2025年書き漏らし5本!Past Lives、New Order、侍タイムスリッパー、Fall Guy、ルックバック、うずまき

🔹Past Lives

<公式>

2023年、監督・脚本セリーヌ・ソンの監督デビュー作、『パラサイト』で世界的な成功をおさめた韓国のCJ ENMがA24と共同制作した作品だ。ソンは本作そのまま、韓国からカナダに渡って、脚本家として活動してきた。

幼い頃にカナダに渡り、NYで働くヒロイン。彼女を忘れられない彼は、12年後に彼女を見つけスカイプで再会、24年後にとうとうNYに現れる....絵面だけだと、資金が潤沢にあった時代の日本のTVドラマやTV局系映画みたいな、国内キャストのドラマを海外を舞台に描くちょっと恥ずかしいアレを思い出してしまう。本作は、もちろん全然違う、アメリカのエンタメの中でポジションを確立した作り手と演じ手が、自分のルーツとのつながりをモチーフに描く、そういう時代の映画だ。

その味わいは冒頭のシーンに集約されている。ヒロインの夫であるユダヤ系の作家は、とつぜん現れた男性と妻が自分にはわからない韓国語で思い切り盛り上がっているのを前にする。現地の小学校でことばが分からずにぽつんとしていたヒロインの幼少期みたいに、母国にいるのにマイノリティーの立場になるのだ。

恋愛物語のようでそうでもない、彼はずっと心の中で欠落していたピースを見つけにNYまでやってきたみたいに見える。ナイーブな男性像には少しマッシブすぎる彼だけど、それ以上を求めない、心情の切なさが染みるところはある。


🔹ニューオーダー

<公式>

2020年メキシコ・フランス製作、日本公開は2022年。今年はブラジルやアルゼンチンの軍事独裁政権時代に思いをはせる映画をいくつかみた。メキシコ人監督が軍事政権のディストピアを描く本作は、ある日強権的な政府が市民たちを逮捕し、どこかへ葬り去る、そんな根源的恐怖がぼくたちよりずっと切迫した人々が描いた物語だ。

図式はあまりにもわかりやすい。富豪の家の結婚パーティーのシーンから始まる。広大な邸宅にゲストが招かれて、きらきらの娘とその新郎が中心になる。肌の浅黒いメイドや召使たちがバックルームやガレージで黙々と働く。でも邸宅の外ではだんだんとカオスが広がって、ある時ついにそれは邸宅の塀を超えてパーティーに浮かれる上流階級の人々を直撃する。その時、黙々と働いていたメイドたちも一瞬で暴徒の側につくのだ。

その後の暴徒たちで溢れる街、それを制圧して別の暴力で支配する軍隊、そして....物語は妥協なくダークサイドに転げ落ちていく。ハリウッドエンターティメント的な、正しいキャラクターには苦難の末の救いが...的な収まりのよさを期待してはいけない。本作はじっさいに存在してきて、これからも存在する絶望を近未来フィクションの形で投げつける映画だからだ。


🔹侍タイムスリッパー

<公式>

2024年公開。超低予算の超インディー体制で、それでいて純粋エンタメとして作られて、じわじわ広がって大ヒット、『カメラを止めるな!』と同じ流れだ。安田監督のほとんど人生を賭けるレベルの情熱で撮り切って、昔はメジャーで娯楽の中心だった時代劇制作の企業もプロも監督の情熱にほだされて支援して、それがちゃんと結実して10億以上の興行収入になるのはやっぱり夢がある。

なにより、映画を撮ることの映画、実写映画撮影現場への愛がそのまま物語になっているところが『カメラを』と同じなんだよね。売れる原作も客を呼べるキャストも資金を集めるバックボーンも実績もない徒手空拳の作り手が最後に叫ぶのは、まさに自分たちが今つくっている映画への愛だということなんだろうか。それは観客にもちゃんと伝わるんだろう。ヒットのスケールは小さくても口コミで広がって今では名作扱いの『桐島、部活やめるってよ』だってその叫びがちゃんと入っている。


🔹フォールガイ

<参考>

2024年公開。監督デヴィッド・リーチ。当然このチームらしい、アクションのアイディアがテーマそのものとも言える映画だ。本作は『侍タイムスリッパー』へのハリウッドからのこだまみたいな映画で、撮影スタッフたちを主人公に、映画を作ることの素晴らしさが、同時にヴィランたちを蹴散らすという、能天気なまでに抜けのいい話になっている。

主演ライアン・ゴズリングはベテランのスタントマン、撮影時の負傷で休業していたところを突然オーストラリアロケに呼び出され、喜んで現場に現れると、その背後には陰謀がうごめいて...的なストーリー。

まあ正直あまり締まりがなくて、あとぼくはアクション俳優としてのゴズリングはそんなに好きでもなくて、あの顔と過剰なマッチョさのバランスが苦手なのでそこまでハマらなかった。アクション撮影の裏側がたっぷり見せられるからその満足度は高い。

ところで2025年にリバイバルで意外にヒットしている『The Fall』も、超絶美麗映像の映画としてみんな見に行くけれど、じつはハリウッド創世記のスタントマンの物語でもある。ラストはバスター・キートンたち、体を張って映像を作り出す映画屋讃歌になっている。


🔹ルックバック

<公式>

上からのつながりで言うと、本作も創作することの讃歌そのものだ。原作は漫画家が漫画を創ることを描いた。過去にも『まんが道』とか『燃えよペン』『バクマン』....名作はある。編集者と作家、という日本の商業誌独特のパートナーシップを描くのが『編集王』『重版出来』それに『東京ヒゴロ』とかだ。

まんが道』も『バクマン』も漫画作家としてのビルドゥングスロマン的な作品は、どちらも孤独な作家の戦いじゃなく、2人が結束して未来を切り開く物語だ。そして本作も。これはどっちなんだろうね。相棒がいなかったらここまで来れなかったたんだ!と言う作家の実感なのか、孤独な創作に苦しむ作家が見る希望の姿なのか。

映画は、原作のマインドに呼応してアニメ作家が漫画に寄せた小規模・作家的体制で作り上げて、そのメッセージは1人の主人公の志望をアニメの背景美術にすることで伝えているだろう。


🔹うずまき

これはおまけ。伊藤潤二原作のホラーアニメーションだ。元々怪奇系の雑誌に描いていた伊藤が一般商業誌にいきなり現れた本作は衝撃的で、「うずまき」というモチーフ一本で信じられないくらい豊穣な悪夢的イメージを無限に送り出すところは一般的な作家と明らかに別物だった。

日米共同製作の本作。4話シリーズで各回実質20分だから一晩で見られる。第1話はけっこう満足した。漫画の画風を忠実に映像にしていてあの悪夢的イメージを見せてくれるのだ。ところが2〜3話でいわゆる「作画崩壊」が発生してしまう。たぶんうずまきの不吉な力のせいだろう。

おかげで傑作にはなり損ねているけれど、原作が懐かしい方も、未読の方も、この感じが嫌いでなければありだ。

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2人の監督が見せる風景の違い 『旅と日々』&『Love Life』

<公式>

ストーリー:夏の海辺で一人の青年(高田万作)が旅から抜け出してきた女(河合優実)と出会う。二人はなんとなく時間を共有して、次の日荒れた海に泳ぎに入る....それは脚本家、李(シム・ウンギョン)が書いた映画のシーンだった。創作に行き詰まっていた李は雪国に旅に出る。一軒だけあいていたのは人里離れた古民家で、主人(堤真一)が一人でやっている宿だった....

つげ義春の漫画『ほんやら洞のべんさん』『海辺の叙景』が原作だ。1960年代の作品だから今の話じゃない。『ほんやら洞』は新潟県小千谷地方、『海辺』は千葉県のいすみ市の海水浴場が舞台。旅と写真にはまっていたつげの漫画には、その頃の僻地の漁村や古い宿や海辺の風景が、日本映画の巨匠、宮川一夫の撮影みたいにリアルに描かれていて、対照的に軽くてひょうひょうとした人物は風景の重さの中で浮遊しているみたいだ。

本作は旅と風景の重さと、その風景のなかで浮遊するような人物をそのまま映像にして、原作エピソードも忠実に再現している。2つの物語は映画のなかの現実と、その主人公が描いた劇中劇としてあつかわれている。現実パートが実社会ぽいかというとそうでもなくて、映画全体に、ちょっとした小物以外に時代を強く感じるものを写さず、たぶん意図的にあいまいにしている。原作も時代性があまりなくて説話みたいなのだ。

映画のロケ地は、海辺は神津島、雪の里は山形の鶴岡市朝日村。原作そのままに風景をじっくりと撮り、ちっぽけな登場人物を風景が包み込み、飲み込んでいくみたいな存在感で見せる。なんといっても印象的なのは徹底的に暗くて、照明もほとんどなくて目をこらさないと何が写っているのか分からないくらいの夜景をところどころに入れてくる。

原作はどっちも作者の投影である男性が視点でもあり主人公になっているけれど、映画では女性主人公の視点におきかえる。雪国の宿パートでは主人公が男性の漫画家から女性の脚本家に変わる。2つの物語は〈夏ー冬〉〈海辺ー山あい〉〈若者ー中年〉みたいな対比になっているから、雪国パートも男女の物語にした方が対比としてもきれいだ。

雪国の宿は、民宿にしても旅館業法的には微妙としか思えない古民家そのもので、だだっ広い座敷で囲炉裏を囲んで、宿の主人も客も同じ部屋に布団をひいている。ここに男女のあれこれが入ると話が変わってきてしまうから、宿の主人はつげ作品によく出てくる「田舎のかわいいおじさん」風に素朴かつイノセントになっていて(犯罪はおかすけど)主人公もそのあたりは問題にしない。

 

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(c)2025 THE FOOL/Bitters End

海辺パートのヒロインは、いま日本映画といえば、の河合優実。つげ漫画のヒロインにある独特の色気をそのままに再現している。それでいてこのパートはどこか濃厚に死の匂いというか予感が漂っていて、海辺の明るさとセットでそこはかとない怖さがある。予感は登場人物の中にあるわけじゃない。かれらを包む風景が気まぐれにもたらすのだ。

雪国パートの主人公シム・ウンギョンは『怪しい彼女』『Sunny』のヒロイン。実年齢より年上の創作に行き詰まる作家になる。不要な男女関係の香りが漂わない、それでいて固く構えている感じじゃなくていい。べんさん役が堤真一で、一見わからないくらいもさっとした東北のおじさんの雰囲気に化けている。

映画で描かれる旅は、ちょっとした旅行でも、出会いとそれがもたらす変化、みたいな期待感とセットになるだろう。本作の旅人はどちらも旅先で停滞してしまい、出会いもすごくささやかだ。風景は無限に広がるけれど旅そのものはそんなにダイナミックなものじゃない、むしろぼくたちにとっての旅に近いかもしれない。


🔹LOVE LIFE

<公式>

ストーリー:市役所福祉課に勤める二郎(永山絢斗)とホームレス支援NPOで働く妙子(木村文乃)と息子の敬太は団地の一部屋で暮らす。二郎の両親は再婚の妙子に微妙な距離感がある。とつぜん家族をおそった悲劇をきっかけに、妙子の前の夫、失踪したパクが現れる。ろう者でもあるパクを支援することで再び時間を共有することになった妙子は....

2022年公開。深田監督が矢野顕子の『Love Life』をインスピレーションに映画化した。こんな歌詞だ。

監督作のいつもみたいに、現代の日本の〈普通〉の人たちの普通の生活から始まる。風景も設定もささやかだ。そこに侵入してくるできごとによって、予想しなかったある種の破綻と解放へ物語が加速していく。『よこがお』と同じ首都圏郊外の風景と生活空間を飾りなく撮って、あえて人物の配置も動きもちまちまとさせているように見える。

舞台になる団地は八王子の長房アパート。夫婦の部屋のバルコニーから見える公園がこれだ。「空間の垂直移動や距離を見せるために団地という空間がよかった」と監督は言っている。団地の棟同士の人の動きが見える距離感も、公園も、周りの道路の見通しも、物語の展開や撮り方にすごく効いていて、絶妙な舞台だ。その分公営住宅の室内は少し寒々しいし、公園もなんだか暴力的なまでに緑もいこいのスペースもないだだっ広いダスト舗装の平面で、ひょっとすると監督の意図以上に荒涼とした何かを伝えてしまっているかもしれない。

面白いのは、撮り方や設定はすごく地に足がついているのに、フィクションとしてのリズムのためにか、リアリティを少し脇においた描写がところどころにある。例えば団地の5階くらいから下の公園の知り合いや、隣の棟の人と大声で会話したりする。あんまりしないよね多分。二郎の同僚のちょっとしたサプライズ演出もわりと謎だ。後半物語がドライブしていくとリアリティは少し後ろに下がって、その分コメディ的な荒唐無稽さやエモーション重視の乱暴さが逆に面白い。

役者は全員すごくいい。かれらが映画を支えている。『宝島』で嘆いたみたいな無駄にエモーショナルな身振りやセリフを排除して、徹底的に抑えたトーンで喋るから、むしろノイズがなくて感情のゆれが十分想像できる。主演木村文乃は真顔直立シーンが多くて無表情の中に内面が滲み出るみたいな姿がいい。永山絢斗も立ち姿がまっすぐ伸びた樹木みたいで派手さやケレン味はなくても絵になる。逆に前夫役の砂田アトムはゆるめで一見情けない雰囲気がじつにいいコントラストだ。そして姑役神野美玲の達者すぎる芝居には驚くだろう。

途中、妙子とパクが手話で盛り上がっているのを言葉が分からない二郎がしゅんと見ているシーンがある。「なんか最近似たようなのを見たな」と思ったら『パスト・ライブス』の1シーンだった。同じ哀しみなのだ。

名監督作なのに配信直行! 『アフター・ザ・ハント』&『ハウス・オブ・ダイナマイト』

ストーリー:アルマ(ジュリア・ロバーツ)はイェール大学の哲学科教授。助教授ハンク(アンドリュー・ガーフィールド)と2人、テニュア(終身在職権)獲得までもう少しだ。ある日アルマに博士課程の学生マギー(アヨ・エディビリ)が自宅でハンクに性的加害を受けたと告白する。ハンクは家までは行ったし酒も飲んだ、でもしていないと訴える。マギーの論文に盗用があることを詰めようとしただけなのだと。2人の板挟みになったアルマは.....

監督前作の超アッパー作品『チャレンジャーズ』から一転して静かで緊張感があってビターなサスペンスだ。物語の感じは2023年の『Tar ター』にものすごく近くて、ほぼ変奏曲といってもいい。主演ジュリア・ロバーツは本心を見せないクールなインテリ女性を徹底して抑えたトーンで演じる。精神科医の夫との不自由ない生活、派手さはなくても質の高そうな服にブロンドをなびかせて、若い学生たちを昂然と見渡す。ケイト・ブランシェットが演じる指揮者にそっくりの存在感だ。

本作は脚本が先にマーケットにあって、企画が立ち上がると監督グァダニーノが雇われた。主演候補は前作と同じゼンデイヤがリストアップされたけれど結局エディビリに決まる。大きいのは、オリジナル脚本ではマギー役は白人女性だった。私立大学に多額の寄付をする富豪の娘だ。それを黒人に変えたことで、本作のトーンはさらにスリリングになる。

性加害の被疑者ハンクは、教員であり白人のイケメンモテ男。被害者マギーは年下、大学院生、小柄な女性で、一方的弱者に見える。でも不安定な身分の助教授と、多額寄付者の娘=大口顧客という関係でもある。アルマは教授でありリッチな白人女性という優位なポジションだ。でも女性として苦労しながらキャリアを築いてきたし、ハンクとも男女の関係がありそうな危うさがある。マギーはアルマを奇妙に崇拝している。そんな錯綜している3者の関係に、黒人という属性がマギーにプラスされる。

そしてマギーは一方的な被害者でもない。性被害の訴えはどこかあいまいだ。それでいてアピールの仕方やメディアへの訴えが異常に効果的。しかも彼女はこっそりとアルマの過去の秘密をにぎり、やがて別の非対称な構造を作ってキャンセルにかかる....特に序盤は、「一見可哀想な若者のモンスター性」的な物語になるんじゃないか?と観客に思わせる描写が続く。トーンは違うけれど『聖なる鹿殺し』での、大人たちから見た不気味な少年の感じみたいに。

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(c)2025 Amazon MGM via imdb

MeToo以降、映画界で抑圧されてきた女性の作り手の作品が一気に増えて、これまであったような物語を女性の視点や女性主人公で描く、新鮮な作品が次々現れた。メジャーの製作者たちも、人種的ステレオタイプに続いて女性キャストのステレオタイプも解消しようと、アクションヒーローや権力者に女性をキャスティングするようになった。女性作家による男性の加害性をえぐりだす作品もいくつもある。いっぽういろんな作り手や役者の過去のふるまいが日の目をあびて「許されないもの」の側に入れられた。

本作はそのカウンターにも、ちょっとしたバックラッシュにも見えるリスクがある。マギーや仲間たちのキャンセルの手法をはっきりと脅威として描いているし、性加害事件では男性被疑者がどうしても不利になることも明確に語られる。マギーは人種も含めて弱者ポジションを取れることを十分に利用して巧みにメッセージを発するのだ。よく言い切ったな、というちょっとした驚きがある。

もちろん白人・男性である作り手も描き方のリスクは十分承知だろう。一方的にみえないように、ハンクにもマギーにも白黒はつけずに観客に判断をまかせる。男性の加害的な性衝動もきっちり見せる。それでもアメリカでの評価の低さは「やっとましになってきたのに相対主義にはまだ早いよ!」とでも言いたい人々の声の集積かもしれない。

映像はフィルム撮りの落ち着いたトーン。特に出だしはクラシカルなポップソングをBGMに、ウディ・アレン作品でお馴染みの古めかしいフォントでクレジットを見せて、クラシックなインテリアの高級アパートで繰り広げられるインテリ同士の気の利いた会話、的な描写から始まる。ところがどんどん物語が不穏になると、背景もどこか抽象的になり、BGMも音楽というより不安感を掻き立てる音響に変わり、奇妙につながりが悪いカットになっていく。


🔹ハウス・オブ・ダイナマイト

<公式>

ストーリー:東アジア方面からICBMが発射された。アラスカの米軍基地、ワシントンのホワイトハウスシチュエーションルーム、国家安全保障局がいっせいに反応し、米軍基地からは迎撃ミサイルが発射される。米本土着弾の可能性が高くなると戦略軍は報復攻撃の選択を大統領に迫る。そんなそれぞれの組織で人々は.....

MeToo前から確固としたキャリアを進んできていた女性監督キャサリン・ビグロー、彼女の最新作だ。例によって骨太かつドライでクールなポリティカルスリラー。「ICBM発射を確認!」というところから着弾予定時刻までの18分間を、視点を変えて3回繰り返す。構造でいえば『最後の決闘裁判』と同じともいえる。でも味わいは全く違っている。

この話法はだいたい「視点が違えば、それぞれに見える物語も違う」という面白さになる。ラショウモンスタイルだ。視点が変わると観客がぜんぜん知らなかった真相が見えてそれまで描いていたストーリーがひっくり返る、という気持ちよさもある。『その土曜日、7時58分』なんかもそうだった。

でも本作では視点が変わってもミサイルの接近は変わらないし、迎撃失敗も変わらない。きれいな弾道を描いて飛んでくるミサイルは確実に米本土に着弾する。ただその確固とした事象の周りで右往左往する人々が違っているだけだ。本作は『シン・ゴジラ』みたいな会議・議論映画で、フィジカルなアクションシーンはない。異様な緊張感のおかげで見ている間は物足りなさはいっさい感じなかったけれど、視覚的な爽快感はそれほどなかった。

第1パートのホワイトハウス シチュエーションルーム当直の海軍大佐役はクールなレベッカ・ファーガソン。このあたりの配役はそれこそMeToo以降の時代っぽい。とはいえ2012年の『ゼロ・ダーク・サーティー』のジェシカ・チャスティンとほぼ同じ存在具合だ。

 

メジャー感は違っても、どっちの日本映画も何かを踏み越えようとしている 『国宝』&『敵』

🔹国宝

<公式>

ストーリー:長崎市の極道の一人息子、喜久雄(吉沢亮)は抗争で親を失い、上方歌舞伎の重鎮、花井半二郎(渡辺謙)に引き取られる。女形として才能を開花させた喜久雄に、親友でもあった半二郎の実子俊介(横浜流星)は打ちのめされ姿を消す。しかし血筋のない役者の壁にはばまれる喜久雄は....

過去最高に稼いだ実写日本映画。という強すぎる肩書き。本作が紹介されるときはまずはここからになった。メガヒット作は必ずリピーター率が高くて、アニメ話題作は動員数の30%超がリピーターというケースも多い。本作、データはないけれど、熱心なリピーターが数字を上振れさせているのは間違いないだろう。

リピート鑑賞するには上映時間3時間はでかいハードルになる。でもそれを乗り越える引力があったわけで、作品自体、リピートしやすい作りなんじゃないかと思う。鑑賞負荷が少なくて快感が多い、というハイクオリティのアニメにも通じる特性だ。そういうプロダクトとしてたぶん作られている。

ストーリーはシンプルで余計なストレスがない。プロットが明快で、歌舞伎を少しでも知っている観客なら、主人公が味わう試練もライバルとの心理も想像つく。原作からサブストーリーや脇役を削って主人公の一代記に絞り、語り口は機能的で寄り道や停滞がない。見ていて得られるエモーションは期待どおりだ。主人公の、ロバート・ジョンソン的な芸のために悪魔と取引する暗黒面も、どろどろとしたダークな描写はなくて負荷がすくない。

ストレスフリーなストーリーに乗って、ケレン味たっぷりの映像がひたすらに続く。非現実的なまでに整った吉沢亮の顔、隙のない衣装や美術、舞台側・裏手側からも映してスペクタクルとして見せる舞台、きちんと時代を感じさせる劇場や屋敷、街の風景。視覚的な満足度と快感は非常に高い。ここに関してはほぼ文句のつけようがない気がする。

そしてオーセンシティの担保もある。歌舞伎マニアや古典の映像を見慣れている観客にも、チープで嘘くさく見えないように、キャストのトレーニングも監修や考証も美術も時間がかけられている。映画全体の品格が保たれているから「ええモン見てるわー」観客の満足度も高いのだ。

女形、というジェンダーのあわいにある主人公をカメラマンはフェティッシュな視線で写す。顔の超アップも多いし、背中の肌のアップもなんども繰り返される。肌の質感が表現されているのだ。白塗りというフィクションの下で生きなければいけない役者のリアルみたいなところを見せようとしたのか。カメラマンは『アデル、ブルーは熱い色』でも愛し合う女性たちを相当にフェティッシュに切り取っていた。本作ではその対象を男に絞る。

本作では、主人公2人を意識的に男臭く描いている。チンピラ口調をさせたり女性たちとのセクシャルな部分をあえて見せたり。つまり彼らは多数派の観客が安心して仮託できる「美形の男性」で、女形のあり方は純粋にプロとしてのスキルなのだ。その分登場人物の女性は「生活」パートの付属物としてしか作中では機能しない。先輩人間国宝の万菊(田中泯)だけがモデルになった実在の役者にあわせてジェンダーの境界が少しゆらいだ人物になっている。「美しい老人」という矛盾に満ちた存在になれる田中泯

昭和の一代記的話法、題材的距離感、渋さもありつつ美形主人公が老けメイクになっていく感じとか、アニメの『昭和元禄落語心中』がどことなく近く感じた。


🔹

<公式>

ストーリー:元大学教授のフランス文学研究者、渡辺(長塚京三)。妻に先立たれて中野区の広い屋敷に1人で住む。教え子が編集長を務める雑誌に寄稿し、時々講演会で喋る以外は特にすることもない。少しずつ貯金を切り崩して自分の終わりを予測しながら、毎日の食事を丁寧につくり、時には教え子や年下の友人と語る。そんな淡々とした日常に、日本に潜入した「敵」の情報が忍び込んできて...

原作者筒井康隆らしさがあちこちに漂い、端正なモノクロ映像で上品な老人を描いて『ファーザー』みたいなスリリングさがあり、塚本晋也を思い出すような、見るからに予算をかけない手作り感満載のごりっとした映像も挟まって、全体としてはかなり面白かった。

原作は筒井が60代前半頃の作品だ。老いがリアルになり出す年代だろう。自分より10歳少し年上の主人公を、戯画化しつつも近未来の自分を仮託したのかひりひりする部分もあるし、ウディ・アレン的な、老人の色恋を皮肉な笑いで描くジャンルの雰囲気も少しある。筒井の作品でいえば『文学部唯野教授』の、中年教授が女子大生にあたふたする感じも思い出す。夢と現実が侵食しあう物語はもちろん『パプリカ』と共通だ。

本作の主人公渡辺は老人としては相当にアッパーな存在だ。先祖から受け継いだ立派な家があるのはともかく、長身の長塚京三が演じる元教授は品のある教養人で、毎日の食材やワインを買いに行くスーパーも業務スーパーとかじゃなく、少し良さげなお店だ。手際よくさまざまな料理で自分をもてなすような生活文化もちゃんと身に付けている。そんな彼だから、端正な生活に挟み込まれる俗っぽい夢や妄想が奇妙に際立つのだ。

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(c)2023「敵」製作委員会

本作に現れる3人の女性は、みんな彼の妄想か幻覚か夢か・・・の登場人物だから彼の欲望の具現化で、いうまでもなくじつに都合のいい存在であり、惜しみなく色気や可愛さや好意を彼に向けてくる。河合優実、瀧内公美黒沢あすか、年代の違う3人の中で元教え子の瀧内が物語の焦点みたいな存在になる。小津映画のヒロインぽく清楚でありつつ距離を詰めてくる感じ。そして黒沢あすか。僕にとってはなんといっても塚本晋也の名作『六月の蛇』のヒロイン。彼女と、後半現れる幻想の黒塗り男たちのチープで直截なあり方が塚本晋也を思い出させてしまったのだった。

物語は彼が暮らす家と歩いていける近所だけの極小スケールで完結していて、家が彼のゆらぐ精神世界の実体化みたいに色々なものを見せてくる。その感じが『ファーザー』とすごく近い。

いまレジスタンスは魅力的に描けるのか?  『ワン・バトル・アフター・アナザー 』 & 『HOW TO BLOW UP 』

ゲリラや抵抗組織を主人公にしたエンタメ作品、現代ではとても作りにくくなっていると思う。当ブログで思いつくのは、何年も前の歴史の暗黒時代に、暴力的な支配に必死で抵抗する市民、みたいなやつだ。『アイム・スティル・ヒア』『宝島』、あと『タクシー運転者』とかね。純粋エンタメだと配信ドラマの『ザ・ボーイズ』があった。あれは相当特殊だ。ひとことで言うと、いま抵抗組織はもはや格好よく描けないのだ。

2025年の今、過激派グループをモチーフにしているエンタメ2作は・・・

🔹ワン・バトル・アフター・アナザー

 <公式>

ストーリー:ボブ(レオナルド・ディカプリオ)は町外れの森の一軒家で高校生の娘ウィラと暮らしていた。ボブは2000年代初頭、移民収容所を襲撃して解放するゲリラ組織の一員で、リーダーのペルフィディアと結婚し娘を授かったけれど当局の壊滅作戦にあって逃走したのだった。当局の指揮官ロックジョー(ショーン・ペン)は2人の居場所を知り、軍隊を動員した襲撃作戦を決行する.....

ポール・トーマス・アンダーソンの2025年最新作。PTA作品の中でも飛び抜けてエンタメよりの、分かりやすいアクション・コメディーだ。インスパイア元は『インヒアレントバイス』と同じ、トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』、小説の「今」は1980年代中盤、ゲリラ時代は1960年代末だから、映画では30年くらい時代をずらしている。本作では彼らの活動テーマを不法移民収容所の解放にして現代性を持たせている。

本作のゲリラ組織には実在モデルがあって、1960年代後半には爆破テロを起こしたりしていた。本作でもビル爆破シーンがある。2000年代と思うと、少し浮いた感じになってしまうのはしょうがない。有名なオクラホマシティのビル爆破事件は1995年、元軍人の単独犯だし、その後ポツポツと爆破テロ事件はあっても、やっぱり1970年代に世界的・組織的に(日本も含めて)多発していた時代とは違う。

そこまでは第一幕だ。本題の物語が始まると、爆発物エキスパートだったボブはドラッグでもうろうとして緩みきってしまい、あるのは公権力への雑な反抗心だけになる。本作はそんなおっさんを愛でる映画だ。ディカプリオはぼくが『ブラッド・ダイヤモンド』レビューで「あと10〜15年時間が必要」なんて書いていたその約15年後の今、おっさん化が十分に進行して、すっかり仕上がった。

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(c)2025 Warner Bros. via imdb

組織は今も生きているけれど実力行使の力はない。ボブは離脱後16年たって合言葉も思い出せない。「過激派OBのいま」という話なのだ。ボブは昔とったきねづかで屋根伝いに逃走したり狙撃したり車を盗んでカーチェイスしたりと大忙しだが、当時の組織みたいに訓練された、洗練された動きはとてもできない。それができるのは街を制圧する警察=軍の連合だし、別組織がやとうプロの殺し屋とかだ。

本作がなんといっても面白いのは、治安維持側も組織の論理から、個人のこれ以上ないくらい奇妙な物語に入り込んでいくところだ。ショーン・ペンが今までにない怪演で異常な存在感を見せる指揮官がそれだ。彼は組織の論理を逸脱しはじめ、個人的欲望やセクシャリティーで動く、ボブより数段怪しい存在になっていく。そして対立し合うプレイヤーたちがそれぞれの車に乗り一騎打ちするシンプルなクライマックスに収斂していく。そこでは体制・反体制とかの構造は消えて、かれらは対等な存在になる。

アクションムービーとしては、何がいいって、過剰な情報量がないのだ。20世紀のアクション映画風というか、銃撃もカーチェイスもボディアクションもスケール感や起こることが実にほどよい。映像もレンズのチョイスや画角あ照明の効果が見えやすくて、デジタル全開の、処理しきれない情報量をパキパキの映像で見せるタイプとは明らかに違う満足感がある。

 


🔹HOW TO BLOW UP

<公式>

ストーリー:いろんな理由で巨大石油化学産業に打撃を与えたいと考える若者8人が集まる。親を失ったり、パイプラインで土地を奪われたり、自分が病気だったり。爆発物の作り方をしるメンバーを中心に、西テキサスのパイプラインを爆破するのだ。砂漠の廃屋にあつまった8人は....

石油産業の中心テキサス。古くは『ゼアウィルビー・ブラッド』『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の時代から、石油産業はアメリカのある地域の風景と風土をいやおうなく決めてきただろう。パイプラインへの攻撃は2021年、じっさいにもあった。物理的攻撃じゃなくサイバー攻撃だ。まあ今ならそっちだよね。襲撃者は環境活動家じゃない。営利目的のハッカーだ。

ストーリーはすごくシンプルで、準備の苦労やプロジェクトの進め方(機密保持とか)の細かい部分は省略して、計画実行のほんの短い間だけを描く。スパイ的な動きをするメンバーもいたりして、はでな出来事はなくても緊張感がとぎれない。計画の手順を1つ1つ進めていく描写が、『現金に体を張れ』や『インサイド・マン』『オーシャンズ11』『ジャッカルの日』などと似た見せ方で、その気持ちよさもある。

監督は気候変動についてのドキュメンタリーも撮っていたそうだから、エコテロリストたちのサボタージュ(財物の破壊)活動にあるていど共感があるだろうけれど、語り口としては抑制している。メンバーのエピソードをそれぞれに回想形式で語ってやむにやまれぬ動機を持たせ、とはいえ石油会社側を必要以上に描かず、銀行強盗にとってのお金とか暗殺者にとってのターゲットみたいに、クライムストーリーの中での1目的、としても見られる作りだ。対立構造を前面に出すよりは、1つの目標に向かってすすむ若者たちの青春群像的な描き方にしているのだ。16mm手持ちの素朴な映像が雰囲気を出している。

政府側の対テロ組織にも取材してリアリティを出したり、そういう意味ではバランスを取った制作体制なのかも知れない。ただし、爆破の後の映像メッセージや犯行宣言チラシでエコテロリストたちの考えは分かりやすく紹介している。