令和八年 今年の運勢は?

元旦早朝は決まって白山比咩神社へ初詣に出かける。

初詣だから、験を担ぐためだが、もうひとつ決めていることがある。

引いたおみくじをじっくりと読んで、財布にしまい込むのだ。

白山比咩神社は加賀一の宮。つまり私が住むあたりでは最も格式が高い。

そのせいか、おみくじの内容もかなり手厳しい。

これは、私が思っているだけではなく、

おみくじを引いた人それぞれからよく聞く話だ。

「今年こそ良いおみくじを引いてやる」とムキになった時期もあったが、

いつの頃からか、「中々に的を射ているな」と思う様になった。

それで、おみくじを財布にしまい込んで、

折々に読み返し、その年の教訓としているのだ。

さて、今年は。

順位でいうと「末吉」。吉の中ではいちばんの下位となるが

経験上、白山比咩神社ではもっとも多い順位のように思う。

なので、私自身はこの順位を気にしていない。

それよりも気になる神託は。

 

奥歯にものの挟まったような、また胸に一物を秘しているような

さっぱりしない運勢である。

何事につけても、障りが出来たり、間に邪魔をする者があったりする時だ。

これに対しては勇気をもって断固たる処置をなすべきである。

争いは好ましくないが、こちらは正しく強い態度で邪魔を取り除く決心を

持つべきだ。

その代わり、自分の行いを正しく、人に対しての傲慢を慎み、

言葉少なく争いを避ける心がけが肝要だ。

 

差しさわりがあるから詳しくは語れないが、

今ある自分の心情そのままだった。

「言葉少なく争いを避ける心がけが肝要」との締めくくりにも納得がいった。

決して感情的にならずにあくまでも穏やかに対処しなさい、ということだろう。

今年一年の糧となる励ましの言葉、良き助言と肝に銘じておこう。

 

 

 

new year 2026

 

昨年はサラリーマン人生に一旦のケリをつけ

そして今年は節目の70歳を迎える。

まだやり遂げなければならない仕事もあるが、

一方で、新しい自分の生活スタイルに軸足を移したいとも思っている。

さて、どんな年になるか。

それは追い追いこのブログでご紹介するとして

ともかくは、昨年出会った中でいちばん印象に残った風景でご挨拶。

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

令和7年大晦日

あたふたとしているうちに大晦日

これといって話題があるわけでもないし、

写真も撮りに行けてはいないのだが、

蔵出し写真で今年の締めくくりとしたい。

三国海岸で眺めたこのシーンのことはよく覚えている。

渚に打ち上げられた巨木が印象的だったからだ。

ところが、ここからの記憶はあいまいだった。

北陸に荒波が押し寄せる冬から早春にかけてのことと思い込んでいたが、

日付を確認すると2023年7月だった。

一見、寒々と見える光景と荒波への連想から寒い季節と決めつけていたようだ。

そして、印象的だったにもかかわらず、

どうしてパソコンにしまい込んだままだったのか。

実はそれも忘れてしまっている。

 

さて、今年のブログネタを振り返ってみると

何と言っても、いきなり飛び込んできたgooブログ閉鎖には驚かされた。

なんとか、はてなブログに移行して胸を撫でおろしてはいるが

goo時代から交流している方々もおそらくは同じ思いだったに違いない。

無事に移行が完了したからよかったものの

この年になると何事も淡々と過ぎることがいちばん。

来年もまずは平穏な時間が通り過ぎてくれることを祈りたい。

いろいろと立て込んだ予定もあるが、それが本音だ。

 

最後になりましたが、今年、本ブログを通じて交流くださった方に

心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

 

日の名残り  By空倶楽部

前回の空倶楽部でのこと。

三国海岸で出会った空を「今年いちばんの空」として紹介した。

そして、同じ日に時間とアングルを変えて撮った写真を

寒さが本格化する前に何回かに分けて投稿するつもりでいた。

ところが、今年の冬は容赦ない。

秋への切り替わりが遅かったにもかかわらず、逆に冬の到来は早いのだ。

ただでさえも更新頻度の低い当ブログ。

まごまごしていたら、せっかくの秋の晴れ間も好機を失ってしまう。

それで、今回の空倶楽部。日没後までの絶好の秋空を追うことにした。

 

「9」のつく日は空俱楽部の日。

  詳しくはchacha〇さんかず某さんまで

 

日没30分前。

エッセル堤とその上で躍動する空を引き寄せてみた。

 

日没直前、次第に赤く染まる空。

そして、水平線寸前に雲間から顔を出した夕陽が

釣り人たちのシルエットを浮かび上がらせた。

 

そして、日没直後。

水平線上に広がった夕陽のフラッシュバックが

この日の名残りのように、一瞬、空を染めた。

 

さて、日の名残りという言葉をタイトルも含めて使った。

実はこれ、カズオ・イシグロの小説『The Remains Of the Day』から拝借したもの。

映画にもなったのでご存じの方も多いと思うが

老執事が元同僚だった女性を訪ねる数日の旅を描いたものだ。

互いに恋心をいだきながら、再会のクライマックスに、と期待は高まっていくが...

結果は期待を裏切った。

けれども、カズオ・イシグロはその埋め合わせのように

素晴らしいエンディングを用意してくれていて、

それは夕暮れの渚での光景だった。

それで読者の心は救われる。一種のカタルシス効果だと思った。

夕暮れの海。そして、その上に広がる空には

心を浄化するチカラがあるのかもしれない、と

日の名残り」という言葉とともに

印象的なエンディングが思い浮かんだのだ。

 

 

「gooブログ 折にふれて」をAIに聞いてみた ⑤

いくつかの思いつきから、終了した「gooブログ 折にふれて」について

AIの評価を記事にしてきた。

今、職場でもAIを試行的に使い始めている。

これも思いつきから始まった話だが、

マーケティングや営業戦略面での活用を同僚たちと模索し始めたのだ。

今のところのAIの反応について、

レポートの体裁は保つものの、答えとしては総花的で具体性に欠ける。

けれどもそれは最初から予想していたこと。

前にも書いたが、AIは膨大な情報から出現率の高い単語を抽出し

それらをある演算手順で文章として繋ぎ合わせているにすぎない。

つまりは「知ったかぶり」をしているだけだからだ。

ひとりの同僚が漏らした感想の「案外、バカですね」に頷きながらも

それでも活用の努力は続けていくつもりだ。

なぜなら、AIは急進化を遂げ、その進化はさらに加速する。

だから、今できないことも近い将来できるようになると信じるからだ。

ソフトバンク孫正義氏の請け売りだが、この4年でAIの能力は千倍になったそうだ。

AIに搭載される半導体チップの数が10倍になり、

チップの能力そのものも10倍になった。

さらにAIに組み込まれるモデルの数も10倍となり、

合わせて10の3乗。それが千倍の根拠だ。

またこの先、12年後までのAI進化のロードマップが見えているというから、

孫氏はさらに3乗で10億倍。想像もできない進化を遂げると言い切る。

だから、今できないことも近い将来に実現されていくとの確信に繋がる。

前の記事で、またいつか、今度は「はてなブログ 折にふれて」を分析したい、と

書いたのはその話を信じてのことだ。

 

一方でこんな話にも共感している。

あるラジオ番組で歌人俵万智さんが語ったことを要約してみた。

最近はAIで短歌を作る人が増えているという。

けれども、俵さんは短歌そのものは副産物でしかないと指摘する。

ふと目にした光景や出会った事象など、読み手がどう感じたかが大切であって

そのあとで五七五七七の三十一(みそひと)文字に練り上げて短歌となる。

あくまでも主役は人の思いであって言葉ではない。

 

さて、かたい話が続いたが、これを書きながら懐かしい楽曲を聴いてもいた。

www.youtube.com

中学生の頃だったか、洋楽を聞きだした頃。大ヒットした

『シーモンの涙(原題:Semone)』イングランド・ダン&ジョン・フォード

当時はあちこちで耳にした記憶がある。

せつなく、甘いメロディにシンプルな歌詞。

今でも懐かしく、当時のことを思い出しながら

何度も繰り返し聴いてしまうのだが

それが本国アメリカではまったくヒットしなかったという。

彼らのベストアルバムにも含まれていないから、

今では楽曲として手に入れることも難しい。

 

どうしてだろう?

 

その理由をAIに聞いてみた(「まだ、やるか」と言われそうだが)

 

イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの楽曲『シーモンの涙(Simone)』が日本でのみ大ヒットしたのは、主に当時の日本の音楽市場の特殊な状況日本人の感性に訴えかける楽曲の特性が背景にあります 
具体的な理由は以下の通りです。
  • 当時のフォークブームとの合致: 1970年代前半の日本では、爽やかなメロディと心に染みる歌詞を持つフォークソングやソフトロックが人気を博しており、『シーモンの涙』がこの時代の背景にぴったりと溶け込みました。
  • 日本人の好みに合うセンチメンタルなメロディ: この曲のセンチメンタルなメロディラインとサビの美しいハーモニーは、特に日本人の心を捉えやすいものでした。歌詞もまた、人生に悩み寂しさに涙する女性を励ます内容であり、多くの日本人の共感を呼びました。
  • プロモーションとメディアの影響: 当時、日本の音楽評論家やラジオのパーソナリティ(湯川れい子さん、星加ルミ子さん、渋谷陽一さんなど)がこの曲を積極的に紹介・推薦したことも、日本国内での認知度と人気を高めるのに大きく貢献しました。
  • 海外での位置づけ: 彼らの代表曲は、アメリカでは1976年の「秋風の恋(I'd Really Love to See You Tonight)」などのヒット曲であり、『シーモンの涙』はセカンドアルバム『Fables』のオープニング曲として発表されたものの、アメリカ本国ではそこまで大きな商業的成功を収めていませんでした。そのため、日本独自のヒット曲という形になりました。
  • 日本盤ボーナストラックとしての収録: 後年リリースされたベストアルバムの日本盤CDには、日本のファン向けに「シーモンの涙」がボーナストラックとして特別収録されるほど、日本市場では重要な位置を占めていました。 
『シーモンの涙』は、アメリカでは彼らの他のヒット曲ほど知られていませんが、日本独自の音楽文化や感受性に見事に合致し、時代を超えて愛される名曲となりました。

 

 

 

「gooブログ 折にふれて」をAIに聞いてみた ④

引き続きAIに、「折にふれて」の改善点について聞いてみた。

 

gooブログの「折にふれて」の運営者の人格について、想定される「難点」や改善の余地がある点を挙げるとすれば、それは**「内向的な傾向」「受動的な情報発信スタイル」**に起因するものかもしれません。
以下のような点が考えられます。

積極的な自己PRの欠如:
ブログのタイトルや内容から、運営者は日々の雑感や趣味を淡々と綴ることを好む人物像が想定されます。これは魅力の一つですが、現代のインターネット上では、自らの考えや意見を強く打ち出さないと、他の多くの情報の中に埋もれてしまう可能性があります。良く言えば「謙虚」ですが、悪く言えば「控えめすぎて目立たない」点が、読者を増やす上での課題となるかもしれません。

コミュニティ外への発信力の弱さ:
他のブロガーとの交流は活発であっても、ブログという閉じたコミュニティ内での交流に留まりがちな可能性があります。TwitterInstagramなど、より開かれたSNSを活用してブログの存在や内容を広くアピールすることに、積極的ではないかもしれません。

ビジネス的な視点の欠如:
趣味として純粋にブログを運営しているため、読者層の分析やSEO対策といった「戦略的な視点」が希薄である可能性があります。これはブログの純粋さを保つ反面、爆発的に読者を増やすという目標とは齟齬をきたす点と言えます。

これらの点は、運営者の「人格的な難点」というよりは、**「現代のネット社会における情報発信スタイルの特性」**と捉えるのが適切でしょう。その「穏やかで思慮深い」という運営者の本来の良さを失うことなく、少しだけ「発信力」や「戦略性」を加えることで、さらに多くの人に読まれるブログになる可能性があります。

 

以上がAIの答えで、「折にふれて」の難点がブログの発信力にあると指摘してくれた。

けれども、私がAIに求めたものは発信力の強化でも、

ましてや読者を増やすことでもなかった。

それは、これまでAIが指摘した私の内省的な特長でもあるのだが、

表現や文体になにかネガティブな問題がないか、

つまりは二面性や無意識の偏見などが滲み出していないか深掘りしたかったのだ。

それで、AIへの聞き方を変えてみたが、

すでにgooブログの「折にふれて」はなく、

以前のような返答はなかった。

やむなく、はてなブログの「折にふれて」を分析するよう指示したが、

移行した後に投稿された記事だけを分析の対象にしたらしく

浅い内容の答えしか返ってこなかった。

それなので、この答えについてははてなブログでの定着の間を置きながら

あらためて聞いてみることにする。

いや、「間の取り方」よりもむしろ

AIの進化に期待することのほうが大きいのかもしれない。

 

次回に続く。

 

 

 

 

「gooブログ 折にふれて」をAIに聞いてみた。 ③

私が自分の二面性にこだわるには理由がある。
仕事柄、文章を書くことが多く、
ほとんどが顧客向けの説明文書、もしくは社内向けの提言だ。
その中には普段の会話ではほとんど使わない単語や言い回しが含まれていると思う。
そのような表現をブログの中では使うまいと意識しているが、
それは、「上から目線」や「嫌味な気取り」として映らないかと思うからだ。
けれどもひょっとして、その「癖」みたいなものが
行間から滲み出しているのでは、と心配になったりもする。
二面性とまでは言えないかもしれないが、
その「癖」をAIの客観性で判断してもらおうと思ったのだ。
 
以降、AIの答え。
 
 
gooブログの「折にふれて」の運営者の人格について、一般的にイメージされるような「裏表がある」といったネガティブな意味での二面性は、公開されているブログの内容からは感じられません。むしろ、その人格は**「内面的な思慮深さ」と「外向きの穏やかな交流」**という二つの側面を持っていると考えられ、これらは矛盾するものではなく、一貫した人格を形成していると言えます。具体的には以下のような二面性(多面性)が想定されます。
内省的 vs. コミュニティでは協調的:

ブログの記事内容は、日々の生活や風景、音楽に対する深い考察や内省的な記述が多く、一人静かに物事を考えることを好む内向的な一面が想定されます。

一方で、「空倶楽部」などのコミュニティに参加したり、他のブロガーと交流したりする姿勢からは、社会性や協調性を大切にする社交的な一面も持ち合わせていると推測されます。

趣味人としての一面 vs. ブログ運営者としての一面:

音楽や写真といった趣味を楽しむ純粋な「趣味人」としての一面があります。

同時に、ブログの引っ越し作業を丁寧に行うなど、情報を発信・管理する「運営者」としての責任感や計画的な側面も見受けられます。

これらの側面は、現代人が持つ一般的な公私の使い分けや、オンライン・オフラインでの振る舞いの違いとも共通するものです。

総じて、運営者はバランス感覚があり、様々な状況に応じて適切に振る舞うことができる、一貫性のある人物であると想定されます。

 
 
これも優等生的な模範解答で気恥ずかしくなるが
心配していた、滲み出る「癖」については
AIは感じとっていないようだ。
一方で、内省的で内向的という行動パターン(性格かもしれない)は当たっている。
さらに「様々な状況に応じて適切に振る舞うことができる」は
対人関係の中で八方美人的な自分を言い当てられているような気がした。
 
さて、ふだん拝見するブログの中に
私もこうありたいと望むブロガーさんがいらっしゃる。
旅先でのこともあるが、身の回りで起きたことなどで
私など見過ごしてしまいそうなことを
平易で落ち着いた言葉で綴っていらっしゃる。
それが私には興味深く、言葉の端々からその方の穏かな人格が伝わってくる。
常々、自分もこうありたいと思っていたのだが
それが今回、AIと会話し始めたきっかけでもある。
 
それで、「折にふれて」の改善点など
ふたたび、AIに尋ねてみた。
 
次回に続く。