官は絞殺と判断した。葛木は被害者が靴を履いていなかったことから、別の場所で殺害されて、この公園に遺棄された可能性を考える。偶発的事件ではないと読む。

 この事件は城東警察署に何と特別捜査本部が設置されることに。さらにその帳場に息子の俊史が管理官として出向くように刑事部長から命令が出たという。刑事部長名の捜査本部開設発令書が城東署に届き、葛木が驚く前にと俊史が事前に連絡してきた。つまり、組織的には息子が上司、葛木が部下という指示命令系統で捜査を進める立場になる。
 ストーリーとしては、今後どういう展開となるのか。
 読者を惹きつける興味深い設定が組み込まれている。

 この特捜部に本庁から出向いてきたのは殺人犯捜査第十三係で、それを率いるのは山岡宗男係長。「鬼の十三係」とも「壊しの十三係」とも呼ばれ、良くも悪くも苛烈な捜査手法で異彩を放ち、所轄を辟易とさせることで悪名が高い捜査班である。警視庁捜査一課で葛木が所属した九係の係長とは犬猿の仲の人物だった。
 大原課長自身も、山岡と一緒だった頃の経験があり、山岡係長は刑事としての執念や馬力には脱帽するところがあるが、同僚や配下の人間を消耗品として扱い、自分の手柄に結びつけるタイプと評価した。それでなくとも、捜査一課から出っ張ってきた刑事たちにはエリート意識が強く、所轄の刑事を見下しているところがあると所轄の刑事たちは受け止めている。いわば、所轄にとっては来て欲しくない捜査班である。
 これで特捜部の大凡の色合いがわかるというおもしろい背景設定となっている。
 
 バラバラ死体でもなく、腐乱死体でもない、きれいな状態の遺体が、発見されやすい公園の木立に放置されていた。一見単純そうに見えるこのヤマを、庶務担当管理官はなぜ捜査本部ではなく特捜扱いにしたのか?
 特捜本部が設置された最初の会議で、刑事部長はこの事案は一見簡単そうで、じつは手ごわい、一気呵成の解決を目指せと訓示した。だが、そうはうまく進まない。
 管理者として殺人事件の帳場経験のない葛木俊史管理官(以下、俊史管理官と略す)。「壊しの十三係」と悪名の高い山岡係長とその部下たち。そして所轄城東署の強行犯捜査係他の捜査員たち。所轄の係長である葛木は心理的に微妙な立場に立たされる。


 このストーリーにおもしろいところがいくつかある。
 一つは、山岡係長が新米の管理官をあなどり、己が主導権を握ってこの特捜部を仕切って行く気配を折々に見せていく。それに対して俊史管理官がどう対処していくかの側面。
 葛木は俊史管理官がこの特捜部の指揮に失敗し汚点を残さないようにと、気づかいながらサポートする立場に追い込まれる。
 もう一つは、山岡係長の捜査班のエリート意識と横暴ともいえる振る舞いが、所轄の捜査員たちを内心激怒させる側面。
 山岡係長の言動が因となり、捜査活動の進展とともに、所轄の捜査員たちが所轄の意地と底力を捜査一課の連中に見せてやろうと一致団結する形に展開していく。ここが捜査プロセスにおける組織的なダイナミクスという側面での読ませどころとなる。そこから生まれたのが「所轄魂」というキーワードである。

 特捜部が立ち、聞き込み捜査が三日間つづくが、突破口が未だ見つからない。そこに予期せぬ事態が起こる。江東区新砂三丁目の東京湾マリーナで、係留中のクルーザーのデッキ上に女性の死体があるという通報が入った。ここも城東署の管轄だった。さらに水に縁のある場所で事件が起こった。葛木は嫌な予感を抱く。
 刑事部上層部の判断により、二つの事件は同一犯によるものとして、特捜部が連続殺人死体遺棄として、捜査を拡大することに進展する。
 事件の筋読みがどう進展するか。どういう分担で捜査活動が始まるか。本書でお楽しみいただきたい。

 俊史管理官がプロファイリング視点から発想した靴フェティシズムという一つの観点での聞き込み捜査から、幸田正徳という独身、28歳の男が浮かび上がってくる。初犯だったので略式起訴で済んでいたという。幸田正徳に関しての周辺情報が捜査されていく。
 一方、聞き込み捜査を続ける中での情報から、第三の被害者が既に出ている可能性を葛木は懸念し始める。

 極秘で進められていた捜査だったが、<江東区連続殺人事件、手口は運河上での絞殺か>という三段抜きの大見出しで新聞報道になってしまう。あきらかに特捜部の捜査活動を内部の誰かがリークしたのだ。俊史管理官の顔から血の気が引く事態になる。
 機密扱いの情報を朝の全体会議でオープンにしたのが、その日の夕刊の記事になっていた・・・・・という事態だから。
 情報のリークを契機として、俊史管理官と山岡係長は正面切って捜査方法に関して対立する形に進展する。山岡は己がこの帳場を仕切ると言い出す。所轄捜査員たちの所轄魂が一層ふるい立っていく。
 読者にとっては、おもしろい展開に突き進む。


 このストーリーが一捻りおもしろい展開となるのは、問題の幸田正徳である。幸田正徳に関わる捜査情報が累積していく中で、幸田には姉の死に関わって警察に対する不信感があったことも明らかになる。
 また、幸田正徳の生活歴や人間関係が明らかになる中で、幸田にとっても知らぬ間に陰湿な伏線が秘められていた事実が明らかになってくる。
 そして葛木や大原課長が警察官としての職を賭けた行動に出る。その所轄魂が鮮やかに実を結んでいく。ストーリーのこのラストスパートが実に読ませどころとなっている。


 ご一読ありがとうございます。     【覚書 2019.11.23(土) 記】
 
       【付記】 単行本 2012年1月 刊行  文庫本 2014年6月 刊行

 

 

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頌春

  

2026年のはじまり。お立ち寄りいただきありがとうございます。

はてなブログに引っ越してきて、年を越しました。

 

今年もよろしくお願いします。

 

昨秋、大阪の千里にある万博記念公園内にある大阪日本民芸館にて、
棟方志功と福光の風景」展を観てきました。

 

 

 

 

 

 

宮澤賢治の詩「雨ニモマケズ」の詩文に志功独特の図を彫った板画も展示されていました。(当日、会場内の撮影はOKでした)


徒然に読んだ本の読後印象記を綴っていますので、

宮澤賢治棟方志功の出会いから生まれた作品の一部のご紹介です。

 

雨ニモマケズ  

現在の風潮にも流されずに、

今、ここでの歩みを進めていきたいと思います。

 

今年も、読後印象記の再掲と新たに読んだ本についての印象記を続ていきます。

お立ち寄りいただければうれしいです。

 

                         茲愉有人 記

 

『時の渚』  笹本稜平  文春文庫

 著者は2001年にこの作品で第18回サントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞した。2001年5月に単行本として刊行され、2004年4月に文庫本となっている。
 だいぶ前に購入していたのを先日(注記:2020年4月)読んだ。
 20年前に書かれた小説とは感じさせない。ダブル受賞したのがうなづける。
 読み応えがあり意外性に富んだミステリーだった。


 茜沢圭は警視庁捜査一課の刑事だった。妻と幼い子供が轢き逃げされ命を亡くす事件が発生。だが、その捜査に関われないことで職を辞した。今は私立探偵を稼業にする。
 茜沢は松浦武三から息子捜しの調査依頼を受ける。捜査一課時代の茜沢の先輩である真田警部から私立探偵として紹介されたと松浦は言う。彼は清瀬市の西部にある民間ホスピスに入院していて、余命はいくばくもない状態、もって半年の命なのだ。松浦は20年近く極道を張り、幾度も刑務所を出入りしてきたが、10年前に極道から足を洗い堅気となった。稼いだ金を元手に始めたタイ料理のレストランが当り、チェーン店にして成功した。だが、去年の夏に食道がんであると宣告された。
 昭和40年9月5日の夜中に、身ごもっていた松浦の女房が予定日より5日くらい早く突然の陣痛に見舞われたため、彼はタクシーで病院に妻を担ぎ込んだ。彼の妻は男の赤ん坊を無事出産したが、突然の大量出血で亡くなってしまった。担当医が松浦に状況説明をする際、酒気を帯びていることに気づくと、松浦はかっとなり医師を半殺しにしかけて、赤ん坊を抱いてそのまま病院を飛び出したという。その後、西池袋の小さな公園で、30を少し過ぎたくらいの女に出逢い、子宝が授からないというその女に赤ん坊を委ねてしまったのだ。その方がよいと思い、互いに名乗ることもせず別れたのだと。少し話し合っていたときに、亭主が売れない絵描きで、自分は女手一つで要町で小さな居酒屋「金龍」をやっているとだけ語っていたのが唯一の手がかりなのだと松浦は茜沢に語った。
 松浦は着手金200万円を用意していた。着手金としては破格。茜沢は一旦その金を預かり、この仕事を引き受ける。
 
 一方、松浦の仕事を引き受けた翌日、茜沢は真田から連絡を受ける。西葛西会社経営者夫妻刺殺事件の件で会って話があるという。真田はこの事件の捜査半ばで捜査一課から外され、継続捜査専門の二係に配転となっていた。2ヵ月前にこの西葛西事件の捜査本部が解散となり、二係の扱いになった。一昨日、六本木のラブホテルで女子高生の絞殺事件があり、体液のDNA鑑定の結果、西葛西事件の犯人のものと一致したという。
 茜沢の妻子を轢き逃げした犯人は西葛西事件の犯人と同一犯だった。西葛西事件に一捜査員として関わっていた茜沢は西葛西事件から外されることになった。それが原因で茜沢は警視庁を辞めたのだった。
 西葛西事件では、駒井昭正とその妻早希子が殺害された。被害者の掌の中に髪の毛が握られていた。一人息子の昭伸が容疑者として上がっていた。だが、犯人のものと思われる握られていた髪の毛をDNA鑑定した結果は、殺害された夫婦のいずれのDNAパターンも含んではいなかった。その結果、昭伸はシロとみなされた。だが、当時の昭伸に関わる状況証拠はそのDNA鑑定結果を除けば全て昭伸犯人説に向かうという。すると、昭伸が実子ではないのではという疑いが残る。だが、その確かめようがない。当時選挙運動中の昭伸に付いた弁護士がDNA鑑定を強く拒絶したためである。
 真田はこの事件を継続捜査として取り上げ、一方、昭伸の行動を探り別件で引っ張れるネタがあれば、それを足がかりに継続捜査事案に絡めていきたいと言う。だが、今は警察が動いていることを知られたくない。やかましい弁護士が横槍を入れてきて妨害されるを危惧する。そこで、真田は茜沢に昭伸の周辺を調べて、別件で引っ張れるネタがないか、動いてみてほしいという。茜沢はこのネタ捜しを引き受ける。

 このストーリーは、茜沢が2つの調査を手がけて行くプロセスを克明に描いていく。


 このミステリーの面白さはいくつかある。
1. 茜沢の聞き込み調査のプロセスがどのように展開していくかという興味。
 茜沢は要町界隈での地取り、鑑取りという基本の聞き込みから始めて行く。まず、区役所で町内会や自治会のことを調べるところから。茜沢のもつ情報は、35年前に要町で「金龍」という居酒屋をやっていた女性、客からはユキちゃんと呼ばれていたこと位なのだ。これだけの情報が人捜しのためにどういう糸口になるか。茜沢が聞き込みで接した人から別の人にリンクが始まる。それが思わぬ記憶や情報を引き出し、さらにリンクの輪が広がるという面白さがある。茜沢をどこに導いて行くかという興味もある。
 茜沢は聞き込み調査の累積から、まずは長野県の鬼無里(きなさ)という土地に導かれて行くことに・・・・・。

2. 刑事として聞き込み捜査経験のある茜沢が私立探偵として行う聞き込み調査。そこには、警察手帳の提示を含め、警察という公的権力を駆使していともたやすく乗り越えられる情報収集の壁が、私立探偵には大きな壁になる局面がある。茜沢が刑事時代の経験を活かしつつ、知恵をしぼって情報収集の障壁をどう乗り越えるか。
 茜沢は調査において、アプローチの仕方を様々に変えて行く。茜沢のとるあの手この手を読み進める面白さが加わる。

3. 刑事としての捜査では、捜査費用が問題になってくる展開はそれほど出て来ない。しかし、私立探偵にとっては、調査にかける時間とともに、調査料金をかけるだけの価値があるか、費用の無駄にならないか、というコスト・パフォーマンスを気にかけねばならない。そんな場面が各所で出てくるところも、警察小説とは違う局面としておもしろい。一種のリアリティが生まれてくる。

4. ストーリーの中に、時折、茜沢が父親と電話で会話する場面が織り込まれていく。
 轢き逃げ事件で妻子を亡くし、刑事を辞めて私立探偵稼業を行い、未だ独り身である息子に対する父親の思いや気遣いが描き込まれる。そこには家族の絆、肉親の絆がある。父親との会話は茜沢にとって、まっとうな世間に自分を繋ぎ留めてくれるアンカーなのかもしれないと感じる。
 だが、その父親の思いにはさらに深い意味があったという意外な方向に進展する。ここが興味深くかつ巧妙な構想になっている。

5. 真田警部の手先として、茜沢は駒井昭伸の身辺調査を引き受けた。駒井の住居の下調べから着手する。フェラーリで出かける駒井に偶然出逢う。その車を追跡し、駒井があるマンションに住む外国人に会うのを目撃。茜沢は二人の関係に薬物が絡む匂いを嗅ぐ。
 茜沢が駒井の身辺調査を進めるに際し、真田警部との情報交換を密にして行く。
 駒井昭伸自身の情報が明らかになるにつれて、茜沢は轢き逃げ事件と関連する兆候を見出していく。
 一方、真田は再び二係から警務部人事一課の監察担当に異動となる。西葛西事件の継続捜査への横槍がどこからか入ったのだ。茜沢は真田に継続して調査をすると意志を示す。
6. ストーリーの展開で面白いのは、真田が警察内で直接の動きがとれなくなった代わりに、茜沢は電氣屋と呼ばれるイラストレーターの西尾雄二に協力を依頼する。茜沢は一度西尾を覚醒剤絡みで助けたことがあるのだ。駒井の素行調査において、電子機器に関する特殊技能を持つ西尾を強力な助っ人にする。西尾もまた乗り気になり、おもしろい役回りを担っていく。
 これはこのストーリーにIT技術利用の現代感覚を持ち込み、調査活動のリアル感を増幅することにも繋がっている。


 このストーリー、構想が非常に巧妙である。底流に流れる思いは親子の絆である。
 登場人物たちに関わるそれぞれの親子の絆が、人捜しと西葛西事件の犯人捜しを二極としながら、重層化しつつ絡み合っていく。親子の絆が意外な形で相互にリンクしていた。
 このストーリーの主人公茜沢圭に感情移入していくと、最終ステージで読者の涙腺が働き出すことだろう。

 「時の渚」はストーリーの最後に近いところに出てくる一文を要約した言葉である。
 印象深い詩的な要約になっている。
 一方、文庫本の表紙には英文でのタイトル表記がある。 
 THICKER THAN BLOOD これもまたストレートに核心を表現していると思う。
 その意味するところは、ぜひ本書を開いてお楽しみいただきたい。
 

 ご一読ありがとうございます。    【覚書 2020.4.5(日) 記】

 

 

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【 読書録整理函 】

gooブログで2011年8月から「遊心逍遥記」を開設。10年余続けた時点でログインでミスをして、ブロックがかかってしまい、復旧はできませんでした。それで、「遊心逍遥記その2」を新たに開設して継続。こちらはデータ移設が完了。
旧ブログ記事はその後、問い合わせもしてみましたが、データの移設不可という結論に。
読書感想・印象記は原稿を書いた後にブログ記事を掲載していましたので、当時の原稿はファイルとして残っています。

そこで、愛読作家の諸作品と手軽に参照したいものについて、カテゴリー別に抽出してまとめて、再掲載してみたくなりました。
「読書録整理函」として、私自身の記憶の引き出しづくりをしていきたいと思います。

再掲にあたり、凡ミス等に気づいた箇所は訂正を加えています。

こちらもお読みいただければうれしいです。

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『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  笹本稜平  幻冬舎

 この小説のテーマはマネーロンダリングの大がかりなカラクリの捜査活動プロセスを描き出すことである。かつ、そのプロセスを通じて、副産物として政財界・警察組織などの組織機構に隠然と内在する利権体質およびそれに加担する一群の人々の存在を描き出す。それはフィクションという形を借り、現実の隠れた局面を暗喩しているリアル感があり、実に興味深い。

 本書は、単行本が2013年4月に刊行され、2015年10月に文庫化された。

 最初に主な主人公にふれておこう。警視庁の組織対策部総務課に属する特命部隊、マネー・ロンダリング対策室の樫村恭祐(かしむらきょうすけ)警部補。彼は犯罪収益解明捜査四係の主任で、捜査二課の企業犯罪捜査第二係から異動して3年目である。樫村の相棒は体重80kgという巨体の上岡章巡査部長。上岡は窃盗犯担当の捜査三課にいた変わり種である。それに、同三係の橋本久典巡査部長、倉持徹巡査が参加していき、チームとなる。三十すぎの橋本は、殺された被害者の弔いにしかならない殺人捜査に空しさを感じ、刑事があこがれる表看板の捜査一課から志願して異動してきたという変わり種。捜査一課で鍛えられた現場感覚とその能力を発揮する。倉持は最年少の26歳、柔道3段、空手2段という貴重な武闘派。生活安全課で詐欺やマルチ商法のような経済事案を担当してきた粘り強さを長所とする。

 

 ストーリーは、埼玉県飯能市内の山林で、宮本弘樹の遺体が近隣住民により発見され、通報された時点から始まる。
 宮本は豊島区に本店を置く共生信用金庫の職員で、外為法違反の容疑で指名手配中だった。宮本は広域暴力団系の覚醒剤密売組織から依頼を受けて、巨額の闇資金を海外に不法送金している疑いを持たれ、捜査チームから事情聴取されている最中に遺体となった。
 不法送金疑惑に対する特捜チームの編成は組対部四課の暴力犯特別捜査二係、五課の薬物捜査三係、マネロン室の樫村と上岡だった。組対部四課は刑事部捜査四課の名前が変わっただけで、「マル暴の四課」という意識と体質はそのままである。
 特捜チームの管理官はしばらく内偵を進めようという意向だったのだが、組対部四課の亀田保夫警部補が、強引に宮本を任意同行させて、事情聴取を担当した。亀田が宮本を事情聴取したのが2週間前。だが為替業務の専門家である宮本の釈明に、煙に巻かれた形で一旦放免せざるを得なくなった3日後に、宮本は勤め先を無断欠勤して行方をくらませた。その結果がこれだ。亀田と樫村は階級は同格だが、亀田が年は一回り上なのだ。
 検視の結果、遺体は死後1週間、首を吊った状態で発見された遺体に吉川線がなく、高級品とわかる所持品はそのままだった。県警は自殺と一旦判断する。


 この小説のおもしろいところは、ストーリーのプロセスに様々な対立の構図が組み込まれていてそれが複雑に錯綜し絡まりながら、ジワジワと真相に近づいていくという構成にある。そして、その対立が様々な組織に内在する利権構造や個人の欲望と絡む人間関係などの体質を浮き彫りにする局面にある。その局面は現実をかなりリアルに暗喩していると思わせるものばかり。負の欲望の人間関係ネットワークが事件の隠蔽、ミスリードの作用因となり、長い時間軸で一つの事件がいくつかの過去の事件と連鎖し、そこに因縁の絆があったという構想が興味深い。

 対立の構図に触れながら、このストーリーの展開に少し踏み込んでおこう。
 1つは特捜チームにおける対立の構図。それは、管理官の意向を振り切ってでもマル暴対策的な動きを先頭に立ち推し進める亀田とマネロンの筋の解明を第一目的と考える樫村の対立である。
 亀田は宮本を使って不法送金をした覚醒剤密売組織の大本を潰すということを目的にとらえる。それは組対部四課と五課の薬物捜査の捜査感覚である。
 一方、樫村は覚醒剤の密輸がビジネスとして成立するのは、アングラマネーの国際移動を支援するマネーロンダリングのチャネルが存在するからであると考える。そのチャネルの仕組みを解明し無効化することが覚醒剤供給を断つ観点でより大きな意味があるとする。宮本が共生信金のコンピュータの勘定系システムを利用して不法送金した仕組みが解明できれば、それは一つの覚醒剤密売組織の撲滅だけに留まらず他にも適用展開できるからだ。樫村の立場からすれば宮本がその切り札になるところだった。
 ここには明らかに、捜査の方向性についての立場の対立がある。

 第2は、事件の管轄からくる対立の構図。宮本は警視庁の管轄下で、覚醒剤密売に絡まる巨額資金の不法送金という事件の被疑者だった。しかし、埼玉県警の管轄下で遺体として発見された。当初の検視では遺体の状況から自殺と判断されていたのだが、遺体からサンプルとして採取されていた血液からヘロインが検出されたことにより、他殺の可能性が浮上する。
 埼玉県警はこの事件を他殺とみて捜査本部を組み、事件の解明に乗りだす。殺人件の捜査管轄の主体は埼玉県警になる。殺人事件の捜査、その犯人逮捕が主目的となっていく。この場合警視庁は間接的に協力するという形になる。宮本に関わる情報および根本の事件の解明目的という観点で、2つの警察組織の綱引き、対立関係が生じてくる。だが、そこにはそういう対立関係が生まれる方向へ意図的に持ち込まれたという作為性が内在する。
 宮本の死で一旦解散が決まった警視庁の捜査チームは、他殺の疑いが出たことから急遽存続が決まり、逆に人員も増強されることになる。
 この時点からマネロン室は橋本と倉持を追加投入し、この事件に参加させる。
 亀田は独自ルートで疋田組のある者から得た情報だとして、指定暴力団真興会が宮本の殺害に関与していると言い出す。そして宮本殺害の証拠の捜査から真興会という大きな暴力団組織の関与を裏づけ、この組織の壊滅をめざすという方向に捜査チームをリードする。埼玉県警と連携体制を取りながら、警視庁の面子で独自に捜査活動をするという姿勢である。それは、第1の対立の構図とも絡んでいる。だが、そこには亀田の隠された意図が潜んでもいた。

 第3は、共生信金とマネロン室の対立の構図。
 樫村は宮本が不正送金のために、共生信金のコンピュータの勘定系システムを利用したという観点から、そのシステムを利用した手口の解明への協力要請に出かける。応対したのは常勤理事の坂下勝正だった。不審な取引があれば、法規に従って金融機関はFIU(特定金融情報室)に届け出をする義務があるのだが、共生信金からは届け出がなかったのだ。坂下は宮本に対するマネーロンダリング疑惑の曖昧性の部分を突いてくる。そして捜査令状の有無に言及する。 
 宮本の死に他殺の疑いが出た直後、今度は坂下から樫村に電話が入る。再度相談という形で樫村と上岡は共生信金に出かけてゆく。すると、予期に反し、八雲靖吉理事長が一緒に面談に出てくる。
 八雲が応対の主導権をとる。宮本は単独犯行として共生の勘定系システムを道具として利用した、共生としては宮本に利用されたのかという問いかけである。企業としての従業員に対する監督責任は問われて然るべきだが、それは社会的責任のレベルの次元であり、共生としては犯罪とは無関係だ。勘定系システムを捜査されるということが表に出れば共生信金の信用に疵がつく。勘定系システムは金融機関の存立基盤であり、信頼性の側面でのダメージは計り知れない。捜査に納得できないと論じていく。 
 建前は宮本の個人的犯行への限定化と共生の社会的責任・信頼性維持という観点からの企業防衛である。勘定系システムに対する捜査拒絶の姿勢を示し、宮本の犯行手口を知るためシステムに対する捜査に対立する。樫村が捜査令状を突きつけられない状況を前提に、宮本が既に死んでいて本人の自白を得られない状況が明確になった時点で対立を露わに示す構図である。そこをどう打開していくか・・・・。ここを打開できないと、マネロン室の存在意義がない。
 一方、樫村の上司須田係長は八雲についての情報を過去の捜査記録を当たった結果掴んでいた。二十年ほど前のバブル景気の頃、再開発用地の地上げ問題で、八雲が真興会の先代ときなくさい関係があったこと。虎ノ門オフィスビル用地の地上げの際、脅迫容疑で真興会の構成員が逮捕されたが、事件はそこ止まりで決着がつき、資金供与の大手ノンバンクもそこを真興会に紹介した八雲にもお咎めなしで終わっていること。八雲はフィクサーとして暗躍してきている人物だが、シッポをつかまれたことはない。元大物警察官僚の有力政治家と縁戚関係を築き、実弟は一部上場企業の経営者、政官財に暗躍する力を備えているという。事件に対して裏からの妨害工作に暗躍する力を持つようなのだ。
 共生信金の八雲は、樫村との何度かのやりとりの中で、自社のシステムについて監督官庁である金融庁の方にチェックしてもらうつもりだという奇策を持ち出してくる。警察とは切り離そうという魂胆だ。樫村は逆に、共生信金が組織ぐるみでマネロンに関与しているのではないかと疑惑を深める。

 第4は、金融庁対警察組織との意識対立の構図。それは金融庁にあった特定金融情報室が5年ほど前に国家公安委員会に移管されたことに関わっている。その実務は警察庁に設置されたJAFICが担当している。
 世界的に注目を集めるマネーロンダリングの取り締まりは、金融庁の縄張りに属する仕事と考えられていた。金融庁のプライドが絡んでいる。
 一方、警察サイドは、マネロンが組織犯罪対策と密接な関係があるので、JAFICが実務をし、取り締まりをする方が効果が高まるという理屈である。
 縄張り意識の対立が事あれば尾を引く綱引きとなる。へたをすれば、捜査への横槍、遅延への要因になりかねない。


 捜査が展開する最中に、海外から新たな動きがもたらされる。香港のFIUからJAFICに通報が入った。現地の金融当局が追っていた資金の動きの中から浮かびあがったものだ。香港に設立されているあるペーパーカンパニーの口座に、共生信金の口座から数百億円に上る資金が1回あたり100万円以下の金額で多頻度集中送金されているという某大なデータだった。個別で見ると、金融機関には税務署に海外送金の届け出する義務のないというレベルの送金の手口なのだ。そこに犯罪性が潜んでいるのかどうか・・・・。
 樫村たちにとって一つの手がかりが出てくる。

 捜査が展開される中で、あるとき樫村の妻から樫村に電話が入る。樫村の妻は元警察官だった。妻と娘が不審な男に見張られているという電話だ。樫村は帰宅したとき、周辺を一巡し一台の車に気づくとともに、気になる男に出会う。警察手帳を見せ質問するが、その場はうまく言い逃れられる結果になる。だが、その車とその男の風体がその後の事件の展開の一助となっていく。

 不正送金疑惑のある宮本の死により、明確な証拠が得られず捜査令状を発行できない状況のなか、マネロン疑惑の捜査を搦手からジワジワと積み上げていくという進展がベースとなる。捜査過程で様々な対立の構図が露わになり、複雑に絡み合っていくところがおもしろく、読み応えがある。
 第1の対立の構図が主たるベースとなりながら、第3の対立の構図が絡み合っていくところが興味深い。フォイクサー八雲理事のしたたかさが大きな軸になっている。そしてその正体がなかなか見えないところが巧妙なストーリー展開とつながっている。
 樫村と亀田はキツネとタヌキの化かし合い的側面を持ちながら同じ捜査本部の一員として捜査活動に従事するという関係になる。そこが実におもしろい。
 意外性を掛け算していくようなストーリーの展開が興味深いところと言える。

 この作品の巻末の締めくくりは、「深井の死に対する慚愧はいまも消えない。それでも樫村は心がわずかに軽くなった気がした」である。
 ここに主人公・樫村警部補の警察官魂と捜査姿勢が凝縮している。


 ご一読ありがとうございます。    【覚書 2015.11.26(木) 記】

      【付記】 このシリーズは第2作『引火点』が続き、終わる。
        正規のデータ移転手続きにより掲載済み。

 

この小説を楽しむためのバックグラウンドの情報をいくつかネット検索した。
一覧にしておきたい。
 (掲載時点の一覧のうち、2025.12.31 時点でアクセスを確認できた項目) 
マネーロンダリング  :「コトバンク
資金洗浄(マネーロンダリング) :「外務省」
犯罪収益移転防止対策室(JAFIC)とは  :「警察庁
JAFICと国際機関等の連携  JAFIC :「警察庁
犯罪による収益の移転の危険姓の程度に関する評価書 pdfファイル :「警察庁
金融庁 ホームページ  
  金融庁の概要  
金融庁  :ウィキペディア 
金融監督庁  証券用語集 :「weblio辞書」
日本の銀行、ケータイ、スマホから海外送金する方法  :「All About マネー」
ケイマン諸島の経済  :ウィキペディア
タックスヘイブンに流れる日本の「税金」を取り戻せ(1/5):「IT media ビジネス」

 

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【 読書録整理函 】

gooブログで2011年8月から「遊心逍遥記」を開設。10年余続けた時点でログインでミスをして、ブロックがかかってしまい、復旧はできませんでした。それで、「遊心逍遥記その2」を新たに開設して継続。こちらはデータ移設が完了。
旧ブログ記事はその後、問い合わせもしてみましたが、データの移設不可という結論に。
読書感想・印象記は原稿を書いた後にブログ記事を掲載していましたので、当時の原稿はファイルとして残っています。

そこで、愛読作家の諸作品と手軽に参照したいものについて、カテゴリー別に抽出してまとめて、再掲載してみたくなりました。
「読書録整理函」として、私自身の記憶の引き出しづくりをしていきたいと思います。

掲載当時の読後感想・印象の本文を掲載いたします。どんな気持ちで読んでいたかの軌跡を残すためにも。再掲にあたり、凡ミス等に気づいた箇所は訂正を加えています。
当時、補遺としてネットで調べた事項を併載していました。ここには、アクセスが再確認できたものを併載します。

こちらもお読みいただければうれしいです。

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『漏洩 素行調査官』  笹本稜平  光文社文庫

 素行調査官シリーズの第3弾。「小説宝石」(2011年4月号~2012年2月号)に連載された後、2012年5月に単行本として刊行され、2015年1月に文庫本化されている。

 素行調査官という官職名はない。警視庁の中に設けられた警務部人事一課監察係をここではさしている。警察官の不祥事や素行不良を取り締まるのが仕事。「そもそも警察の自己防衛のための機関であって、組織に実害が及ぶとなれば、臭いものに蓋をする行動に出ても不思議はない」(p21)という機能とみなされている。「警察の中の警察」であり、一般の警察官はあたかもゲシュタポのごとくに受けとめ、毛嫌いするという部署。だが、首席監察官となった入江透は警察組織内の不正を断固断ち切り、組織の浄化を目指そうとする。現状の監察チームの実態を嘆き、密かに特別チームを結成した。
 その為に、高校時代のクラスメートで元私立探偵だった本郷を特別捜査官の採用枠で招き入れ、入江の方針と姿勢に傾倒する北本と、わずか3人の少数精鋭で不祥事の撲滅・警察組織の浄化に果敢にチャレンジしていく。

 さて、このストーリーは戸田光利が沢井昭敏に電話を掛けたシーンから始まる。
 沢井は警視庁刑事部捜査二課企業犯捜査第二係に所属。戸田は一週間前まで沢井の直属のボスだった。その戸田が捜査途中の事件から突然外され、刑事総務課付けの辞令を受けた。そして、地域課への異動を告げられたことで辞職したと沢井に連絡してきた。辞表を出すと慰留されることもなかったと言う。
 異動の辞令が出たとき、戸田が捜査していたのは、大手ソフトウェア会社、レキシスの株をある仕手グループが大量に空売りし、底値で買い戻したという事象だった。そこにはインサイダー取引事件の疑いがあった。沢井たちとは別の班がレキシスの財務担当取締役による巨額の横領事件を摘発するに先立って、仕手グループが空売りをし、横領事実発覚により株価が暴落。底値で仕手グループが株を買い戻していた。証券取引等監視委員会から警視庁にインサイダー取引の疑いがあるとの通報があった。もし警察サイドから捜査情報が流出していたのなら、大不祥事となる。
 監察係が捜査二課全員の事情聴取を行った。沢井は本郷から事情聴取を受けた。だが、沢井は本郷の態度に好印象を持った。この時の事情聴取では警察内部からの情報漏洩はなく、仕手筋と付き合いのある捜査員もいないという結果がでた。その後に戸田はこの仕手集団が絡んだインサイダー取引事件の捜査に取り組んでいた。株の売買をやったのはバハマ投資ファンドであるが、空売りを仕掛けたのは有名な相場師の矢島輝樹という強い感触が出ていた。だが捜査は難航していた。
 戸田が捜査二課から外された翌日、滝井が後任の係長となり、捜査の難航を理由に早々にこの事案を終了させる方針を打ち出した。沢井は滝井係長の行動に納得がいかない。沢井は警察組織の動きに疑念を抱き始める。母子家庭で育った沢井は、戸田を父の如くに慕うとともに、戸田の捜査姿勢を尊敬していた。その沢井はその後二係が扱う事件からは蚊帳の外に置かれ、さらに自宅待機を滝井係長から指示される立場に追い込まれていく。
 さらに沢井は己を監視する者の存在に気づく。監視していた男は、監察の北本と名乗りすらした。それで、なぜ自分が監視されなければならないのか、その理由を探求し立ち向かって行く。

 一方、入江は捜査二課に対する捜査は、徹底捜査という名目を得たいためのものにしか過ぎなかったのではないかと疑念を抱く。また、滝井係長が早々と幕引きしたことにも意味ありげな感触を抱く。そんな矢先に、高桑興産というマンションデベロッパーの株がストップ安を付け、仕手筋の仕掛けではないかという話が出てくる。入江は密かに調べ、生安の生活環境課が、産廃の不法投棄容疑で内偵を進めているという情報を得た。入江の同期がその課の課長だという。その事案に高桑興産が絡んでいるという。
 入江はこれら2事案の類似性から警察組織内の上層部にも及ぶ犯罪事実の種が蒔かれているのではないかと疑い始める。3人の特別チームが始動する。

 戸田から辞表提出の電話を受信した沢井は、戸田の自宅を訪ねていく。監視されたことや相手が北本と名乗った事などを沢井は戸田に語った。戸田は沢井に矢島の事務所や自宅との交信をさせたことに原因があるかもしれないと語った。そして、沢井に落とし穴に落ちないように気をつけよと助言する。
 沢井が訪れた夜、戸田は自室で何か調べ物をし、ノートに記録する作業をしたようだ。だがその後突然くも膜下出血を発症し倒れてしまい、ICU(集中治療室)で治療を受ける身になってしまう。
 
 入江はレキシスに対するインサイダー取引疑惑の捜査を打ち切らせた黒幕は、警察庁にいそうだという感触を掴んでくる。そしてレキシスの梅島社長と長官官房の守屋審議官が大学の同期で昵懇の間柄だということも。さらに、過去にも警察の摘発とリンクして仕手筋による空売りが行われた形跡があること、バハマ投資ファンドを運営してるのが矢島だということは業界関係者の間では常識のようだという情報も入手する。
 本郷と北本が具体的に調査をする糸口が出て来た。そこから疑惑の人脈連鎖が浮かびあがり、波紋が広がって行く。
 相場師矢島輝樹は、かつて本郷が勤めていた私立探偵事務所の所長・土居敏彦に巨額の投資資金を騙し取られるという失敗をさせた相手だった。その矢島が俎上にでてきたことで、土居とその娘沙緒里は本郷たちに積極的に協力することになる。

 既に退職し、今はICUで治療を受けている戸田に対し、生安の生活経済課が情報漏洩の嫌疑を戸田に向け、家宅捜査を強行するという挙に出た。沢井は、戸田夫人から戸田が倒れる前に、古い手帳から大学ノートに何か抜き書きしていたということを聞く。そのノートの行方は不明のままだ。だがそこには重要な事実が抜き書きされていたようである。自宅待機となっている沢井は戸田に対する疑惑を払拭するべく行動を開始する。そして、本郷にコンタクトをとる。

 レキシスに関わるインサイダー取引事件が発端となり、次々に過去の事象に関連が見出される形で波紋が広がる一方、警視庁・警察庁内部に何らかの形でそれらの事象に関与していると推定できる人物達が浮かび上がっていく。
 入江・本郷・北本の特別チームに土居敏彦と娘の沙緒里が強力な協力者として加わり、さらに戸田への濡れ衣を払拭せんとする沢井が参画する。わずか総勢6人で、インサイダー取引に関わる不正の闇に蠢く一群の連中を明るみに引き出して行く。そこには事象の背景で己の利益を求めて暗躍し結びつく人間たちの関連構造が厳然と築かれていた。


 このストーリーの興味深い点がいくつかある。
1.素行調査官である本郷と北本が監察という立場で、権限と手法を様々に使いながら、事案に取り組んで行く手続きプロセスの興味深さがまず挙げられる。
 それに加えて、民間の私立探偵の視点を常に本郷が維持していて、警察という公権力を客観的に冷めた目でみている点がおもしろい。
2. 首席監察官の入江がキャリアの同期のネットワーク、東京大学の同期のネットワークを巧みに活用し、情報を収集する個人技の部分がおもしろい。いわゆる人脈を良い意味でどう使いこなすかが描かれている。
 入江がキャリアの視点から、縦割り行政の実態を逆手に取る発想を持ち込み、己のネットワークと結びつけて打つ手を見出すところもおもしろいと思う。
3. 上記の1,2に関係するのだが、警視庁、警察庁での人事異動記録に着目するという観点が興味深い。誰が誰と繋がっているかという筋が時系列で昇進異動記録を分析すると、そこに人脈の繋がりが浮き上がり、読み取れるというおもしろさである。
4. 尊敬し慕う元上司の戸田にふりかかった疑惑と己にかけられる圧力を払拭せんと、果敢に警察組織に挑んでいく熱血漢・沢井のとる行動が読ませどころの一つになる。
  未だ下っ端刑事である沢井が知恵をしぼりどこまでのことができるのか。読者の関心を引きつけることだろう。
5. 戸田が抜き書きしたという大学ノートに記された内容とは何か? そのノートがどこにあるのか? それを発見できるのか? 最後の最後までこのノートが読者の興味を引きつける大きな要因になっていく。いわば、びっくり箱のようなものなのだから。

 ジグソーパズルのように、バラバラのピースが徐々に分散的に繋がり、まとまりのある部分集合が見つかる。そこから大きな連関が見え始めいくつかの仮説が成り立つ。それが適切な論理的推論に集約していく。まずピースをつなぎ部分集合を作る作業が、本郷・北本のペアの調査行動と沢井の単独行動から生まれてくる。沢井が本郷にコンタクトをとることで、部分集合間の連関が見え始める。そこに入江の情報がリンクし、土居親子のもたらす情報が繋がりを補強する。そういうプロセスが楽しめるストーリー展開である。
 読み応えがあるストーリー展開になっている。
 
 ご一読ありがとうございます。          【覚書 2020.12.31(木) 記】

   【付記】 第4弾『卑劣犯』は正規のデータ移転処理で既に掲載済み。

 

 

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そこで、愛読作家の諸作品と手軽に参照したいものについて、カテゴリー別に抽出してまとめて、再掲載してみたくなりました。
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