いよいよ山麓や里に紅葉が降りてきて
鮮やかな色彩を迎えるとともに
初冬へと移り変わってゆく
人だけでなく
動物や鳥たちもこの色彩には影響を受けているのではないかと思う
よく言われる
黄色は葉緑素が分解されるとともにすでにあったカロテノイドが現れてくる
赤は葉の中にとどまった糖分が分解されてアントシアンに変化する
ということだが・・・
仕組みでなしに
なぜ紅葉するのか?
なぜこのように目に鮮やかに映るのか?
長い年月 山を歩き
毎年 秋のこの鮮やかな色彩を見てきて
今 こう思っている


県内で唯一 消滅可能性都市 に指定された小さな街・・・
若い人たちがなんとか
以前の活気を
人々の心にに明るさを取り戻そうと
五年ほど前から取り組んできた
駅前イルミネーションの点灯式
大きな街のイルミネーションから見れば
笑われるような規模かもしれないが
純粋な目的から
若者自ら取り組み 続けてきたことに意味がある
いつか取り上げた
神戸の REKOBE と同じように
今以前の活力をなくしてきたこの国も
以前の状態に戻るか否かは別として
誇るべき国に
育ってゆく力をまだ失っていないような気がする

晩秋に近いてくるとようやく湖岸も色付きを増してくる
例年この時期はほとんど冷たい時雨となり寒々しい日々が多いが
最近はそれこそ小春日和(Indian summer)のような
暖かい快晴の日が多くなってきた
気候が変わってきている


昨日は急に冷え込んで時折冷たい時雨が降っていた
今朝はやはり対岸の伊吹山が雪化粧をしていた
初冠雪にあたる
各地で同じような言い回しがあると思うが
昔から 伊吹に三度雪が積もると麓に降りてくると言われる
まもなく里の紅葉もピークを迎え
いよいよ冬に入ってゆく
伊吹山 1377m


先日訪れた日本平からの富士山だが
関東の人は見慣れているかもしれないが
関西のものにとっては滅多に見る山ではない
この日も完全に分厚い雲に覆われていたので残念ながら眺望は無理だと思っていたら
見事な姿を見せてくれた
裾野に霞がかかっていて
快晴の姿以上に感動的な姿に思えた
たまに訪れて霊峰に出逢えた時は本当にありがたい
もちろんこちらはこの日が初冠雪ではない
富士山 3776m


いつまでも残暑が続くかと思えば、予想通り急に寒くなる
開花時期は植物にとって次代を残すための大切な選択だが、
おそらく迷いながら、少しは前後しながらも次々と開花してくれる
キク科の仲間は日長(日の長さ、正確には夜の長さ)を感知して
正確な時期に花を咲かせているが
それでも幾分例年より早い時期に咲き出したように感じる
昆虫たちとの兼ね合いもあるので
自然のバランスが崩れぬよう祈るばかりである
毎日報道されるように
すでに野生動物の生態は崩れてきている

この前出雲の加茂岩倉遺跡、荒神谷遺跡を紹介したが
加茂岩倉遺跡の資料館を訪ねた時に
学芸員の方だろう
あぁ、滋賀県から来られたのですか
大岩山の銅鐸ですね
と言われた
今でこそ加茂岩倉遺跡が銅鐸においては
全国一の出土数だが
それまではその大岩山と呼ばれる
三上山の麓からの出土が最多だった
かつ日本最大の銅鐸が出土している
恥ずかしいことながら
何十回と前を通りながら
その銅鐸が出土したとされる
銅鐸博物館を訪れたことがなかったので
近くまで行く機会があったので尋ねてみた
日本最大の銅鐸
高さ135cm 重さ45kgほどある
ただしこれは複製品で本物は東京の国立博物館にあり
重要文化財とある
出雲から出土した銅鐸、銅剣、銅矛は全て国宝だと思う
島国根性で言うわけではないが
なぜ日本でもっとも大きいこの銅鐸が重要文化財なのだろう

製作時を復元したもの


明治14年に14個 昭和37年に10個 計24個が出土している
ただ明治のものは海外に逸出したり、個人蔵となっていたり、行方不明のままのものもある

銅鐸出土地の碑
実際の場所はこのすぐ近くで 削り取られて現在工場となっている

明治14年に集落のはずれで遊んでいた少年二人が発見し
近隣の住民が集まって大きな騒ぎになったという
小野田 金太郎 、 森 岩松 というのがその少年の名だろう
唐金古器物 というのが銅鐸のことを指す

右の色濃く目立つ山が三上山(近江富士)
山の名は三上山(みかみやま) 麓の神社は御上神社だが
本来は 御神山 だろう
銅鐸の出土場所は三上山から連なるもっとも左の山の端あたりになる

銅鼓
中国南部やベトナムでは今でも稲の収穫の祭りに
この銅鼓を用いるという
面白いのは 祭りの後 銅の太鼓は土の中に埋め隠してあるといい
銅鐸が丁寧に入れ子状に並べて埋めてあることと共通している

中国では 殷 周 の時代から青銅器を鋳造して
鐘(しょう) 打ち鳴らすもの
鐸(たく) 振り鳴らすもの
鈴(れい) 揺れ鳴るもの
などのカネをつくったという
確かにお寺の梵鐘や半鐘
あるいは鈴などは今でも受け継がれている
銅鐸を祭事礼拝に用いたというのは的を得ているように思える
加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡の銅鐸や
銅剣 銅矛 も祭事礼拝に用いたと考えれば納得もできるし
またいずれも集落や古墳などから出土せず
集落のはずれの山の斜面から出てくることも
そこが祭礼の場所だったと考えれば納得できる
大岩山は削られて昔の地形はわからないが
加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡は谷の奥まった
ちょうどすり鉢のような形の地形の斜面に丁寧に並べて埋められてあった
そこが祭礼の場所だったと思えないこともない
加茂岩倉遺跡出土場所
右奥の細い谷筋から入ってくるとひらけたすり鉢状の地形になっている
言ってみれば野外コンサートホールのようなところ

荒神谷遺跡出土場所
やはり谷筋のもっとも奥まったすり鉢状の斜面

自分は理系の人間なのだが
古代史 考古学などというものも
面白いものだと思う
昔の人々の姿を想像できる
年齢を経たということかもしれないが・・・