JJ(爺)の海外個人旅行記

英語力もスマホ術も不安な70歳超えの爺。それでも海外個人旅行は人生を楽しく、豊かにしてくれます。そんな実体験を綴っています。

はじめまして

 

はじめまして。70歳超えのJJ(ジージ)です。よろしく。

特にシニアの方で海外個人旅行をしたいと思っている人に読んで頂けたら嬉しいです。若い世代(特にZ世代)の方々にも参考になれば、尚更ハッピーです。

  • 海外旅行に行きたいけど、団体旅行はどうも若い向け人のようで、移動が多く、ゆっくりしていない。
  • シニア向けの団体旅行もあるが、観光地、食事もセットされており、自分で考えることはほとんどなさそうだ。また、ホテルも飛行機もハイクラスで費用も高い。
  • かといって、個人旅行を企画するのは、面倒だし、不安だし、費用も含めて良く判らない。
  • こんな方で、自由度が高く、ワクワク感のある海外個人旅行を、楽に、またリーズナブルに計画、実行したいと考えておられる方

そんな方に、海外赴任経験もなく、英語力もスマホ術も不安な70歳超えのJJ(ジージ=爺)の海外個人旅行記(旅行準備内容や現地でのトラブル、感動など)を、ゆったりと発信していきたいと思います。

 

読んで頂く中で、個人の海外旅行は歳をとっても可能だし、その結果として、気力や体力も活性化され、なんだか人生、豊かで楽しくなりそうだなあ~ とそんな気分になって頂ければ幸いです。


なぜ海外個人旅行なの?

最大の理由は、定年退職直後に計画していたヨルダンへの団体旅行が、直前になって催行中止となり、急遽他社で個人旅行の手配をして、なんとか当初のスケジュールで行くことができ、この時の経験がやはり海外個人旅行は楽しいと思ったことが一番の理由です。

 

海外個人旅行でしたので、言葉も通じにくく、また、自由行動時や飛行機乗り換え時等に小さなトラブルもありましたが、それにも増して、現地案内人の方とお互いカタコトの日本語/英語で話が弾み、また、計画変更等の要望にも適宜対応して頂き(例えば観光コースにない路地裏に案内してもらい現地の生活実態を垣間見たりして)、有名観光地の思い出より、むしろ多少のトラブルや計画外の行程が、旅行後強く印象に残りました。

 

国内個人旅行でも、楽しみは同じでしょう。ただ違うのは、旅行先で言葉が通じ、トラブル時等での日本人としての行動や反応はほぼ予想がつきます。風景も旅館の食事も似たり寄ったりと、海外旅行に比べて苦労や感動がやや少ない様に思います。多少の骨折りやそれなりの刺激があった方が、旅はより面白く、前頭葉の活性化には良いのではないでしょうか。

 

団体旅行と違い、個人旅行というと若者の「バックパッカー」の様な、あるいは「自分で飛行機からホテルまで予約する必要がある」というようなイメージをされる方も多いかと思いますが、JJはそんな面倒なことは基本的にしません。

 

このブログで、まずは「海外個人旅行は、そんなに難しい旅ではなく、歳をとっても行けそうだ。何とかなりそうだ。なんだか楽しそうだなあ~」そんなこと思っていただけたら嬉しいです。

個人旅行が楽しいと思ったヨルダン(ペトラ遺跡

シニアの海外個人旅行は一石二鳥?

老後を迎えると、一般的に気力がなくなり体力も衰えます。持病を抱えている人も多く、資産の目減りが気にかかり、理由が自分でも判らないままイライラすることもあります。

 

JJも、大学卒業後、同じ会社で約50年間働いてきましたが、70歳で全く仕事から離れると、「これ」と言った趣味もなく、時間を持て余し、老化の一般的症状にプラスして、気持ちも大いに落ち込んでしまいました。

 

そんな時、これからの人生に向けての本を読んだり、友達の話を聞いたり、残りの人生でやってみたいことを少し考えたりしました。

 

結果、「これからは好きなことをして、その副次効果として気力や体力の維持につながれば一石二鳥ではなかろうか。楽しみも二倍に増えるかもね」と思う様になりました。

 

JJにとっての“一石”、それは「海外個人旅行」でした。”二鳥”は取ってつけた感はありますが、「気力:脳機能の活性化」と「体力:身体機能の活性化」です。これらをまとめて「脳体機能の活性化」と呼ぶことにしました。

 

個人旅行ですと、それなりの下調べや手配(旅行会社との遣り取り)も必要です。現地では身振り手振りでの表現力(意思伝達力)もいります。病気やトラブル発生時、アクションを取らないと何も進みません。また、終日観光ともなればよく歩きます。これらは、すべて脳体機能の活性化に良いのではないかと思います。

 

また、ブログをやってみようと思ったのも、「情報受信」より「情報発信」の方が、遥かに前頭葉を使うと書いてある本を読んだからです。

 

若い世代(特にZ世代)の方に

少し横道にそれますが、日経新聞の2024年9月17日の朝刊に「日本人は旅行をやめたのか」という特集があり、そのなかでのアンケート結果として「Z世代の57.3%は海外に行きたいと思わない」との記載がありました。

 

JJは約50年前の大学時代、アルバイト代と親にムリクリ頼んで出してもらったお金で、ヨーロッパ旅行に行きました。どうしても、普通のサラリーマンになる前に、海外をこの目で見て、肌で感じてみたかったのです。この鮮烈な記憶は今でも残っています。

約50年前(JJの学生時代)の海外旅行集合写真

Z世代は、生まれた時から、インターネットやスマホがあり、情報収集や海外でのコミニケションにも困らず、それほど個人旅行のハードルも高くないと思います。このグローバルな時代、海外を直に感じることは、必ずや、これからの人生にとって有用だと思いますので、是非海外に飛び出してみて下さい。英語力、スマホ術も不安な70歳超えのJJでもトライし、都度新鮮な刺激を受けていますので。

 

今後、旅行前の準備、旅行中のトラブルや感動、具体的なトライ例等をゆっくりと投稿していく予定です。ブログ自体初めてで、悪戦苦闘中という状況ですし、内容も「JJの人生後半の旅路の記録」的なところがありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

なお、この「はじめまして」投稿以降、2025年5月20日までに記事とした訪問国に関しては、一覧を下記に載せていますので、宜しければ参照下さい。

 

jj-travel.hateblo.jp

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた。

 

ヨルダン:ペトラ遺跡 色褪せた褐色の渓谷に心打たれ

ペトラ遺跡は、ヨルダン南部の渓谷に位置し、紀元前2世紀頃に「隊商都市」として栄えたようです。隊商都市とは、ラクダなどに荷物を積んで移動する商人や巡礼者の集団が集まる中継地点として栄えた都市のこと。ただその後の大地震や海洋貿易の発展により都市は衰退し、7世紀以降はほぼ見捨てられた街となったようです。

ペトラ遺跡を拡大すると下図のようなイメージです。

一般的な観光ルートとしては、図面右側(東側)のゲートから入り、西に向かって進み、シーク(岩の裂目)を通って、エル・ハズネ(宝物殿)を眺め、昔の街の中心地を通り、休息所で休み、体力に自信がある人は約900段の階段を上り、エド・ディル(修道院)を観て、後はひたすら、元の道を帰るというルートになります。朝9時頃にゲートから入り、14~15時頃に帰ってきました。

ペトラ遺跡の概観図

2013年5月に行き、今までみた事もない自然の造形や壮麗な建築物に感動しましたが、JJが特に感銘を受けたのは、エド・ディル(修道院)登頂後に見た渓谷の雄大さ、荒々しさでした。が、まずは観光ルートに従って簡単な解説をしていきたいと思います。

 

シーク(岩の裂け目)

シーク(岩の裂け目)

前日はゲート近くホテルに泊まり、当日朝9時頃入場しました。

シークは日本の神社の参道の様でもあり、隊商が都市の中心地に入るための主要なアクセス路だったようです。この岩の裂け目自体は、水の浸食と地殻運動によって形成されたとのこと。断崖の高さは約60〜100mですが道幅は狭く、人ひとりが通るのがやっとのところもあります。両側にはピンク色の岩肌が、何層にもなって続いています。

 

エル・ハズネ(宝物殿)

この細く暗い道の先、岩と岩の裂け目から徐々に姿を現す神殿のような建造物が「エル・ハズネ(宝物殿)」です。

エル・ハズネ(宝物殿)

映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の舞台となったこの遺跡は、高さ約30m・間口約25mの大きさです。

 

ここからさらに奧へ進むと、昔の街の中心地となり、円形劇場をはじめとするローマ帝国時代の遺跡が現れます。それを抜けきったところに休息所があり、昼食もここで頂きました。

 

エド・ディル(修道院

エド・ディル(修道院)への登り口

休息所で一旦休憩を取ったのち、約900段もの石段を上り詰め、その先にあるのが、エド・ディル(修道院)です。

山と一体となった荘厳な神殿の周囲には、修道僧が住んでいたと言われています。

写真左側の山に掘られた建造物がエド・ディル

エド・ディルを少し遠めに眺められる近くの丘に登り、周りを見渡します。そこに広がる景色は、岩山とそしてこの岩山が風化してできた砂の平地。更に遠くに見える岩の台地。

 

全てが、褐色のペンキが紫外線により分解し、劣化してしまった様な色合いで、木などほとんど生えていません。日本にいると、地表と言えば、木々で覆われた緑の大地を想像し、こんな風化した色合いを想像することができません。

 

下の写真は、この山に登るまでに歩いてきたペトラ遺跡の谷底と更にその先の台地です。この渓谷の色合い、雄大さ、荒々しさ。こんな情景をいままで見たことがありません。

エド・ディルからみた渓谷

エル・ハズネ(宝物殿)もエド・ディル(修道院)も素晴らしかったのですが、この渓谷の景色は、それ以上に今も頭に焼き付いています。皆さんも機会があれば是非、900段の階段を上ってこれを眺めて下さい。

 

帰路とその後

帰りは、ほぼ真上から太陽を浴びながら、ひたすら出口に向かって歩きます。二人とも無口となり、周りの風景等を楽しみもせずに、早足で歩きました。

 

ホテルに到着すると、靴もズボンも真っ白。プールに浸かり身体を冷やし、夕食後は、ホテル近くの屋外バーで一杯。乾燥した空気の中、ペトラの夜景も美しく、アルコールもゆっくりと喉の奥を潤してくれました。近くの壁にはサソリも這っていました。

疲れた一日でしたが、日本では見られない色褪せた褐色の渓谷は強烈でした。来た甲斐があった一日でした。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

ではまた。

 

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ロシア:言葉が解らず、スマホも無い時代の個人旅行(その4)

(その4)は、滞在4日目~5日目の話です。

4日目はほぼ一日中、サンクトペテルブル周辺や市内観光をして、夕方に超特急(新幹線)サプサンに乗ってモスクワまで帰りました。

5日目は、午前中、デパートに買い物に出かけ、18時頃の便で帰国の途に就きました。

今回は、この二日間の内容を駆け足気味に書いています。

 

 

4日目午前:OPツアー「夏の宮殿観光」

昨日訪問したエルミタージュ美術館(宮殿)が「冬の宮殿」と呼ばれているのに対し、このペテルゴーフ離宮は「夏の宮殿」と呼ばれています。

夏の宮殿:水路がフィンランド湾に注ぎ、ベルサイユ宮殿より解放感があります

サンクトペテルブルク中心部から約30km離れたフィンランド湾沿いにあり、実際にロシアの皇帝たちが夏を過ごすための「離宮」として使用していたようです。

日本の皇室の葉山御用邸のように季節ごとの滞在拠点としての性格を持っていたようですが「葉山は冬季の静養中心(私的)、ペテルゴーフは夏季の静養+外交舞台(私的+公的)」という点に違いがあります。ただここはやはりどちらかというと外交の舞台装置として建てられたのでないかと感じられました。

夏の宮殿:噴水群

また、ここはベルサイユ宮殿を模倣して建てられ「ロシア版ベルサイユ」と呼ばれています。庭園面積や建物群の広がりはフランス本家には及びませんが、それでも海に向かって広がる解放感や噴水群はベルサイユ宮殿以上のものがあるように思われます。今回のロシア旅行で訪ねた観光地の中では最も奇麗で素晴らしいと思いました。

 

〇ロシアらしい昼食

昨日と本日の昼は、「ピロシキ」また「オクローシカ」という夏バテ防止にお勧めと言われている冷製スープ、更に「ボルシチ(冷製)」や「ペリメニ」というシベリア風水餃子を頂きました。サンクトペテルブルクのガイドさんは何かと気を遣って下さり、またこの2日間は、ロシアの代表的料理を頂き、心が少し安らぎました。ただ、これらを頂いたお店が、どんな雰囲気だったのか等、残念ながらほとんど記憶にありません。


4日目午後:フリー「運河観光船乗船」「ロシア美術館」

〇運河観光船乗船

サンクトペテルブルクは、もともと沼地で運河を掘りながら建設された都市。北のブェネチアとも呼ばれています。

当時、サンクトペテルブルクは暑くて暑くて、少し涼もうかと思い、午後からこの運河を走る観光船に乗ってみました(乗船場までガイドさんに連れて行ってもらい、そこで別れました)。ただ、結果的には涼むと言うより、寧ろベッタリとした暑さを感じるツアーとなってしまい、下船後、直ぐに涼しいと思われたロシア美術館に急ぎました。

運河観光船にて

〇ロシア美術館

ここにも素晴らしい絵画が沢山ありましたが、途中から雷雨を伴う大雨となり、蒸し暑さで疲れた体のクールダウンも兼ね、再度、気になった絵をみたり、ソファーに腰を下ろしたりして、1時間程度雨が上がるのを待ちました。

 

丁度、ロシアに来て初めて出会う日本人と思われる若人を見かけ、同様な感じでソファーに腰かけていましたので、話しかけるとロシア語専攻の学生さんでした。なんだか久しぶりにお互い日本語でペラペラしゃべり、楽しい雨宿りとなりました。

ロシア美術館で気になった絵画

雨があがり、街を歩くと一時的に少し涼しくなったようでもありましたが、その後はまた蒸し暑くなり、夕食は寿司屋に入りました。ここでの夕食の記憶はあり、過去ブログに書いていますので、よろしければそちらをご覧ください。

雨上がりの市内

その後、午後8時頃発の超特急サプサン乗車まで、クーラーの無い待合室で待ち続け、モスクワに帰り着いたのは夜の12時頃でした。

 

5日目午前:フリー「グム百貨店」

モスクワ最終日です。赤の広場に面して、グム百貨店という大きなデパートがあります。ここにお土産を買うために出かけました。

グム百貨店の内部:日本のショッピングモールより遥かに格調高い造りです

ここで、マトリョーシカ漆器のぐい飲みを購入しました。

お土産として購入したマトリョーシカ

ロシアに漆器があるとは思ってもいませんでしたが、「ホフロマ塗り」としてロシアの民芸品としては非常に有名であることは、帰国後に知りました。黒地に鮮やかな赤や金で、イチゴやベリー、花、鳥などの自然のモチーフが描かれています。JJは今でも日本酒(冷酒)を頂くときに愛用しています。

漆器製のぐい飲み:これで日本酒(冷酒)を良く飲んでいます

5日目午後:モスクワから成田へ(帰国)

買い物を終え、一旦ホテルに戻り空港へ向かいました。こちらに来た時は、空港線から違う路線の地下鉄に乗り間違えるというトラブルがありましたが、帰る時は、地下鉄から空港線に乗り換えるだけなので、間違うこともないだろうと高を括っていました。しかしこの時もドタバタしました。この状況はまた別の機会に書こうと思います。

 

その後なんとか空港に着き、チェックインを終え、JALのラウンジでJAL機が見えた時は本当に「やっとこれで日本に帰れる!」と胸をなでおろしました。

 

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関連ブログでも書いていますが、兎に角、この時の旅は、ロシア語が分からず、スマホも持ち合わせていない個人旅行でしたので疲れました。

 

昼食はガイドさんに案内され、それなりのところでグルジア料理やロシア料理を食べましたが、夕食は、4日目の夜(寿司)を除き、どこで取ったのかも記憶に残っていません。

 

そんな状況でしたので、逆に15年経った今でも、頭の片隅にこびりついている印象深い内容だけは、浮かびあがらせることが出来たのかも知れません。

ただ、一方で、最近のロシアという国から思い浮かぶ暗い言葉(戦争・独裁国家・侵略等)は、赤の広場や国立歴史博物館の一部と結び付けられた程度で、当時のアルバムを開いてもそれほど連想することは出来ませんでした。

 

今回は、長きにわたり(その1)~(その4)まで、付き合いいただきありがとうございました。

ではまた。

 

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ロシア:言葉が解らず、スマホも無い時代の個人旅行(その3)

(その1)(その2)はモスクワの話しでしたが、(その3)は、旅程3~4日目に訪問したサンクトペテルブルクの話です

 

3日目:モスクワからサンクトペテルブルク

超特急(新幹線)サプサンに乗車し、モスクワからサンクトペテルブルクに向かいました。サプサンは当時の日本の山形・秋田新幹線E3系)のような外観でした。

 

早朝に2本程度しか運航しておらず、ホテルに弁当を準備して頂きました。弁当と言っても、パン、飲み物、果物程度だったと思いますが・・。乗車時間は約4時間で、単調な田園風景(原野?森林?) が延々と続いていました。

超特急(新幹線)サプサン

車内の様子:普通車ですが、シート幅は広く快適でした

車窓から見える田園風景(原野・森林風景)

モスクワを朝7頃に出発し、ノンストップで11時頃にサンクトペテルブルクの「モスクワ駅」に着き、到着と同時にロシア国歌がスピーカーから流れてきました。

 

JJ(日本人)からすると分かり難いのですが、日本の駅名は「〇〇駅」がその都市名であるのに対し、ロシア鉄道の駅名は、「〇〇行きの列車が発着する駅」という概念に基づいている様です(但し、全ての駅名がそうなっている訳ではありません)。 

 

従って、到着した駅はサンクトペテルブルクからモスクワ行の列車が発車する駅ですので「モスクワ駅」となっています。ちなみに、モスクワでこの列車に乗った時の駅名は「レニングラード駅(サンクトペテルブルクの旧称)」でした。

 

単純な鉄道網の場合、乗り間違えがなくて良いのかもしれませんが、東京駅の様に、東海道新幹線の博多行もある、東北新幹線の青森行もある、北陸新幹線の金沢行きもあるような場合、東京駅はどんな駅名になるのでしょうか???

 

午後:OPツアー「エルミタージュ美術館

駅到着後は、ホテルまで徒歩で移動し、そこに荷物をあずけて、OPツアーのガイドさんと待ち合わせ、エルミタージュ美術館に向かいました。街並みは北欧のようで、モスクワより美しく、落ち着き感がありました。

 

次の日、ロシア美術館、寿司屋等にも行きましたので、これらの位置関係を含めて下図に示します。

サンクトペテルブルク市内(記事で取り上げた場所)

エルミタージュ美術館

エルミタージュ美術館の素晴らしさに関しては、旅行案内書等に詳しく書かれていますので、そちらを見て頂けたらと思います。

 

ただ、宮殿装飾として最も有名な「大使の階段(ヨルダン階段)」が修復修理中で、工事用の足場の間からそれを眺めました。残念だったと言えばそうでしょうが、まあこれも逆に「工事中だったよなあ~」という記憶が残りました。

修復修理中の「大使の階段」

帰国後、旅行会社(JIC)に、この件を連絡すると「すみません。こちらはすでに2カ月間修復修理中でした。あらかじめお知らせしておくべきでした」とお詫びの連絡がありました。良い情報は必ずしも事前にあげる必要はないと思いますが、悪い情報は事前に提示しておく方が、その会社(人)の信頼度は増すと思います。JICさんには、他の件でも色々お世話になりましたので、悪い印象はないのですが、そんなことを思いました。

 

また、美術館ですのでもちろん沢山の絵画がありますが、過去に尋ねたルーブル美術館(パリ)、プラド美術館(スペイン)、ウフィツィ美術館(イタリア)等と同様に、後から思い出そうとしても、なかなか展示品の全体を思い出すことはできません。

 

エルミタージュ美術館の場合もそうですが、JJはセザンヌゴーギャンの絵だけを写真に撮っていましたので、この画家は当時から好きだったのだろうなあ~と改めて思いました。

〇ホテル

この日は、エルミタージュ美術館の観光だけで終わり、「ラディソンSAS ロイヤル」という5☆のホテルまで送ってもらいました。

 

部屋はそれほど広くはありませんでしたが、ラディソンがもともとスウェーデンにルーツがあるホテルのためか、外観も北欧風、室内も同様のインテリアで、冬でも温かそうだなあという雰囲気を感じました。

 

かなり昔、スウェーデンに寒冷地住宅の視察に厳寒期に行ったことがありますが、住宅もホテルも室内に入るとほんのりとした暖かさを感じ、外は寒くてもそこに帰れば温かい空間があるというのは素晴らしい事だなあ~と感じたことがあります。このホテルでそんなことを思い出しました。

 

余談ですが、JJも約10年前に家を新築した際、壁・床・天井には断熱材をたっぷりと入れて、窓は、塩ビサッシ+3重ガラスとして暖かい家に拘りました。寒さが大嫌いで、寒さを感じると何故だか身体に汗が出てくるという原因不明な症状を抱えており、スウェーデンの様な家が本当に欲しかったのです。

サンクトペテルブルクのホテル:ラディソンSAS ロイヤルの外観

同ホテルの室内

3日目も無事終わりましたが、やはり当日の夕食をどうしたのか全く記憶がありません。食べなかったということはないと思うのですが・・・

 

4日目以降は(その4)で

ではまた。

ロシア:言葉が解らず、スマホも無い時代の個人旅行(その2)

(その1)に続き、(その2)は、モスクワ滞在2日目の話です。

 

2日目午前中:OPツアー「モスクワ市内観光」

午前中のOPツアーでは、赤の広場、ノヴォデヴィッチ修道院モスクワ大学(これもスターリンクラッシック建築の一つ)等を駆け足で廻りました。

 

赤の広場(ワシリー寺院、クレムリン

国立歴史博物館側からみた赤の広場。正面がワシリー寺院、右側がクレムリン

赤の広場の「赤」は旧ソ連の国旗が赤かったことから、そう名付けられたのかと思いましたが、これは後付けの話だそうです。赤の広場はロシア語で「クラスナヤ・プロシャード」と言われており、この「クラスナヤ」は「赤い」と「美しい」の両方を意味し、もともとは「美しい広場」として名付けられたとのこと。

中国の国旗もベースが赤ですので、てっきり共産党のシンボルカラーだと思っていましたが、先入観とは恐ろしいものです。

 

ガイドさんによると、昔(いつ頃のことかは判りませんが)は、単なる市場だったのに、その後は軍事パレードの会場となったり、偉い人の墓地や国家セレモニーの会場になったりとのこと。

 

そういえばつい最近(2025年)、プーチン大統領ウクライナ侵攻を鼓舞するための軍事パレードをしていたような・・・なんだか「美しい」というより、また「赤い」という意味より、「戦争」という意味合いの方が、より似つかう広場のように改めて思われます。

 

この広場は世界三大広場の一つと言われており、約70,000m2あります。シンプルに考えると幅100m×長さ700m程度のイメージです。

 

モスクワ大学

モスクワ中心部から少しはなれた「雀が丘」に行き、モスクワ市内をこの丘の上から眺めました。この丘に建っていたのがモスクワ大学で、直接大学に行ったわけではありませんが、その外観は確かに、宿泊先の「ヒルトン・レニングラーツカヤ」に良く似ていました。

モスクワ大学:ここもスターリンクラッシック建築のひとつ

午前中は、市内やその周辺をサラッと廻っただけで、何が何だかよく判らないことも多かったのですが、ただ、昼食に頂いたグルジア料理(2015年以降はジョージア)は美味しく、国名も含めて記憶に残りました。この内容に関しては、過去ブログ「ロシア:グルジア料理(モスクワ)、寿司(サンクトペテルブルク)、日本料理(JAL)」に載せていますので、よろしければそちらをご覧ください。

 

2日目午後:フリー

午後からは個人でプーシキン美術館を訪ね、クレムリンの周辺にある公園を散策し、歴史博物館に入り、夕方、地下鉄1号線に乗ってホテルまで帰りました。これらの位置関係は下図の通りです。

赤の広場」周辺のマップ

余談ですが、NHKでテレビによく映し出される映像は、多分、下図に示した方向から撮っているのではないかと思っています。海外のニュースなどを見て、「あっあそこだ!」と思うことが時々ありますが、これはやはり現地に行ったことのある経験値から出てくるものだと思います。

 

プーシキン美術館

プーシキン美術館は勿論、マティスの「金魚」を観るためです。

マティスはフランスの画家で、この絵はモロッコ滞在中の1912年に描かれた作品です。ロシアの富豪によって購入され、その後プーシキン美術館に収蔵されたようです。

 

JJはゴーギャンの「タヒチ女」にあるような大胆な色彩で厚化粧的な絵も好きなのですが、セザンヌの「風景画」や、このマティスの「金魚」に見られるような、洋画でありながら一部塗り残しもあるような薄化粧的な絵も好きなのです。

 

キャンバスは記憶以上に大きく、やはりしばらく見とれてしまいました。これで目的のひとつは果たせました。

プーシキン美術館(別館):ここに「金魚」の絵があります

なお、2023年もマティス展が東京(上野)でありましたが、残念ながらこの「金魚」の展示はありませんでした。プーシキン美術館展ではないので、マティスの絵が貸し出してもらえるはずがありませんよね。

 

○国立歴史博物館

その後、クレムリンの周辺にある公園をブラブラして、国立歴史博物館に向かいました。散歩と言っても爽やかな気候ではなく、日本の夏より暑いぐらいで、この暑さに関しては過去ブログ「旅先の服装:インドは寒く、モスクワは暑く(その2)」にも投稿していますので、よろしければそちらもご覧ください。

ワシリー寺院からみた赤の広場。正面の赤い建物が国立歴史博物館。左側がクレムリン。右側の建物がグム百貨店

JJは、ロシア(旧ソ連)の歴史はほとんど知りません。日本と直接関係する本としては司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」くらいしか読んだことがなく、これ(日露戦争に関しては)はどんな展示がされているのだろうかと気になり、この辺りだけを観ましたが、以下のような内容だったと思います(記憶間違いがあるかかも知れませんがご了承下さい)。

 

19世紀初頭に、冬将軍も味方しフランス(ナポレオン)を破った事実は、その後のワーテルローの戦での勝利も含めて、詳しい展示があったと思います。しかし、1904年の日露戦争での敗戦に関しては、数行程度の説明で終わっていました。また、第一次世界大戦は、開戦中にロシア革命が起きソビエト連邦が誕生した混乱期でもあり、どんな展示がされていたか記憶がありません。一方、第二次世界大戦でドイツや日本に勝利した内容は、これまた詳しい説明がされていたと思います。

まあ、国立の展示場としては、こんな展示内容になるんだろうなあ~と、そんなことを思いました。

2日は地下鉄の乗り間違えもなく淡々と過ぎました。ただ夕食はどこで取ったのか全く記憶にありません。

 

3日目以降は(その3)で

ではまた。

 

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ロシア:言葉が解らず、スマホも無い時代の個人旅行(その1)

どうして今頃、15年前のロシア旅行に関して書こうと思ったのか、自分でもその動機がよく判りませんが、最近のロシアから浮かぶ言葉は「戦争」「独裁国家」「侵略」等で、何ら気持ちを安らかにしてくれる単語が見つかりません。

 

以前、旅行中に特に印象深かった「モスクワの地下鉄」と「グルジア料理等」をブログにあげましたが、ここでも結局は「地下鉄(防空壕)が戦争」と、「グルジアが侵略」と結びついてしまいました。これは、15年前でも現在でもロシアという国が余り変わっていないということを示唆するものなのでしょうか。

 

こんな余りスッキリとしない状況で、改めて当時のロシア旅行を振り返ってみたくなり、アルバムを開きました。

 

結果からすると、当時の写真を眺めブログを書いたからと言ってモヤモヤが晴れた訳では全くなく、寧ろ「ロシア語が解らずスマホも無い時代のことで、兎に角疲れた旅行だった」ということを強く思い出しただけに終わりました。今回はそんな回顧録で、何回かに分けて時系列的に思い出を綴っていきます。

 

なぜロシア旅行

当時ここを選定したのは、①今まで行ったことが無かったこと ②JALのマイルが相当たまっていたこと ③2005年に東京/上野の美術館で「プーシキン美術館展」がありマティスの「金魚」を見て非常に気に入り、その場で高価な複製画も購入しましたが、改めてこの絵の本物を見たくなったこと等です。

マティスの金魚(現物を改めて観たくなった絵画)

この個人旅行に於いて、飛行機の予約、空港からホテルまでの移動に関しては、自分で計画し行動しました(自由旅行)。一方、ロシア地域専門の旅行会社「ジェイアイシー旅行センター(株):以下JIC」には、VISAの取得、ホテル、現地OPツアー、モスクワからサンクトペテルブルグへの特急列車(超特急)の手配をお願いしました(手配旅行)。

 

言ってみれば、自由旅行と手配旅行の組み合わせで、しかもほとんど言葉が通じず、スマホも持ち合わせていなかった時代の海外個人旅行で、やはり自由旅行部分ではかなり苦戦しました。

 

旅程

スケジュールは下表の通りで、訪問先はモスクワとサンクトペテルブルクの二カ所です。

表中☆をつけた部分が自由旅行です。一方、★が手配旅行で、これは旅行業者のJICに依頼した部分です。

 

なお、自由旅行や手配旅行の区分に関しては、過去ブログ「JJの海外個人旅行とは。パック旅行? 組立旅行?」に詳しく書いていますので、よろしければそちらをご覧ください。

(その1)は、出発前の準備から出発後1日目の内容です。

 

出発前の準備:VISAの取得、バウチャーの発行

当時、ロシアに入国するには、大使館に出向きVISAを取得する必要がありました。勿論、こんな面倒なことは個人ではできませんので、バウチャーの発行も含めて、上述の旅行会社(JIC)に依頼しました。

 

現在は、「電子VISA」も「パスポート貼り付け型VISA」もあり、費用は5,000~10,000円前後。必要書類として「電子VISA」の場合、パスポート(コピー)と顔写真があればよく、NET申請もできるようですので、旅行者にとっての準備はそれほど面倒な訳ではありません。

当時の観光用VISAとバウチャー

なお、ロシア人が日本の観光用ビザを取る場合、申請自体は無料の様ですが、日本側の”招へい人”が多くの書類(招へい理由書、住民票等)を準備する必要があり、手続きは非常に煩雑なようです。この煩雑さゆえに代行業者に頼む必要があり、これが数万円かかることもあるようです。

 

現在も、日本人がロシアに行くのは意外と簡単そうですが(わざわざこの時期に行く人も少ないと思いますが・・・)、ロシア人が日本に来るのは、意外とハードルが高いという感じです。

 

1日目:成田からモスクワへ

○飛行機

2025年現在、日本とモスクワ間の直行便はすべて運休中です。現状、仮に行くとすると、中国や中東経由で乗り継ぎ時間を含めて20時間以上かかるようです。当時はJALの直行便があり、10時間程度の飛行時間でした。マイルも沢山貯まっていましたので、ビジネスクラスを利用し、モスクワにつくまでは至って快調でした。

 

成田を11時頃発→モスクワ16時頃着でしたが、到着時にまだ陽は高く、「暑いなあ~」と思ったのが、ロシアの地に足を下ろした時のファーストインプレッションでした。

 

○空港からホテルまでの移動

この移動に関しては、早々にトラブり、ホテルにはほうほうの体でたどり着きました。苦戦話は、別途書きたいと思います。

 

東京の8月上旬の日没時間は18時半頃かと思われますが、モスクワでは20時頃で、空港到着時、まだまだ日暮れまでには時間はあるなあ~と思いましたが、列車の乗り間違えやホテル探しに時間を取られ、結局チェックインイン出来たのは、ほぼ日暮れに近い時間となりました。空港からホテルまで、順調にいけば2時間もあれば十分だと思っていましたが、結果的には倍近い時間を要してしまいました。

 

○モスクワのホテル

ホテル「ヒルトン・レニングラーツカヤ」の建物は立派で、モスクワに7つある巨大なスターリン・クラシック建築のうちの1つだそうです。ニューヨークの摩天楼にコンプレックスを抱いていたスターンの肝いりで1950年代に建造され、その後、ヒルトン系列のホテルとして改装しオープンしたばかりで、非常に豪華かつ奇麗で快適でした。

モスクワのホテル:ヒルトン・レニングラーツカヤの外観

同ホテルのロビー

ただ、空港からホテルまでの移動に疲れ果て、レストランがどこにあるかもよく判らず(NETで調べる訳にもいかず)、言葉が通じないという現実も移動途中でよく判り、夕食は近くの売店で、手振り身振りでサンドイッチと飲み物を購入しただけで済ませ、早々に休みました。

 

飛行機は快適でしたが、到着後は非常に疲れた一日となりました。

 

続きは(その2)で。

ではまた。

 

 

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ロシア:グルジア料理(モスクワ)、寿司(サンクトペテルブルク)、日本料理(JAL)の記憶

最近、ロシアが騒がしく「嫌な国だなあ~」と思うことが多くなりましたが、JJが旅行した2010年当時はそれほどでもなかった様な気がし、「どんな国だったのだろうか? なにか独裁主義的な側面を垣間見ることがあったのだろうか?」と改めて当時のアルバムを開いてみたくなりました。今回は、そんな回顧録的な内容です。

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2010年夏にモスクワとサンクトペテルブルクに4泊6日で行き、この時どんなところで、何を食べたのかほとんど記憶に残っていません。朝食はホテルに付いていましたので、まともな物を食したと思いますが、特に夕食は、当時スマホもなく、どこにレストランがあるのかも良く判らず、また何を食べたのかの記憶も記録も残っていません。

 

ただ、そんな食事の中で、2日目のグルジア料理(モスクワ)と4日目の寿司(サンクトペテルブルク)、5日目のJAL機内食に関しては、記憶が比較的鮮明です。

 

2日目:モスクワでグルジア料理

モスクワ市内観光のOPツアー(午前中のみ)では、赤の広場、ノヴォデヴィッチ修道院等を駆け足で巡りました。このツアーに昼食はついておらず、「お薦めのレストランは紹介しますが、別途食事代は精算してください」という内容でした。アルバムにその時の領収書が張り付けてありますので間違いないと思います。

 

現地案内人に連れていかれたのは「グルジア料理店」でした。「グルジアとは何?」とそこから始まり、国の名前だという事を当時初めて知りました。

 

グルジア」とはロシア語の呼び方で、2015年以降は日本でも英語の呼び方で「ジョージア」となっているようですが、JJが訪ねたのは2010年だったので、当時はやはり「グルジア」だったのでしょう。

 

この国は地図でも判りますが、モスクワの遥か南、黒海に面し、アジアとヨーロッパ(ロシア)の接点にある面積的には小さな国です。1920年代にロシアの侵攻を受け、その後ソビエト連邦の創設メンバーとしてソ連の一部となりました(現在のウクライナ情勢に似ているのではないでしょうか。無理やりソ連に併合させられたのでしょうか?)。1991年のソ連消滅時に独立を果たし、現在に至っています。

ジョージア(旧グルジア)は何処

「モスクワに来ているのになぜお薦めがグルジア料理なの?」とガイドさんに聞いたら、「自分はグルジアの出身で、モスクワには出稼ぎで来ている。グルジア料理はモスクワの料理より美味しいので、是非食べて欲しい」というようなことを言われたと記憶しています。

 

出てきた料理名をロシア語とカタカナで紙に書いて下さいました。「よくカタカナが書けますね」というと「日本語学校で勉強した」とのこと。これも記念にアルバムに張り付けています。

ガイドさんがメモしてくれた料理名と領収書

ハルチョ(スープ)、チョホフビリ(牛肉のワイン煮)、ハチャ(パン)を頂きました。ハルチョは少し辛く、酸っぱくもあり、スパイシーなスープでした。ただ単に辛いのではなく、香辛料を多く使い風味豊かな味でジョージアの定番料理だそうです。ソ連時代も、ロシアでご馳走といえばジョージアの料理だったそうです。

 

確かに美味しかったですが、料理内容というより「自分は全然世界を知らないなあ~」とそんな想い出の方が強かった昼食でした(食事代は2人で5,900円だったみたいです)。

 

余談ですが、最近、相撲ではウクライナ出身の安青錦(あおにしき)の活躍が素晴らしく、母国の状況も鑑み、ついついテレビ観戦時「いけいけ! やれやれ!」と応援してしまっていますが、ジョージア出身の力士には、元大関栃ノ心(とちのしん)がいました。

グルジア料理:ハルチョ(スープ)

4日目:サンクトペテルブルクで寿司

当日、午前中は「ペテルゴーフ(ピョートル大帝の夏の宮殿)」のOPツアーに出かけ、午後はフリー、夕方に超特急サプサンに乗って、サンクトペテルブルクからモスクワまで帰るという日程でした。

 

サンクトペテルブルクは海に面していることもあるのか、メイン通りに多くの寿司屋を見かけました。昼食にピロシキを食べたこともあり、また、海外(ロシア)の寿司はどんな味がするのだろうという興味もあって、夕食時に一軒の店に入りました。

寿司店の前に掲示されていたメニュー

メニューはやはり巻き寿司の方が多かったのですが、JJは握り寿司のセットと日本酒(冷や)を頼みました。ただ、少し大げさですが、待てど暮らせど出てきません。JJだけでなく全てテーブルで、そんな感じで、かと言って別に文句を言っている人がいるわけでもなく(日本だとキレてしまいそうでしたが・・・)会話を楽しんでいるようでした。

 

やっと出てきた寿司のシャリとネタの間にワサビは入っておらず(近年、日本のスーパーで買う品と同じですね)、別途付いていました。サーモンは本場に近いためか美味しく、いくらは塩抜きがされていないためか塩辛く、蒸しエビは日本で食べるのとほぼ同じ味でした。本当は余り期待していませんでしたが、日本酒も含めて期待以上でした。

サンクトペテルブルク寿司店で:握りのセットと日本酒

5日目:JALラウンジのウォッカ機内食

JJは余り機内食の写真を撮ったりはしないのですが、この帰りの飛行機で出てきた料理だけは何故だか記録しています。

 

兎に角、このロシア旅行は疲れました。当時、ロシアという国がそれほど海外の観光客を期待している訳でもなさそうであり、案内板なども少なく、あったとしてもロシア語で、英語の併記などは勿論ありません(40年前のパリもフランス語だけだったような?)。

 

現在ですとスマホでなんとかなると思いますが、当時は、移動や食事やチケット購入時等、旅行中ずっと気が張っていました。帰国日も鉄道の乗り換えに手間取り、空港についてチェックインを終え、JALのラウンジに入ってJALの飛行機が見えた時は、「やはりJALは日本の翼だよね。これで日本に帰れる!」とホッとして、その時、頂いたウォッカ(ロック)がなんと美味しかったことか。

モスクワ空港JAL

ほろ酔い気分で、飛行機に乗り、早々に出てきたのが写真の機内食。これぞまさしく日本食というようなメニューで、感動して写真を撮ったという状況だったと思います。美味しかったです。

JAL機内食(モスクワからの帰国便で)

個人旅行でしたので、全般に食事には苦労しましたが、一方でグルジア料理という生まれ初めての料理を頂き、それに伴い旧ソ連から現ロシアの変遷を垣間見し、更にいつも頂いている日本料理を見直したという機会に巡り合えました。これが、また個人旅行の面白さなのでしょうか。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

ではまた。

インドネシア:ジョグジャカルタ 胃痙攣でのた打ち回り

今回は、ストレスやお腹を冷やしたことが原因と思われる、インドネシアでの胃痙攣の話です。

 

2011年8月にインドネシアジョグジャカルタにある「ボロブドゥール寺院」等を主観光地とするツアーに出かけました。ボロブドゥール寺院は、過去のブログ「メキシコ、エジプト、インドネシアのピラミッド」で取り上げたところです。

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ジョグジャカルタは、丁度、首都ジャカルタ(ジャワ島)とバリ島の中間に位置し、インドネシア最大のヒンドゥー教遺跡「プランバナン寺院」や、世界最大級の仏教遺跡「ボロブドゥール遺跡」が有名です。

1日目は、JALを利用して成田からジャカルタに飛び、夕方に到着後、ここの空港ホテル(ジャカルタ・エアポートホテル)で一泊しました。次の朝早く、ここからジョグジャカルタに国内線で移動するためです。ところが、このホテルの室内空調が上手く調節できず、エアコンをつけると寒く、切ると暑く、結局、つけたままの状態で寝ました。

 

2日目の朝起きると、体がだるく、喉も少し痛かったのですが、お腹の調子は特に問題なく、ガルーダインドネシア航空で、ジョグジャカルタまで飛びました。

プランバナン寺院(ヒンドゥー教遺跡)

到着後、午前中に「プランバナン寺院(ヒンドゥー教遺跡)」等を観光し、14時過ぎに、宿泊先の「メリア プロサニ ジョグジャカルタ」に入りました。5☆のホテルでプールも素敵でした。夕方からの夕食付「ラマヤナジャワ舞踏鑑賞会」に出かける前に、プールにでも浸かって少し体を冷やそうと思い、このプールで泳ぎ、プールの水も少し飲んでしまいました。

ジョグジャカルタのホテルのプールでひと泳ぎ

これもまずかったのかも知れませんが、この舞踏鑑賞に出かける頃から、少しお腹がジクジクしましたが、なんとか我慢してやり過ごしました。

 

しかし、ホテルに帰ってから、その夜中に、数分毎に胃に激痛がはしり、のたうち回るほどの痛さ。これは胃痙攣だと直ぐに分かりました。下痢ももちろんありました。当時「ガスター10」という薬も飲みましたがほとんど鎮痛効果はありませんでした【現在は、ブスコバンという薬を持参しています。これは良く効きます】

 

若かりし頃、夏に冷たいビールやウイスキーのロック等を多量(長時間にわたり)に飲んだ時など、その夜に胃に差し込む様な痛みが急に発生することが時々ありました。痛みは数分毎に起こり、それがどうしても我慢できず、夜間の救急病院に連れて行ってもらったこともあります。今回もまさしくこれです。ただ、ここインドネシア、しかもジョクジャカルタで、救急病院に連れていってもらうなどは考えられず、朝方まで苦しみ悶えていました。

 

3日目の朝になって多少落ち着き、OPツアーの現地案内人の方がホテルまで迎えに来られました。事情を説明すると、その人からも「お腹が冷えたのではないか」と言われ、温かい油のような物をお腹に塗って下さいました(お気遣いありがとうございました)。

 

当日は、市内の王宮を観光した後、今回の主目的である「ボロブドゥール寺院(仏教遺跡)」への観光です。ホテルを出て、まず徒歩で王宮に行きましたが、そこでは何も観ず(トイレには行き)、その後、車でボロブドゥール寺院に向かいました。途中、昼食予定のレストランに寄りましたが、ここでも何も食べませんでした(トイレには行きました)。

ボロブドゥール寺院(仏教遺跡)

到着後、駐車場から寺院までの道のりが遠く、寝不足もあり、よろよろとして、現地には行き、一応遺跡(ピラミッド)の頂部までは登りましたが、近くのホテルのロビーを借りて、そこで休んでいた時間の方が長かったような気がします。従って、メインの観光地をゆっくりと観るような余裕などは全くなく、ただ、写真だけは撮っておこうかと言うような感じで、何のためにここに来たのか分からない様な状況でした。

 

ここを観光して、空港まで送ってもらい、予定より相当早くに着きました。空港は小さく、空港ロビーに天井扇風機はあったような気がしますが、クーラーは入っていなかったような、、、。暑さとやや治まったとはいえジクジクするお腹とで、苦痛の3時間を過ごし、帰りの飛行機(ジャカルタ行き)に乗りました。

 

ジョグジャカルタの空港

その後、ジャカルタで2日過ごし、5日目の夜行便で成田に帰りました。この間、完全にお腹の調子が回復した訳ではなく、成田についてそのまま「日本医科大学成田空港クリニック」に行き診察してもらいました。「胃痙攣でしょう」とのこと。

過去の腹痛に関するブログ、「インド」と「インドネシア(バリ島)」の時は、おそらく旅行者下痢症ではないかと思います。これは主に細菌、ウイルスによって引き起こされる感染症で、下痢、腹痛(腸の痙攣による痛み)などの症状を伴います。ただ、JJの印象ですと、軽症であれば比較的短時間(1~2日)で改善するような気がします。

 

一方今回は胃痙攣(胃の筋肉が急激に収縮することで引き起こされる痛み)で、ストレス、胃酸の過剰分泌、お腹の冷え等で引き起こされると言われています。JJの場合、痛みは取れても、胃の具合は直ぐには良くなりません。

 

2011年と言えばまだまだ海外個人旅行を始めたばかりで、なにかとストレスを感じていたのかも。また、クーラーやプールでお腹が冷えたことがトリガーになったのかも知れません。いずれにしても、今もって、観光地の記憶より、どこでトイレに駆け込んだかの記憶の方が鮮明です。

 

JJは子供のころから、お腹の調子が悪くなることが多く、よく学校を休んでいました。多少、痛みも落ち着いてくると布団の中から、板敷天井の節目を眺めて、「あの模様は龍かな、あれは掛け軸にある山に似ているな」なんて考えていたことを、このブログを書きながら思い出しました。

 

現状70歳を過ぎて、お酒をそれほど沢山飲むこともなくなり、ストレスを感じることも少なくなったためでしょうか、当時のように胃痙攣を引き起こすこともほとんどなくなりましたが、それでも胃痙攣の痛みを抑えてくれる「ブスコバン(BS)」は、必ず持参するようにしています。歳をとっての痛みは心身ともにこたえますので。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

ではまた。

 

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