三十代の自尊心は地面に埋まっている。

谷底から這い上がる予定はある…が、今日はまだ寝てる。

三十代の自尊心は地面に埋まっている。

谷底から這い上がる予定はある。
ただし今日は、まだ寝てる。

🕳️
ようこそ谷底へ
今日もなんとか生存中。
いそいそと自尊心の発掘作業に勤しんでいます。

【谷底】正月休み最終日、微妙すぎる年末ジャンボと何もしなかった嫌悪感【休みが終わるのが怖い】

 

オラウータン系旦那の正月休み最終日。
この正月、私は驚くほど何もしていない。
何もしていない正月ほど、後からじわじわと自己嫌悪になって返ってくる。


身体は休んでいたはずなのに、
気持ちはちっとも軽くならなかった。

残っているのは、動かなかった時間と、動けなかった自分だけだ。

 

■01:結局、正月の大半は寝ていた

ここ数日のブログでも薄々バレていると思うが、
この正月休みの大半は、寝て過ごした。

メンタルの調子はあまり良くなく、
そこに生理が重なり、
とにかく強烈な眠気が続いていた。

正月期間は机に向かうことも難しかった。

起き上がっても、
気づけばまた布団に戻っている。
そんなことの繰り返しだった。


起きている時間にしていたことといえば、
イクラをするか、
ご飯を作って食べるか。
それくらいのレベル。


「正月らしいこと」
「有意義な休み」
そういう言葉は、
この正月、この家の中にはなかった。

 

■02:何もしなかった自分への、猛烈な嫌悪感


カレンダーを見るたびに、胸の奥がざわついた。

これだけ時間があったのに、
何もしていない。
あの初詣以外どこにも行っていない。
何も生み出していない。

オラウータン系旦那の正月休みは、今日で終わる。

それなのに、
思い出と呼べるものが、
ほとんど浮かばない。


自分に対して、
猛烈な嫌悪感が湧いてきた。

この正月、
私は何をしていたんだろう、と。

最終日になって今更無駄にした時間が物質として押し寄せてきた。

 

■03:それでも、起こされなかった正月

 

そんな私を、
オラウータン系旦那は無理に起こさなかった。


急かすこともなく、
「そろそろ起きたら?」とも言わず。

その代わり、
ペットたちの世話を、
全部、当たり前のように引き受けていた。

散歩も、ご飯も、トイレも。
誰に頼まれたわけでもなく、完璧に。

私を起こさないように静かに、でも完璧にこなしていた。


私が目を覚ましても、見返りを求める気配はどこにもなかった。


その姿を見ていると、
泣きそうになるのを通り越して、
胸の奥がきゅっと痛くなった。


やさしさが、
こんなにも静かで、
こんなにも重たいものだとは思わなかった。

正直、好きすぎて困っている。

まさに好きすぎて滅。

 

■04:宝くじ、微妙すぎる回収

 

そんな正月の、
唯一の心躍るイベントが、年末ジャンボの当選確認だった。


オラウータン系旦那は、
バラと連番を合わせて6000円分、
しれっと購入していたらしい。


結果は――
3600円の当たり。


当たってはいる。
でも、喜ぶには弱く、
落ち込むほどでもない。

赤字は赤字。
でも、ゼロではない。

「3600円…以上…です。」
一瞬、家の中が静まり返った。

「……どう反応するのが正解?」
という空気だけが、部屋に残った。


人生が変わることもなく、
現実だけが、
少しだけはっきりした。

 

■05:10時間マイクラと、現実逃避

 

そのあとは、
ほぼ一日中マイクラをしていた。

気づけば、10時間。

眠い目をこすりながら、黙々と作業をした。

現実では何も進んでいないのに、
イクラの世界だけは、
着実に進んでいく。

整地して、
資源を集めて、
拠点を少しずつ広げる。

コツコツやれば、
ちゃんと結果が出る世界。


正直、現実よりも居心地が良かった。

 

■06:休みが終わるのが、こんなにもつらい

 

そして、
今日でオラウータン系旦那の休みは終わる。

ただただ、嫌だ。

一緒にいられる時間が終わることが、
こんなにも不安になるとは思わなかった。


何もしていない正月だった。
それでも、
何も言われずに休ませてもらえたことは、
きっと忘れない。


今年の正月は、
宝くじもギャンブルきびだんごも微妙に外れ、
イクラだけが進み、
私はまだ、谷底にいる。


でも、
谷底のままでも、
手を伸ばせば隣に誰かがいる。
それを確かめられただけで、
この正月は、悪くなかったのかもしれない。


正月休み最終日の今日は、
何も言わずにそばにいてくれた人を誘って、
少しだけ外に出てみる。

 

あなたが好きなところに出かけようか。




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【谷底】正月三日目、初夢と心身のコンディション【初夢共感性羞恥】

 

三が日も、気づけば三日目。
正月らしいことをした実感は、やはりほとんどない。
年が変わっても、心身は思ったより律儀に現状維持だった。
今日は、今のコンディションを記録しておこうと思う。
未来のためというより、足元を確かめるために。

 

■01:正月三日目の身体の状態

 

今日も目が覚めたのは昼前だった。
1月3日の朝は、思ったよりも静かだった。
劇的に元気でもないし、かといって、底まで沈んでもいない。

 

「動けない」というほどではないが、
「動きたい」と胸を張って言えるほどでもない。

起き上がるまでに時間はかかるし、
「さあ動くぞ」というスイッチは相変わらず見当たらない。
ただ、布団から出られないほど辛いわけでもない。

省エネモードで過ごしたお正月

体調が悪いわけでもなく、
「エンジンがかかっていない」という表現が一番近い。


今後についても焦りがないわけではない。
でも、正月だからといって
何かを決断する気力も湧いてこなかった。

不安が暴れている感じでもなく、
希望に満ちているわけでもない。

感情は、全体的に低空飛行。
静かで、少し重たい。

去年から続いているこの感覚を、
無理に言い換えるつもりはない。
年が変わっても、私は私のままだ。

谷底の正月は、
こういう中間地点がいちばん多い。

今日は無理に何かを生み出さず、
今の状態を、そのまま書いておく日にする。

今日はここまでにしよう。

■02:1月2日、めでたさは静かに回収された

 

そういえば昨日、1月2日は、
元旦よりは少しだけ「正月らしい一日」だった。

 

初詣は、ちゃんと成功した。
元旦のように並ぶ前で諦めることもなく、
小さく手を合わせて、静かに帰ってきた。

元日の長蛇の列が嘘かのように、参拝しやすい人の量だった。

ギャンブルきびだんごの屋台は、
視界に入れないようにして、
見なかったことにした。

 

買い出しに寄って、
普段なら節約を理由に避けている冷凍食品を、
いくつかカゴに入れた。
「今日はいいか」
そう思えたこと自体が、進歩に感じた。

最新の冷凍食品は目まぐるしく進歩していて、ワクワクするものばかりだった。

食べて、お腹いっぱいになって、また昼寝をした。

 

夜は、
オラウータン系旦那とゆっくり湯舟に浸かって、
正月で一番楽しみにしていた、お家焼肉をした。

霜降り肉が、年々あまり食べられなくなってきた。

特別な肉でも、特別な店でもない。
でも、煙と匂いと満腹感だけは、ちゃんと正月だった。

 

■03:2026年の初夢

 

ちなみに、初夢はやけに派手だった。

 

なぜか私は、
HANAのメンバーであるどころか、センターとして紅白歌合戦に出ていた。

咲いた~花~泥だらけでも~♪

歌もダンスも完璧。
カメラはちゃんと私を抜くし、
立ち位置も一番おいしい。

 

緊張は一切なく、
「あ、今日センターだっけ」くらいの顔で歌っていた。

No HATE(自分に中指を立てるな)そんなNo No Girlsのオーディションでも
さすがにちゃんみな姉さんにNO!!とブチ切れられるはず。

そんなあまりに現実とかけ離れた夢から
目が覚めて最初に思ったのは、
「現実の私は、舞台を降りて布団に沈んでいる」ということだった。

現実では、センターどころか定位置も定まっていなかった。

現実とかけ離れすぎていて、
ここまでくると、夢の方が気を遣ってくれている気がする。

 

なお、夢占いは調べなかった。
理由は単純で、
書いていて少し恥ずかしくなったからだ。

 

■04:動かない日にも、意味はあると思いたい

 

正月三日目。
何かを始めたわけでも、
何かを決めたわけでもない。

 

初夢でセンターに立っても、
現実では、まだ布団の中にいる。

それでも、
初詣に行けて、
ご飯を食べて、
風呂に入って、
焼肉をして、
また眠れた。

 

そんな私の楽しみが、ひとつだけある。
オラウータン系旦那が、私を裏切って購入していた、
年末ジャンボの当選結果を確認すること。

オラウータン系旦那だけが、まだ夢を見ている。

当たっていれば、人生が少し楽になる。
当たっていなくても、現実に戻るだけだ。

 

夢も希望も、ギャンブルきびだんごも、
今年はあまり期待しすぎない方がよさそうだ。

 

谷底の正月は、一気に好転はしない。

でも、
めでたさを全部取りこぼさずにはすんだ気がしている。

 

こうして、
静かに続いていく。

 

心も身体もじんわり暖かくなった。

 


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【谷底】めでたさを取りこぼした元旦【初詣失敗】

 

 

昨日のブログに少しだけ書いた、
元日の谷底一家の一日を、忘れないために書いておく。
めでたいことは、何一つ起きなかった。
これは、谷底一家がきれいにめでたさを取りこぼした一日の記録だ。

 

■01:元旦の大半は、布団の中だった

 

元旦の一日は、
正直に言うと、ほとんど寝ていた。

 

人生最大の寝正月。

今までの人生は、
テーマパークで過ごしたり、
友人たちと集まり、三社参りをしたり、
比較的アクティブな年末年始を過ごしていたが、
今年の私はそうじゃなかった。

 

昼間は布団から出られず、
時間だけが静かに過ぎていった。

 

「元旦らしいことを何もしていない」
その事実だけが、じわじわと気になって、
昼頃になってようやく重い腰を上げた。

 

 

■02:初詣に行こうとして、並ぶ前に諦めた

 

 

このまま一日が終わるのはさすがに縁起が悪い。
そう思い、やっとこさ車で
20〜30分ほどの大きめの神社へ初詣に行くことにした。

 

駐車場までは辿り着いた。
でも、本堂へ向かう人の列は、
鳥居の向かいの道路まで伸びていた。

 

ただただ人の多さに圧倒され、立ち尽くしていた。

 

その光景を見た瞬間、
私たちは何も言わずに察した。

 

今年も、「今じゃない」だった。

 

「古札持ってくるの忘れちゃったし、
古札持って明日早めの時間に出直そう」

 

谷底の人間たちは、
並ぶ前に撤退する判断と言い訳を思い付くのだけは早かった。

 

 

■03:有馬記念の傷を抱えたまま、きびだんごで再戦

 

 

そのまま帰るのも気が引けたので
せめて何か、と思い
鳥居の入口付近で売っていたきびだんごを買おうとした。

 

通常のきびだんご販売の横にあったのが、
ガラガラを回して貰える本数が決まる
ギャンブルきびだんごだった。

 

ガラガラ1回200円で最大5本。
通常はきびだんご1本140円。

 

有馬記念でスカした私たちは、
ここで学習するほど賢くなっていなかった。

 

考える余地もなく、運命をきびだんごに委ねた。

 

結果は、
二人ともハズレ。

 

200円ずつ払って、お互いきびだんご1本。

 

神社の駐車場で、
やけに高級になってしまったきびだんごを
無言でむしゃむしゃ食べて帰った。

 

今年も、賭け事には弱いようだ。

 

甘いはずのきびだんごが、心なしか少しほろ苦く感じた。

 

それから家に戻って、
雑煮と茶碗蒸しを作った。
正月らしいものを、後追いで並べていく。

 

そのあと、マイクラを少しして、また寝た。

正月で人生は止まっているのに、マイクラ内だけは2つ目の拠点が出来た。

 

私達の元旦は、
驚くほどあっさりしていた。

 

■04:小さな神社で、ようやく手を合わせる

 

夕方過ぎに目が覚めて、
このままじゃ本当に縁起が悪すぎる気がしてきた。
家から歩いて5分ほどの、小さな神社へ向かった。

 

オラウータン系旦那と、
保護犬のこむぎ、
抱っこ紐に入った保護猫のヴィヴィ、
そして私。
四人で、静かに手を合わせた。

 

――そう言いたかったが、
保護犬こむぎは夜の散歩後の
散歩のアンコールだと思い込んでいて、
やけにハイテンションで石段を駆け上っていた。

一方、
保護猫のヴィヴィは病院以外での外出が初めてだった。
外が懐かしいのか、怖いのか、
抱っこ紐の中で恐る恐るした表情をしている。

 

そんな私たちのガヤガヤした様子とは相反して、
神社の中は厳かな雰囲気に包まれていた。

 

人も少なく、
派手さもなかった。
でも、ちゃんとそこに神社はあった。

いつもの散歩コースだが、今日だけは少しだけ背筋が伸びた。

 

■05:めでたさは取りこぼしたけれど

 

 

帰宅して、
前日のすき焼きの残りにうどんを入れて食べた。

 

お腹いっぱいになって、また寝た。

 

振り返ってみると、
めでたいことは、ほとんどなかった。

 

初詣は失敗し、
きびだんごは外れ、
一日は寝て終わった。

 

それでも不思議と、「最悪」ではなかった。

 

たぶん、
めでたさを取りこぼしただけで、
一日はちゃんと終わっていた。

 

元旦は、
だいたいこんな感じだった。

 

今年も、
どうやら谷底から始まるらしい。

 

今年も安全第一で。

 


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【谷底】正月の空気と、変わらない現実。【明けましておめでとうございます】

 

あけましておめでとうございます。
今年も、谷底一家をよろしくお願いします。

皆様の人生が、今年もウマいこといきますように。

谷底家は、元旦らしいことは特にしていません。
お餅を少しつまんで、YouTubeを流しながら、静かに一日が始まりました。

 

正月らしい写真も、
めでたい話題も、
特別に用意してはいない。

 

いつも通り、
谷底からの更新です。


でも、気持ちの中には、ちゃんと「区切り」だけがありました。
今日は、その報告を書いておこうと思います。

 

■01:正月が終わると、期限が見えてくる

 

正月になると、
何かがリセットされたような気分になるけれど、
現実はそんなに都合よくできていない。

休職の期限は、
静かに、でも確実に近づいている。

 

この正月が終わったら、
期限内に元の場所へ戻るのは、
たぶん、難しい。

なので、流れとしては、
退職になると思う。

 

大きな決断をした、というより、
そうなっていく、という感じに近い。

 

まだ正式な手続きは残っているが、
気持ちの整理としては、もう答えは出ている。

心の整理はついていないが、腹だけは先に括った。

 

去年は、思うように働けなかった。
というより、「働く」という行為そのものが、
自分の中で一度、壊れてしまった一年だった。

 

ただ、その代わりに、
「どうなら働けるのか」「どんな形なら続けられるのか」
それを考える時間だけは、たくさんあった。


その話は追々少しずつ話していくことにする。

 

■02:今年の漢字を一文字だけ

 

今年の漢字を一文字だけ決めるなら、「鬱」。

 

新春書初めは「鬱」です。

 

新年早々、
あまり縁起はよくないし、
正月に書く字でもないと思う。

 

でも、
去年を振り返って、
他の字が浮かばなかった。

この字が表しているのは、
気分の落ち込みだけじゃない。

 

動けなかった時間。
考えすぎて、何も決められなかった日。
「大丈夫」と言われるたびに、
自分だけ取り残されていく感じ。


笑っているつもりなのに、
内側だけがずっと重かった。

何かが起きたわけじゃない。
むしろ、何も起きなかった時間が長すぎた。


前に進めなかったことも、
踏ん張れなかったことも、
全部まとめて、
この字の中に押し込めておく。


それでも、
この字を書けている今は、
もう一番深いところではない。


鬱だったという事実と、
それでも一年を終えたという事実は、
同時に存在していいと思っている。


だから今年は、
この一文字を背負ったまま始める。
無理に明るくしないために。
鬱と闘った一年を、なかったことにしないための一文字だ。

 

■03:これからの「道」

 

とはいえ、これから先のことは、
正直まだはっきりとは見えていない。

 

グラフィックの仕事のことも、
心理カウンセラーとして人の話を聴くことも、
今すぐ始められるわけではない。

 

ただ、
確実に心はそっちの方向を、
向いて歩き出す準備をしている。

 

絶たれたと思った「道」が少しずつ見えるようになってきた。

 

これからも状況が変わったら書くし、
変わらなければ、それも書く。

 

元旦ではあるけれど、
それでも前向きなまとめはしない。
谷底のまま、今年も書く。

 

そんな感じで、今年も細々とブログを続けていきます。
改めて、皆様今年もよろしくお願いします。


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【谷底】今年の終わりは、餃子とマイクラと一文字だけ【大晦日】

 

■01:年末らしいことは、餃子から始まった

 

年末の激務をやり切った谷底家で、
唯一の地上の民であるオラウータン系旦那が
無事に年末年始休暇に入った。

晦日前、年末らしいことをしたと言えば、
私たちは夫の実家に帰った。それくらいだ。

義実家では、餃子パーティーを準備してくれていた。
みんなで包んで、焼いて、食べて。
特別な意味はないけれど、
「年末ってこういうものだよね」という空気だけは、確かにあった。

 

誰も何も聞かないし、私も、何も話さない。
ただ皮に餡をのせて、ひだを作っていく。
その作業が、不思議と心を落ち着かせてくれた。

 

何も聞かれず、ただ迎え入れてくれる場所がある。

そして気づけば、お腹も心も満たされていた。
何も変わっていないようで、
それでもこうして同じ卓を囲めていることが、
今年は思った以上に貴重だったのかもしれない。

 

義両親は、1月頭に誕生日を迎える私のために、
プレゼントと誕生日ケーキまで用意してくれていた。

 

毎日、生きることで精一杯で、
自分の誕生日のことなんて、すっかり忘れていた私に、
変わらない調子で誕生日ソングを歌ってくれる。

祝われる準備ができていない心のまま、
それでも祝ってもらえることに、
どこか救われるような気持ちになった。

 

日頃、干渉せず適度な距離を保ってくれる、
そんな義両親の温かさがあってこその
寛大なオラウータン系旦那なのだと、毎回納得する。

 

■02:二人でやったのは、地味だけど大冒険

 

自宅に戻ってから、私たちは「久しぶりの連休だから」
それを理由に、ゲームのカセットを一つ買った。

二人で遊んだのは、マイクラだった。

派手なことはしていない。
ただ二人で、地味だけど確実に大冒険をしていた。

オラウータン系旦那はゲーム内でも1番の働き者だった。

旦那は資源を集めて、私は物を作る。
何時間も役割分担をしながら、
ああでもない、こうでもないとワーワー言いながら、
1つの画面を見ながらゲームをする。

 

それだけのことなのに、
普段は仕事で休みがあまりないオラウータン系旦那との時間は、
驚くほど贅沢なものだった。

 

画面の中では、少しずつ拠点が整っていく。
現実では、何も解決していないのに、
なぜか「今日はこれでいい」と思えた。

 

■03:今年の漢字を一文字だけ

 

今年は、「楽しい」をそのまま楽しいと感じられる日が少なかった。
だからこの時間は、思っていた以上に深く残った。

谷底にいると、
何かしていない時間をすぐに無駄だと思ってしまう。

でもこの夜は違った。
何も生産していないのに、
ちゃんと満たされていた。

せっかくの大晦日なので、
今年の自分を表す漢字を、一文字だけ決めてみた。


選んだのは、「耐」。

耐え忍ぶことも努力

前に進めた一年ではなかった。
立て直せたとも言えない。

 

ただ、折れずに、投げずに、
ここまで来た。

それだけで、この一文字を当ててもいいと思った。

 

■04:年末の挨拶と、静かな区切り

 

派手さはないけれど、
今年の私は、とにかく耐えていた。

 

餃子を食べて、
ゲームをして、
笑って、
それでも谷底にいた。

その全部が、今年だった。

 

大きなまとめはない。
来年への希望も、まだはっきりとは見えない。

それでも、
こうして文章を書いて、
誰かに届くかもしれない場所を手放さずにいられた。

それだけで、今年は十分だった気がする。

 

今年も、このブログを読んでくれた方、
途中から来てくれた方、
なんとなく覗いてくれた方、
本当にありがとうございました。

 

来年も、無理に明るくはなりません。
でも、自分の速度で、ちゃんと続けます。

 

それでは、良いお年を。
来年も谷底一家を、どうぞよろしくお願いします。

 

2026年の私たちも谷底からお送りいたします。

 


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【谷底】ちゃんと食べ納めたのに、始まる前から終わっていた年末【本当の食べ納め】

 

 

■01:ドアの前で、時間が止まった

 

年末だから、というより、
「年内に一度は行っておこう」それくらいの気持ちで
友人と行きつけのスンドゥブ店に向かった。

 

何度も通った店。
説明はいらない、いつもの場所。

――のはずだった。

 

店に入ろうと、女二人が意気揚々と駐車場にピットインし
ウハウハしているとドアに紙が貼ってあった。
「年末年始休業のお知らせか」なんて言いつつ
目を向けるとある言葉が目に入った。

「12/30 閉店」

 

明日で、終わる。
その文字を「理解する」までに、少し時間がかかった。

 

呆然としたまま入店し、食券機の前で、
二人とも動揺して立ち尽くしていた。

食べる前に、もう失っていた

 

まだ、何も注文していない。
まだ、一口も食べていない。

 

なのに、
「もう来られない」という事実だけが、
先に来てしまった。

 

「え、明日?」
「いつも人多い人気店なのに?」
そんなことを確認するように、
何度も張り紙を見返した。

 

一緒にいたのは、
あの、同じ谷底に落ちた友達。
だから余計に、
この間の悪さを、笑いに変える余裕がなかった。

 

私達のお気に入りの店は、
12/31から、車で往復4時間かけないと行けない場所になる。
気軽に食べられない遠い存在になる。
想像以上の喪失感だった。

 

結局、それでも私たちは食券を買った。

 

最後になるかもしれない、ではなく、
もう最後だと分かった状態で

私はホルモンスンドゥブ、彼女は海鮮スンドゥブにトッポギ。
それが私たちの定番だった。

味は、いつも通りだった。
おいしくて、安心して、
変わらなかった。
それが逆に、少しだけ胸に引っかかった。

 

最後だから、と準備して来たわけじゃない。
別れの言葉を用意していたわけでもない。

 

「また来ようね」
そう思う前提が、
最初から壊れていた。

 

食べ納めはできた。
でも、区切りはなかった。

 

■02:年末は、こういう終わり方をする

 

年末は、他にも噛み合わないことが多かった。
有馬記念は外れて、
年末ジャンボは買い逃していた。

「今年、何も当たらないね、年末ジャンボ買い逃しちゃった」
と嘆いていたら、
夫がドヤ顔で
「俺、年末ジャンボ買ったよ。バラと連番」
と言ってきた。

私は悔しさと、安堵が同時に来た。

有馬記念は燃え尽きた。
それでも、まだ年末ジャンボという希望がある。

最近の私は、
新しく変わった薬の影響で、
眠る時間も、起きている時間も、
またうまく掴めなくなった。

反省もある。
情けなさもある。

 

それでも、
有馬記念で気持ちを使い果たした日も、
旦那が裏切りの年末ジャンボを告白してきた日も、
友達と並んで食券機の前に立ち尽くした時間も、
黙ってスンドゥブを食べた時間も、
私の2025年の「納め」としてちゃんと残っている。

 

■03:失ったことと、過ごせたことは同時に存在する

 

スンドゥブは、おいしく食べた。

 

味も、記憶も、ちゃんと残っている。
でも次に行く場所として、もう存在しない。
何かを失った実感は、
その場ではあまり湧いてこなかった。

ショックすぎて、話しかけてきてくれた店員さんに
大の女2人でスンドゥブへの愛を必死に語ることしか出来なかった。

谷底にいると、物事はだいたい、こういう終わり方をする。


そして失った実感は、
いつも少し遅れてやってくる。

谷底にいると、
出来事と感情のあいだに、
妙な時差が生まれる。

終わったことを理解するより先に、
一日が終わってしまう。

 

それでも、
友達と並んで立ち、
変わらない味を食べ、
そのあとも時間はちゃんと進んだ。

始まる前に終わってしまった出来事も、
区切りを持たない別れも、
全部ひっくるめて、「私達らしい一日」だった。


谷底にいても、
何も起きない一日より、
こうして何かが残る一日のほうが、
少しだけ救いになる。

そんな年末の一日だった。

 

ありがとう、スンドゥブチゲ。
フォーエバー・ラブ・スンドゥブチゲ。

 


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【谷底】朝に夢を見て、夜にそれを回収した【終わったあとに残ったもの】

 

■01:すべてが終わったあとの、いつもの夜

 

有馬記念は、もう終わった。
歓声も、ファンファーレも、画面の向こうに置いてきた。

 

オラウータン系旦那のビギナーズラックドリームは
静かに崩れ去っていった。

朝のあの、少しだけ軽かった身体は、
夜になって、ちゃんと元の重さに戻っている。

 

勝ったか、負けたか。
数字にすれば一瞬で片づく出来事なのに、
その瞬間を迎えるまでの時間のほうが、ずっと長かった気がする。

不思議と、心は騒がなかった。
大きく跳ねることも、深く沈むこともなく、
「終わったな」と、ただ思った。

 

■02:結果については、淡々と書く

 

昨日の朝の私は、ずいぶん浮かれていた。
未来が怖いとか、谷底だとか言いながら、
年に一度のレースに、しっかり夢を乗せていた。


冷静に考えれば、
人生が変わるような賭けではなかった。


それでもあの朝の高揚は、
無理に作ったものじゃなかった。
あれは確かに、あの朝の私だった。

 

イェーイ。見事に戦果なし。記念にピース。

 

結論から言えば、奇跡は微塵も起きなかった。

 

 

普段ギャンブルをしない私にとって
清水の舞台から飛び降りる気持ちで
BETした4000円は、音もなく静かに消えていった。

谷底夫婦の乾いた笑い声が九州の空に消えていった。

 

だが仮に当たったとしても
人生が変わるような結果ではない。
谷底から抜け出すような数字でもない。
だから私は、
この結果をそこまで、悔しげにも語れない。

 

ただ、
「少し感情が躍った日だった」
という一行で、十分だと思っている。

 

■03:朝の自分を、夜の自分が回収する

 

昨日の朝、私は確かに夢を見ていた。
それは大げさな夢じゃない。

未来が急に明るくなるとか、
不安が消えるとか、
そういう話ではなかった。

ただ、
「今日は有馬記念だ」と素直に思えたこと。
その一点だけで、朝の質が変わっていた。

 

結果がどうであれ、
あの朝の私は、ちゃんと存在していた。
夜の私は、
その朝を、否定しなかった。

 

レースが終わって、夜が来ると、
部屋の音が減っていった。

万馬券の幻想はチリとなり宙を舞った。

昼間は気にならなかった時間の流れが、
また少しずつ、存在感を増してくる。
何かをしていないと、不安になる、あの夜の感じ。

 

夜は、相変わらず得意じゃない。

ただ一つ、いつもと違ったのは、
昨日は「朝から夜まで続いている感覚を強く持てた一日」だったことだ。

 

始まりがあって、
小さな盛り上がりがあって、
ちゃんと終わりが来た。

 

何も変わっていないようで、
何もなかった一日とは、少しだけ違う。

 

■04:何も変わらなかった、でも全部が無駄ではなかった

 

有馬記念が終わっても、
翌日からの生活は、もちろん何も変わらない。

 

不安はそのまま残っているし、
安心材料が増えたわけでもない。
現実が好転したわけでも、
何かに決着がついたわけでもない。

 

それでも、
「朝に夢を見て、夜にそれを回収した」
という記憶は、意外としつこく残っている。

私は大きな大きな夢を見ていた。

朝の時点では、
ただ少し胸が浮ついていただけだったはずなのに、
夜になって振り返ると、
一日が一つの流れとして、きちんと繋がっていた。

 

勝ったか負けたかよりも、
その一日を“待って、迎えて、終えた”という事実のほうが、
今の私には大きかった気がする。

 

谷底にいると、
日々は溶け合って、
何もかもが連続した灰色になりがちだけれど、

 

昨日はちゃんと
“区切りのある一日”だった。

 

 

 

■05:終わったあとに、ちゃんと残ったもの

 

残ったのは、お金じゃない。
高揚感でもない。

 

残ったのは、
「私はまだ、何かを楽しみにできる」という感覚だった。
それはとても小さくて、放っておけばすぐ消えそうなものだ。

感動と白熱の有馬記念でした。
久しく感じていなかった胸の高鳴りを思い出させてくれてありがとう。

手応えと呼ぶほどのものではない。
けれど、確かに触れた記憶がある。

 

谷底にいながらでも、
そんな一日を過ごせたことだけは、
事実として残った。

 

そんな一日を過ごせた自分を、
少しだけ誇らしく思っている。
今は、そんな自分を素直に褒めてあげたい。

 

 


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