精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

あの山を越えれば海が見え・・・・なかったらどうなる?

今日は「山を越えれば海が見える」というメタファーについて、少し疑ってみたい。この言葉の出どころは、小学生の頃の国語教材だった気がする。

 

「あの山を越えれば海が見える」といった意味合いの言葉を繰り返しながら、少年がひたすら歩き続ける、そんな情景をまだ覚えているのだ。

なぜか炎天下の中、汗を拭いながらひたすら歩く少年の後ろ姿が頭に浮かぶ。ここまで自分にとってやたら印象的な物語は、他に無いくらい珍しい

 

そしてこの比喩は、苦しい局面を踏ん張るときの心構えとして、よく使われる。「あと一日、あと二日頑張れば連休だ」「ここを越えれば楽になる」といった類のものだ。

 

確かに、最後の粘りを生み出す燃料としては、分かりやすく、かつとても効く場面もあるだろう。

 

ただ、これが万人に対して副作用なく機能するかというと、正直かなり怪しいと思っている。むしろ、リスクの方が大きいのではないか、というのが今の僕の考えだ。

 

今日はそれを基に、以下記事をつらつらと書いてみる。

 

 

あの山を越えれば海が見え・・・・なかったらどうなる?

 

何が危険かというと、「山を越えたのに海が見えなかった時」に、心が一気に折れるというリスクである。

 

実際、ある兼業芸人のブログで、このリスクに関する記事を読んだことがある。これを読んだとき、本当に他人事ではないと思わされた。

 

乱暴に言えば。「これを乗り切れば楽になると思ったら、その先にさらに大きな山が待っていた、という経験を何度か繰り返した結果、鬱が一気に悪化した」という内容だ。

 

僕自身も、昨日の時点で年内の仕事を数えて「今日と明日を乗り切れば終わりだ」と思っていたら、色々あって、結果的に明日まで仕事になった

 

もしこれを「明後日から連休だ」という希望に全振りしていたら、正直かなり危なかったと思う。心がぽっきりいってもおかしくないくらい、結構疲労は溜まっている。

 

だから今は、先を見る時間軸を意識的に短くしている。今日一日、もっと言えば「この授業」と「次の授業」以外のことは、意地でも考えていない。

 

やはり、あまり先を見ても、何一ついいことがないとつくづく思うからだ。繁忙期なら猶更だ。これはここ最近、身にしみて実感している事実だ。

 

希望として未来を使っているようで、実は現在を消耗させる材料として使ってしまっているなら、それはもう完全なる害、遅効性の毒でしかない。

 

繰り返しになるが、僕は「山を越えれば海が見える」という考え方を、万能な励ましだとは思っていない。これは実のところ、未来の元気・体力の前借りである。

 

将来の自分からエネルギーを前借りしながらも、その期間が終わったのにそれが”返せない”となれば、何が自分を見舞うのかは想像に難くない。激甚の疲労である。

 

借りてはいけないところから借金をしたのに、それが期日に返済できなかった際、どんな悲劇が待っているか。本当にそれと同じだと思っている。

 

少なくとも今の自分にとっては、「今日やるべき一歩だけを見る」方が、よほど安全で、持続可能だと感じている。それを積み重ねれば、全て終わっているのだと。

 

そんな風に、しばらくこの記事に書くことに集中してみたら、段々と日が傾いてきた。こんな具合に日々が過ぎていくことに任せる方が、一番健全だなと思っている。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

 

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